アリーの後継者、十二イマームの再来たるイスマーイール1世は正義を為さなければならない。
イスマーイールがサファヴィー教団を率いて白羊朝を滅ぼした頃、時を同じくして中央アジアにはシャイバーニー朝が勃興していた。
ウズベク族のシャイバーニー・ハンは1495年にトランスオクシアナで覇権を握ると、1507年にはティムール朝を狙う。
後継者争いで揺れるティムール家はウズベク族を相手に為す術なく敗退。王都サマルカンドを奪われて一族は離散した。
そんなティムール家の一人、バディー・アッザマーンがタブリーズの宮殿に逃げ込んで来てイスマーイールに助けを乞うてきた。
「スンニ派のティムール朝を助ける義理などない。強敵シャイバーニー・ハンとの対決は避けるべきである。」
部下たちは口々に言ったが、正義の使者・イスマーイールは助けを求める者を無下にはしない。そしてむしろ、強敵という言葉に心を踊らせた。
「私が負けると思うか?」
イスマーイールは部下たちを集めて皆に問うた。
否、
それが部下たち満場一致の意見であった。
理屈で考えれば、どちらが勝つとも言えないはずである。昨今、シャイバーニー朝の拡張には、サファヴィー朝のそれと同等の勢いがある。
だがそれでも、イスマーイールを知る者には、彼の敗北する様がまるで想像できないのであった。
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サファヴィー朝とシャイバーニー朝の間にメルヴの戦いが起こったのは1510年秋のことである。
戦いは、バディー・アッザマーンによる救援依頼という大義名分を得ているサファヴィー朝の敵領土侵入によって始まる。
これに対してシャイバーニー・ハンはメルヴでの籠城戦を選択した。
これは、サファヴィー側からすれば意外な作戦であった。
シャイバーニー朝は元々チンギス・ハーンの長男家が建てたジョチ・ウルスから独立した勢力であり、シャイバーニー・ハン自体、血筋をなぞっていけば、チンギス・ハーンにたどり着く。
それ故、シャイバーニー朝の主力をなすウズベク族は生粋の遊牧民族と言え、当然この戦いにおいても騎馬軍団での機動戦を仕掛けてくるものと思われていたのだ。
前述したように、サファヴィー朝のクズルバシュもテュルク系遊牧民を中心とする騎馬軍団だ。
彼らの信仰心に裏打ちされた死をも恐れぬ突撃は一種の異常性を孕んだものであるから、相手が普通の指揮官であれば、そうした狂信者たちとの対決を避けようとしたのだという見方も理解できる。
だが、シャイバーニー・ハンに限ってはそうしない、というのがドルミーシュ・ハーン・シャームルー、ムハンマド・ハーン・ウスタージャールーの両大
モンゴル系遊牧民にルーツがある騎馬民族というのは、騎乗の上手さと騎馬戦の強さに誇りを持っており、とにかくそれだけは他の奴らに負けたくないと思っているような連中なのだ。
ましてやシャイバーニー・ハンはチンギスの一族なのである。相手が強力な騎馬軍団だと知れば、むしろ躍起になって自分達の力を示しにかかる。それが彼らの行動パターンのはずだった。
全く不思議な事態が起きている。
サファヴィー側の参謀たちは戸惑った。今回は騎馬戦になる、という戦前の予想があったものだから、本格的な攻城戦の準備がない。
「このまま相手の土俵で戦うのは危険です。一度、タブリーズへ引き返し準備を整えましょう。」
イスマーイールの師にして現在は秘書官を勤めるシャムス・アッディーン・ラヒージーはそう進言したが、それに対してイスマーイールは慌てた様子も見せず
「まぁ、もう少し様子を見てもよいではないか」
と不適に微笑んだ。
そこから数日、イスマーイールはメルヴ近郊に留まる訳だが、その間、何をしていたのかと言えば、手紙を書いていた。
宛先はシャイバーニー・ハンである。
そこには
「外に出て来てマトモに戦う勇気がないのか? 腰抜けめ。」
「ウズベク族は馬に乗れないのか?」
というシャイバーニー・ハンの民族的なプライドを貶める個人批判や
「お前がここまで意気地のない男だとは知らなかった。チンギス・ハーンの子孫だとは思えない。いや、そもそもチンギス自体が言われているほど大した男ではないのかも知れないな。」
という父祖に対する侮辱が記されている。
イスマーイールは使者を送り、それを1日に複数回届けさせたが、帰って来た者はいなかった。
おそらく、手紙の内容があまりにもヒドく、そしてしつこいので怒ったシャイバーニー・ハンが全員の首を切ってしまったのだろう。
だが、それでもシャイバーニー・ハンが挑発に乗って城から打って出ることはなかった。
1週間ほどそれを続けると、イスマーイールは、
「シャイバーニー・ハンとは、なかなか我慢強い男であるな」
と感心した様子を見せて全軍に撤退を指示した。
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サファヴィー軍の撤退を聞き、シャイバーニー・ハンは歓喜した。やっとあのガキに目に物見せる事が出来る、と思ったからだ。
ここまで、概ねシャイバーニー・ハンの読み通りに事は進んでいた。
サファヴィー朝側はこちらの意図を読み、騎馬VS騎馬の戦いを想定しているだろう。だから裏をかいて籠城してやろう。そうすれば、長期戦の準備がないサファヴィー軍は背中を見せて撤退するはずだ。その時が反撃のチャンスになる。
この時、60代になろうかという年齢だったシャイバーニー・ハンはそうなる時を我慢強く待っていた。一つ、予想外があるとすれば、それはイスマーイール1世の行動である。
シャイバーニー・ハンをあらゆる角度から批判、侮辱する手紙をしつこく送ってきたのだ。しかも、その悪口は一つ一つがシャイバーニー・ハンの心にクリティカルヒットする非常に的確なモノであった。
籠城する相手に対して攻城側が挑発を行うことは、戦史上、よくあることだ。
シャイバーニー・ハンも敵がそうした行動に出ること自体は予測しており、多少のことで動じない心構えはできていた。だが、詩人、文筆家としても名高いイスマーイール1世が類い稀な文才をこの様に使ってくるとは思っていなかった。
シャイバーニー・ハンは我慢して、我慢して、我慢した。
イスマーイール1世はイスラム教徒として、これ以上ないほど高貴な血統の持ち主だという。だがそれは、このユーラシアの大地においては、チンギスの血をひくシャイバーニー・ハンとて同じことだ。草原の王者の末裔が約40歳も年下の若造に侮辱を受けたのである。
部下からは何度も
「この侮辱はさすがに度がすぎている! 打って出ましょう、これ以上の沈黙は誇りが許さない!」
と攻撃を進言された。
シャイバーニー・ハンも心は同じであったが、
「相手の大将はまだ若く、敵に対しても礼儀があるということを知らないのだ。過激なことをやってウケればいいと思っている迷惑YouTuberと同じであり、そんなヤツを相手にして作戦を崩してはならない」
と自らの気持ちに反して許可しなかった。
全ては反撃開始の時の為である。
そして、遂にサファヴィー軍が撤退を始めた。シャイバーニー・ハンが追撃を指示すると騎馬兵たちは飛び上がるような勢いで城を飛び出して行った。
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一般的に軍が戦場からの後退を余儀なくされる場合、それを行う軍団の戦闘能力は著しく低下している。
何故ならば。
まず、軍が撤退をするのには必ず理由がある。
戦闘で兵士を数多く失ってしまったとか、戦が長引いて物資が不足してしまったとか。あるいは自国で反乱が起こったということも考えられるだろう。とにかく、その軍は何らかの理由で戦線を維持できなくなっている。そうした状態にある軍が強いはずもない。
更に、軍団が撤退を始めれば、その瞬間から兵の士気も低下する。国家や軍の指導者は何か望みがあって戦争をする訳だが、基本的に前線で戦う一般兵はそうではない。戦闘が始まれば真っ先に犠牲になる彼らはほとんどが一刻も早く戦争が終わればいいと思っている。
もし仮に国家や主君への忠誠心が高く身を犠牲にすることを厭わないという兵がいたとしても、心の奥はおそらく同じで、例え負け戦でも自分が無事に故郷に帰れるとなれば必ず気が抜ける。
一度、家族に会える、家に帰れるということをイメージしてしまった兵には、事情が変わってもう一度戦えと言われても、それは難しい。
そして、最後は単純に陣形の問題だ。
相手に背を向けて逃げながら戦うのと、相手を追いかけながら前を向いて戦う場合、どちらが戦いやすいだろうか。おそらく、多少なりとも軍事に知識のある者なら、ほとんどの人が後者と答えるはずだ。
これらの理由から、撤退していく軍団とそれを追う軍団が戦闘になった場合、圧倒的に後者が有利となる。
シャイバーニー・ハンもサファヴィー朝の軍に対して、それを狙った。兵士たちも自分たちの圧倒的に有利な状況を知っているから、シャイバーニー・ハンから追撃の命が下ると、先を争う様にして自陣から出ていった。
シャイバーニー・ハンも
「ここが勝負どころだ!」
と兵たちの先頭に立って指揮をとる。
自身と父祖への侮辱に対する怒りもあっただろう。
追撃戦はスピードが命である。守備網の崩壊した相手を倒す絶好の機会。なんとしても逃げる敵に追いつき、相手の指揮系統を破壊してしまわなければならない。
そうすることで、軍の再編を余儀なくされた敵国に対し、その間、軍事・外交的に優位を保つことができるのだ。逆に、相手を無傷で帰還させてしまえばここでの勝利の意味も薄れてしまう。相手は素早く体制を建て直し、再び侵攻してくることだろう。
一兵卒からしても、手柄を立てる絶好機である。
相手を首だけにしてしまえば、その者が強かったか弱かったかなどわからない。弱った敵兵をなで斬りにして、とにかく多くの首をとって自身の手柄にするのだ。
その為には、敵と戦う前に、まず仲間に遅れをとってはならない。
そういった訳で、追撃戦においてはしばしば、隊列を保つことよりも行軍の速さが優先される。
この時のシャイバーニー朝の軍もそうだった。
だが、しかし。
シャイバーニー軍の先頭がサファヴィー軍に追いついた時、そこにいたのは、情けなく故郷に逃げ帰ろうとする敗残兵たちではなかった。サファヴィー軍は既に反転し、しっかりと陣形を整えて追手を待ち受けていたのだ。
偽装退却…!
そう気づいた時にはもう遅い。サファヴィー軍はシャイバーニー騎兵の姿を認めると、統率のとれた陣形を保ちながら一斉攻撃を開始した。
今度はシャイバーニー軍が追われる立場になる。
追撃の為、あえて隊列を崩していたシャイバーニー軍は組織だった反撃も出来ないままサファヴィー軍に押し潰されるカタチになった。
混乱する戦場の中で、前線まで出て来ていたシャイバーニー・ハンも討死した。歴史上、国家元首レベルの人物が会戦で討死する戦いというのは、意外と例が少ない。
サファヴィー朝にとってこれ以上ない結果、
イスマーイールにはシャイバーニー・ハンが籠城を始めた段階からこの絵図が見えていた。
戦いの序盤、城に籠ったシャイバーニー軍を見て、サファヴィー軍の参謀たちは混乱した。
「何故だ、奴らは民族の誇りにかけて絶対に騎馬戦を仕掛けてくるはずなのに!」
実のところ、イスマーイールもそう思った。
だが、参謀たちとイスマーイールが決定的に違ったのは、誇りというモノの捉え方だろう。
参謀たちはシャイバーニー軍の行動を
「彼らは予想外にも、騎馬民族の誇りを捨てて籠城した」
と捉えた。
だが、イスマーイールは思うのだ。
仮にシャイバーニー・ハンが独自の見解から
「サファヴィー軍には敵わない」
と考え、会戦を回避しているとして。
誇りというモノは、そう簡単に捨て去れるモノだろうか。
いや、むしろ、簡単に曲げることの出来ない想いやあるべき姿のことを、そう呼ぶのではなかろうか。
そう考えた時に。
今は多少なりともコチラの実力への尊敬を持って策を弄しているのだろうが、彼らは勝負所で必ず騎馬戦を仕掛けてくるはずだ。イスマーイールはそう踏んだ。
だからこそ、イスマーイールは書状を送りシャイバーニー・ハンとウズベク族を中傷した。相手が誇りを捨て去ってしまっていれば、そんなことに意味はない。
だが、相手が逸る気持ちを抑え耐えている時だからこそ、このような古典的な方法にも意味が生まれる。
人には、欲求に対して我慢をすればするほど、縛りが解けた時に気持ちのタガが外れ、自分自身を制御出来なくなる傾向がある。
シャイバーニー・ハンや彼の兵士たちもそのような心境に陥った。
敵の侮辱に耐えながらチャンスを待ち、遂に反撃の機会が訪れた。その瞬間、彼らは我を忘れた。
散々に愚弄してくれた敵の若い君主を血祭りにあげて民族の誇りを示す。それ以外のことが考えられなくなった。
辿り着いた先に、相手の罠が待っていることなど、想像もしていなかったことだろう。
感覚の人であるイスマーイールにとって、兵法・用兵術の類いは必ずしも得意分野ではない。だが、一流の宗教家である彼は、物事の本質や相手の心理を直感的に読み取る能力に長けていた。
このメルヴの戦いにおいて彼は、約40歳も年上のシャイバーニー・ハンの考えを的確に予測し、見事、敵の作戦の裏をかいて見せたのだ。
シャイバーニー・ハンを討ち取ったという報告が最前線から入ると、サファヴィー朝本陣の中は俄に色めきたった。
皆が浮かれる中、ただ一人イスマーイールだけが真顔のままだった。
「シャイバーニー・ハン、誇り高い、素晴らしい敵だった…。」
「そうですかぁ? イスマーイール様にかかれば、あんなヤツ、楽勝ですよー!」
と部下たちは戦勝の喜びに浮かれているようである。イスマーイールはなおも表情を崩さない。
「誰か、シャイバーニー・ハンの首を持って来い。」
「いいですね、晒し首にでもしてやりましょう!」
「なるほど、俗人はそのようにするのか。」
「え?」
イスマーイールはそこまで話してやっと笑った。
「今宵は宴にしよう。
その夜、イスマーイールはサファヴィー教団の儀礼に則り、シャイバーニー・ハンの髑髏を盃にして勝利の美酒を味わった。
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正義の使者を自認するイスマーイールはこの勝利の後、ヘラートに入城し、シャイバーニー朝の捕虜になっていたティムール朝の人民を解放してやった。
その中には、その後、インドに移ってムガル帝国を興すことになるバーブルの姉ハーンザーダもいたが、それはまた別の話だ。
シャイバーニー・ハンの死後もウズベク族はなお強く、1512年11月には新しい首長ウバイド・アッラー・スルターンに率いられてサファヴィー軍の猛将ナジーム・イサーニーの軍を打ち破ることすらあった。
だが、翌年の春にイスマーイールが親征を開始すると、彼らはそそくさと逃げる様に自領に引き返して行った。
要するに、イスマーイール1世の名はそれくらいウズベク族にとって恐怖の対象になっていた。
こうしてサファヴィー朝はかつて白羊朝の勢力圏だったペルシャ地方全土を制圧した。
タブリーズ占領の時と同じく、ヘラート、バグダードなどこの地域の重要都市でもイスマーイールは住民にシーア派改宗を強制した。
それにより一部の敬虔なスンニ派は街を出ていったが、イスマーイールのカリスマ性により、人々のそうした行動は最小限におさめられた。
この時のイスマーイールの政策が、ペルシャ地方をシーア派の一大拠点とし、それが今日まで続いている訳だ。
サファヴィー朝にイスマーイール1世あり。
その勇名が、世界に響き渡ろうとしている。
構成はその1~その6までです。
なお、その1~その3がイスマーイール編、その4~その6がタフマースブ編になる予定です。