【完結】Les Amants d'un Jour / 2016年12月、フランスにて   作:山口 遼

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DAY 5:Terre des hommes / 人間の土地②

 俺は驚かない。先輩も驚かない。ルオシーはとっくに退避済みで、この廃墟には俺たち三人だけが立っている。影は、まだ長い。朝の光の中にいる。

 すべてが終わってしまった土の上に、みっつの命。いや、違う。ふたつの命と、ひとつの幻。

「こうやって対峙すると、あの夜みたいね」

 楽しそうに。

 本当に、再会を喜ぶように、アルクェイドは言った。

 ――それは、なんて罪深い幻影だったのか。

「やめろよ、馬鹿」

 どうして、笑うんだ。そんな無邪気な顔で。欲しかったものを、やっと手に入れた子供のように。

「どうして? だって、わたし本当にうれしいんだよ?」

 胸に手を当てて、アルクェイドは小首をかしげる。その仕草さえ、たしかに見覚えのあるもので。

 一瞬。

 本当に、わずかな間だけ。

 このまぼろしが、夢でなければよかったのに、と。

 そんな、救いがたい願いを抱いてしまった。

「――っ!」

 首を振る。未練は、無様なだけだ。たとえ目の前にあるものそのものが、俺自身の未練のカタマリだったとしても、これ以上情けない姿は見せられない。

 隣でたたずむ先輩にも、コイツ自身にも。

 ――鐘楼はやまない。

「これ、うるさいわね。せっかくの再会だっていうのに、邪魔しないんでほしいんだけど。うーん、往生際が悪いって困りものよね。タネが割れた手品に、もう一度引っかかる人なんていないっていうのに」

 もう、こいつはすっかり現象だから、そんなこともわからないのね、と言って、彼女はまた弾けるように笑う。

「現象?」

 というか、鐘楼の音。そういえば、どうして今まで気にならなかったんだろう。あの修道院でも、この街でも聞こえていた、この音。

 こんなに大きな音を鳴らす鐘が、どこにあったんだ……?

「あれ、志貴、そのカラクリには気づいてなかったんだ。ていうか、もしかして、見破れたのって、ただの勘?」

「勘、と言われればそう、なのか」

 普通に会話をしてしまう。だって仕方がない。アルクェイドが、不自然なくらいに自然なのだ。

 あー、そっかー、などとしきりにうなずいている姿は、二年前と何も変わらない。うきうきした様子で、じゃあ久しぶりに講義してあげましょう、なんて、どこから出したかホワイトボードに絵を描きはじめた。

 めまいがする。なんだって俺は、こんなことが、こんなに楽しく思えてしまうんだろう。

「まず、わたしの話。わたしが本物のわたしじゃないってことくらい、さすがに理解しているのよね?」

 思わず苦笑する。

「本題が、いきなり重いな」

「だって、そこからはじめたほうが理解は簡単でしょ?」

 情緒も何もあったものじゃない。だからこそ、俺はすんなりと、その事実を受け入れることができた。

「そうだな、わかってる。お前は、俺や先輩の記憶を再現したアルクェイド、なんだよな」

 そうとしか考えられない。そう考えたところでいくつかの疑問点は残るが、この街の擬態やこれまでの経緯を勘案すると、まず妥当な推測だろう。

 なのに、アルクェイドは首を傾げた。その様子が、あまりも彼女らしくて混乱する。

「んー、80点。再現っていうのは、ちょっと違うかな。再構成、ううん、再構築に近いから。ま、これについては後にしましょう」

 次は街の話ね、とアルクェイドは楽しそうだ。腰に手を当てて、ホワイトボードに対して半身になる。マジックをくるくると回転させていく。

「この街全体を覆っていた認識の靄は、いま志貴が殺したわ。でも、街そのものを生きているように見せるなんていう暗示、そうそう簡単にはできない。廃墟を綺麗に見せるだけならまだしも、あなたたちはこの街の滅びたベッドで寝て、人と会話をしたりしたはずよ。こんな無茶苦茶を通すには、せめて手順を追わないといけない。たとえば、領域を区切ってそこに入ってくるものにマーキングを施す。この付近に来た時に、誰かの結界に入ったような違和感、あったでしょ?」

「――ああ、あれか」

 ストラスブールからこちらに向かった時、たしかに何者かの結界に入り込んだような違和感があった。肉体には何の制限もなかったので捨て置いたが、そうか、あれがそもそも認識の歪みのはじまりだったのか。

「さらに魔術で編んだこの鐘楼の音で脳をハックする。ダメ押しに、修道院の尖塔を目にしてくれれば完璧ね。あれの材料になった土の魔力についてはわかってるでしょ? 視覚、聴覚、触角を侵せば、人間の認識は割と簡単に壊せるものよ。それでも志貴の目だけは欺けなかったのは、それがもともとは浄眼の類だったことと無関係じゃないでしょうね」

 きゅーっとマジックで描かれていく解説。目には入ってくるが、頭には入らない。

「でも、そういう暗示、先輩ほどの魔力があれば洗い流せるものなんじゃないのか?」

「そうね、シエルひとりなら簡単に洗い流せたでしょう。()()()()()ね」

「――あ」

 先輩を見る。恥ずかしいのか、そっぽを向いている。頬がわずかに赤い。

「これは結局、認識の罠だから。寝ていることに気づけなければ目を覚ますことができない、というのは理屈だけど、現実には難しいでしょう? ここまで大掛かりに、しかも完成度の高いものを仕掛けられたら、多少の引っ掛かりでは起きられない。……まあ、それでも普段のシエルなら、気づけたでしょうけど」

 最後の言葉の棘は鋭い。先輩が何か言い返すかと思ったが、肩をすくめて流してしまった。……珍しいこともある。

 というか、もともと大きな疑問だったが、余計に無視できなくなってきた。

「――お前、記憶の再現にしては、意思疎通できすぎてないか? 俺たちの記憶から出てきたにしては、俺たちが知らないことを知っているのもおかしいし」

「だから、わたしは記憶の再現じゃなくて、あなたたちの記憶から情報を再構築したモノなの。"総耶にいたアルクェイド・ブリュンスタッド"らしく振舞う、ということにかけては、綻びはまったくないはずよ。いえ、というよりは、仮にあったとしても、志貴たちには絶対に気づけない。だって、わたしはあなたたちが思い描くアルクエイドそのものなんだから」

 まあ、それはそうなのだろうが。

「志貴たちがこの街の人に触れられたように、この身体には実体がある。それを、あなたたちの思い描くアルクェイド・ブリュンスタッドの仮面で覆っている、って言った方がわかりやすい? 幻を上映しているのではないわ。実際にあるものを、記憶のヴェールでコーティングしてそう見せている、ということ。だから再現ではない。志貴の記憶の中のわたしが知らないことであっても、このわたしが新しく情報を得れば、アルクェイド・ブリュンスタッドの思考回路をもってわたしは新しい真理にたどり着くことができる――わかる?」

 もちろん、わからない。わからないが、そこではじめて、先輩が正面からアルクエイドを見据えた。

「なるほど、つまりそれが、この街を堕とした死徒の命題、というわけですか」

 視線がぶつかり、一度だけ、火花が散った。それをいなすようにして、アルクェイドは続ける。

「そうなるわね。いまはわたしの仮面を被っているけど、この実体は結局、そういうことを考えたのよ。まったく、人間って本当に途方もないわよね。そんな無意味なことを、千年も続けるなんて、はじめっから正気じゃないわ」

「遺憾ではありますが、その点については同感です。記憶から再構築した他者を憑依させ続けることによって、永遠に真理を探究し続ける、ということですか。まったく無様です。だって、そんなのもう、手段と目的が入れ替わっているじゃないですか」

「魔術師あがりの死徒なんでしょうね。そういう手合い、多いもの」

 お互いのことを侮蔑しあうように、ふたりは笑った。……なんだろう、表面上は和やかなのに、一触即発の空気である。

「しかし、千年は――長いですね」

 言って、先輩は黒鍵を構える。ちり、と大気が灼けつく。闘気、ではない。それは紛れもない、殺意の具現だった。

「……先輩?」

「アルクェイド。そろそろ説明はおしまいでしょう。それで結局、()()()()()()()()()()()()?」

 氷のような先輩の問いに、一度きょとんと眼を開いて、アルクェイドは嗤った。ニヤリと、唇を枉げて。

「わたし? わたしはもちろん、本体よ」

 俺にはわからない。わからないが、それはきっと、先輩にとっては聞きたくない返答だったのだろう。眉を寄せて、彼女は静かに息を吐いた。その様子を楽しむように、アルクェイドは続ける。

「わたしを再構築するなら、そりゃあ素材の強度は必要になるわよ。昨日のわたしは寄せ集めだったから数分しかもたなかったけど、今回は違うわ。それにしても、身体がどこまで腐っているかはわたしにもわからないけれども、領域については驚くべきことにほとんど完成に至っているのね。だって、わたしという認識を被ることで、この死徒はすでに太陽を克服しているんだもの。もっとも、自我はないわ。記憶を通過させるために、すべてを空洞にしなければならなかったでしょうから」

「……自我はなくとも、方向性くらいは、残ってしまっているんでしょう?」

「さすがね、シエル。目が覚めたら途端に冴えてるじゃない。その通りよ、カレが残した方向性はある。それに適した記憶を掘り出して、それに実存を明け渡すことで、それを実現する」

「ああ――昨日の蜘蛛は、やはり」

「ウォーター・ボトル? そうでしょうね。15年前のあの夜、アイツも来てたんでしょ? きっと、土の記憶か、あるいはあなた自身の記憶から再構築したんでしょう。まさか、本物の二十一位(スミレ)がこんなところにいるわけないしね」

 ぎりっと先輩は歯を噛んだ。そのたぎる激情にいかなる意味があったのか、俺には読み取れない。

「……せめてもの救いと取っておきます」

「そう? でもコイツはね、感情を生み出すことはできないけど、その方向性に合致するように、仮面側の適切な素質を恣意的に強めることはできるのよ? 道路に通行規制があるように、再構築される記憶にはちゃんと目的地だけはあるの。わたしが志貴を助けられたように、普段は記憶側の意思が優先される。でも、致命的なトリガーが引かれたら、そういうわけにもいかない。――うん、そろそろ、話しているのもつらくなってきたところ」

 先輩は首を振って、嘆息した。

「つまり、その死徒の方向性は――永続すること、といったところでしょうか」

「100点よ、シエル」

「……まったく、罪深い」

 先輩が黒鍵を構える。全身が魔力で発熱しているのが俺にもわかる。アルクェイドは片手を上げて、その艶やかな爪をかざしている。

 戦闘態勢を取る意味がまったく分からず、動揺をそのまま声に乗せて、俺は尋ねた。

「ふたりとも――なにを、やってるんだよ?」

「戦いは避けられません。いいですか遠野くん。この死徒にとって、わたしたちは彼の研究を妨害する異物です。すでに自我はなくとも、永続を願望する死徒の方向性は残っている。すなわち、状況を破壊しうるファクターを、カレは決して許しはしない」

「待て、待ってくれ。だって、これはアルクェイドなんだろ。だったら、俺たちと戦う理由なんて」

 ないはずだ、と言いかけて、言葉を呑んだ。そうだ。さっき、アルクェイドは言っていた。

 ――仮面側の適切な素質を恣意的に強めることはできる。

「ごめんね、志貴。でも、わたしにもあったから。あなたたちを攻撃し、あなたたちを殺してしまおうと思った実績が。それは誰よりも、志貴が覚えていることでしょう?」

 その時の記憶を仮面の前面に押し出すことで、偽りなく、アルクェイドから妨害者への殺意を引き出すことができる。

 詳しいことはわからずとも、おそらく、そういうことだ。

「――は」

 まったく正気じゃない。二年前のことを思い出す。アレをもう一度、やれっていうのか……?

「大丈夫よ、志貴。本物のわたしを再構築するなんて、誰にだってできない。紛い物を作るにも、この死徒には資源が足りてない。だから当然、事象の収納も光体化もできっこないわ。それに何より、あなたは一度、わたしに勝っているはずでしょう? 所詮、記憶から生まれたものは記憶に縛られる。有利なのは、あなたたちの方だから」

 それはアルクェイドの本音だっただろう。しかし、先輩のまとう緊迫感は、この戦いがそう簡単に決着するはずがないことを教えてくれている。

「ま、どうせだから楽しみましょう。――正直な話、わたし、まだちょっと、あの時のこと、頭に来てるんだから!」

 そう言って、言葉通りに楽しそうに、アルクェイドは爪を振り上げた。万物を切り裂く凶器が竜巻となって俺たちを襲う。

 ナイフを抜き、眼鏡を外す。

 ああ、もう。

「厄日だ」

 

***

 

 ある時、カレは思った。

 認識から解き放たれれば無限ではないか、と。

 私という観測が私という事象を演算してしまうのであれば、私という認識を覆せばいい。この身は、この魔は、そのための空洞であればいい、と。

 すべての事象にあまねく存在し、すべての事象にあまねく干渉しない。それこそが、普遍不在の在り方であろう、と。

 みずからのうちに求めるから、ソレは手に入らないのだ。より長く、よりあまねく在ろうと願うのなら、みずからという器から逃れ、抜け出し、より大きな器に成ればいい。

 他者の認識を譲り受け、それを包含し、それを表現し、それと同化する。その運動を無限に繰り返す。記憶を食らい、再構築し、また別の記憶を食らい、再構築する。そうだ。その結果、たとえ自我があいまいになろうとも、それでいいのだ。

 空洞、すなわち永続。

 何もかも通過し、何もかもがとどまらず、何もかもをも吞み込めるモノ。

 それこそが、この身の目指すものである、とカレは結論した。

 カレは知らない。カレがそうなり果てた後に、似て非なる方法で第六に到達しようとした祖が発生したことを。存在する、とだけ定義される、あやふやな存在を。

 しかし、そんなことすら、無論カレは認識しない。

 誰かの記憶をそのまま現実のテクスチャとして投影する。自我があれば干渉が起こるため、そのありようはほとんど無に等しくなる。行きつく先は、現象を再構築するだけの機構になるだろう。

 だが、それの何が問題というのか。

 それが、空洞(ホロウ)と呼ばれた死徒の手段(もくてき)

 ゆえに現象に意図はなく、ただそうあれかしと望まれた意志だけが存在する。もはやカレの意図は存在しない。何者かのヴェールをまとってしかそれは存在できず、意図を持たないがゆえに存在の目的も定義されない。

 再構築されたものは、再構築されたものそのものの思考をもって、仮初に受肉する。

 カレは、西暦が始まって間もないころに発生した、名もなき最古参の死徒である。

 名前も身体も存在も、すべて地層に埋もれ切った、今は亡き夢の残骸である。

 

***

 

 美しいと、思ったのだった。

「いや――違うな」

 救われたと、思ったのかもしれない。

 

 アルクェイドは暴風となって襲い掛かってきた。振るわれる爪の一撃の衝撃は、はたして何トンに及ぶだろうか。風圧だけで消し飛ばされそうな暴虐の嵐に、しかし先輩はよく耐えた。

 黒鍵を使い捨てながら、距離を保ちつつ、適切な反撃を繰り返す。もちろん、ただの時間稼ぎだけが目的ではない。大地には少しずつ黒鍵が突き立てられ、領域確保の楔となっていく。

「へえ――すっかり色ボケしてたかなと思ったけど、腕を上げたのね、シエル!」

「当然です。いつまた、愚か者の真祖と構えることになるかわかりませんでしたからね!」

 二年の間、先輩とて鍛錬を欠かしていなかった。単純な戦闘技術、対吸血鬼戦術という意味では、もはや別人の域だろう。

 しかし、瞬時の判断、攻撃や防御の絶対値が上がったとしても、先輩は――。

「でもシエル、あの頃より、弱いのね」

「――っ!」

 さらに勢いを増す暴風。割って入ろうにも、近づいただけでこの身がバラバラになることがわかる。ナイフを片手に、俺は呆然と立ち尽くすしかない。

 先輩の顔が苦悶に歪んでいく。捌いているとはいえ、これだけの連撃だ。風圧ですら肌を損なうのだとしたら、完全な防御など望むべくもない。致命傷は避けているが、先輩にダメージは蓄積していく。ただでさえ、左腕は万全ではないのに。

「はあああ――!」

 黒鍵を連打しつつ、先輩が結界を発動させる。一瞬の危険を察知したのか、それとも時間をかけて確実に仕留めるつもりなのか、アルクェイドが下がり、距離を取った。

 彼我の様子は対照的だ。肌に無数の傷を作って血をにじませる先輩に対し、アルクェイドには汚れ一つない。

「まったく、こういう時、いかに自分が不死に甘えていたか痛感しますね」

 先輩が、自嘲気味につぶやく。そう、いくら戦闘技術が高まったところで、先輩はあの切り札を失っている。

 俺も後で知ったことだが、そもそも第七聖典にしろ原理血戒(イデアブラッド)にしろ、使用には我が身を損なう反動が伴うのだ。総耶で先輩がやったような戦い方をすれば、人間の肉体など粉々に砕け散る。再生の加護を受けた者であったとしても、それら強大な武器がもたらす自壊作用には決して太刀打ちできない。

 つまり、先輩が強大な武器を振るうとき、その身体は絶えず壊れ続けていたのだ。それを不死の呪いが修復し続けることで、彼女はあの無茶な戦い方を会得した。不死の呪いを失った先輩では、第七聖典はまだしも、原理血戒(イデアブラッド)を使いこなすことは難しい。

 その上、そもそも先輩の戦闘術には生存のための選択、という考えが抜け落ちていた。半身を失おうが、相手を仕留めれば彼女の場合は勝利だった。そういう歪な認識をただした結果、先輩は強大な攻撃方法を失ったのだ。

「――とはいえ、黒鍵だけで仕留め切れる相手ではありませんものね」

 あきらめたように先輩がつぶやくと同時に、軽快な音があたりに響いた。俺には見えない。感じ取れない。しかしその蹄の音はだんだんと大きくなり、やがて――。

「行きますよ、セブン」

 先輩の手元に、凶悪としかいいようのない武器となって実体化した。

「第七聖典――。いいの? それ本気で使ったら、あなた死ぬわよ?」

原理血戒(イデアブラッド)よりはマシですよ。死なない程度に使えるように、カスタムしてきましたから」

 もともとは法が人に割り振った七つの死因を、六つの武装で再現する、超大型の対吸血鬼武装車両。第七聖典は、そのあまりにも強力な威力ゆえに、使用者の肉体に致命的な負担を強いる。

 先輩はそれを恐れず、彼女の限定使用に許可を出す。カタチは、第三の死因、出血死(ブレイド)を取った。大型の蛇腹剣。幻想種の骨を重ねて編んだ、対神秘の特効武装。たしかに、アルクェイドにはもっとも効果的だろう。

 しかし。

「正気? そんなの、数合も打ち合えば、あなたの骨が先にバラバラに砕け散るわよ?」

 いっそつまらなそうに、アルクェイドは鼻を鳴らした。いかにも期待外れだというように。

 そうだ。今の先輩には第七聖典は使いこなせない。第一の焼死(ブレイズ)ならば数発が限度、第二の病死(シック)は、ばら撒かれた毒で自らも死ぬので使用不可。第四の衝突死(ブレイク)は重すぎるために一撃必殺の決戦兵器としてしか扱えず、第五の精神死(ロスト)はアルクェイドには通用しない。第六の拷問死(ペイン)は攻撃には使えず、第七の断罪死(バニッシュ)に至っては撃った反動で全身が四散するだろう。

 それをわかっていて、先輩はアルクェイドを馬鹿にするように、目を合わせて笑った。

「そうですね。何の加護もないわたしでは、あなたの爪と打ち合えて七合といったところでしょう。だから、()()()()()()()()()()()

「――は?」

「だって、あなたごときを仕留めるのに、七合もいりませんから」

 挑発だと、もちろんアルクェイドも気づいていただろう。しかし、たとえ見え透いた下策であっても、看過できぬものはある。

「なら、耐えて見せてごらんなさい、シエル――!」

 暴風は突風となって加速する。振り上げられた爪は断罪の刃となって先輩の首を断ちに来る。それを間一髪、刃の腹で受けきる。弾き飛ばされる細い体の関節部から、目に痛いほどの鮮血がほとばしる。

 たったの一度、打ち合っただけであの有様だ。七合なんて耐えられるものではない。退避しながら撃ちだした黒鍵に至っては、かざされた片手でつかみ取られ、握りつぶされてしまった。

「鉄甲作用だか火葬式典だか知らないけど、こんなカビの生えた武器でわたしを止めようなんて、虫がいいにも限度があると思わない?」

「……黒鍵は、いまだに決戦兵装の最適解です」

 苦々しい顔で返す先輩に、アルクェイドはとっておきの邪悪な笑みを浮かべた。はしゃぐように手を振る。

「あーあ、やだやだ。コンサバっていつもそれよねー。時代遅れも甚だしいっていうのに。頭の中までカビ生えてるんじゃない?」

 意趣返しだろう。挑発されたら挑発で返さないと気が済まないというのはいかにもアルクェイドらしいところだが、先輩はその手には乗らない。

「――チッ」

 乗らない、はずだが……。

「世間知らずの愚か者には、簡にして要を得る、ということの意味を、徹底的に教育してあげなければならないようですねえ……?」

 ええ、わたしは冷静ですよ、などとうそぶきながら、完全にこめかみには青筋が浮いている。ビキッピキッという言葉とともに、「!?」の文字が見えるのはなぜだ。

「どんなに悪い頭でも、その体を十二分に切り刻まれたら、さすがに黒鍵の優位性を理解できることでしょう?」

「へえ。そんなこと、あなたにできるんだ? 楽しみね、そんな貧弱な身体で、どうやってわたしを切り刻むのか。存分に見せて頂戴――!」

 ぶん、とアルクェイドが何かを投げた。音速をゆうに超えて迫る弾丸を、先輩は紙一重で避ける。背後の家に丸い穴が穿たれる。というか、塀が一部分丸ごと吹っ飛んだ。冗談じゃない、何だあれ。ライフルなんかよりもよっぽど恐ろしい暴力だ。

 アルクェイドは悠然と腰をかがめ、地面に打ち捨てられていた黒鍵を拾いあげる。弾かれて転がっていたものだ。それを、まるで粘土をこねるようにして、ぐにゃりと曲げる。さらに曲げ、曲げ、丸め、手のひらで挟んで転がした。

「ぐるぐる~♪」

 ……そうして、黒鍵は、一個の鉄球になった。どれほどの圧力を加えれば、あの剣がピンポン玉のような球体になるのか想像もつかない。あれだけ圧縮された質量を、アルクェイドの剛腕で全力投球したのだ。直撃すれば、人間の身体など簡単に吹き飛ぶだろう。

「こんなの、こうして投げたほうが簡単じゃない」

 またも投球される元黒鍵。先輩は振りかぶった大剣でそれを弾いた。衝撃が身体に還る。それでもあえて避けるのではなく弾くことを選んだのは、

「――偉いじゃない、シエル」

 同時に突撃してきた、アルクェイドの追撃に対応するためだった。

「――く、ぐう!」

 そらそらそら、と楽し気な声を上げて、アルクェイドは攻撃をつなげていく。先輩は歯を食いしばって、その無茶苦茶な攻撃に耐える。隙を見て、反動を利用した反撃を試みるが、難なくかわされて空を切る。アルクェイドの人相がゆがんでいく。弱者をいたぶるように、彼女の攻撃はかえって緩慢になった。

 ……圧倒的だ。まるで勝負にもなっていない。三合、四合とアルクェイドの攻撃をしのぐたびに、先輩の出血は甚だしくなっていく。炎のように吹き出す血、口から洩れる苦悶の声、それをまるで鼠のように追いつめていたぶる白い女。

 ――そんなものを見せられて。

 黙っていられるはずがなかった。

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