フォークボールが投げられない   作:恥谷きゆう

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過去編


私の胸の熱

 俺の親友はある時突然いなくなって、彼は再び会った時には彼女になっていた。

 ひかるとの面会が初めて許されたのは、すっかり冬らしくなってきたある日のことだった。性転換病という難病に苦しんでいるという親友の見舞いにようやく行ける。高揚したような、不安なような不思議な気持ちだった俺を出迎えたのは、全く見知らぬ美少女だった。

 

「──」

「亨、久しぶり」

 

 言葉を返すことができなかった。話には聞いていたが、実際に会うと、その衝撃はすさまじかった。ひかるのような口調で喋る彼女が、親友だった彼であるということを、俺は受け入れられなかった。

 

「なにまぬけ顔してるんだよ。いいからこっち来いよ」

「ああ、悪い」

 

 冗談めかした言葉に少し既視感を覚えて、ようやく我に返る。近寄ると、その少女の容姿の美しさがさらによく分かった。サラサラとした、濡れ羽色の髪。愛らしさを感じさせるようなクリクリとした瞳。少し大きな唇がぷっくりと膨れていて、柔らかそうだった。

 そしてなによりも、小さい。180センチにも届こうかという大柄の彼だったが、今の身長はせいぜい150センチといったところか。華奢ななで肩も、折れそうなほど細い腕も、彼の面影と全く重ならなかった。

 

「何見とれてんだ?惚れたか?」

 

 その気安い口調だけが、彼女が彼であることを教えてくれる。高く澄んだ声は彼と全く似ていなかったが、それでも彼だと確信できる何かがあった。

 

「馬鹿言うな。親友のお前に惚れることなんて絶対ねえよ」

 

 彼女は嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑顔に何か新しい感情が芽生えそうで、目を逸らした。殺風景で寒々とした病室の窓からは周辺の自然の景色が見える。寒空の桜の木は、すっかり葉を失って寂し気に立っていた。

 

「それで?いつ学校に戻ってこれるんだよ」

「多分春の新学年からだってよ。この意味が分かるか?なんと俺な、高校生にして留年することになったんだ」

「ハハッ、馬鹿なひかるにはちょうどいいな」

「なんだとこの野郎!お前だって大して変わらないだろうが野球馬鹿!」

 

 軽く冗談を言い合うと、もう俺たちは昔に戻れたようだった。自然、二人の頬が緩む。どこか暖かい空気が、寒々とした病室を支配する。

 しかしそれも長く続かなかった。ひかるの頬が強張り、少し雰囲気を変えると、冷たさが戻ってくる。

 

「その、野球、だけどな」

「ああ」

 

 その言葉に、俺の表情も強張るのが分かった。俺たちの一番の関心事。あるいは、人生そのもの。

 

「わるい、しばらくはできそうにないわ!」

 

 底抜けに明るく、ひかるが告げる。予期していたその言葉は、想像以上に心に響いた。

 

「しばらくって、いつまでだよ」

 

 たまらず、真剣なトーンで返してしまった。馬鹿なひかるの空元気など、見たくなかった。

 

「まあ、俺の筋力が戻るまで、だな。これでも病室の中で腹筋とかしてるんだぞ?まあこの前先生に怒られちゃったけどな」

 

 ハハハと笑うひかるの声には、どことかなく力がない。見ていられなくて、核心に触れてしまう。

 

「で、でもさひかる、その、甲子園はさ」

「ああ、女は出れないんだろ」

 

 静かな声だった。音が全て無くなったかと疑うほどの沈黙が、その場を支配する。ひかるは窓の方に顔を逸らした。静寂の中で、自分の軽率な問いを後悔する。そのことについて、ひかるが考えていなかったわけがないじゃないか。聞かれるまでもなく、その残酷な事実はずっと彼女の胸の中を渦巻いていたはずだ。

 

「なんでだ」

 

 突如、ひかるが沈黙を破る。それは、先ほどのような静かな声だった。けれどそこに籠められた感情は、先ほどまでの比にならないほどだ。激情が、爆発する。

 

「なんで!俺がこんな目に合わなくちゃならないんだ!」

 

 か細い喉がはちきれてしまうのではないかと思うほどの絶叫だった。こちらに向き直ったその双眸からは涙が溢れていた。

 

「ひかる……」

 

 かける言葉が見つからなかった。その怒りは誰にぶつけられるわけでもなく、ただひかるの胸中でグルグルと回り続いていたのだろう。

 なぜ、どうして。神でも恨めばいいのだろうか。それとも、彼女を救えない科学を罵ればいいのか。

 

「俺は、いったいこれから何のために生きたらいいんだろうな」

 

 答えなんて持ち合わせているはずもなかった。口を閉ざす俺に、ひかるは静かに告げた。

 

「今日は、帰ってくれないか」

 

 その言葉に返す言葉すら見つからず、俺はその場を後にすることになった。

 

 

 ◇

 

 

 あれから、亨は何度も俺の病床を訪れた。野球部の練習の後、たまの休日、飽きもせず彼は何度も病院まで足を運んでくれた。

 しかし俺たちの間の会話はいつもどこかぎこちなかった。当然だろう。俺たちの間の会話の話題なんて野球がほとんどだったんだ。急に野球の話題を避けるようになったんだから、ぎこちないのも当然なこと。でも、俺にとってはそれでも良かった。

 

 

 今日の亨は平日の夜にも関わらずわざわざ来てくれた。きっと先ほどまで野球部の練習があったのだろう。学生服姿の彼の手には、ビニール袋。

 

「見舞い品、本当にシュークリームで良かったのか?」

「ああ、おれ……私、味覚が変わっててな。甘いものが堪らなく美味しいんだよ。女になってよかったことの一つだな」

 

 よかったこと、などと嘯く。体を鍛えるために糖分は控えていた俺だが、最近では甘味を欲することが増えてきた。食べている間は、自分の中のやり場のない怒りや焦りが少しは和らぐ気がした。

 

「……太るぞ?」

「あれあれ?亨君、女の子にそういうこと言っちゃメッ、だよ?」

「女の子ってガラかよ」

 

 いたずらっぽく片目を瞑りながら、人差し指を突き出して、チッチッと振る。悪態をつきながら顔を逸らす亨だったが、その顔は僅かに赤い。この硬派な見た目の親友は、たまに女らしい口調で話すといい反応を返しくれる。ぶっちゃけ楽しい。くせになりそうだ。

 

「ああそうだ、ひかる、少し外に出ないか?」

「いいけど、……寒いぞ?」

 

 初めての提案だった。最初に面会に来た時以来、どこか遠慮した態度を見せていてた亨だったが、その言葉には今までと違う決意を感じた。俺の体調もかなり良くなってきていて、少しの外出程度であれば先生の許可もあっさり下りた。久しぶりの地を踏みしめる感覚に戸惑いながらも、ゆっくりと歩く亨についていく。

 

「どこに行くんだ?」

「屋上」

「ええー。階段登るじゃん。……亨君、手、貸してくれないかなぁ?」

「なっ、慣れない真似すんなよ。似合ってないぞ」

「声震えてんぞ」

 

 少し甘えたような口調で言うと、彼は簡単に動揺した。……この童貞野郎大丈夫かな。美人局とかにあっさりひっかかりそう。

 顔を赤くしながらも手を差し伸べてくれた彼の手を、黙って握る。俺の小さな手を丸ごと包んでしまえるほどの大きな手。いつもミットを向けてくれていた彼の左手は、前よりずっと大きく見えた。手を引かれながら、筋力のなくなった足を何とか動かして階段を登る。手を引く亨の足取りはゆっくりで、視線は常にこちらを向いていた。

 

「屋上なんて初めて来たなあ。亨、なんでこんな場所知ってたんだ?」

「少し冷えるか?」

「いや、大丈夫だ」

 

 冬の夜は入院着にはやや寒かったが、短時間なら問題なさそうだった。むしろ暖房の入った室内にいた体が冷える感覚が心地よい。

 

「それで、こんなところで何の用だ?」

「上を見てみろ」

「上?」

 

 見上げる。寒空には、満天の星空が広がっていた。

 

「──わあ」

 

 思わず、感嘆する。黒に光る星がくっきりと見え、その一つ一つが俺に存在を主張しているようだった。

 

「どうだ?綺麗だろ」

「うん」

 

 視線は動かさず、返答する。こんな景色を見ること、しばらくなかった。夜なんていつも練習の後で、疲労困憊でとても空を見上げる余裕なんてなかったんだと思う。だから、その星空に引き込まれた。

 

「でも、なんでこれを私に見せようと?」

 

 視線を亨に戻して問いかけると、彼の瞳が真っ直ぐに俺を貫いた。

 

「たまには空を見上げるのもいいぞって伝えたくてな」

「ははっ……なんだそれ」

 

 少し笑ってしまう。真面目くさった顔で言うものだから、少し恥ずかしくなってしまった。でも、彼の表情は少しも崩れず言葉を続ける。

 

「ひかる、多分今できない野球のことばっか考えてるだろ?」

 

 図星だった。朝も昼も夜も、野球ができるか、そればかり考えていた。

 

「できないことばっか考えるのは、体に毒だよ。だから、少し他のことを考えて欲しかった」

「……」

 

 分かってはいる。もう叶わない夢を想い続けるのは、つらく、苦しい。でも想わずにはいられなかった。野球は、甲子園の夢は、俺の人生の意味そのものだったのだから。

 

「それは──」

「なあひかる、何のために生きたらいいのか分からないって言ったよな?」

「……ああ」

 

 分からない。野球をなくした俺に、何が残るのか。

 

「じゃあさ、仮にでいい。退院できたら、俺のために生きてみてはくれないか?」

「亨のために……?」

「ああ、大したことじゃない。──俺は親友がいない生活なんてもう嫌なんだよ。通学路にお前がいなくて、帰り道に愚痴を言い合うお前がいない。正直こんなの初めてでさ。耐えられないって思った。──生きてくれ、ひかる。姿が変わったなんて関係ない。俺には昔のお前も今のお前も、必要みたいだ」

 

 熱の籠った、感情の籠った言葉だった。北風に晒されていた頬が熱くなる。

 

「お前の、ために……」

 

 その言葉は、俺の胸の中に熱さを持ったまま残り続けて、空っぽだった俺を動かす力になった。

 

 

 ◇

 

 

「亨先輩!今日のおかずは自信作ですよ!」

「ひ、ひかる。そんな大声出さなくても聞こえてるから」

「なんです!?可愛い後輩からの手料理ですよ!少しくらい嬉しそうにしてください!」

「いや嬉しい、嬉しいから!周りの目とか少し気にしてくれ!」

 


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