【完結】Les Amants d'un Jour / 2016年12月、フランスにて   作:山口 遼

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DAY 2:Voyage au bout de la nuit / 夜の果てへの旅①

 空はまだ、深い藍色に沈んでいた。月は落ちたが暁は完全には払われず、真綿の雲が天を覆っている。

 吐く息の白く濁る冬の川べりを、先輩と歩いた。

「寒いね」

「でも、気持ちいいです」

「うん、本当に」

 

 

 

   DAY 2

   Voyage au bout de la nuit / 夜の果てへの旅

 

 

 

 昨夜は疲れ切って眠ったはずなのに、なぜか朝日の昇る前に目が覚めてしまった。先輩も同様だったのか、起き出すころにはベッドの隣はすっかり寒くなっていた。

 ダイニングに降りると、鼻歌交じりにコーヒーを落としている先輩の姿があった。ご機嫌のようだ。

「おはよう先輩、早いね」

 珍しく、という言葉は飲み込んだ。この完璧超人に思われる人にもいくつかの欠点があって、その一つが朝に弱いことだ。

「はい、おはようございます。久しぶりに遠野くんの隣で眠ったせいか、すっきりです」

 笑顔には後光が差している。朝からこんなに荘厳なものを見てよいのだろうかと、なぜだか罪深い気持ちになった。あれだな、昨夜からちょっと幸福が過ぎるな?

「俺、顔洗ってきます。今日からアルザスですよね? 何時の電車に乗ればいいんだろう」

「お昼をパリで済ませるつもりなので、九時過ぎの便を予約してあります、けど」

「けど?」

「その前に、せっかく早起きしたので、お散歩でもしましょう」

 まあ、当然の話。

 断る理由は何もないのだった。

 

 そういうわけで、ローヌ川に沿って、朝焼けの散歩としゃれこんでいる。輝かしい肌は隠れてしまっているが、もこもこに着込んだ先輩の姿は、それはそれで抜群にかわいい。

 抜群にかわいい。

 ニット帽の上のボンボンを揺らしながら、先輩は踊るように歩く。立ち枯れの木々の枝々に目をやり、遠く響く鳥の声に耳を澄ます。彼女こそはローヌの妖精です、と言われたら信じてしまいそうな光景だった。

 うーむ。

 抜群にかわいい。

「遠野くん?」

「はいなんでしょうかすみません一瞬だけトリップしてました」

「? コーヒー、いかがですか?」

「あ、いただきます」

 先輩がバッグから取り出したのは、小ぶりのボトルだった。朝に淹れたコーヒーを移してきたのだろう。容器に匂いが付くから、普段はあまりしない。

 こぽぽと小気味良い音を立てて、黒い液体がふたに注がれる。湯気が立つ。香りが高い。ベンチに座って、息を吹きかけてから、口に含んだ。

「うわ、おいしいですね」

「上手に淹れられました?」

「うん、完璧です。香りも、すごく甘い」

「ブラジルのサンタ・バルバラです。パルプトナチュラルは爽やかでいいですよね」

 また今度、見つけたら買っておきます、と笑う先輩にカップをパスして、ほう、と息をつく。少しずつ雲が払われて、深い深い青を湛えた空が姿を現し始める。観光客もちらほらと見かける時刻になってきた。

 朝もやの向こうに、いかめしい石造りの塔がシルエットを投げている。

「ねえ遠野くん。歴史地区、帰ってきたら行ってみましょうか」

「年末年始は観光客が多いですよ」

「いいじゃないですか。混ざってしまえば、わたしたちもただの観光客です」

「それもそうですね、悪くないかも」

 教会が住居指定にアヴィニョンを含めたことには、もちろん理由がある。長くヴァチカンにある法王庁は、かつて数十年だけ、この地にあった。

 14世紀、歴史に名高いアヴィニョン捕囚である。

 以降、18世紀までここは教皇領であり、フランス革命以後も教会の影響力は陰に陽に及んでいるという。お膝元と言っては語弊があるが、異端を監視するには不足のない土地なのだろう。

 その街の来歴を今日に残すのが、歴史地区と呼ばれる一画だ。世界遺産にも指定されており、観光客が途切れない。強いて避けていたわけではないが、観光に来たわけでもなし、なんとなく訪れることなく今日まで過ごしてきた。

 なにより、教皇宮殿の威容は、こうして遠目に見ても、異端になり下がったこの身にはちょっとまぶしすぎる。

 大きく息を吐いて、んっと立ち上がる。

「先輩、そろそろ行きましょうか」

「はい。パリ経由で、まずはストラスブールへ向かいます」

「ルオシーは?」

 そういえば昨夜、伝えるのを忘れていた。

「彼女ならもう来てますよ。ほら」

「へ?」

 先輩が後ろを指さすと、かなり遠くに、木に寄り添うようなルオシーの姿が見えた。黒のロングコートに身を包んだ、端正な立ち姿である。ポケットに手を突っ込んで、つまらなそうに川に視線を注いでいる。一応、こちらをじろじろ見ない、という気遣いなのだろう。

「……いつから?」

「家を出るときにはもう来ていましたよ」

「たいへんな仕事だな……」

 他人事のように嘆息してしまう。

「まったくです」

「しかし、なんだってあんな遠くから……」

 ぼやくと、先輩は楽しそうに吹き出した。

「それは、デートの邪魔をしないようにしてくれたのでしょう。感謝ですね」

「……まったく、感謝です」

 視界の果てのルオシーに手を振ると、そっけなく、片手を上げ返してくれた。

 駅に向かう道すがら、先輩が腕を絡めてきた。道行く人に挨拶をしながら、クリスマスの近づいた街を歩く。

「こんな時、ああ、と思うことがあります」

「先輩?」

「幸せだなあって」

「うん」

「それから」

 少し、目を伏せて、先輩は言葉を濁した。その先は、聞かなくてもわかる。

 ──こんなに幸せで、いいのでしょうか。

 それは、今もなお彼女のすべてを縛る、黒い咎跡。

 俺は無言のまま、先輩の腕を抱き寄せた。そうすることを、答えに代えたつもりだった。

「遠野くん……」

 だってほかに。

 何ができたというのだろう。

 

***

 

 フランス国鉄の誇る高速列車TGVに乗り込み、北のパリまで三時間弱。街に出てカフェでランチを済ませ、再びTGVを利用して、今度は東へ二時間。

 ローヌ、セーヌを越えて、たどり着いたのはライン河畔の街、ストラスブールである。時刻は夕方前、太陽はまだ元気いっぱいだった。

 ここもまた、フランスでは人気のある観光地だ。数日前に降った雪が解け残り、ドイツ風の古い町並みを美しく飾っている。先輩とふたりで散歩したいところだが、こんな時だ。今は断念せざるを得ない。

「うーん、残念ですねえ」

「先輩?」

「今度は遊びに来たいですね。ゆっくり」

 微笑んでいる。瞬間、先輩とこの街を散策する自分の姿を想像した。頬が緩む。

 任務のさなかであろうとなかろうと、先輩の笑顔の効能は薄れない。まったく相変わらず、先輩大好きな俺なのだった。

「さて、目的地はラインをもう少し下ったあたりですので、今日はその付近まで足を延ばします。夜になる前には目星をつけておきたいので」

「道は大丈夫ですか?」

「任せてください。わたし、このあたりには詳しいんです」

「それは頼もしい」

 ここから先は交通機関を使わず、徒歩になる。道なき道を行くことになる。冬の山間部のことだから、雪も寒さも大敵だ。悪い道が続く。時間をかけたとしても、人の足では難路だろう。

 が、もちろん我々はふつうの人ではない。先輩は跳ぶように駆けるし、ルオシーとて手練れ、死徒化した俺にしてみれば夕暮れの森や岸壁を駆けることはさほどの困難ではない。

 ──異変を感知したのは、一時間ほども順調に距離を稼いだころのことだった。

 ライン沿いの岸壁を越えた瞬間、ぞぶりと、おぞましい感覚が全身に走った。頭からつま先までを粘液に浸されたような、言い知れぬ不快感。

 あたりの雪が一面、真っ青に染まる幻影を見る。

 しかしそれも一瞬のこと、違和感は風にさらわれるように消え去った。残されたのは、肌に粘りつく、何とも言えない気持ちの悪さだけだった。

「──先輩、いまの」

「遠野くんも感じましたか。何者かの領域に足を踏み入れてしまったようですが」

 駆けさせていた足を止めて、先輩は手を開閉する。

「体に異変はありませんね。遠野くんはどうですか?」

「俺も、特に変化ありません」

 振り返ると、後ろをついてきていたルオシーも首を振っている。異常はない、ということなのだろう。

 ふむ、と先輩は腕を組んで考え込んでしまった。西に視線を投げると、もう太陽は山の端にその下端を触れさせていた。

「じきに日が暮れます。先に進みましょう」

「いいんですか?」

 敵の攻撃かもしれない。その真意や効果を測り切れていないのに前進するのは、リスクがある。先輩はそんなことは重々承知の上で、それでも首を振った。

「この程度の異常で引き返していては、いつまでたっても目標は狩れません。多少のリスクは背負う覚悟が必要ですから」

 正しい。

 先輩の言っていることは、一分の隙もない正論だった。

 けれどなぜか、俺の胸はざわついた。

 それはたぶん、話している間ずっと、先輩が俺の目を見てくれなかったことに原因する。

「先輩……」

「行きましょう、もう、目的地はすぐそこです」

 影のように駆け始める。その後ろ姿になにか声をかけようとして、適切な言葉がないことに気づいた。

 ルオシーもまた、無言で駆け始める。

 じくりと胸に広がる悪寒に気づかぬふりをして、足を速めた。

 遠くで、鐘楼の音がしていた。

 

 ごーん。

 ご──ーん。

 ご────ん……。

 

「耳障りだな」

 山間をわたるその音が、いやに耳の奥に粘った。

 

***

 

「な……」

 魔城、というほかなかった。

 手で触れそうなほど濃密な瘴気をまとって、石造りの修道院は岸壁の上に端座している。まとった雪化粧さえ黒く染めるような魔の気配。大地をひときわ黒い影で濡らす尖塔の先に、不吉な鳥が止まっている。

 ──烏。

 かあ、かあ、かあ。

 かあ、かあ、かあ。

 呪いのように、鳴き声が響いている。川沿いからそれを見上げている俺たちを嗤うような声音だった。

「……バカな」

 呻きは、ルオシーのものだ。先輩は眼光鋭く、おそらくは魔の巣窟と化してしまった修道院のシルエットを見上げている。

「ありえない。報告では、あそこまでの築城は済んでいなかったはずでしょう? なぜ、たった一夜で、こんなに、これほどまでに」

 終わってしまったのか、と。

 血を吐くように、ルオシーは言った。信じがたいものから身を守るように、彼女はその細い体を自らの腕で抱いていた。

「──ぐっ」

 体中の血液が沸騰しかかる。襲ってきた頭痛をこらえ、吐き気を飲み下す。

 解説を待たずとも、俺にも分かった。すでに修道院は陥落して久しいはずだ。少なくとも、あそこに生きている命はない。不遜にも神の娘たちの家を寝床にした吸血鬼は、吸い上げた魔力でそれを自らの神殿に作り替えた。そうして修道院は、並みの代行者程度では足を踏み入れることさえできない魔境となり果てたのだ。

 しかし、それはおかしい。それでは辻褄が合わない。あれほどの防壁を築き上げるには、長い時間と根気強い組み立てが必要になるはずだ。そんな異変を、教会が座して見ていたはずがない。

 なのに。

「先輩……」

 唇を強く噛んで、先輩は敵を見るように、終わってしまった修道院を睨んでいた。

 すでにあたりは暗い。残照はわずかに西の稜線に光の筋を残すだけで、空にはすでに星が輝き始めている。

 じきに、吸血鬼の時間がはじまろうとしていた。

「退きます」

 結論を下すように先輩が言ったのは、数分後のことだった。

「一刻を争う事態ですが、夜にあそこに踏み込むのは自殺に等しい。明日の朝を待って突入します」

 ルオシーにも俺にも異論などあるはずもなかった。そのことを理解した上で、先輩は方針をあえて口にした。

 まるで、自らに言い聞かせるように。

「ドイツ側に渡って数キロほどの川沿いに小さな街があるはずです。今夜はそこを頼りましょう」

 言って、すさまじいほどの視線を切る。一日遅れれば、被害者の魂は一日分だけ汚される。それは先輩に耐えがたいことだ。

 それでも、"弓"のシエルは判断を誤らない。

 もはや振り返ることはしなかった。じきに昇るであろう月に照らされた魔城を、俺たちは見ない。背後からまた、烏の声が聞こえた。

 かあ、かあ、かあ、と。

 逃げ帰る者たちを、嘲るように。

 

***

 

 街へは三十分もかからずにたどり着いた。大きくはないが、穏やかに時の流れの中にある。そんな顔つきの街だ。明かりが漏れ、どこかから夕餉の匂いが漂っている。

 しかし。

「──え」

 街の入り口にある歓迎の花アーチをくぐった瞬間、軽い眩暈に襲われた。

 それは幻影だった。一瞬の、通り過ぎていくだけの。

 それでも、この網膜はたしかに、それを見た。

 

 もうとっくに滅びた、朽ち果てて廃墟となった、この街の成れの果てを。

 

「どうかしましたか、遠野くん?」

「え、あ、いや」

 どくん、と心臓が高鳴る。あたりを見ても、街に異常は見当たらない。苔むした建物も、変色した血の跡も、うじのわいた死体も──。

「いえ、なんでもないです。ちょっと、眩暈がしただけで」

「眩暈?」

「──ちっ」

 ルオシーの口から、舌打ちの音が漏れた。もはやルオシーは異端狩りの代行者の顔つきをしている。俺たちを監視する、という任務のことは忘れかけているようだ。

「予想していたよりはマシだけど、やっぱりね」

「やっぱりって?」

「この霧、妙でしょう」

 街に立ち入って、すぐにその異変には気づいた。ここらの気候条件ではありえないほどに、村には霧が湧いていた。視界が濁っているのは、しかし霧のせいばかりではない。

 瘴気。

「まさか、この街も?」

 先輩がうなずく。

「侵され始めているようです。少なくとも、死者の数はそれなりに増えてしまっていると見るべきでしょうね」

 もっとも、全滅にはまだ至っていないようですがと、あたりを睥睨しながら、先輩は言った。どこか不審げである。

 周囲に視線を走らせながら目抜き通りを進む。どうやら生活は平常に営まれている。町中に活気がないのは、殺人事件と行方不明者が増え続けているからだろう。

 その真相を、彼らは知りえない。

 ぎりっと奥歯を噛む。

 神の怒りに触れてしまったのか、このまま街は廃れていくしかないのか。そうした不吉な予感が、どの顔にも表れていた。

 ──誰も、悪くなどないのに。

「とにかく、宿を押さえましょう。それから、もう少し夜が更けたら」

「死者狩りですね」

「やらないよりはマシでしょうから。ルオシーさん、できれば」

「わかってるわ。今夜ばかりは、本業に戻らせてもらうから」

「心強いです」

 ふん、とルオシーは鼻を鳴らす。心にもないことを、という意味だろう。先輩との力量差を意識しているに違いない。

 

 さて、当然であるが、さして大きくもない街に十分な宿泊施設などあるはずがない。やっと見つけた民泊に転がり込んで、とにかく一息ついた。死者狩りに出るにはまだ早い。もう少し、宿の中で様子を見ることになった。

 荷物を下ろし、洗面所で顔を洗う。先ほど見た光景を反芻しそうになる頭を振って鏡を見る。

 背後の壁に、絵が飾ってあった。

「これ、さっきの修道院……」

 昼の日差しを浴びて、それは美しく輝いていた。磨き抜かれたわけでも、装飾をこらしたわけでもない。質素に、控えめに、しかしたしかに確信をもってそこに立つモノ。

 あの魔城とは似ても似つかない。

 これほど清浄なものが、あれほど禍々しく変貌してしまったのかと思うと、また胸が痛んだ。

「あれ、でもこの絵……」

 なにか違和感があった。雰囲気とか瘴気とかではなく、もっとわかりやすく、物理的な……。

「──そうか、尖塔がないんだ」

 先ほど目にした魔城には、特徴的なシルエットの尖塔が備わっていた。その影が、この絵にはない。描かれた年代が古いのだろうか。

 疑問に明確な答えを出せないままベッドルームに入ると、先輩が深刻な顔をして考え込んでいた。その様子を、ルオシーは横目で窺っている。いずれも、戻ってきた俺を見ない。それぞれに考えなければならないことがあるのだろう。

「……納得がいきません」

 先輩のつぶやきは独り言のようでも、俺たちに聞かせるためのもののようでもあった。

 待っていても続きがなかったので、あえて声を励まして、俺は明るく聞くことにした。

「納得いかないって、なにが?」

「それは……」

 言いよどむ先輩が次に言葉を発するより前に、ルオシーがため息を吐いた。

「修道院のことでしょう」

「それは、さっきの?」

 問いかえすと、ルオシーは静かにうなずいた。

「あの神殿には、不可思議な点がいくつもあったわ。まずなによりも、報告と食い違う。アタシがヴァチカンからもらった情報は、修道院が食われたらしい、という程度のものだった。けれど実際、あのザマでしょ? 一晩や二晩であの規模の魔城は形成できない。なら、法王庁でも把握できていない何かが起こっているとしか思えないわ」

 ルオシーはそこで言葉を切って、ふう、と大きく息を吐いた。

「でも、そんなことよりさらに不自然な点がある」

「それは?」

 ちらりとルオシーは先輩に視線をやった。自分が説明してしまってもいいのか、という確認だろう。先輩は反応しない。

「この街が、()()()()()()()()()よ」

「無事であることが、不自然?」

 それは、どういうことなのだろう。

「計算が合わないのよ。あれほどの城を築くなら、城主の死徒は膨大な魔力を吸い上げていることになる。時期の問題は置いておくにしても、この点だけはあまりにも不自然よ。だって、あの修道院から吸い上げられる魔力程度では、ぜんぜん足りない」

「それは、つまり」

「白状するとね、アタシはこの街はすっかり堕ちていると思ってた。この規模の街が一つ丸ごと堕ちてしまえば、あの膨大な魔力にもそれなりに説明がつくから。いえ、それでも不十分なくらいでしょうけど」

 でも、惨状に沈んでいるとはいえ、街の大部分はまだ生きている。

 だから、計算が合わない。

「城主の死徒は、どこからあれほどの魔力を調達したのか。現状、様々な要因がちぐはぐすぎて、納得がいかないってわけ」

 内容よりも、普段よりも饒舌になっているルオシー本人の様子が、なにより事の異常性を教えてくれていた。

「シエルから、なにか補足はある?」

「いえ、状況判断でそれで十全でしょう。ただ、わたしが納得いっていないのは、そのことではありません」

「──え?」

 ルオシーが目を剥く。自分も気づいていない異変があるのかと警戒したのだ。俺も、思わず身構えて続く言葉を待った。

 そして、大きなため息とともに、先輩はことさら厳かにこう言った。

 

「なぜ、三人部屋なんでしょうか」

 

 …………………はい?

「だ、だって部屋は他にも空いているという話だったじゃないですか。なのに三人で同じ部屋というのは納得がいきません」

 ちょっと待て。

 まさかこの人。

「せ、せめてですね、ルオシーだけは別に部屋をとっていただくのがあるべき形というかですね。いえ、もちろん邪魔者扱いをしているわけではなく、そちらの方がゆったりと空間を使えて効果的というか」

 うわ、マジか。

「あー、先輩」

「はい? なんでしょうか、遠野くん」

 ちょいちょいと手招きをして、先輩を呼び寄せる。近づいてきたその形のいい耳に口を寄せ、

「このバカ──ー!」

 俺は、思いっきり叫び倒した。

「いっ……!」

 耳を押さえて先輩が飛びのく。

「い、いきなり何をするんですか遠野くん!」

 先輩はちょっと涙目であるが、泣きたいのはこっちも同じだ。こういうことをする相手は生涯でもあのバカタレひとりにしておきたかったのに。

「先輩こそ、この緊急事態に何を馬鹿なことを言い出しているんですか! これは任務です、旅行じゃないんですよ」

 む、そんなことはわかってますよう、と唇を尖らせる。ああ、くそ。かわいいな。全部許してしまいたくなるな。なんだあの涙ぐんで、しかもいじけたような瞳は。うるうるしてやがる。反則か。反則だな。うん絶対反則だ。かわいい。

 じゃなくて。

「ええい、ほら、ルオシーを見てください。かわいそうに、完全に固まっちゃってるじゃないですか」

「──あ、ああ、いや。大丈夫、ちょっと驚いただけ」

 ぽかんと開いてしまった口を閉じて、ルオシーはかぶりを振った。それから、くっと喉を鳴らす。やがて、こらえきれなくなったと言わんばかりに、笑い声をあげた。

「ルオシー?」

 俺の声に答えることもなくルオシーは笑い続ける。心底、面白そうに。

「そりゃそうだね、せっかくのクリスマス旅行だもんね。部屋はダーリンと二人きりがいいに決まってる。アタシとしたことが気が利かなかったわ。ついつい安全と任務を優先してしまった、ごめんごめん」

 どう考えても謝るべきことではない気がする。誰に聞いてもルオシーが正しいと言うだろう。

「シキ君、君はすごいね。感心するわ。どうやったら、あのシエルをここまで壊せるんだろうってね」

「壊すって、そんな」

「いやいや、これは誉め言葉なのよ。聞いた話に過ぎないけどね、任務中にあんなくだらないことを、真顔で言うような人間ではなかったはずなんだよ。それが、君と一緒にいると彼女はこうなっちゃう」

 さすがに我に返ったのか、先輩はちょっと恥ずかしそうに頬を染めている。

「あ、あのですね、それはその……」

「それでいいわ。それでいいと、アタシは思う。──さあ、そろそろ刻限ね。各々、準備を始めましょう」

 壁掛けの時計を指さして、こん、とルオシーは足で床を打った。それから、別人の仮面をかぶったように表情を消して、窓の外を見る。

 凍えるような月光を、屋根に残った雪が弾いている。雲は薄く、天空のところどころを汚していた。

 先輩は一度、なにかを思い出すように目を細めて月を見上げ、立ち上がった。

 すう、と夜気を吸って。

「では、死者狩りをはじめましょう」

 そして来る。

 

 ──代行者たちの夜が来る。

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