走る。
雨が降っている。
足音は全てかき消されているだろう。
叫び声。銃声。
必死に、無我夢中で暗闇の中へ駆けていく。
草むらをかき分け、道無き道を裸足のまま進む。
にげなきゃ。しにたくない。にげなきゃ。
ぬかるんだ道に足を取られながら、疲れを叫ぶ太ももを叱りつけながら、前へ前へと進んでいく。
じくじくとした痛みを訴える足の裏は……見ない方が良いかもしれない。
ここはどこなのだろう?
何故私は、雨に打たれながら裸足で、山道を走って逃げているんだろうか?
朧気ながら記憶が段々とはっきりしてくる。
ついさっきまで自分は学校からの帰り道だったはずだ。
友達と別れ、1人になって少しした後だった。
"窓から中が見えない"ような加工が施された車が少し前で止まった。
一瞬の暗転。
次に目覚めた時には手足は縛られ、口には猿轡、首の端子にはネットへの接続を強制的にオフラインにさせる電極が嵌められていた。
外は暗闇と形容出来るくらい暗くなっていて、車の天井を叩く雨音が唯一外の状況が分かる要素だった。
自分が誘拐された事は否が応でも理解出来ている。問題は……その目的だ。
私の家族は決して裕福とは言えない。なので身代金誘拐の線は消える。
……となると、可能性は2つに絞られる。
性的暴行と、人攫いだ。
今のところ、身体に何かされたような所は見当たらない。注射痕も無い。
………………出来れば前者であって欲しかった。まだ生き延びられる可能性が万に1つにあるかもしれない。
しかし、
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《Вознаграждение будет переведено на ваш счет сразу же после подтверждения "загрузки". До тех пор никаких сделок не будет.》 報酬は「積荷」が確認され次第口座に振り込む。それまでの取引は無しだ。
『Это нечестно, сэр! Мы все еще идем по натянутому канату....《そりゃないぜ旦那!俺たちはこれでも綱渡りを……》ってクソ!アイツら通話切りやがった!』
…………推測は嫌なほどに当たってしまったようだ。彼らは北方マフィアから依頼された人攫い達だ…!
『ったくやってらんねえ!マジでイライラするわ………………なあ、後ろの"積荷"を様子見に行ってもいいか?たまっててよ』
『………………お前……仮にもアレは商品だぞ?』
『大丈夫大丈夫!小屋にはまだまだ居るし、1人くらい使ってもバレやしねーって!それに"処分"した扱いにすりゃいい訳だし?』
『………はぁ…俺は知らんからな。』
『やっぱ持つべきは話が分かるやつだな!んじゃ見張りヨロシク〜』
足音が近づき、車の後方部の扉が開く。
「……!」
「おー?もしかしてさっきの聞こえてたクチ?んじゃ話がはやくて助かるわ。」
足首を掴まれ、強引に男の近くに引き寄せられる。
「お嬢ちゃんも難儀なもんだよな……ま、こればかりは運が悪かったと思って諦めてくれや。死ぬ前に一度は気持ちよくなっとこうぜ?」
なんて身勝手な理論なのだろう。
腸が煮えくり返りそうになるが、目で睨みつけること自体も彼の気持ちを昂らせるだけになるのは見えていたので、目を合わさないようにしていた。
彼はその反応を見て受け入れたと思ったのか、足の軛を外され、左右に足を開かされる。
男は完全に私が諦めたと思っている。
チャンスは一度きり。見張りにバレないように静かに素早く。
太ももに顔を近づけてきていた男の頭を思い切り両足で挟み込み、車のフレームに叩きつける。足の力はあまり強くないが、脳殼への衝撃で失神させるには十分な威力だ。
ゴドン!と音がなり、もう1人の男が声をかける。
『…………お前なあ…性的嗜好に文句付けるつもりはないが、ちょっとやり過ぎだぞ』
「…!……ぅぁ…っ!」
取ってつけたように殴られたような悲鳴を上げ、バレないように手枷とオフライン電極を外す。
気絶させた男に付けていた手枷と電極、足に紐を括りつけておく。
携帯端末で通報を入れたあと、時間稼ぎに男のお気に入りであろうポルノを再生させておく。これで男が気を取り戻して暴れても見張りはまたアイツが激しくやってると勘違いする訳だ。
雨が止む前に逃げ出した方が良い。靴は見つからない。けれどチャンスを逃す訳にはいかない。
そして私は雨が降りしきる暗闇の中へ駆け出していった。
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走る。
走る。
もう何度転倒しただろうか。
制服は所々が破れ、膝からは赤い血が流れ出している。足の爪は既に割れ、土や泥で黒く染っている。
雨で服は張り付き、風と共に体力を奪っていく。
身体に鞭打ってここまで逃げてきたが、そろそろ心までもが悲鳴をあげてきた。
もう走れない。
けれども脳は進め、逃げろと身体に命令を発し続ける。
走れ。
走りたくない。
走れ。
もう、走れない。
極度の疲労だったのか、今となっては分からない。
足がコンクリートの硬さを認識した時に私はその場にへたりこんでしまった。
光が差す。
その光の方向に目をやると、それは大きな車で────────
意識が暗転する。
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〜公安委員会第9ビル25階 緊急治療室〜
ドアを開けると
「…遅れるなら遅れると連絡ぐらいせんか」
「ごめんなさいね、ちょっと立て込んでたの。…………彼女が例の?」
部長と素子、そして9課の人員が立つ硝子の先には穏やかな寝顔で寝息を立てている少女が一人。
「伊藤 奈美。新浜市立第6高等学校2年で陸上部員。走高跳の選手で県ベスト6になってる。
んで、遅刻して来たお前の為に、親切な俺が説明してやるとだな…
2時間ほど前、新浜県警に無言の通報電話がかかってきたんだそうだ。
ここだけ聞けばどこにでもあるイタズラ電話だ。
が、問題はその発信場所が新浜県郊外の山奥のそのまた奥だった点だ。
以前より活発化していた北方マフィアの人攫いの取引場所がその近くであることも大きかった。
その異常性に気が付いた県警が到着した頃には
で、ホシを捕らえるために非常線を張って捜索していたところへ道路上でぶっ倒れてた女学生を見つけたって捜索員から通報が入って救助出来た……は良いが、足の怪我から細菌が入り込んで壊死を起こしててな。もう切除するしかなかったんだと。んで、緊急義体化手術が出来るここに持ち込まれたってわけ。」
「懇切丁寧にどうもありがと。」
特殊義眼のサイボーグ…のバトーが露骨な不満を込めて説明してくれた。
「猿親父の機嫌取り大変だったんだからな??」と顔ではっきりと主張している。後で一杯奢ると指でサインを返しておいた。
部長が口を開く。
「我々公安9課はテロに対する攻性組織・防諜機関である。今回の事案に関しては我々が出る領域ではないことは明らかだ。
……しかし、この事案の背後に海外勢力・若しくはテロ勢力があるという証拠が発見された場合は別だ。その場合、我々は犯罪に対して常に攻性であることを望むぞ。」
「「「「了解。」」」」
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『……しっかし、荒巻の旦那もツンデレに程があるよなー。本音を建前オブラートに包めすぎなんだよ。』
『
『まあこればかりは仕方ないさ、9課がここまで独断専行をやってこれたのは部長が上と折衝をしてくれていたおかげだし。』
『ま、いつも通りウラ取って部長が動ける証拠を掴めば良いって話だ。茅葺新総理も前の総理大臣よりはこういうのには理解を示してくれるだろうしな。』
『だな。まずは通報が入った時の通話ログや位置情報の割り出しから始めるとしよう。』
『トグサは?バトーと一緒か?』
『俺たちはいつも通り"現地捜査"さ。その前に伊藤が目を覚ましたって連絡が来たんでな、事情聴取に行ってくる。』
『了解、また何か情報が得られ次第連絡する。』
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「ふむ……犯人は二人居て、片方は見ていない…と。」
トグサ、と名乗った公安の刑事さんが、私の取り留めのない供述をまとめてくれる。
「……はい。あと、多分あの人たちは下請けなんだと思います。何語か分からなかったけれど、足元を見られてイラついていたみたいなので…… 」
「ほう…高校生にしちゃあ大した分析力だな。」
「…………ミステリ小説を読むのが好きで、そういうのを覚えるのが得意だったんです。あ、知ってます?『トマス警部補の事件簿』とか。」
「いや、そういうのは読まなくてな……」
「そうですか…」
「あ、ごめんね奈美ちゃん。このおじさん、あの見た目通り本とか読まないんだよ。」
「おいトグサ!…俺だって読むぞ、ホームズとか!」
トグサさんの隣に立っているとても大きい義眼のおじさん…確か…バトー?さんが初めて口を開いた。
最初は見た目がとても怖かったし、ずっと喋らないから緊張してたけれど、……本当は結構優しい人、なのかな?
「…………本題に戻ろうか。奈美ちゃん、何か他に覚えてる事はあるかな?無理にじゃなくて良いからね。」
「いえ、大丈夫です。…………そう言えば、あの人たち、電話でロシア語を話してました。」
「!その話、もっと詳しく教えてくれないかな?」
「えーと……確か、ざぐるーずき?とか言ってました。」
「загрузки……『荷物』、か。北方特区でよく聞いた単語だ。」
「バトーの旦那、これは強い証拠になるぞ。」
「だな。イシカワ達に報告だ。」
「ああ。……奈美ちゃん、御協力感謝します。絶対に犯人を捕まえてみせるからね」
「はい……、あの…トグサさん。」
「なんだい?」
「私の足……義体化されちゃったんですね。」
足。今まで私の身体を支えてくれた足。
大会でより高く飛ぶ為に鍛えてきた私の足。
それはもうここには居ない。
義体化が進んでいる世の中とはいえ、心体の成長期を迎える未成年の時から義体化する人は多くない。
……少し、目元が熱くなる。
「…………ああ。もう少し君を早く見つけて居られれば…すまない。」
「いえ……私は大丈夫…です。けど、絶対、絶対に犯人を捕まえてください。お願いします。」
「…………ああ…!」
涙は見られていなかっただろうか。分からないけれど、あの人たちならきっと……
「…………旦那。」
「わーってる。…犯人共にケジメはしっかりつけさせてやらねえとな。」
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Connecting…
Welcome back, Motoko Kusanagi.
The briefing will begin in ten seconds.
Members of Public Security Section 9 joined the lobby.
Members are standing by.
Do you want to allow members to enter the room?
Y/N
→Y
Members are allowed to enter the room.
Briefing will begin in three seconds.
...3
...2
...1
全員集まっているな?
では、ブリーフィングを開始する。
先の誘拐事件の
使用されていた連絡用外部端末は放棄されていたが、それまでの位置情報から
トグサ!報告を!
『ホシの名前は中村健太26歳と市原信吾22歳。
職業はちょっと物騒な廃品利用業者……要するにチンピラです。
所属してる「六銭廃品回収」という会社も、洗ってみれば社長から従業員に至るまで札付きのワルしか居ない、ペーパーカンパニーも良いところな非合法組織。
これは所轄の警察署の前歴者リストで全員確認済み。』
報告ご苦労。
会社ぐるみで小遣い稼ぎに北方マフィアに定期的に攫った人間を提供していたみたい。
今までは巧妙に監視カメラの目を掻い潜ってたようだけど……年貢の納め時ね。
目標の潜伏場所は港の倉庫街の区画G-23の倉庫。所有は「六銭廃品回収」……ホントによく今まで見つからなかったわねこの会社。
にしても小遣い稼ぎにしては質が悪すぎる。
こういう手合いは法の手に委ねても、有耶無耶にされるのが落ちよ。
……とっちめてやる必要がありそうね。
タチコマの使用許可を申請しておく。
『おいおい。いいのかぁ?そんなおもしれえ事やっちまって。』
構わん。私が許可する。
『『『『『『おお〜!』』』』』』
………………取り敢えず、従業員全員が武装している想定、A-4で行くわよ。
全員生かして捕らえなさい。本丸はあくまで北方マフィアの情報を手に入れる事。それを忘れないように!
The briefing is over.
Members have left the lobby.
Do you want to save the record to the server?
Y/N
→N
No records were saved to the server.
They will be temporarily stored in the electronic brain.
......Completed.
Have a good day, ma'am.
Connection closed.
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『倉庫内部の走査完了。マップに全13目標のマーキング。』
『脅威判定B以上の敵性物体を確認。位置はリアルタイムで更新します。』
『B班配置よし。A班およびC班よし。突入準備完了しました。』
『少佐。全員所定の位置に到着。いつでもいけるぜ。』
『タチコマ!』
『僕達もいつでもOKでーす!』
『よし。合図したら全員突入しろ。B班は裏、A班は正面に回れ。
総員、状況開始!』
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……遅い。部下の定期連絡が来ない。
いつかこうなる事は分かっていた。その為に訓練もさせていたはず。……なのにアイツらはまた何処かでサボってんのか……?
未だに状況が掴めていなさそうな顔の市原が尋ねてくる。
「社長、なんで戦車に乗ってこんな倉庫に引きこもってるんです?」
「あ??元はと言えばお前がしくじったからだろうが!!!北方の言うこと聞いてりゃ楽に金が手に入るとは言え、『積荷運び』はいつバレるかわからん綱渡りな仕事だったんだ。女の身体に欲目なんか見せるからこういう事になる!」
「そ、それは……」
「本当はお前を処分するのが一番手っ取り早いんだ。けど俺達は今まで仲間を見捨てる事だけはしてこなかった…だからお前も連れてここから高飛びする。
あと少しで連絡している逃がし屋が来るはずなんだ。それまでは裏ルートで手に入れたこの虎の子の思考戦車でどうにか凌ぐしかねえ…!」
「しゃ、社長…………!」
市原は目を潤ませてこちらを見ている。
このお調子者は本当にトラブルばかりを持ち込んでくる…これを最後に次は切った方が良いのかもしれないな…
『…ふぅん、チンピラにしては殊勝な心意気じゃない。』
「だ、誰だ!?何処にいる!?」
女の声がした方向に戦車の銃口を向ける…が"誰も居ない"。
電脳を経由して呼びかけるが、ノイズが走っている。
「チィッ!電波障害まで!」
市原は……ダメだ。恐慌状態になっている。信じられるのは自分だけだ。これまでだってそうしてきただろう?
思考戦車のモニターを確認する。
敵は"見えなかった"。つまり……
(生物ならば姿は消す事が出来ても熱は消せまい……!なら!)
モニターを赤外線カメラに変更する。
何処だ…?何処にいる?
絶対ここに居るはずなんだ…!
『それで終わりか?』
耳元で女の声が聞こえて──────
意識が暗転した。
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『脅威判定Bの敵性物体の排除を確認。突入!』
突入班の全員が全天候型2902熱光学迷彩服、通称「隠れ蓑」を起動させ、倉庫内へ突入する。
思考戦車の搭乗員と11人の作戦目標は全て瞬時に沈黙させられた。
残るは思考戦車の近くに居る1名のみ。
「な、何だ…?一体何なんだよコレ!変な女の声が聞こえたと思ったら社長はいきなりぶっ倒れるし!誰か居んのかよ!なあ!」
憐れで何も知らない滑稽な男が1人、倉庫の中で見えない何かに囲まれて怯えている。
『お遊びが過ぎたな。お前はやり過ぎたんだよ。それに貴様、見た所全身生身だな?闇市場にバラして売れば……さぞ高く売れるだろう。』
四方からクスクスと笑い声が響いてくる。
「ひいっ!ひぃぃぃっ!許してくれ、もうやらない!頼む、もう二度としない!足も洗うから!真面目に生きます!ごめんなさい!だから、だから勘弁してくれぇぇぇぇっ!」
『それは無理だ、諦めろ。』
後頭部にごとり、と硬いものを当てられ、恐怖に耐え切れなかった男の意識は途絶した。
「…………にしても少佐、とっちめるにしてもありゃ少し脅かし過ぎじゃねえか?ちょっと可哀想に見えてきたぜ。」
「タチコマの音響機器を使ってあんな事が出来るとは…やられた方は生きた心地はせんだろうな。」
「…ま、因果応報ってやつです。人の生命を小遣いにしようとする連中だ、死んだ方がマシな目にあっても文句は言えませんよ。」
「六銭廃品回収社」の制圧作戦は成功した。
北方マフィアの人攫い事業拠点の情報を得ることにも成功し、北端特務課に情報を提供。自衛軍との合同作戦によって択捉経済特区における大規模摘発を実施し、多くの人々を救い出す事となる。
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「そういやトグサ、ガイシャの伊藤奈美ちゃんはあの後どうなったんだ?」
「これは噂なんだが……最初に彼女を発見した捜査官が『彼女が退院するまでは』と仕事の合間を縫って何度もお見舞いに行く内にお互いに意識するようになった……とかなんとか。」
「なんとまあ青春なこと!」