その清楚系、パチカスにつき。   作:継続率3000倍

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私の後輩

 凍てつく空気を震わせて、どうにか絞り出した声は、北山自身も驚くほど掠れていた。

 無防備な首筋に這う豊藤の指先は、氷のように冷たい。いや、物理的な温度の問題ではない。彼女が纏う異常なまでの執念が、北山の体温を根こそぎ奪い去っていくようだ。

 

「何でだと思います?」

 

 優子は、いつもオフィスのデスクで見せるような、愛嬌のある笑みを浮かべた。その笑顔と、首を摑む指の強さの不気味なギャップが、北山の更なる動揺を誘う。

 

「冬コミならご心配なく。ちゃんと許可を得てここに来ました」

 

 そういう問題ではない。そう言いたいのに、声が喉から出てこない。

 

「昨日先輩がお花摘みに行ったとき、どうしてました? スマホ」

「……やっぱり、そのときに」

 

 事もなげに語る優子の瞳の奥に、昏い炎が揺らめいているのを見た。

 この子は本気だ。私の行き先を知り、私の目的を察し、自身の知的好奇心を満たすためにここまで追ってきたのだ。

 

「どうしたんですか……って、あれ? ええと、あなたは……あれぇ!?」

 

 運転席にいたはずの穂積が助手席の窓から身を乗り出し、不思議そうにこちらを見ている。彼女の目に映る困惑は、次第に驚きへと変貌していった。

 

「はい! 洋子先輩の可愛い後輩、元SevenSYこと豊藤優子です! ちょっとサプライズで追いかけてきちゃいました!」

「ですよね!? シーさんですよね!? えぇーわざわざここまで来たんですか!!」

 

 優子は首筋から手をパッと離すと、北山の右腕に親しげに腕を絡ませ、穂積に向かって元気よく手を振った。

 先ほどまでの冷たさはどこへやら、顔と瞳に浮かぶ感情からは、あの鋭さが微塵も感じられない。

 

「どうやって知ったんですか? 口外しないようお願いしていたのですが」

()()()()()()()()()()()()()。私は私で真相に辿り着きました。貴方がスパイであることと、貴方と繫がる()()()の正体、もう摑んでいます」

 

 スマホを勝手に探っただけじゃないか。自慢げに言うことじゃないだろう。

 

「なるほどなるほど……さすがはシーさん。以前から思っていましたが、やはり只者ではなかったようですね」

 

 いや、何を納得しているんだ。もっと取り乱すような場面でしょう、ここは。

 北山が困惑している間、穂積は止まる様子を見せない。「しばしお待ちを」と断りを入れ、スマホを取り出して電話をかけ始めた。

 一分と経たずに通話を終えると、助手席から出てきた。

 

「『せっかく来てくださったのに、歓迎しないわけがない』とのことなので、シーさんも車に荷物入れちゃってください」

「はいどうもー」

 

 開いたバックドアの下で、黒いスーツケースを持ち上げて入れる。北山のものとは違い、より機能性を重視したような形だった。外側からの衝撃に対して、リモワと同じかそれ以上に強いものだろう。

 

「じゃあ出ましょうか! どこでもいいので乗ってください」

「後ろに乗りましょ、先輩」

「っ……」

 

 北山が碌な受け答えをしない中で、北山の意思をよそにとんとん拍子で話が進んでいる。

 豊藤に腕を引かれる。その力は、逆らうことを許してくれないほど強かった。助けを求めるように穂積を見るが、彼女はすでに運転席に乗り込み、カーナビの操作を始めている。

 このまま極夜の暗闇の中、何を考えているのかまったく分からない後輩と、外界から完全に遮断された密室で長い時間を過ごさなければならない。

 逃げ場などないのだ。

 促されるままに後部座席に入る。全身に降り積もった雪を払うことなど頭になかった。

 重厚なドアが閉まる音が、北山の心臓の鼓動よりも大きく、冷たく響いた。

 

 

 

 ロヴァニエミから北に一二〇キロ以上離れた街、ソダンキュラまで、休憩を挟んで約二時間半を要する。

 現地までの幹線道路E75号線の最高速度は通常時速一〇〇キロだが、冬期は時速八〇キロに引き下げられる。それに、極夜により午前中であっても真夜中のように暗い上、道中のほとんどは街灯が見当たらない雪道だ。制限速度に近い速度での運転などできるはずがない。

 それに、今回のルートは野生のトナカイが頻繁に道路を横断する。動物の飛び出しを警戒し、否が応でも交通法規を遵守し、安全第一で走行しなくてはならなかった。

 日本では取り締まりの対象となるスパイクタイヤだが、この国では法律で制限されることなく活用されている。穂積が駆るジープは雪道にこれ以上ないほど頼もしい車ではあるが、そうであってもこの地ではどうしても時間をかけて走行しなくてはならなかった。

 ――空港を出発し、ソダンキュラへのルートを走って一時間が過ぎたころ。一行は、ルートのほぼ中間地点にある店で休憩することにした。

 

「ではここを集合場所とし、しばらく自由行動です。三〇分後に出発するのでそれまでに軽食やお手洗いを済ませておいてくださいね」

 

 穂積は二人に言い残してそそくさとその場を離れていった。

 ここはカフェレストラン、売店、トイレ、ガソリンスタンド、宿泊施設が併設された複合施設だ。現地住民のほか、レンタカーで移動中だったり周辺のアクティビティを楽しむ観光客で賑わいを見せている。

 店の側にある何台ものスノーモービルを避けて駐車したジープ。これまでのドライブで雪による不安な挙動を見せることは一切なく、至極快適な空間でここまで来られた。この車そのものの性能もさることながら、やはりスパイクタイヤの恩恵が大きいだろう。千葉や東京ではまずお目にかかれないこれは、確かな安心感を与えてくれた。

 店に入った二人はカフェの一角に陣取ると、プレーンシュガーのドーナツとホットコーヒーを注文した。

 

「……」

 

 ドーナツを口に運び、モソモソと咀嚼する北山。乾いた口の中、油と砂糖にまみれた生地が口内の水分を吸い尽くし、不快感が凄まじい。

 

「――ふぅ」

 

 豊藤はコーヒーを一口含んで、窓の向こうの銀世界に視線を向けている。窓の半分以上を覆うほど積もった雪が、北極圏の威力を物語っている。

 二人は車に乗り込んでから店の席に腰を下ろすまで、言葉を一言も交わしていない――交わしていないだけで、豊藤が一方的に北山に語りかけていた。二人の間には、気まずいという言葉では言い表せないほどの嫌な空気感が漂っている。

 ロヴァニエミという異国の地まで、北山を追ってきた豊藤。フィンランド旅行の真相を知った豊藤は、秋葉原で北山を見送った直後に自身の()()()に連絡を入れ、急遽渡航の準備をしてもらったそうだ。本社が入るビルに迎えに来てもらい、用意してもらった荷物とともに羽田空港へ。移動中に悟られないよう、北山の席から一番離れられる座席で、ずっと息を殺していたそうだ。

 豊藤の行動にハンドルを叩いて笑う穂積。真相を自身の目で確かめたいと言って憚らない豊藤の強い願いに感嘆し、そしてシンパシーを抱いたそうだ。

 そんな中――気まずさはもちろんだが、それよりも豊藤に対する猜疑心と、得体の知れない行動への恐怖心から、北山は口を閉ざしていた。

 この恐怖心はどうして生まれたのだろうか。北山は自問する。

 どうしてこの子を怖いと思ったのか。勝手にスマホを見てきたことか。自分のスケジュールを把握されたことか。それとも私に悟られず息を殺してここまで尾行してきたことか。首を摑んで絞めようとしてきたことか。

 いや、違う。そうじゃない。そんなことじゃない。

 

「先輩」

 

 気の置けない友人――自分のことを強く慕ってくれていると思っていた後輩に、本気の疑いの目を向けられて、酷く動揺しているんだ。

 親しい間柄の人に、心の底から訝しまれて、この関係が崩れてしまいそうなことを怖がっているんだ。

 

「貴方にも忘れられない過去があるのでしょう」

 

 フーフーと表面を冷まし、コーヒーに口を付ける豊藤の眼光は、およそ会社の先輩に向けるものではなかった。

 瞳に浮かぶのは、憐れみなのか、それとも――北山は判断できずにいる。

 

()()()()()()()()()、心に深く刻まれていて、それが時々疼いて……自分でもどうしようもできないんですね」

 

 カップを置いた豊藤の瞳が、揺れ動く北山の瞳を真っ直ぐ見つめた。

 

「貴方のような強い御人であっても深く悩ませ、心を絞め上げ、余裕を失わせてしまう……本当に怖ろしいものですね――」

 

 

 

 休憩を終え、再び北上する。太陽が地平線に近づき、空が薄明をほんの少し取り戻す。

 針葉樹林の隙間を縫うようにして雪道を進んだ一行は、十一時二十分――ソダンキュラに入った。

 北山の最終目的地である()の邸宅は、ソダンキュラの北西、少し開けた位置にある。

 

「もう少しで到着します。降りる準備を済ませておいてくださいね!」

 

 街灯のない、満足に除雪されていない雪道を長時間運転し続けた穂積には脱帽する。環境が環境であるだけに仕方なく運転している側面もあるだろうが、だからこそ技術を習得していったのだろう。郷に入っては郷に従え――これは環境にも通用するのかもしれない。

 シートベルトを外し、腕に抱えていたインナーダウンとアウターを着る。暖房がしっかり効いた車内でこれらを着るのは少々暑苦しいが、少しの我慢だ。隣に座る豊藤も、モンクレールのアウターに袖を通している。

 ジープが閑静な街を進む。雪の勢いはロヴァニエミとそこまで変わらない。厚着した街の人が、店や家の前の歩道や駐車場で雪搔きしている。その表情に感情は浮かんでいない。雪搔きの煩わしさは世界共通なのだ。

 脇道を進んで街の外れを走る。すると、降り積もる雪の中に佇む白い三階建ての家が現れた。ヘルシンキ空港で感じたような、木製サイディングの温かみのある外壁が特徴で、屋根は積雪対策の三角屋根。一階部分がガレージになっていて、中心部で見た家と比べてかなり大きい。

 写真で見た通りだ。この家こそ、今回の最終目的地だ。

 

「お二人は先に荷物を下ろしてください。私は駐車しますので」

 

 敷地に入り、車を停めた穂積が二人に促す。手元のリモコンを操作すると、ガレージのシャッターが自動で上がる。

 後部座席を降り、バックドアを開いて荷物を出す。リュックサックを背負い、ショルダーバッグを肩にかける。スーツケースを持ち上げて地面に置く。豊藤は北山が背負っているのより小さいリュックを一つ。フィンランド旅行には心もとない気がしてならない少なさだが、これからどうするつもりなのだろうか。

 ガレージにジープを収めるのを見届ける。エンジンを止めて出てきた穂積がシャッターが下りてくるのを確認したら、玄関の鍵を開けて二人を促す。

 

「ではではどうぞこちらへ! 遠慮なく入ってくつろいでください」

「お邪魔しまーす」

「……お邪魔します」

 

 外開きの玄関を通って家に入る。フィンランドでは日本同様玄関で靴を脱ぐ文化だ。用意されたスリッパを履き、廊下を歩く。

 セントラルヒーティングにより、室内はとても暖かい。アウターやインナーダウンはおろか、その下に着ているフリースを脱いでしまっても快適に過ごせる環境だ。

 上着を脱ぎ、階段を上がる。主な生活スペースは二階以上にある。

 

「……」

 

 夏に穂積から提示された謎の言葉から始まった謎解きが、いよいよ終結を迎える。あの七つの平仮名を解き、いままで見えてこなかった構図を知り、業界の()()()()()()()を目の当たりにした。いままで気にせずにいた事実に興味を向けてみると、そこにあったのは自身の想像を超えた快楽と愉悦だった。

 北山にとってはただただ、奴――良き友人に会いにきただけに過ぎない。だが、それ以外の者にとっては意味合いのまったく異なる邂逅となるだろう。

 そう、あと少し歩いて、リビングに入れば、そこにはVTuber業界の癌が、悠然と待ち構えている。

 

「遠路はるばるようこそ皆さん。そしてお久し振りです」

 

 ソファーに腰を下ろし、タブレット片手にコーヒーを楽しむこの男との再会は、北山にとって数ヶ月ぶりのことだった。

 

「……久し振りだね」

 

 北山が言うと、男はタブレットとコーヒーをローテーブルに置き、立ち上がる。

 振り向き、自分の後ろで眉を顰める豊藤に男の素性を伝える。

 

「こいつは私の大学時代の後輩、岡崎肇」

 

 そして、もう一つの重大な情報を、北山は口にした。

 

「――ネットでは嘯木悦春と名乗っている」

 

 

 

 岡崎はソダンキュラの学校で数学兼日本語教師として教鞭を執りつつ、投資で生計を立てている。つい最近永住権を取得し、落ち着いた暮らしをしている。

 なぜこの地を選んだのかというと、異国の雪国で暮らしてみたかったからだという。数ある雪国の候補地の中で、一番魅力的に思ったのがフィンランドだったそうだ。

 暴露系VTuberとしての活動は余暇を有効活用している認識であり、あくまで趣味の領域を出ないという。

 Vythonには岡崎の内通者が二人いて、一人が霧笛シラベこと穂積一華。もう一人は、Vythonを運営する株式会社BROSSUMの役員である若い男。穂積によって社員の人となりを調べられ、金で動くであろう人間を絞り、話を直接持ちかけたのだそうだ。

 リスキーな試みだったが、功を奏した。現在内通者二人体制で、Vythonと、そこを起点にした業界の情報収集を行っているという。

 

「なら、海神ネムロの件は?」

「彼女は内通者を気取っていただけだよ。こっちから話を吹っかけたことはないんだ。情報提供するからそっちはこっちが欲しい情報を寄こせってとんでもない要求をしてきてね。あのときに限っては珍しく有用な情報を持ってきたから対応していたんだけれど……ポップアップの映り込みは、あっちの設定ミス」

「ああ、てことはOBSの設定か何かを変えてて……」

「そんなところだと思う」

 

 コーヒーを飲みながら、会話を続ける豊藤と岡崎。やけに話が盛り上がっている。元Vython所属の身として、裏の事情について興味津々な様子だ。

 二人の話が途切れたのを見計らい、北山が聞いておきたかったことを質問する。

 

「肇と穂積ちゃんってどういう関係なの」

 

 聞くと、肇がクスリと笑って答えた。

 

「一華は先輩と入れ替わりで入会した、表現研究会の後輩ですよ」

「え、あれって私が卒業した時点で活動終了したんじゃないの」

「実はそれから三ヶ月ぐらいは一華を入れて動いていたんですよ。でも中核メンバーが抜けて、晴馬は晴馬で執筆活動に集中してサークル活動にほとんど顔を出さなくて……正直あの会で活動する意味はもうないかなと思い、そのタイミングで解散にしました」

「そうだったんだ……」

 

 北山にとっては衝撃の事実だった。穂積が、自分が属していたサークルの後輩だったとは。サークルメンバーたちと定期的に連絡を取り合うことがなく、こういった情報はまったく耳にしていなかった。そうか、そういうことだったのか。

 

「表現研究会って、正式名称は()()表現研究会だけれど、入会時点でそれは知ってたの?」

「いえまったく。『表現の自由』を研究するサークルなのかなと思ってたんですけれど、蓋を開けたらもう全然違くって。でも肇ちゃんも長宗我部さんも面白い人だったので。あそこって、ある意味では『表現の自由』を追い求めるところではありましたよね」

「それはたしかにね。当時はまだまだ風当たりが強かった」

 

 そこで北山は話を切り、本題に戻る。

 

「で、どうしてVythonのVTuberになって、内通者になったの?」

 

 問うと穂積は、何の躊躇いもなしに淡々と語った。

 

「私、ゴシップが好きなんですよ。大学卒業して、週刊誌の編集として就職したぐらいには。それから二年ぐらい経ったころに、あそこのオーディションの広告がたまたま目に入ったんです。VTuber業界には興味があったので、物は試しに応募してみたんですよ。そうしたら、書類選考通過しちゃって」

「ええ……」

「動機は違うけれど、勢いは私と同じだね」

 

 気の抜けた言葉しか返せなかった。豊藤は理解したような、納得したような、神妙な面持ちだ。

 

「それから、オーディション担当者に気に入られるように誠実さとギャップを取り入れた設定で面接に臨んだら、合格しました」

「凄いな……その人物設定もそうだけれど、書類選考に通るっていう運も」

 

 オーディションは実力だけでなく、運にも左右される。この女は運を味方につけ、まんまとVythonという閉ざされたグループに入り込んだのだ。

 

「で、これが一番重要なんですけれど」

 

 ブルーベリータルトを飲み込んだ穂積は言葉を続ける。重要と言っているが、面持ちに真面目な雰囲気は感じられない。

 

「肇ちゃんが暴露系VTuberとして活動するようになったのは、私の誘いが切っ掛けです」

「……ゴシップが、好きだから?」

 

 豊藤が膝に頰杖を突いて問う。

 フッと軽く笑い、穂積はコーヒーカップを手に取った。

 

「もちろん。暴くのが気持ちいいからとかではなく、本人が慌てふためく姿を見るのが楽しいからとかでもなく、ただただ人間の裏事情を摂取するのが楽しいからです」

「へえ。本当にそうなんだ。悪辣だね」

「せめて性格悪いって言ってくださいよー」

 

 きゃらきゃらと笑う穂積から、どうしても悪意を感じられない。本能のままに行動しているのだろうか。

 しかし、嘯木悦春がどのように生まれたのか、その誕生秘話を本人らの口から聞くことができた。それだけでも、この国に来た価値はある。

 革張りのソファに身を預ける。ギュッと音を立てて、北山の背中を優しく支える。

 

「では話を変えますが、私から一つ下世話な質問を」

 

 右手を上げて、豊藤が申し出る。

 

「お二人はお付き合いしているんですか?」

 

 ピクリ、と頰とまぶたが震えるのを感じる。自分の意思に関係なく、勝手に反応した。

 

「趣味が共通していたのですぐに意気投合したんですよ。知り合って三ヶ月ぐらいのときに付き合い始めましたね」

 

 この質問に答えたのは穂積だった。

 穂積のあっけらかんとした告白に、岡崎は否定も肯定もせず、ただ困ったように眉を下げて苦笑した。それが何より確実な肯定の証だった。

 

「へえ、お熱いことで」

 

 豊藤がからかうような口調で返すが、しかしその目は何も語らない。

 感情なんて何もない。ただただ確認しているだけと言わんばかりの、何の光も帯びていない虚無の瞳だ。

 

「そっか……」

 

 北山は、それだけの言葉を喉から絞り出した。

 自分のあずかり知らぬところで、かつて所属していたサークルが少しの間だけ存続し、そこで出会った後輩たちが、海の向こうと日本を繫ぐ共犯者となり、なおかつ恋人同士になっている。現実離れしている事実に頭が追いつかない。

 胸の内に浮かんだ、この言い表せない感情は、果たして何なのだろうか。

 

「まあ、そんなわけで現在に至るわけです」

 

 話を区切り、コーヒーをグイッと呷った岡崎。立ち上がり、背伸びをする。

 

「じゃ、この話はこれぐらいにして、ソダンキュラの観光スポットを紹介しましょうか。先輩は二週間ほど滞在するんでしたよね」

「……そうだね」

「ならこの街をぜひ楽しんでもらわないと。ヘルシンキやロヴァニエミほど華やかではありませんが、負けないぐらい自然豊かで楽しいですよ」

 

 すると豊藤も立ち上がり、モンクレールのアウターを纏う。

 

「私は日本に帰ります。いろいろ腑に落ちたので。コーヒーとタルト、ごちそうさまでした」

「えっ……」

 

 帰る? いまから? 日本に?

 リュックを背負い、さっさとこの場を出ていこうとする豊藤の肩を摑む。

 

「帰るって、どうするつもりなの」

「ロヴァニエミ空港に自家用機が待機しています」

「自家用機……でも、ここからどうやって」

「本家の人が車を手配してくれていて、現在ロヴァニエミからこちらに向かってきています。あと一時間ぐらいで着くかと」

「本家……」

 

 ここで北山は、豊藤が上流階級の生まれだったのを思い出す。『自家用機』『本家』――一般人の友人が発する言葉にしては随分浮世離れしている。

 しかしながら、もはや取り付く島もない。帰国の手筈がもう整っているのなら、北山の制止が通用するはずもない。

 どうすればいい。何を言えばいい。言葉が上手く出てこない。こんなこと、これまで一度もなかったのに。

 

「ああ、そうだ。先輩」

 

 拳を握りしめて俯く北山に、豊藤が手招きする。

 

「外で一緒に話しましょう」

 

 

 

「どうして私が先輩を追ってきたか。目的を話していませんでしたね。不気味に思うのも仕方ありません」

 

 玄関を出て真っ先に、豊藤が口を開いた。雪が積もったほうへと歩き、黒いスノーブーツで雪を押し潰すのを楽しんでいる。北山に視線を向けることなく話を続ける。

 

「変化を感じたのは今年のゴールデンウィークを終えてからでした。先輩から、()としての妙な気配を感じ取りました」

 

 ゴールデンウィーク。そうだ、あのときは久々に表現研究会の面々と居酒屋で飲み会をしていた。食事を終えて解散したあと、肇に誘われて、あの六本木のバーに行った。

 それだけだ。それだけなのだ。

 なのに、なぜわかる。

 君には何が見えている。

 

「気のせいかなって思っていたんですけれど……夏に港区飲み会って言って社長がバーに誘ってきたじゃないですか。そこの店を眺める先輩が、何だかとても楽しいことを思い描いているような表情を浮かべていましたね。そこで確信したんです――『男関連で何かあったな』って」

 

 まるで自分の心の中を覗かれているような、不愉快を通り越し、怒りを飛び越えて、怖い感覚だった。

 高EQ? 人間観察が得意? いいや、そんなちゃちなものじゃない。この子は超能力か何かを持っていて、それで人の中身を読み取っているのではないか。

 

「で、昨日のアレですよ。先輩、フィンランドに行くって言って、これ以上もなく無自覚に目を輝かせていたんです。先輩が海外に特別憧れるような人間ではないと知っていましたし、多分恋人にでも会いに行くのかなって。でも、そうであるならどうして先輩の感情に『楽しみ』と『寂しさ』だけでなく、強い『未練』が含まれていたのでしょうか。そこがとても不安で、気になりました。スマホを覗かせていただいた理由はそこです。先輩から未練を感じていなければ、いま私はここにいなかったでしょう」

 

 身震いする。豊藤の言葉は、いまの北山にはまともに届いていなかった。

 優子は、私をどうしたい。優子は何を求めている。私と優子は、これからどういう関係になるの。 

 あっちの業界の敵であった肇といまでも交流しているのは事実。優子はかつての立場的に肇を恨むのは当然のこと。なら、私のことはどう思う?

 わからない。優子のことがわからない。

 怖い。繫がりが崩れるのが、とても怖い。怖くて怖くて、たまらない――。

 

「――先輩」

 

 いつの間にか目の前に来ていた豊藤が、北山の胸ぐらを両手で摑み、強引に引き寄せた。バランスを崩して豊藤に覆いかぶさるように倒れ込んでしまった。

 二人分の体を受け止めた雪がクッションとなり、ギュッと音を立てた。

 

「あ、ごめ……」

 

 立ち上がろうと地面に手を付いたが、思ったより雪が深くて上手くいかない。その上、豊藤の両手が、北山を摑んで放さない。

 上体を起こした豊藤が、北山をグッと引き寄せる。小さな顔が至近距離にある。鼻と鼻が触れそうだ。寝息のような深い息遣いが聞こえる。白い息が立ち上り、極夜の空に舞い上がる。

 目が合う。息を呑むほど綺麗なブラウンアイだ。気を抜くと、吸い込まれてしまいそうなほど。

 そして豊藤は、子供をあやすように言葉を紡いだ。

 

「信頼してほしいとは言いません。でももし、こんな私でも信頼していただけるのであれば、話していただけませんか。私は貴方のことを知りたいんです」

 

 グッと引き寄せられる。額と額がぶつかった。ワンレングスの前髪とウェーブがかかった髪が交わって、くすぐったい。

 額がぶつかる。目線がぶつかる。髪が交わり、意思が交わる。

 

「だって、私はいつだって先輩の味方ですから」




 お待たせしております。
 前々推定2話で終わると書きましたが、ここに来てもう2話分必要になりました。
 なのであと2話で本編完結です。これは推定ではなく確定です。
 本当、小説って書くの難しいですね……。
 誤字がありましたら誤字報告願います。


 あの挑戦状、解けましたか?
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