カリスマの影響力は万里をも越える。
1499年、当時12歳にして国際舞台への鮮烈なデビューを飾り、地域の強国・白羊朝を滅ぼしたイスマーイール1世の評判は瞬く間にイスラム世界に広まった。
当時は当然、写真、TV中継、インターネット、それら全てがなく、支配者の実像は分かりにくい。
だが、だからこそ、人々は伝わってくる断片的な情報から想像した。
ムハンマドとアリー、更にササン朝王家やローマ皇帝家(コムネノス家)から受け継いだ高貴な血統、邪悪なほど美しいと評された容貌、常勝無敗を誇る軍事的才能、そして豊かな表現力でもって紡ぐ情熱的な詩の数々に呪術的な儀式を用いる神秘的なサファヴィー教団の教義…。
それらの噂は特に1453年にビザンツ帝国を滅ぼして世界最強国家になっていた隣国オスマン帝国の領内にいる被支配民族の心を刺激した。
イスマーイール1世こそ、唯一オスマン帝国に対抗しうる存在であり、我らを支配から解放してくれる救世主である。
そんな風潮が彼らの中で広がっていった。
実際、例えば戦勝後、自らに従った部下や異民族に対して与える報奨について、イスマーイールはかなり寛容であった。
サファヴィー朝以外の普通の国家にとって、部下に与える報奨の多寡というのは、非常に君主の頭を悩ませる問題だ。
それが働きに対して少なければ不満が出る。だが、多すぎるのも問題だ。積み重ねていけば、やがて君主と同等、あるいはそれ以上の力を持つ者が現れるかもしれない。
だから普通の国は大きい戦功を立てた部下に対しても、ある程度は報奨を渋る。または、力を持ちすぎる者が出ないように、制度で縛る。
だが、
だから、イスマーイールは常に報奨を弾んだ。
同じ理由で、もし報奨が少なくても不満は小さくて済んだであろうから、これは彼の性格の問題でもあるのだが、同時に王たる所以でもある。
自分の思っていた以上、あるいは他国では考えられないような高い報奨を与えられた部下たちは、イスマーイールというカリスマからの評価に感激して、なお彼に忠誠を誓った。
だから、隣国からその様子を見て、オスマン帝国の支配を受けた部族の人々は
「
と思った。
そうした訳で、特にオスマン帝国とサファヴィー朝の国境付近、東アナトリアには彼を崇拝し、自らその支配下に入ろうとするイスマーイールファンクラブが跋扈する状況になった。
そんな時分に起きたのが、サファヴィー朝とシャイバーニー朝によるメルヴの戦いであった。
イスマーイール1世の鮮やか過ぎる勝利。
それに魅せられたイスマーイールファンクラブの人々は
「早くイスマーイール様に従いたい、命令されたい、支配されたい」
という感情を遂に爆発させた。
1511年、シャー・クルの反乱である。
反乱のリーダーになったシャー・クルなる人物の出自は不明。だが、シャー・クルというのは『
大規模な反乱になった。まず、皇帝バヤジット2世の皇子コルクトが鎮圧に赴いたが、あえなく敗退。次いで皇子アフメトが大宰相ハードゥム・アリ・パシャと共に出陣し、大宰相が戦死するという苦戦の末にようやく鎮圧した。
オスマン帝国首脳陣はこの反乱にはサファヴィー朝が直接関わっていると分析した。
根拠としては、まず一つに、反乱首謀者シャー・クルの出自が不明であったことが挙げられる。つまり、彼はオスマン帝国の支配が及ばない外国からやってきた人物なのではないか、そう推測されたのだ。
そして、もう一つの根拠はイスマーイールの人柄によるもので、正義の使者を自称する彼は自分自身を慕う者から助けを乞われれば断ることはしない。オスマン領内にいる自身の信奉者たちにも何らかの支援を与えていた可能性が高いだろう、と思われた。
状況証拠のみで確証はない。だが、何にせよオスマン帝国はサファヴィー朝を叩かなくてはならない。
イスマーイール1世本人にその意図があろうがなかろうが、このまま国内に彼の信奉者が増えれば、反乱が頻発し、国政は乱れる。
少し触れたが、当時のオスマン皇帝は聖者王バヤジット2世である。この人はその二つ名が示す通り非常に信仰熱心な皇帝であり、預言者の血をひくアルダビールの聖者の国に対しては融和的な態度で接していた。
苛烈な人物が多いオスマン皇帝の中では珍しく人格者として人民から尊敬を受ける現皇帝だが、この国家の危機に際しては特に軍部から、その外交政策を非難する声が大きくなっていった。
そこで登場するのがバヤジット2世の3男、後の冷酷王セリム1世である。
彼はサファヴィー朝に対する強硬論を掲げてイェニチェリの支持を取りつけると、クーデターで2人の兄アフメトとコルクトを排除し、一家諸共処刑。更に父バヤジット2世も退位させ、幽閉した。
なお、バヤジット2世はそこから数日で死んだ。
公式には病死と発表されるが、宮廷内ではセリムによる毒殺だと噂された。
セリム1世は1512年5月に即位した。
オスマン帝国はこれまで領土の獲得にあたっては同じイスラム教の国家よりも、西方のキリスト教国をターゲットにしてきた。だが、セリム1世は即位後にその方針を転換。ハンガリーなどと和睦して軍を東方に差し向けた。
勿論、サファヴィー朝に対抗するためである。同じイスラム国でも異端のシーア派ならば、話は別だ。
セリムは東部アナトリアに到着すると、まず役人及び住民たちの身辺調査を開始。結果、イスマーイールの信奉者であると疑われた者、なんと4万人を処刑した。
さて、こうなるとサファヴィー朝も動かざるを得なくなった。
実のところ、常勝無敵のイスマーイールもこれまでオスマン帝国との交戦だけは避けてきた。かの国はこの時代の世界最強国家である。
難攻不落のコンスタンティノープルを攻め落とし、偉大なローマ帝国の歴史を終わらせたオスマンの強さに衝撃を受けていたのは、なにも西洋諸国家だけではない。中東のイスラム諸国も同じであった。
だが、セリム1世が東アナトリアで殺した4万人は、実際に蜂起を計画していた者、所謂反乱者だけではない。少しでもサファヴィー朝やシーア派に好意を見せた者はその家族も含めて全員が異端の信奉者として殺されていた。
いくらオスマン領内での出来事とはいえ、これに正義の使者が憤りを感じないはずはない。
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オスマン軍とサファヴィー軍がぶつかるのは、1514年8月、現在のトルコ領、東部チャルディラーン平原でのことだった。
戦いの前日、オスマン軍の到着が近いことを知ったサファヴィー軍の陣では軍議が開かれた。
始めに
そのムハンマド・ハーンの言うところによると。
オスマン軍の主力はイェニチェリ軍団であり、彼らは主に銃や火砲を使う。よって、夜襲が有効である。視界の悪い夜ならば、そうそう自陣で発砲することはできない。狙いが定まらないし、悪ければ同士討ちが発生するからだ。欲を言えば、混乱に乗じ敵の火薬庫を探しだして、水浸しにしたい。そうすれば翌日から相手の火砲は使い物にならなくなる。
「なるほど…」
ムハンマド・ハーンの策を聞き、イスマーイールは呟いた。非常に合理的な策である。
相変わらず優秀な男だ、とイスマーイールは感心もした。
だが、この策には何かが足りないような気がしてならない。
イスマーイールはそう感じて考え込んだ。
すると、今度はヘラート太守のドルミーシュ・ハーン・シャームルーが発言した。
「ムハンマド・ハーンよ、お前は
「そうだ、この策が最適であるように思う。何か問題があるか?」
「これは王と王との戦いだ。正々堂々と正面からぶつかりオスマン軍を打ち破らねば
「お前はオスマン軍を知らないからそんな事を言うのだ!」
ムハンマド・ハーンは声を荒げた。
確かにドルミーシュ・ハーンは武勇に優れた男だが、それは主にサファヴィー朝の東方、シャイバーニー朝などの遊牧民国家との戦いで培ったモノである。
オスマン帝国も出自は遊牧民族だが、コンスタンティノープル攻略戦以降は火砲の充実を図った。
今までとは全く違う戦いをする相手なのだ。ここはオスマン軍をよく知る自分に従ってもらわないと困る。
そういう意味でムハンマド・ハーンは怒りを見せたのだ。
「2人とも、そこまでだ。」
イスマーイールは静かに2人を御し、ゆっくりと目を閉じて思案した。
部下の意見が対立した時は、それが決定的にならない内に自らが裁定を下す。
生まれついての君主であるイスマーイールにはそれが身についていた。
だが、物事の結論を出す、という作業は決して簡単ではない。その決断に、国家の全てが委ねられている。
確かに、ムハンマド・ハーンの策は非常に理にかなっている。だが、それに彼が何らかの欠落を感じたことも、また確かである。ドルミーシュ・ハーンの発した「王と王の戦い」という言葉がイスマーイールの心に引っ掛かっていた。
イスマーイールはこの対オスマン戦争において、ここまで焦土作戦をとっていた。世界最大の常備軍を持つオスマン帝国が動員した軍勢はこの時、約10万人。対するサファヴィー軍は4万である。いくらイスマーイールが英雄で、兵士や国民が彼の事を熱狂的に愛してもそれは覆しようのない国力の差であった。
だから、サファヴィー軍は一旦、オスマン領内深くに侵入してから、途中にある村々を焼き払いながら撤退を繰り返すことで相手の補給線を破壊しようとしていた。
率いる兵の数が多ければ、それだけ必要な食糧物資も多くなる。事実、敵陣中に放った間者によれば、オスマン軍は大いに苦しみ、兵からは不満も漏れている。兵士たちは最早、セリム1世の冷酷さに怯えて従っているだけだという。
そうしたこともあり、ここチャルディラーンで遂に戦いを挑もうとしている訳である。
今ここでまた奇襲を仕掛けるのか。
それは、王者として相応しい振舞いなのか。
その行動には、正義が足りない。
それが、イスマーイールの抱いた欠落感の正体であった。
イスマーイール1世は単なる理想主義者ではない。己の意地を突き通す為に現実を無視することの危険性もよくわかっている。
だが、しかし。
それと同時に彼には正義を為す必要があった。
これは一見矛盾するようであるが、そうではない。
彼には人生において、これまでも常に正しい振舞いをしてきた自負がある。
父祖の仇を討ち、弱者を助け、聖者アリーを信奉する。
正義を為し、そして、勝った。
その経験の繰り返しが、彼の特殊な思考回路を生んだ。
彼の中では「勝利の為に戦略を練ること」や「勝利の為に戦力を集めること」と「勝利の為に正義を為すこと」は全て現実的に同レベルで語れることなのである。
そして、実際、それはあながち的外れではない。
イスマーイールの王者の振舞いこそが、彼に信奉者を作り、命まで掛けさせた。彼らの忠誠心こそ、サファヴィー軍の強さの秘訣であると、イスマーイールは体感的に知っていた。
イスマーイールは決断した。
「明朝、日の出と共に総攻撃を開始する!」
「はっ!」
臣下一同はイスマーイールに礼をとった。
それは、意見を退けられたムハンマド・ハーンも例外ではない。
彼らにとって、イスマーイールの裁断は神の言葉に匹敵するほど重いのだ。
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夜明けと共に始まった戦いは激戦となり、昼になっても決着がつかなかった。怒涛の勢いで迫るサファヴィー軍のクズルバシュを前にオスマン軍の右翼は突き崩されてセリム1世は自らの護衛軍から人員を割いて戦線の補充にあたらせた。
だが、オスマン帝国が主力とする銃火器の恐ろしいところは、苦し紛れに放った偶発的な一発でも戦局を変えることができる点だ。
苦戦していたオスマン軍の右翼、要するにサファヴィー軍左翼の司令官はムハンマド・ハーンであった。
彼は自らの作戦を退けられながら、戦闘が始まれば誰よりも勇猛に攻撃を仕掛け、オスマン軍を圧倒する戦いを見せていた。そのムハンマド・ハーンが流れ弾に当たり、重症を負った。彼はその後、程なくして命を落とすことになる。
これで、形勢が変わった。
指揮官を失ったサファヴィー軍左翼は統率が乱れ、大いに崩された。そして、その余波は軍全体に及ぶ。
最も奮戦していた左翼が破れたことで、元々数で劣るサファヴィー軍は戦線を維持することができなくなった。
部下たちはここまで無敗の王者に対して、かける言葉がない。
そんな中、唯一アゼルバイジャンでの挙兵時から連れそうシャムス・アッディーン・ラヒージーが
「
と進言した。
「シャムスよ、私は負けるのか?」
「…いえ、一度退く。ただそれだけです」
「私は、救世主ではなかったのか?」
この男にしては珍しく怖れの入り交じったような辿々しい言い方だった。シャムスは首を静かに横に振った
「いえ。あなたは正義の使者。だからこそ、ここで冷酷王セリムに負けることは許されないのです。命さえあれば、いくらでも巻き返しの機会はございましょう。だから、今は一旦退くのです。」
そこまで話したところで、イスマーイールたちのいる本陣に前線からドルミーシュ・ハーンが戻ってきた。彼は入ってくるなりイスマーイールの足下に跪いて泣き出した。
「
あまりの大泣きに周囲が呆気にとられる中、イスマーイールは彼の肩に手を置いて笑った。それはイスマーイールが時折見せる、あの見ている者をゾクゾクさせる儚なげな邪悪さをはらんだ笑みではなく、非常に人間らしい温かい微笑みだった。
「ドルミーシュ・ハーン、何もそんなに泣くことはあるまい。さぁ、撤退の準備をしよう。これ以上、私を慕ってくれる者たちの命を無駄にする訳にはいかないからな。」
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チャルディラーンでの敗北により、イスマーイール1世のサファヴィー軍は一度、タブリーズを放棄せざるを得なくなった。
この建国以来の首都は防衛網を再構築し、オスマン軍を待ち受けるには、国境に近すぎたのだ。
その為、オスマン軍は難なくタブリーズに入城し、逃げ遅れた人々は略奪の対象にされた。その中には王族も含まれイスマーイールの妻の内の1人、絶世の美女ベルーザ・ハーヌムもオスマン軍の捕虜になった。
イスマーイールは彼女を取り戻す為、屈辱に耐えて、セリムの武勇を賞賛する書状と高価な贈り物を送ったが、返ってきたのは殺された使者の首と身代金の増額を要求する手紙だけであった。
王族の身柄との交換だとしても、セリムの要求する金額は法外なモノである。
そもそも冷酷王には交渉する気などないのではないか。
サファヴィー朝の政府内ではそう言われた。
要求に屈すれば、敗戦間もないサファヴィー朝の国庫は破綻に追いやられるだろう。
それでも臣下たちはどうにか金を工面しようと奔走したが、イスマーイール本人が無理を悟って
「ベルーザは可哀想だが、国そのものには変えられない。」
と解放を断念し、オスマン帝国との交渉を停止した。
それを受けて冷酷王セリムは実に彼らしくその下卑た欲望を全開にした。イスマーイールの美しい妻を自らの妾にしようとしたのである。初めからそのつもりだったのかもしれない。
だが、ベルーザが
「あの邪悪なほど美しい世紀のイケメン・イスマーイール様の妻から、冷酷なブサメン王・セリム1世の妾になるなんて…最低! キモッ!」
「セリムって、ブサイクだからイケメンに嫉妬して、こんなことするんだわ…もしかして、思春期に好きな子をイケメンに奪われたとか?」
「うわぁ…そういうコンプレックスで性癖歪んじゃったんだぁ…キモ~イ! イヤー!」
とあまりに泣くので面白くなくなった。
嫌がられること自体は彼のサディスティックな嗜好から、そうズレてはいない。だが、セリムとしては、屈辱にまみれた王妃をムリヤリ…みたいなシチュエーションが欲しいのであって、面と向かってキモがられるのは、なんか違ったのである。
萎えた。
そんな訳で、イスマーイールの妻は、涙目のセリムが身分の低い部下を適当に見繕って娶らせることにした。
さて、そんな訳で、セリムからベルーザの輿入り斡旋を頼まれた宰相ピリー・メフメト・パシャはとあるグウタラな
ピリーにとってこれはさじ加減の難しい仕事になった。
セリム1世はコンプレックスであるブサメンいじりをされて不快感を感じている。だから彼女にあまり良い思いをさせる訳にはいかない。とはいえ、貧民の妻にするのはあまりにも不憫である。
出席の見込みのない役人くらいがちょうどいいか。
それがピリー・メフメト・パシャの判断だった。
その話を聞くと、当然、
「やったー! こんなに怠け者な俺の家に元王妃が嫁に来た! もう最高! 何だろう、ラノベかな!?」
「いやぁ、しかし。セリム様がこのような性癖をお持ちだとは…イヤハヤ意外でしたな」
ピリー・メフメト・パシャが長い髭をいじりながら言うと、
「へ? どういうことだい?」
「
「NTR!? いや、セリム様はドSだと聞いている。NTRされたのはイスマーイール1世なのでは?」
「私もそう聞いていた。だが、よく考えてみなされ。セリム様は、あのイケメンにベタ惚れの美しい女性がすぐ手に入るお立場だったのですぞ。」
「男として、特にドSならたまらん立場ですよね」
「ああ。セリム様は自らはブサメンでありながら…いや、ブサメンだからこそ面食いであらせられ、美女にはメがない。本当ならば、あの王妃のことは喉から手が出るほど欲しかったはず…。」
「そういえば、普段からセリム様のイケメンへの僻みには凄まじいモノがある。劣等感の解消の為には是非とも、彼女との婚姻が必要だったはず…。」
「だが、それをわざわざお前のような木っ端な役人に娶らす…これをNTRと言わず何と言おう。しかも、セリム様ご本人としてはもっと身分の低い相手でも良かったのだ。」
「しかし、それはただのNTRではない…かなり高度なNTRですよ?」
「あぁ。これこそ王者のNTRと言えよう。」
「さすが我が
このチャルディラーンの戦いの結果は、オスマン帝国がコンスタンティノープル攻略戦以降続けてきた銃火器による武装強化と、それを戦術的に活用したセリム1世の手腕の成果であると世界史では評価されている。
既に世界最強の称号をモノにしていたオスマン軍であるが、不敗の
そして、これまで冷酷さのみで語られてきたセリム1世も、その武勇と特殊性癖でもって世界に知られるようになっていく。
一方、ここまで無敗で拡張を続けてきたサファヴィー朝は建国以来、初めての危機を迎えることになった。