○ムアーウィヤ
シリア総督にしてウマイヤ家当主。元々イスラムの敵対者であり、信仰心も薄いが、自身の権力の為にカリフ位を望む。悪知恵の豊富さが誇り。
○マルワーン
ウマイヤ家出身のウスマーン政権のNo.2。ウスマーンを傀儡にして自家への便宜を図る。目的の為には手段を選ばない冷徹さを持つ。
○タルハ
アブー・バクルの従兄弟。アブー・バクル亡き後のタイム家有力者。お洒落で社交的で商才がある。
○ズバイル
アブー・バクルの娘婿。アブー・バクル亡き後のタイム家有力者。優柔不断な性格だが戦場での強さはピカイチ。
○ヤースィル
アリーに加勢した最初期からの信者。90歳を越えても現役で戦い続ける老兵。
ムハンマドの死から数時間がたち、遺体の洗体などすぐにしなければならないことが終わると、ムハンマドの容態悪化を聞いて急いで駆けつけてきた4人の信徒たちは身支度を整える為に一度自宅へ帰ろうとしたのだが、ムハンマドの妻アーイシャはその中でアリーだけを呼び止めた
「アリー、あなたも帰ってしまうの?」
「…まぁ、そうだな。何の支度もないままここへ来てしまったし」
「お願い、アリー。あなたはここに残って。私を一人にしないで、家族じゃない。」
アーイシャはその幼い瞳でアリーを見つめた。
アリーは意外に思った。
アーイシャが自分のことを家族と呼ぶなんて思っていなかったからだ。
アーイシャはアブー・バクルの娘でムハンマド3人目の妻だ。
ムハンマドには生涯で11人の妻がいたが、アーイシャ以外は皆、夫に先立たれた寡婦である。
そこから既に亡くなったハディージャを除けば、あとは正式な結婚というよりは、困窮した未亡人に対する救済という意味合いが強い。初婚だったのはアーイシャのみだ。
だから、アーイシャはムハンマドの妻の中でも特別視され、愛された。
最愛の妻であった、と多くの人は言う。
そのアーイシャとアリーの関係はかなり険悪だ。
対立のきっかけは
アリーはムハンマドにアーイシャとの離縁を勧めた。
当時のアラブ人の慣習からすれば、夫以外の男と一夜を過ごした妻は離縁されるのが普通で、最悪を言えば四方から石を投げつけられて殺されることすらあった。
要するに、この頃の価値観では、妻による不義密通は重罪であり、許容の範囲を越えている。
イスラム世界では一夫多妻制が許容されるが、それにはそれぞれの妻を平等に扱うことが必要とされている。
ムハンマドがここでアーイシャを許すことは、全ての妻に不義密通という重罪を許容することでもある。
そうなれば、ムハンマドの威厳は保てず求心力は低下するだろう。
特にメッカとの戦争をしている今、それは避けなくてはならない。
他の側近たちが不信感を抱きつつもムハンマドとアブー・バクルに遠慮してアーイシャと離縁するように言い出せない中で、アリーのみがそれを進言した。
アリーからすればムスリム全体のことを考えた上で勇気ある告発を行った訳だ。
更に言えば、その行動には
「このまま教徒たちがヒートアップすれば事実はどうあれ、本当にアーイシャを殺さないと面目が立たなくなってしまう。その前に離縁して、蟄居にでもすれば少なくとも命まではとられないだろう」
というアーイシャへの気づかいも含まれていたのだが、身を守るのに必死になっている若いアーイシャに、それを理解しろというのは酷だった。
結局、ムハンマド自身が
「アーイシャの不義密通の事実はなかった、という神のお告げがあった」
との声明を出したことで事態は終息した。
アーイシャは助かり、アリーも公明正大な男であるとムスリム内での評判が高まった訳だが、その事件は2人の間に遺恨を残した。
それ以来、2人は滅多に言葉をかわすことのない仲になっている。
2人が対立する直接的なきっかけはその不義密通の一件だったが、そもそもアリーとアーイシャはムハンマドの愛を奪い合うライバル同士であったという見方もできるだろう。
僅か8歳で嫁いだアーイシャと預言者ムハンマドは夫婦でありながら、その関係性はお転婆な娘とそれを時に窘め、時に可愛がる父親のようであった。そういう意味でアーイシャはムハンマドの妻であり娘でもある。
一方、前述の経緯からムハンマドとは義兄弟の関係にあるアリーは、成人してからムハンマドの実娘ファーティマを娶っている。つまり、アリーはムハンマドの弟であり息子でもあった。
2人はそれぞれ他の誰よりもムハンマドに愛された。だが、アーイシャにはムハンマドと共に戦場で死線をくぐることはできない。また、アリーにはムハンマドの妻になることはできない。結局彼の最期を看取ったのもアーイシャだった。
共にムハンマドを敬愛する2人には互いに対するコンプレックスがあった。それが2人の間柄を複雑なものにしている。
そのアーイシャがアリーを家族と呼び、ここに残って欲しいと懇願している。
ムハンマドはムスリム全体を家族として愛し助け合うように説いた。もし、血はつながらなくとも実の家族であるアリーとアーイシャがわかり合えないのだとしたら、他の何を救えるのか。
これを機に関係を修復してもよいのかもしれない。
アリーは幼さの残るアーイシャの不安げな表情を見てそう思った。
確かに今、この18歳にして未亡人になった少女を1人置いていくのは、あまりにも不憫だろう。
「わかった。私は一先ずここに残り、みんなが帰って来てから出発するとしよう」
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さて、アリーは先ほどアーイシャと約束した通り、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンが身支度をして戻ってくるのを確認してからムハンマドの家を出た。
そして、自らも一旦自宅に帰って一寝入りした後、身支度をしてムハンマドの家に戻ると、そこには大きな人だかりができていた。
ムハンマドの死が信者たちに知れてしまったのであろうか。
何にせよ、あれだけ人が集まると中にはいるのにも一苦労しそうだ。
アリーが呆然と立ち尽くしていると、その人だかりの中から、2人、アリーの方へ向かって駆けてくる。
その内、1人はイブン・アッバース。
豊かに髭を蓄えたこの老人はアリーの父アブー・ターリブの兄弟…つまりはムハンマドとアリーの叔父にあたる。
ちなみに、彼の曾孫が後にアッバース朝という国をたてることになるサッファーフことアブー・アル=アッバースなのだが、それはまた別の話だ。
もう1人はマリク・イブン・アシュタル。
この人はアリーと同世代の友人で武勇に優れた男だ。
2人とも何やら、しきりに
「大変だ、大変だ」
と騒いでいる。
「2人とも、そう騒ぐな。私はわかっているから」
アリーは2人がムハンマドの死を自分に知らせようとしているのだと思った。
「アリー、そうじゃない、ムハンマドのことは、そりゃあお前は知っているだろう」
アシュタルがそう言うのでアリーは首を傾げた
「違う…? じゃあどうしてそんなに慌てているんだ?」
「ムハンマドの後継者…
「そんなバカな!
「だから、ウマルたちが、お前のいない間に長老たちを集めて採決してしまったんだ!」
「一体…どうなっているんだ…?」
アリーが呟くとイブン・アッバースが説明した。
「ワシにも、ワシがここにくるまでの経緯はよくわからん。じゃが、何にせよ、ウマルとウスマーンが随分と急いだ風に長老衆にとにかく早く集まれと声をかけていて、そこへワシも呼ばれたんじゃ。それでここまでやってきたら、そこでいきなりムハンマドの死と有力者による
「ウマルとウスマーンがそんなことを…」
「ワシは有力者同士の選挙だというなら、アリーが来るまで待つべきだと言ったんじゃが…。ウマイヤ家の者も長老たちもとにかくお前を後継者にしたくないらしい。何人か反対する者もいたが、ほとんどの者は今すぐに決めなくてはならないと言って、強行採決してしまったんじゃ。」
「そんな…」
「みんな、お前の血筋と能力に嫉妬しているんだ」
アリーはがっくりと肩を落とす。
「私は今まで、ムハンマドの教義に忠実に行動してきたつもりなのだが…何故だか、随分と嫌われてしまったな…」
「気にするな、アリー。心にヤマしいことがある者ほど、清廉潔白な者が上に立つことを怖れる。自分たちが甘い汁を吸えなくなると思っているんだ」
イブン・アッバースはそうアリーを励ましたが、それで気が楽になる訳でもない。
アリーは地位や名誉を求めている訳ではない。
彼が最も怖れるのは、ムハンマドが作り上げた共同体が権力闘争の対象となり、その結果、教義がねじ曲げられていくことだった。
それを防ぐ為には、誰が何のためにこんなことをするのか、正確に把握する必要がある。
だからアリーはムハンマドの死から今までのことを必死に思い出して事態の全体像をつかもうとしている。
アリーがいない間にカリフを選出するように、さかんに運動したのは、ウマルとウスマーン、つまりクライシュ族有力家系の2人だということだが、では何故、カリフに選ばれたのは、その2人のどちらかでなくアブー・バクルなのか。
まず一つ考えられるのは、この行動がアディー家、ウマイヤ家の政権奪取ではないと示すため。
ウスマーンは最初期からのイスラム信者でウマルは最も過激な信者であるから、今さらムハンマドの教義への忠誠を疑う者はいない。だが、アディー家やウマイヤ家そのものとなると話は別だ。
特にウスマーンのウマイヤ家は中心人物のアブー・スフヤーンに引っ張られるカタチでほとんど最後まで
そのアブー・スフヤーンもメッカ制圧の直前にムスリムと妥協し、そのお陰で今でも高い地位を保っているが、ムスリムの中には
「どの面下げて、デカイ顔してるんだ?」
との意見も多い。
そんなウマイヤ家が政権を奪ったのだとしたら、当然反発も出る。2人からすれば、そう見られるのはマズイはずだ。
もう一つ、アブー・バクルをカリフにする目的としては、アーイシャの取り込みが考えられる。
前述の通り、アブー・バクルはアーイシャの父親だ。
彼がカリフになってアーイシャに損はない。
元々関係が悪かったアリーを後継者にしたくない彼女は、クライシュ有力家系の2人から
「アブー・バクルを
と提案をされれば喜んで賛同するだろう。
そう考えると、身支度をするため一度家に帰ろうとした時にアーイシャがアリーを引き留めたのも不自然であったように感じる。
彼女は他の3人とアリーを引き離して別行動させた上でウマルらと共に工作活動をしたのだ。
その場合、首謀者はアーイシャか。
そもそも論、唯一ムハンマドの最期を看取った彼女なら遺言も捏造できる。
本当にムハンマドが後継者を選挙で選べと言ったのか。
穿った見方をすれば、それすらも怪しくなってくる。
要するに。現在、ムスリム内の派閥としてアブー・バクル派、クライシュ族派、アリー派の三派があるとしたら、アリー排斥のため、アブー・バクル派とクライシュ派が手を組んだということだ。
首謀者はクライシュ派のウマルか、もしくはアブー・バクル派のアーイシャだろうが、アブー・バクルやウスマーンも消極的にせよ彼らの意見に賛同して行動を共にしている訳だ。
「アリー、決起しよう! 奴ら、なんて汚い!」
アシュタルが拳に力を込めて言った。
アリーも同じ思いではある。
ムハンマドの教義は信徒同士を家族とする。
その家族の中で騙し合いすることなど、あってはならないはずだ。
だが、これ以上の権力闘争は避けなくてはならない。
それこそムハンマドの意思に背くことだろう。
アリーは唇を噛んで気持ちを圧し殺した。
「落ち着け、アシュタル。アブー・バクルはそんなに悪い男じゃない。」
「でも、お前を陥れたじゃないか」
「問題は誰が
「アブー・バクルにその方法が示せるとでも?」
「それができるかどうか、見てみようじゃないか。」
「では、もし、アブー・バクルの統治がムハンマドの意思に逆らうものであったなら…?」
「その時は…いや、そうならないように、まずはアブー・バクルの健闘を祈ろう。」
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ムハンマドというカリスマを失った直後の混乱期であったことを考えれば、アブー・バクルの統治は満点に近いものだった。
ムハンマドの死後、
アブー・バクルはまずこれらの反乱に対処しなければならなかった。アブー・バクルの側近にはこれだけの反乱に対応できる者がいない。
ウンマの中で優れた将軍といえば、真っ先にアリーが浮かぶが、アブー・バクルは彼を起用しなかった。
このタイミングでアリーに戦力を持たせることを嫌ったのだろう。
仮に反乱が頻発する最中、アリーまでもが反旗を翻せば、アブー・バクルはひとたまりもない。
アブー・バクルの性格上、アリーの人間性を疑っている訳ではないだろうが、それでもアリーにはそれを起こすだけの動機と実力がある。
だから、アリーに兵を預けることはできない。
そこで、アブー・バクルはハーリド・イブン・アル=ワリード将軍を起用した。
彼は元々クライシュ族の将軍でメッカとメディナの戦争中には何度もアリーやムハンマドと交戦し、苦戦させた。
謂わば、ウンマの将軍たちのライバルのような男だ。
ムハンマドがメッカ入城を果たすと、彼は改宗しイスラム陣営の将軍になっていたが、その過去故に人望がある方ではない。
アブー・バクルは彼を
「実力はあるが、兵からの信頼に欠けて反乱を主導できる人物ではない」
と判断して起用した。
そして、その采配は見事にあたった。
抜擢に奮起したハーリドは兵を鼓舞して、次々に内乱を鎮圧。
それにより、アブー・バクルの時代、ウンマはアラビア半島を再統一することに成功した。
更にアブー・バクルの功績をもう一つ挙げるなら、
当初、ムハンマドの教えは彼が文盲であったことから文書として書き残されることはなく信徒たちの暗記によって記憶され、口伝されていた。
そんな中、度重なって戦いが起こり、ムハンマドの教えを暗唱できる人材が数多く失われてしまった。
そこで、アブー・バクルはムハンマドの個人秘書を務めていたザイド・イブン=サービトに命じてイスラムの教えを一冊の経典としてまとめることにしたのだ。
結局、制作には長い月日がかかり、完成するのは第3代カリフの時代になるが、それでも、この事業を開始したアブー・バクルの功績は大きい。
この時から、今日まで、このクルアーンはムハンマドの言葉そのものとして扱われることになる。
これによって、ムハンマドの教えは読む者によっての解釈の違いをはらみつつも、しっかりと今日に伝わることになったのである。
このように、アブー・バクルの統治は善政であった。
アリーもそれは感じていたようで、三大派閥の内の一角・ウマイヤ家の長でナジュラーン知事であるアブー・スフヤーンがアブー・バクル打倒の為の同盟を提案してきた際には
「全イスラムの為に全力を尽くすアブー・バクルを倒すため、改宗の遅れたあなたと同盟するようでは信義がたたない」
とこれを一蹴している。
だが、そんなアブー・バクルの治世は彼の病死により、たったの2年で終わりを迎えた。
アブー・バクルはムハンマドと同世代の友人である。カリフになった時点で、いつ体調を崩してもおかしくない年齢ではあった。
だが、ウンマ全体のことを考えた時に、それはあまりにも早い死であった。
もしかすると、偉大な友の後を継ぎ共同体を支えることへのプレッシャーが彼の死を早めたのかもしれない。
そう考えると、いかに善政を敷こうが、彼に指導者としての器はなかった、とも言える。
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2代目のカリフは、アブー・バクルの遺言によって決まった。アディー家のウマルである。
初代のアブー・バクルがハッキリと意思表明していた為、後任者の選定自体はすぐに終わったが、その情報が公表されるのと同時にウンマの内部からは多くの不満が聞こえてきた。
その理由の一つは、ウマルが支持基盤とするクライシュ族有力家系、アディー家やウマイヤ家そのものに対する不信だ。
クライシュ族有力家系の中には、ウマルやウスマーンなど、ヒジュラ以前の時期からイスラムに入信している者もいたが、それらの家系の本体は長らくウンマと敵対関係にあった。
ムハンマドはメッカに入城した際にこの地域で慣習になっていた「血の報復」の制度を改めてクライシュ族の者たちを許したが、それ故に彼らは力を失わずいまだ強い勢力を保っている。
今ではアディー家やウマイヤ家の者たちもほとんどが改宗してムスリムになっているが、きっと腹の中では面白くないに決まっている。
そんなウンマの人々が抱く疑いがウマルに対する不満に繋がっている。
そしてもう一つ、ウマルのカリフ就任が不安視される要因は、彼自身の苛烈な性格だ。
名家の貴公子として生まれた彼は、自分の考えや行動に対して疑問を持つということを知らない。
彼の考えでは、自分はいつも正しく他人の間違った行動を正すためなら、正義の為にどんな残忍なことをしても構わなかった。
それ故に、ウマルがムハンマドの教えを受け入れてイスラムに改宗した時、その報せは驚きをもって伝えられたが、それ以降、彼の行動は激しさを増した。
行動のエネルギー源を自分への自信からムハンマドの宗教への狂ったような信仰心に変えた彼は行動原理に対する更なる確信を得たが如く暴れまわった。
ウマルと対メッカ戦争で共に戦った者たちは彼が戦場でどれだけ残忍な振る舞いを見せたかを知っている。
味方ならば頼もしいが、それが、敵となったらどうなるか。
既にメッカ有力家系の後ろ楯を持つ彼に更なる権力を握らせるのは危険である。
そう考える者は多い。
その功績からムハンマドはウマルを高く評価したが、彼の苛烈さを抑え上手く使えるのもまたムハンマドだけだった。そのムハンマドがいない今、一体、誰がウマルを制御するのか。
そうだ、アリーがいるじゃないか。
それがウマルに対する反対派の人々に浮かんだ答えであった。
ウマルに匹敵する武勇を持つムハンマドの義兄弟。
彼にはウマルにはない公平さと人望がある。
そもそも、初代のカリフからしてアブー・バクルなどではなく、彼こそが相応しかったのだ!
そんな想いからアリーの下に詰めかけた人々の内、ある者は
「皆の意見を聞かず、アブー・バクルの遺言だけで決められた後継者は無効である。公平な選挙で決め直すようクライシュ族有力家系の連中に訴えるのだ!」
と言い、またある者は
「これはアディー家による簒奪である。今すぐ決起して奪われたカリフの座をムハンマドの一族の下へ取り戻すのだ!」
と言った。
アリーとて、この相続に対して言いたいことはある。
アブー・バクルは律儀な男であった。だからこそ、アブー・バクルは自身のカリフ就任に大きな役割を果たしたウマルへの恩義を忘れず、彼に後任を託したのであろう。
だが、そうだとすれば、それは本当の意味での律儀さ、誠実さなのだろうか。
ムハンマドの後継者が果たすべき信義とは、自分の個人的な地位向上に貢献してくれた人物に対して便宜をはかることではなく、開祖の教えをひたすらに守り抜くことではないか。
そういう意味で、アリーはアブー・バクルの行動に疑問を懐かざるを得ない。
とは言えど。
だからと言ってウマルにカリフの資格がないとは言いきれない。
アリーはそう考えていた。
気性の荒らさはあれど、ウマルには能力と強い信仰心がある。
もしアブー・バクルがウマルのそうした部分を重要視して高く評価していたのだとしたらどうか。
必ずしも私情によって決まった後継者だとは言えないだろう。
だからアリーはここでも過激な行動に走ろうとする者たちを諌めた。
そんなアリーを見て、一部の者は彼の下を去った。
「アリーはいつも如何にも正しいようなことを言うが、結局のところムハンマドの教えが犯されそうになっても行動を起こそうとしない臆病者じゃないか」
と言うのが彼らの言い分だ。
アリーのことをよく知る者は
「彼らこそアリーの深い考えを理解できない愚か者だ」
と憤ったが、結局のところ、それがアリーの限界でもある。
集団のトップに立つ者は、常に自分の立場を明確にしなければならない。そして、懐いた考えの為に、時には迷っている人やどっちつかずの人を説得し、時には敵対する者を排除する。
そうして、集団を目的の達成へと導く者こそが、真の指導者なのだ。
アリーの人間性はそうではなかった。
彼は、自分の立場だけではモノを考えない。
自分の立場、相手の立場、周囲の環境、神の理…。アリーは、森羅万象を包括した上で物事の答えを出そうとする。
そして、敵対するかもしれない相手に対しても決定的に対立する前に、時間をかけて、その考えの深淵を探る。
アリーの生き方、考え方は指導者というよりも、哲学者に近い。
どちらが、良いとも悪いとも言えない。
だが、如何に崇高な考えを持っていようが、闘争に有利なのは、圧倒的に指導者の才がある者なことは、明らかである。
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アリーの見込み通り、ウマルの治世はそんなに悪いモノではなかった。
ウマルは持ち前の武勇を生かして多方面に遠征軍を派遣。
近隣の強国ササン朝やビザンツ帝国を散々に撃ち破り、東は現在のアフガニスタン、西はアルジェリアにまでウンマの領土は拡大した。
ウマルはまだ若い。
このままウマル統治の下、ウンマも安定するかと思われたが、彼の治世の終わりは突然やってきた。
644年11月、ウマルはメディナのモスクで礼拝をしている最中に、ペルシア人の奴隷によって刺殺された。
殺害の動機は個人的な恨みであったという。
結果論、彼の苛烈な性格が祟ってしまったということだろう。
ウマルはすぐには死なず、襲撃の後、3日ほど生きた。その間、彼は後継者について次のように遺言した。
選挙を行い
ウスマーン、
アリー、
タルハ・イブン・ウバイドゥッラー(アブー・バクルの従兄弟。以下、タルハ)、
アッ=ズバイル・イブン・アル=アッワーム(アブー・バクルの娘婿。以下、ズバイル)、
アブドゥッ=ラフマーン・イブン・アウフ(初期信者。将軍)、
サアド・イブン・アビーワッカース(ウマル忠臣。将軍)
の中から次期カリフを選出するように。
そうして、第3代カリフになったのはウスマーンであった。
アリーも最後の候補にまで残っていたが、最終的には落選した。
ウマイヤ家やアーイシャによるアリーへの反対運動があったのは確かだが、何よりも、それらウンマ有力者たちによる政治的活動を目の当たりにしたアリーは彼らとの権力闘争に嫌気がさしていた。
この頃になると、アリー自身、カリフ就任に積極的ではなかったのである。
穏和なウスマーンが当選したのには、先代カリフの苛烈さへの反省もあっただろう。
だが意外にもウンマの政治は彼の代から乱れる。
ウスマーンがウンマ内の要職をウマイヤ家の一族で固め始め、更には彼らに国庫から報酬を渡すようになっていったのだ。
その気性から多くの者に警戒された2代目カリフのウマルだが、実のところ、彼は非常に平等な男であった。誰に対しても等しく傲慢だったのである。
だから、ウマルはアディー家の者が職の斡旋などを求めてきても
「お前たちはムハンマドの教えを信じようとしなかったじゃないか。戦で負けてようやく預言者の正しさに気づいたようだが、私に言わせれば遅すぎる。本来、一族まとめて殺されても仕方のないところを預言者の慈悲によって生かされていることを忘れるな! 愚かしい不信心者よ、お前たちは一生栄達など望まず、いち早く教えに目覚めた者に従って慎ましやかに生きろ! この大バカが!!」
といった主旨のことを言って追い払っていたのである。
だが、ウスマーンは違った。
彼は穏和過ぎた。臆病であったと言い換えてもよい。
ウスマーンはウマイヤ家の人々の頼みを無視することで、自らの支持基盤を失うことを怖れた。
また、そこから転じて人に恨まれてウマルのように暗殺されることを怖れた。
その結果、ウスマーンは最も怖れて逃れようとした結末を迎えた。
656年6月。
ウマイヤ家の専横に不満を懐いたウンマの兵たちがカリフの交代を求めてウスマーンの邸宅を取り囲んだのだ。
この事態に、教友たちはアリーに対して兵の説得を依頼した。
アリーはこの時既に56歳。
表舞台に立つことよりも、宗教家として敬虔に暮らすことを望んでいたが、権力欲にまみれた者には到底任せられない仕事である。
アリーはまず兵士たちに対しては、
「ウスマーンに改革を約束させるので、そのあかつきには彼を解放するように」
と説得した。
そして、次にウスマーンの下を訪ねて専横を非難し、
「兵たちの前でこれまでの政治を改める旨を誓うのだ」
と助言した。
だが、恐怖におののくウスマーンはアリーが指摘する事実をなかなか認めようとはしなかった。
非があれば殺される。だからそれを認める訳にはいかない。
彼は、どうやらそんな精神状態に陥っていたらしい。
「私の心に一切の私心はない! ずっと、ずっと…私は誰よりも長くムハンマドの教えの信奉者だった! それは、お前も知っているだろう!」
ウスマーンは部屋の隅で身を屈めながら叫んだ。
80代に突入しイスラムの長老となった男が恥も外聞も捨てて必死になる姿が、アリーの目には非常にみすぼらしいモノに見えた。
これまでアリーはウスマーンのことを頼りにしたことはなかった。だがそれでも、それなりに親しみを持って接してきたつもりであった。
彼は人として悪い人間ではないのだ。
しかし、アリーは今のウスマーンに対しては軽蔑に近い感情を覚えている。
それでも、なんとか彼が我を取り戻せるように、落ち着いた声を作って言った。
「ウスマーン、貴方なりに何か考えがあったのかもしれないが、結局のところ貴方の人事は皆の支持を得られていないんだ。それを改めると誓わなければ、彼らは矛をおさめない」
「私の人事…ウマイヤ家の者を重役につけたことか?」
「そうだ。彼らはそう言っている」
「それをしたのは…私だけじゃない…。」
「と、いうと?」
「そうだ、ムアーウィヤ…ムアーウィヤをシリアの
ムアーウィヤというのは、ムハンマドに最後まで反対したウマイヤ家の中心人物アブー・スフヤーンの息子である。
ムハンマドがメッカを征服した後、降伏した父にしたがって教徒になったが、彼が心の底でムハンマドの教えを信じていないだろうことは明白であった。
彼がシリア総督に就任した時、多くの信徒から反対意見があったことはウスマーンが指摘する通りである。
実際、最近、特に専横が激しいと信徒たちの間で噂されている。
ムアーウィヤはウマルのアディー家の者ではないが、支持基盤となるクライシュ有力家系の出身者ではある。
ウマルだって自己利益の為の人事を行っているではないか。
自分だけがこうなるのは不公平だ。
そう言いたかったようだ
「確かに、彼は清廉潔白とは言えない…。」
「そうだ、そうだろう!?」
「だが実力はある。実際、他国との戦争では武功を立てているだろう? つまり、ウマルの判断は正しかったということだ」
「なら何で、私が同じようにムアーウィヤを使うと兵士たちは文句を言う! 私は彼を使い続けているだけなのに、何故だ!」
「ウマルはしっかり彼をコントロールした。禁じられた行為をすれば説教し、厳しく処罰していた。あなたの場合は親族を贔屓するあまり、共同体が弱くなった。事実、ムアーウィヤが横暴を働くようになったのはウマルの死後、貴方がカリフとなってからだ」
「でも、そうするしか…そうするしかなかったんだ…奴ら逆らえば何をするかわからない!」
「今こそ、それを改めるんだ」
「だけど、それをしたら殺される…! 私のしていることはウマルとそんなに変わらないはずなんだ!」
「もし、そうだとしても、ウマルだって殺されただろう!」
アリーがそれを言うとウスマーンは沈黙した。
そして、しばらくしてから
「私はどうすればいい?」
とアリーに尋ねてきた。
「私はウマルの治世が悪政だったとは思わない。だが、彼は殺された。彼は常に自分が一番で人の心を見ず、能力しか見なかった。だから、その因果で殺されたんだ。」
「嫌だ! 私は死にたくない!」
「ウスマーン、ムハンマドの教えに立ち返ろう。
「家族…」
「ウスマーン、自分の心に従い成すべきことを成すべきだ。正しいことをする者を
ウスマーンは、アリーの説得に応じ、邸宅を取り囲んだ兵士たちに対して政治の改善を誓った。
詳しい演説の内容までは伝わっていないが、それは感動的なモノであったという。
ウスマーンは泣いていた。彼の言葉を聞いた多くの民衆たちも泣いていた。
だが、ウスマーンはそれを数日で取り消すこととなった。
騒動の内容と結末を知ったシリア総督のムアーウィヤやウスマーンの個人秘書兼見張り役だったマルワーンというウマイヤ家の若者が発言を撤回するよう圧力をかけてきたからだ。
すっかり弱気になっていた哀れな老人ウスマーンは彼らの言うがままになった。
そして、民衆は再びウスマーンの邸宅を囲んだ。
先日の誓いが感動的なモノであっただけに、裏切られた時の怒りも凄まじいものだった。
そして、今度はウスマーンがどう弁明しても民衆たちは聞く耳を持たなかった。
兵士たちはウスマーンの邸宅に押し入り、彼の身体を切り刻んで殺した。
なお、一番最初に彼に斬りかかったのはアブー・バクルの息子ムハンマド・イブン・アビ・バクルだったという。