史実はラノベよりも奇なり ~歴史短編集~   作:ロッシーニ

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後編 ~アウグストゥスVSクレオパトラ~

クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、平穏は続いていたのかもしれない。

 

紀元前32年。アントニウスはオクタウィアヌスの姉・オクタウィアに一方的な離縁を突きつけた。東方の大国パルティアを攻める為の根拠地として立ち寄ったエジプトの地で女王クレオパトラ7世に魅了されたと言うのだ。

 

クレオパトラは絶世の美女だと言われる。

だが、ただ美人というなら、オクタウィアだって相当なものである。では、アントニウスがオクタウィアヌスとの同盟を破棄してまで彼女を求めた理由は何なのか。

 

アントニウスにとってクレオパトラはただの女ではなかった。

 

クレオパトラはカエサルの愛人であった。カエサルの側近だったアントニウスもその時代の彼女と会ったことがある。カエサルの強さに憧れ続けた平民出身の彼は、美しく誇り高い女王とそれをモノにしたカリスマの姿に何を思っただろうか。

 

いつか、自分もあんな風になってみせる。

 

時は経ち、アントニウスはオクタウィアヌスとローマを二分する存在になった。クレオパトラを手に入れることは、アントニウスの成長と力の証明でもあったのだ。

 

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「アントニウスは我が姉を侮辱した! しかし何よりも! ローマの兵の命を糧にして得た土地をクレオパトラに献上したという!これはもはや私とアントニウスではなく、ローマとエジプトの戦いなのだ!」

 

「珍しいな。お前が演説なんて。」

アグリッパは市民に対しての演説を終えたオクタウィアヌスにそう言った。

 

「まぁね。たまにはこういうこともしないと。アントニウスを倒せば義父上の目指した寡頭制は完成する。ここが勝負どころさ。」

口許が弛んでいる。

 

「ガイウス。お前、何か楽しそうだ」

 

アグリッパが言うと、オクタウィアヌスは

「いけないな…」

と首を何度か振った。

 

「義父が目指したのは独裁だ。彼を引き継いだ僕もそれを目指していたけど、姉とアントニウスは上手く行っていた…。」

「ああ、幸せそうだったな」

「だから僕はアントニウスと妥協して二人で政治を担うしかないと思っていた。こんなチャンス、もうないと思っていた…。」

 

「でも、それがやってきたか…。闘るんだな、アントニウスと」

「あぁ。決心したけど、緊張するな。自分がリーダーになって戦うのは初めてだ」

 

「ガイウス、お前はすごい男だよ」

「え?」

「確かにお前に戦闘の才能はない。何度戦場で情けない姿を見たことか…」

「これからって時に何でそんなこと言うかな…」

「だが、お前は戦争には負けない。見ただろ、演説会場にいた市民たちの目を。今や、ローマ中がお前の味方だ。彼らはお前のためなら命も惜しまないだろう」

 

オクタウィアヌスはアグリッパの胸を叩く

 

「いくら市民がその気になっても、兵を率いるのは将軍だぞ。ここから先、僕は口を出さない。いいように使ってくれ。勝つために必要な物は何でも用意しよう。頼んだ、アグリッパ。ローマの命運を君にあずける。」

「あぁ。勝ってみせるさ。ローマの為に」

 

アグリッパはオクタウィアヌスを勝たせることに生涯を捧げる決意だった。何故そこまでこの男に入れ込んだのか。

 

初めは、英雄カエサルからの命を守ろうという使命感からだった。だが、それは次第に友情に変わる。陰謀渦巻く政界で百戦錬磨の大人たちと渡り合う友人の力に少しでもなれないか。そう思っていた。そして、更に時を経て、ローマを託せる人間は彼しかいないと思うようになっていた。アグリッパはローマの為に彼を勝たせるのだ。

 

共和制は腐敗した。腐った納屋は打ち壊さなければならない。それをしようとしたのがユリウス・カエサルだった。だが、彼は凶刃に倒れた。腐った納屋でも、そこに寄生し続けたい者がいるのだ。

オクタウィアヌスにカエサルほどの剛腕はない。だが、彼ならば、誰にも気づかれず、恨まれず、音もたてずに共和制を解体できる。そしてその上に新しい時代を築くだろう。

 

私心なくそれを実行できるのが、ガイウス・オクタウィアヌス、その人なのだ。

 

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紀元前31年。アグリッパ率いるローマ軍とプトレマイオス朝エジプト・アントニウス連合軍の間にアクティウムの海戦が起こった。

 

この時点で既に地中海世界最強と言われたローマ軍だが、海上戦力ではエジプトに劣った。だが、それでもアグリッパは戦場に海を選んだ。

アントニウスは強い。カエサルと共に戦い続けてきた彼は陸上ならばローマ最強であろう。いくらカエサルに軍才を見いだされたアグリッパでも分が悪い。

だが、海戦ならばどうか。アグリッパは三頭政治下で行われたセクトゥス・ポンペイウスとのナウロクス沖の戦いで圧勝するなど陸軍国家・ローマの中では海戦の得意な武将であった。

場所が海ならば自分とアントニウスは互角に戦える。アグリッパはそう見積もった。

 

そして理由はもう一つ。敵の持つ海上戦力は半分以上がアントニウス直属の部隊ではなく、エジプトのモノだ。おそらく、誇り高い…悪く言えば傲慢な女王であるクレオパトラはこの雌雄を決する戦場にも出てくるであろう。アントニウスは軍の指揮官だが、クレオパトラは一国の女王であり、権限も大きい。そうなれば、エジプト軍はアントニウスよりクレオパトラの判断に従わざるを得ない。

彼女は頭がよく、魔性を武器に使う恐ろしい女だが、戦場では素人だ。素人が戦場で戦術に口を出すべきではない。だが、クレオパトラはそれを我慢できないだろう。

それが、オクタウィアヌスとの違いだ。

 

我々の大将を見よ。今度の戦いの大きさ故、戦場には出てきたが、アグリッパを信じて全権を託した。

そして自分は例の虚弱体質を発動し、船酔いになって船の中で寝込んでしまった。

 

「やっぱ向いてないわー。これなら陸で待ってても一緒だったわー。アグリッパー、あとはどうにかしてくれー」

 

その声は今から戦場に向かう兵士たちには絶対に聞かせたくないと思う程情けないモノだったが、この弱さをさらけ出せることがオクタウィアヌスの武器でもあったのだ。

 

狭い湾での戦いになった。前半はアントニウスが戦いを有利に進める。アントニウスの武将としての強みは自信家であることだ。不利な戦場だろうが、女に骨抜きにされていようが、アントニウスは揺るがない。実際、戦力は五分であり、どちらに転ぶか分からない戦いであったが、アントニウスは絶対に勝てる、自分ならお前たちを勝たせられるということを自軍に説いて回った。アントニウスの自信は兵士たちに伝播して、序盤の猛攻撃につながった。

 

アグリッパにはそんな自信はない。あったところで、アントニウスの方が実績は上だ。兵士たちが信じてついてきてくれるとは限らない。

アグリッパは計算型の武将だ。戦いの前に綿密なプランを立てて、戦場ではそれを実行するだけの状態にしておくタイプだ。当然、この戦いにもそれを持って挑んでいる。彼は必死に防戦しながら攻撃のプランを実行できる機会をじっと待っていた。

 

一方、アントニウスは直感型だ。戦う前は大まかにしかプランを決めず、現場に立ってから状況を判断していく。戦場に吹く風を感じて、状況に柔軟に対応することで、綿密に練られた計画を打破する。それは時に奇跡としか言えない勝利を呼び込むこともある。アントニウスは優れた武将であり、そうした決断を何度も繰り返して戦場で生き残ってきた。だが、アグリッパは強敵だ。奇跡を起こすためにはより高いレベルの決断が求められる。クレオパトラに魅了された今の彼に奇跡を呼ぶ程の判断力が残っていたか。

 

戦いが始まり数時間たつと、風の向きが変わった。東風が北風へ。アグリッパの軍を後押しするカタチになった。アグリッパはこの時を待っていた。エジプト船には大型船が多く、ローマ軍には小型船が多かった。船の防御力よりも機動力をとったアグリッパの軍は、風向きの有利を生かしてエジプト船を素早く取り囲み、次々沈めていく。

 

自信家のアントニウスは動じない。戦場で不利になることはこれまでに何度もあった。こういう時は先程アグリッパがしていたように、必死に耐えながら次のチャンスを待つのだ。

だが、クレオパトラは動じてしまった。彼女は味方の不利を悟るやいなや、自身の指揮下にある船団を連れて戦場からの離脱を始めてしまった。これがこの戦いにおける決定打だった。

敵の攻勢には冷静だったアントニウスが、彼女の戦線離脱には動揺してしまった。

彼は指揮下の船団に指示を出すこともなく、クレオパトラを追った。その姿はまるで、散々貢いだバンドマンに見捨てられた愚かな女のようであり、親とはぐれたアヒルのようでもあった。

 

指揮官のいない戦場に取り残された船団と知将アグリッパのローマ軍。この戦いの勝負は決した。

 

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クレオパトラは、戦争そのものはまだ終わっていないと思っていた。アクティウムでさっさと逃げてしまったこともあり、手元にはまだ兵士が残っていたのだ。だから、リビアの東部、キレナイカに上陸したというアントニウスへ檄文を送り続けた。

 

今すぐアレクサンドリアへ戻るのだ、そして体勢を立て直しオクタウィアヌスを迎え撃つのだと。

 

アントニウスは応じなかった。

終わった。

アントニウスはそう感じていたのだ。

 

エジプトへ戻ればまだ兵はいる。だが、その豪胆さで人を惹き付けていたアントニウスにとって、恋人の尻尾を追いかけて戦場から離脱し、20歳以上年下の若造に負けたことは致命的だった。心あるものは、皆アントニウスの下を離れた。アントニウスも古くからの仲間が自分の下を去り、ようやく自らの愚かさに気がついた。戦士として、漢としての彼は終わった。

 

失意の中、アントニウスは自ら命を絶つことになる。アクティウムの海戦からおよそ一年。彼がクレオパトラの死を知ってからのことだ。

 

尤も、彼が聞いたのは誤報でその時点でクレオパトラは生きていた。

ただ、早かれ遅かれ結果は同じであっただろう。

 

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クレオパトラに会いに行く。

オクタウィアヌスはアグリッパにそう宣言した。

 

「大丈夫なのか? 」

「何がだい?」

オクタウィアヌスは首をかしげている。

 

「だって、クレオパトラはカエサル様やアントニウスを骨抜きにした毒婦だぞ。それに一人で会いに行くって…まさかお前…」

オクタウィアヌスは慌てて否定した

「まさか、まさか! 別に下心とかじゃないよ。僕が愛するのは妻・リウィアだけさ。」

「じゃあ、オレもついていくよ。お前が骨抜きにされたら困る」

「ならないよ。僕ってホラ、イケメンだし。女には困らないんだ」

「ふーん」

 

アグリッパはオクタウィアヌスの端正な顔を疑いの眼差しで見つめた。アグリッパは、この男がイケメンでありながら恋愛事には滅法奥手なことを知っている。自分の本音を晒さない人間は恋愛には向かない。

 

「ぐぬぬ…」

と、オクタウィアヌスは歯ぎしりしてから言った。

 

「だいたい、アントニウスは文字通り骨抜きだったが、養父上はそこまで堕ちてはないだろう。クレオパトラなんて大したことないさ。」

「うーん、異国の女王を愛人にして私生児つくっちゃう時点でマズイと思うけどね」

 

「私生児…。あ、カエサリオン。彼のこともあったな。」

としばらく考えた後、やはりこう言った。

 

「何にせよ、クレオパトラには僕一人で会う」

「だから何で!」

「絶対に暴言吐かれるから。アイツ、頭の回転良さそうだもの。女に口論で負けるのを部下に見せられない。」

 

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アレクサンドリアの王宮。

オクタウィアヌスはクレオパトラが待つ部屋に入った。

 

エジプトはローマ軍により既に武装解除させられている。だだっ広い部屋の奥に玉座だけが鎮座しており、その横に贈答品らしきイチジクの置いてある台があった。

クレオパトラはそんなポツンとした玉座に腰かけていた。

 

エジプト女王の正装姿だった。目は大きくルビーのような輝きを放ち、鼻はスッキリと高い。

更に、肌は細胞の一つ一つが雪の結晶であるかのようにきめ細かく、現在、40歳だというが、10代、20代の肌だと言われてもわからないほどだ。

なるほど、背筋がゾクゾクとするほどに美しい。

 

しかし意外だな、とオクタウィアヌスは思った。

これまでクレオパトラが追い込まれた時にしてきたのは、権力者を誘惑してその懐に潜り込むことだ。その為にクレオパトラは運命の出会いを演出する。例えば、カエサルの時は荷物の絨毯にくるまって部屋に忍び込んできたというし、アントニウスの時は大船団を用い海上で華やかに歓待を行ったという。

 

この毒婦には何があっても心を許すまい。

そう警戒していたのだが、特に何も起きる気配はない。

 

「私をどうするつもりだ?」

クレオパトラは透き通った美しい声をしていた。アントニウスらと同様、オクタウィアヌスとて男の部分を刺激されなかった訳ではない。だが、それと同時に彼は彼女を脅威に感じていた。この容貌とこの声で彼女は男たちを狂わせたのだ。

 

「戦いはあのような結果に終わったが、あなたはエジプトの女王だ。悪いようにはしない。あなたを、ローマへ客分としてお連れしよう」

 

クレオパトラは鼻で笑った

 

「嘘をつけ。私をローマ中引き回してから処刑するつもりだろう。」

「そんなことはない。十分にもてなそう」

「いや、お前は私を殺す。そういう人間だ。」

「初めて会ったのに、随分な言い様ですね。」

「会わなくても、戦相手だったんだ。知ってはいる。」

「それで、私の何かが分かりましたか?」

「お前は、臆病者だ」

 

クレオパトラはニヤリと笑った

「お前は今、誰の目の前にいる? 絶世の美女、エジプト女王クレオパトラだぞ。お前は、私が欲しくないのか?」

 

確かに言うだけの事はある美貌だが、この期に及んで、この言いぐさ。ものすごい自信だ。オクタウィアヌスは珍しく腹が立ってきた。

 

「毒婦め。僕に色仕掛けは通じない。アントニウス程愚かじゃないんだ。」

「では、お前の養父、カエサルも愚かか?」

 

オクタウィアヌスは言い返せない。クレオパトラは続けた

 

「カエサルやアントニウスは戦場だけでなく、女に対しても勇敢だった。欲しい女が敵だったら、何とか自分に惚れさせるんだ。お前はそういうことをしない。童貞ボウヤ、お前は私が怖いんだ」

「ど、童貞じゃねーし! 結婚してるし!」

 

「毒を飲み干す勇気がない男なら、私にとっては同じこと…」

クレオパトラは更に続けた

「お前は臆病だ。だから脅威になる者は徹底的に排除する。キケロもロンギヌスもアントニウスもお前は殺した。今度は私も殺すんだ。しかも、周囲にはいい人だと思われながらな。オクタウィアヌス。お前、ローマの市民には随分優しいそうじゃないか。富をもたず、何の力もなく、野望もない、そういう市民には。」

 

「何が言いたい!」

オクタウィアヌスが叫ぶと、クレオパトラはため息をついた

「すまないな。これは全て負け惜しみだ。」

「え?」

「私はエジプトの女王だ。国を治める為には民に対して富を、力を、権威を見せつけ屈服させるしかなかった。だが、お前は違う。自分がいかにも弱い人間であると見せかけ…まぁ、実際そういうところもあるのやも知れんが…野望は語らず、笑顔を振り撒き、協力を求め、人から愛される。これからの時代はお前のような者が世を治めるのやもしれん。認めたくはないがな。」

 

少しの時間、二人の間に沈黙が流れた。そしてクレオパトラは微笑んだ。先程までの気高い美しさとは違う、まるで母親のような愛のある微笑だった

 

「もしも、黄泉の世界というものがあるのなら、私はそこからお前がどうなるか見届けよう…。あぁ、私にもう少し時間があれば…。私は、お前のような男を惚れさせてみたかった。」

 

クレオパトラは玉座の横に置いてあった贈答品のイチジクの実の山の奥から何か細長いモノを取り出した。ゾワゾワと蠢いている。蛇だった。現代で言うところのアスプコブラ。猛毒を持つがエジプトでは神の使いともされている。クレオパトラはそれに胸を噛ませ、苦しみだし、やがて死んだ。

 

オクタウィアヌスは驚きはしたが特に助けも呼ばなかった。これで、『オクタウィアヌスは丁重に扱おうとしたのに、女王はそれを拒んで自殺した』という事実が残る。わざわざ処刑して、また一騒動起こすより、このまま死んでくれた方が都合がいい。

いや、この結果を残したこと自体がクレオパトラの皮肉なのかもしれない。

 

会談は最高の結果に終わった。しかし、オクタウィアヌスの胸には、えも言えぬ敗北感が残った。

 

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オクタウィアヌスはローマに凱旋した。

市民は歓喜していた。

ローマの内戦が遂に終わったのだ。

 

オクタウィアヌスはヤヌス神殿の扉を閉めさせた。ヤヌスはローマ神話における戦いの神であり、その神殿の扉が開いている時、ローマは戦争状態にあることを示す。

紀元前133年に始まる内乱の一世紀においてこの門が閉じたのは僅か半年。カエサルがムンダの戦いを終えた後の半年のみである。その後、すぐにカエサルが暗殺されて門は再び開いた。

 

だが、オクタウィアヌスによって内乱の一世紀は終わりを告げた。市民にとっては久しぶりの歓喜である。閉じていく門を見ながらアグリッパは呟いた

 

「これで終わったんだな」

「まだ終わらないさ」

と、オクタウィアヌスは言う

 

「戦争は終わったけど、議会ではまだ各勢力がシノギを削っているんだ。また、戦い。政治だって戦いさ。」

 

「ところで…」

アグリッパはクレオパトラとの会見以降、気になっていたことをオクタウィアヌスにぶつけた

 

「クレオパトラの子供たちの中に、カエサル様の遺児がいただろ?」

「カエサリオン…」

「彼はどうしたんだ?」

 

オクタウィアヌスは

「死んだ。」

とだけ答えたが、たぶん殺したのだろう。

アグリッパはそう悟った。

 

「そうか。死んだのか」

「アグリッパ、僕が憎いかい?」

「え?」

「だって、僕は君の恩人であるカエサルの子を殺したんだ」

 

オクタウィアヌスは、何か遠くを見つめている。

オクタウィアヌスは自分でも戸惑っているのかもしれないな、とアグリッパは思った。元来、賢く人懐っこいだけだった少年はカエサルの遺言によって政治と戦いの舞台へ上がることになってしまった。

その遺言により、もしかしたら一生眠ったままだったかもしれない彼の才能は目覚めた。彼は多くのことを成し遂げたが、その途中、多くの政敵を滅ぼした。当初ここまでのことをやるつもりだったのだろうか。たぶん、そうではない。時代の転換期の大きな渦のなかで必死に考えてもがいていたら、ここまで来ていただけだ。それはアグリッパも同じだ

 

「義兄弟を殺さなくてはならなかったお前に同情こそすれど、恨む訳ないさ」

「そういうものかな」

「あぁ…」

 

この後、オクタウィアヌスがローマの第一人者、アウグストゥスと名を代えてからも、アグリッパは彼と共に歩んでいくことになる。

男児に恵まれなかったアウグストゥスは自身の娘ユリアをアグリッパと結婚させて後継を託した。この夫婦は子宝には恵まれたものの、この時代、子供の死亡率は高く、男児はみな早世した。結局、アウグストゥスの後継は妻リウィアの連れ子のティベリウスとなるが、その後、アグリッパ・ユリア夫妻の女児・アグリッピーナの子が皇帝の血筋を紡いでいく。

 

 

ローマの街は歓喜に沸いている。オクタウィアヌスの名を皆が叫ぶ中、彼は軍の指揮権を返上した。市民は彼の謙虚さに感激し、独裁を警戒していた議会も彼に心を許した。そうして彼は人々から望まれて軍の最高司令官(インペラトル)に就任した。

この後も、市民・議会の双方が望んで彼に権限が集中するようになっていく。

共和制ローマは滅んだ。こうして、本人は生涯それを名乗ることはなかったが、ローマ皇帝アウグストゥスは誕生したのである。

 

 

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