その清楚系、パチカスにつき。   作:継続率3000倍

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水底から響く声

 幼稚園でも保育園でも、どちらでも構わないから想像してほしい。なんなら小学校でもいい。どこであれ、空気を読まず悪ふざけで水を差してくる意地悪な男子は遍在しているはずだ。

 仲のいい友人と砂場で山を作っているとする。片手サイズの小さなショベルで砂をすくい、せっせと積んでいく。積もった砂は次第に山へと姿を変えるだろう。

 休み時間の終わり、仕上げに頂上に何かを立てようと周囲を見回していると――嫌な笑みを浮かべた男子が走ってくるのが見えた。そいつの視線は、間違いなく山に向いている。

 止める暇もなく、ライダーキックとか叫んだそいつに特撮ヒーローよろしく飛び蹴りされ、せっかく作った山を壊された。そして、したり顔でそいつは逃げていく。

 砂場の山が破壊されたからといって、誰も死にはしない。だが、何かを誰かと楽しんでいるという気分は思いっ切り壊された。

 男子は山を壊したのではない。人の気持ちを壊したのだ。

 

「シーちゃん、だよね」

 

 北山はいま、そういう気分だった。後輩との楽しいスロットの時間を、突如現れた名の知らぬ雑輩に壊されたのだ。

 

「……」

 

 同じほうを向いているから、豊藤の顔を見られない。いまどんな表情をしているのか、どんな感情を抱いているのかわからない。

 豊藤と、その女二人との間の静寂が店の全体に伝染しているかのように、耳に届く駄弁りや有線の音楽がどんどん聞こえなくなるような錯覚を受ける。聞こえているはずなのに、遠のいていくと間違えるほど濃密な静けさが、三人の空気を支配している。

 ウゥ――――。リールの駆動音にやっと気づき北山は体勢をそのままに、ボタンを押してリールを止めた。この時代のスロットのボタンは面積が小さく、少々押しにくい。

 

「どうして、辞めちゃったの」

 

 暗い声だった。忘れ去られた井戸の奥底から這いずり出てきたような、黒洞々たる声色。

 悲哀、遺恨、そして僅かに滲む憤怒。紡がれた言葉に乗った感情が、その短さにしてはいやにはっきりと感じ取れた。

 

「……シーちゃん」

「ちょっ――と」

 

 先ほどからこの場に存在しない者の名を呼ぶ女が豊藤に近寄る。何かを酷く求めている眼差しで、後輩の顔を見つめている。割って入るべきか思案していると、これまで一歩も動かず一言も喋らなかった豊藤がようやく口を開いた。声色に含まれている感情の度合いは、焦りよりも呆れが強い。

 いよいよ本当に誰の会話も聞こえなくなった。ミキシンググラスに入った酒を混ぜるバーテンダーの手元さえ止まっている。中心にいる豊藤と二人に、この空間にいるほぼ全員の視線が集まっている。

 

「ネロ」

「――」

 

 もう片方の女――細いフレームの丸眼鏡をかけた女が、隣の女をネロと呼んで静止させた。

 周りが見えなくなるタイプなのだろうか。あたかもいま気づいたと言わんばかりの、わざとらしい仕草だった。意図していないのであれば、それは才能として演技に活かせる気がしてならない。

 カランッ、とカウンターからグラスが当たる音が聞こえた。バーテンダーの女が、右手に持つ長いマドラーでステアを再開した。クルクルと、無色透明の酒とロックアイスを淀みない動きで混ぜている。それが合図になったかのように静寂が打ち破られた。店の客たちは、各々の談笑を再開する。BGMと、人と人の声で、店内に漂っていた嫌な緊張感が一気に弛緩する。

 

「優子」

 

 振り向いた背中に声をかける。いつも堂々とした仕草を見せている後輩のそれにしては小さく見える。

 横に並び、後輩の肩に手を回す。「大丈夫?」と囁くように(見せつけるように)尋ねると、豊藤は一度北山と目を合わせてから、コクリと頷く。同じく囁き声で「大丈夫ですよ」と返した。

 豊藤を“シーちゃん”と呼び、隣の女から“ネロ”と呼ばれた女。ブランド物を中心に、店の雰囲気に合うようなコーディネートの女の目線はいま、北山の全身をなぞっている。あからさまに眉を顰めてこちらを見てくるものだから、思わず苦笑してしまいそうになる。誰かに舐めまわすように見られる気持ち悪さは、男にされるよりかは軽い。だが、その視線から明確に感じ取れるのは、劣情ではなく敵愾心だ。

 当然北山は、この女から目の敵にされるようなことをした覚えはない。ではなぜ、どうして。さっぱり思い浮かばない。

 仮に、私という存在が隣にいること自体に憤っているのであれば……それはもう、どうしようもない。申し訳ないが、どうか諦めてほしい。

 

「んっ」

 

 豊藤が持つカクテルは、鮮やかな黄緑色をしていた。色の正体はミドリか、ペパーミントか。いずれにしろ毒々しさを感じないそれを、豊藤は一気に飲み干し、

 

「お願いしてもいいですか」

 

 空のゴブレットを差し出してくる。北山はそれを受け取り、無理はしないようにと小声で忠告をしておいた。

 

「来て」

「あっ」

 

 有無を言わさない、強い語気で女の腕を摑んだ豊藤。急に引っ張られて、足をもたつかせる女のことを気にすることなく、あっという間に外に連れ出していった。

 

 

 

「まったく……」

 

 ネロという女が、豊藤のVythonでの元同僚であるのは、やり取りからして確実だろう。北山は、あの女が人の話を簡単に聞き入れるようなタイプとは思えなかった。

 偶然の再会だったのだろうが、衆目の面前で、辞めていった元同僚に対して辞めた理由を尋ねるという野暮なことをした時点で、その可能性は薄い。豊藤は、SevenSYとしての最後の配信で、グループを卒業する理由をちゃんと語っている(無論、余計な波風を立たせないように別途用意した、表向きの理由)が、その卒業配信を観ていないから尋ねた、という可能性は否定できない。しかし豊藤のこと、そして周囲のことを慮れていない時点で、北山はあの女に期待を持てなかった。

 北山は動かない。もちろん先輩として心配する気持ちはある。いますぐにでも割って入ってやりたい。だが、内輪の話に部外者である自分が首を突っ込む必要はないし、それにあのとき後輩は「大丈夫です」とはっきりと口にした。後輩がそう言うから、二人の話は二人だけで済ませてもらうことにした。

 

「いやぁ、すいませんね。うちの同僚が迷惑をおかけして」

 

 一声かけて空のゴブレットをカウンターに置き、バーテンダーが回収する。あの女の片割れ、眼鏡をかけた女が笑みを浮かべつつ謝罪を口にする。

 豊藤との時間を邪魔された、というより、豊藤の時間を邪魔したことに北山は少なくない憤りを抱いていたが、その感情はここで発散させるべきものではないとわかっていた。

 眼鏡女の笑みが薄ら寒い。妙に馴れ馴れしい口調の謝罪を一応受け入る。

 

「それはあの子に言ってくださいね。そちらのことはよく知らないので」

 

 さっ、スロットの続きでもしようか。後ろに振り返ると、両手をフリーにした偉丈夫が両目に映った。

 高砂真人である。身長一九四センチ、体重九六キロ、胸囲一一三センチ、腹囲八八センチ、腰囲一〇〇センチ、体脂肪率十一%のナイスガイ。高砂がボディメイクをここまで続けてきた理由は、「電子情報系は舐められたら終わり」と、学生時代に教員から耳にタコができるほど言われ続けてきたため、らしい。佐久間にゴールドジムに誘われてからは、その肉体美により磨きがかかったそうだ。

 ちなみに前述の身長・体重・スリーサイズ・体脂肪率は、半年分のプロテインを餌に北山が聞き出している。曰く「竿役に最適な肉体」。高砂はその言葉を、称賛なのか遠回しの罵倒なのか、現在も判断できずにいるらしい。

 

「身構えんでいいよ」

「まあ……一応な」

 

 すれ違いざまに、空いている手で高砂の肩を軽く。佐久間の言いつけに従い、いつでも割って入れるようにしていたのだ。目の前に立たれるだけで威圧されているように感じざるを得ないその体であれば、女と女の軽い諍いなど簡単に収めてしまうだろう。

 右手に持つシャーリー・テンプル・ブラック。グラスに螺旋状のレモン皮とグレナデンシロップを入れ、ジンジャーエールを適量注いで作られるシャーリー・テンプルのバリエーションだ。ジンジャーエールの代わりにコーラが使われる。

 コンチネンタルの席に座り、一口飲む。美味い。しかしあと一歩足りない。このモクテルに使われているコーラがコカ・コーラであり、ペプシコーラではないからだ。

 

「しかしまあ、ユーザビリティがなってないね……この時代の台って。レバーもボタンも小さいわ。当時の技術じゃこれが限界だったんかね」

 

 ともあれプロが作った飲み物であるのに変わりはない。リールを回し、ボタンを押しつつ、すぐに飲み干してしまった。

 美味いなこれ。今度自分で作ってみようかな。ペプシで。

 空になったグラスをホルダーに置き、手についたグラスの水滴をハンカチで拭く。

 ――本日に限りこのバーでの飲食代は、すべて佐久間持ち。佐久間の懐が許す範囲で飲み放題だ。

 

「すいません、いまいいですか?」

 

 次は何を飲もうかなと考えつつコンチネンタルを遊び続ける北山は、不意に声をかけられた。

 

「何です?」

 

 先ほどの眼鏡女だった。振り返ると、女はかがんで、目線の位置を北山と同じ高さに持ってきている。

 何の用だろうか。少なくとも舐めた態度は取っていないはずだが。

 

「何か奢りますよ。先ほどのお詫びの印です」

 

 なるほど、そういうこと。北山は頭の中で納得した。店を静まり返らせた件について、この女なりに詫び入れようとしているのだろう。

 しかし、そういうことであれば、北山の返答は一つ。

 

「そこまでしなくてもいいですよ。そもそも私は部外者ですし」

 

 北山は物心ついたときから、貸しを作らず、借りを作らない質だ。それによって起こる、清算に向けたコミュニケーションを煩わしく思っているからだ。

 というか、今宵は佐久間持ちだ。わざわざ金を出してもらうこともない。

 

「そんなことはないですよ。『SevenSYさんが最も信頼を置いている先輩さん』ですから、少しでも粗相のないようにしておきたいので」

「……」

 

 それなら放っておいてくれていいのに。内心ため息をついていると、視界の端に高砂が映る。テーブル席に座ってこちらを見ている高砂の表情は少し険しい。

 北山の機微を察知したのかわからないが、眼鏡女は人差し指を立てた。

 

「では理由を変えます。私はSevenSYさんの先輩さんと一緒に話したいんです。先の配信では、彼女が先輩さんに驚くほど信頼を寄せていることがわかりました。グループ内では孤高の存在と化していた彼女が、あれほどまで誰かに懐いているのは、かつてグループの仲間だった私にはかなり信じられないことなんです」

「孤高の存在ですか」

「ええ。彼女はグループの中で一番『自己』を表に出さない人でした。メンバーや社員と一番コミュニケーションを取っていましたが、どこかで一線を引いていました。こちらがその一線を超えようとすると、必ず逃げて……いえ、躱していきました。ですから、そんなSevenSYさんの意中の相手である先輩さんがどんな人なのか、気になって仕方ないんです」

「……」

「ですから、どうか私とご一緒してくれませんか? 気分を悪くしたのであれば、すぐに切り上げてもらって構いませんので」

「……そうですか。じゃあ……」

 

 視界の端にいる男を一瞥する。険しい表情は変わらず、鋭い視線は眼鏡女に当たっている。

 

「同僚を隣に置いても?」

 

 高砂真人、北山洋子からご指名だ。高砂の眉がピクリと動くと、ふっと息を吐き、その場を立ち上がった。ライムが沈められた酒が半分ほど入ったコリンズグラスを持っていて、周りの水滴が揺れて集まり、滴り落ちている。

 眼鏡女はニッコリ笑い、

 

「もちろんです」

 

 と快諾した。

 ではあちらで、と女が促す先はカウンター。ちょうど三人分、空いている。ホルダーに置いたグラスを抜いて移動し、北山は中央に座った。女は北山の右に、高砂は左。

 

「さ、何でも頼んでください。同僚さんもぜひ」

「あっはい。どもっす」

「……じゃあ」

 

 ふと、店に入ったとき、カウンターに座っていた男性客を思い出す。太く長い、葉巻を吸っていた。

 ふと、いつぞやの妹との会話を思い出す。『なに吸ってたん』『コイーバのシガリロ』。

 なら……吸ってやろうか。

 

「何でもいいんでモクテルと、一番高いコイーバの葉巻を。いいね? お二方」

「いいよ」

「どうぞどうぞ」

 

 シガーバーでは、受動喫煙を気にするほうが野暮だろうが、一応断りを入れる。

 本音としては、右隣に座るとんでもなく胡散臭い女に、紫煙を吹きつけたい気分だった。




 夏休み最終日、いかがお過ごしでしょうか。全国の小中学生たちは史上最大級のサザエさん症候群を患って気分が落ち込んでいるかと思いますが、私は井戸に沈みたい気分です。もはや何も言うことはありません。いますぐ私に紫煙を吹きつけてください。
 次の更新は来月中を予定しておりますので何卒……。
 誤字がありましたら誤字報告願います。

 https://x.com/ST100PERCENT
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