その清楚系、パチカスにつき。   作:継続率3000倍

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果てしない物語

 時を同じくして、北山宅。出ていった豊藤を姉に追いかけさせた北山はというと、

 

「狸親父か……」

「おっスーツ」

 

 トイレから戻った共子は、姿見の前で白のブラウスの襟元を整える北山を見て言った。

 部屋着から、スーツに。ビジネスシーンに向かうため、北山は数年ぶりにスーツに着替えた。在宅勤務の弊害か、それとも機会がなかっただけか――最後にこのネイビースーツを着た日はいつだったか、北山は覚えていない。

 最後にクリーニングしてから、そのまま数年ウォークインクローゼットにしまい、放置していた。体系の変化や経年劣化により着れる状態にあるかという問題があったが、3日前に試しに着てみて、胸元が少し苦しくなったこと以外はなにも問題なかった。これなら新しく買う必要はないだろうと判断し、今日これを着ている。

 姉のスーツ姿を久々に見る妹は、すらりと伸びた脚から女性の象徴たる双丘にかけて視線を這わせる。

 妹の視線に気付いている姉は、後ろにいる妹に振り返って問う。

 

「――胸辺り、不自然じゃないよね?」

「まあ、この程度なら大丈夫、だと思う。多分。……ていうか私的には、まだ成長してんのかよって感じだけれど」

「何ヶ月前から私の意思を介さずに膨らみやがった。お陰様でブラが全滅だよ。急だよ急」

「……あれ、前はなんだっけ」

「なにが」

「バスト」

「E」

「てことは、今はF?」

「いや、G」

「二階級特進!!」

「死んでない」

 

 この年齢になって、胸部の急激な成長――北山は最初、何らかの病気を疑ったが、しかし医師からの診断結果は“異常なし”。

 “異常なし”という結果がもはや異常なのだが、しかし北山の体にはそれ以外でなにか障りがあるわけでもない。

 喜べばいいのか、悪いのか。北山は使い道のない自分のものを見て、どういう感情を持てばいいのか分からなかった。

 ともあれ、北山のスーツ姿にアンバランスな感じや不自然さはこれといってなく、街や駅を歩いても奇異の目で見られはしないだろう。

 大きくなった理由がなんなのかは、気になるところではあるが。

 

「そういやなんでスーツを?」

「大東事務所の社長に、今から会いに行く」

「へぇ。なして?」

「いろいろと」

 

 星田曰く、狸親父――大東事務所の社長が、北山に会いたがっている。前に星田が北山宅に泊まったとき、寝る前に星田がそんなことを口にしていた。そこにどんな意図があるかは大体察しがついていて、北山も北山で社長に会うのには前向きだった。

 ――大東事務所の社長は、北山を取り入れようとしている。それについて直接的な言葉を、直接的にも間接的にも北山に伝えたことはない。

 だが、テスターの同級生の配信者というだけの存在にあれほどまで金をかけるというのは――有り体な話、異常だ。だからこそ、もはや隠す気がなさそうな思惑を、北山はひしひしと感じていた。

 今回、北山と社長のスケジュールの空きが重なり、果たして内容不詳の会談が催される。場所は六本木、大東事務所の社長室。

 

「守秘義務ですかい」

「まぁーね。あちらさんのどこからどこまでが守秘すべき情報なのかは分からんけれど……今は、伏せておく」

「そういう姿勢、最高に社会人って感じがする」

「1年だけでも就職して働いてみなよ。そこでしか得られない経験ってものがあるぜ」

「私、コミュ障なので……」

「高校で3年間生徒会やってた奴がよく言うよ」

「私、社会不適合者なので……」

「ホームステイ先から日本に帰るときに知り合った人ほぼ全員から見送られる奴がよく言うよ」

「……働きたくない」

「商業やってんじゃん」

 

 まあいいや。

 怠惰なのか勤勉なのかはっきりしない妹を尻目に、北山は身支度を進める。

 共子はここを出ていく素振りを見せず、リビングのYogiboのクッションに身を預け、勝手にマタドールⅡを打っている。

 

「いつまでいるの」

「一通り遊び終えたら」

 

 ……一通りってなんだ。プレミアのこと? ノーマルタイプに()()()を求めたら、だいぶ時間かかるだろうに。

 歯を磨き、メイクを終えた北山は、リビングで化粧品が入った木製のケースから香水を取り出す。

 ホワイトムスクのオードトワレ。自然派化粧品メーカーの看板商品で、就職を機に使い始めたこれを北山は今も愛用している。

 香水はいい香りを纏うのに使われるものだが、肌に直接付けた場合、香りが強く漂ってしまい――却って不快感を抱かせてしまう。

 そういうわけで北山は、香水を使うとき、体に直接は付けない。これはスプレータイプのものにしか使えない方法だが、まず前方のなにもない空間、自分の身長よりも高い空間にスプレーし、

 

「――っ」

 

 体を横に捻り、できる限り長い髪が広がるようにくるっと一回転しながらその真下を通る。

 これで、体全体にふんわりとホワイトムスクの香りが付く。北山はこのやり方を、ここ数年行っているのだ。

 

「……それで髪が傷まないってどういうことって感じだわ」

「普段のケアが丁重なんでね。ていうか……そもそも私、香水を余程使わないし」

「手入れが120パー行き届いているから香水のダメージ20パーを搔き消している、みたいな」

「まあそんな感じじゃないかな。実際は知らんけれど」

 

 会話しつつ、ワインレッドのバナナクリップで髪を留める。「赤いの好きだね」と聞かれ、「赤は最強の色だから」と返す。

 ビジネスバッグに出先で使うサーフェスと手帳、財布、鍵等々、必要な物を入れ、玄関に向かう。

 16時を回っている。扉の向こうの雨音は、姉が駅に向かうときよりも強くなっているように感じる。

 

「じゃあもう出るから、戸締り頼んだよ」

「はぁーい行ってらー――ああああああああああっ!?!?」

 

 傘を取り、共子に言って外に出た直後に部屋から絶叫が生まれたが、それはマタドールⅡの轟音と言って差し支えない告知音に鼓膜を破壊されかけた共子が騒いでるだけだ。

 なんのことはない、マタドールⅡを打つ物好きの宿命である。

 

 

 

 稲毛海岸駅に着いたと思ったら、運転見合わせの文字。別の駅から向かっても時間の余裕はあるため、稲毛海岸駅のタクシー乗り場からタクシーに乗り、JR稲毛駅に向かった。稲毛海岸駅の近くにはJR総武本線の稲毛駅と京成電鉄の京成稲毛駅があるが、稲毛駅を選んだのは、そちらのほうが六本木に早く着くからだ。

 稲毛駅で逗子行き快速に乗り、新橋駅で乗り換え。都営大江戸線の汐留駅で大門・六本木行き各停に乗り、六本木駅で降りる。

 時刻は17時25分。約束の時間は18時。大東事務所の本社オフィスがあるビルは駅から徒歩1分で着く場所にある。45分になったら駅を出ようと、ホームのベンチに腰かけ、サーフェスを取り出した。

 夏コミは終わった。書くのは、冬コミのための物語だ。同人活動最初期から書いている《グロテスク・マギア》の新ストーリーのプロット作成は終わっている。今書いているのは、現代を舞台にした、異能力が一切出てこない全く新しい物語だ。

 例によってえげつないものを書こうして、しかし北山はこの物語に限りそれをやめた。

 想像するのは、自身の後輩のポートフォリオ。新人賞を賜ってもおかしくない、あの物語たち。

 あれがどうにも、北山の創作に影響を及ぼしているようだ。

 

 

 

 18時。大東事務所本社オフィス内、社長室応接間にて。

 

「本日はお越しいただきありがとうございます」

 

 上座に座る白髪交じりの初老の男が、下座の北山に頭を下げる。大東事務所内で北山と接点があるVR事業部部長の大東は、北山から見て男の左後ろに控えている。

 で、高そうな木製のテーブルを挟み、北山の目の前にいる男こそ、大東事務所の代表取締役社長――大東富士夫(ふじお)。星田に北山を勧誘させた張本人で、北山をEveから取って食おうとする(と北山は思っている)狸親父。人が良さそうな笑みの裏にはどんな底企みがあるか――北山は、ほぼ察しがついていた。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 暑い夏にはキンキンに冷えた麦茶が一番――これは北山の持論だが、その論を知ってか知らずか、大東事務所の瑞々しい事務員が北山と富士夫の前に置いたタンブラーの中身は、奇しくも氷入りの冷えた麦茶だった。

 事務員は北山と富士夫、大東の三人に麦茶を渡し、応接間を後にした。

 北山はそれを一口飲み、喉を通る冷えた爽快感を実感しつつ、タンブラーの置き場所に困っている大東を尻目に眼前の男を見遣る。

 

「では手始めに……」

 

 男が胸元から革製の名刺ケースを取り出した。ほぼそれと同タイミングで北山も胸の内ポケットから名刺ケースを取り出し、あまり使わず十分余りがある名刺を一枚取る。

 

「テーブルの上ですがもうこのままやっちゃいましょう。私、株式会社大東事務所、代表取締役社長執行役員の大東富士夫と申します」

 

 名刺交換は基本、目下が先に渡すものだが、今回この男が先に渡してきた。部屋にこもって仕事するとはいえ、社会人の一般常識は身に着けている北山は、あまりやらない名刺交換でも冷静に対応できる。

 

「申し遅れました。私、株式会社Eve専属シナリオライターの北山洋子と申します」

 

 頂戴いたします。よろしくお願いいたします。堅苦しい遣り取りを済ませ、早速本題に移る。

 

「本日はお招きいただきありがとうございます。テスターの星田さんの力がなければ、貴方と一対一で会話するのは叶わなかったでしょう」

「いえいえ、むしろ私のほうが貴女に会いたがっていたくらいですよ。今回のお誘いを快諾していただき、とても感謝しています」

 

 それに、と富士夫は話を続ける。

 

「星田さんはテスターという、派遣社員でもアルバイトでもなんでもない立ち位置ではありますが、弊社に対して非常に大きく貢献してくださっています。そんな彼女が『配信に慣れていて、VTuberに転向しても問題なくやっていける素質と技術と意外性がある』と目を輝かせながら言うものですから、それは私も会ってみたくなるというものです」

 

 ……買い被りすぎだろ。あいつ、私のことをそんな風に言っていたのか。どういうつもりだよ。

 星田も星田で、最初は大真面目に私を大東事務所に引き入れようとしていたのかもしれない、と北山はそう結論を出し、話を続ける。

 

「なるほど、彼女は私のことをそう話していたのですね」

「ええ、彼女が貴女の話をするときは、人が変わったかのように顔を紅潮させ、息も荒く――」

「いえ、もうこの話はよしましょう。私のなかでの彼女のイメージが崩れてしまいます」

「おっと」

 

 星田さん、あんたそういうキャラだったんすか。意外と演技派っすね。いやもちろんこの野郎の冗談ってのは分かっているが。

 富士夫の後ろ、控える大東も咳払いをし、自分の父親にあたる男に「話を進めろ」と険しく促す。

 

「失礼、早速本題に入りましょう」

 

 全く、やっと本題か。

 富士夫も富士夫で咳払い。北山も姿勢を正して話に臨む態勢を作る。

 やがて、富士夫は核心的な話を、なにも包み隠さずストレートに話し始めた。

 

「複雑怪奇、しかし緻密で綿密なストーリーをいとも容易く書き上げる聡明な貴女なら、もう既に察してはいるでしょう」

 

 一息吸い、間を入れて、

 

「私は星田さんから貴女を知ってから、すぐに弊社に組み込んでやろう思い、行動に移しました。星田さん含め、元々いた三人のテスター集団の新規メンバーとして勧誘するように命令したのは私です。私の数十年来の親友であるEveの社長からゲームのコラボ先に部下が悩んでいるという話を聞き、弊社のテスター組とコラボしないかと誘ったのも私です。弊社の主力製品《D-Tracker》を用いた配信に、貴女を誘うよう最終的に判断したのも私ですし、それに係るアバター制作費用とトラッカーの特注費用を負担したのも私のポケットマネーです」

 

 そう、

 

「大東事務所が係わった出来事、その全ては私の命令によるものでした」

 

 

 

 北山が特別驚いたのは、あのパチンコ屋での配信――戦姫絶唱シンフォギアと高須クリニックのパチンコ実践の配信だが、それに係わる全ての費用は大東富士夫が全部一人で持っていたことだった。

 ……あの男は会社のために、それほどまでして私を欲していたのか。ここまでしていたら、ある程度私利私欲が入っていてもおかしくないと思うが、しかしあの男の私に対する視線に()()()()()()()は含まれていなかった。それはまるでドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの少年を思わせる綺麗な瞳のようで――大東富士夫の視線は、それと同じく夢をまっすぐに追いかける少年のそれだった。

 純粋に大東事務所の名をもっと世に売り出すため――とはいささか考えづらい気もするが、しかし大東富士夫が大東事務所のために北山を欲するのは、それこそ純粋な思いであった。

 

「……」

 

 目の前の回胴機、向かって左のサブ液晶には軽快なリズムの曲に合わせて踊るポニーテールのダンサー。中リールのビタ押しが不安定になるぐらいには、あの男の想いに思考を邪魔されていた。




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