その清楚系、パチカスにつき。 作:継続率3000倍
新刊拒否
「なんでこんな単純なことを忘れていたんだろう……」
7時30分、サークル入場が始まる。各ホールの所定の位置にサークル入口があり、そこでサークル参加者はサークル専用通行証をサークル用参加証と引き換える。この参加証はリストバンド形式で、受け取ったら北山は即座に自身の左手首に巻き、
西1ホールの出展サークル、ジャンルは3日目から男性向けで構成される。北山のサークル《北山》も頒布する本が男性向けであるため、3日目である本日この西1ホールにサークルを配置された。物が創作の小説なだけにジャンル的には“創作”が向いているかもしれないが、内容的にはそれに適さない。よって“男性向”なのだ。
《北山》は“れ列”に配置されている。れ列は壁・シャッター前配置で、いわゆる壁サークルと呼ばれる面々の配置だ。北山のサークルは西1ホールを俯瞰してみて、左側の壁、その一番下の角の集まりに配置されている。そこを目指し、各々自分のスペースに散る参加者に混じって北山もキャリーバッグを引いて歩く。
前日、印刷会社からの直接搬入に立ち会ったのもあり、自分のサークルの場所は既に把握していた。新刊が包まれた紙梱包は、1サークルにつき幅90センチ、奥行70センチ、高さ150センチの制限内でコンクリートの床に規則正しく整列している。内訳は、新刊である北山原作の小説『グロテスク・マギア』の最新刊を400部、新しく刷ったシリーズ第一巻100部の合計500部、10梱包。北山が贔屓にしている印刷所は、一部の大規模な同人誌即売会(コミケ以外の例を挙げると、COMITIA、J.GARDEN、博麗神社例大祭など)では本の梱包は基本的に段ボールではなく紙が使われる。今回も例年通り紙梱包での搬入であった。両隣のサークルは北山とは対照的で、いくつもの段ボールが積まれている。
積まれた荷物の側には、今回のコミケ用に新しく作ったA0サイズのポスターが丸められて置いてある。ポスターの絵は新刊の表紙と同じだ。
「おはようございます。よろしくお願いします」
「あっよろしくお願いします」
自分の左隣のサークルは既に設営を始めていた。他ジャンルを描く、知らないサークルだった。
北山が挨拶すると、サークル主らしき眼鏡をかけた40代と思しき男性が、設営を進めつつ北山に返した。
ひとまず北山は、重なる梱包を1つ手に取って机に置き、封を解く。ガムテープをワインレッドのチェスターコートのポケットに突っ込み、中身の新刊を手に取って眺める。
……表紙よし、裏表紙よし。中身は……オーケイ。
乱丁、落丁、印刷ミスといった製本に係るミスが見当たらないのを確認した北山は、設営の邪魔にならないように包まれた新刊らをスペースの範囲内で右にどかし、設営を始める。
パイプ椅子2つを展開して机に並べたら、スペースの後ろでキャリーバッグを開く。グロマギのメインヒロインが描かれたテーブルクロスを取り出して机に敷き、先程開封した新刊50冊と新たに開封した第一巻10冊を上に置く。そして本の前にあらかじめ用意した値札を置く。新刊、第一巻ともに500円。
品書きを吊るすための卓上ポスタースタンドはまだ置かない。並びが予想されるからだ。勘定の邪魔になる。
壁に貼るポスターもまだ貼らない。女性のなかでは高身長を誇る北山だが、本日売り子を頼んだ二人のうちの一人が北山よりも高身長で、その人に貼ってもらったほうがポスターの位置がより高くなるからだ。
サークル受付――「参加登録カードの提出」「頒布物の確認」「見本誌の提出」、この三つを行ってやっと頒布が行える。北山は前日、一般入場で事前受付を済ませておいたため、本日これを行う必要はない。
今北山がやることと言えば――一般参加者向けの見本誌を作ることぐらいか。ビニール製ブックカバーを2枚取り出し、新刊と第一巻の1冊を覆う。下側、帯が巻かれる位置に短く切った白い養生テープを貼り、そこに油性ペンで“見本誌”と書いて頒布物の山に置いた。
「よし」
今やれることは全てやった。キャリーバッグを閉じて壁際に置き、椅子に座る。あとは売り子の二人を待って、早朝の己に反省を促すため『黒死館殺人事件』の読もう――と北山が思った矢先、
「あっあの……すみません、山電氏さんで合ってますか?」
あ?
自分を呼ぶ声が至近距離で耳に届き、思わず声を出しそうになった。開きかけた口を思いっ切り閉じてスマホから目を離し、話しかけてきた相手を見遣る。
ベージュのダウンを着た女性だった。北山の記憶にない顔で、初対面。手に持っているのは、恐らく女性が書いた本。これが示す意味は、北山が思いつく限り、一つだけ。
――新刊交換である。
「あれぇー!? 『当サークルでは新刊交換は誰であってもお断りしています』っていつもツイートしてるはずですけれどぉ!?」――と今すぐ叫びたい気分だったが、さすがにこの場でそうするわけにはいかない。叫んだら白い目を向けられるのは目の前の女ではなく北山だからだ。
北山はあるときから新刊交換を断ってきた。自分の本を本当に欲する人と、新たに自分の本を読み始める人に、本が十全に行き渡らなくなるのを阻止するためだ。新刊交換などで何冊も使うわけにはいかない、と北山は心に決めているのだ。
とはいえ、わざわざ自分なんかに出向いてきてくれたのだ。新刊は渡さないし受け取らないが、名前と顔は覚えておこう。
徐に立ち上がり、目の前の女性に対し、努めて柔らかい口調で話す。
「はい、私が山電氏です」
自分が山電氏であると認めると、女性の口が一気に早くなる。
「あの、私、VythonというVTuberグループのメンバーのキャラデザなどを担当している浅利しぐれと言います」
随分と美味しそうな名前だ。好きな食べ物なのかなぁ。
「自分が担当しているVTuberの子から山電氏さんの本を薦められて、それが凄く面白くて、そこからクレアもプレイして、それもとっても楽しくて、その――」
「抑えて。抑えて」
――目の前に好きな作家がいたとして、果たして興奮を抑えていられるか。それが音楽のアーティストで、場がライブなのであれば好きなだけ叫んで飛び跳ねればいいだろう。
しかし相手はシナリオライターないし同人作家で、この場はコミックマーケット。安心安全なコミケのために、激情は抑えて然るべきだ。
「……新刊交換ですよね?」
「あっ、はい!」
「すみません、新刊交換は受け付けていないんです。嬉しいのですが、お気持ちだけで十分です」
北山が言うと、一瞬面食らった浅利は「あ」とか「えっと」と少し狼狽えたのち、
「時間を取らせてすみません! 失礼します!」
と、最敬礼したのち、足早に去って行った。
……なんだ、この謎の申し訳なさは。
浅利が去って行ったほうへ、北山は取り急ぎ手を合わせた。
「ここでいい?」
「おー、上等上等」
確認を取った売り子は、北山が用意したポスターをガムテープで壁に貼り付ける。
貼られたポスターは両隣のサークルのものより幾分高い位置に貼られていて、かなり目立っている。
「サークル受付はもうやったか」
「昨日事前に済ませておいた。あとは開会を待つだけ」
「そうか。じゃ、新刊読んだろ」
北山の隣に座った売り子――北山よりも背が高いこの男の名は、
個人サークル《北山》では、いつも大学時代の友人とその彼女に売り子を頼んでいたのだが、今回はどちらも都合が合わなかった。どうしようかと悩んでいたとき、そういや
グロマギの新刊の見本誌を手に取り、読み始めようとした高砂は、左隣に座る北山に訊いた。
「もう一人の子は?」
「もうすぐ来るはず」
売り子は二人。一人は高砂で、もう一人はコスプレしてからここに来る。
現時刻、8時15分。それほど難易度の高いコスプレではないため、そろそろ北山のスペースに来るはずだ。
「なんのキャラのコスプレなんだ」
「表紙のやつ」
グロマギ最新刊の表紙を飾るのは、短い黒髪の魔法少女。メカニックな衣装を纏った魔法少女は一般的に連想される魔法少女の衣装より随分とSF色が強く――この手の作品でよく見るような、肌にピッタリと張り付いた装束とはまるで逆を行っていた。日焼けした肌と黒髪との相乗効果でミステリアスな雰囲気も醸し出している。
これから来るもう一人の売り子は、このキャラクターのコスプレをしてくる。
「へぇ。それは楽しみだ」
「あまり下衆な視線を向けないようにね。彼女、その辺鋭いから――おっ」
言っていると、人が行き交う通路の奥から、白のジャンパーを着た小柄な女性がカタログ付属のマップ片手に歩いてくるのが認められた。
キョロキョロと周囲を見回している、黒髪褐色肌のその人こそが、もう一人の売り子だ。
北山が手を振る。それに気付き、歩く速度を速めて近づいてくる。
そしてサークル前で足を止め、
「お待たせしました! 今日はよろしくお願いします!」
「よろしくね、左野ちゃん」
机を挟み、北山と高砂の前でお辞儀する。
彼女の名は、
サークル参加経験者にこの話を添削してほしく思う今日この頃。
久々なキャラ二人が登場。男のほうはともかく、女のほうは後に絡みが生まれそうですね。
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褐色は世界を救う