【完結】Les Amants d'un Jour / 2016年12月、フランスにて 作:山口 遼
人の殻には濃淡がある。
いかに堅固に構えて見せたところで、ふとした弾みに破れ目が生じる。亀裂は広がり、やがて染みは流れになる。心はそうして、語るまいと、決して思い出すまいと決めたことを伝えてしまう。気づかぬうちに決意が綻び、秘めた思いがつい唇を割って、思わぬ告白の形を取ることはあるものだ。
15年前の出来事のことを、俺は聞かず、先輩は語らなかった。それでも、二年もともに暮らせば漏れてくるものはある。言葉にならずとも、冷え切った肌を寄せ合うように抱き合えば、体温が伝えてしまうものはあるのだ。
うわごとのように漏らされる告白の断片を拾い集めていけば、一幅の絵が浮かび上がる。ふとした拍子に先輩が漏らす言の葉をつなぎ合わせれば、彼女の罪に関する俺の知識も、否応なく積み重なった。
15年前。昔のようで、今更のようで、すぐそこにある地獄。
その時、奪われた肉体の中で、彼女は薄い膜のようなものに包まれていた。その中は生ぬるく、また生臭かった。意識の牢獄の中で、まるで水槽ごしに魚を見るように、終末の光景を眺め続けた。
眠りはなく、中断はなく、忘却もまたあり得なかった。悲劇は何一つ編集されぬまま眼前に横たわり、質感はわずかたりとも失われぬまま彼女の脳裏に焼き付いた。
だから、先輩の中には当然、その時の記憶がある。
鏡像ですらない、自分自身の記憶がある。親しかった人たちを食い散らかし、鏖殺し、その命でお手玉をするように遊んだ記憶が、彼女にはある。今でも、先輩は毎夜、その思い出とともに眠る。汗だくになって悲鳴とともに跳び起きたことは、一度や二度ではない。そんな夜は、いくら背中をさすっても、頭をなでても、もう眠りにつくことはできなかった。だから、彼女が悪夢にとらわれた夜、俺たちは褥を抜け出して紅茶を淹れることを日課にした。ふたりで、何も言わず、手を握り合って、明けていく空を眺めていた。
そんなときでさえ、先輩は涙を流せなかった。乾いた眼球で、菫色の光を探していた。欲しいものをねだる、子供のように。
記憶というのは圧力をもって人間の中に存在する。先輩の場合は、それがとりわけ大きな割合を占めてしまう。忘れようにも忘れられないから、ただそっとしまっておくしかない、触れられぬ記憶。
目の前にいるのはそれだ、とウィラは言った。そうだ。土の記憶はすでに吹き飛ばした。であれば、この外装が誰の記憶を再構築したものであるかなんて、答えは一つしかなかったのだ。
この死徒はただ、そうすることが自分にとって都合がいいという、それだけの理由で禁忌を侵した。
先輩自身の傷を切り開いて、この悪夢は姿を現したのだ。
だから、それだけで。
「――万死に値するよ、お前」
ナイフを構える。眼前には、先輩の外装をまとった吸血鬼。気配に覚えがある。当然だ。俺はかつて、目の前の存在と、この命を分け合ったのだから。
呼吸を一つ。彼我の距離をセンチの単位で正確に計測する。筋肉を緊張させ、血液の流れを加速させる。張り詰める皮膚。焦げる大気。神が引いたような、白々とした道筋が見える。
跳ぶ。
直線軌道では不利と見た。とはいえ、天井は高く、この広間は障害物にも乏しい。ならば、とにかく最速の一歩をもって間合いを詰め切るのが最善の一手。相手のまばたきのタイミングを見計らって、身体を倒す。顔が床に触れる直前に足を踏み出し、爆発的な加速を得る。
この一足を持って、寸時の踏み込みで懐まで入り込む――!
「―――っ!」
しかし。
そうした目論見は、唱えられた詠唱で、すべて台無しにされた。
「なっ……!」
走る雷霆。呟きは、ベケムと言ったのか。ルーン魔術の秘奥か何かか。魔術の知識に乏しい俺には、ソレが何を行ったのかもわからない。わかるのはただ、間一髪の回避行動が間に合ってなければ、雷に討たれてこの身が消し炭になっていたことだけだ。
ヤツの指先から、光の束が走っている。うねり、のたうち、大地を這って俺を追う。
「ちぃっ!」
咄嗟に間合いを図り直し、体勢を整える。その俺の焦りを、ヤツは面白そうに見つめた後、すうっと腕を掲げた。
「―――」
聞き取れない詠唱が響く。再び虚空を裂いた雷霆が、今度は石造りの壁を破壊した。人が通れるほどの面積の孔の向こうには、ここと同じような空間が広がっている。
おそらくは姉妹聖堂のようなものだろう。向こうにも光源があるのか、影が揺れている。
ヤツは薄気味の悪い笑みだけを残し、続く広間へと姿を消した。ついてこい、ということだろう。万が一、先輩が俺に加勢をしたときのための保険か、それともウィラの意図なのか。
少なくとも、罠ではあるまい。ヤツに俺に拘泥する理由はない。
はっと笑う。
「推測するだけ無駄だな」
どっちでも構いはしない。ここは敵地で、アレは俺の敵だ。もとより先輩に手出しをさせるつもりはない。この展開は望むところだ。
――受けてやるよ、吸血鬼。
先輩に、挨拶も残さない。顔を見ればお互い、そこに見たくもないものを読み取ってしまうだろう。もう、戦いの決意は済ませた。なら、気遣いは余分なだけだ。
眼前に、ぽっかりと孔。壁面をえぐった雷の火力はどれほどのものだったのか。断面は黒く焦げている。これの直撃を食らえば、人体などひとたまりもない。
もっとも、いまさらそんなことが、足かせにはなるはずもなかった。
ナイフをぶら下げたまま孔をくぐると、広間の中央にヤツは立っていた。再び対峙する。今度は、邪魔もない。影が薄く、ゆらりと伸びている。双子の聖堂か。先ほどまでいた隣とうり二つの形状、大きさ。壁の聖母像の上部にある燭台の位置までぴったり相似だった。
「ここなら、存分にやり合えるってわけか」
頼りない光源の下でにらみ合う。数秒の沈黙ののち、ヤツはふっと肩の力を抜いて、喉を鳴らした。
「……やはり妙だな。お前からは、
声は、先輩のものだ。声帯が同じなのだから当然のことだ。それがとてつもなく不快だった。
ヤツが首をかしげて俺を見ている。口元には楽しそうな笑みを刻んだまま、目は虫を見るように無機質。測られている、ということがこれほどの不快感をもたらすことを、俺は初めて知った。
――頭痛がする。苛立ちで死んでしまいそうだ。
「私がお前を死徒にした? あり得んな。しかし、姫君がお前のような半端な死徒を生み出したとも思えん。私がいない間に、この世界でいったい何が起きたのか。わずかに興味がわいてきたよ――いや、そうか。この私は記憶なのだから、探ればこの身に答えは準備されているのだったな」
かつん、と靴音を鳴らす。おぞけが走る、とはこのことか。先輩の顔で、声で、ヤツの意識がしゃべっている。
俺はその正体を知っている。憎み切れない野郎だと、悪くない感想を抱いたことも覚えている。あの夜、アルクェイドを退散させられたのは、まぎれもなくこいつの助力があったからだ。
――ミハイル・ロア・バルダムヨォン。
二度と口にするまいと決めた名前が、脳裏で反響する。すべての元凶でありながら、はじめはただ、永遠を求めただけの青年だった。
しかし。
「やっぱり、その姿で話しているのを見ると、殺してやりたくなるな」
先輩に地獄を見せた張本人。すでに15の転生を重ねたがゆえに、ロアとしての自我は希薄になり、精神の形成は肉体の方向性に影響されるという。
お前さえいなければ、と無意味なことを思う。すでにロアはない。眼前にいるのはただの残り香にすぎない。これを消し去ったところで、何一つ未来は変わらない。
だから、これはただの八つ当たりだ。
「何度だって殺してやるさ、ロア」
「うん? 奇妙なことを言うな。いや、そうか。奇妙ではないのか。なるほど。埋まらぬピースはあるが、あらかた想像はついた。――素晴らしいな人間。お前、どうやって生き延びたんだ?」
ようやく少しだけ面白そうに瞳を細めて、蛇は笑った。真実、蛇としか形容のしようのない、冷たい笑みだった。
「教えてやる義理はないだろう。どうせ、お前はただの幻影だ」
違いないがね、とソレは肩をすくめて笑った。それから、蒼い髪をゆっくりをかき上げて。
「では、はじめよう」
全身に通う魔力を、物理的な圧力をもって解放した。
***
「志貴ちゃんひとりで行かせちゃって良かったわけ? 依り代の階梯はⅤ程度だけど、ロアの記憶をまとっていたら、知識だけでも圧倒されちゃうかもよ?」
目の前のものが話していることを、シエルはもはや聞いていなかった。呼吸を浅く繰り返している。そうしなければ、自らの闇に喰われてしまいそうだった。
けれどもう、そんな無様は卒業しよう。
わたしは、わたしの意思を持って、目的を持って、未来を持って、ここに立っているのだから。
「――へえ、無視? 寂しいなあ。お姉さん、傷ついちゃうなあ」
ウィラが笑いながらハルバードを振り上げる。軽量化の秘蹟を用いてのハルバードは、ノエルの得意とする戦法だった。覚えている。そのことを、シエルは誰よりも覚えている。だって、技術と才能を必要とする黒鍵術を極めようとする彼女を説得して、単純な破壊道具をあてがったのは、他でもない自分だったのだから。
どうしてか黒鍵にこだわった彼女は、文句を言いながらも、最後はシエルの忠言に従った。素直にお礼を言われることも、従順な態度を見せることもなかったけれども、なんだかんだ、ノエルはいつもシエルの助言を受け入れた。そこに、どういう感情があったかわからない。こちらも特別扱いをした覚えはない。ただ師匠として、不出来な弟子に、やるべきことを施しただけだ。
一切の私情は排したはずだ。甘くすることも、厳しくすることも、親しくすることも、冷たくすることもなかった。心底に流れる憎悪を覗かせながらも、ノエルもまた、そうした。他の人と接するのと変わらないように軽薄に、なれなれしく、彼女はふるまった。
――そのことに、救われていたのはどちらだったのだろう。
弟子だった。かけがえのない、弟子だった。ほだされることもなく、篭絡されることもなかった。正しい距離感をもって接した。それでも、ノエルは、シエルにとって、たった一人の弟子だった。
拳を握る。
聖堂の建設方法も教えた。あなたには無理だと言ったのに、どうしても教えてほしいと言われたから、仕方がなく手ほどきした。あんなに努力が嫌いだったのに、なぜか彼女は音を上げなかった。聞き苦しい文句を言い、聞くに堪えない悪態をつき、要領悪くサボりながら、鍛錬をした。筋は良くなかったから、きっと大変な苦労をしただろう。
それでも、彼女はまがい物なりに、聖堂をモノにした。シエルさえ驚嘆させる、奇跡のような成果だった。
「どう! どうどうどう!? すごくない? すごいって、だって聖堂、できちゃってるんですけどー!」
「そう、ですね。できて、います」
「すっごーい、わたしってばもしかして天才? 天才だったの? 自分で自分の才能が怖ーい!」
「いえ、あなたには才能の欠片もありません。」
「は?」
「だからこそ――これは、賞賛すべき成果です。わたしは、あなたには不可能だと思っていました。お詫びしますノエル。あなたは、わたしの想像を超えた」
「え――。あ、あはは。そう、そうよね! わ、わたし、がんばったよね、うん!」
その時の、泥まみれの顔を覚えている。口を開けて、誰より自分が驚いたという顔をして、彼女はたしかに笑ったのだった。思わず知らず、きっと意識もしないうちに、シエルに向けて、おそらくあの夜以来はじめての、屈託のない笑みを見せてくれた。
――覚えて、いるのだ。
とてもうれしそうに笑っていた。自分にも成せるものがあるのだと、ささやかな成功を抱きしめるように安堵の息を吐いていた。大した秘蹟ではなかった。才能あるものであれば一週間やそこらで会得できるものに過ぎない。けれどもきっと、彼女にとっては、そんなものが何よりの勲章だったのだ。
その彼女を、わたしは、この手で――。
「………」
黒鍵を構える。
……壁の向こうからは、雷が降り注ぐ音が聞こえてくる。激戦だろう。彼が、自分のカタチをしたモノを相手にどれだけの戦いを繰り広げているのか、シエルは想像しかけてやめた。信じると決めたのだ。いまさらの心配は嘲笑と何も変わらない。
でも、この足は動かない。
本気を出してしまえば数分で決着することはわかっている。目の前に立っている死徒は、もはや虫の息と言っていい。数々の強敵の記憶を持つシエルを前にしても、せいぜいウィラの外装しかまとえなかったことが何よりの証左だ。再構築できるものは、もう多くない。
だから、エレイシアを選び、ウィラを選んだ。正攻法で戦えないのであれば、精神的な揺さぶりを優先しようということだろう。まったく、虫けらのような死徒が考えそうなことだ。しかし、だとしたら気になることがある。
「ひとつ、聞きたいことがあるのですが」
「なあに? 殺す前に情報くらいは引き出そうってこと? まあいいけどぉ。何かしらん?」
「あなた、なぜノエルのヴェールをまとわなかったんですか?」
シエルの精神を揺さぶるというのなら、面識のないウィラよりは、ノエル本人の影を使った方が効率的だろう。腕も立たない代行者の姿を、わざわざ用いる理由がわからない。
至極まっとうな指摘のつもりだったのだが、ウィラは心底つまらない、という顔をして、唾を吐いた。びちゃり、と床を汚す。
……言えた立場ではないけれど、とシエルは眉を寄せる。この人、ちょっと育ちが悪いのだろうか。
「うーん。答えてあげるつもりだったけど、気が変わったわ。そんなこともわからないなら、一生苦しんでればいいんじゃない?」
がこりとハルバードを下ろす。もはや、戦う気さえなくなったということだろうか。
「そうね。じゃあ、質問の代わりに、ノエルの話をしましょう。あなたの知らなかったノエルの話。私とノエルの話。どう、興味あるでしょう?」
「――あるわけないじゃないですか」
他に答えようはない。こう問われた時点で、舌戦ではこちらの負けだった。ウィラは勝ち誇ったように歪んだ笑みを浮かべ、
「そう言わないでよ。気に喰わなくなったら殺せばいいんだからさ、私のこと」
聞きたくもない昔話をはじめてしまった。
***
雷が矢となって過ぎ去っていく。そのことごとくを撃墜しつつ、聖堂内を縦横に走り回って隙を伺うが、いつの間に仕掛けられたのか、あちこちに埋め込まれた罠が起動して思うように立ち回れない。そのたびに皮膚が焦げていく。
地に降り立とうものなら、敵は即時襲ってきた。四肢を床に着け、雷をまとい、滑るように迫る。無我夢中で蹴りを入れ難を脱する。距離を保つのがやっという苦戦ぶりだった。
息を荒らげるこちらを見ることもせず、ヤツは拳を開閉した。身体の性能を確かめているようだった。
「度し難いほどに劣化しているな。これの本来の性能を考えると冒涜的だ。もっとも、アレを再現するのはいかなる手段をもってしても不可能だろうがね。知っているだろう? 壁の向こうにいるアレは、私の中でも最高傑作だ。純粋な魔力の貯蔵量だけで言えば、疑いなく人類で最強の一角に位置する」
「………」
「それにしても、記憶による再構築とはなかなかうがったアプローチだ。直接の参考にはならなかっただろうが、百年前にこの死徒の存在を認識していれば、私の研究の礎にはなったかもしれん。つくづく残念だよ」
「お前――自分が終わっていることは、知っているのか」
「当然だ。私はお前の中で消滅した。そのお前の記憶を再構築している以上、お前が知り得たことは知っている――あまり思い出させるな。姫君の堕落を思い出すと、この姿でも吐き気がこらえられん」
「その上で、まだ戦うのか」
はっとあざけるように、ソレは笑った。
「それは私の意思ではない。この死徒の方向性の話だよ。勝ち目があろうとなかろうと、プログラムは実行される。これが存続するためにはお前を除かねばならない。現在の魔力で再構築できるもののうち、もっともお前を破壊できる確率が高かったのが、この私ということだ」
もっとも、と先輩のカタチをしたロアが笑う。振り続けていた雷が一度止み、聖堂内が再びの静寂に包まれる。その静けさの中で、ヤツはどす黒く染まった指先を赤い舌で舐めた。
「この程度の器では、この代の私の再現など到底おぼつかない。繰り返すが、これは肉体強度でいえば最高傑作だった。あの頃の魔術のまねごとをしたところで、この通り、私の仮初の肉体の方が先に焦げ付く有様だ」
「つまり?」
「このコンディションでは、お前のごときなりそこないと五分の戦いになるということだ。まったく、面白くもない茶番に付き合わされた。……しかし不可思議なのは人間、この哀れな依り代よりもむしろ、お前の方ではないか」
ヤツは不思議そうに首をかしげて、蛇のように無機質な目で俺を見る。虫唾に耐えて、視線を真正面から受け止めた。
「お前のその表情は、いったいどんな感情によるものだ?」
唇の端に形ばかりの笑いを溜めている。そういわれたところで困るのだ。何しろ、俺は俺自身がいま、どんな顔をしているかわかっていない。
まあ。
まともな顔をしていないことくらいは、わかるのだが。
実際、頭の中はぐちゃぐちゃだった。仮に心を読まれたとしても何の問題もない。覗いた方が困るだろう。混沌としかいいようのないマグマが、ぐつぐつと煮えたぎっている。感情の量はとっくに限界を超えてあふれ出しているのに、それがどんな色をしているかが俺自身にもわからない。こんな時間が長く続けば、それだけで狂ってしまうことだろう。
だから、決着は早いに越したことはない。
影のように動く。慎重に距離を測りながら、近づく隙を探っていく。過ぎる雷、振るわれる爪。蹴りと蹴りが衝突し、骨を軋ませる痛みが走る。混乱する頭蓋の中で、戦闘のシナリオを立てるところだけが奇妙に冷静だった。
ロアが片手をかざす。間合いはもう見えた。かすり傷を増やしながら、攻撃のパターンを分析する。忌々しそうに舌打ちをしているのは本音だろう。俺の戦法にではなく、思うように動かない身体に対するいら立ちのように見えた。
オリジナルの頃は尋常ではない魔力量を誇ったのだろう。しかし、天井が決まっているいまの依り代では、ヤツ自身が白状したように、無尽蔵の魔術行使はできない。実際、一撃の攻撃力よりも、運用効率を考慮して戦闘を組み立てているように見える。
しかし、こうした攻防を重ねれば重ねるほど、脳裏には違和感が募る。
だって、この攻撃の組み立ては、あまりに――。
「――見覚えが、ない」
「なに?」
間合いを詰めてナイフを振るう。首筋を断ち切ったと思われた刃は、ヤツの影を引き裂くにとどまった。振るわれる爪を返す刃ではじいて再び距離を取る。
思わず、笑みがこぼれた。こらえられない。片手で顔を覆って、肩を震わせる。ロアは不審げに眉を寄せた。
「気でも触れたか?」
「正気だよ。でも、ああ、思い知ったよ。先輩、本当によっぽど、お前のことが嫌いだったんだな」
意図するところが分からないとばかりに、ロアは不快気な表情を浮かべる。その顔は、先輩のものと寸分たがわぬ造形をしている。だからこそ、俺は感心したのだ。
だって、コイツの繰り出す攻撃には、たった一つだって見覚えがなかった。行使される魔術も、選択される戦法も、咄嗟の際の体さばきでさえ、笑ってしまうくらいに初見だった。
「この二年、先輩には散々にしごかれたはずなんだけどな」
それはまったく、なんて注意深く、執念深い作業だったのだろう。
模擬戦も何度も行った。手取り足取りの稽古も受けた。死徒との直接の戦いも目にした。けれども、先輩の戦闘スタイルのどこにも、目の前の存在の名残りはなかった。
体に染みついた反射でさえ、丁寧に少しずつ上書きをしていったのだろう。エレイシアと呼ばれたころの名残りを、たた一かけらでもその身体に残さないために、先輩は徹底的な上書きを続けてきた。
きっと、こんなことさえなければ俺にだって気づけなかった。だからそれは、誰に対する証明でもない。ただ彼女が、そう在ろうと願ったための鍛錬だったはずだ。
「お前であったことの痕跡を、先輩は、徹底的に拭い去ろうとしたんだな」
過去から逃げるためではなく、その罪を背負い続けるために、彼女は皮をはぐようにして自らを作り替えていった。骨の髄まで染みついた癖や思考方法さえぬりかえようとするなら、それはもう自己変革に等しい荒行だ。
それを、成した。あの笑顔で裏で。
あらためて尊敬の念が湧く。同時に、理解できないとばかりに首を振る、目の前の存在に対する憎しみも。
「つまらぬことにこだわる娘だ。目的のためであれば、私に由来するものであろうが頓着せずに使いつぶせばよいものを。そも、あれが武器を用いて戦っていることが非効率だ。あれほどの肉体を持ちながら、魔力の運用もなにもかもが半端にすぎる」
「……お前、意外とよくしゃべるんだな」
「うん? ……なるほど、言われてみれば奇妙なことだ。私も、いささか興奮しているのかもしれん。しかしお前にとっても悪いことではあるまい。この娘について、知りたいことはいくらでもあるのだろう?」
「いや――そういうことじゃなくてさ」
ナイフを構える。俺はまっすぐにロアを見て。
「俺はただ――腹が立つから、すこし黙れって言ってんだよ!」
腹の底から叫んで、間合いを詰める。筋肉の断線は気にしない。もう一秒だって、こいつがここに在ることが我慢ならない。刃を振るって、雷の線を断つ。脳が悲鳴を上げている。眼球から、鼻から、耳の穴から血が噴きだす。赤と黒に支配される視界。その中で、ヤツの線だけが輝くほどに白い。
「――っ!」
ヤツの目が驚愕に見開かれる。その顔面に走る線をめがけて、
「死ね」
闇を切開する、銀の刃が振り下ろされた。