小春兄が既婚者の旧姓夏色花梨に再会する話です。たぶん小春六花をまったく知らなくても読めます。
我こそは小春六花の兄だという方はぜひ読んでください。

かなりの感情です。夏色花梨/誕/生/祭のタグとか間違ってもつけられないレベルの。

(一応、原作名は「VOICEROID」ということにしてあります。このサイトではCevio勢もこれに分類されていると思われるので)

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「高橋」さんと「氷川」さんはcevioの他キャラから名前だけお借りしました。根回し魔なタカハシ……アリだな。

なお、銀行の云々はあくまでも小説の都合や暗喩の都合上で書いています。現実に即しているかは別ということでよろしくお願いします。


もっといい人が

「先輩、その、私……」

 小樽潮風高校、校舎裏。胸元に紫色のリボンをつけた少女が、そのリボンの前で両手を落ち着きなく動かす。彼女の目の前に立つ男も、目をそらしながら、黒い髪を掻いていた。

 しばしの沈黙。

 踏ん切りがつかない少女に、男の側が口を開いた。

「きっと、花梨ちゃんにはもっといい人が見つかるよ」

 

 

 

 

 

『302番でお待ちの方、2番の窓口までお越しください』

 機械の声。僕は右手の紙をもう一度確認して、窓口に向かった。

 何となく、なぜか懐かしい。

 ちらりと相手の名札を見た。「茅野」、そういえば高校の頃、そんな名字のやつがどこだかの運動部で部長をやっていたな、などと思い出す。

 もちろん、彼と同一人物ということはありえない。親戚か何かかもしれないが。目の前の相手は、顔を見るまでもなく、はっきりと女性らしい身体つきだった。

「お待たせいたしました。本日は……」

 彼女のそれなりに形通りの挨拶は、しかし、急に途切れた。

「……せん、ぱい?」

 そして、およそこの場にふさわしくない単語が飛び出す。

 まさか、と思いながら、僕は彼女の顔を見やる。

 見覚えがあった。

「……花梨ちゃん?」

 僕の口も、まるでTPOをわきまえない面倒な高齢男性客のようなことを呟いた。

 

 

 

 

 

「異動ですか? 北海道に?」

「ああ。小春くん、小樽出身だろ?」

「ええ、まぁ」

 小樽。ここ千葉からは直線距離でも800キロ以上も離れた土地。そこが僕の故郷だった。

 しかし、こんな中途半端な時期の異動で、わざわざ僕が行くような仕事は思い当たらない。

「あー、よし」

 僕の疑念を察したらしく、高橋さんは周りをちらっと見る。人に聞かれたくない話なのだろうか。

「ちょうど、小樽の支店を畳むことになったんだ」

「そういうことですか」

 支店を畳む。少子高齢化と電子化ブームがあいまって、最近はかなり頻繁に聞く言葉だった。

 この前も、成田の支店をひとつ畳んだ。そこに少しばかり関わったおかげで、僕の仕事が何なのか察せられる。

「物分かりが良くて助かるよ」

「いえいえ、高橋さんの教育のおかげです。『一に根回し二に段取り、三、四がなくて五に根回し』ですよね」

 言って、少し笑う。高橋さんも上機嫌そうに歯を見せた。

 そう、つまりは根回しして来いという話なのだ。この場合に根回しが必要なのは、よっぽどの大口客と、それから同業者。大口客にはおそらく担当者が居るから、僕の場合は同業者、つまりは地元の銀行や信金に筋を通して来いということだろう。そういう話は、その土地出身の人間の方がスムースに進む。

 それが終わってから、ようやくいついつに畳みますと公に発表する。これを出すとだいたい小口客からのクレームが来るので、その対応のいくらかも僕の仕事になるかもしれない。

「あんまり気の進まない仕事かもしれんが」

「いえ……」

「まぁ帰省ついでみたいなもんだと思って頑張ってくれ」

 高橋さんはおどけるように付け足した。

「ほら、実家帰ればクレーム来るだろ? 『早く結婚しろ』って」

 

 

 

 

 

「見事に年寄りばかりだなぁ」

 整理券を取るように促す機械の相手をしながら、僕はひとりごちた。

「口座開設」を押すと、出て来た番号は302。

「3が新規。それがこの時間帯で2人だけか」

 これも、高橋さんの教えだった。「渉外先の客になってみろ」と。客の目からだからこそ、見えるものがあるという。高橋さんの「『客』から書類不正を見破った」というのは、氷川さんの「転勤先全部で現地妻作った」と並び立つ千葉支店の飲み会の武勇伝だ。

 さておき、こうして実際に客になってみると、たしかに見えてくるものがある。新規開設がこんなにも少なく、客は高齢者だらけ。

 有り体に言って、停滞している。

「いや」

 下手をすれば、後退していると言っても過言ではない。

「これは面倒になりそうだ」

 業績が落ち込んでる相手は、とにかく何にでも文句をつけてくる。それはこの3年間で嫌というほど学んでいた。それなりの覚悟を持っておくべきだろう。

 僕がひたすらに下手に出る決意をしていると、機械の声が聞こえた。

『302番でお待ちの方、2番の窓口までお越しください』

 

 

 

 

 

「先輩、先輩ですよね!? どうして……」

「落ち着いて、花梨ちゃん。今日はただの客だから」

 彼女をなだめながら、ちらりと辺りを見る。さすがに他の客にまで奇異の目で見られるのは恥ずかしい。とくに誰とも目が合わなかったことに安堵しつつ、僕は客に戻る。

「んんっ。それでは、本日は新規の口座開設ということでよろしいでしょうか」

「はい」

「では、こちらをご記入ください」

 見慣れた様式の紙が渡される。

「わかりました」

 

 

 かれこれ結構な手間と時間をかけて、ようやくひとまとまりの書類が来た。

 彼女は一つずつさらっと説明して、最後に。

「……こちらがお客様の通帳になります」

「ありがとう」

 今どき、一切web通帳を勧められなかったのも珍しいな、と思いつつ、バッグにしまう。

 僕が椅子を引いて、立ちあがろうとしたとき、彼女がもう一度口を開いた。

「その、先輩」

 その呼び方に、思わず身体が固まる。

 花梨ちゃんは無理にしぼり出したように、言った。

「この後、時間あります……か」

 彼女の左手の薬指が、鈍く光った。

 

 

 

 

 

 30分遅れ。私は小走り気味に駆け寄った。

「遅くなってごめんなさい、先輩」

「大丈夫だよ」

 先輩の目ががじっと私を見る。言い訳はあった。不突合が出たせいだったから。でも、それを言うべきか言わざるべきか、と悩んでいるうちに、先輩がひとつ頷いて。

「うん、似合ってる」

 そう言った。

「う、ありがとうございます……」

 面と向かって褒められるのは、ずるい。結局、私は俯き気味のまま、何も言わずに先輩の少し後ろをついて行った。

 

 

 

 

 

「私、もっとファミレスみたいなとこ想像してたんですよ?」

 席に着くと、花梨ちゃんは口をとんがらせた。

 それこそ、一緒にファミレスに行っていたような頃の花梨ちゃんにそっくりで、思わず口元が緩む。

「ああ、お金は僕が出すから」

「そういうことじゃなくて……いや、別に良いですけど」

 少しきまりが悪そうにして、花梨ちゃんは話を変える。

「こういうとこって、先輩はよく来るんですか?」

 僕は顎に手を当てる。外食と言えば、せいぜい高橋さんとの居酒屋くらいだった。この店は、それとは違う。

「うーん、いや、めったにないよ。行く相手もいないし」

 何気なく付け足した「行く相手」の言葉に、ふと違和感を覚えた。それじゃあ、目の前の「茅野」さんが、その「行く相手」に分類されているみたいじゃないか。

 急に、何か言い訳をしなければいけないような気がして、続ける。

「もちろんこっち(小樽)あっち(関東)じゃ色々違うけど」

 言い訳になっているかもわからない言葉だったけれど、話はどうにか違う方へ進んでくれた。

「ああ、そういえば先輩が小樽帰ってくるのって5年ぶりくらいでしたっけ」

「そうだね。成人式以来かな」

「いやぁ、あの時は六花と千冬ともどもお騒がせしました」

「こちらこそお邪魔しました」

 成人式の日、元軽音部のメンバーで話しているところに、六花が花梨ちゃんと千冬ちゃんを連れて来たのだ。そのままの流れでなぜか歌うことになって、スーツが散々に汚れたのを覚えている。

 もちろん、僕たちは大学で音楽をやっていたわけでもなし。OB勢側にも入っていた花梨ちゃんのベース以外は、現役勢にまったく劣っていた。

「花梨ちゃんは今も何かやってるの?」

「先輩と同じです。卒業したっきり、音楽はやめちゃいました」

「そっか。まぁ、そうだよね。忙しいだろうし」

「千冬ちゃんも大学では続けてないみたいなので、私達だともう六花だけですね」

 言うと、花梨ちゃんは何かを思い出したようにスマホを取り出して、写真を見せて来た。

「この前、六花が大学の学園祭でライブやったらしいです」

 花梨ちゃんはスマホを器用に触って、こっちに向けながら次の写真、また次の写真と動かす。

 ギターボーカルとして、ステージの真ん中に立っている六花。マイクをぐっと掴む六花。どの六花も活き活きとしている。何枚かの写真を見る限り、会場の側も結構な人数が入っていたようだった。

「へえ、見たかったなぁ。教えてくれればよかったのに」

 スマホをしまいながら、花梨ちゃんは笑う。

「恥ずかしかったんじゃないですか。私にまで『お兄ちゃんには言わないで』って念押ししてたので」

 僕はグラスに手を伸ばす。口元を濡らすくらいに飲んでから、目を細めた。

「恥ずかしがることなんてないのに。六花は僕なんかよりずっと上手いんだから」

 自嘲気味な言葉を吐いてから、僕は少しだけ後悔して、グラスをもう一度傾けた。

 テーブルに乗った花梨ちゃんの手がこわばる。

 僕がグラスを置いて、さらに何小節もあいて。花梨ちゃんは上目遣いになりつつ、僕の方を見て言った。

「……それでも、そうだったとしても、私は先輩の歌が好きでした」

 その目を見て、急に邪な感情が湧き上がるのを感じた。

 いや、元からあったものが、もう隠せなくなっただけかもしれない。

 僕は彼女の左手に目をやった。細長くて、白い指だけがある。

「花梨ちゃん。この後、時間あるかな?」

 

 

 

 

 

 先輩は、優しかった。この期に及んでも。

 やってることは、とんでもなく悪いことなのに。でも、普段のあの人の方がよっぽど乱暴だった。

 だから、だろうか。私は欠落感のような、安堵感のような、あるいは失望感のような、物足りなさを覚えた。

 ほんの少し前、それこそあのレストランの中では、私はもうすべてを捨ててでも先輩について行くつもりだったはずなのに。

 もし、先輩が。あと少し強く肩を掴んでくれたら。

 それとも、今からでも。

 首を振って、追い払う。

 2年間外さなかった指輪を、私はもう一度つけなおした。

 

 

 

 

 

「おはようございます、先輩」

 朝6時。先輩はほとんどきっかりに起きた。

 私を見て混乱しているのか、きょろきょろと見まわす。

「花梨ちゃん」

 ようやく思い出した、と私の名前を呼んだきり、先輩はそのまま思いつめた表情に変わる。

 今度は私の方から切り出した。

「先輩、その……」

 ああ、なんだか、あの時に似ている。そう思っていると、ちょうどあの時のように、先輩も口を開こうとした。

「僕は……」

「きっと、先輩にはもっといい人がみつかりますから」

 その先は言わせなかった。聞いてしまったら、私の気がまた変わってしまいそうだったから。

 朝日が、左手の薬指に差し込んだ。



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