その清楚系、パチカスにつき。   作:継続率3000倍

43 / 62
私の初めて

 星田の声色は極めて穏やかだ。震えは一切ない。これから話題を深いところ、重いところ、険しいところに進めていくのだろうが、しかしそれを感じさせない軽やかさでだった

 綻んだ口元に強張りはない。上気した赤い頰はサウナだからだろう。紡いだ言葉からは考えられない微笑みが、北山に真っ直ぐ向けられていた。

 

「ここまで聞いて、私のお母さんの印象はどんなものかな」

 

 躰に汗が伝う。睫毛に乗っかった目に入りそうな粒を人差し指の腹で拭う。瞬きしたのち、

 

「……自分の意思を娘に無理強いし、全く聞かないので失望した親」

 

 正面を向いて、言い捨てた。

 足を組み、その上に頰杖をつく。意味もなく右足の指をぐにぐにと動かす。

 北山の答えを聞き、特に驚いたような素振りは見せなかった。ただ口元を覆って少し笑い、話を続ける。

 

「小学生の早いうちから『興味のない物事に興味を向けることは一切ない』という頑強極まった意思を持ち、それを表に出し示していた私を見て――自分にはどうすることもできない、どうしようもない子供なのだと悟ったのです」

 

 星田の母親たる星田明美は、自身の娘の性質を理解し、失望したのだ。その落胆たるや、凄いものがあったろうな。

 そろそろ出ようか、と星田は立ち上がり、サウナから出る。北山もそれに続く。

 話の途中だが、サウナの作法を星田からレクチャーしてもらう。サウナから出たあとは汗を流すために必ず掛け湯し、水風呂に浸かる。浸かるのは強制ではないが、いわゆる『ととのい』のための近道となる。掛け湯用の蛇口から出たぬるま湯を洗面器に受け、肩から掛け流す。全身を這った汗が根こそぎ流れていくのが快感だ。

 水温は16度。寒中水泳に比べればまだ優しい温度かもしれない。冷たい水面を足の指先でつつくと、円形の波紋が広がった。先に水風呂に浸かりに行く星田の慣れた動作に感心しつつ、右足から恐る恐る入ってみる。

 

「……よく入れるな、ここに」

「慣れだよ慣れ。16度はサウナの水風呂としては平均的じゃないかな」

「へぇ。そうすか。うわ冷たっ」

 

 心なしか北山の声色も冷たくなっていく。熱いぐらい暖かいところとは真逆のような環境に移るのが信じられないのだ。波打って跳ねた水がふくらはぎにかかって音を上げる。そんな様子を見て、星田は楽しそうに笑みを浮かべた。

 それから頑張って両足を入れ、ゆっくり腰を下ろす。急に熱めの湯船に浸かり体が痒くなるのとはまた違った、そもそも入れていく時点で感じる抵抗感。ゆっくりねー、頑張れー、と星田が鼓舞してくる。それから30秒ほどかけて、やっと肩まで浸かった。

 

「何秒浸かってればいいのこれ」

「まあ大体1分でいいんじゃないかな。私は30秒で出るけれどね」

「あーじゃあそれでいいや」

「じゃあ30数えようか」

「小学生かよ」

 

 数えはしなかったが、それから体感30秒浸かり、またゆっくりと立ち上がる。立ち眩みを防止するためだ。滑らないよう足元に気を付けて、手すりに摑まり水風呂を上がる。

 水風呂のあとは外気浴。体を休め、余韻を楽しむのだ。

 備えてあるハンドタオルを取り、体全体を大まかに拭く。水滴が付いたままだと、気化熱によって体温を奪われてしまうからだ。冬場での外気浴は、特に水滴を拭き取ってから臨みたい。

 外に繫がる扉はガラス張りの引き戸で、烱然たる遊技機の1677万色にしてやられた両目を凝らしてみると、その先に見えるのは黒いフェンスばかりだ。取っ払ったほうが開放的でいいのではと首を傾げるも、ここが名古屋随一の歓楽街であることにすぐ気付く。

 戸を開けて外に出る。名古屋の冬の寒さは物心ついたときにはもう知っていたが、しかしまさか自身の全裸をもって体感することになるとは、北山は思ってもみなかった。ああ、栄ってこんなに寒いんだなぁ。二の腕を摑んでさする。水を含んだハンドタオルが冷えていくのを自身の二つの果実で感じ取る。腿に水が滴り、重力に従って足先まで伝ってゆく。

 外気浴スペースは、定員2人のサウナルームにして広く、なかなかどうして開放的だ。だというのに、二つある椅子の距離がかなり近い。

 

「フェンスあるから風が直で当たらないのはいいねー。夏場はいいけど、冬場の外気浴は結構しんどいんだ。風邪引きそうになる」

「駄目じゃねぇーかよ」

「それでも外気浴は必要なことなので」

 

 言いつつ、椅子と椅子の間の丸テーブルに置かれた洗面器に押すタイプの蛇口から湯を出して注ぐ。なみなみと溜まったら、フェンスのほうを向いた椅子二つにかけてやる。椅子の、肌と接触する部分を洗い流し、ほんの一瞬だけ温まる。

 

「水風呂の側で突っ立ってるだけでよくないか」

「内気浴より外気浴のが好きなので」

「テメェの好みじゃん――うわ冷たっ」

 

 外壁から突き出た、橙色の灯りに照らされたベージュ色の安っぽいプラスチックチェアに腰かける。かけた湯の温度は当然感じない。寒さが移ったプラスチックの無機質な冷たさを、腿や臀部や腰に受ける。(場所を考えると適切な比喩表現ではないかもしれないが)温める機能がない便座に座ったときのような、小さくない衝撃が口から出る。ほぼ同時に、同じようなリアクションが隣から聞こえた。肘置きに体重を乗せ、なんとなく、特になにも考えず口に出した。

 

「サウナ行く奴ってもしかして被虐体質の輩?」

「あるかもね。バイク乗りと一緒だよ」

「へぇ。そう」

 

 星田の回答、北山には心当たりがある。下唇をくにくにつまみながら考えた。

 確かに私は真夏のツーリング中、信号待ちのなかで999Sが放つ熱を内腿に受けて「たまんねえわ」とニヤニヤしながらつぶやいたことはあるが、しかしそれは被虐体質によるものではない。炎天下のなか愛車で長距離を走るという愚かにも見える娯楽的行為に対して言い放ったものであり、断じて私は被虐体質ではないのだ。自身を壮大に棚に上げて、北山はそう結論付けたのだった。

 乱れたタオルターバンの位置を直す。これはどのタイミングで取ればいいのだろう。そんなことを思いながら、首にかけたハンドタオルを手に取り棒状に丸める。両手で摑み、左側、星田のほうに腕を伸ばしてタオルを捻る。沁み出た水が落ちて木製の床に当たり、跳ねた細かい水滴が星田の右足にいくつも付着した。驚いたのか、ビクリと右足を浮かせ、ジト目を向けてくる。へへっと意地悪く笑う北山の表情は、なるほど満足気だ。

 

「で、どのくらいこうしてればいいの」

「ネットとかでいろいろ言われているけれど、私の場合はサウナに入ってた時間の2倍ぐらい。でもこの気温で10分もいたらさすがに凍えそうだから、まあ3分とか4分でいいんじゃないかな。水風呂入ってからの自律神経は大体1分とか2分とかで整うらしいし」

「エビデンスあんの?」

「Google先生が教えてくれた」

「ネットかよ。学術的なのは」

「さあ」

「おいおい」

 

 自分が気持ちよくととのえばオッケーだよ。フィーリングフィーリング。そう言う星田のあまりの適当具合に北山は呆れ、北山を見て星田はからからと笑った。北山の反応を楽しんでいるようにすら見える。こんなちゃらんぽらんな奴だったっけ。細目で星田の横顔を見遣り、やがて前を向いて溜息をついた。

 

「じゃ、話の続きね」

 

 声色は至って陽気だ。話していた話題とかけ離れた、仄暗さや重苦しさを一つも感じさせない、気持ちよくすらある声。続く話が星田にとってネガティブなものであるのなら、その明るさは到底理解できない。それほどにまで、喜色に満ちている。

 目を閉じ、耳を傾ける。視覚情報を遮断し、星田の口から紡がれる星田自身の過去を聴き取り、触発されて浮かび上がる感情を受け止める準備をする。

 間を少し置かれ、やがて星田は語り出した。

 

「興味のないことはどうでもいい――そんな自己主張をなにがなんでも曲げようとしない、超が付くほど頑固な娘に母親は愛想を尽かしました。私が小学5年生――子育ての序盤もいいところで、お母さんは私になにも望まなくなりました。……ところで、何故私を学習塾に入塾させたのでしょう。私が勉強をしない性質であるのを知っていて入れさせたのは、一体全体どうしてか。あの人は聡い。生まれ持った地頭のよさと、難関私学の医学部に合格できるほどの頭のよさ。それらを持ったならば、私が塾に入ったって金の無駄であるのを考えないようにしようとも考えついてしまうはず。ハイリスクローリターンもいいところ。だから、何故なのか。北山さん、答えをどうぞ」

 

 急に解答を求められた。目を閉じている北山にはなにも見えないが、声の飛ぶ方向からして星田はこちらを向いている。

 話の途中で思い浮かんだ三文字を、間髪入れずに口にした。

 

「世間体」

 

 言うが、しかし星田はなにも言わない。ぽたりと、雫が落ちる音が鼓膜を掠める。間髪入れずに、解答を続ける。

 

「を気にしていると見せかけて……()()()()()()()()

「ふふっ」

 

 星田の一拍開いて反応があった。その声は、どこか満足げだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 明らかに含みのある言葉を咀嚼し、いやに艶っぽく言うなぁ、と場違いなことを考えた。

 

 

 

 その後も北山は、星田の話を静かに聴いていた。自身の生い立ちとその間の出来事といった、端的に言えばプライベートの話を、ほとんどなにも言わずに聴いていた。

 実家は高所得層の住宅地にある。星田家と同じ核家族が近隣に何世帯もあり、その悉くが私立小学に通っていた。また、母方の伯父は息子を難関私立中学に通わせていた。早い時期から子供に英才教育を受けさせる親たちとら、高い志を持って先を見据える娘と同世代の子供たちを見て、母は危機感を抱いた。強い我を持ち、なにも考えず好き放題に好きなことをする自身の娘を比べてしまった。

 風当たりと、将来。そのことを気にし、少しでも真っ当な人間になるよう、厳しい学習塾に入れさせた。少なくともその頃の星田は、そう思った。

 

「しかし違いました。なにもかも、母の掌の上でした」

 

 中学生になり、漫画やアニメ、ライトノベルに目覚めた星田。漫画を読みふけり、休日は寝る間を惜しんでアニメをリアルタイム視聴。学校ではオタクをひた隠し、下校中に歩きながらライトノベルを読む。勉強は授業と出された課題だけやるという最低限のもの。

 中学二年生の学年末考査。いずれの教科も赤点をすんでのところで回避という危なっかしい結果に終わった。答案を残すとそれを見た父に叱られるため、コンビニのゴミ箱に捨てるのが通例となっていたが、しかしこのとき、それを忘れていた。テスト最終日に立ち寄った書店でまとめ買いした、当時人気を博していた『ローゼンメイデン』。4巻まで出ていたそれに夢中で、答案の後始末など頭の片隅にもなかったのだ。

 翌朝、目が覚めたと思ったら部屋の奥に母がいて、プリント数枚を読んでいた。宿直明けだったらしい。寝起きの両目を擦り、目を凝らしてみると、母が手に持っていたのは紛れもなく考査の答案だった。起きた自分に気付いた母は、振り返るや否や、

 

「これで満足しているのかしら」

「半端な学校にしか入れないわよ」

「アニメとか漫画ばかりだからこうなるのよ。あんなもの、どこがいいのかしら」

 

 などと無表情で言い放った。寝起きの脳を覚醒させて余りある強烈さを持った言葉を受けた星田は、特に最後の言葉については到底納得できなかった。

 それは関係ない。言うと、

 

「本当にそうかしら。少なくとも、アニメを観る暇があったらワークやドリルを何ページも進められるはずよ。でも……あなたはそもそもやる気がないのよね。それ以前の問題だものね」

 

 はあ、と溜息をつかれ、プリントを持ったまま部屋を出ていこうとする。それをどうするのかと訊くと、代わりに捨てておいてあげる、と相変わらずの鉄仮面のまま口にした。

 

「最低限、星田の名に泥を塗らないよう努めなさい。サブカルチャーにうつつを抜かして頭も悪いなんて、恥ずかしくなるのは親のほうなのだから」

 

 その言葉に、星田は腹の奥底に憤怒が燃え滾っているのを静かに感じ取った。確かに、漫画を読む時間を勉強に回していたのなら、今回の考査の点数は違っていたかもしれない。それは重々自覚している。“やる気がないから勉強していない”だなんて、結局は趣味のための口実でしかない。心のどこかでは、将来の選択肢のために勉強をしておかなければならないと分かっていた。それぐらいは、自身の成長とともに受け止めていた。いつかはやらなければならない。そう思っていたのだ。

 

「だけど自分の好きなものを馬鹿にされるのはまるで納得いかないっ!」

 

 大声を出す同級生に驚き、思わず目を開いた。星田は外気浴の体勢を崩すことなく、しかし威勢のいい大声を上げた。その目元は、僅かに歪んでいる。

 

「『納得』は全てに優先する!! そう思わない!?」

「ジ、ジャイロ」

 

 急にネタを突っ込まれ情緒が乱れる北山を尻目に、星田は思いを熱弁する。

 

「だから私は決心したの。趣味と勉強を両立してやるって! 遅くまで漫画とラノベ読んで、夜が明けるまでアニメ見て、それでいて学年1位の女になって見返してやるって誓ったの!」

「ああ……なるほど」

「しかし、私はあるとき気付きました」

 

 言葉を区切り。力を込め、ガバッと北山のほうに体を捻り、

 

「全て母の計画通り! お母さんは私がそうなるように私を巧みに誘導していたのですっ!!」

 

 

 

 サウナ、水風呂、外気浴。このサイクルを2、3回繰り返す。サウナを楽しみ、ととのうためのオーソドックスなルーティン。これを終えた二人は帰り支度を済ませ、大津通を南に向かっていた。行先は北山の実家。時刻は5時を回っている。

 タクシーでの帰宅を提案したが、せっかくだから夜明け前の名古屋を楽しみたいという星田の希望で、半刻ばかりかかる道程を歩き進めていた。夜が明けるにはまだ早く、薄明な空になるにはまだ時間を要する。足元から伸びる影は、歓楽街の多種多様な街路灯や看板の光を受けてできたもので、進むたびに様々な形にその姿を変えている。

 栄の気温は僅かに零度を下回っている。北方向の微風が街を泳いでいる。寒くはあるが、サウナに入ったからか、なんだか体の奥が温かい。気のせいかもしれないが、心地いい。

 二人して溜息をつく。白い息がうねり、風に流され後ろに消える。星田を見ると、同じように北山を見る星田がいて、なんだか無性に笑えてきた。

 

「偏差値は、まあそれなりに高い高校ではあったけれど……まさか京大に合格するまでになるとはな」

 

 しかも現役で、と付け加える。

 

「あのときは色々おかしかったから」

 

 と星田は過去を振り返って遠い目をした。

 二人の母校は、千葉県千葉市にある公立高校だ。私立含め、県内の高校ではトップクラスの偏差値を誇る。そんな学校に入れる時点で聡叡なのは明々白々だが、そもそこまでの学力にたった一年で上り詰めるのは、誰にでも真似できることではない。その上、高校卒業後は京都大学に進学。しかも学部は理学部。星田はまさかの理系だった。これはさすがの北山も想像できなかった。ちなみに、今の職のファッションデザイナーは高校在学中に志したらしい。そこからほぼ独学で学び、職に就いたそうだ。

 高校時代の星田を思い返す。学校で星田と言葉を交わしたのは、たった一度のみ。あのチャラチャラした平成ギャルもいいところの星田は、あれでいて下から這い上がってきた、叩き上げの人間だったとは。その頃の自分にそう伝えても信じないだろう。今だって信じられていないのだから。だが、嘘を言っている様子もない。

 意外な人が、意外な道を歩んでいるのだな。人生の形は人それぞれで、しかしながら度し難い。

 丁度反対車線にある栄広場――通称“ドン横”を見遣る。ドン・キホーテの隣にある広場だからドン横だ。その広いスペースに、北山より少なくとも10歳は若そうな男女数人が団欒している。缶酎ハイやビール片手に肴を食らい、楽しそうに喋っている。

 あれも一つの人生の形だ。疑いようもない。見るのをやめ、前を見る。

 

「親ってのはまあ怖ろしいものだね」

「本当にね。ビックリしちゃった」

 

 高校生時代のある日、両親の会話を盗み聞きした星田は、自分が母親の思惑通りに動いているのを悟った。誘導にまんまと乗せられ、勉強していることに気付いたのだ。

 それと同時に、冷徹なまでの鉄仮面から漏れ出た本音を、あの日の憎まれ口の陰に隠れた真実を、星田は思い知ったのだ。

 

「だけど……それならそうとなんで最初から言ってくれないんだって、今でも思ってる。そう言ってくれたのなら、また違う形でやる気出してたかもしれないのにって」

「それはない」

「ないか」

「ないな、話を聞く限り。私と星田は出会っていなかっただろうよ」

「それならお母さんに感謝かな」

「私と会っても会わなくてもプラスにはならなかったと思うぜ」

 

 言うと、右を歩く星田が北山の右腕を摑んだ。優しく、そっと。

 

「プラスだよ」

 

 たった一言、ただそれだけで、北山な顔を逸らさせるには事足りた。

 

「照れてる。可愛い」

「やめろ」

 

 へへっ、と満足げに笑い、やがて星田は腕を離した。

 28歳の赤面なんか需要ねぇだろと内心愚痴っていると、胸ポケットのスマホが震えるのを認めた。パターン的にアラームではない。電話の着信だ。取り出して見てみると、画面上部に銀子と書かれている。電話の主は姉だった。応答し、左耳に当てる。

 

「どうした」

「あら、一発目から出たわね。パチンコどうだった?」

「私はタコ負け。星田は快勝」

「ご愁傷様。それはそうと今どこにいるの」

「栄のドンキ通り過ぎたあたり。実家に向かってる」

「それなら丁度よかったわ」

 

 姉なら普段寝ているような時間帯だが、なにか急用でもあるのだろうか。少し身構えると、よいしょ、という声の向こうで、ガラガラとなにかが動いている音が聞こえた。

 北山には分かる。姉は今、玄関から外に出た。

 

「お父さんが帰ってきてる」

 

 そして、キャリーバッグを引いているのだと、すぐに分かった。

 

 

 

 大須神社は、わんぱくどんぐりひろばという幼児向けの公園の敷地内に鎮座している。小さな社のそれを大須神社と北山は呼んでいるが、実際のところ正式名称は不明で、ネットで調べても情報は全く出てこない。ただGoogleマップの登録名が大須神社であるので、北山は便宜上そう呼んでいるに過ぎない。この地にまだ住んでいた時期は、単に神社と呼称していた。

 実家から徒歩5分の距離にあるそこを、銀子は待ち合わせ場所に指定してきた。二人が着いたのは、5時40分前だった。

 

「こっちこっち」

 

 夜明けの気配を感じさせない、暗く静かな住宅地。街路灯の白い光に照らされた人物が、二人を認めて手招きする。

 

「二人ともあけましておめでとう」

「あけおめ」

「あけましておめでとうございます」

 

 今年もよろしく云々、年始の挨拶も早々に、二人を待っていた銀子はキャリーバッグを二人に渡す。

 

「外に出てた荷物ぽいものは取り敢えずそのなかに突っ込んだから。一応今確認して。急いで持ってきたからあまり確認できなくて」

「風呂場のシャンプーとコンディショナーは」

「ビニール袋に入れてから入れておいたわ」

「じゃあ大丈夫」

「私も大丈夫です」

 

 その場でバッグを開き確認。不足はなかったようだ。銀子は安堵し、公園の柵にもたれかかる。

 

「あの、どうしてわざわざ?」

 

 自分たちの荷物なのだから、そこまでして気を遣う必要はないというのに。星田の疑問は当然のことだろう。それを察してか、銀子は僅かに眉尻を下げ、困ったように笑いながら説明する。

 

「この子と親が、ちょっと仲悪くてね。あまり同じ空間にいさせたくないの」

「……そうでしたか」

 

 レスポンスにほんの少し間があった。その短い間のなかで、察したものがあるようだった。

 

「そういうこった」

 

 北山はばつが悪そうにしている。それが、この話題の打ち切りの合図だった。銀子は苦笑し、話を切り替えた。

 

「二人はもう帰るの?」

「やりたいことやったしな。私はもうしばらく打ちたくねぇ」

「コテンパンにやられたからね」

「もう、計画的にしなさいよ」

「わぁってるよ」

 

 北山と銀子のやり取りに星田はクスッと笑みをこぼす。

 そっか、と両手を合わせた銀子は小さな社を一瞥して、二人に訊いてくる。

 

「初詣はした?」

 

 初詣。そのワードを聞いて、ああそういえば今日は元日だったな、と思い至る。

 名古屋に住んでいて、初詣に行こうと考える。近場の神社以外で最も多く挙げられる大きな寺社というと、三種の神器の一つである草薙剣が祀られている熱田神宮、日本三大観音の一つである北野山真福寺宝生院こと大須観音、三重県伊勢市にある日本の本宗たる伊勢神宮の三つだろう。三人が今いる場所から近いのは大須観音だ。

 北山は眉を顰め、小首を傾げる。

 

「私が行くと思うかね」

 

 なにを言っているんだと言わんばかりの、心からの疑問だった。

 そんな反応に肩をすくめて、

 

「行かないでしょうね」

 

 銀子は苦笑した。

 

「なんで行かないの?」

「神頼みが嫌だから」

「わあ、北山さんらしい」

「別に初詣はなにかをお願いするだけじゃないのよ。過去一年分の愚痴を叩き込むのでも全然あり」

「不敬だな」

 

 ははは、と愉快そうに北山が笑う。そのたびに、大きく開いた口から息が白く揺らいでゆく。

 

「さっお参りしましょ」

 

 姉の視線の先の、大須神社。まだこの地に住んでいた頃、家族が大須観音にお参りに行くなか、人混みを嫌ってこの神社に手を合わせた自身の姿が思い浮かぶ。

 自分の願いは自分で叶えます。なので、上から見ているだけで十分です。命の危機に瀕したときはよろしく頼みます。神にそんなことを報告したことがある。随分捻くれた子供だったな。その頃から自分は、あまり変わっていないように思う。

 賽銭は箱がないので、社の手前に置く。北山が財布の小銭入れから取り出したのは、25Φのメダルだった。遊技中に手からこぼし、紛れ込んだのものだ。それに気付いた星田に白い目を向けられるが、意に介さない。

 離れ、三人横に並ぶ。北山は中央に立ち、右に星田、左に銀子。鈴はついていないので、いきなり二礼二拍手一礼。北山は最後の一礼だけ行った。

 久方ぶりの初詣。それこそ十数年振りだ。北山は神に色々言い、そして目を開いた。

 

「なにかお願いした?」

 

 姉が訊いてくる。別になにも、と素っ気なく答えた。

 

 

 

「もう電車は動いてると思うけれど」

「いいよ別に。これぐらい奢るよ。いっぱい勝ったし」

「クソッ」

「お金を持つと心が豊かになるわよねぇ」

 

 星田はアプリで配車したタクシーの運転手にキャリーバッグを渡している。星田を尻目に悪態をつく北山を見て、銀子はおかしそうに微笑んだ。

 北山は自分のバッグを助手席に置いてもらった。

 

「私のフェアレディ、2人乗りなのよねぇ。乗せられたら駅まで送ってあげたのに」

「じゃあ2台目買っといてくれ。VOLVOは頑丈らしいよ」

「はいはい、琴線に触れたら買うわ」

「買うんだ……」

「昨日からありがとうございました。楽しかったです」

「いいえこちらこそ。次会うときを楽しみにしているわね」

 

 あっそれと――と、銀子は星田の耳元でなにか囁いた。北山にはもちろん聞き取れなかったし、内緒話を聞き出そうとするほど野暮ではない。

 

「それじゃあね」

「はいっ」

 

 そうして、二人はタクシーに乗り込んだ。行先を伝えると、やがてタクシーは走り出した。

 手を振る姉に星田は手を振り返したが、北山は特になにもしなかった。

 

 

 

 東京へはどうやって戻ろうか。そんな重要な問題を、名古屋駅に入ってからようやく考え始めた。

 特急を乗り継いで戻るか、在来線で戻るか、それとも高速バスで戻るか。話し合いながら新幹線の空席を調べるも、空く気配はなかった。安いのは在来線で安く戻るルートだが、それでは時間がかかるし、疲れる。それなら特急にするかと考えたが、時間的に電車が見つからない。それならば高速バスだと結論を出し昼便を調べると、奇跡的にも空席があった。しかも、2人並んで座れる。価格は昼便にしては少々かさむが、年始であるのを考えると致し方あるまい。ネットで注文し、事なきを得た。

 バスは太閤通口の乗り場から7時に発車する。それまでの約1時間をすき家での朝食と移動で潰し、どうにか乗り込むことができた。

 東京に着くまで5時間ばかり。疲労と眠気がドッと襲いかかり、着くまで二人は一回も起きなかった。

 

 

 

 東京駅に着き、改札へと向かう道中――ふと思ったことを、星田に訊ねた。

 

「そういえば星田って今どこに住んでるの」

「今はお父さんが独身時代に住んでた南青山のマンションに住んでるんだ」

 

 一人暮らしにはかなり広いところだよ、と星田は付け加える。

 

「えっヤバ。そんなところのマンションを独身で買うって、医者でも厳しくない?」

「それがね、お父さんって資産家のボンボンでさ。慶應に受かったあと『健全な医者は一等地に住むところから始まる』っていうわけわかんない理由で買い与えられたんだって。しかもお父さんもお父さんで資産運用の天才でね。その数年後には儲けた金でその部屋にかかった費用を全部返したんだって。自分が借りたわけでもないのに」

「お、おぉ……」

 

 スケールがあまりにも違い過ぎる。突如追加された大きくて多過ぎる情報に、北山は形容できない驚きを口から漏らすことしかできずにいた。今日聞いた話から、星田のことをエリートから生まれたエリートだと思っていたが、実際は大金持ちのエリートから生まれたエリートから生まれたエリートだったのだ。もはや自分でなにを言っているのか分からなくなってきた。

 

「で、その数年後ぐらいにお母さんと結婚して、部屋は売らずにお引越し。せっかく買ったのだから、次生まれる子供のために取っておきましょーって感じ」

「ええぇ……医者すげぇっつーか金持ちすげ」

「私はいらないって言ったんだけれどね。ここに住んだら家賃がいらないし、光熱費とか固定資産税とか、火災保険もいらないよ。実家も近いから困ったときに安心だよって言って聞かなくて」

 

 それはつまり、親が全部持つよ、と言っているのだ。その話をしている父を見ている母の心境たるや、想像もつかない。

 

「至れり尽くせりだな」

「本当にね。まっそういうわけで住まわせてもらってるって感じかな。あ、でも光熱費と保険料と食費はちゃんと払ってるよ」

「固定資産税はどこ行った」

「いやなんか、お父さんと一人暮らし問答してたときに居合わせたお爺さんが『税金のことなら任せなさい』って言って半ば強制的に支払う権利を取られたっていうか」

「支払う権利を取られるってなんだよ……」

 

 パワーワードに次ぐパワーワード。バスでの就寝で少しは取れたかという疲労がぶり返し、北山の身を襲った。

 金持ちというのは、身近にいるものなのだな。すげえ。

 

「あ、待てよ。南青山ってことは、星田は港区女子ってことか」

 

 もちろん冗談だ。現状、港区女子に対する外野の印象は芳しくない。

 予想通り、星田は頰を膨らませた。

 

「ちょっとそれはやめてよ」

「冗談だよ。お前は港区女子じゃない。港区に住む女だ。まず女子って年齢ではない」

「そこじゃないでしょー!?」

「ごめんごめん。ハハッ」

 

 もう、と分かりやすくご立腹の意を示し、改札に向かって行く星田。謝りながら、星田に続く。

 しばらくして、いつもの柔和の表情を取り戻した星田が、階段近くの柱で止まった。なにかスマホに着信でもあったかと思ったら、北山に向かい合う。

 

「どうしたの」

 

 訊くと、うん、と一言言って、気恥ずかしそうに話し始める。

 

「もう少しで、私たちの交友関係が始まって1年でしょ。VTuberになってほしいって無茶振りした電話、覚えてるよね」

「一字一句たりとも忘れてないよ。衝撃的だったからね」

「さすがの記憶力だね。それでまあ、こうしてやってきたわけだけれど、あんまりお互い、プライベートの話したことないよなって思って」

「まあ、そうだね。あまり深入りするものでもないと思うし」

「うん。それは本当に、その通りだと思う。だけどね」

 

 俯き、一拍置き、星田は顔を上げた。星田と、バッチリと目が合う。プラチナブロンドの前髪が額の上で揺れ動く。

 

「北山さんには、もっと知ってほしいって思ったの」

 

 まるで愛の告白でもしているかのような、張り詰めた空気が、二人の周りを囲っている。ドキリと、心臓が飛び跳ねるのを感じ取る。な、なんだこれは。好きですって言われたわけでもないのに(言われたとて、普段はとくに何も思わないのに)、それと同じような緊張感になってっけど。マジでなんだこれ。

 なんと返すのが最適なのか。巡り合ったことのないシチュエーションの対処策を必死に探しているが見つからない。マジでどうすればいいんだこれ。助けて恋愛マスター、いや友達マスター、またの名を北山共子。

 情けないことを考えていると、ふふっと星田がおかしそうに笑う。

 

「そんな表情、初めて見た」

 

 言ったかいがあったなぁ。星田は満足そうに頷く。

 自分の表情。初めて見られた表情。それがどんなものかなんて予想がつく。あれ、自分って()()()()()()()()()()

 うるさいなぁ。想定してたらどうにか返答してるっての。情けのないことに、そうやって思うことしかできなかった。

 

「ねえ北山さん」

 

 また、星田から話しかけてくる。なんだと星田を見遣ると、

 

「そろそろ名前で呼んでほしいんだけれど」

 

 と言って、はにかんだ。

 

 

 

 京葉線の下り電車は、今しがた舞浜を出発した。稲毛海岸まではもう少しかかる。

 座席に座り、電車に揺られながら、あの同級生の話を思い出す。開示された情報は、誰もが触れられるものではない。友人の間柄になり、そこからさらに仲を深めた者だけが知ることができる最重要機密。それを、本人の口から伝えられた。

 これほど重いことはないだろう。

 これほど責任を感じることはないだろう。

 これほど嬉しいことはないだろう。

 この特別な気持ちは、大切にしていきたい。壁にもたれかかり、目を閉じた。

 

「『じゃあな、ゆり』」

 

 この日北山は別れ際、()()()()()()同級生を呼び捨てした。

 

 

 

 昨年はなかなか濃い年だった。

 同級生との再会。後輩との出会い。紆余曲折あって、二人とは良き友人となった。

 二人のおかげで、普通じゃできない経験をした。自分の糧となった。仲を深めた。

 二人は慕っている。こんな自分を慕っている。

 ()()()()()()()()()()。しかしこれは、今ここで思うにはふさわしくない。

 

 神様、繫がりをありがとう。新たな出会いと繫がりに、心の底から感謝します。




 お待たせいたしました。これにてコミケ/オールナイト篇終了です。次回から最終章です。果たしていつになったら終わるのでしょう。この話書いてるときもずっとそんなことを思っていました。できあがったのはもうぐっちゃぐちゃですし。
 あと夏コミに出ることになったので、また投稿を休みます。遅くて8月以降の更新です。その間にマシなプロット作っておきますので何卒……。
 誤字がありましたら誤字報告願います。


 Xで進捗報告その他諸々ポストしていますので、もしよろしければフォローお願いします。
 https://twitter.com/ST100PERCENT

 ※8月13日追記
 コミケ終了しました。ブースに来てくれた読者の方々、本当にありがとうございます!
 これから最終章を突っ走るのでよろしくお願いします。

 ※9月29日追記
 最終章の投稿開始は12月になります。それまでしばしお待ちください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。