その清楚系、パチカスにつき。 作:継続率3000倍
入社してきた新入社員に仕事を教えるという、先輩社員にとって避けては通れないある種の試練。OJTと呼ばれもするそれを、入社して数年――北山は初めて行った。
久々の、本社オフィスでの業務。自分の持ち場にはパソコン本体と、モニターが一台置いてある。北山は在宅勤務者であり、オフィスに出向くのは重要な会議や打ち合わせがあるときぐらいだ。毎日出勤している他の社員の持ち場は制作に係わる資料や書籍類で溢れかえっていたりするが、北山はその逆で、仕事に必要な最低限の道具しか備えていなかった。殺風景とも形容できる。
上の人の挨拶から始まり、新人の紹介に終わった新年度の会議。北山は目を擦りながら真っ先に自分の持ち場に着席した。
隣を見る。右隣だ。北山のデスクは角にあり、左を向くとざらついた白い壁紙ばかりが目に映る。右隣――前回オフィスに来たときまでは、チームメンバーのプログラマーの一人が陣取っていた席で、置いてある私物のフィギュアの多さから社内では「駿河屋」と呼ばれていた。そこが今は、パソコンやその周辺機器だけでなく、置かれていたフィギュアや資料などが綺麗さっぱりなくなっていて、白いデスクが露わになっていた。
「移転したか」
朝、北山が自分の持ち場に荷物を置いたときに口に出た言葉に、向かいの席のプログラマーが反応して飲んでいたコーヒーをモニターに向かって吹き出したのは記憶に新しい。
ともかく、北山の右隣は北山が受け持つ後輩の持ち場となった。
スーツを着込み、履き慣れていなさそうな黒いパンプスを履いた新入社員。名前は
願わくば、取り敢えず昼まで来ないでくれ――と北山は念仏のように頭のなかで唱えていた。が、会議が終わってから諸所に挨拶を終え豊藤が北山のもとに来るのに、三十分もかからなかった。
「北山君」
その声は制作部部長の酒に焼けた声で、北山は呼ばれて右を向いた。頭髪が寂しい五十半ばの男が、瑞々しい女性社員を連れてきた。――それは紛れもなく豊藤であり、北山が受け持つことになる後輩だ。
もう来やがった! 早くない!? 北山は頭のなかで絶叫した。
「多分斎藤から聞いてるだろうけど、彼女のOJTは君に頼むよ。ルール上、君にしかできないからね」
「まあ、はい……あれ、斎藤さん?」
「え……? あれ、聞いてない? 伝えておいてって斎藤に――」
北山と部長は、斎藤を見遣った。デスクの島のお誕生日席に座っている斎藤は、現在北山が所属している制作チームのリーダーだ。北山は斎藤から後輩育成に関する話を全く聞いておらず、これはどういうことだと二人は睥睨した。すると斎藤が「忘れてましたぁー!!」と言って手を合わせて反省の顔を見せた。忙しいのは分かるが報連相をしっかり心掛けてほしいものだと二人はため息をつく。
「まあ……ともかく、よろしく頼むよ」
「ああ、はい……」
では私はこれで、と部長は離れていった。
「……」
部長の斜め後ろに立っていた後輩は、一連の遣り取りを見ておろおろしていたが、やがて北山の前に立つと、
「その……ごめんなさい」
言って、頭を下げた。
「いや、君は悪くないよ……」
北山が申し訳なさそうにする後輩を庇うと、部長に入れ替わり斎藤が申し訳なさそうな顔で歩いてきた。
「思ったほど疲れなかったな……」
独り言は街の喧騒に紛れて消える。帰宅するサラリーマンやOLの多さは、自身が新入社員だったときの記憶を思い起こさせた。
新入社員だが即戦力としてポジションに就いた北山。作品を二個以上掛け持ちしていて、納期は短く仕事の量は殺人的だった。北山が入社したのは《Eve》が設立されてようやく一年経ったとき――人気急上昇中のアダルトゲームメーカーだっただけに、流れに乗って制作するゲームを増やしていたのだ。
今の制作環境は穏やかで、不安を抱えることなく仕事ができる。後輩を持つのは、このタイミングがベストだったのかもれない。
とはいえ、後輩に仕事を教えるのは疲れるものだ。新人が行う雑用からEveでのシナリオライターとしての仕事の概要まで、分かりやすく教えたつもりでいる。
昼休みを終えて、北山は豊藤が持ってきたポートフォリオ――現在の力量を現場に判断させるため会社側から持参するよう言われたそうだが、北山はそれを読んで、レベルの高さに驚嘆した。
小説の同人誌だった。高校生のときから書いてきたというシリーズ物の小説は本屋で売っていそうな文庫本四冊にまとめられていた。例えば、異世界の魔導士が巨大隕石から世界を守る物語。例えば、魔導士にして博士が手下を連れ、魔法が失われた異世界に再び魔法を与える物語。例えば、異世界に消えた母を求め、禁断の魔法で世界を渡った少女の物語。例えば、祖母の死を解明すべく時空を超える蒸気機関車に乗り、過去に向かう女子高生と機関士の物語。
全ては読めていないが、どの物語も面白く、そして驚いた。作品は、新人賞に受賞していたり、そのまま出版社から書籍化していてもおかしくないレベルのもの。物語を創り上げる実力を、まさか《Eve》とかいう鬼畜エロゲメーカーに向けてくれるとは思いもしない。
これは即戦力なのではと斎藤に言うと、斎藤もそういう認識だったらしく、豊藤に斎藤は早速シナリオライターとしての仕事を言い渡したのだった。
「あれは凄いなぁ……」
あの作品群を読み、北山は豊藤の実力に内心嫉妬していた。自分が全く新たな物語を書くことになったとき、果たしてあのレベルを超えていけるのだろうか――北山のやる気が削がれかかるが、しかし戦力になるのはいいことだ。いいことだ、と北山は自分に言い聞かせ、この嫉妬は心の奥底に留めておくことにする。
それよりも、折角できた後輩だ。真剣な顔で一生懸命メモする姿は少し可愛かったし、これから可愛がっていこうじゃないか。
「高砂がなんかぶつぶつ呟いてたよな……声が似てるとかなんとか」
まあどうでもいいんだけど。
北山は駅に向かう。久方ぶりに、帰宅ラッシュに挑むのだ。
「新年度になったけどナナシーが届かなかったんで壺ゲーやりまーす」
・『クチク、お前……死ぬのか?』
・『まだ最下層で草』
・『これで精神壊れかけてなかったっけ』
・『逃げろ! まだ引き返せる!』
・『台パン期待』
今宵も《パチンカスX》の配信が始まった。本日は三週間ほど前に購入した中古パチンコが届かなかったため、パチンコ配信ではなくゲーム配信を行うことにした。
北山が言う“壺ゲー”とは、《Getting Over It with Bennett Foddy》という海外のゲームだ。どういうわけか下半身が壷にはまった男が、握りしめたハンマーを岩や枝や建物に引っ掛け上へと登り、宇宙を目指すという意味不明で理解不能な登山ゲームだ。とあるゲームのリスペクトで生まれたこのゲームは今や全世界の配信者やゲーム実況者に愛され、また同時に恨まれている。それはなぜか――この女の配信を観ると容易に理解できる。
「これやり始めてどれぐらいたったっけ。合計何時間? 十二時間ぐらいかな」
・『かなり前からやってるからな』
・『現時点で四八五時間ほど』
・『短じかすぎる。もっとやってるでしょ』
・『めっちゃやってて笑う』
・『そんなにやってここにいるのか……』
「……四八五時間って二十日と五時間もやってるの、これを? 私?」
これはもはや人生をドブに捨てているのではないか、と頭を抱える。
確かに北山は、ここ最近のゲーム配信でこのゲームしかやっていなかった。視聴者ももう飽きているのではないか。
「えー……次のゲーム配信は別のゲームやるね。なにをするかは分かりません」
・『ずっと登山でもええんやで』
・『Apexやって』
・『麻雀』
・『格ゲー』
・『X』
「Xってあの《X》? ゲームボーイの? 渋いねぇ。《X》も《X-RETURNS》もクリア済みだよ私は」
パチンカスXに因んでやれたらやりたいね、などと雑談を楽しむ北山。しかし今やっているゲームだが――いつまでたっても登れていない。少し登っては落ち、また登っては落ちる。これをずっと繰り返していた。
北山はこのゲームがどうも苦手だった。絶妙なマウス操作に慣れないのか、いつまでたっても登れていない。
次第に北山も話す余裕がなくなっていく。北山はこのゲームを真剣に取り組んでいるのだ。
「……」
・『黙ってる』
・『毎回ガチでやってこれだもんなぁ』
・『もはや可哀想』
・『またキレ散らかすやつだゾ』
・『おっ台パンか?』
現在、二つの灯りが交互に付いた岩の穴の位置にいる。ハンマーを灯りに引っ掛けて登っていくのだが、北山はこの時点で額に脂汗をかいている。なにせ北山にとって、ここまで辿り着くの自体が稀なのだ。
ようやく次のステップに進める――と安堵するが、しかし集中してマウスを動かし、ジャンプしてハンマーを一つ目の灯りに引っ掛ける――はずなのだが、全く違うところにハンマーを振ってしまい、左に跳んでいく。落ちてたまるかとなんとかハンマーを振り回して岩に引っ掛けようとするが、抗い空しく下へと落ちてしまった。
「……」
・『お か え り』
・『いつもの』
・『クチクに救いあれ』
・『ここまで下手なのは一種の才能なのでは』
・『なにも言わず怒りを堪えるクチク好き』
額に手を当て、一度大きく息を吸い、吐く。
そして、自分のことを口々に言うチャット欄を見て、自分の愛されっぷりにニッコリと笑った北山は、今自分が出せる精一杯の元気な声で言った。
「次回は予定を変更し、マタドールⅡ告知音ASMR配信を行います。覚悟しろよお前ら」
・『耳が死ぬのでやめろ』
・『嫌過ぎる』
・『やめろぉ!(建前) やめろぉ!(本音)』
・『さすがクチク、やることが残酷過ぎる』
・『腹いせにリスナーの寿命縮めるな』
北山の登山は、日付変更まで続く。
「……やっぱり、似てる」
そのころ、配信を観ている視聴者の一人は、自分一人しかいない部屋でしかと確信した。
マタドールⅡ、設置台数減ってるので見つけたらぜひやってみてください。耳が死にます。
『月〇日の〇〇わ』の後輩ちゃんみたいな後輩が欲しい人生だった。