史実はラノベよりも奇なり ~歴史短編集~   作:ロッシーニ

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☆登場人物

◯オクタウィアヌス(アウグストゥス)
主人公。体力がない。喧嘩弱い。軍才なし。病弱。中性的な顔したイケメン。
◯アグリッパ
オクタウィアヌスの親友。軍人。苦手な軍事は彼に丸投げ。

◯カエサル
稀代の英雄。オクタウィアヌスの大叔父。何故か実績のないオクタウィアヌスを自身の後継者に指命する。

◯アントニウス
カエサル派No.2。キケロに「身体も頭も剣闘士並み」と評される程、ステータス武力偏重のマッチョマン。
◯クレオパトラ
プトレマイオス朝エジプトの女王。絶世の美女にして、おっそろしい悪女。

◯キケロ
元老院議員。史上最高の随筆家にして、イチャモンをつけさせたら天下一の弁舌家。



体力なくて喧嘩もからっきし弱い僕が突然英雄の後継者に指名されて皇帝になっちゃうお話
前編 ~英雄の死~


「何だって! 大叔父様が…カエサル様が、殺された!」

 

紀元前44年。

オクタウィアヌスがカエサル暗殺の報せを聞いたのは、遊学先であるギリシャ西岸・アポロニアでのことだった。

 

オクタウィアヌスはその端正な顔立ちを怒りと悩みで歪ませながら思案する。

 

僕に遊学を命じたのは他でもない大叔父様だ。

もしかして、大叔父様は殺されるのを予見して僕を逃がしたのか…!?

でも、なぜガリアを制し、グラックス兄弟の改革失敗以降の混乱を治めた英雄である大叔父様が殺されなくてはならないんだ…。

 

 

「暗殺の下手人は誰だ? わかっているのか?」

そう問うと、カエサル暗殺の報を知らせにきた下僕は肩で息をしながら応えた。

「元老院派の連中十数名…あとコチラの陣営からの裏切り者も…。主犯を挙げるなら、カッシウス・ロンギヌスとマルクス・ブルータス…。デキムス・ブルータスやスルピチウス・ガルバも関与しています。」

 

「元老院派の奴ら…カエサル様に命を助けられておいて…。恩を仇で返すのか!」

と憤慨したのはオクタウィアヌスのギリシャ遊学に随行していた親友・アグリッパである。

 

彼は女性的な顔で線も細いオクタウィアヌスとは正反対に顔の彫りが深く筋骨隆々の軍人だ。真っ直ぐな正義感を持つこの男は恩人の死を知って目に涙を浮かべ、身体を震わせている。

 

それに比べると、カエサルの遠縁でもあるオクタウィアヌスは少し冷静であったと言っていい。

静かに、ため息をつき、呟く。

 

「共和制ローマは独裁者を決して許さない…。それが例え、英雄カエサルであってもか…。」

 

--------------------

 

オクタウィアヌスは幼い頃に父を亡くしている。母はその後まもなく再婚するが、そのころのローマでは再婚先に前夫との子は連れていかないのが普通であった。その為、オクタウィアヌスは姉のオクタウィアと共に祖母のユリアに預けられることとなった。

 

そのユリアの兄が、カエサルなのである。当時のカエサルは丁度ガリア遠征を行っていた頃で、ほとんどローマに帰ってくることはなかった。だから、オクタウィアヌスは大叔父・カエサルの事をそこまで理解していた訳ではない。やたら陽気な親戚の面白おじさん。その程度の認識であった。

 

 

オクタウィアヌスがカエサルの偉大さを思い知るのは紀元前49年。オクタウィアヌスがカエサル家に引き取られてから二年後のことだった。不可能と言われたガリア平定を成し遂げたカエサルは、その影響力を恐れられた。敵対する元老院派はカエサルの同盟相手であり、彼を上回る軍事的天才と言われていたポンペイウスを籠絡。ローマに帰る前に武装を解除するよう圧力をかけてきたのだ。

 

何か企みがあるのは間違いない。命令通りに軍を解散して丸腰で帰れば、どんな危険があるかわからない。かといって、軍を率いて戻れば、いわば朝敵。

 

カエサルは迷った挙げ句、軍を率いてガリアとローマの国境たるルビコンを渡河した。

カエサルの有名な「サイは投げられた」というセリフはこの時発せられたものである。

 

そしてローマ内戦が始まった。

 

その結果、カエサルは苦戦を重ねながらも、不利を覆して勝利した。ガリア遠征に続き、カエサルはまたも奇跡を起こしたのである。ローマは熱狂した。カエサルは正にローマの英雄、最高権力者となったのである。

 

さて、問題になったのは敵であった元老院派の処遇であった。最大のライバル、ポンペイウスは亡命先で暗殺されていたが、カッシウス・ロンギヌスやカエサルの愛人の息子でもあったマルクス・ブルータスは投降し処分を待つ身になっていた。

 

カエサルは、彼らを無条件に赦した。命を助けるどころか、議員としての立場を保障し、自身を批判することすらも許した。

 

後、彼らに暗殺されることを考えると、カエサルは甘かったのかもしれない。だが、この寛容さ、ローマでいうところの「クレメンティア」がカエサルの強みでもあった。

 

このローマ内戦より以前、ガリア遠征でもカエサルは同じように振る舞っていた。戦場では勇敢に戦いながら、一度戦闘が終われば、カエサルは倒した敵を決して殺さなかった。自分を苦しめた相手ほど、その能力を称え、認め、一部では統治も任せた。時に共に酒を酌み交わし、そして仲間になった。カエサルがほとんどの元老院議員を敵に回しても勝てたのは、遠征先で得た仲間の存在によるところが大きかった。

 

英雄となったカエサルだったが、その戦いは終わらない。

紀元前46年。スペインにいるポンペイウス派残党を討つヒスパニア遠征が起きる。

 

オクタウィアヌスはこの戦いに従軍することになった。指揮官たるカエサルがそれを望み、是非にと乞うたのだ。祖母・ユリアと姉・オクタウィアは大反対した。

 

特に、オクタウィアは

「従軍を止めないなら死んでやる」

と言いながら泣きわめいたほどだった。

 

病弱で、黙っていれば女性と見間違うほど線が細い。どこか自身無さげでいつも人の影に隠れている。そんな16歳の少年が屈強な男たちに囲まれながら戦場で活躍する様など、家族ですら想像できなかった。

 

「アンタなんか、戦場に出たら2~3秒持たずにすぐ死んじゃうんだから止めときなさい!」

「アンタ、可愛いから捕まったらオカマを掘られて一生慰みモノにされるわよ」

 

カエサルから声がかかってから、出立の日までオクタウィアヌスは毎日姉に脅しをかけられたが、最終的には自分で従軍を決めた。男児たるもの、いくら非力でも一度は英雄に憧れるものだ。カエサルはローマ中の少年の憧れであり、オクタウィアヌスに至っては、それが大叔父なのだ。そんな人物に声をかけられて断れるはずがない。

 

 

カエサル様が直接誘ってくれた…。

僕はあの英雄に才能を見込まれているんじゃないだろうか…。

だとすると、もしかしたら、いつもは非力だけど戦場に出たらいきなり闇の力が覚醒して、とんでもない力が出せる可能性もあるな…。

 

抑えようとしても抑えきれない期待を胸にオクタウィアヌスは出立までの日々を過ごしていた。

 

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正しかったのは、どちらかと言えば姉・オクタウィアの方だった。オクタウィアヌスの力は覚醒せず、自分でもビックリするくらい、この戦場で活躍しなかった。

 

兵を率いれば、味方が勝っていても彼の部隊のみは連戦連敗。剣も弓もまるで扱えず。なんなら軍について歩くだけで精一杯。疫病に倒れることもあった。

 

でも、不思議と死にはしなかった。一度、船が難破して敵陣に取り残されたことがあったが、ここでも残った少数の味方をまとめて脱出し、無事軍に合流することができた。

 

オクタウィアヌスが軍に戻るとカエサルが声をかけてきた。

 

「いやー、お前、今度こそ死んだかと思ったよー。だってオレ、ユリアとオクタウィアになんて言い訳しようか考えてたもん。」

「あ、えっと、ご心配をおかけしてすみません…。」

「でも、よくやったよ」

「え?」

「だって、お前死ななかったじゃん」

「えぇ、まぁ。でも、それだけです…。もうボロボロです。」

「どんなに不恰好だろうが、ボロボロだろうが、死なないのは大事なんだよ。だってオレ、ポンペイウスに負けまくったもん。負けまくったけど、最期に一回大勝利で今、独裁官(ディクタトル)よ。」

「そういうものですかね…」

「そういうものだよ。もしかしたら、それがお前の才能なのかもな」

 

カエサルの言葉には、人を勇気づける説得力があった。それ故、戦場で散々だったオクタウィアヌスも必要以上に自信を失うことはなかった。

 

その後、カエサルはオクタウィアヌスに副官としてアグリッパを紹介してくれた。名家の出身ではないが、ムンダの戦いで大活躍していたオクタウィアヌスと同世代の軍人だった。

 

カエサルが行ったこの人選は絶妙だった。アグリッパはその軍事的才能でオクタウィアヌスの苦手を期待以上に補った。だが、性格上、主人であるオクタウィアヌスの上に立とうとするような人間ではないし、家柄が低いのでムダに担ぎ上げようという者もいない。

 

戦いは得意だが、実直で政治的な駆け引きは得意でなく、家柄というバックボーンがあるわけでもないアグリッパ。彼にとっても、カエサルの親戚で危機回避が得意なオクタウィアヌスは必要不可欠な存在だ。

二人は互いに信頼し合い、この後、共に歩んでいくことになるのだった。

 

 

--------------------

 

「死んでんじゃねぇよ…あのジジイ…。」

そう呟くオクタウィアヌス。

「卑怯だ! 寄ってたかって…。カエサル様はあんな恩知らずな奴ら、なぜ助けたんだ!」

 

アグリッパはカエサルがローマ内戦の後、元老院派を処刑しなかったことを言っている。

 

「確かに、そうすればもう少し長生きはできたかもしれない…。でも、それをしなかったからこそ、カエサル様は英雄だったんだろう…。」

「え?」

感情が昂ったアグリッパはオクタウィアヌスの言ったことをよく理解できなかった。

 

寛容(クレメンティア)だよ。それがあったからこそカエサル様は強いだけでなく、人から愛された…。本望…だったかもしれないな。」

 

紀元前201年に終結した第二次ポエニ戦争以降、ローマは地中海世界における覇権を獲得した。そのローマ軍の強さの秘密はクレメンティアにあったとされる。奢らず、様々な文化を受け入れ、優れたものを採用する。敵であったハンニバルの戦術すら徹底的に研究し、時に取り入れた。それがポエニ戦争勝利の原動力であった。

 

だが、ローマが世界一の国家となった後、人々は慢心し、欲望を剥き出しにした。周辺諸国を属州化し、住民は奴隷として売り飛ばした。ローマ市内でも貧富の差が広がり、金持ちが貧民を虐げるようになった。極めつけは、紀元前149年の第三次ポエニ戦争である。ローマは既に力の差が歴然となっていたカルタゴに再度攻め込んだ。その際、元老院はカルタゴだけでなくその全領土の破壊を命じ、街は17日間燃え続けた。そして、この地を不毛の大地と化する為、田畑には塩が撒かれたという。そこに、かつてローマの美徳であった寛容さは微塵も存在しなかった。

 

オクタウィアヌスはカエサルがそれを憂い、いつかローマを在りし日の姿に戻すことを望んでいたことを知っていた。だから、カエサルは自分の身を犠牲にしてもそれを貫いたのだ。

 

「よく落ち着いていられるな。お前、あんなにカエサル様に憧れてたじゃん。」

オクタウィアヌスはアグリッパの言葉を鼻で笑った。

「落ち着いてる? それは僕のことを言っているのか、アグリッパ? 腸煮えくり反ってるよ。だから今、敵にどうやって罪を償わせようか考えてるんじゃないか。」

 

メッセンジャー役を務める下僕は言った

「カエサル様の遺言があります…!」

二人は話すのを止めてそれを一言一句聞き漏らさないようにしようとした。これにより、二人の今後の行動が決まるかもしれない。

 

「一、カエサル所有の資産の四分の三はガイウス・オクタウィアヌスに遺す!

二、第一相続人オクタウィアヌスが相続を辞退した場合、デキムス・ブルータスに帰す!

三、オクタウィアヌスが相続した場合の遺言執行人として、デキムス・ブルータスとマルクス・アントニウスを指名する!

四、第一相続人はカエサルの養子となり、息子となった彼はカエサルの名前を継承する!

五、首都在住のローマ市民には、一人につき300セステルティウスずつ贈り、テヴェレ西岸の庭園も市民たちに寄贈する。その実行者は第一相続人とする!」

 

オクタウィアヌスとアグリッパ。二人は絶句した。そしてしばらくして落ち着いてから話し出した。

「これってつまり…」

「僕が…カエサルの後継者ということか…!?」

「ど、どうする…?」

「どうするって…なぁ…」

 

オクタウィアヌスは、俄に信じがたいとおもっていた。カエサル軍団には歴戦の勇士が勢揃いしているのだ。それこそ、遺言でも名前が出たアントニウスやデキムス・ブルータスなどはカエサルの右腕、左腕と言ってもよい存在だ。

そんな中で、大した手柄も立てたことがない自分が後継者だなんて、話が上手すぎないだろうか。それこそ、ラノベだ。

とはいえ、遥々ギリシャまでやってきたこの下僕が嘘を言うとも思えない。

 

「とにかく、ローマに帰ろう」

と、オクタウィアヌスは決断した。

 

「でも、たぶん今のローマは反カエサル派の天下だぞ。ここで軍団を作って力を蓄えるって手も…」

「僕らは18歳の若造だぞ。誰も知らないギリシャで軍団を募って誰が従ってくれるっていうんだい? それならまだローマに戻った方がいい。たった今、僕はカエサルの息子になったんだ。ローマのカエサル派を頼ろう」

 

アグリッパは頷いた。

「わかった。じゃあ、一刻も早く出立の準備に取りかかろう。」

 

二人は足を宿に向ける。

オクタウィアヌスは思った。

 

クレメンティア…。

 

義父・カエサルの政治的信念であったこの概念を自分が引き継ぐことはできないだろう。自分はあんなに強くない。あんなに人から愛されることもなければ、あんなに人を信じることもできない。きっと、他の戦い方が必要だ。

 

それを、ローマに着くまでの旅路で考えなくてはならない。

オクタウィアヌスは拳を握りしめた。

 

--------------------

 

オクタウィアヌスとアグリッパがアポロニアを発した頃。カエサルの遺言はローマでも公開されていた。

多くの市民たちの感想は「ガイウス・オクタウィアヌス、誰だそれ?」であった。

 

ローマの政界は恐ろしく年功序列だ。議員になるには17歳以上からできる軍務を10年間経験し、重要役職を経た上でなければならない。軍務につける年を越えたばかりの18歳であるオクタウィアヌスには、まず政治に携わる権利がない。彼は、市民の間ではカエサルの後継者の候補ですらなかった。

 

そういった感想を抱いたのは、一般の市民だけではない。カエサルに近しい人間も同様であった。

 

マルクス・アントニウスは激怒した。カエサルの後継者には自らが相応しい。そう考えていたからだ。アントニウスは、カエサルの右腕と呼ばれた男で、特にカエサルがポンペイウスを破ったファルサロスの戦いにおいては大きな功績があった。殊、戦闘に関して言えばカエサルと同等、もしくはそれ以上の力を有していたといっていい。平時の政治は不得意で、この時代一の随筆家であったキケロからは「頭も身体も剣闘士並み」と評されたりもしたが、それでもその功績の大きさから、名実ともにカエサル派No.2との評価を受けていたのは間違いない。カエサル本人と共に執政官(コンスル)に任命されたのは、その証でもあると言っていい。

 

後継者が自分でなくとも、ガリアやローマ内戦で共に戦った優秀な仲間の中からそれが選ばれるなら、まだ納得はできた。

 

だが、アントニウスが「ガイウス・オクタウィアヌス」という名を聞いて、彼のことを思い出せたのは、

「それ、誰だっけ? 俺たちの中にはそんな奴いないぞ…何かの暗号か?」

などと小一時間考えた後のことだった。

 

そう言えば、ヒスパニア遠征に従軍したカエサルの遠い親戚がいた。思い出せてスッキリしたのは一瞬で、その後すぐに怒りが沸いてきた。アイツに何の功績がある。軍務について一年程の新参じゃないか。そこで何らかの才能を見せた訳でもない。戦場ではまるで役立たず。挙げ句、敵に包囲されて死にかけてたじゃないか。

 

 

オクタウィアヌスは後継者に相応しくない。

 

そう考えたアントニウスは、カエサルの遺言によって課せられたオクタウィアヌスの後見人としての役割を放棄。オクタウィアヌスに渡るべきカエサルの財産を着服してしまった。

 

--------------------

 

もう一人、遺言を聞いて激怒した者がいる。プトレマイオス朝エジプトの女王・クレオパトラ7世だった。

 

彼女は、ファルサロスの戦いの直前にカエサルと出会い、彼の愛人となっていた。彼女とカエサルの間にはカエサリオンという名の男児がおり、この子がカエサル唯一の男児でもあった。

クレオパトラもまた、オクタウィアヌスなど後継者には相応しくなく、このカエサリオンこそがカエサルの後継者に相応しいと考えていた。

 

血の繋がりを異常な程に重視するプトレマイオス朝エジプトの出身である彼女の感覚では、実子にその地位が受け継がれないなどということは、侮辱でしかない。

だが、それ以上に、絶世の美女と呼ばれた彼女は、自分に夢中になったカエサルが必ずカエサリオンを後継者にすると思っていた。

 

カエサル程の男が、そこまで自分に夢中になっていて、意のままになると根拠なく確信する辺り、もしかすると、本当に魅了されていたのは彼女の方なのかもしれないが、プライドの高い彼女はそれを認めない。

 

カエサリオンの誕生以降、彼女はローマに移り住んでいたが、遺言を聞くと、怒りのあまりエジプトへ帰って行ってしまった。

 

その為、オクタウィアヌスと彼女が対峙するのは、もう少し後のことになる。

 

--------------------

 

ローマに戻ったオクタウィアヌスとアグリッパを待っていたのは絶望であった。

 

まず、得られるはずだったカエサルの財産が着服されてしまったのは前述した通り。更に、あろうことか、アントニウスを首魁とする旧カエサル派は暗殺犯たちと手を結んだのだ。

 

これは、遺言への反発と対抗心に端を発したものだった。暗殺犯たちは最大の政敵を排除していたものの、法を犯し英雄を殺したことで市民の支持は失っていた。そんな落ち度のある者たちは、権力さえ得てしまえば、あとでどうにでもなる。そうなると、アントニウスらにとって邪魔なのは彼らではなく、カエサルから正当後継者と認められたオクタウィアヌスの方だったのである。

 

「なぁ、どうするよ」

アグリッパは例によってオクタウィアヌスに尋ねた。相次ぐ事態の急変に、もう、自分の頭で考えられない。そんな気分だった。

 

「そうだな、じゃあ、あの人に会いに行こう」

オクタウィアヌスがそう言って足を運んだのは、キケロの家であった。

 

キケロはこの時代はもとい、史上稀にみる文筆家ということで知られているが、その言語能力を駆使して政治家としても活躍した人物だ。共和制の守護者と言われ、とにかく議会と法を重視した。だが、清廉潔白という訳ではなく、法を守る為ならば法を犯すことも肯定する、といったタイプの頑固者でもあった。彼は、常識に囚われない改革者であるカエサルとは相性が悪かった。だから、彼は反カエサル派の急先鋒でもあり、二人は議会において常に意見を戦わせていた。

 

もし、絶対権力者となったカエサルに比肩する存在があるとすれば、彼をおいて他にはいない。そう言わしめる存在であったキケロも、カエサル暗殺後の政権からは距離を置かれ、孤立していた。

 

カエサル暗殺事件によって誰もが痛手を負っていた。アントニウスらカエサル派はカリスマを失ったし、暗殺犯たちが市民の支持を得られず非難を浴びたのは前述の通りだ。キケロ一人だけがノーダメージだった。彼は、反カエサル派でありながら、暗殺に直接関わっていなかったので、市民からのバッシングの対象にはなっていなかったのだ。カエサルに匹敵する実力者がノーダメージで残っている事実は、政権奪取を目論むアントニウスらにとって、恐怖でしかなかった。キケロはオクタウィアヌスと並んで彼らの政敵となり、本来打倒すべき暗殺犯らと組んででも排除したい目の上のタンコブとなっていた。

 

敵の敵は味方。とはいえ、キケロは元々反カエサル派の急先鋒だ。今は政権と距離があるが、カエサル暗殺の直後には暗殺犯たちを称賛する言葉を送ったという。そう簡単に仲良くできる相手ではない。

 

通された客間でキケロを待つ間、オクタウィアヌスとアグリッパは軽く言い合いをした。

 

「おい、ガイウス。本当にキケロと手を組むつもりかよ。」

「そうでなかったら、ここには来ないよ。」

「あのキケロの奴、カエサル様を何度邪魔したことか…」

「でも、議会を離れると義父上とキケロは仲良かったらしいよ。結構有名な話じゃないか。」

「それでも納得いかないな…。アイツ、亡くなったカエサル様をコケにしたって言うし。大恩あるカエサル様への侮辱は許せないよ。」

「アグリッパ、大恩あるカエサル様がキケロを潰せって言ったかい? そんなこと言ってないだろ。カエサル様が言ったのは、僕を後継者にしろってことさ。そして、それを叶える為に、今は彼の力が必要なんだ。わかってくれよ。」

「うーん…。オレがわかっても、市民たちは支持してくれるだろうか。」

「それはやりようさ。少なくとも、アントニウスらは暗殺犯たちと組んだんだ。僕らがキケロと組むことだってあるだろう。」

 

大理石で作られた入口のドアが開いた。

「よく来ましたな。若きオクタウィアヌスよ」

 

そう言いながら、年老いた男が部屋に入っていた。フサフサの白髪を靡かせた老紳士。若い頃はさぞかし男前であっただろう、という印象だが、鼻の頭に小さな窪みがあり、それだけが特徴的だ。

 

ローマ一の随筆家にして弁舌家。

マルクス・トゥッリウス・キケロである。

 

「キケロ様。お待ちしておりました。」

オクタウィアヌスが年長者に対する礼をとると、キケロは椅子に腰かけた後、徐に手を叩き始めた。

 

「素晴らしい。あなたは本当に賢い人だ」

オクタウィアヌスとアグリッパは、突然の行動にやや意表を突かれた

 

「私の考えが、わかるのですか? 今会ったばかりだと言うのに。」

キケロは頷く

「ええ。手に取るように。だが、それはあなたが聡明であるからだ。」

「と、言いますと?」

「簡単なこと。私には、感情で動く獣のような輩の考えはわからない。何故なら、考えがないからだ。だが、あなたのことはよくわかる。私のところに来たことがその証明です。」

 

キケロは静かに微笑み、オクタウィアヌスも笑みを返す。二人の間には通じ合うものがあったが、アグリッパにはそれが分からなかった。キョロキョロ二人の顔を交互に見る様子を見て、キケロは説明を始めた。

 

「今、ローマの議会はアントニウスらと暗殺犯たちが牛耳っています。私も、あなたたちもそこからは疎外された存在だ。」

「まぁ、残念ですが、その通りですね。」

「だが何故、本来反目するはずの彼らが手を組んだのか、といえば、我々を恐れているからです。私はそもそも議会では彼らより力を持っていたし、あなたはカエサルから直々に後継者指名を受けた。」

 

アグリッパが立ち上がる

「あ、そうか! 奴らの恐れる我々が力を合わせれば正に百人力! アントニウスらも暗殺犯らも敵ではない、ということですね!」

 

キケロは顔をしかめた。間違いではないが、自分の考えはそう簡単ではない。素直にイエスと言うのはプライドが許さない。そんな様子だった。アグリッパの言葉には反応せずに続ける。

 

「オクタウィアヌス少年、まず、あなたは元老院議員になりなさい。」

「オクタウィアヌスはまだ議員になれる年齢ではありませんよ?」

 

アグリッパの問いをキケロは一笑に付した

「私がしてあげましょう。」

「え?」

「驚くことはないよ、アグリッパ君。オクタウィアヌス君は正にそれを頼みに来たのだから」

 

「え、そうなの?」

アグリッパがオクタウィアヌスの顔を見ると、オクタウィアヌスは苦笑いしながら頷いた

 

「さすがキケロ様です。何でもお見通しなのですね」

「え…本気かよ…」

 

アグリッパは大いに戸惑い、キケロに問うた

「でも、どうするつもりですか? 先程も申し上げましたが、年少の者は公職につけない決まりです。ポエニ戦争で活躍したスキピオは例外ですが、彼でさえもこんなに若くはなかった。いくらカエサルの後継者でも、そんなことできますか?」

 

「普通はできない。だが、オクタウィアヌス。だからこそ、あなたは私を頼った。そうでしょう? イチャモンをつけさせたら天下一と言われる私の弁舌であなたを必ず議会に参加させてみせましょう。」

「よろしくお願いいたします。」

 

オクタウィアヌスは暢気な笑みを浮かべている。

 

「で、我々は何をすればよいのでしょう…」

アグリッパはあまりにも簡単に終わった、この会談の内容に不安を覚えていた。そこまでしてくれる見返りは何だろうか、と。

 

「何もしなくてよい。あなた方は議会に行ける日をじっと待っていれば良いのだ 」

「でも…」

「話が上手すぎるかな?」

 

キケロに図星を突かれたアグリッパは肩をビクッと震わせた。

 

「私は、君たちに何かしてほしい訳ではない。私が、何かをするためにあなた方の存在が必要なのだ。」

「その、何か、とは…?」

 

キケロはため息をつく

「企みを直接口に出させるのは無粋ですよ」

などと言いながら、それでもオクタウィアヌス、アグリッパ両名の協力が必要だと判断したのだろう。

 

「アントニウスの弾劾。」

キケロはそう口にした。

 

--------------------

 

キケロの家を出た二人。

アグリッパはオクタウィアヌスに問いかける。

 

「なぁ、結局、分からなかったんだけど、キケロは何故オレたちの力を必要としているんだ? 彼の弁舌なら、アントニウスの弾劾くらい、一人でもできるだろ?」

「キケロ様はアントニウスが怖いのさ」

「そうか? 何かを怖れるような人には見えないが…。」

「キケロ様にはアントニウスの行動が読めないんだよ。彼は獣だから。」

 

「あぁ、確か、さっきそんなようなこと言ってたな」

とアグリッパは思い出す。

 

「カエサル様亡き今、議会でキケロ様に敵う者はいない。だが、暗殺犯らによって、既にローマの法は犯された。議論と政治工作で敵わないと見れば、アントニウスらが報復を口実に武力で政権奪取してもおかしくない。キケロ様はそれを怖れているのさ」

「ま、あの人、完全に文人だものな。喧嘩じゃアントニウスには敵わない。」

 

「そこで、僕らの登場って訳さ。」

「何故、そうなる?」

「アントニウスは僕らに直接は手を出せないよ」

「カエサルの後継者だから?」

「そうだね。アントニウスが議会で優位を保てているのはカエサル派だからだよ。その彼が僕を殺せるかい? 僕が跡を継ぐのは他ならぬカエサルの意思なのに。彼が僕らに出来るのはせいぜい遺産を着服したり、除け者にすることくらいだ。それですら、評判がよくない。」

 

「でも、あんまりキケロに接近しすぎるのは良くないと思うぜ」

「何故だい?」

「だって、今は政権と距離があるけど、キケロは思想的に元々暗殺犯側なんだ。もしお前が議員になれても、アントニウスらを排除したら残るカエサル派はお前だけ。完全に孤立するぞ」

 

オクタウィアヌスは人差し指を立てて頷いた

「そうそう。キケロ様の狙いは、たぶんそれだと思う。」

 

暢気なオクタウィアヌスに対してアグリッパは叫んだ

「お前、笑ってる場合じゃないだろ! ヘタしたら殺されるぞ!」

 

「大丈夫さ」

オクタウィアヌスは冷静に沈んだ声で言った

「たぶん、この後、僕はアントニウスと結ぶことになるだろう。そして、キケロは死ぬ。きっとそうなる。」

 

何か、この男には他人と違う景色がみえているらしい。前から、賢い男なのはわかっていた。若いとはいえ、アグリッパも一廉の武人。恩人の頼みでも、何の才もない男の風下に立とうとは思わない。アグリッパは彼の柔軟な発想力を非常に高く買っていた。

 

能力の高さ、というモノは時に人に恐れを抱かせる。アントニウスの武力やキケロの弁舌はその主たる例であるし、カエサルのカリスマ的魅力も敵対する人々にとってはそうだったのだろう。だから彼は殺されたのだ。

 

だが、アグリッパの見たところ、オクタウィアヌスの賢さには、いつもどこか悪戯っぽい愛嬌があった。彼のズル賢さにしてやられることがあっても本気で恨む者はいない。それがオクタウィアヌスの魅力であり、才能だ。アグリッパはそんな風に捉えていたし、親友と認めるまで心を許した理由の一つでもあった。

 

友として、アグリッパが愛したガイウス・オクタウィアヌスのそんな一面が、政治という舞台を得たことにより、禍々しく姿を変えつつある。狡猾、冷静、残忍、偽善、聡明。その全てに似ていながら、どれにも当てはまることがない、底知れぬ才能の開花。アグリッパは彼の中にその萌芽を見たのであった。

 

 

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