◯ヘリオガバルス
シリアで祭司をしていたら、ある日、ひょんなことからローマ皇帝になることに!
天下無双、唯一無二のHENTAI男の娘皇帝がここに誕生する!
◯ユリア・メサ
ヘリオガバルスの祖母。ヘリオガバルス陣営の黒幕にしてシリアのやり手ババア。
◯ユリア・ソエミアデ
ヘリオガバルスの母。贅沢が大好きで権力欲が強い。
◯ユリア・ママエア
メサの次女。ソエミアデの妹。この人も権力志向。
◯アレクサンデル
ママエアの息子。もう一人の皇帝候補。優等生的性格。
◯ガンニュス
ヘリオガバルス軍の総司令官を務める、多方面で知識豊富なギリシャ型知識人。ヘリオガバルスの家庭教師でユリア・ソエミアデの愛人。
◯エウティキアヌス
思い込みの激しいマッチョ軍人。マクリヌスを裏切りヘリオガバルスに協力する。
◯マクリヌス
暴君カラカラと変態ヘリオガバルスの間に挟まれた地味皇帝。軍人出身の割に軍事的才能はないが法律や経済には詳しい。
前編 ~太陽の子 皇帝ヘリオガバルス爆誕!~
人類共通の敵が死んだ。
帝政ローマ第21代皇帝ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス、通称カラカラ帝のことである。
母親の目の前で弟を殺して権力を握ると、自身の人気取りの為だけに後のローマ滅亡の原因ともされるアントニヌス勅令を出し、更には支持基盤である軍団の給料を上げに上げ、財政を破綻させた。
最悪な皇帝の最期は最悪なものであった。エデッサを出て南のカルラエ近郊の神殿に向かおうとする途中、軍列を止め、道端で放尿している所を、自らの護衛たる近衛兵に後ろから刺殺されたのだ。
次の皇帝は近衛隊長官のマクリヌスであった。
彼は前帝の暴政を正そうとし、特にカラカラ帝により壊滅的状態にあった国庫の改善には心を砕いた。
上がりすぎていた兵団の給料を引き下げ、金のかかる戦争は極力回避し、周辺諸国家に対しては軍事でなく外交と賠償で対応した。
だが、人は欲に弱い。正しいことというのは、人に利益をもたらして初めて評価される。兵士たちは、節制してゆっくりと経済を回復しローマ全体で豊かになることよりも、戦功をたて他国から奪いとり大金を得ることを好んだ。
カラカラ時代、優遇されていた兵団はマクリヌスに不満を抱いた。そして過激な連中からは、マクリヌス討つべしとの声もあがる。そんな時代の出来事であった。
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シリアの地にユリア・メサという女がいた。この時、52歳。彼女の家はエル・ガバルという土着の神を祀る祭司の家である。
ローマでは信仰の自由が保障されているが、かといってローマの中心地で異国の神が尊ばれる訳はない。本来であれば、彼女の一生は帝国の権力とは関わりのないものだったはずだ。
彼女の妹が、ユリア・ドムナという。この女が、のちのローマ皇帝セプティミウス・セウェルスと結婚した。
俄には信じがたいが、セプティミウスは占星術に頼ってこの結婚を決めたという。彼女の家柄などは知らず、占星術士の「この女の夫になる者は王になる者である」という言葉をそのまま信じて結婚を申し込んだらしい。
現代人からするとよく分からない、おそらく当時から見ても相当変わった価値観であることは間違いない。ただ、ローマでそれなりの地位にあり、出世を望む者がシリアの祭司の娘を妻にむかえることは、それ以上に変わった価値観であった為、当時の人々からすると、それも信じるに値する話ではあった。
実際、セプティミウスは彼女と結婚して皇帝になった。しかも、彼女の役割は単に皇帝の妻という訳ではなかった。
非常に教養豊かでギリシャ文化について学者と語り合うことを趣味としていた彼女を成り上がり者であったセプティミウスは常に必要とした。戦場にも外交の場にも連れていき、頻繁に助言を求めたという。
その幸運の女神ともいうべき良妻から生まれた子どもが後、最悪の皇帝だと言われたカラカラ帝と彼と殺し合いを演じたゲタだというのは、なんとも皮肉である。
ユリア・ドムナはセプティミウスが死去し、カラカラが皇帝となってからも、彼の諌め役になるなど重要な役を担ったが、カラカラが暗殺され、マクリヌスが皇帝になると幽閉され、やがてその先で病死した。
話を姉のユリア・メサに戻す。娘が権力者と結婚するとその一族ごと取り立てられるというのは、古今東西よくある話で、この土着の太陽神を祀る一家も同様であった。ユリア・メサも一時はローマ本国で役を得ていたが、前述のカラカラ暗殺により、シリアに帰るしかなくなっていた。
普通なら、彼女は徐々に人々から忘れ去られたはずだ。だが、シリアにいる彼女を訪ねる者は多かった。
理由としては、まず、一つ。この時期、パルティアに対抗するため、ローマの軍事力が東方に集中していたことがあげられる。
彼女の住んでいたエメサ(現ホムス)の街は地中海とメソポタミアをつなぐ重要都市で、どの都市に配属になってもローマから東方へやってくる時に通り道になる都市だった。
そして、もう一つ。軍におけるカラカラ帝の人気が挙げられる。
カラカラは在位時から一般市民や元老院からは評判のいい皇帝ではなかったが、軍部でのみ異様に人気があった。それは、彼の粗暴な性格が軍の一部では"勇敢"だととられていたこともあるし、そんな性格からくる支持基盤の脆弱さを補う為に軍を優遇したこともある。
ただ、何よりも現皇帝であるマクリヌスの人気のなさがカラカラの評価を上げる最大の理由であった。
彼がローマの財政を健全化しようと軍への異常な優遇を正したことは前述した。そもそも異常だったものが元通りになっただけなのだが、一度贅沢を覚えた軍団はそれに満足できなかった。そうして、軍人たちによるカラカラ帝の美化が始まった。
あの時代は良かった。軍が尊敬を受けていた。マクリヌスは卑怯者だ。皇帝が用を足している時に後ろから切りつけるなど、言語道断。男なら正面きって勝負しろ。マクリヌス、ローマ軍人にあらず。
兵士たちの間で次第にそんな風潮が広まっていく。それが、軍人たちのユリア・メサ詣でにつながった。エメサを通行する際に尊敬すべきカラカラ帝の親類の家を訪問しよう。そんなことが俄なブームになっていった。
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思い込みというのは恐ろしい。
日々やってくる軍人たちの話を聞きながら、ユリア・メサはそう思った。
親類の贔屓目を持ってしても、カラカラの治世が良いものだったとは思わない。生前、いくら軍から人気があったといえども元々があの器量だ。せいぜい山賊の棟梁くらいの慕われ方であったと思う。
彼はスキピオやカエサルではない。
だが、ここにくる軍人たちは皆、これでもかと言うくらいカラカラを褒め称えるではないか。
それはおそらく、マクリヌスへの不満からくるものであると、ユリア・メサは見抜いていた。
カラカラが本来どういう人間であったかなど、皆、どうでもいいに違いない。軍が財政削減の対象とされ、軽視されることに失望し、何か懐かしむ対象が欲しいだけなのだ。
カラカラ帝の実像などどうでもいいというのは、彼の叔母にあたるユリア・メサにとっても同じだった。カラカラの名声が高まるこの機会。どうにか上手く利用出来まいか。彼女の脳裏には、そんな企みが行き交っていた。
カラカラには子息がない。
カラカラの死の直後から「暗殺に関わったのではないか」、また最近では「暗殺の首謀者だったに違いない」と言われながら、割りとすんなりマクリヌスが政権No.2から皇帝に昇格できたのには、そんな都合もあった。
ではもし、カラカラに男児がいたらどうだろうか。ユリア・メサはそのように考えた。
ヴァレリウス・エウティキアヌスという男がユリア・メサを訪ねてきたのはそんな折であった。
この男もまた、ローマ軍人であり、第二軍団パルティカの司令官であった。現在のパルティカは元々セプティミウス・セウェルスがパルティア遠征の為に編成した部隊だ。よって息子のカラカラとも関係性が近い。カラカラ派、そう言っていい人材が揃っている。
従者を一人伴ってやってきたエウティキアヌスは軍が置かれている苦境をメサに対して訴えていた。
「軍はローマの象徴であり誇りです、軍の充実なくしてローマの繁栄はありえない! マクリヌス様は軍人出身なのにそのことを理解していないのです。聡明なカラカラ帝はよく理解しておられた…。その、カラカラ帝がああも無惨な亡くなり方を…。この悲しみを、怒りを、言い表す言葉が私にはありません。」
エウティキアヌスの目には涙が浮かんでいる。今までたくさんの軍人がメサの元を訪ねてきたが、この男のカラカラへの忠誠と情熱には特別凄まじいものがある。
いつもながら、何故あのカラカラがそこまで評価されるのか、メサには不思議でたまらなかった。別人の話をされているのではないかという感覚にすら陥ったが、この入れ込みようは使えそうだ。この男になら、自分の企みを話してみてもいいかもしれない。そう思った。
「あなたに会わせたい者がいる」
そう言ってメサが部屋に連れてきたのは、一人の少年であった。髪はやや鹿毛色を帯びたブロンド。肌が白く、やや青みがかった大きな目をしている。容貌だけ見ると少女のように見えなくもないが、この一家が祀る太陽神・エル・ガバルの祭司の格好をしているので男子だろう。
「彼は?」
エウティキアヌスが問うのでメサは
「ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス。この辺ではヘリオガバルスとも呼ばれているよ。」
と彼の名前を教えたが、聞きたかったのはそういうことではないらしい。
不思議そうな顔で言葉の続きを待っているようなので、更に詳しく説明した。
「ヘリオガバルスってのは太陽神の祭司って意味でね。コイツは私の二人いる娘の姉の方、ユリア・ソエミアデの息子なのさ。」
「なるほど。御当家の跡取りという訳ですか…。」
「あぁ。私は、この子が平穏に暮らせるなら、それでもいいと思っていたんだよ。」
「と、言いますと?」
「政治だのなんだのにヘタに首突っ込めば危険なメにしか遇わない。私たちはカラカラの時に思いしったのさ」
「メサ様…一体何をおっしゃろうとされているので…。」
メサは核心に迫った
「実はこの子、カラカラの隠し子なのさ」
「な、なんだってー!」
エウティキアヌスと従者は同時に声を上げた。絶句する二人に対してメサは語り続けた。
「カラカラはソエミアデをいたく気に入っていてね。それでソエミアデの方も断りきれず、姦通したのさ。それで、出来た子がコイツだよ。ま、ヘリオガバルスの平穏な将来とソエミアデの名誉を考えたら黙っていた方が良かったんだけどね…」
「では、何故私にそれを…」
「お前が真に国を憂う軍人だと見込んだのさ。権力を打ち倒すには大義名分が必要だ。エウティキアヌスよ。もし、仮にお前がローマの変革を望むなら、前帝の息子、このヘリオガバルスの身を預けようぞ。」
エウティキアヌスは目を見開いた。
要するに、ユリア・メサは、この少年を担いでマクリヌスへ反乱を起こせと言っているのだ。
ちなみに、ヘリオガバルスがカラカラの隠し子だというのは、ユリア・メサの嘘である。
実際は、今までもそう思われていた通り、ヘリオガバルスはソエミアデと既に亡くなった夫・元老院議員マルケルスとの子である。
誰だって少し考えればわかるが事実無根。全くの大嘘であった。
だが、人という生き物は自分にとって都合のいいことを真実だと思いたがる生き物だ。そして、都合が悪いことは全て嘘であればいいと思っている。だから、ローマ軍人にとっては、パルティアに戦争で負けたとか、軍事費が削られたとか。軍を優遇してくれた皇帝が暗殺された上に世継ぎがいないとか、その代わりに軍を軽視するヤツが皇帝になったとか。そんなことは全て嘘であるべきなのだ。
エウティキアヌスは、この提案に必ず乗ってくる。ユリア・メサには確信があった。
エウティキアヌスはしばらく黙ってヘリオガバルスの顔を見つめていたが、やがて言った
「ふむ…。そう言われると、この少年…いや、ヘリオガバルス様には、カラカラ帝と何か似たモノを感じますな」
ユリア・メサは笑いをこらえた。あの気性が荒い暴君のカラカラと、まるで少女のような美少年であるヘリオガバルスのどこに共通点があろうか。だが、流れはいい。ユリア・メサは黙ってエウティキアヌスに話をさせた。
「何というか、パッと見は違うんだけど、瞳の奥の輝きというか何というか…何か、何か感じるんですよね。わかるかな…。わかる人にはわかると思うんだけど…なぁ。」
エウティキアヌスは振り返って従者にも同意を求める
「あぁ…わかります。何つーか、空気感? 覇王の気みたいな。皇帝になる人ってそういうのありますよね?」
「覇王色的な?」
「そうそう、それです」
「あー、わかる。ヘリオガバルス様には何かそういったモノを感じるわ。」
「そこを行くとマクリヌス様…いや、敢えて言おう。マクリヌスって…」
「地味~!」
「そうそう、地味なんですわ」
「チマチマ軍事費削ってさー。節約してさー。皇帝のやることじゃないわ、アレはさ。」
そして、エウティキアヌスは背筋をピッと伸ばした
「メサ様。そしてヘリオガバルス様。このエウティキアヌス。悪帝マクリヌスを見事打ち倒してご覧にいれます」
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「お婆様、一体どういうことなのです! 僕は、カラカラ帝の息子でお父様とお母様の子どもではないのですか!」
ヘリオガバルスが祖母、ユリア・メサをそう問い詰めたのはエウティキアヌスが訪ねてきた日の晩だった。
メサは自身の計画を事前にヘリオガバルスに話してはいなかった。つまり、ヘリオガバルスもメサの作り上げた新しい『真実』をエウティキアヌスと同じタイミングで知ったことになる。
「そんなこと、どうだっていいじゃないか。お前は黙って大人の言うことを聞いていればいい。そうすれば皇帝になれるんだから。」
メサにとってはそうなのだが、まだ14歳の少年にはそれが飲み込めない。この純粋で敬虔な祭司には、自らが高い地位を得ることよりも真実を知ることの方が大事なのであった。
ヘリオガバルスは目に涙を浮かべながらメサを見つめた
年少ながらヘリオガバルスにはある種の魔性がある。非情なリアリストであるメサですら、この美少年のすがるような円らな瞳に見られると、つい情が沸いてきてしまう。
これはいかんな、とメサは席を立つ。
「お婆様、どこへ!」
メサはヘリオガバルスの叫びには答えなかった。
「ソエミアデ、後はあんたに任せる。」
とヘリオガバルスの傍らで心配そうな表情を浮かべていた母、ユリア・ソエミアデに一言言って部屋を出た。
ソエミアデは先程から、いかにも深刻そうな顔をしているが、自分の邪魔はしない。メサにはその確信があった。
ソエミアデは、セプティミウス帝やカラカラ帝の親類となったことで一族が得た栄光を知っている。表情だけは優しい母の顔をしているが、一度覚えた贅沢は忘れられるものではない。我が子への愛情と権力を天秤にかけた時、この女は必ず後者を選択するに決まっているのだ。
「お母様…僕は…お父様の子ではないのですか?」
ユリア・ソエミアデはヘリオガバルスを抱き締めた
「ヘリオガバルス…あなたはこれから、父の子でも母の子でもないと思いなさい」
「え? そんな…」
「あなたは太陽の子なのです。エル・ガバルの化身として、皇帝として。ローマ帝国を、そして世界を支配するのです。」
ヘリオガバルスの身体に伝わる母のぬくもり。
それとは裏腹に彼女の発する言葉には背筋が凍りつくような影が潜んでいた。
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マクリヌス打倒の兵があがった。
エメサにカラカラ帝のご落胤がいる。その噂は瞬く間に広まり、既にいくつかの軍団が味方になっていた。
その中にはカエサルがガリア遠征の為に編成したのが始まりだという伝統の第三軍団ガッリカも含まれる。
集まった軍団の総指揮はガンニュスという男がとっている。この男はユリア・ソエミアデの愛人で、かつヘリオガバルスの家庭教師を務めている。
所謂、ギリシャ風の知識人というヤツで、軍事も含めて多方面に幅広い知識を持った人物ではあるが、逆を言えば何が専門と言う訳でもない。何故このような人物が総司令官に選ばれたかと言えば、今まで祭司として育ち、軍とはまるで繋がりのなかったヘリオガバルスのことを唯一よく知っていたからに他ならない。
マクリヌスはヘリオガバルスらの反乱を鎮圧するため第二軍団パルティカを投入したが、これは前述のエウティキアヌスが司令官を務める部隊である。ガンニュスの軍と遭遇するとこれを攻めずに合流してしまった。
西暦218年6月。決戦の場所はアンティオキアとなった。
複数の軍団の裏切りにより、兵員の数ではヘリオガバルス軍の方が多かったが、戦闘を優勢に進めたのはマクリヌス軍の方だった。
指揮官の差であったと言ってよい。
マクリヌスも軍才に恵まれた方ではないが、職業軍人ではある。兵法に無知ではないが本来学者で実戦経験の不足したガンニュスとはやはり格が違う。
反乱軍は圧され、一部では潰走が始まろうとしていた。
ヘリオガバルスは軍中にある。傍らにはユリア・メサとユリア・ソエミアデ、そしてガンニュスも一緒だ。
守備網を突破した者がいるのか、遠くに敵軍の騎兵が2騎ほど突っ込んでくるのが見えた。それによってヘリオガバルスの近衛兵が数人討ち取られたが、それでもまだこの一帯にはヘリオガバルスの兵の方が多い。騎兵は囲まれ、馬から引きずり降ろされて刺殺された。ヘリオガバルスはここで初めて人が殺される様を見た。
「ここは、危険ですね…。」
ガンニュスが言った。今の兵は何とか討ち取れたが、守備網が完全に破られる時も近い。そう判断したのだ。
「チッ、役立たず共が!」
ユリア・メサは地団駄を踏んだ。
「さぁ、ヘリオガバルス様! 早く!」
ガンニュスは一向に動こうとしないヘリオガバルスの腕を掴んで立ち上がらせようとした。ガンニュスはヘリオガバルスが恐怖のあまり、腰を抜かしてしまったのだと思ったのだ。
だが、ヘリオガバルスは怯えていたのではない。
彼は兵たちの殺し合いを見ながら、ただ
「僕は一体誰なんだろう」
ということを考えていた。
ずっと、自分は死んだ元老院議員のマルケルスとユリア・ソエミアデの息子で太陽神エル・ガバルの祭司なのだと思ってきた。
だが、祖母は自分を「ローマ皇帝の息子」だと言い、母は「太陽神の化身」なのだという。父の死によって弱冠14歳ながらエメサの街の司祭となったヘリオガバルスはこれまでも街中から親しみのある尊敬を受けてはきたが、やはり周囲の大人たちからは子ども扱いである。特に家庭教師のガンニュスや先代や先々代の時代を知る老人などからはアドバイス染みたお説教を聞かされることもあった。
だが、祖母が急に自分のことをカラカラ帝のご落胤だと言い出してからはそういったこともなくなった。それどころか大人たちが皆、片膝をつき、忠誠を誓い、命すら懸けると言う。
今、先程も話したこともない近衛兵団員が自分を守るために命を落とした。
自分は今までと変わらない子どものままのつもりなのに、周囲からの扱いはガラリと変わってしまった。
一体、自分は何者なのか。
「ヘリオガバルス、さぁ、逃げるのです」
ガンニュスが声をかけても動かないヘリオガバルスに、今度はユリア・ソエミアデが言った。
「お母様…僕は本当に太陽の子なのでしょうか」
ソエミアデはヘリオガバルスの問いにそんなことを今言っている場合か、とばかりの早口で答えた
「そうです、そうですとも。だから、あなたは、こんなところで死ぬ訳にはいかないのです。」
それを聞き、ヘリオガバルスは立ち上がった。
だが、それは逃げる為ではなかった。
「もし、本当に僕が太陽神の化身なら、僕は世界を統べる者…。ここで死ぬわけにいかない…いや、僕はこんなところで死なないはずだ。」
ヘリオガバルスは剣を抜き、敵軍団が待つ方向へ向かって走り出した。
「へ、ヘリオガバルス様! 何を!」
呆気にとられ一瞬遅れたがガンニュスがヘリオガバルスの後を追って走り出すと、更に護衛についていた近衛兵団の兵たちも続く。
ヘリオガバルスが何を考えてこんな行動に至ったのかガンニュスには予想もつかなかったが、彼は力の限り叫んだ
「皆の者、皇帝に続け! いや、幼帝の後に続くことを恥と思え! 兵士たちよ、自らが臆病者ではないと示したいなら、剣をとり皇帝の進む道を切り開け! 勇敢な皇帝を決して死なせるな!」
こんな戦い方は机上で戦争を学んだガンニュスの常識にはなかった。でも、こうでも言うしかなかった。
総司令官からするとたぶんに苦し紛れの作戦行動ではあったのだが、勢いは時に戦略を上回る。
ヘリオガバルスの突進に感化された兵たちは命を惜しまず我先にと敵陣に突っ込んでいった。
そして、それはやがて大きなうねりとなってマクリヌスに迫っていく。
冷静に考えれば、こんな陣形も戦術も無視した突撃の勢いが長く続くはずはないのだが、慎重すぎるくらい慎重な性格のマクリヌスは戦場から逃げ出した。
マクリヌスからすると、ここは一度退いて体制を立て直した方が確実に勝利を掴めるという考えだったのかもしれないが、こういったところがマクリヌスが軍団から好かれない要因であった。
完全に負けが決まった後なら敗走もやむを得ないが、まだ勝ち目がある内に兵を退くなんてあり得ない。
こんなことを繰り返していては兵士たちがすぐに逃げ出すことを覚えてしまうから、軍団は弱体化する。いくら逃げようが、今、ここで勝つ気がない軍団に次なんてないのだ。
一般兵から軍団長クラスまで、軍事を多少知っている人間ならそう考えるのが当たり前だったので、マクリヌスの決断は全く支持されなかった。
逃げるマクリヌスについてくる者はほとんどいなかった。
将兵たちは皆、武器を捨てて戦うことをやめた。それどころかヘリオガバルスの兵と抱擁を交わしローマ軍の同士討ちを避けられたことを祝う者さえあったという。
逃げたマクリヌスはローマにたどり着く前に死んだ。
小アジアのピティニア属州にて街道警備の兵士たちに捕らえられて殺されたのだ。結局、兵団に裏切られての死であった。
マクリヌスは軍人出身で元老院に籍を置いたことのない皇帝であったが、その経歴とは裏腹に法律や経済の知識があり、堅実な男であった。この前後の皇帝たちと比べると非常に良心的な人物であったと言ってもいいだろう。
だが、この時代のローマを治めるには勇気が足りなかった。それだけが足りなかった故に全ての味方に見捨てられ、挙げ句命を落とすことになったのであった。
こうして、新たなる皇帝・ヘリオガバルスは誕生した。