その清楚系、パチカスにつき。   作:継続率3000倍

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言語と文化

 まだまだ残暑が消え切らず、ジャケットの内側で汗がじんわりと滲む九月末――曇天の下、池袋駅を臨む大通りを単車で走っていると、見覚えのある顔が視界に入った。駅の東口から出てきた中肉中背の男が、人混みの中で歩きスマホしている。褒められない光景に、しかしヘルメットの内側でクスリと笑った北山は、ハザードを焚いて路肩に停まり、シールドを上げる。

 

「おーい!」

 

 クラッチレバーを離して腕を振る。声に気づいた男が顔を上げると、目と目がバッチリ合った。スマホを尻ポケットに突っ込みながら小走りで向かってくる。

 スタンドを立ててバイクから降りたときには、ガードパイプのそばに来ていた。

 

「よう晴馬」

「奇遇ですね。ツーリングですか」

 

 長宗我部晴馬。北山の後輩にして、表現研究会の創設メンバー。現在、官能小説の原稿料と印税で生計を立てている。

 無地の白いシャツにワイドジーンズ、ニューバランスのスニーカー、右手首にゴツゴツしたG-SHOCKという相変わらずの出で立ちだ。

 

「これから前に言った完全新作で忙しくなりそうでね。景気づけにひとっ走りしようかなって」

「ああ、SFの。忙しい?」

「プロットの段階で調子に乗ってキャラクターとかメカとか増やしまくったんだけど、何かお偉方も調子こいて会議通過させちゃってさ。採算取れないっつってブロックされるだろうなーって思ってたから青天の霹靂もいいところ」

「思い切りがいいという何というか、Eveも先輩も馬鹿ですね」

「自覚はある」

「余計に質悪いっすわ」

「でまあ、平均的な仕事量増加に伴って他のライターの仕事のチェックとかアシストとか、やることが増えてリモートだと不便だからしばらくアキバに出勤。ライター組のための設定資料集作ったり担当声優のオーディションとかでこれから大変よ」

「でも楽しそうですね」

「楽しいからね。天職だよ――」

 

 腕時計を見ると、針は正午過ぎを報せていた。朝食の脂質カットフルーツグラノーラとホット豆乳、そしてゆで卵はとうの昔に消化してしまっている。空腹感の胸焼けが妙に気持ち悪い。

 

「池袋には何しに来たの。前に言ってたラーメン屋?」

「ええ。今日は予定何もないんで、せっかくだから再訪しようかと。あとついでにゲーセン」

「ゲーセンのパチンコ打っても金にならんよ」

「何でパチ打つ前提? 普通に弐寺やるだけっすよ」

 

 すぐそばでトラックが通り過ぎるのを感じつつ、革ジャンの胸ポケットからスマホを取り出す。指紋がついた画面を長宗我部のシャツに擦ったあと、アプリを開いて駐輪場を検索する。池袋駅なら、二輪を駐輪できるところがそこかしこにあるはずだ。後輩の妙な視線を感じつつ、近場の安い場所を予約する。

 

「じゃあ止めてくる」

 

 二輪も対応している駐車場を予約し、その道順をざっと確認。ポケットに収めてバイクに跨り、鍵を回してスターターを押す。キュルリと鳴ったかと思うと、たちまちテルミニョーニのマフラーから鼓動が轟き、乾式クラッチがガタガタと楽しげに音を立てる。

 

「えっ何、来るの?」

「せっかくだしいいじゃん。一〇分後にここでなー」

 

 困惑する長宗我部を余所に、さっさとクラッチを繫いで走り出した。

 雲の過ぎて光が差す。陽光が北山の全身を容赦なく襲う。夏は本当に終わるのか――毎年、気になって仕方がない。

 

 

 

「何だこれ……めっちゃうめぇ……」

「でしょう?」

 

 東京にはラーメン激戦区がいくつもあるが、池袋はまさしく激戦区と言っても過言ではないだろう。二人が訪れたラーメン屋は、池袋駅北側の東口から七分ほど歩いたところにある味噌ラーメンの店だ。「池袋の味噌ラーメンといえばここ」と言われる名店で、ラーメンに造詣の深い長宗我部は「並んででも食べる価値がある」「ここのラーメンを食べることが外出する目的になるレベル」と度々豪語している。

 駐輪し、路肩で話したときに立っていた位置から律義に動かずしゃがんでいた長宗我部と合流し、他愛のない話をしながら店に向かった北山。サンシャイン60通りを横切り、後にアニメイト通りと名づけられる道に沿って歩いていると、次第に狭い路肩からはみ出さないように並ぶ大人たちの列が見えてきた。

 近づいていくと味噌の匂いがより鮮明になってゆく。北山は愛知に生まれ、いまのところの人生の半分はそこで消費した。それだけに味噌は馴染み深い。トンカツはからし醤油派だが、おでんは気分によって『つけてみそかけてみそ』で食べたり、『献立いろいろみそ』で食べたりした。どて飯も当然晩飯に出た。味噌汁はやはり八丁味噌のものが好みだ。

 東京の味噌と愛知の味噌とでは種類や性質、使い方は大きく異なるだろうが、それだけに今回の味噌ラーメンは北山にとって、突如発生したワクワクイベントであった。

 列に並ぶには先に食券を買う必要があるようで、店へと伸びる列の大人たちの脇を通って食券を買う。北山は恩を作らない性分だが、それは長宗我部とて同じのようで、券売機に千円札を二枚入れ、さあ三枚目、と財布から取り出そうとした右手を長宗我部に摑まれ「あんたそこまでは食わないでしょう」と、苦言を呈されてしまった。自分の周りにいる女性を考えるとたしかに自分はちょっと多めに食べているが、しかしさすがにこういう店で三〇〇〇円分も食べない。それは長宗我部の言う通りだ。仕方ないので、先輩の気遣いを止めた後輩には舌打ちで返し、素直に一〇九〇円の味玉味噌チャーシュー麺のボタンを押したのだった。側で溜息が聞こえたような気がしたが気にしない。

 で、発券して最後尾に並ぶ二人。これから数十分待つことになるが、北山はコミックマーケットの待機列という自発的な拷問を経験しているため、この程度の列は余裕だった。長宗我部とくだらない話をしつつ、自分らの番を待っていた。

 

「新宿のあご出汁のところといい、ワンタン麺のところといい、いまのここといい……晴馬のチョイスには外れがないね」

「先輩も先輩で好き嫌いがないんでこっちも気が楽ですよ」

 

 カウンターに横並びに座った二人。一番人気の味噌ラーメンは、食券を渡してから一〇分とたたずに運ばれてきた。丼から立ち昇る湯気には、ラードで野菜を焦がした暴力的な香ばしさが混じっていた。腹の虫が喧しく鳴っている。

 割り箸を割り、二人揃って「いただきます」とお行儀よく食に感謝。いよいよ食事の時間だ。

 スープは液体というよりは流動食に近い重みだ。口に含むと豚骨と味噌の厚みと甘みが舌と口裏を伝って脳の深いところに突き刺してくる。ウェーブのかかった太麺は乳化スープこれでもかと持ち上げ、啜るたびに濃厚な旨味を伝えてくれる。

 何だこの、これは――すごく美味い!

 麺に乗るもやしやニラが口の中でシャキシャキと音を立てる。そこにレンゲでスープをすくって口に流す。いい具合に茹でられている野菜の水分は、スープを薄めてしまいがちだ。卓上調味料の棚に「かえし」のボトルがあるのは、薄まったスープを元に戻すためでもある。しかしこの濃厚なスープは、野菜の水分ごときでは薄められない。それ思わせるほどスープが濃厚なのだ。

 

「今度、ほかの連中を誘ってみようかな」

「同僚とかですか」

「あと同級生とかね」

「同級生? いましたっけ、同級生の友人って」

「大学のじゃないよ。高校の」

「え、それこそいました?」

「なめんなよ。これでも一人おるわ」

「そうでしたか。一人……いや、たった一人いるだけでも違うんですかね」

「何が」

「いや、何というかこう、互いの人生を作用するというか、人生の華やかさって言ったらいいのか」

「……」

 

 長宗我部には、表現研究会の面々以外で友人と呼べる人がいないらしい。随分前に本人から開示された情報だ。

 生主として関わった人物に友人と思える人はいないのか尋ねたことがある。長宗我部は「人間、ツラ合わせてなんぼっすよ。画面の向こうにいるだけの奴なんて、まるで信用できない。信頼はもってのほかです」と、顔を顰めて、当然のように口にした。その意見について、北山は同意した。お前は正しい、私もそう思う、と同調した。

 友人が一人いるのと二人いるのとでは、人生への作用は大して変わらないだろう。差は微々たるものだ、と北山はそう断じる。

 ――そうであるなら、私を友人と言ったアイツの人生は、私という友人によって少しでも作用されたのだろうか。私はあいつの人生に、僅かでも変化を加えたのだろうか。

 

「――いや、もう辛気臭い話はやめましょう。せっかくのラーメンが不味くなる」

「話拡げたのそっちだよ」

「まあ……はい、そっすね。すいません」

 

 そう言って視線をどんぶりに戻す長宗我部。

 一瞬だけ合った視線。瞳の中に浮かぶ虚無が、絶望と不信に満ちた彼自身の過去を物語っていた。彼は自分の人生に、心から何も期待していないのだろう。小説家として活躍しているいまでさえ、そう思わずにはいられないほど彼の背中は小さく見えた。 

 長宗我部とは、目と目が合うことがあまりない。北山でさえ、合わせようと思っても合わせられない。

 やるせなさが心に満ちる。ラーメンが不味くなったのは、きっと彼に傷を負わせた莫迦な女のせいだ。

 

「人生が何なのかってのは、人によるものがあるだろうけれど――嫌な事柄の妥協と拒絶の連続ってことは確かだろうね」

 

 北山の言に、答える者はいなかった。

 

 

 

「この前、海外掲示板で拙作が話題に挙がってたんすよ」

 

 店を出たあと長宗我部が、ふいに口にした。グリーン大通り沿いのコンビニで買った無塩トマトジュースを、長宗我部は街路樹の根本に座って飲んでいる。北山も同じく隣に座り込んで、飲むヨーグルトを飲んでいる。木陰は微妙に当たらない。

 

「何が。映画化するのが?」

「はい。『この日本の小説、日本人の友人から借りて読んだんだけれど、他の言語に翻訳したら絶対に駄目だね。例えばこれを英訳しちゃったら、非公式のPDFだったとしても捕まるよ。日本に帰化してよかった』という旨のスレッドがあって、こんなのを本屋で販売できるのは日本ぐらいだって口々に言われてました」

「まあ当然だね。日本の成人向けコンテンツが海外では違法だったり問題視されるって意味なら、いまに始まったことではないけれど」

 

 例えばロリータコンプレックス、もとい小児性愛を小説のテーマにしたとする。これは言い換えると、未成年を性的に描いている小説となる。このような小説、もとい作品は児童保護の観点から、とくに英語圏――アメリカ、イギリス、オーストラリア等の様々な国で非常に厳しく規制されている。翻訳しただけで法執行機関に目をつけられかねないのだ。

 AmazonやPayPalといったアメリカ発の販売・決済プラットフォームがアメリカの基準に準拠しているのは言ううまでもなく、出版・販売しようものならアカウントは永久に使えなくなるだろう。

 そも性犯罪者が蛇蝎の如く忌み嫌われる国では、未成年に対する淫行は社会的に抹殺される行為なのである。

 

「英語圏は無理だとして、他に晴馬のが規制されていたり違法だったりする国は――厳しいところだと、中国と、あとイスラム教圏か」

「ええ。中国は官能小説はそもそも出版・流通自体違法で、ネット上で公開しただけでも実刑を喰らった事例がありましたね。イスラムだと近親相姦や不倫が宗教法において重罪ですね。極刑もんです」

「怖いなぁ。私と晴馬が書いたゲームとか小説、送りつけたらみんな泡吹いて死ぬんじゃない?」

 

 トマトジュースを飲み切った長宗我部は紙パックを折り畳み、ストローとその袋を千切る。環境に配慮する心優しい男だ。飲むヨーグルトはペットボトルのところに捨てればいいだけなのでとくに考えなくていい。家庭ごみではないからコンビニで捨てればいいのだ。

 

「でも難しいよな。官能小説じゃなかったとしても、日本の創作物の翻訳は」

「そうですね。他言語には存在しない単語・語彙、敬語表現、特有のニュアンス、オノマトペ――日本という国、文化を知らないと難しいこと尽くめです」

「英語は事実上の国際共通語だけれど、とりわけ日本語とは性質がほぼ真逆だからね。結論が最初か最後か、意味を決定するのが単語の順番か助詞か、主語が必須か否か、発音の重点が喉か口先か……文字だけなら発音は考えなくていいけれどね」

「逆に冠詞は文章ではしっかり考えないといけませんね。意味がだいぶ変わるので」

「『a』とか『the』とかね」

 

 などと言いつつスマホの通知欄を見ていると、LINEのメッセージが目に映った。

 差出人は『肇』。岡崎肇だった。

 送られてきた文章は「わからなさすぎて自分のおつむに超ウケました」だった。

 そうか、わからないか。今日一番の溜息を吐く。

 

「晴馬」

「何です」

 

 やはり合わない瞳を追い、一拍置いて、口にした。

 

「『れらねりいいか』って、どういう意味だと思う?」




 推定残り4話です。本当に完結できるのかこれ……(納期的な意味で)。
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