フォークボールが投げられない   作:恥谷きゆう

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ドロドロ成分が足りなかった気がする


甘いソフトクリーム

 朝練のティーバッティングは、俺にとって日課みたいなものだ。守備だけでなく打撃についても期待されているらしい俺は、打撃練習の時間を少し多めにもらっていた。一人ではできないこの練習は、前は下級生に手伝ってもらったりしていたが、今はひかるがいる。俺にボールをトスするひかるの姿も今ではすっかり日常の光景になった。

 

 ひかるの上げるトスは相変わらず俺の欲しい所に上がってきて、俺は気持ち良く金属音を響かせることができた。

 

「そういえば先輩、今週の日曜日は予定ありますか?」

 

 ひかるの突然の問いに、俺は振り切ったバットを下ろして少し考えた。俺の若干の疲労を感じ取ったのだろうか。ひかるも少しボールを投げる手を休めていた。

 

「日曜日……ああ、買い物しようと思ってたんだ」

 

 日曜日は久しぶりの野球部の休みだ。この機会に駅前のショッピングモールまで行こうか、などと考えていた。

 

「ああ、ランニング用のシューズですか。結構ボロボロでしたからね」

「なんで分かるんだよ……」

「私、先輩のマネージャーなので!」

「説明になってなくない?」

 

 互いのことは知り尽くしている俺たちだが、そこまで推測できる自信は俺にはなかった。

 喋ってばかりというわけにもいかないのでバットを構える。すかさず、ひかるのトスが飛んできた。バットを振りぬき、心地よい金属音が響く。ひかりは新しいボールを構えながら、何か呟いた。彼女の手が軽く振られて、ボールが宙を舞う。

 

「じゃあ先輩、日曜日デートしましょう」

「ンンッ!」

 

 俺のバットはこの日初めて空をきり、白球はポトリと地面に落ちた。

 

 

 

 

 日曜の朝、俺は自分の隠し切れない高揚に困惑していた。何をそんなにワクワクしているのか。ただ親友と買い物に行くだけじゃないか。何度もやってきたじゃないか。

 

 ひかるが我が家まで来るのを待つ。彼女は俺の家に直接来ると言って聞かなかった。ひかる曰く、後輩が家まで押しかけてくるシチュエーション、良くないですか?とのことだ。……分からなくはない。

 

 家のインターホンが鳴る。高揚する気持ちを抑えるようにゆっくりと玄関に向かうと、そこには後輩然とした美少女がいた。すっかり春らしくなった五月、気候は穏やかだ。その温かさに合わせるように、ひかるの装いもまた、少しばかり露出が増えていた。明るい色のシャツに、調和のとれたスカート。白くて細い手足を惜しげもなく曝け出している。というか。

 

「スカート、短すぎない?」

「そうですか?これくらい普通ですよ」

 

 膝上程度までしか覆っていないスカートを見せびらかすように、その場で一回転する。見えてはいけないものが見えてしまうのではないかと冷や冷やしてしまう一場面だった。

 

「あ、危ないぞ」

「フフッ、大丈夫です。昨日鏡の前で練習しましたから」

 

 こいつは自室で何をしているのだ。ウキウキとした様子の彼女は、いたずらっぽく微笑む。女の子らしくて、完璧に魅力的な笑み。かつては見なかった表情。

 

「じゃあ、行きましょうか、亨先輩」

 

 当たり前のように手を出してくるひかる。白昼堂々と手を繋いで歩けとでも言うのだろうか。テンションの上がった彼女は、いつも以上に遠慮や恥じらいがない。

 気分が上がると周りが見えなくなるのは男の頃からだ。変わってしまった彼女の変わらない部分を見つけて、少し微笑ましくなる。

 しかし、見目の良いこいつと手を繋いで歩くなどごめんだ。そんな恋人みたいなことをすれば、周囲の視線が突き刺さることが今から予想される。危惧した俺は、浮かれ切った彼女を正気に戻す、おそらく一番効果的だろう言葉を選ぶ。

 

「……後輩マネージャーっていうか、これじゃ恋人同士だなあ」

 

 ぼそっと呟くと、ひかるの肩がびくりと震えた。動揺を見せたか彼女は、迷うように少し視線を彷徨わせると、こちらの目を上目遣いに覗いた。

 

「い、いきましょう、亨先輩」

 

 恥ずかし気な彼女は手を突き出すこともなく、近すぎた体の距離も少し離れた。どうやら自分が浮かれすぎていたことに気づいてもらえたらしい。良かった。良かったが、俺の顔の赤みは、彼女と同様消えそうになかった。

 

 

 

 

 日曜日のショッピングモールは、予想通り盛況だった。見渡す限りの人の群れ。通路も当然人の行き来が激しく、油断すればひかるとはぐれてしまいそうだ。

 

「そういえば、ひかるは何か買い物とかするのか?」

「ええ、まあ。でもまずは先輩のお目当ての店に行きましょう」

 

 そういうと、ひかるは足早に歩きだした。前を行く華奢な肩は、人混みの中で見失ってしまいそうなほど小さい。

 

「いたっ」

 

 突然、前を行く彼女がよろめいた。人とすれ違う際に肩をぶつけてしまったらしい。バランスを崩してフラフラとよろめくひかるの肩を支える。布越しに、熱が伝わってくる。

 

「おっと……大丈夫か?」

「あ、ありがとう……その、もう離していいから」

「ああ、悪い」

 

 いきなり素に戻るのは止めて欲しい。こちらも恥ずかしくなる。俺の手から解放されたひかるは、くるりと俺の方を向くと、いたずらな笑みを作った。

 

「ありがとうございました。先輩の手、おっきくて頼もしかったですよ!」

 

 女性らしい魅力的な笑顔。彼女のその笑みに、覆い隠された嫉妬のようなドロドロとした感情を見出してしまうのは、きっと俺の考えすぎだったのだろう。

 

 

 ◇

 

 

 頬の熱を隠すように前を向いて、再び目的地へと歩き出す。足を動かしながらも、思い出すのはさきほどの亨の手が私の肩を支える感覚ばかりだ。不意に触れた彼の手は、熱くて、頼もしくて、たまらなく大きかった。

 

 本当に、たまらない。白球くらいなら易々と手の中に収まってしまうほどの大きな手。それを感じ取った私の胸はドキドキと熱を発しだし、その大きさに妬ましさを感じた頭は急速に冷え始める。

 あの日から続く私の胸の熱と、かつて失ってしまったものへの悔い。相反する感情で、私はどうにかなってしまいそうだ。

 

 思考にふける私の目の前に、大きな店舗が見えてきた。

 

「先輩、ここですよね?」

「ああ、付き合わせて悪いな」

「いえいえ、好きでやってることですから」

 

 一直線に売り場へ向かい目的の品を吟味しだす亨。相変わらず無駄なものには目もくれない。らしいなあなどと思いつつも、私もなんとなく商品を眺める。革靴、運動靴、スニーカー。メンズ向けのシューズはどれも大きい。今の私にはとても合いそうになかったが、それらを眺め続けていた。

 

「ひかる、待たせて悪い。……ひかる?」

 

 ぼんやりとする思考に亨の声が割り込んでくる。早い。また即決即断で買ったのだろう。

 

「早かったですね」

「ああ、買う物は決まってたからな。……ひかるは何か買うものあるんだっけ?」

「はい」

 

 店外に出ると、相変わらずショッピングモール内部は人でいっぱいだった。また先ほどのようなことになるかもしれない。──だから、これは仕方のないことなのだ。

 

「先輩、はぐれないように手、繋ぎましょう」

「……そうだな」

 

 大きな手を離れないようにギュッと握り、歩き出す。しかし今度は亨がスッと前に出てきた。先導することを示すように、問いかけてくる。

 

「どこに行くんだ?」

「……上です。服飾は三階」

「分かった」

 

 言葉少なく、亨が人混みを掻き分ける。その背中は大きくて頼もしい。顔が、暑い。

 

 

 

 

 店を梯子すること一時間といったところか。私はようやく買い物をひと段落した。部活動とは別種の疲労に、亨の鍛え上げられた体も疲れを訴えているようだった。

 

「疲れたなあ……ひかる、買いすぎじゃないか?」

「仕方ないじゃないですか。今まで着てた服はほとんどがダメになったんですから」

「……確かに」

 

 今着ているのは、退院直後に母に買ってもらったものだ。母のセンスが良く、気に入って着ていたが、季節の変わり目が来て流石に新しいものが買いたくなったのだ。

 

「わざわざ付き合ってもらって、ありがとうございました、先輩」

「構わないけど……男の俺が付き合う必要あったか?」

「私に似合うかどうか見てもらう必要があったじゃないですか。それに、男だから、じゃなく先輩だから、ですよ」

 

 微笑みかけると、亨の頬がやや赤くなる。フフ、動揺していやがる。

 何回からかってもいいリアクションをするものだから、私はすっかり彼をからかうのがクセになってしまった。先ほどまでの商品を使った私のファッションショーでも、亨は良い狼狽具合を見せてくれていた。

 

「ひかる、何か食べていかないか?」

「いいですよ」

 

 亨の言葉に従って下に行くと、フードコートに辿り着く。私の買い物が長引いて昼時を過ぎたせいか、人はまばらで席を取りるのに苦労はなかった。重かった紙袋を机に乗っけて、一息つく。

 

「ひかるは何を食べるんだ?」

「ソフトクリームですかね。疲れたので甘いものが食べたい気分なので」

「分かった。ひかるはそこで待ってろ」

 

 短く言うと、亨が席を立つ。私の分まで買ってくる気らしい。

 

「せ、亨!私が買いに行くから!」

「荷物でも見ててくれよ。疲れただろ」

「で、でも」

「お前が疲れてる時の歩き方の癖なんて散々見たんだよ。いいから待ってろ」

 

 少し強く言うと、亨はさっさと歩いて行ってしまった。

 ……見抜かれていたのか。私の弱弱しい脚は僅かに痙攣して、疲れを訴えていた。相変わらず、軟弱だ。

 亨の言葉を反芻する。「いいから待ってろ」なんて、温厚な彼に似合わぬ少し強い言葉。思い出すだけで少し顔が暑い。その熱は、私の弱くてすぐ疲れる体への苛立ちをかき消すようだった。

 

「ひかる、悪い。待たせたな」

「いえいえ、……さっき来たところですよ」

「……なんだそれ」

「お約束です。あ、ありがとうございます」

 

 ソフトクリームを受け取って、大きく一口食べる。冷たくて甘い。亨の方はホットドッグを買ったらしい。ケチャップとマスタードのかかったそれを、大きな口で一口食べる。

 

「たくさん買ってたけど、目的のものはもう買えたか?」

「はい、お付き合いありがとうございます」

 

 ブツブツ言いながらも最後まで付き合ってくれた亨に、本心から感謝を伝える。彼は照れくさそうに少し横を向いて、笑った。

 

「いや、俺も楽しかったからな。感謝されるようなことでもない」

「──」

 

 この男……!不意打ちとか私よりあざといのではないか?本心から言っていることが長年の付き合いから分かってしまう。誤魔化すように、ソフトクリームを舐める。白くて滑らかなそれは、口の中に甘さを残して溶けていった。

 


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