史実はラノベよりも奇なり ~歴史短編集~   作:ロッシーニ

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その6 ~防衛戦~

1534年6月。

シャー・タフマースブの下へ驚くべき来訪者がやってきた。その名をガーズィー・ジャハーン・ガズヴィーニーという。

 

この男について話すと、やや長い。

 

1524年5月、イスマーイールの病死に伴い、長男のタフマースプが2代目君主として就任する。

イスマーイール1世にとって最後の大宰相(ヴァズィール)だったジャラルディーン・モハマド・タブリジがその後にすぐに死ぬので、その際、母后タージュルー・ハーヌムが大宰相(ヴァズィール)に任命したのが、このガーズィー・ジャハーンだ。

 

ガーズィー・ジャハーンはイスラム法学者の家系出身だが、クズルバシュの首長たちと同じようにイスマーイール1世の狂信者として知られた。

だか、彼が他と違ったのは、初代君主の死後、信者の多くがタフマースブに魅力を感じず、権力闘争に走る中で、彼だけがタージュルー・ハーヌムとタフマースブに忠誠を尽くそうとしたことだ。

だが、勇敢さと勤勉さ、そして忠誠心でもって知られる彼は、その実直さ故に政治的闘争にはまるで向いていなかった。

 

ガーズィーは当時、大将軍だったディーヴ・ソルターンやチューハ・ソルターンとの権力闘争に敗れた末に紆余曲折を経て、西ギーラーン地方統治者のアミーラ・ドッバージにより幽閉されることになった。

 

ガーズィーとアミーラ・ドッバージは当時、親ウスタージャールー族ということで同じ派閥に属してはいたものの、信仰に関する問題で個人的には対立があった。

その為、この後の約10年間、ガーズィーはドッバージのラシュト居館にて、恥辱と虐待に晒されることになった。

 

タフマースブは、彼の行方を知らない。

正確に言うと、権力闘争に敗れた後、彼の身柄がドッバージの手に渡ったところまでは知っていた。

 

だが、その事をドッバージに尋ねても彼は

「何も知りましぇ~ん!」

とナメた態度でシラばっくれるばかりである。

 

珍しく自身への忠誠心を持つ臣下の事なだけにタフマースブは心を痛めが、2人の強烈な対立を知るタフマースブとしては、もうガーズィーは生きてはいまい、とも思った。

当時のクズルバシュに実権を握られたタフマースブには、自分の意思で動かせる軍団もない。

 

正直、彼の事は諦めていた。

だから、彼が帰って来た、と聞いたとき、タフマースブには喜びよりも先に、どんな顔で彼に会えば良いのだろうか、という不安の方が先にのしかかってきていた。

 

タブリーズ宮殿で彼と再会した時、

「よ、よく無事…」

と、開口一番に言いかけてタフマースブはやめた。

 

ガーズィー・ジャハーンは会見の前にタージュルー・ハーヌムから許可を得て椅子に座っている。ドッバージから受けた虐待により、膝を屈して臣下の礼をとるのが困難になっている為だ。

更には身体中、至るところにキズがある。

 

「よく、生きて帰ったな…。」

 

一度、見捨ててしまった臣下に対してタフマースブが後ろめたさを秘めながら労をねぎらうと、ガーズィーは

「タフマースブ様、ご立派になられた」

と一粒涙を流した。

 

そうだろうか。

タフマースブには実感がまるでない。

だが、ガーズィーの目にはそう見えていた。

 

彼はイスマーイールの死後、間もなく幽閉されてしまい、サファヴィー朝の混乱期にあたる10年を牢で過ごした。

 

その間、タフマースブには、何の実権もなく頼りない君主としてのイメージがついてしまったが、ガーズィーはそれを知らない。ガーズィーにとってタフマースブは未だ先代の輝かしい遺産であり、忠誠を誓うべき王である。

そして、長い幽閉生活を生ぬく心の支えでもあった。彼の中で、タフマースブが神格化されていたと言ってもよい。

それはまるで、バビロン捕囚によって奴隷化されたユダヤ人たちが強い信仰心によって苦難を乗り越えようとした心理の様でもある。

 

タフマースブは臣下たちから侮られ続けた男なだけあって、ガーズィーの態度にはかなり違和感を覚えた。

 

「あー、そう…?」

タフマースブがヒキ気味で言うと、ガーズィーは更に

「あぁ…声も大人になられた…!」

とまた涙ぐんだ。

 

調子が狂うな、とタフマースブは頭をかきながらガーズィーに問いかけた

 

「ところで、ガーズィー。今日はなぜここに?」

「と、言いますと?」

「いや、勿論、会いに来てくれたのは嬉しいよ。脱出してから真っ先に来てくれたんだろう?」

「当然でございます!」

「僕に対してそのようにしてくれるのは、あなただけだ。本当に感謝している」

「あぁ、なんと勿体なきお言葉…」

 

「だが、その足だ。逃げてくるのも大変だっただろう? 捕まったら殺される可能性もあった。なぜ今、危険を犯して逃亡したんです?」

 

タフマースブが問うと、ガーズィーは

「あっ! しまった!」

と叫び声をあげた。

 

「タフマースブ様の成長ぶりに感動しすぎて、忘れていました! 私は、大切な事を報せに来たのです!」

 

 

ガーズィー曰く。

オスマン帝国がサファヴィー朝への侵攻を開始しようとしている。それも、今までに何度かあった小競り合い規模の侵攻ではない。10万人規模の大軍勢を率いてだ。

 

先にも触れたが、大軍を維持することはどのような大国にも簡単なことではない。オスマン帝国がこのような大軍を編成するということは、つまり、遂にサファヴィー朝そのものを潰してしまおうと企んでいる訳だ。

しかも案内役はサファヴィー朝を裏切り、昨年オスマン帝国へ渡ったオラーマ・ソルターンが務めるらしい。

 

ガーズィーはそれを幽閉先であるドッバージの館で知った。

 

オスマン帝国大宰相イブラヒム・パシャはサファヴィー朝侵攻の手始めに国境付近の街を治める太守たちに降伏を促す書状を送っていた。それにより、手紙を受け取った者の内、ほとんどはオスマン帝国への臣従を決めた。

オスマン帝国が本気で侵攻してくれば、頼りないタフマースブ1世にそれを止める力はない。誰もがそう思っていた。

 

ドッバージもその1人である。ドッバージはその機密情報をあえてガーズィーに伝えた。嫌がらせの為である。

 

ドッバージは執念深く、嗜虐的な男だ。

父の代から続く宗教的対立とサファヴィー朝政権内における立場の差からガーズィーに強い憎しみと嫉妬心を懐くドッバージはガーズィーを虐めぬき、絶望の底に叩き落とした上で殺してやろうと思っていた。

だが、身体にどんな苦痛を与えてもガーズィーが根をあげることはなかった。それがドッバージによるガーズィー監禁が10年に渡る長い期間になった理由でもある。

 

ガーズィーがドッバージによる虐待を耐えることができたのは、前述の通り、彼がタフマースブへの強い忠誠心を心の支えにしていたからだ。ドッバージもそれを何となくわかっている。

 

だから、オスマン帝国の侵攻によりサファヴィー朝の崩壊とタフマースブの死が確実なモノになろうとしている今、そのことをガーズィーに報せて彼を絶望の淵に追い込もうとしたのである。

 

だが、ドッバージはガーズィーの忠誠心を甘く見ていた。そして、10年という監禁期間はあまりにも長かった。

 

オスマン侵攻の報せを聞いたガーズィーが心に抱いたのは

「ここから脱出して、タフマースブ様に何とかこの事を報せねば」

という思いだった。

 

そこで、ガーズィーはあるベテラン牢番を説得し、協力を得て幽閉先から脱出した。

牢番は当然、ドッバージの部下だが、身分の低い家臣と主君が言葉をかわす機会などほとんどない。10年も共に過ごせば、牢番が主より囚人の方に感情移入することもあり得ない話ではないのだ。

 

元々、王朝の大宰相(ヴァズィール)であり、主君への忠誠を頑固に貫くガーズィーはドッバージの下人たちにも陰ながら尊敬されていたので、通報されるどころかドッバージ家の様々な人に支援されるカタチで歩行することも不自由な身で、タブリーズにたどり着くことに成功したのだ。

 

 

ガーズィーからオスマン侵攻の報を聞いたタフマースブはしばらく思案した後、玉座から勢いよく立ち上がり言った。

 

「よし、決めたぞ!」

 

タフマースブの瞳はまっすぐ力強く、前だけを見つめている。その眼差しを見たガーズィーはタフマースブの並々ならぬ決意を受け取った。

 

「さすがタフマースブ様、決断されたのですな」

「あぁ。」

「では、早速、将軍たちを集め、迎撃の準備を…」

「迎撃はしない。」

 

「え?」

「当たり前だろう。オスマン軍との戦力差は歴然だ。」

 

ガーズィーはそれを聞き、慌てて首を横に振った

 

「タフマースブ様、いけません。一戦もせずに降伏とは…。ま、まさかその様な…。」

「降伏もしない。」

 

「では…どのように…」

 

ガーズィーが辿々しく問うと、タフマースブは目を見開いて叫んだ

 

「それは勿論…逃げるんだよォォォ!」

 

---------------------

 

1534年6月。オスマン軍は国境を越えた。

 

先鋒軍を率いるのはイブラヒム・パシャ。案内役をオラーマ・ソルターンが務める。

まず目指すは、国境の街ホイだ。オスマン軍は10万人を越える。

 

その堂々たる行進にオラーマは心を躍らせ、

「サファヴィー朝にこのような大軍はいない!」

「スレイマン大帝の本隊を待つまでもない、タフマースブは、ほんの数日で降伏することでしょう!」

とイブラヒムの側で頻りに騒いでいたが、ホイに程近い場所まで来ると、段々と無口になり、不安げな表情になってきた。

 

「どうしました、オラーマ・ソルターン。緊張しているのですか?」

 

イブラヒムは問うた。

かつて祖国に乱暴狼藉を働いて裏切ったオラーマである。まさか、そのような神経をしているハズあるまい、と思いながらも、あまりに不自然なオラーマの態度に、疑問を持たずにはいられなかった。

 

「おかしい…何故だ…」

オラーマは呟いた。

「何がおかしいのですか?」

「タフマースブが本当にホイを防衛するつもりがあるなら、もう敵の姿が見えていてもいいハズ…タフマースブは街を守る気がないのではないか…?」

 

オラーマの予感はあたった。

オスマン軍がホイに到着すると、街は既に廃墟であった。

 

「焦土作戦…弱ったな」とイブラヒムは頭をかく。

大軍を維持する為には休息及び補給の場所として街の占拠は欠かせない。

 

イブラヒムが後続の本隊に急ぎの文を送ると、スレイマンからの返答は

「慌てず予定通り、タブリーズへ向かうように」

とのことだった。

 

この返信に対しイブラヒムは

「さすが我が皇帝(スルタン)である」

と膝を打った。

 

殊、後継者問題に関してはスレイマンの判断能力に疑問を抱いていたイブラヒムだが、スレイマンの落ち着いた対応には安堵した。

 

敵がこうした戦法を用いることは計算済みということだろう。

やはり、皇帝の戦略眼に曇りはない。

ホイを攻略すれば、次なる目標は国境に近い首都タブリーズである。

 

イブラヒムは急ぎ、王都へ向かうことにした。

補給が果たせなかった以上、進軍に時間をかけるのは得策ではない。

 

皇帝への忠誠心が強い正規兵には

「我々が皇帝の手を煩わせずとも、タフマースブを打ち負かせる強者であると示すのだ!」と。

 

街を占領した後の略奪と強姦だけを楽しみについてきた雑兵たちには

「いくら腰抜けのタフマースブでも都を捨てることはない、本隊が到着する前にタブリーズを墜とせば、王都の宝は全てお前たちの物だ!」と。

 

それぞれ鼓舞して兵たちの足を急がせた。

 

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「タブリーズまで遮るモノは何もない。安心して進軍して欲しい」

 

前線のイブラヒムから報せを受けたスレイマンは

「さすが我が忠臣、我が盟友だ!」

と叫んだ。

 

スレイマンは、後継者問題で自身と関係を悪化させていたイブラヒム・パシャが偉業を成し遂げたことを喜んだ。

これで、彼を堂々と誉め称えることができる。軍事作戦の成功を共に喜び、褒美を与えれば関係を改善できるのではないか。

スレイマンには、そんな期待があった。

 

だが、タブリーズに到着したスレイマンを待ち受けていたのは、ホイと同様、またしても廃墟同然の街であった。

 

先着のイブラヒムと合流したスレイマンは彼の顔を見るなり

「これはどういう事なんだ!」

と叫んだ。

 

「見ての通りですよ…」

スレイマンには、イブラヒムの苦笑の意味がわからない。

 

「お前たちが、やったのか…?」

兵の略奪や火攻めでこうなったのではないか。

スレイマンはそう疑った。

 

「まさか。」

とイブラヒムは首を横に振り、失望した表情を浮かべた。

 

確かに下級兵に略奪を勧めはしたが、加減くらい知っている。それに、増援のアテがあるのに手柄を焦ってこれ以上、補給を困難にするような攻め方をするほど愚かでもない。

スレイマンが少しでも、その可能性を考えた事がイブラヒムにとっては屈辱だった。

 

「では、タフマースブは、また逃げたのか?」

「その通り。我々が来た時には、もうこの有り様です」

「バカな…」

 

まさか、首都を見捨てて逃げるとは。

同じ一国の主として、スレイマンにはタフマースブの判断が信じられなかった。

君主が侮られることは国家が侮られるのと同義である。そんな愚かな選択をするハズがない。

 

スレイマンはガズヴィーンに向かったというタフマースブへ急ぎ書状をしたためた。

 

「タフマースブよ、逃げるとは何事か。お前の父・イスマーイール1世は常に勇敢だった。この様な醜態を晒し、父祖に対して恥ずかしいとは思わないのか。さあ来い!戦おうではないか。父の無念を晴らしてみろ。戦わなければ勇敢さを示すことはできないぞ!」

 

スレイマンは、都の放棄を選んだタフマースブが実のところ、それをひどく恥じているのではないかと思っていた。それがマトモな君主の感覚だ。

だから、挑発して、若いタフマースブを戦場に引きずり出してやろうとしていた訳だ。

 

だが、それでもタフマースブがスレイマンの前に姿を現すことはなかった。返ってきたのは、スレイマンが送った書状の倍以上の文字が記された返書のみである。

 

その内容は、下記の次第である。

 

 

私は、あなた方とは戦わない。

以前、私たちの父は戦い、そして私の父イスマーイールが敗れた。その事について、私に『敵をとるべきだ』などと言う者もいる。あなたもその一人だが、その論は大間違いだ。

 

あなたは知らないかもしれないが、戦いの前の晩、(シャー)・イスマーイールの将軍(アミール)たちは重大な過失を犯した。

ドルミーシュ・ハーン・シャームルーとその他すべてのシャー・イスマーイールの将軍は朝まで夜通し酒を飲み、明け方に合戦をしたのだ。これはイスラム法に反する行いだ。

 

稀代の天才であったイスマーイール1世が敗れたのは神に逆らった為である。イスマーイールはオスマン帝国に敗れたのではなく、自分たち自身に敗れたのだ。

 

だから私は、あなた方を敵などとは思っていない。

チャルディラーンでの敗北は神罰であり、神からの試練であったのだ。

 

そう言えば、当時のタブリーズには酒場や賭博場、それに娼婦や男娼が春を売るいかがわしい店も多かったという。それをあなた方が略奪して打ち壊してくれたのだ。

感謝の気持ちは十万言を費やしても言い尽くせないほどである。

 

その年以来、チャルデラーンの戦いの逸話は語り継がれている。

私はドルミーシュ・ハーンを呪っている。

というのも、彼こそがシャー・イスマーイールを戦いへと引きずり込んだ人物であるからだ。

 

また、至高なる神は、異教徒を前にして逃げてはならないが、ムスリム同士で戦ってはならないとおっしゃった。要するに、ムスリム同士の戦いで逃げることは罪ではない。神が同士討ちを禁じ、逃げることを許可している。なぜ神の命令に背かねばならないのか。なぜ、わが身に火を放つような真似をせねばならないのか。

 

とにかく、私は神の命令に背くようなことはしない。無益な戦いをするのは気違いか酔っ払いに違いないし、そんな輩はいずれ我が身の破滅を思い知るであろう。

今や、神の御加護により、わが全軍は飲酒やあらゆる不法行為を避ける誓いを行っている。正しい信仰を行う我が国には、無闇やたらと戦いを好む貴国より、ずっと素晴らしい未来が待っている。

 

あなたも私の敵討ちの事など心配せず、正しい信仰の普及に心を砕くのが良いと思う。

 

なお、あなたからの書状とこの手紙の写しはガズヴィーンの街に張り出しておく。市民たちがどう反応するか気になるなら、軍を率いて見に来ると良い。

きっと面白いモノが見られるはずだ。

 

 

タフマースブの反論は現代人の我々からすれば、神などという非現実的なものの存在にかこつけた屁理屈の様に聞こえる。

この頃の感覚でもそういった面は大いにあったのだが、一方で当時のイスラム神学の理屈にはいちおう則った反論ではあり、アカデミックな一面を備えたものでもあった。

タフマースブにはイスマーイールの詩の様な読む者の感情を燃えたぎらせる文章を書くことはできない。だが、彼には冷静に相手を見極め、相手の論理の矛盾点を攻撃する能力があった。

 

大国の君主が格下に対して挑発を用いる場合、その根底には自らの立場に対する優越感と絶対的な自信がある。

タフマースブはそのことを知っていた。

 

他人を見下す人間ほどプライドが高く、反対に自分が貶められることには腹を立てる。相手が自分の思い通りになると思っているヤツのことは、逆に煽り返してやればいい。

そうすれば、正気を失うことだろう。

 

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タフマースブの読みは的中した。

 

タフマースブからの返書を読むと、スレイマンは怒りを見せ、すぐさまガズウィーンへの進撃を開始しようとした。皇帝としての強い矜持を持つスレイマンには、タフマースブの首都の放棄及び逃亡という行為がひどく醜いモノに見えていた。

 

国家を背負う責任者は常に正々堂々としていなければならない。それが世界の覇者たるオスマン皇帝スレイマン1世の哲学であったから、ある意味、彼は、ペルシャ地方の哀れな病人サファヴィー朝の臆病な王であるタフマースブを指導するつもりで書状を出していた。

「お前も私のように勇敢でなければならないぞ」ということである。

 

だが、タフマースブはそれを一笑に付し、イチイチ宗教的な屁理屈をつけながら否定してみせた。"生徒"からの思いもよらぬ反抗にスレイマンは怒りを感じたのである。

 

「おのれ、タフマースブ! 望み通り、今すぐガズヴィーンに攻め込んでやる!」

 

スレイマンはそう息を巻いたが、イブラヒム・パシャはそれを必死に止めた。

サファヴィー朝の焦土作戦により物資不足に陥った今の状態でザグロス山脈以東の敵地を攻撃する。それがどんなに危険なことか、イブラヒムは説いたのだ。

 

だが、それを言うとスレイマンは

「そんなことはわかっている!」

と余計に大きな声を出した。

 

「わかっているなら、何故そんな無謀な事を!」

 

私はあなたのオラーマにはならない。

出兵の前、主人にそう誓ったイブラヒムにも、これだけは譲れなかった。自分は皇帝の為を思って言っている。その自負もあり、イブラヒムもつられて声が大きくなった。

 

「私は皇帝なのだ、帝国には誇りがある!」

「誇り? それが何の役に立つと? 負けたら何にもなりません!」

「うるさい、私が背負ったモノの重みは、奴隷のお前にはわかるまい!」

 

それを言った瞬間、スレイマンは慌てて口をふさいだ。

思わず、この親友には決して言うまいと誓った言葉が口をついて出たからだ。

 

"奴隷"という言葉のことである。

 

スレイマンは、恐る恐るイブラヒムの顔を覗き込んだ。

彼は、先程までの感情が高ぶった赤ら顔とは打って変わってキョトンと立ち尽くしている。

 

イブラヒムからすれば、そんなことは承知の上だった。

オスマン帝国では、デウシルメという制度により、奴隷となった異教徒にも出世コースが用意されている。奴隷の子どもたちが抱く成り上がりへの渇望は凄まじくデウシルメは今まで数々の人材を権力の中枢へと送り出し、特にメフメト2世以降の皇帝は好んで奴隷を重用した。イブラヒムもその1人である。

 

だが、その事実は必ずしも奴隷そのものの地位向上を意味しない。かつて、メフメト2世は名家出身のチャンダルル・ハリル・パシャを排し、大宰相を宮廷奴隷出身のザガノス・パシャにすげ替えた。それは単なる個人的な信頼関係によるものではなく、皇帝の座を引きずり下ろされた経験を持つメフメト2世が皇帝家に匹敵する力を持つチャンダルル家を恐れた為だと言われている。

つまり、親戚やシンパがたくさんいる名家出身のイスラム法学者よりも、奴隷の方が、皇帝としては扱いやすかった。

 

仮に意見が対立しても、簡単に切り捨てることができる。

地位を失った奴隷に価値はない。その様な者に同情する者もいないので反乱を起こされる心配もない。

つまるところ、いくら高く評価されても、奴隷出身の官僚というのは、そういう存在であった。だから、イブラヒムもスレイマンから「奴隷」と呼ばれる事に違和感はない。

 

だが、先にそれ以上の関係性を求めてきたのは、スレイマンの方だ。彼はイブラヒムの事を兄弟と呼び、親友とも呼んだ。イブラヒムは、その言葉を額面通りに受けとる事がどんなに愚かしい事か、わかっていたつもりであった。

だが、「奴隷」という言葉を聞いた瞬間から、失望感が溢れ出して止まらない。知らずの内に、彼も何かに期待してしまっていたのだろう。

 

イブラヒムは深くため息をついて冷静さを取り戻そうとした。

 

皇帝(スルタン)、今一度申し上げます。今、ザグロス山脈以東を攻めるのは危険です。もし、どうしても撤退ができないというなら、先に山脈以西の地域を制圧し、補給線を確保してからに致しましょう。これが、私にできる最大限の譲歩です。」

 

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スレイマンはイブラヒムの条件を聞いてもなお、ガズヴィーン進軍の中止を決断することができず、イラン方面へと軍を進めるが、不幸な事に西暦1534年の冬は寒かった。

 

10月中旬、ソルターニーイェに差し掛かったところで早くも初雪が降る。こうなると、スレイマンにひたすら服従していたイブラヒム以外の将たちも進軍に対する懸念を示す様になり、結局、イラン方面を一旦あきらめ、ザグロス山脈以西のイラク方面を固めるイブラヒム案が採用となった。

 

その後、オスマン軍はダルゴズィーン 、ハマダーン、バグダードと進むが、ここで季節は11月末となった。

本格的な冬の到来である。相変わらず、サファヴィー朝の各都市は逃げに徹しており、街には大軍を養うだけの資源がない。

これ以上の進軍は不可能となり、オスマン軍は住民が立ち去り閑散としたバグダードで寂しく冬を越すことになった。

 

翌年4月になると、体制を立て直したオスマン軍は再び進軍を再開するが、この時もタフマースブは徹底した焦土作戦とゲリラ戦で対抗してオスマン軍の補給線を脅かし続けた。

 

その地味ではあるが、大軍の弱点をつく粘り強い戦法は物資や兵の命以上に、自立心の強いイェニチェリを始めとしたオスマン兵たちの戦意を着実に削り取っていった。

ミーアーネ 、ソルターニーイェ、ダルゴズィーンと進むがどこまで行ってもサファヴィー軍本隊の姿を確認することはできず、1535年8月。スレイマンは遂に帰国を決意した。

 

「シャー・タフマースブは精強なオスマン帝国軍に恐れをなして逃げ出した。結果、我々はイラクを征し、アッバース朝カリフの都をも手に入れた。オスマン帝国の大勝利である!」

 

スレイマンはダルゴズィーンにて兵士たちに向かい、声高らかに宣言した。

 

だが、遂に本格的な戦闘もできず、飢えと疲労だけを土産に帰国することになったオスマン軍の中に、勝利の実感がある者は誰一人いなかった。勿論、勝利宣言をしている本人も含めてである。

 

 

一方、タフマースブもガズヴィーンにてサファヴィー朝の勝利を宣言した。コチラの陣営にも勝利を心から喜んでいる者は少ない。

 

確かにオスマン軍を自領から追い出す事には成功した。

だが、自分たちの軍が行ったのは、逃亡とチマチマとした嫌がらせのみであり、その実態が勝利と程遠いモノであった事を誰もがわかっていた。

 

しかし、それでもタフマースブの心は晴れやかだった。

即位以降、彼は国内外から父の足下にも及ばぬ頼りない王であると評価され続け、常に誰かの顔色を窺いながら政務にあたってきた。

その彼が、オスマン帝国という強大な敵を目の前にして、自分の意思を貫き、それを撃退してみせたのである。勿論、タフマースブ自身、これがオスマン帝国に対する完全勝利であるとは思っていない。実際、オスマン帝国とサファヴィー朝はこの後も断続的に戦うことになり、対立は1555年のアマスィヤ条約の締結まで続く。

だが、この戦いはタフマースブにとっては紛れもない勝利なのだ。周囲からの低評価と、自らを卑下し続けた自分自身に対する勝利である。

 

この後もタフマースブはイスマーイール1世の時代を知る者にとっては物足りない王ではあったが、それでも自分たちのリーダーとするにあたって、妥協できる実力のある人物だという認識にはなった。権力争いの中でコロコロと代わり続けた大宰相の地位も忠臣ガーズィー・ジャハーン・ガズヴィーニーに固定され政権は安定した。

 

タフマースブは決して栄光ある王ではなかった。

だが、アレクサンドロスのマケドニア帝国やティムール朝の様にカリスマ的君主が死んだ後、瞬く間に崩壊していく国が歴史上、いくつも存在した中で、彼はなんとか国家を次世代へと繋いでみせた。

サファヴィー朝は彼の3代後、アッバース1世の時代に最盛期を迎え、その王都イスファハーンは、訪れた西洋人から「この街は世界の半分である」と評されるほど繁栄する。

それを考えた時、タフマースブの成した国土防衛の歴史的意義は大きい。

 

その一方で、タフマースブは晩年になると、周囲に対して強い猜疑心を持つようになり、結局、後継者を指名しないままに死ぬ。彼は、その不幸な生い立ちからか、自分の実力と自らの成した仕事の偉大さを終生信じることができなかった。不安定な政情の中で50年に渡って国家と地位を守り続けた絶対権力者でありながら、いつも何かの影に震えていたのである。

彼の人生が幸せなモノであったかどうかは、誰にもわからない。

 

だが、ペルシャの地において現代まで続くシーア派国家の礎は確かにこの時、築かれた。

本人の自己評価はさておき、この男もまた、現在へと続く歴史を創り上げた英雄の1人なのである。

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