史実はラノベよりも奇なり ~歴史短編集~   作:ロッシーニ

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その2 ~メフメト2世の野望~

1451年2月。ムラト2世が崩御した。享年は47歳。死因はアルコール中毒だと言われている。

 

ムラト2世はデンパだった。

だが、それは裏を返せば他人が感じられない微細な事象を感じることができる繊細さの現れであったとも言える。そんな彼にとって、帝国内のあらゆる事柄に気を配り、時には命の奪い合いも伴う皇帝という立場はどれだけ神経を削るモノだったのであろうか。

彼が宗教に救いを求めて俗世間から離れたがっていたのも、そんな一面からだったのかもしれない。

 

そんなムラト2世をハリルは皇帝位に引き留め続けた。宗教に没頭することを許されなかったムラトはイスラムの教えに反して年々段々と酒量を増やし、更には若い妾を娶って女色に耽るようになった。

ムラトはそうすることでしか、現実から逃れる術を知らなかった。

 

ムラトは酒色に溺れて完全に政務がとれなくなる前に突然、倒れて死んだ。結局、本人の希望とは正反対に、即位後、政務から離れる時間はほとんどないままだった。

 

私が殺したようなものだな。

 

ハリル・パシャには感じ入るところもあったが、偉大な皇帝の死をずっと悲しんでいる訳にはいかないのが、帝国とそこに遣える宰相たちの定めである。

 

皇位を誰が継ぐか。それが問題になるからだ。

普通なら、マニサにいる嫡男のメフメトが継ぐのが順当であるが、オスマン帝国には皇位の継承に関しての明確なルールが存在しない。

 

そうなると、自然、権謀術数を用いるにしろ、武力を行使するにしろ、皇帝の死後の数日で上手く立ち回った者が次期皇帝となる。

 

メフメトの他に皇位継承者として有力な者にアフメトという者がいた。これは、ムラトが晩年寵愛した妾に生ませた子どもで、以前メフメトが即位した年齢にも満たない幼児である。

だが、それ故、周囲の大臣たちからすれば操りやすくもあり、特に前皇帝と距離が近かった大臣たちは皆、アフメトの即位を望んだ。

 

彼らからすれば、以前、玉座から追放したメフメトが復位することは恐怖でしかない。

あの乱暴で我儘な皇子が権力を取り戻せば、どんな報復を受けるのか。わかったものではない。

ハリルはメフメトの養育係であったが、それと同時に追放の首謀者でもある。宮中では、いわば、ムラト派の一員。それどころか、そのリーダーだと思われている。

 

ムラト2世の死を知ることができた数少ない側近の内、ハリルと最も親しいイズハク・パシャは

「一刻も早くアフメト様の擁立で宮中を固めよう」

と持ち掛けてきたが、ハリルはそれに即答できなかった。

 

確かに、メフメトが復位すれば、自分の立場と命が危ういのはわかっている。

だが、一度退位した際、メフメトが見せた態度がどうしても目に浮かぶ。

 

彼は真の英雄になることを望み、その為にすることをハリルから聞いて首都エディルネから去った。

ハリルはそれからの彼を書状のやり取りや部下からの報告でしか知らない。だが、屈辱に打ちひしがれながら、陰謀の首謀者たるハリルに頭を下げてまで英雄を目指す、その執着にも似た向上心。何か胸に迫るものがあった。

 

男子、三日会わざれば刮目して見よ。

遠く中国にはそのような言葉があるらしい。

 

それならば、メフメトはこの数年間でどのように変わっているだろうか。この国始まって以来の優れた君主になれる人物に変貌しているのではないか。いや、それこそアレクサンダー大王のような世界史的英雄になれる器なのではないか。

そのことを考えると、昔、もっと現実を見るようにと、彼に説教したのが嘘のように、想像が止まらない。

 

ハリルはメフメトに対して書状を起こした。

 

ムラト2世が崩御した。

それ以外のことは何も書いていない。

 

起こっている事実は伝えた。そこから何をするかは、彼次第だ。

 

もし、メフメトがハリルの期待通りの人物に成長しているなら、首都・エディルネから約700㎞離れたマニサからでも、争いを勝ち抜き皇帝位を自らのモノにすることだろう。

 

---------------------

 

あの派手好きな皇子のことだ、宮殿から片田舎に追いやられて、きっと退屈するだろう。

メフメトが退位させられマニサへ飛ばされた後、誰もがそう心配していたが、実際のメフメトは毎日寝る暇もない程忙しく過ごしていた。

 

朝、日も昇りきらぬ内に起きてきて小姓に本を読ませながら朝食をとり、午前中は経済、政治、歴史などあらゆる項目について家庭教師からの講義を受ける。

そして、午後になると数人の供回りを連れ外に出て武芸の稽古や兵術の演習を日が沈むまで行った。

 

食事以外には特に休みもとらず、ぶっ通しで活動し続けるので、これだけやれば、普通はあと寝るだけといったところだが、メフメトはそこから毎晩淫蕩に耽った。

いくらメフメトが若いとは言っても、その激しさは常軌を逸していた。

まず、当時のイスラム国家の風習として相手の男女は問わなかった。 そして、一晩に復数人を相手にするのが普通で、相手が疲れ果てたら、また次の相手を呼んで寝室に入れてを繰り返し、それが夜更けまで続く。

 

それでいて翌朝は、また早朝に起きてくるものだから、家臣たちは皆、

「皇子は一体いつ眠っているのだろう?」

と疑問に思っていた。

 

だが、メフメトはこの生活に疲労など感じたことはなかった。

本来なら今頃、オスマン帝国の皇帝として世界制覇に乗り出しているはずだったのだ。

 

それに比べれば、今の生活などぬるま湯以外の何でもない。

彼の押し込められた覇道へのエネルギーは、常に暴発寸前で、向かう先を欲していた。

 

敵を滅ぼし、蹂躙し、支配し、犯す。メフメトはその日が来るのを今か今かと待ちわびていた。

 

 

だから、ハリル・パシャからムラト2世の訃報が届いた際、メフメトは歓喜の声をあげた。

部屋中を飛び回って狂喜するメフメトの姿は周囲は、とても実の親を亡くしたようには見えなかったことだろう。

 

報せは夜中に届いた。

メフメトはその日、3人目の女を抱いている最中だったが、一通り喜び終わると、小姓に馬を用意する様に言いつけて、まともに服も着ないまま部屋の外へ出ていった。

 

そして、マニサにも同行した腹心のザガノス・パシャとシェハーベッディン・パシャの部屋をそれぞれ訪ね、叩き起こすと、言った。

 

「栄光を掴みたいならば、今すぐ僕に着いてこい!」

 

ずっとこの日を待ち望んでいたメフメトには、今、自分が何をするべきなのか全てわかっていた。

メフメトは途中で馬を乗り換えながら、ほぼ不眠でエディルネに辿り着くと、まず自らの財産の大半を費やしてイェニチェリにボーナスを支払い、支持を取りつけた。

 

あまりの大盤振る舞いにザガノスが

「さすがに払いすぎです!」

と諌めてきたが、メフメトは

「今は金くらいくれてやれ! 国そのものを手に入れてしてしまえば、いくらでも元はとれるんだ!」

と言って聞かなかった。

 

そしてメフメトは前政権の宰相たちを宮殿に緊急召集した。メフメトは彼らを呼びに行く役割を武装したイェニチェリの軍団員に任せた。勿論、脅しである。アフメト支持に回っていた宰相たちもこれには従わざるを得ない。

 

 

メフメトが用意した大部屋に大臣たちが集まり、次々に着席する中、ハリル・パシャやイズハク・パシャら数名のムラト派宰相たちは部屋の片隅で固まって、立っていた。

 

ハリルのように複雑な立場の者もいるが、基本的に彼らの派閥はアフメトを支持している。

もし、メフメトが既に帝国の軍事力を掌握し、武力を背景に政権を奪取しようとしているなら、最早宮殿の会議場に自分たちの席はない。

そう思っていたのだ。

 

一通り面子が揃うと、シェハーベッディンがメフメトを部屋に連れてきた。

ハリルが皇子の姿を見たのは実に5年ぶりである。色白い肌と整った顔立ちはそのまま、身体は強く逞しく成長している。

 

メフメトは席に着くと

「皆さん、お久しぶりです」

と軽く挨拶した後、

「さて、早速、皆さんにお話しなくてはならないことがあります」

と前置きした。

 

一体、何を話すのか。

一同が固唾を飲んで見守る中、メフメトは言った。

 

「我が義弟・アフメトが死にました。」

 

口元が弛んでいる。メフメトが殺したのだと、誰もがわかるような態度だ。むしろ、わからせようとしているのかもしれない。

 

「そんな! バカな…バカな…」

 

イズハク・パシャがそう呟いているのがハリルの耳に聞こえてきた。

この後、メフメトがイスラム法学者(ウラマー)たちに「秩序の為の兄弟殺しは合法」という見解を出させるので、オスマン帝国では皇帝の兄弟殺しが慣習となっていくが、この時はまだ一般的ではない。

自らの地位の為にあんな幼い弟を殺すのか。

イズハクには信じられなかったのだろう。

 

「何でも、浴室で溺死していたそうです。いやぁ、父に続いて義弟まで…。不幸というのは続くものですね。これは一層、国家の為、皆さんに協力してもらわなくてはなりません。」

 

メフメトが浮かべる笑顔には、激情に任せて力を振るおうとする、かつての幼帝の面影はなかった。

 

「素晴らしい…」

ハリルは自分が育てた青年の成長に感動を覚えた。

 

報せを受けてからここに至るまでの行動の迅速さとそれを可能にした決断力。誰を味方につけるべきか見分ける判断力、幼い子どもすら殺す非情さ。そして、本心を隠し笑顔を振り撒く慎重さ。メフメトには皇帝に必要な全てが備わっているように思えた。

 

これで悔いはない。

ハリルはそう思った。

 

おそらく自分は殺されるが、それで良い。堅実なムラト2世にはない野心を持ち、悪魔的な策謀力を身につけて帰って来たこの新たな皇帝の下で帝国はより強大になるだろう。

願わくば、その様を見届けたかったが、それは贅沢というものだ。ムラト2世と共に地盤を固め、新たな皇帝を育て上げた。これから更に偉大なものとなる帝国の歴史の礎を築けたのだ。

なんと光栄なことであろうか。

 

ハリルが感慨に耽っていると、メフメトが

「おや?」

と声をあげた。

 

「先生、何故そんな隅にいらっしゃるのですか?」

 

先生…自分のことか。

ハリルは気づくのが少し遅れた。

 

皇帝となったメフメトが、一度彼を追放した自分をまだそう呼ぶと思っていなかったのだ

 

「しかし、私は…」

「大宰相のあなたがそんなところにいては会議が始まりません。早くこちらにいらして下さい。」

 

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この場でメフメトは皇帝として承認された。

ハリルらの留任も同様だ。

 

皇帝は変わったが、帝国の組織に大きな変動はないらしい。この新たな皇帝が元来持つ気性の荒らさと一度退位させられた経緯を知る者たちは、これから大粛清祭りが開催されるものだと思い込んでいたので皆、胸を撫で下ろし、会議が終わると皇帝と神に感謝して明日も命がある喜びを噛み締めながら帰っていった。

 

ハリルは会議が終わった後もそのまま動かなかった。部屋にはメフメトとハリル・パシャ、あとは腹心のシェハーベッディンとザガノスを残すのみとなったが、メフメトはその腹心2人に対し先に部屋に戻るようにと命じた。

2人は、特にシェハーベッディンはそれを聞き不服そうな表情を浮かべた。2人はメフメトとハリルの特別な間柄を知っている。だが、それ故にその仲裂きたいと思っているし、既にそれは済んだとも思っていた。もっと言えば皆が怖れた大粛清をこの2人だけは怖れていなかったし、むしろメフメトがそれを行って自分たちを空いた高いポストに登用してくれることを期待していた。

 

それもせず、皇帝即位の直後に左遷先まで連れ添った自分たちとでなく、その左遷を行った張本人と何を相談する事があるのか。そんなところだろう。

だが、メフメト皇子改めオスマン帝国第7代皇帝メフメト2世の命令である。2人は部屋を出ていった。

 

「見事でしたね」

ハリルが言うとメフメトは首を傾げた

「何のことです?」

「ムラト2世崩御の後、いち速くマニサから舞い戻って政敵を倒し、皇位につかれた。その手際ですよ。」

「いえ、全て先生の教えの通り行動しただけですよ」

 

「まず始めにイェニチェリを買収したのは、カエサルやアウグストゥスを真似たのですね」

「ええ。権力を奪取するにはまず軍事力を握ること。そして、他人に無条件についてくる人間などいない。人間は従うことで自分に利益をもたらしてくれると示した人間についていくんだ」

 

「なるほど。だから彼らに分かりやすく金を掴ませた。素晴らしい解釈です。英雄の勇ましさだけでなく、現実主義な面も学んだと。」

「そうです。だから、僕は先生の言った通りのことを学んだだけなのです。」

 

詭弁だな。

メフメトを幼い頃から知るハリルにはそれがなんとなくわかった。

だが、だからと言って、彼がそこから何をしようとしているかまではわからない。

 

「私は、何故生かされたのでしょう。」

「どういうことです?」

「私は、殺されるのかと思っていました。」

「先生、あなたは大宰相ですよ? 僕がそんなことする訳ないじゃないですか」

 

「いや、あなたはやる。」

「嫌だなぁ…先生には僕がそんなヒドイ人間に見えているのですか?」

 

「見えますし、そうであるべきだ」

「と、言うと?」

「皇位簒奪の可能性がある者は全て殺しておく、というのがあなたの計画でしょう? その為に幼い義弟まで殺したんだ。私も殺しておくべきでしょう」

「先生は皇族じゃない。継承権がないではないですか」

 

「でも、チャンダルル家の財力をもってすれば軍団の買収も可能であることは以前、示したはず。少しでも地位を脅かす可能性がある者は全て殺しておかないと、あそこで非情になった意味がない。あまりにも中途半端…。」

 

メフメトは微笑んだ。

 

「さすが先生。あなたに隠し事はできませんね。実は僕も、先生を殺すかどうか迷ったんですよ」

「やはり…それで、結論は?」

「殺せない。あなたは、僕に必要な人だ」

 

「…詭弁ですか?」

「そうではありません。ただ国を治めて、領土を増やすだけなら、僕だけで、できるかもしれない。でも、それでは満足できない。」

 

「何か、望みがあるのですね」

「ああ。僕は、ローマ皇帝になる」

 

妙な言い種だった。

イスラム教スンニ派を国教とするオスマン帝国の皇帝が、キリスト教世界の頂点たるローマ皇帝になるとは、どういうことだろうか。まさか改宗するつもりでもないだろう。

 

ハリルが釈然としない様子でいると、それを察してメフメトは続けた

 

「なに、例え話ですよ。僕はムスリムの世界だけに留まるつもりはない。僕はね、先生。相手が異教徒だろうが、どこかの蛮族だろうが、誰もがひれ伏すほどの栄光を求めているんだ。」

 

メフメトは鋭い目線でハリルを見ている。

背筋に寒気が走った。この感覚がどこから来るものなのかは、ハリル本人にもわからない。

暴君への恐怖や主君が冒そうとする無謀への嫌悪のようにも思えるし、新しく始まろうとする時代への興奮であるようにも思える。

 

「問題は、どのようにそれを示すかですね。」

 

ハリルの言葉にメフメトはゆっくりと頷いた。

 

「コンスタンティノープルを攻める。」

 

それが、追放前、メフメトの悲願であったことは知っている。

だが、大人になり現実を見ることを覚えたメフメトの口から、まだその言葉が出てくるとは思わなかった。

 

宰相として彼を諌めなくてはならない。

だが、今のメフメトが発する言葉にはただの無謀では片付けられない感動がある。

何か冒険小説の序章を読んでいるような高揚感を覚えた。

 

「メフメト様。それはあまりにも…。陛下もあの都市の守りの固さを知らないはずはないでしょう?」

 

そう言いながら、ハリルは心のどこかでメフメトの反駁を待っていた。

 

「知っている。不可能を可能にするために、先生に働いてもらいたいのです。」

「しかし…」

「あなたに選択権はないはずだ」

 

メフメトの言う通りであった。

今、メフメトに逆らったところで味方はいない。先ほどまでアフメトを皇帝に立てようとしていたムラト派の面々は怖れていた粛清を免れたことで満足している。今さら事を荒立てて自分の身を危険に晒したくもないだろう。

 

人の意気地と言うのは不思議なものだ。

ハリルはそう思った。

 

ハリルはメフメトの器の大きさを信じ、命を捨てる覚悟で過去に一悶着あったメフメトを後押ししたのだ。

それなのに、一度命を救われ、覚悟が揺らぐと、もう一度勇気を出すことが何とも難しい。

そして、何より、ハリル自身が自分の逃げ道を完璧に塞いだメフメトの手際に感心してしまっていた。

 

この皇帝には逆らえない。

ハリルは本能的にそう察した。

 

「わかりました。陛下のおっしゃる通りに致しましょう。」

 

--------------------

 

メフメトはコンスタンティノープル攻略の準備に取り掛かった。

1452年4月からはボスポラス海峡の近郊に砦の建造を始める。

 

メフメトはこれに関する作業を各宰相に分担して競争させるようなカタチで行わせた。この砦がコンスタンティノープル攻撃のためのモノだと知っているのはハリルだけで、他の宰相には建造の目的を説明していない。

ただ、早く正確に作業を行った者には褒美を、遅かったり作業の完成度の低かった者には処罰を与えるとだけ言った。

 

そして、それは極端なまでに宣言通り行われた。

私財を投じて堅固な砦を築いたハリルには莫大な宝物が与えられ、作業の遅かった者、例えば旧ムラト派のイズハク・パシャなどには激しい叱責と暴力。そして追加の作業が与えられた。

 

つまり、メフメトは宰相たちを試していた。この後、宰相たちはメフメトに対して個人的にどういった感情を抱いていようが、盲目的に従うようになる。

 

 

エディルネの宮殿にウルバンというハンガリー人技師が訪ねてきたのも、この頃であった。

 

この男曰く、

「自分ならコンスタンティノープルの城壁を破壊するほど強力な大砲を製造できる」

とのことである。

 

当初、配下たちはこの男の汚ならしい身なりと突飛な内容の話からウルバンを不審者と判断して追い払おうとした。

そもそも、この時点でメフメトはビザンツ攻略の意図を公にしていない。

ウルバンが「テオドシウス城壁すら吹っ飛ばせる」という言葉を自身の商品の宣伝文句にしたのはあくまでオスマン帝国がビザンツから見て異教の国であったこと、また、かつて自分がビザンツに遣えていた経験から事実としてそれが可能であろうと自信を持っていたからであった。

 

要するに、オスマン帝国が国策として、それを必要としているかどうかはウルバンの計算には入っていない。

ウルバンの頭の中にあったのは、ビザンツでは必要とされなかった自身の技術を誰かに必要としてもらいたいという思いだけであった。だが、結果は同じであったと言ってよい。

 

まず、あの堅固な城壁を崩せる大砲が本当に作れるのか自体怪しいし、もしそれが事実だとしてもビザンツとの関係が良好な今、そんなものは無用の長物だ。

宮殿の門番たちはそう思い、ウルバンを門前払いにしたのだ。

 

だが、その情報が宦官長シェハーベッディンの耳に入ったことによって事態は変わった。

彼はビザンツ攻略の意図をメフメトから直接聞いた訳ではない。だが、それがメフメトの悲願であり、他人からみればやや異常なくらい興味を示す事柄なのは知っていた。

 

常識的にそんな強力な大砲があるとは想像しづらいが、もし本当にそれが存在し、みすみすそれを逃したのだとしたら、メフメトは怒り狂うだろう。

そして現状、まともに話も聞かずにその技師を追い返してしまっているのだから、話の真偽を確かめようもない。

 

もし、技師の話が嘘や誇大広告なのだとしても皇帝本人に確かめてもらった方が納得いくだろう。

 

シェハーベッディンはそう思い、一度追い返したハンガリー人技師を配下数百人を動員して探しだし、メフメトに謁見させることにした。

 

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シェハーベッディンは青ざめた表情で頭を抱えた。ハンガリー人技師・ウルバンをメフメトに引き合わせたはいいが、ウルバンの大砲はヒドイ代物だった。

 

その全長8m以上、直径約75cmという巨大な砲は確かに重さ550kgの弾を1.6km先まで飛ばす程の力があったが、その威力故に反動で狙いが定まらない。

 

試し打ちをさせてみたところ、射程距離まで弾が届く頃には目標を1㎞近く外した。更に言えば1回発射してから次の発射までに3時間かかるし、射撃の反動が元で6週間使うと大砲が壊れるという。しかも、費用も恐ろしく高い。

 

メフメトにウルバンの失敗を見せつけて大砲の入手を諦めさせるという計画を立てたシェハーベッディンだが、さすがにこれ程ヒドイとなると話は別だ。

この大砲技師を連れてきたこと自体の責任を問われても不思議ではない。

 

ウルバンは皇帝への謁見の為にシェハーベッディンが与えてやったオスマン帝国の正装姿で胸を張り、

「どうです? 私の大砲の威力は素晴らしいでしょう!」

と誇らしげな態度をとっている。

 

どうやら、この男は大砲の威力を高めることにしか興味がなく、その大砲が実用的なのかどうかといったことは考えていないらしい。

科学者や技術者にはたまにそのような人間がいるが、彼はその傾向が極端であった。

 

ウルバンはビザンツ時代、この大砲の大量生産を皇帝にしつこく要求したところ、牢に入れられたことがあるらしい。

 

シェハーベッディンはその話を聞き

「何もそこまでしなくても…」

と同情していたが、今やっと彼らの気持ちがわかった。

 

こんな物の為に皇帝に時間を使わせてしまった。

私の評価が落ちてしまうではないか。

 

シェハーベッディンは心底腹がたった。

 

「も、申し訳ありません、皇帝陛下。こんな下らない物ばかり作る奴は牢につないでしまいましょう…いや、むしろ首をはねてしまった方が世の中の為かもしれません」

「いや、あの大砲を買おう。」

「えっ? そんなお戯れを…」

 

シェハーベッディンはメフメトの顔を覗き込んだが、彼の表情は真剣そのものであった。

 

「それと、あのハンガリー人に家と仕事場を用意してやれ」

「陛下、 まさか…」

 

「ああ。ウルバンを召し抱える。そしてあの砲をもっと生産するんだ」

 

--------------------

 

チャンダルル・ハリル・パシャがメフメトを訪ねたのは、その日の夕方だ。莫大な費用を伴うウルバン砲の製造を命じたメフメトの真意を確かめるためだ。

 

「随分、高い買い物をされたようですね」

「ウルバンのことですか?」

 

「何でも、聞くところによると、例の大砲、威力は凄まじいが的にほとんど当たらないという…。」

「先生は、金が勿体ないと思いますか?」

「率直に申し上げれば、その通りです。」

「ならば、コンスタンティノープルと引き換えならどうでしょう?」

 

「…。それは占領後の経営の仕方にもよりますが…。ですが、何よりあの砲で本当にあの城壁を突破できますか?」

「僕はね、必ずしも大砲で城壁を壊す必要はないと思っているんですよ。」

「では、何のために?」

「確かに、ウルバン砲の命中率は低い。だが、当たる可能性もゼロではない。それが重要だ。ビザンツの国民たちに破壊力を見せつけて、『もしも、あの弾が飛んできたら、どうしよう』そう相手に思わせることができれば、それでいいんです。」

 

メフメトはニヤリと笑った。

ハリルは背筋が凍りつくような感覚を覚えた。

この男は恐怖で相手を服従させることを楽しんでいる。

 

凄まじい支配欲。

 

ムラト2世統治下で穏健に国を運営してきたハリルからすれば、異常だとすら思える。

 

我ながら、とんでもない人間を育ててしまったものだ。

それを喜ぶべきなのか、後悔すべきなのか、ハリルには、まだわからない。

 

「先生は僕を止めますか?」

メフメトの問いに対して、ハリルは首を横に振った。

 

「いえ、皇帝の仰せのままに致しましょう。」

 




前、中、後編の三編で行こうと思いましたが、その1~その4までに変更しました。
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