【完結】Les Amants d'un Jour / 2016年12月、フランスにて 作:山口 遼
「アル――クェイドォ!」
「志貴――!?」
もはや我が身かわいさで傍観を決め込むのは限界だ。割って入れば死ぬというなら、死んでやればいいだけだろう。激情の命じるままに走り出す。ナイフを片手に、視てはいけないものを凝視する。標的を俺に変更し、アルクェイドが反射的に爪を振る。直後、あ、やば、という顔をしやがった。思わず迎撃してしまった、ということか。
「ごめん、志貴、避けてー」
そのままじゃバラバラになっちゃうからー、などと言っているのが、なぜか聞こえた。頭が痛い。死の線のせいではなく、単純にあきれ果てて頭が痛い。まったく、本当に何一つ変わっていやがらない。
「この、馬鹿女――!」
眼前には死の突風。俺の装備で防御は不可能、かすっただけで致命傷だ。風圧を紙一重で見切り、腱が断裂する限界で足の動きを制御する。度を越えた運動に、せっかく治った筋肉が再び傷を負う。しかし問題ない。痛みを遮断して、ルートを再構築する。直角に近い方向転換ののち、俺は再びアルクェイドへ向かって駆けはじめた。
「お、無傷? さっすが志貴!」
舌を伸ばして、唇をなめている。こっちも本気出しちゃうぞー、などと腕まくりさえしている始末。どうにも緊張感に欠けるのは記憶通りだ。間違いなく命がかかっているのに、ああ、くそ、くそったれ。やっぱり、こいつとの会話は、どうしても悪くない。一歩の距離に踏み込んで、息を吐きつつナイフを振るう。それを難なく受けたアルクェイドが、明らかに手加減した攻撃を繰り出してくる。それでさえ、直撃すれば致命傷だ。
「――くっ」
「あれ、志貴も動きが良くなってるね。そっか、ちゃんと体の動かし方からやり直したってこと?」
そんな大仰なモンじゃねえよ、と口に出しかけた言葉を呑む。しゃべる余裕なんてどこにもない。この運動の中で声なんて出そうものなら、あっという間に舌を噛む。
ぎんぎん、と鈍い音が響く。おっと、えい、それー、などと楽しそうにアルクェイドは笑っている。稽古のつもりだろうか。冗談じゃない。それでも、繰り出される一撃はすべて致命的だ。わずかでも気を抜けば、俺の命ごと斬り裂くだろう。
ああ、なのに。
「あはは、楽しいね、志貴」
――まったく同感だよ、馬鹿女。
こんな殺し合いが、何よりも楽しい。こうすることでしか話し合えずとも、お前と語り合えるだけで、俺はこんなにも楽しくなる。心底見下げ果てたことに、俺はやっぱり、お前が好きだ。お前といると、楽しいんだ。
目を凝らす。じじじっと電球が白熱するような音がする。脳髄を切り裂くような痛みがある。眼球を万力で圧迫するような不快感。吐き気は止まらず、耳鳴りはとっくに爆音だ。視界に血が滲む。眼球内で血だまりが炸裂する。それでも、アルクェイドの白い身体に、線は視えない。昼ならば、幻影ならば、視えるはずのものが、どうしても視えない。うっすらとすら、死の点が存在しない。
不可思議でしかないことに、俺は笑いながら納得していた。そうか。そうだ。これは、俺の記憶のアルクェイド。俺が、そうであってほしいと願ったままのアルクェイド。つまり、ことは単純だ。ただ俺が、こいつの線を視たくないと思っているというだけの話。だってそうだ。考えるまでもない。俺の知るアルクェイドは、ただひとり、俺に希望を教えてくれた存在だった。
思い出すのは、ホテルの最上階。まだ出会ったばかりで、アルクェイドのことも、自分のことも、運命のことも、何も知らなかった夜。まぶしいほどの月光を背に、夜空を押し上げる文明の灯を見下ろし、この女は紛れもなく、この世の何よりも尊かった。
あの時。
はじめて、生きていて良いのだと、許された気がした。
なにもかもが砕けそうな硝子の世界で、俺ははじめて完全というものを視た。死に満ち満ちた、ただ恐ろしく、ただ脆く、ただ頼りなく、ただおぞましかっただけの世界で、侵されざるをモノをこの目にした。こんな俺にでも殺せないものがある。頼れるものがある。信じるに足る、命がある。
そんなことが、何よりもうれしかった。
美しかった。救われたと思った。おそらく同時に、口が裂けても言えないけれども、俺はあの時、この女に恋をした。絶望的なくらいに一方的に、恋をした。なにもかも燃やし尽くすほどの、それは激しい感情だった。俺は畢竟、人でなしだ。死に囲まれた世界で、何のよりどころもなく、偽りのまま死んでいくだけの人非人だ。その俺をして、崇拝の念を抱かせた、唯一の生命。
秋の夜。
いまだ満ちない月の下。
やがて炎に巻かれる人工の塔の頂で。
――俺は、生涯にわたる、神を視たんだ。
「でも、終わりだよ、アルクェイド」
「え?」
ナイフを一閃する。軌跡は空に残る。青白い刃の残り香。その向こうに、悪魔のように美しい、女のカタチ。ただひとり、俺が心から殺したいと思った、理想の女。
その女に、俺は、
「だってお前は、やっぱり偽物だ」
侮蔑ともに、別れを告げた。
「――なんで?」
ざっと距離を取って、アルクェイドが顔を歪める。そんな表情さえ、狂いそうに綺麗だった。傷ついたことを隠しもせず、彼女は声を張り上げる。
「なんでそんなこと言うの、志貴? たしかにわたしは本物じゃないけど、偽物でもないはずでしょ? だってわたし、志貴の思った通りのわたしでしょ?」
すがるように、ソレは言う。そうだな、と俺は無言でうなずいた。俺の知っているアルクェイドでも、そう言うだろう。あんなに強くて、キレイで、デタラメで、尊かったお前だけど、心は意外ともろかった。
――守ってやらないといけないと思えるくらい、弱かった。
「だからだよ」
「――え?」
「お前は全部、俺の想像通りすぎるんだ。何もかも、俺が覚えている通りのアルクェイドで――でもさ」
一瞬の交戦は楽しかった。命を握りつぶされそうな、吐き気のする緊張の中で、それでも俺の心は踊っていた。本能がお前に惚れていた。
だからこそ、こんな茶番はもう終わりにしよう。
ふう、と息を吐く。
「あいつはいつだって、俺の想像なんて、軽く超えてくれる奴だったから」
だから、俺の想像通りのお前は、やっぱりアルクェイドじゃないんだよ。
言って、もう一度、ナイフを握り締める。もう、死を視ようとは思わない。どうせ俺では殺せない。この戦いの幕は、いまの俺の刃では下せない。
「……あはは、なにそれ志貴。無茶苦茶だよ」
「自覚してる。けど、無茶苦茶なのはお互い様だろ?」
そうね、そうかもしれない。アルクェイドは、くつくつと笑っている。腹を抱えて、本当に面白いものを聞いたように。それから、諦めたように空を見上げた。
「思い通りになるなら、本物じゃない、か。あーあ。本当、驚いちゃった」
その、すがすがしいほどの横顔を、死んだように静かな心で、俺は見ていた。
「何に?」
「だって志貴、わたしのことが大好きなんだもん」
「はっ――馬鹿言うな」
そんなこと二年前からわかり切っていたことだろう。
手に入るものに、ヒトはこんなにも焦がれない。届かないものだからこそ、俺はお前が欲しかったんだ。
「うん。まいったな。そう言われちゃったら、わたし、ちょっとだけ、本気になっちゃうかも」
「――え?」
そうして、笑顔のまま、アルクェイドは一度、目を閉じた。
美しいまつげが、扇のようにあおがれる。
「あ――」
えん、と音がした。残響し、反響し、頭蓋を揺らす。遠い音。空から大地から立ち上がる、尾の長い望郷の声。こんなものを、いつだったか、耳にしたことがあった気がする。
がくんと、首が落ちる。すでに味覚と嗅覚はない。俺を形成するものがだんだんと抜け落ちていく。
ダメだ、と脳が警鐘を鳴らす。いますぐに目をそらさなければならない。これ以上、あれを見ていてはいけない。いますぐに視線を外せ。あれを見るな。ああダメだ、もうダメだ。だって俺は目をそらせない。あの女からだけは、俺は目をそらすことができないから――。
だから。
「もらうね、志貴」
吐きそうなくらい煽情的な声を叩きつけられた瞬間、
どくん、と心臓が跳ねた。
「か――はっ――!」
目の前が黄金に染まる。体中が瘧のように震えだす。情欲が止まらない。あたまが、おかしく、なる。
内臓が残らず口からあふれ出しそうだ。ごぽりと胃から何かが上がってくる。反吐を口元から垂れ流し、目じりからは涙。口元は知らず、吊り上がっている。眼球は乾いてつらい。でも、閉じられない。瞼を下ろせない。目の前になにがあるかもわらない。俺はもう、完全にイカレてしまっている。
なにに?
こいつに。
黄金の瞳。背筋を直接つかまれたかのように、まったく身動きが取れない。脳の中に名前も知らない音楽が流れ続けている。滂沱の涙は何より雄弁に歓喜を語り、俺はでくの坊となって立ち尽くす。動けないし、考えられない。なにもできない。でも、幸せだ。そうだ。きっとずっと、こんなことを望んでいた。こんな終わりを望んでいた。
ああ、やっと。
お前のものになれたのか。
いますぐにでも跪いて足元に口づけたい衝動があふれてくる。我慢したのではない。ただ、身体が動かず叶わないだけ。許されるなら大地に這いつくばって永遠の忠誠を誓いたい。でもこの喉は空気以外の何も通さず、この手足は鉄のように冷たく硬い。ああ、でも、それが望みならそれでいい。ここでこのまま、アレを崇拝しながら立ち枯れることができたら、それはどんなに――
「ふざけないでください!」
そして降る、黒い雨。恐ろしいほどの轟音を立てながら、数十の黒鍵が降り注ぐ。立ち上る砂煙、大気が震え、大地が割れる。光がはじける。その攻撃にいかなる神秘が込められていたのか、一本一本が足元に突き立てられるたびに、わずかずつ正気が戻ってくる。
「――ちぇ、邪魔しないでよ、もー」
アルクェイドはつまらなそうに腕を振る。退避の姿勢すら取らない。降りかかる火の粉を払うように、黒鍵の雨の中で悠然と立っている。その瞳はいまだ金色の輝きをあきらめない。赤い舌をのぞかせて、まだ俺の意識を捕えに来る。
そのことが、余計に先輩の神経を苛立たせたのかもしれない。人間の手には余るはずの第七聖典を担ぎ上げて、仁王立ちに君臨する。それから、あたりを圧する咆哮を上げて、突進を開始した。
「いつまで人のものに色目使ってるんですか、この泥棒猫ぉ!」
「にゃ、にゃーっ!」
気合、としか言いようがない。明らかに戦闘力では勝るはずのアルクェイドが、びくっと尻尾を立てた猫のように撤退する。明らかに、見てはならないものを見たように怯えた表情だった。俺からは死角になって見えなかったが……先輩、いったいどんな顔をしていたのだろう。
……いや、やめよう。想像しただけで漏らしそうだ。
まあ、実は「人のもの」と断定されたことがちょっとうれしい、という似合わない感慨もあったりする。俺も意外と乙女だな、などとふざけたことを考えていると、ぽん、と頭に手を置かれた。
あれ、おかしいな、寒気がするゾ?
ぎぎぎぎと音を立てて首を回される。うん、おかしい。痛いな。ちょっとあれだな。回ってはいけないところまで首回ってるな? あれ、痛いな。うん痛い。これは痛いな?
「せ……せんぱ、い?」
先輩は笑顔である。
なのに、背後に般若が見えるのはどうしてだろう? こめかみが震えて、血管が浮いて見えるのはなぜだろう。美人ってこういうときも得だよね。造形の良さがかえって迫力になるっていうかね。うん。
へ、へるぷみー。
「遠野くんも遠野くんですよー? あーんなのに簡単に篭絡されているようでは話になりませんねえー? これはあれですね、帰ったら精神統一の訓練をしていただいた方が、今後何かとよろしいかもしれませんねー?」
いや、それ駄目です。さっきのアルクェイドの魔眼よりよっぽど危険な気配がします。もう二度と正気に戻れなくなるって言うか、そもそもこう、男性としての尊厳とか価値とか、そういうものがマジでめためたになってしまいそうっていうか。端的に言うと奴隷製造機っていうかですね。
「……浮気者」
「ち、違います、断じてNO。断固違います。俺は先輩一筋。先輩大好き。頭の先からつま先まで、髪の毛一本まで先輩にぞっこんラブです!」
我ながらトチ狂って何を口走っているかいまいち不明瞭だが、命乞いの前に誤解だけは解いておきたい。いや、たしかにアルクェイドに魅力を感じているのはこれ、もはや隠しようもないことなのだが、それでも浮気だなんてものをするつもりは欠片もないのがまた事実なのである。
とはいえ、……まあ、本音の本音、後ろめたいところがないわけではない。頭を下げてせめてもの謝罪とする。
「……面目ありません。すべて俺の不徳の致すところです」
「――じゃあ、帰ったらお詫びに、どんなことをしてくれますか?」
「お、お詫びに……? それはですね、えーっと」
「えーっと?」
ふーむと考える。考え始めるとキリがない。アイディアが次から次へと浮かんできて困ってしまうくらいだ。だって合法的に先輩にご奉仕できるんだぞ? こんなのお詫びどころがご褒美である。
数秒でプランをまとめ上げて、プレゼンを脳内で組み上げる。ちょいちょいと手招きして、先輩の耳に口を寄せる。別に誰も聞いていないのだがそれでも俺にも恥じらいというものはある。
「ごにょごにょをごにょごにょしてですね」
「……なっ」
「その上、ほにゃららをほにゃららしまして」
「え、ええっ!?」
「さらに、ぺけぺけをぺけぺけぺけした挙句」
「なんとぉ!?」
「最後に、ぴーーーーーをぴーーーーーいたします」
「ぴ、ぴーー、を、ぴーーー、です、か?」
「はい。お望みのままに」
う、うひゃあ、それはすっごいですねえ、とか言いながら、先輩は顔を真っ赤にしている。ほにゃほにゃと緩んでくる頬を両手で必死に保とうとするが、無駄な努力に終わる。ぽわぽわという音が聞こえそうなほどだらしない顔でひとしきりトリップした後、
「こ、こほん!」
と、唐突に正気に戻り、
「で、では、今回の件は、それで手を打ちましょう。はい」
にこやかに、俺の罪を赦してくれたのだった。……帰ってからはなかなか大変だが、そこらへんはまあ、命の対価としては安いものだとしておく。先輩が喜んでくれるのなら、俺としても大変なばかりでもない。
「……ねえ?」
その俺たちの様子を、腰に手を当てて眺めていたアルクェイドが、つまらなそうに足を踏み鳴らした。
「茶番はそれで終わりかしら? そのだらしない顔のまま引き裂いちゃってもいいんだけど、シエル、どうする?」
「だ、だらしないとはなんですか、わたしはいつだって真面目な表情です! ねえ、遠野くん!」
……あー、それは無理がある。フォローできない。ごめんな。
「やれやれ」
こきっ、と音がする。アルクェイドが首を回し、肩を回し、ふーっと大きく息を吐いている。その周囲の空気が、ぴりぴりと帯電している。
明らかにさっきより機嫌が悪そうなのは、錯覚だろうか?
「じゃあ、殺し合いを再開しましょうか、シエル? 安心していいわよ、目の前でわたしをコケにした罪、その体を引き裂くことで許してあげるから。噴水のようにぴゅーぴゅー血をまき散らして、惨めに逝きなさい」
「おや、盗人猛々しいとはこのことですね。わたしの遠野くんに手を出そうとした罪、灰になっても許しませんから、そちらもご安心ください」
ふ、と二人合わせて息を吐く。それから、声を合わせて、あははははははと笑い声をあげ始めた。怖い。こんなにも恐ろしいユニゾン、この世にあるのか。できれば知らないまま死んでいきたかった。
そして、その二秒後。
がん、と盛大な音を立てて、二人は再び接触した。