史実はラノベよりも奇なり ~歴史短編集~   作:ロッシーニ

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☆登場人物紹介

○メフメト2世
「英雄になりたい願望」を持つ中二病少年。父の意向によって弱冠12歳で皇帝(スルタン)になるが…。理想主義で現実が思い通りいかないとブチギレがち。
○チャンダルル・ハリル・パシャ
オスマン帝国の大宰相。ムラト2世の命によりメフメト2世の教育係に。メフメトからは先生(ラーラ)と呼ばれる。

○ムラト2世
メフメト2世の父。思慮深く有能だが、反面、イスラム神秘主義(スーフィズム)にハマるデンパ系。

○シェハーベッディン・シャーヒン・パシャ
陰謀が大好きな宦官長。
○ザガノス・パシャ
オスマン帝国宰相。メフメト政権の軍事担当。と、いうか軍事しかできない。

○ウルバン
ハンガリー人大砲技師。「ウルバン砲」というトンデモ兵器を発明する。



宮殿を追放された僕は要塞都市を攻略して大嫌いな先生に復讐する
その1 ~皇帝(スルタン)失格!?~


オスマン帝国にムラト2世という皇帝(スルタン)がいる。

この皇帝は有能なデンパであった。

 

オスマン帝国は、元々小アジアのアナトリア高原に住むテュルク系遊牧民が小君主の連合体として興した。

小君主とは言っても遊牧民である。彼らの中には明確に領土という概念を持たない者もいる。

例えば、イスラム諸勢力と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の境目となるこのアナトリア地方には非ムスリムに対する侵略的な宗教戦争…所謂ジハードに伴う、あるいはそれを名目とした財産狩りや奴隷狩りなどの掠奪遠征に従事する集団・ガーズィーが存在した。

 

オスマン帝国の初代皇帝であるオスマン一世もこうした部族の中から出た人物ではないかと言われている。

実は、このオスマン一世に関する記録は、現在、ほとんど残っていない。その為、彼がどういった人間なのかはよくわからないのだが、後に西洋世界を震撼させる偉大なオスマン帝国初代の言葉や行動を後世に残そうという発想が本人にも部下にもない辺りが、彼がお行儀のよい小君主ではなくそうした武装集団の頭目であったのだろうと言われる由縁の一つにもなっている。

 

その後、1326年に即位した2代目皇帝オルハン1世がオスマン帝国の実質的な建国者であると言われている。彼が領内の貨幣制度や法令を定めて国の形を整えると、その後、オスマン帝国は順調に領土を広げていった。周辺国家との戦闘に尽く勝利し、古代ローマ帝国を始祖とし1000年以上の歴史を持つ東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の領土もほとんど削り取ってしまった。

残る東ローマ領は帝都コンスタンティノープルとペロポネソス半島の一部のみ。それさえ落とせば東方(オリエント)におけるキリスト教勢力最後の牙城は崩れ、聖戦(ジハード)に勝利したオスマン帝国の地位はイスラム世界において不動のものになる。

 

このように世界を掌握するまであと一歩と迫ったところで、オスマン帝国は一度存亡の危機に瀕した。

第4代皇帝・バヤジット1世の時代、中央アジアを支配していたティムール朝との間にアンカラの戦いが起き、オスマン帝国はこの戦いで、皇帝が捕虜となるほどの大敗を喫したのだ。

バヤジット1世は決して愚鈍な皇帝ではなかった。キリスト教諸国家や十字軍との戦闘では、その巧みな用兵で勝利を重ね「稲妻」との異名を名付けられるほどの名君だった。

 

そんな彼が何故屈辱的な大敗を喫したのか。

相手が強敵ティムールであったこともあるが、オスマン帝国はその直前までビザンツの"要塞都市"コンスタンティノープルに対する包囲戦を7年に渡って続けており、その影響から財政は徐々に傾き、兵士たちも疲れきっていた。アンカラの戦いはそんな時分に起きていたのだ。

 

ティムールはオスマン帝国を滅ぼすことまではしなかったが、バヤジット1世はティムール朝の捕虜として死んだ。一説には獄中での扱いが良くなかった為、病にかかったとも言われる。

バヤジット1世が指導者(カリフ)から認められた皇帝(スルタン)であったが故、同じイスラム教徒のティムールとしては公に処刑することができなかったようだ。

 

何にせよ、バヤジット1世が国に戻らぬまま死去したことで、皇子たちによる後継者争いが勃発した。このまま、オスマン帝国は分裂し、元の武装集団の寄せ集めに戻ってしまうのではないか。

そう思われたが、オスマン帝国はそこから復活した。

皇子の一人、メフメト1世が国を再統一し、そしてその子、冒頭で有能なデンパと紹介したムラト2世との二代で国の勢力圏をアンカラの戦いの前に近い広さにまで戻していた。

 

ムラト2世は判断能力に優れた皇帝であった。

1422年。彼が即位した直後のオスマン帝国は東ローマと戦争状態に突入した。征服が目的ではなく、ビザンツ帝国がオスマン帝国の分断を狙い、ムラト2世とは別に皇位継承者を名乗るものを匿った為だ。

ムラト2世はこの皇位継承者を偽ムスタファ(メフメト1世の弟ムスタファを自称していた)と呼んで彼のいるコンスタンティノープルに包囲戦を仕掛けたのである。

 

ムラト2世が仕掛けた攻囲陣はかつてのバヤジット1世の失敗に学び、より強固なものとなっていた。

その気になれば、街を陥落させられたかもしれない。

だが、それでもムラト2世は途中で攻撃を止めて外交交渉でこれを解決した。賢明なムラト2世はこの要塞都市を陥落させることの困難さを知っていた。

 

コンスタンティノープルは東南北の三方が海に囲まれており、陸上から侵入可能なのは唯一西方のみだが、そこには難攻不落のテオドシウス城壁が聳え立っている。

この城壁は5世紀初頭に建造されたもので内壁・外壁・胸壁と三重構造になっており、内壁の高さは8-12m、厚さ5m、外壁は高さ8.5m、厚さは10m。胸壁も高さが2mあった。また、その胸壁の外側に幅約20m、深さ6mの壕があり、これを越えて都市に侵入するのは正に至難である。

 

では、東南北の海からの侵入はどうかというところだが、これも容易ではない。

まず、海岸線の周囲20㎞にはテオドシウス城壁よりは簡素であるものの、城壁が巡らされている。海からの侵入者は岸に船を接舷し、壁を乗り越えて侵入を図る訳だが、東、南のマルマラ海に面する海域は潮の流れが激しく接舷が困難になっている。

ビザンツ軍の抵抗を受けながら上陸を行うのはほぼ不可能と言っていい。

 

残す侵入方法は、北側・金角湾からの上陸だ。確かにそこは海流も穏やかで城壁も一重にしかない、防衛上の弱点と言える場所ではあった。だが、この湾には有事に太い鎖で出入口を封鎖できる仕組みがあった。こうなると、船は一隻も湾に入り込めなくなる。

 

この時点でオスマンとビザンツの力の差は歴然だ。

犠牲を覚悟で力攻めをするか、長期間の兵糧攻めをすれば、もしかすると落とせなくはなかったのかもしれない。

だが、ムラト2世はそれをして悪戯に国力を消耗することを良しとしなかった。

もしそうなれば、国内から造反者が出るかもしれないし、隣国が国土を狙ってくるかもしれない。彼はバヤジット1世と同じ轍は踏まなかった。

 

 

 

そんなムラト2世が大宰相チャンダルル・ハリル・パシャの元を訪ねたのは1444年初夏のことだ。

 

「ハリル・パシャよ、コンスタンティノープルの様子はどうだ?」

 

ムラトは開口一番にそう言った。

コンスタンティノープルは国際都市である。ヨーロッパとアジアを繋ぐ玄関口として地中海貿易に従事するビザンツ、ヴェネツィア、ジェノア、スペインなどの船がひっきりなしに出入りする。

 

こうした国々との貿易がもたらす利益は大きい。

オスマン帝国もムラトによるコンスタンティノープル包囲が明けて以降は、宗教・宗派の違いを越え、この街の国際秩序と共存する道を選んでいる。

 

コンスタンティノープルを知ることは世界を知ることだ。

そして、チャンダルル・ハリル・パシャはコンスタンティノープル外交の責任者でもある。

 

その為、出会い頭にムラトが発した言葉が2人の間では挨拶代わりになっていた。

 

「ヨーロッパ方面ではキナ臭い噂も聞こえてきますが、我が国を取り巻く環境は平和そのもの。何もかも、皇帝陛下の賢明なご判断の積み重ねの結果でございます」

「そうか…」

 

ムラトは呟いた後、窓の外を見て遠い目で見た。

 

「だが、それは私の判断などではない。このオスマンが平和なのだとしたら、それは何もかもが、(アッラー)のご加護によるものだ」

 

うわぁ…出たよ。

ハリル・パシャはそう思い頭を抱えた。

ハリル・パシャはムラトの聡明さを尊敬し、主君として愛してもいたが、同時にとても面倒な人だとも思っていた。

ムラトがこうした様子を見せる時は、だいたいロクなことを言い出さない。

 

「ハリル・パシャよ、私は引退する」

「また、それか。ダリぃ~」

 

ムラトは在位中、度々引退を口にした。

それは、彼がイスラム神秘主義(スーフィズム)に凝っていたことに由来する。

イスラム神秘主義とは、イスラム教の世俗化・形式化を批判する改革の中から生まれた実践形態の一つであり、修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中で神と一体化することを説くものだ。

おそらく、聡明な読者の皆様でも何を言われているのかサッパリわからないと思うが、要するに、これを極める為には世俗の権威とは距離を置き修行に没頭しなくてはならない。皇帝などはもっての他だ。

 

それでも、世界有数の大国に成長しつつあるオスマン帝国の皇帝位を簡単に手放そうとするなんて、この人はちょっとおかしいんじゃないか。

ハリル・パシャにはそうとしか思えない。

そして、この有能な皇帝に今、退位されるのは帝国の存亡にも関わる。

 

「陛下、辞められては困ります。あなた以上に皇帝に相応しい方を私は知りません。それに、今、退位されても代わりがいないではありませんか。」

「跡継ぎならメフメトがいる。」

 

「メフメト様に皇帝はまだ早いですよ」

「いや、皇帝位に若さは関係ない。」

「そうは言ってもメフメト様は12歳ですよ。」

「大丈夫。いけるって。なんか神もそう言ってる気がする」

 

「は? 気がするだけで退位すんな」

「私が神秘主義を極めたら、気がするだけじゃなくて、もっとハッキリ神の考えがわかるようになると思う。だから引退して修行する」

 

なんだコイツ、ああ言えばこう言いやがって。

とりあえず辞めたいだけなんじゃねぇの?

偉大なオスマン帝国をブラック企業扱いすんな。

 

と、いら立つハリル・パシャにムラトは聞いた

 

「メフメトは皇帝の器ではないか?」

 

ムラトに反論するならここは、器でない、と答えるのが正しい。だが、ハリル・パシャは心の底では尊敬している皇帝に嘘はつけなかった。

それに、ハリルはメフメトの教育係も兼ねている。ムラトが実際そう言うかはわからないが、もし皇子の出来が悪いならハリルがもっと努力せよ、となるのが道理なのだ。

 

「…優秀ですね。あの年にしては。」

「ならば、良いではないか。」

「ですが、若い。あまりに若い。」

「皇帝に年齢は関係ないと、今言ったばかりだか。」

「ならば、若い、ではなく、まだ青い、と申し上げましょう。」

 

ムラトにはイメージがつかないらしく、首をひねった。

 

「どういうことだ?」

「なんと言えばよいのか…皇子はたぶん、中二病なのです」

「中二…メフメトは12歳。現代風に言うと中一の年だが、一年ズレるのがそんなに問題なのか?」

 

「そうではなく…例えばメフメト様は、過去の英雄、アレクサンダー大王やカエサルに、やたらと憧れを抱いているのです」

「それが悪いことなのか? 多くの人は尊敬すべき先人の言動を見習い、自分もそうなるようにせよ、と教えを受けて育つものではないか? 良いことのように思うが。」

 

「うーん、メフメト様のは、そういう先人の教えを謙虚に学ぼうというのとは、ちょっと違うんですよね」

「どういう事だ? 人間を尊敬できるなんて、私はメフメトが羨ましい。私が偉大だと思うのは神だけだ」

 

「神、神ってうるせぇなぁ…。」

ハリルは舌打ちしてから続けた。

「中二病ってのはですね、もうちょい嫌な感じの…。皇子にはまだ、大人になりつつある時期のプライドの高さと子どもっぽい空想が入り混じったような…。ちゃんとした大人から見ると、恥ずかしいな、愚かだな、青臭いな、と思ってしまう言動が多々見られるんですよ。」

 

「と、言うと?」

「そうですね。皇子の場合は歴史オタなので、例えばアレクサンダー大王の伝記を読んだら、あたかも自分が大王のような特別な人間になったような気分になって、調子こいた行動をとってしまうんです。あと、ちなみに、アニメオタの場合は自分が邪王炎殺拳の使い手だと勘違いします。」

 

「なるほど。自分が英雄だと思い込む。神と一体化することと似ているな」

 

そう言われると、この親子は似た者同士なのかもしれない。

だが、大きく違うのは、ムラトが一体化の対象としているのは神であり、現世から離れてそれを達成しようとしているのに対し、メフメトが対象としているのは実在の人物で、帝国の軍勢を用いそれをしようとしている事だ。

 

メフメトの嗜好は国家を危うくする。ハリルにはそう思えてならない。

 

「とにかく、私は反対です。皇子が成人するまで待って下さい。」

「そうか…。ハリル・パシャがそこまで言うか。」

 

「わかって頂けましたか。」

ハリルはほっと胸を撫で下ろしたが、次の瞬間、ムラトはとんでもない事を言った。

 

「よし、では私はメフメトに譲位することにする。」

「はぁ!? へ、陛下…? 今の話…聞いてました?」

 

「あぁ。聞いていた。」

「聞いていて何でその判断になるんですか!?」

「私はずっと聞いていたぞ。神の声をな。神は譲位しろと言っている。」

「おぉぉ…マ、マジかこの人…」

 

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結局、本人たちの意向によりムラト2世からメフメト2世への譲位が決まった。現任者は一刻も早く退位したがり、後継者は一刻も早く即位したがったのだ。

 

ハリル・パシャはメフメト2世即位の準備を進めている。納得していない仕事ほど疲労を伴うモノはない。ハリル・パシャは日々、眠たい目を擦りながら膨大な書類に目を通し、部下に指示を出している。

 

そんなオスマン帝国が危機に瀕したのは、メフメトの即位も数日後に迫った1444年11月のことだった。

ハンガリー・ポーランドを中心とした欧州諸国家が連合を組み、オスマン領に兵を進めてきたのである。

 

この欧州諸国家の連合をヴァルナ十字軍というが、オスマン帝国と彼らは半年ほど前に和睦していた。ムラトの譲位宣言も彼らとの「セゲトの和約」が成り、当面の平和が確保されたからこそなされたものであったのだが、ヴァルナ十字軍はそれを早くも破ってきた。

幼帝の即位を聞きつけてのことだろう。ハリルは伝令を聞いてそう思った。

 

さて、こうなった以上、早速この事を皇帝に伝えて戦争準備に入らなくてはならない訳だが、ハリルは迷った。

まだ正式な即位も済んでいないメフメトのところへ行くべきか、それとも、もう既に半ば引退したつもりで毎日、神秘主義の祈り、回転舞踊(セマー)ばかりしているムラトのところへ行くべきなのか。

 

迷った挙げ句、ハリルは先にメフメトの元を訪ねることにした。

 

 

ハリル・パシャが部屋に入ると、そこにはメフメトの他に2人の宰相と数人の軍団長がいた。

 

メフメトは既に甲冑を身にまとい、戦闘体勢になっている。色白で容姿端麗な彼の聖戦士(ムジャーヒディーン)姿は美しく、見る者を惹き付けるような魅力があるが、それでも線の細さは隠せない。

彼がこの先、成長し大人の男になれば、勇ましい、神々しい印象にもなるのだろう。

だが、育ての親でもあるハリルからすれば特に、今はまだ、可愛らしいと言った方が印象として近い。

 

部屋の奥のメフメトの傍らには宦官長のシェハーベッディン・シャーヒン・パシャが控え、中央では武闘派の宰相ザガノス・パシャが何やら軍団長たちを鼓舞する演説を行っている。

 

先生(ラーラ)! よくお越し下さいました!」

 

メフメトはそう叫んでハリルのいる入口付近まで駆け寄ってきた。先生(ラーラ)というのが、ハリルに対するメフメト特有の呼称だった。

 

ハリルが教育係に任じられた時、ムラト2世はメフメトに

「以後、ハリル・パシャを師と仰ぎ、彼の言うことを必ず守るように」

と言いつけた。

 

「その様子ですと、既にハンガリーのことはお聞きですね。」

「ええ。素晴らしい。」

「素晴らしい…?」

「僕の即位直後、早速ヴァルナ十字軍が攻めてきた…。これは、この敵を打ち倒し、世界制覇の第一歩にせよという、神の思し召しに違いありません!」

 

下衆め。

ハリルはそう思った。

 

メフメトに取り入ろうとするシェハーベッディン・シャーヒン・パシャとオツムの弱いザガノス・パシャに対してである。

 

目にかかる長い髪を持つ見るからに怪しげな男、シェハーベッディンは中二病に犯されたメフメトが何を言えば喜ぶのか理解していた。先程のメフメトの言葉も彼の受け売りに違いない。

 

ムラト2世よりも、メフメトのところに先に来て本当に良かった。早く彼らを止めなければ恐ろしいことになっていたかもしれない。

ハリルは胸を撫で下ろした。

安定志向のムラト2世には目立った軍事的功績がない。ビザンツ帝国とのコンスタンティノープル包囲戦でも、半年前のヴァルナ十字軍との戦いでも、ある程度は戦うが、その後、講和の道を選んでいた。

 

オスマン帝国の国力をもってすれば総力戦では負けないのに。

そう疑問を呈する者もいた。

だが、それがティムール朝に破れて一時消滅寸前まで追いつめられた帝国を安定させたのも確かだ。

陰謀好きのシェハーベッディンは落ち着いたムラトとは気が合わず、前政権下でそこまで重用されなかった。彼はメフメトに取り入った上で軍事的な成果を立てさせ、それに乗じて自らの地位を向上させたいのだろう。

そこに、オスマン帝国やそこに住まう人々に対する愛や配慮などはない。ただ、強い自己顕示欲があるだけだ。

それを12歳の幼帝を使って満たそうとしている。

 

そして、もう一人メフメトに近い宰相であるザガノスは勇猛果敢だが、それだけだ。

戦場で兵を指揮させれば有能でも、思慮の深さという意味では12歳の皇帝と同じか、それ以下しかない。敵の襲来に対し、少年と一緒に盛り上がり、浮き足だっている。皇帝を補佐する宰相の役割が何なのか理解していないのだろう。

 

「まだ戦うと決まった訳ではありませんよ。メフメト皇子。」

 

ハリルは、この正式な即位をまだ迎えていない少年をあえてそう呼んだ。

 

「え、何故…!?」

「相手が何故兵を進めてきたのか話も聞いていないではありませんか。場合によっては和平もありえます。」

 

「臆病風に吹かれたのか、ハリル大宰相! 戦う前から和平など語るべきではない!」

 

そう大声を出したのはザガノスだ。

 

「戦争には金がかかります。出来ればやらないに越したことはありません。」

「笑止! 金を理由に敵に背を向けるなどあってはならぬ事! 帝国の名誉は金に変えられん!」

「いいですか、戦争に勝っても、金のない貧乏国家に名誉はありません。」

「何!?」

「だいたい、ザガノス・パシャ。あなたは戦争にいくら金がかかって、それがどこから捻出されているか、わかっているのですか?」

 

「ぐっ…ぬ…」

とうなり声をあげてザガノスは言葉を失った。

 

金勘定は、武骨なザガノスの専門ではない。もしかすると、彼よりもっと下級の官僚の方が詳しいかもしれないくらいだ。

 

ハリルはわざと大きな声を出しながらため息をついた。

 

「まったく、あなたはそんな事も知らずに国全体を戦争に巻き込もうとしていたのですか。」

「うっ…」

 

「先生、でも僕は!」

「『でも僕は』、何ですか?」

ハリルはザガノスの援護をしようとしたメフメトのことを冷たい目で睨み付けた。

怯んだのかメフメトは、やや語気が弱い

 

「僕が皇帝なのですから、それは僕が決めます…」

「即位式は終わっていません。皇帝は、まだムラト様ですよ」

 

ハリルはゆっくりと丁寧に言った。それは最早、一国の宰相が皇帝にモノを申す時の言い方ではない。母親が悪さをした子どもを諭す時のような言い方だった。

 

メフメトが沈黙すると、ハリルはシェハーベッディンに言った。

 

「今後の対応は、ムラト様と相談の上で、私が指示を出します。あなたもよろしいですね」

 

シェハーベッディンは苦々しい表情をしたが、頷いて了承を示した。ハリルの理論に一理ある、分が悪いと判断したのだろう。

 

「無論、皇帝の仰せのままに致しましょう。」

 

--------------------

 

 

ハリルは珍しく神に感謝した。あと、数日ヴァルナ十字軍の進攻が遅れてメフメトが即位した後であれば状況は変わっていたはずだ。

 

ハリルがヴァルナ十字軍の襲来を報告すると、ムラトは自ら指揮をとることを決めた。相手の指揮官がハンガリー貴族のフニャディ・ヤーノシュだと知ったからだ。

このヤーノシュは半年前の戦闘でもオスマン帝国を相手に戦況を優位に進めた名将だ。

まだ、メフメトには荷が重い。

ハリルと同様にムラト2世もそう判断した。

 

1444年11月。ヴァルナの戦いが起きる。

激戦となったが、最終的にはオスマン帝国が勝利した。十字軍の騎兵による猛攻に序盤こそ苦戦したが、それを受けて敵をヴァルナ湖近くの湿地帯に誘き寄せると、馬が足をとられたところで、オスマン軍の近衛兵兼軽火器歩兵イェニチェリが容赦なく発砲。十字軍の騎兵を射殺していった。

ハリルはこの戦いの後、ムラトに留任を強く要請したが、彼はそれを拒否してメフメトに譲位した。

 

即位すると、英雄に憧れる少年メフメトは側近たちに唆されて戦争の準備を始めた。

攻撃目標は、「稲妻」ことバヤジット1世も父・ムラト2世も落とせなかったビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルである。メフメトは不可能と思われた要塞都市の攻略を果たすことで自らの名声を確立しようと考えたのだった。

 

しかし、ここで想定外の出来事が起こった。

ヴァルナの戦いで勝利の立役者となった軍団・イェニチェリが賃上げを要求しビザンツとの戦闘を拒否したのだ。

 

メフメトは彼らの前で激昂した。

「皇帝の言うことは絶対だぞ、何故、お前らは僕の言うことを聞かないんだ!」

と。

 

それに関してはメフメトの認識が甘いと言わざるを得ない。

元々ガーズィーという略奪集団を母体としていたオスマン帝国の軍には、自らの損得を勘定して働く気風があった。

アレクサンダー大王やカエサルの部下たちがそうであったように、もし、それを越えた忠誠を兵士たちに求めるのだとすれば、彼らに何らかの恩を感じさせるか、自らの能力の高さを示す必要があったが、年少で即位したばかりのメフメトにはそれがない。

能力そのものがない、というよりも兵士たちがそれを判断する時間も与えないまま事を進めてしまっている。正に時期尚早なのである。

 

元来、短気なメフメトは

「金ならやる! コンスタンティノープルを攻略したら、そこからいくらでも略奪すればいいだろう!」

と言ったが兵士たちは聞く耳を持たない。それどころか、メフメトの発言を鼻で笑っていた。

 

新しい皇帝は勝てる前提で話をしているが、あんなガキに世界一堅固な都市・コンスタンティノープルが落とせる訳がない。略奪しろ、と言うことは負ければ報酬はゼロになる訳だ。先に金をくれればまだしも、こんな無謀な計画に命はかけられない。

つまるところ、メフメトはイェニチェリにナメられていた。

 

「ふざけるな! 誰か何とかしろ! 役立たず共め!」

メフメトは側近たちに当たり散らした。しかし、それは何も解決しない。

ザガノスは地団駄を踏み、シェハーベッディンはブツブツと呟きながら天を仰ぐばかりだ。

 

そこへ、ハリル・パシャがやってきた。

彼の姿を見るとメフメトは喚くのをやめて、叱られた子どものように下を向いた。

 

気性の荒いメフメトだが、彼には弱い。

ハリルはこの国で最も優秀な宰相だ。プライドが高く才気走ったメフメトも彼にだけは敵わない。それが悔しくて堪らないが、かといって何を言っても正論で言い返されてしまう。そんな力の差がメフメトを卑屈にしていた。

 

「戦争の準備は順調ですか?」

ハリルの問いにメフメトは言葉を詰まらせた。ハリルがコンスタンティノープルへの攻撃には反対なのを知っていたからだ。

 

ほら、私の言った通り上手くいかなかったでしょう。

そう言われることを思い浮かべると、身体が熱くなり、顔面が紅潮してくる。

 

「まぁ、イェニチェリが何かと邪魔をしてきますが、彼ら無しでも勝てるでしょう」

メフメトの精一杯の強がりだった。

 

「コンスタンティノープルは簡単に落ちる都市ではありません。ただでさえ困難なのにイェニチェリ無しでは攻略など夢のまた夢。私はそう思います」

「それは…」

「陛下、本当にイェニチェリなしで勝てるとお思いですか? もし、そうなら私は陛下の教育を誤りました。その程度の見立ても教えられなかった兵学の教師を処分して、もっと良い教師を連れて来ましょう。」

 

メフメトは膝をつき床を拳で叩いた

「くそっ!」

 

そして、ハリルに弱々しく言った

「先生、僕はどのようにしたら良いのでしょう。」

「陛下、あなたは退位しなさい。」

 

「無礼者! そのような発言、いくらハリル宰相と言えど許されませんぞ!」

 

ハリルの言葉にザガノスが情景反射的に反応したが、メフメトはそれを

「黙れ、ザガノス! 僕は先生に聞いているんだ!」

と制した。

 

メフメトにとってハリルは、イエスマンだらけの宮中において唯一自分に意見する目の上のたん瘤のような存在だ。

だが、それと同時に自分の力では解決できない問題を頭を下げて聞く程、能力を認められるたった一人の人物でもあった。

 

ハリルは続ける。

「イェニチェリは味方にすれば心強いですが、皇帝との距離が近い分、その気になればいつでも命を狙える、扱いの難しい集団です。そして、一度皇帝を侮った以上、しばらくは言うことを聞かないでしょう。」

 

「そんな…」

「ムラト2世に復位して頂きましょう。イェニチェリを今の規模まで拡充したのは、あのお方です。イェニチェリとの関係性もよい。それなら彼らも矛を収めるでしょう。」

 

「父は、嫌がるでしょう」

「頭を下げましょう。私も下げますが、あなたも下げるのですよ」

 

メフメトは唇を噛んだ。

ずっと英雄になりたかった。本当なら泣き叫んででもすがりつきたい帝位だ。それを父とはいえ、人に頭を下げて手放すのである。屈辱。それ以外の何物でもない。

 

「イェニチェリに反乱をたきつけたのは、ハリル・パシャ、あなたか?」

 

シェハーベッディンが言うと、ハリルはややバツが悪そうではあったが

「ええ。できればメフメト様に見破って頂きたかったのですが。」

と言って頷いた。

 

「そんなバカな!」

メフメトは目を見開いた。

 

ハリルはメフメトの教育係で厳しいことも言う人物だが、それでもこの国の大宰相でありメフメトの治世において最重要と見なされる人物だ。

そのハリル・パシャが何故自分を裏切るようなマネをするのか。メフメトには意味がわからない。

 

「イェニチェリは私がチャンダルル家の財産を使って買収しました。」

 

ハリルの出身であるチャンダルル家は代々宰相を出す名門である。ハリルには皇帝と同等の財産があり、メフメトとは比べ物にならない程の実績を持っている。

 

確かにその気になれば、イェニチェリを懐柔することもできるだろう。

 

「だから、先生! 何故あなたがそんなことをするんだ!」

「結局、今のメフメト様にはその程度の人望しかないということですよ。時期尚早、そういうことです。」

 

「それはどういう…」

「おそらく、私がこのような事をしなくても、戦争に負ければ同じような事になったでしょう。そして、この戦争には必ず負ける」

 

「そんなの、やってみなくてはわからない!」

「いいえ、わかります。少々賄賂を贈っただけで裏切るような軍団しか持っていないのに、どうやって勝つ気ですか?」

 

何もかも、ハリル・パシャの言う通りであった。

メフメトは自分の未熟さをこれでもかというくらいハリルに暴かれてしまった。床に座り込んでいたメフメトは今度は仰向けになった。

 

「先生、僕はどうしたらいい?」

「ですから、ムラト様に復位をお願いしましょう」

「そこまではわかっています。その先は?」

「エディルネからは離れた方が良いでしょう。あくまでお父様の復位ですから、皇位継承権が誰かに移った訳ではないにせよ、他の勢力が狙ってこないとも限らない。そうですね、ムラト様が復位すればマニサの別邸が空くことになりますから、そこで過ごされたらいかがでしょう。」

 

「それから?」

 

メフメトがハリルに求めていたのは、これからどのように生活していくか、ということではなかった。

皇帝として、絶対権力者として返り咲く為に、そして英雄になる為に、自分に足りないものは何なのか、何を身につければ良いのかということだった。

 

ハリルは

「なるほど…」

と呟いた。

意図は通じているらしい。

 

「まず、人を知ること。自分に都合の良いことを言う人間が必ずしも優れた人物であるとは限りません。真に信ずるに値する人間とはどういう者なのか、じっくり考え、見極めるとよいでしょう。」

 

更に続ける。

 

「そして、勉学に励みなさい。大好きな歴史を学ぶのも良いでしょう。ですが、英雄も人間です。完璧ではない。アレクサンダーの王国が彼の死後どうなったのか。カエサルが何故殺されたのか。彼らの失敗を知り、それを乗り越えた時、あなたは歴史上の英雄を越えた真の英雄になれるでしょう。」

 

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