【完結】Les Amants d'un Jour / 2016年12月、フランスにて 作:山口 遼
閃光が走る。
虚空がうがたれたかと思うと、無惨に体液をまき散らして死者が倒れ伏す。線はまた走る。死者、屍鬼、不死。区別することに意味はない。音もなく、代行者たちはこの世ならざるモノたちを斬り伏せていく。
しかし。
「――また、納得いかないことが増えましたね」
これも予想外のことではなかった。決して、望んでいたことではなかったにしても。
倒れ伏したはずの死者が、ごぼごぼと体液を垂れ流しながらも起き上がる。牙をむき出しにして、焼け焦げた肌を崩しながら、なおもこちらに迫る。ふつうであれば運動を止めるはずのダメージ、秘蹟を食らってなお、彼らは原型をとどめていた。
ここの死者は、他と格が違う。教会が定めた階梯の基準を、大きく逸脱する個体がある。
それが意味することを考える余裕は、もちろん今の俺には与えられない。
「なら、燃えていただきます」
黒い刃が飛ぶ。接触と同時に、爆炎を上げる。苦悶の声もなく、死者は灰に還る。摂氏五百度に達する業火に焼かれては、さしもの変種も消滅するしかない。
「――火葬式典。何度見ても惚れ惚れするわ。あのシエルの黒鍵術を間近で拝めるとは、長生きはするものね」
「こんなもの、いつだってお見せしますよ。弟子入りだって募集中です」
「それは遠慮しておくわ。専門外だもの」
蜥蜴色のグローブをはめ、ルオシーは虚空に魔術文字を描き続けている。ルーン魔術とも違う。俺にはわからない、彼女独特の魔術行使だ。
中国語特有の韻律が響く。あたりを清浄な空気が払っていく。それは歌のようだ。ひときわ大きな声で詩が結ばれると同時に、死者は膝から崩れ落ちた。
「聖仙吟晶。前々から噂には聞いていましたが、実際に見るとやはり違いますね。こちらも、いつも貴重なものを見せていただいて恐縮です」
「埋葬機関にそう言われたら、悪い気はしないものね」
多少手強いといっても、所詮は第Ⅲ階梯までの群れ。手練れの代行者ふたりを向こうに回してまともに戦えるほどではない。
ついでに。
先輩の背後に迫っていた不死を、俺のナイフが一閃する。絶対的な"死"に、頑丈さもクソもない。塵は塵に還るのみだ。
このように、オマケに過ぎない俺も、多少のお手伝いはする。眼鏡はとっくに外していた。
「それにしても、斬っても斬っても湧いてくるな」
「とにかく、いまは一体でも数を減らしましょう」
どこに隠れていたのか、街の暗がりに足を踏み入れた途端に襲われた。斬り、燃やし、砕き、浄化し続けているというのに、敵の姿は汲めども尽きぬ。一体一体の力量も侮れないほどだから、駆逐するのにずいぶんな時間がかかってしまう。
かといって、大魔術で一掃、というわけにはいかない。これはあくまで前哨戦。本番は、明日の城攻めなのだ。ここで魔力を浪費するわけにはいかない。
力量差は瞭然だ。今夜の戦いで不覚を取ることはまずないだろう。しかし、不吉な予感が胸にわだかまっている。
――何かがおかしいのだ。
そうだ。それがすべての違和感の原因だ。なにかがおかしい。ひとつではない。いくつもの無視できない違和感が重なっていく。
ここは不自然で満ちている。理に合わないことが多すぎる。もう長く感じていなかった不安がじくじくと胸を蝕んでいく。
いつから、おかしい。いつからだ? いつから、ズレはじめた?
おかしいのは「何か」か、「何もかも」か。
――この旅から、俺たちは無事に帰れるのか?
「……っ!」
迷妄を断ち切るように、ナイフを振るう。月光をはじく銀の刃。遠くの空に、見えるはずのない修道院の影を見た気がした。
はあ、と吐いた息が白く凝る。
そして。
――思わず落とした目の端に、赤黒い染みを見た。
「……は?」
薄汚れた残雪を溶かして、染みに蝕まれた孔が開く。
いや、違う。染みではない。染みなんかではない。これは違うモノだ。もっと悪いモノだ。
――穢れ。
そうだ、穢れ。これを言うなら、穢れだ。おぞましい穢れが、ぞわぞわと足元に広がっていく。
――血のような。
「先輩、これ!」
「――っ!」
黒鍵が突き立てられる。地面がえぐれ、ソレは蒸発するように払われた。
地面から立ち上るのは、霧。
瘴気。
鉄の味のする。
命の腐った匂いがする。
風に乗って流れていく。
「今のは……?」
「そうか、そういうことなんですね。――ルオシー!」
先輩の叫びに応えるように、だん、と鈍い音がする。ルオシーが拳を大地に突き立ててたのだ。数瞬ののち、ぼこっと地下深くから音が返った。
「跳べ!」
言われるがままに足に力を入れて、付近の屋根に跳び移る。先輩もルオシーも同様に跳び上がる。
その直後、石畳の地面の下を、蛇がのたうつような波紋が走った。ルオシーの魔力が引き起こした現象だろう。大地に置き去りにされた死者たちが、似合わない狼狽の色を浮かべた。
「――この土、この土地、この呪い、この血の堆積。人と人が殺し合う戦の果てに、幾千幾万の血をすすった"土"の魔。それが、この異変のからくりか!」
「どうやらそのようです。この場合、元を断つ方が早そうですね」
「元?」
大地の鳴動が収まるところを見越して、先輩が数十の黒鍵を突き立てる。
死者の視線が釘付けになる。
彼らは見ただろうか。
自らの命を消し去る、その凶器の輪郭を。
「――踊りなさい」
黒い釘によって象られるのは、教会に象徴的なあのシンボル。
ぼう、と先輩の全身が発光する。月光さえも恥じ入る、白い光。唇が割れ、息が漏れ、
そしてその喉から、
「■■■■■――!」
人の子の耳では聞き取れない聖句が響いた。
「―――ッ!」
異形たちの口から、苦悶の声が漏れる。
土が光る。
大地が輝く。
音もなく。
影すら消えて。
あまりの魔力の流動に、一瞬、世界全てが白ひと色に染めあがった。
「―――ぁ…」
夜がもとの色を取り戻すと同時に、じゅう、と魔の灼ける音がした。音は続く。あちこちから上がる。煙が満ち、霧になり、虚空に消えていく。
死者たちは気づかない。
自らの朽ちた体が、足元から消滅していっていることに。
「"
誓言が響く。音が尾を引く。響く響く。
そして、その震えが静まるころ。
――死者たちの影は、この世のどこにも残ってはいなかった。
***
「土というのはね、遠野くん、こちらの世界では決して侮れないものなんですよ」
ところかわって宿である。死者たちを一掃した後、街をひと巡りして帰ってきた。
夜はまだ続いている。
一連の不可思議な死者の強さについての、先輩の講義である。
「土が、ですか?」
「そうですねえ。たとえば遠野くんは、中学時代に転んだ道のことを覚えていますか?」
「はい?」
いや、よくわからない。話、飛びすぎてない?
「同じ話なんですよ。覚えてないでしょう? それとも、転んだことはありませんか?」
「そりゃあ、一度や二度は転んだんでしょうけど、そんな些細なこと、詳しく覚えてません」
「そうですね。ふつうはそうです。わたしもそうです。でも、遠野くんの膝の血を吸った土地の土は、そのことを覚えています」
むむ。
わかるようでわからない。
「簡単に説明しちゃいますけど、記憶と記録が違うものだっていうのはわかりますか?」
「はあ、なんとなく。記憶は主観的なもので、記録は客観的なもの、というか」
上出来です、と先輩はうなずいた。
「記録はこの世界に刻まれるものです。でも、土は記憶します。その土地で生きていた人々の生活、感情、その営みを」
「土が、記憶する?」
「そう。人の記憶はもろいものです。薄れるし、改ざんされる。逆に、静物にもぐった記憶は鮮度の高いまま保存される。なかでも土というのは特別で、体液を媒介にして情報を記憶にして溜め込んでしまう」
なんだかちょっと、ホラーな話だ。背筋を冷たいものが走る。
その俺の様子を見かねたのか、横からルオシーが口を挟んできた。
「そう怯えるようなものでもないわ。覚えていたからどうだ、という話なんだから。土がアタシたちのことを覚えていたって、そんなの何も関係がない。いきなりゴーレムを練り上げて襲ってくるわけじゃないでしょ?」
「その通りです。しかしその土の記憶を掘り返して、そこに輪郭を与えるような方法があったとしたらどうです?」
「あ、つまり」
先ほどの現象は、そういうことか。土の記憶で死者の強度を補って、通常よりも頑丈な個体を作り上げた?
「たしかなことはわかりませんが、おおよそ、そういうことでしょうね。標的の死徒は、魔術師上がりなのかもしれませんね」
そこで言葉を切って、先輩は何事かを考え込んでしまった。説明は終わったと言わんばかりだが、俺にはまだまだ分からないことがある。その俺の様子を見かねてか、ルオシーが話を引き取ってくれた。
「さっきシエルがやったのは、その土の記憶を大量の魔力で洗い流してしまうっていう荒業よ。アタシ程度の魔力量でやれば乾いてしまうところだけど、この人は特別性だから」
えへへー、それほどでもー、と照れている。ものすごいことをやったのだ、という説明の後に、この態度である。ギャップがありすぎて説得力が減るのでやめてほしい。
はあ、とため息をついて、ルオシーが俺に向き直る。足りない説明を、さらに補ってくれるつもりらしい。大変にありがたい。
「けれど、ただ土地の記憶を引きずり出すだけでは死者の餌にはならない。あれは、この地、ここの土だからこそ有効なやり方だったの」
「ここの土って、この街、そんなに有名なのか?」
「この街、じゃないわ。このあたり一帯、アルザスは戦乱の土地だったから。なにしろドイツとの国境が近い。意味は分かるでしょ? アルザス・ロネール問題とか、聞いたことない?」
「ああ――そういう」
つまり、この土地は古くから戦場であったのだろう。
街の所属が変わったこともあったに違いない。そのたびに、きっと多くの命が犠牲になった。
ストラスブールの町並みを思い出す。日本人の俺が見ても、あそこはフランスよりドイツの空気に近かった。
国が興るたびに国境線で揉め、軍が動き、血が流れた。その血を、土地の土は吸い続けたのだ。
――それこそ、吸血鬼がそうするように。
いつだって、戦乱の犠牲になるのは民草だ。
この土の下には、幾千幾万の無念が横たわっている。何世紀にもわたって戦を呪い続けた無辜の人々の、恨みと怒りが記憶されている。
その怨念が、死者の身体を動かしたのか。
「……正直、気分のいい話じゃないな」
「まったく、胸糞の類よね。そんなことを思いつくなんて、さすがに吸血鬼ってところでしょうけど」
ルオシーはそれだけ言って、あてがわれたソファーベッドに腰を下ろした。
夜明けまで、まだ数時間はある。
「寝んでおきなさい、シキ君。明日は、今日よりハードになるわ」
「ええ、ルオシーの言う通りです。少し夜更かししちゃいましたが、今からでも取れるだけの休息は取りましょう」
言いながら、電気を落とした先輩が、俺のベッドにもぐりこんでくる。
……はて?
「ねえ先輩」
「おっと、これはわたしとしたことが。ついついいつもの習慣で」
失敗失敗、失礼しました、とか言ってみずからのベッドにもどっていく。直前に俺の胸に鼻を寄せて、大きく深呼吸をするのを忘れない。
……その間、ルオシーはかたくなにこちらを見ないようにしていた。
ふむ。これはたしかに、明日が思いやられる。
ともあれ、体に疲労がたまっていることは事実だった。
「おやすみ先輩、ルオシー。明日もよろしく」
「はい、おやすみなさい、遠野くん」
瞼を閉じる。大きくを息を吸うと、眠気はすぐにやってきた。
落ちかかる眠りの中で、そういえば、と思う。
長い間眠ることが怖かったことを、俺はまだ覚えているな、と。