史実はラノベよりも奇なり ~歴史短編集~   作:ロッシーニ

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登場人物紹介(その1)

○アリー
本作の主人公。イスラム教創始者・ムハンマドの従兄弟、義兄弟、娘婿。最も近くでムハンマドから学んだ存在で、彼の教えを守ろうとする気持ちは人一倍。ただ、その正義感ゆえに融通が効かないので勝手に恨まれたり、罠に掛けられることもある。
○アシュタル
アリーの親友にして右腕。優れた軍人でもある。アリーのことを誰よりも信頼するが、その石頭には悩まされている。

○ムハンマド
イスラム世界における最大最後の預言者。本作では、預言者というよりも、宗教改革者として扱っています。
○アーイシャ
ムハンマド3番目の妻。ムハンマドにとって最愛の妻と言われている。結婚したのが8歳でムハンマドとの死別が18歳。気が強く、お転婆気質がある。過去のイザコザからアリーとは不仲。

○アブー・バクル
ムハンマドの親友で最初期からのイスラム信者。初代カリフとなる。アーイシャの父でもある。
○ウマル
2代目カリフ。狂信的なイスラム教徒。自らが最も熱心な信者である、との自負からアリーにライバル意識を持つ。苛烈な性格。
○ウスマーン
3代目カリフ。信仰に対しては非常に真面目だが、気弱な性格。支持基盤となる出身家系ウマイヤ家の専横を許す。



その2 ~預言者・ムハンマドの栄光~

アラビア半島はメッカにクライシュ族ハーシム家のムハンマドという男がいる。

この時代にはしばしば見られることではあるが、この男は過酷な環境の下に生まれた。

 

父アブド・アッラーフは彼が誕生する数か月前に死に、母のアーミナも彼が幼い頃に没した。

現代から見ればハーシム家はヨルダン王家などに名が残る著名な家系であるが、その発展はムハンマドを輩出したことに始まるので、彼が幼少であるこの時点では傍流であり決して裕福な家ではない。

経済的に困窮したムハンマドに手を差しのべようとする者は親戚にもほとんどいなかったが、ただ1人、叔父のアブー・ターリブが手を挙げた。その為、ムハンマドは彼に引き取られて養育されることになる。

 

ムハンマドにとって不幸中の幸いだったのは、この叔父が稀に見る人格者であり、ムハンマドをまるで我が子のように愛して側に置いたことだろう。

この時、ムハンマドが抱いた叔父への感謝の念は、この後、彼が開く宗教の教義にも大いに影響を与えている。

 

クライシュ族というのは主に、アラビア半島の砂漠地帯を行き来して商売することを生業とする一族であり、アブー・ターリブもこの例に漏れない。

 

彼の商隊(キャラバン)で商売を学んでいたムハンマドに転機が訪れたのは25歳の時である。

豪商の未亡人にして、夫に先立たれてからは自らも女豪商となった遠縁のハディージャと結婚することになったのだ。

 

イスラム関連の資料によると、この結婚はハディージャがムハンマドの誠実な人柄を認めて申し込んだということになっているが、果たしてそれだけだろうか。

現代の結婚式でも新郎新婦の結婚までの経緯として

「互いの誠実な人柄に惹かれ…」

などという説明が入ったりするが、誠実さだけでお金持ちと結婚できるなら婚活パーティーの類いなど流行らないのである。

 

ほとんどの宗派でムハンマドの姿を描くことは禁止されているので、その容貌がどのようなものだったのかはわからないが、もしかするとムハンマドはなかなかのイケメンだったのかもしれない。

あるいは、ハディージャがこの時点のムハンマドに対して、後の大宗教家としての素養を見いだし、商人らしく、そこに投資することにしたか。

もしそうだとしたら、ハディージャの投資は大成功であったということになる。

 

二人の夫婦仲は睦まじいものでムハンマドは裕福で幸せな日々を過ごしていたが、それでも何か満たされないものがあったらしい。

どのような悩みを抱えていたのかは、本人から具体的な言及がないのでわからないが、貧しい暮らしを知っている男なだけに、それと現状の裕福な暮らしとの間のギャップから社会の矛盾のようなものを感じてしまったのかもしれない。

結婚してからしばらくすると、ヒラー山の洞窟で瞑想する時間が増えた。

 

そして西暦610年6月。その日はやってきた。いつものように洞窟で瞑想するムハンマドの耳に何者かが語りかけてきたのだ。

 

「読め…!」

 

字が読めないムハンマドはその旨を説明したが、それでも声は

「読め…!」

と語りかけてくる。

 

そしてムハンマドが読むべき内容を伝えてきた。

 

「創造なされた汝の主の御名によって。彼は凝血から人間を創られた。汝の主は最も尊貴なお方、彼は筆によってお教えになったお方、人間に未知なることをお教えになった」

 

復唱すると、声の主は立ち去ったが、恐怖を感じたムハンマドは慌てて洞窟を立ち去り、家に帰って妻のハディージャにそのことを話した。

 

普通なら

「アンタ何言ってんの?」

と一蹴されそうなものだが、ハディージャは違った。

元よりムハンマドの才能を高く買っていた彼女からすれば「ついにこの時が来た」という心境だったのではなかろうか。

 

ムハンマドは家に帰ってからも恐怖に震えて頭から布をかぶり耳を塞いでいたが、その間、ムハンマドにはずっと洞窟で出会った訪問者の声が聞こえていた。

 

「衣にくるまる者よ、立ち上がり、警告せよ。そして、汝の主を讃えよ」

 

そんな風だから、ムハンマドはそれから数日たっても家の外に出ることができなかった。

 

聡明なムハンマドのこの怯えようは、ただ事ではない。やはり、何か不思議なことが起きたに違いない。

そう確信したハディージャはネストリウス派キリスト教の修道僧、ワラカ・イブン・ナウファルにその事を相談した。

すると、ワラカはムハンマドの目の前に現れたのは天使ジブリールであり、ムハンマドが神の啓示を受けたのではないか、という見解を示した。

 

それからというもの、ジブリールは度々ムハンマドの目の前に現れて教えを授けていくのであった。

そして、その教えの数々が、後のイスラム教の教義になっていくのである。

 

そうは言えど、

「神の教えを授かった」

という話を聞いて、誰がそれを信じるだろうか。

 

大多数の人は信じないだろうが、それでもムハンマドは幸せな方だった。彼の素養を買っていた妻のハディージャは即座に彼を信じて最初のムスリムとなった。

 

また、冒頭に出てきた従弟のアリー、ムハンマドに遣える解放奴隷のザイド、親友のアブー・バクルらが順に入信していき、少ない人数ながらも同じ信徒の共同体を形成することができた。

 

開教当初、信者をごく親しい者だけに限り、布教に積極的ではなかったムハンマドも、彼らからの熱烈な支持を得て自身の教義に確信を持ったのか、614年頃を機に盛んに布教を始めた。

これにより初めてイスラム教の教えは衆目に晒されることになったのだが、ここで一つ問題が起きた。

 

教義の一つ、偶像崇拝の禁止についてである。

この時期のアラビア半島にはいくつかの宗教が混在していたが、メッカ近郊では主に土着の多神教が信仰されており、特にメッカ市内のカーバ宮殿には多神教の神々を象った像が多数奉られていた。

そして、メッカはそのカーバ宮殿を訪問するために多くの人が訪れる商業地帯として発展した都市でもあった。

 

要するに、ムハンマドが説くイスラムの教えは自分たちの部族の信仰を否定し、かつ、経済基盤をも破壊しかねない内容のものでもあった。

 

だが…これを言ってしまうと先ほどまで述べていた天使ジブリールが云々という話を否定してしまうようでもあるが…イスラム教の勃興を既存の宗教の改革運動の一つであると捉えると、イスラムがこうした教えを行うのにも理由がある。

 

ムハンマドがジブリールのことを言い出した時、ハディージャが相談しに行ったのがネストリウス派キリスト教の修道僧であったことからもわかるように、成立に際してイスラム教はキリスト教の影響を強く受けている。

また、そのキリスト教の元になったのがユダヤ教だ。

 

イスラム教というものはユダヤ教やキリスト教に対するカウンターとして生まれ、広まったと言っても過言ではないだろう。

 

三宗教の内、始めに生まれたのはユダヤ教であるが、その特徴は強い選民思想だ。

ユダヤ人たちのこうした意識はエジプトや新バビロニア王国で奴隷として過酷な暮らしを強いられたユダヤ人たちの中で

「信仰さえ守り抜けばいつか神から選ばれし民である自分たちには救いがもたらされる」

という考えが広まっていったことにより生まれた。

 

選民思想というと、他者に対する敵愾心を煽るいかにも邪悪な物であると思われがちであるが、それはユダヤ人たちが過酷な日々を生き抜くために生み出した希望でもあり、踏みにじられた民族的誇りを唯一見いだす方法でもあった。

その為、彼らの中でその思想は代々重要視されるものであった。

 

だが、

「自分たちは選ばれし民・ユダヤ人だから救われる」

という考え方は、別の見方をすれば、

「ユダヤ人以外の者は救われない」

という考えになる。

 

そこに異を唱えたのがイエス・キリストだ。

イエスは神の救いは決してユダヤに生まれた者だけにもたらされる物ではない、ユダヤ人かどうかは関係なく、神の教えを守り、日々を懸命に生きる者には必ず救いがもたらされるであろう、と主張した。

よく言われる「信じる者は救われる」というのはそういう意味で、イエスは望む者には洗礼を施し信徒とした。

 

イエスや彼を信じる者たちによれば、そうすることであらゆる人に救いをもたらすことができるという。

だが、キリスト教も誕生から約600年が経ち、その教義には変化が生じていた。

 

それらの問題を解決しようとするのが、イスラム教だ。

その教義の特徴には、平等性と神の言葉に対する服従性があげられる。

 

ユダヤ教は選民思想を持つ宗教なので、その教義がユダヤの枠を越えて多くの人に受け入れられることはない。むしろ、ユダヤ人たち自身が布教の必要性を感じていないと言った方が正しいか。

とにかく、ユダヤ教が全人類に対して平等に救いをもたらすことができる教えかと考えた時、ユダヤ教はそれに応えることを主眼においた宗教ではなかった。

 

次にキリスト教であるが、これは全ての人に対する無償の愛(アガペー)を説くものであり、平等性というところには気が配られている。

だがローマ帝国の国教となって以来、権力との距離が近くなりすぎたのか、その時々の権力者の都合が良いように教義は変容してしまった。

モーセの十戒で偶像崇拝は明確に否定されているのに聖像などを用いた布教を行っていたし、325年のニケーア公会議ではあくまで預言者の一人という扱いだったイエス・キリストを神と同質の存在であるとする決議を出してしまっていた。アブラハムもモーセも神ではないのにである。

 

そこでイスラム教では神の言葉を決して歪めてはならないということが強調される。

神はアッラーをおいて他になし。

それ以外を崇拝することは許されない。いくら偉大でもムハンマドは神ではない。あくまで『最大最後の預言者』なのだ。

 

イスラム教のこうした教えはアラビア半島の多神教を信じる人々にとっても大変不都合なものである。

何故なら、一神教でも多神教でもそれが権力と結びつけば少なからず教義が政治利用されたり、都合良く歪められたりすることは免れない。メッカの有力者たちの多神教に対する姿勢も大いにそれに当てはまる。

 

そんな風だからイスラム教は信者が増えるにつれて、次第に警戒されるようになっていった。

最初の内は豪商であり最初の信者でもある妻のハディージャやハーシム家の家長である育ての父アブー・ターリブが庇護者となっていたので、クライシュ族の有力者たちに圧力をかけられながらも危険に晒されることはなかったが、619年にその二人が相次いで死んだ。

 

教えを受け入れようとしない者たちから直接的に迫害を受けることとなったムハンマドは、メッカを去り、およそ350㎞北にあるメディナへ移住することにした。

 

メッカ周辺で信じられていた多神教とイスラム教とではさすがに世界観が違いすぎた。

メディナであれば、住民の多くがユダヤ教やキリスト教などの一神教を信仰している。

イスラム教というのは、そもそも、それらの宗教をムハンマドなりに改良したもの(あるいは、クルアーンの内容を信じるなら、人間が変容させてしまった神の教えを天使ジブリールが正しに来たもの)である。

そうした土地でイスラムを布教することは、謂わば彼らの信仰に真っ向から対抗することとも言えるのだが、それでも彼らとならば少なくとも信仰の出発点、基礎の部分は共通している。

 

考え方が土台から違う人々よりも、彼らからの方が理解を得やすいかもしれない。

そして、口に出さなくても、ある程度真剣に教えを学んでいる者ならば、現状の一神教の教義に多くの矛盾があることはわかっているはずだ。

ならば、新しい教えを説き、彼らの背中を押してやれば良い。メディナでも既得権益者が布教を邪魔してくるかもしれないが、住民の熱烈な支持があれば、それも押しきれるはずだ。

ムハンマドはそう考えた。

 

このムハンマドがムスリムの拠点をメッカからメディナに移した行動を聖遷(ヒジュラ)というが、これには苦難が伴った。

ムハンマドはまず信徒たちを先に逃がして、自分は後からメッカを脱出する計画をたてた。

 

これは概ね上手くいき、メッカに残るのはムハンマドの家族とごく親しい友人のみとなった。

具体的に言えば、ムハンマド、ハディージャの死後に再婚した二番目の妻のサウダ、娘のファーティマ、アリー、そして後に三番目の妻になるアーイシャを含んだアブー・バクルの家族たちである。

 

信徒たちの脱出は秘密裏に行われていたが、自分たちを後回しにした為、ムハンマドが脱出を計ろうとするころには、メッカを支配するクライシュ族の有力者たちも異変に気づきだしていた。

 

近頃、ムハンマドの信奉者たちが街から姿を消している。

ムハンマドの側近、アブー・バクルは最近早足のラクダを買ったらしい。

ムハンマドも近々街を出るつもりだろう。

外部の勢力と結託し、何か良からぬことでも考えているのではあるまいか。疑わしきは罰せよ。

 

そんなことを考えたクライシュ族の有力者たちは最も力を持つウマイヤ家のアブー・スフヤーンを中心に暗殺団を組織してムハンマドの元へとさしむけた。

ムハンマドらはそれを察知して逃避行を始め、途中、何度か追い詰められながらも何とかメディナにたどり着いた。

 

なお、この時、アリーは一行の囮となる為に一人メッカに残留している。

死をも覚悟しての行動であり、事実、アリーは敵に見つかってしまうのだが、ハーシム家前家長の息子であり、まだ若いアリーを殺せなかったのか、有力者たちは彼のことは放免して命を助けている。

その為、アリーは後からムハンマドを追いメディナで彼と再会することができた。

 

 

ムハンマドはメディナで歓迎を受けた。先行してメディナに入った信徒たちによって既にイスラムの教えは広まりつつあったのだ 。

 

「もうじき預言者がメディナにやってくる!」

 

そのような謳い文句も宣伝になったかもしれない。

そう考えると、信者を先にメディナに行かせ、自分はアリーを除き最後までメッカに残ったムハンマドの判断は大正解である。

 

ここで多くの信者を獲得したことでイスラム共同体(ウンマ)は拡大し、アラビア半島における一大勢力を持つに至った。

 

メッカから逃げたムハンマドがメディナで力をつけている。

その噂は当然、メッカにも伝わった。

 

それを警戒したメッカの支配者たちは、メディナ周辺の商隊ルートを封鎖して街を経済的に孤立させるように動いた。

 

卑劣な行為に怒り狂う信者たちをムハンマドは当初

「挑発にのってはいけない」

と戒めていたが、封鎖がしばらく続くと、困窮したメディナの非ムスリムから不満の声が漏れ始めた。

 

特に、ユダヤ教徒は信者をイスラムに数多く奪われていたことから彼らのことを良く思っておらず、メッカに通じて盛んに煽動を行い、メディナの非ムスリム勢力統合を計ろうとしていたという。

 

このままでは、苦労して手に入れたメディナの地盤が危うくなってしまう。

そこで、ムハンマドは軍を組織して遊撃戦を開始した。

 

メッカの商隊をゲリラ的に奇襲して物資を奪い、略奪品をメディナに持ち帰り、街を潤わせる。

勿論、それに対してメッカも黙ってはいない。

互いに対抗しあって徐々に率いる軍勢が増えていったことで、戦いは略奪の仕掛け合い、あるいは略奪とその取り締まりではなく、メッカとメディナの戦争の様相を呈するようになっていった。

 

その対立が一つの頂点に達したのが、624年3月バドルの戦いであった。約300人のイスラム軍と約1000人のメッカ軍が対決し、イスラム軍が数的不利を覆して勝利。

 

この勝利を皮切りにムハンマドの軍勢はメッカと互角に渡り合うようになり、そして630年、遂にメッカの攻略に成功したのだった。

 

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ムハンマドは、メッカの制圧という悲願の達成から僅か2年で永眠した。

 

彼は稀代のカリスマであるにも関わらず、まるで、役目が終わったらサッサと舞台から降りる端役俳優のような謙虚さでこの世を去ってしまった。

ここに至るまでの苦難を考えれば、その最期はあまりにも呆気ない。

 

本当なら、むしろ、これからであったはずだ。

敵を倒すことは目的ではない。

イスラムの教えを基盤にした世直しで人々の暮らしと心を救済することが、彼の真の望みであった。

やっと、願いに手が届くところまで来たところで、彼は死んでしまった。

 

アリーは、どうしても、その事実を受け入れられないでいる。

 

受け入れられないのは、それだけではない。

ムハンマドが自分を後継者に指名しなかった事もだ。

 

後継者を有力者同士の選挙で決めるというのは、一見非常に公平な方法にも思えるが、そうなればアリーが「預言者代理(カリフ)」に選ばれる可能性は限りなく低い。

 

この場合、「有力者同士」というのがポイントで、アリーは一般信者からの人気は高いが、ムスリムの長老たちからはまだ若造であると見られている。

それを自覚しているからこそ、アリーは失望していたのだ。

 

だが、

「まぁ、いいさ」

とアリーは思うことにした。

実際、遺言を聞いてから数時間、何度もそのように呟いた。

 

アリーは別に、地位や名声が欲しかった訳ではない。

ただ、ムハンマドに自分を頼りにしていて欲しかっただけだ。

ムハンマドが直接指名してくれなかった以上、あとは誰が預言者代理(カリフ)になっても同じことだ。

 

そんな風に思ってアリーはまた

「まぁ、いいさ」

と呟くのだ。




本作ですが、「その1」~「その7」までで完結になります。
当初は詰め込んで1~4までにするつもりだったのですが、1ページが長くなりすぎると読みづらいと思い、キリの良いところで分割しました。
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