エメサの街はお祭り騒ぎだった。
ヘリオガバルス、この時14歳。若き皇帝の誕生である。
何よりこの皇帝は
既に政治の実権はメサらの手にあるが、ヘリオガバルスが正式にローマ皇帝になるには、本国へ行き、元老院の承認を受けなくてはならない。西方的な考え方でいけば、今はまずいち早くそれをとりつけ、一種の社会契約を結ぶこと。要は、国家の公認を受けたという既成事実を作るべきなのだが、東方出身のメサらは違った考え方をした。
東方では『公認』を得ることにはそこまでこだわらない。それより大事なのは『権威』だ。
新たなる皇帝ヘリオガバルスがローマ本国の市民の前に現れる時には、まるで神が舞い降りたかのような姿でなくてはならない。
その為、ユリア・メサは宮廷人や神官、楽士などを加えた大行列を組織し、これと共にヘリオガバルスをローマまで行進させた。
しかもこの集団の最後尾には常に奴隷6人に担がれた大きな輿がいる。誰か高貴な人でも乗っているのかと思えばそうではない。乗っているのは大きな黒い岩であった。大昔に空から降ってきたという言い伝えのある岩で、エメサの太陽神信仰の象徴、御神体となっているものだった。おそらく、隕石か何かだったのだろうが、当時の人にとっては神が空から落としたものであるとしか思えなかったのだろう。
何にせよ、この岩が進むスピードに合わせながら数百人が一度に移動するのである。非常にゆっくりとした行幸となった。
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それにしても遅い。
先行してローマ入りし、皇帝が来るまで政務の代理や元老院相手の政治工作を行っていたガンニュスはそう思った。
アンティオキアでの勝利が218年6月。その年の終わりになってもヘリオガバルス一行がニコメディア(現イズミット、イスタンブールの85㎞手前)より先に進んだという知らせが届かない。いくら東方式の行幸に時間がかかると言えども、まだ欧州入りもしていないというのはさすがに遅すぎる。
東方出身のガンニュスですらそう思うのだ。本国の議員や市民からは皇帝が旅の途中で病を得たのだとか、暗殺されたのだとか不穏な噂も聞こえるようになってきていた。
これでは、皇帝が本国入りする前に地盤が怪しくなってしまう。ガンニュスはヘリオガバルス一行が通る予定の道をそのまま引き返し彼に会いに行くことにした。
さすがにニコメディアはもう発しているだろう。
ガンニュスはそう考えていたので行く先々で
「皇帝の一行が来ていないか」
ということを聞きながら進んでいた。
あれだけ大人数の行幸なのだから、当然かなり目立つ。少し離れた場所にいても噂は聞こえているだろう。簡単に居場所はわかるはずだ。ガンニュスはそうタカをくくっていたが、彼がヘリオガバルスの現在地を知ることができたのは結局、ボスポラス海峡を越え、ビザンティオン(現イスタンブール)に至ってからであった。
なんと未だニコメディアにいるという。
まさか、ローマ本国での噂通り、本当に皇帝の身に異変があったのではあるまいか。不安を感じたガンニュスは早馬を走らせて一路ニコメディアに向かった。
ヘリオガバルスらの宿につくとガンニュスは見張りの下僕に対して、すぐに皇帝に合わせてほしいと要求した。
下僕は頭をかきながら
「いやぁ、皇帝は宴の最中でして…。お会いになるなら終わってからの方が…」
と言う。何かバツが悪そうだ。
「皇帝の身には何事もないのだな?」
「はい。それは勿論。元気すぎるくらいお元気でして…」
「では、宴の最中だろうが、お会いして何が悪い。私はヘリオガバルス様一の臣下。それに父親(のようなもの)でもある。」
「それは…」
「もうよい。入るぞ」
下僕の忠告を無視してヘリオガバルスのいる部屋に入ったガンニュスは醜悪な光景を見た。
部屋中に並ぶ大量の酒と馳走。部屋の中央にある舞台では半裸の女たちが淫らな舞いを舞っている。その舞台の下には一際汚い奴隷が集まっており、踊り子を見ながら興奮し皆一様にピョンピョンと跳ねている。見せ物は舞いそのものより、奴隷たちで、その滑稽さを笑うものなのだろう。
ヘリオガバルスは玉座に腰掛け、全裸でそれを眺めていた。その周囲にはこれまた全裸の美女と美少年が4~5人ずついる。別にヘリオガバルスに尽くす為にいるのではないようで、馳走を喰らいながらヘリオガバルスの傍らに侍る者もあれば、皇帝そってのけで性交に耽っている者もいる。それぞれ好きに過ごしている印象だ。
「ヘリオガバルス様!」
ガンニュスは入口でそう叫んでからヘリオガバルスの下へ駆け寄った。酒が入っているのかヘリオガバルスは虚ろな目をしている。
「おお、ガンニュス…。ローマに居たのではないのかい?」
「ヘリオガバルス様がなかなかローマへいらっしゃらないので、何かあったのではないかと様子を見に来たのです!」
「そうか…。ご苦労。見ての通り、健康だ。ガンニュス、お前はローマへ帰り政務に励むように」
ヘリオガバルスがすぐにガンニュスから目を反らし、興味深そうに見せ物を見始めたのでガンニュスはまた大きな声を出した
「ヘリオガバルス様! 政務は本来あなたの仕事です! その為にローマへ向かっていたのでしょう? こんなところで何をしているのです!」
「いいじゃないか、政務なんて。どうせお婆様やお母様が全てを決めて、ガンニュス、お前が実行するのだろう。僕がいることに何の価値がある?」
「いらっしゃるだけで価値がある。あなたはそういう存在だ」
「そんなことより僕はここで人間とは何かを考えたいんだ」
「こんな怠惰で淫らな生活をすることで、それが、わかりますか?」
ガンニュスは冷たい声を出した。
皇帝はまだ14歳だ。自分が離れている間、誰に悪い教えを受けたのかわからないが、尤もらしいことを言って、欲に溺れる自らを正当化しているだけだ。そう決めつけていた。
「だって、みんな嘘つきじゃないか。世間の連中は皆、嘘つきだ。」
「何を言ってらっしゃるのですか?」
「僕はここが落ち着くんだ。皆、嘘をついている。外の世界じゃ正義の為だとか、市民の為だとか、皇帝の為だとか綺麗事を言って、本当は自分のために殺し合いをする人間がたくさんいる。狂気の沙汰だ。その点、ここは最高だよ。皆、美味しいものを食べてお酒を飲んで、色欲に溺れて、他の者に働かせて自分は怠惰に暮らすんだ。正直者ばかり。皆、本能のままに楽しむんだ。」
「皇帝陛下、こんな若いウチから欲に溺れていてはいけません。きっと後々後悔されます」
「信用できない。お前だって嘘つきだからだ」
「私がいつ、嘘をつきましたか?」
「お前はいかにも正しそうな理屈を押し付けてくる。だが、そもそもお前は僕の家庭教師の分際で母の愛人じゃないか。未亡人の母を肉欲に溺れさせ、学者風情のお前は権力をつかんだ。お前のどこが正しい人間なんだ。僕に説教したいなら、本当に正しい人間になってからにしろ。」
ガンニュスはため息をついた。
「私がソエミアデ様の側にあるのはただ貴女への愛のみが理由です。私が政務を行うのは、ソエミアデ様やメサ様の信任を受けたからにすぎません。私はそのお心に応える為、私心なく政治を行っているつもりです。」
更に続けた
「それに、もし仮に私が正しい人間でなかったとしても、あなたは正しくあらなければなりません。ヘリオガバルス様、あなたはローマ皇帝なのですから」
「ガンニュス、では、最後に一つ聞きたい。僕は誰だ?」
ガンニュスにはヘリオガバルスの言葉の深意がわからない。
「誰…どういう意味でしょう?」
「だから、わからないんだよ! 僕は誰だ! ローマ皇帝なのか? エル・ガバルの神官なのか? マルケルスの息子なのか? カラカラ帝の息子なのか? それとも誰の子でもない太陽の子なのか? 何が嘘で何が本当なんだ? わからないんだよ!」
「ヘリオガバルス様、それを知ることに意味がありますか? あなたは今、皇帝でありそれが事実なのです」
「意味? あるさ! だって、皆が僕の為だって…僕を皇帝にする為だって、それが正しいことなんだって言って戦争を起こしたんだ! 僕が僕を知らないのに! 訳のわからない、本当はあるのかどうかさえわからない理由の為に戦が起きてたくさん人が死んだんだぞ! 何でお前たちはそれで平気なんだ! 狂っている! お前は狂人だ! ガンニュス! お婆様も、お母様も、兵士たちも皆そうだ!」
「ヘリオガバルス様、落ち着いてください。あなたなら何が正しいかわかるはずだ」
「うるさい! 何で狂人のお前が正しいと思うことをしなきゃいけないんだ! 何で権力の為に人を殺すことが正しくて、本能に忠実になることが悪いんだ!」
そしてヘリオガバルスはガンニュスのことを指差しながら言った
「死ね、ガンニュス。お前は大嘘つきだ。僕は僕の欲望にしたがって、正直に生きる。」
218年の冬。ガンニュスはニコメディアにて暗殺された。
ヘリオガバルスはその後もしばらくニコメディアに滞在するが、やがて飽きて前進を再開した。
一行がローマに到着したのは、219年9月のことである。
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ローマの街を異様な行進が練り歩いた。
ローマでは珍しいオリエント風の衣装に身を包んだ集団。そして、最後尾には例の黒い岩の乗った輿がいる。
物珍しさから多くの見物人が集まったが、その評判は高いものとは言えなかった。
その要因はヘリオガバルスの出で立ちにあった。地面に届きそうな長袖を支える紫色の地に錦糸をあしらった司祭服を着用し、ネックレスや腕輪など豪奢な装身具をほどこした衣装。
本来女性が身につけるものである。
これらはエル・ガバルの両性具有的な神性を象徴するのものなのだが、国家の第一人者たる皇帝が女装で民衆の前に立つなど雄々しさを美徳とするローマ人にとっては異常な光景でしかなかった。
それだけならば、異国の文化、個人の趣味で片付けられないこともない。だが、決定的に評判が悪かったのは、ヘリオガバルスの頭上にある王冠であった。
ローマではいくら皇帝でも王冠はかぶらない。それを模した月桂冠をかぶるのが伝統であった。
ローマは元々が共和制の国であり、独裁者を拒絶する文化がある。この時代のローマ皇帝は、どんなに大きな力を持っていても、建前上は君主ではなく、
それはその昔、英雄だったカエサルが殺された理由でもあり、そこと上手く付き合ったアウグストゥスが初代皇帝となり得た理由でもあった。
この元々第一市民だった存在がローマの滅亡後、他の民族に継承され、時代が下ると、それを引き継いだ神聖ローマやロシアではそれぞれの民族の文化に合わせて専制君主的な皇帝も多く誕生したことから、現代では言葉のイメージが変わってしまっているが、とにかくこの時点ではまだ皇帝はそういった存在ではなかった。
そうした中で、新たな皇帝ヘリオガバルスが王冠を頭上に頂いていたという事実はローマ人の文化を著しく否定するものであり、多くの市民たちが抱く自国家への理想像を破壊するものであった。
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ヘリオガバルスの市民に対する御披露目は、文化の違いを読めなかったユリア・メサの失敗と言ってよい。
あるいは、幅広い知識を持ったブレーン・ガンニュスを失った弊害でもあった。
だが、マクリヌス打倒の黒幕でもあるユリア・メサはやはりやり手である。
その反省を生かし、元老院に対して
「ヘリオガバルスはアウレリウス帝の政治を継ぐ者である」
と盛んに喧伝した。
それはつまり、元老院を尊重した政治を行うと宣言したのと同じ意味になる。元老院の議員たちもローマの市民たちもヘリオガバルスは傀儡で政治的意思決定権はメサやソエミアデが握っていることを知っている。
ヘリオガバルス本人が女装癖のある変態だろうが、ローマの文化を理解できない無知な小僧だろうが、黒幕のメサらがそう考えているなら、かまうまい。
多くの人がそう考えたことから、新皇帝ローマ到着後の騒ぎは次第に沈静化していった。
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皇帝になったことで、ヘリオガバルスは名を改めた。
前述したように、ヘリオガバルスというのは愛称である。
彼の本名を『ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス』と言った。新たな名前は『カエサル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス』である。
『カエサル』は英雄ユリウス・カエサルから、『マルクス・アウレリウス・アントニヌス』はメサが政治を引き継ぐと宣言したアウレリウス帝の名をそのまま。なお、カラカラ帝もこの名を名乗っていたことがある。そして『アウグストゥス』は初代皇帝アウグストゥスからとっている。
『ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス』という名は影も形もない。そのような人間はどこかへ消えてしまったかのようだった。
なお、本作では便宜上、この後も彼の呼称はヘリオガバルスとする。
ヘリオガバルス自身も、偉大な人物なのか何なのか知らないが、自分が会ったこともないどこかの誰かの名をくっつけただけであるこの名前を嫌った。周囲の者には相変わらず自分を『ヘリオガバルス』と呼ばせ、『アウグストゥス』の呼称を使うのは議会など正式な場所でだけだった。
220年、ヘリオガバルスは最初の結婚をすることになった。相手はコルネリア・パウラという裕福なシリア系ローマ人の娘であった。だが、この結婚は一年ともたなかった。「ヘリオガバルス様の性的倒錯に耐えられない」とコルネリアが周囲の人間に泣きついた為だった。
皇帝の妻という貴族の娘でもなかなかなれない地位を手にしていたにも関わらず、彼女がこのような行動に出たあたりにヘリオガバルスの異常性が窺える。
メサはコルネリアの訴えに理解を示し、離婚を受け入れはしたが、ヘリオガバルスを咎めるようなことはしなかった。政務が忙しくなっていたので、ヘリオガバルスの変態性について本人と語らい説得する暇など彼女にはなかったのだ。
また、ヘリオガバルスが性交渉に夢中になり、頭をすっからかんにしているなら、その方が都合がよいという思いも少なからずあった。幼帝が成長して自我を持ったが故に実権を持つ親類を排除しようとするなどというのは、よくある話だ。あのヘリオガバルスならそれもあるまい、とメサは安堵したのである。
母のソエミアデもメサとほぼ同様の様子であった。
彼女は愛人であったガンニュスを暗殺した首謀者がヘリオガバルスだとは知らない。いや、その可能性を考慮しつつも考えないようにしていた。彼の人間性がどうだろうが、息子のヘリオガバルスが皇帝でいる間は自分は裕福でいられる。だから彼女はヘリオガバルスの異常性に対して見ないフリをした。
そして、時折ガンニュスを思い出しては
「あんな優秀で良識ある人を誰が恨んで殺したのでしょう」
と呟き涙を流し、それでも政治に口を出しながら、新しい愛人と共に贅沢な暮らしを楽しんでいた。
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「惜しいことをした」
ヘリオガバルスはそう思っていた。
女ならいくらでも手に入る。だが、妻という存在は遊女や愛人とはまた違った風情がある。
もう少し、丁寧に扱ってやっても良かっただろうか。
いや、結局あの女は自分の妻に相応しい女ではなかったのだ。
そう考えたヘリオガバルスは、メサに新たな妻を用意してほしいとせがんだが、
「今、忙しくてそれどころではないし、あんなカタチで離婚してすぐに新しい妻を娶るのは印象が良くないから、しばらく大人しくしていろ」
と一蹴されてしまった。
ならば、自分で妻を探すしかない。
そこでヘリオガバルスの脳裏に浮かんだのが、アクィリア・セウェラという女だった。
ローマ政治の中心街、フォロ・ロマーノの奥にウェスタ神殿という建造物がある。この神殿はその名の通りローマにおける竈の女神、そこから転じて家庭や結婚の守護神とも言われるウェスタ神を祀る神殿である。ウェスタには数多の神々からの求婚を断り永遠の処女を誓ったという伝説がある。
神殿に仕える巫女は、ウェスタの伝説にちなんで30歳まで処女を守らなければならない。彼女らは長い禁欲生活を強いられる訳だが、同時に神聖な者であるともされ、地位は高く、様々な特権も持っていた。
そして勿論、それだけに掟を犯すことは重罪であった。古い信仰によれば、掟を破った巫女はローマ市内に生き埋めにされるべし、との言い伝えもある。それが、ローマ法では許されておらず、刑罰が伝承通りに実行されたことがない事実こそ、この時代既に聖教分離の概念を持っていたローマの文明の凄みなのだが、とはいえ掟を犯すことが重罪であり大事なのは間違いない。
アクィリア・セウェラはそのウェスタの巫女の一人だった。
ヘリオガバルスは以前、神殿を訪れた際にアクィリアを気に入り、その辺にいる女と同じように手込めにしようとした。
だが、いつもヘリオガバルスの悪事に対して見て見ぬフリをしている従者たちが、この時ばかりは
「それだけはお止めください!」
と力ずくで止めたので、行為を断念したという事があった。
新しい妻には彼女がいい。
ヘリオガバルスはそう思った。
ある夜、ヘリオガバルスは従者も着けずにウェスタ神殿の裏手にある巫女たちの家を訪問すると、アクィリアを見つけ出して力強くで犯した。
アクィリアはヘリオガバルスと結婚することにした。どんなカタチであれ、神から仰せつかった掟を破った者は罰せられる。彼女が身を守る方法は皇帝と結婚しその庇護下に入るしかなかったのである。
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アクィリアの心配とは裏腹に彼女に対する同情の声が市民からあがった。
メサはヘリオガバルスとアクィリアを離婚させ、アンニア・ファウスティナという女性と新たに結婚させた。この女には既に夫がいたが、ヘリオガバルスは全うな結婚では満足できないのだろうとメサがわざわざ夫と引き離す荒業を使って連れてきた。
アンニアは美人で有名な女性でもあったので、ヘリオガバルスは初めこれを喜んだ。
だが、アウレリウス帝の親類で年上でもある彼女はなかなかヘリオガバルスの思い通りにならない存在であった。
つまらなくなり、数ヶ月で離縁した。
メサらにも黙って行った離縁であったので、後からヨリを戻せと説得されたが、一旦別れた後はアンニアの方にもそのつもりがなくなっていたので、メサはそれを断念するしかなかった。
その後、ヘリオガバルスは短い間しか結婚生活を送る事ができなかったアクィリアが恋しくなり再婚したが、ヘリオガバルスの彼女への強い想いというのは、仲を引き裂かれたことへの反発心や簡単に手に入らないものへの憧れから来るものであった。
この頃になると、ヘリオガバルスを本気で止めようとする者も少なくなっていたのでヘリオガバルスは以前ほど彼女に対してトキメキを感じなくなっていた。結局この結婚も数ヶ月しかもたなかった。
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そして、ヘリオガバルスは5度目の結婚を発表した。金髪の奴隷ヒエロクレスの妻になるというのだ。念のため記すが、ヘリオガバルスが妻になる、ということは当然相手は男である。
元々ヘリオガバルスは公衆の面前に女装で出ることもあるような人物だから、同性愛の嗜好があることは一般に知られないまでも、何となく予測がつくことだった。
同性愛そのものは否定されていない。ローマにその風習はなかったが、ローマ人が尊敬するギリシャの文化ではそれが行われてきた歴史があった為、非難される類いのものではなかった。かといって堂々と宣言するようなものではないし、しかも、奴隷の妻になるという発想は常軌を逸している。
ローマは父権が強い国だ。つまり、女性が結婚するということはある種、女性がその家に入り、夫に仕えることを意味している。その価値観で見るならば、ヘリオガバルスが奴隷のヒエロクレスの妻になるということは、ローマ皇帝が奴隷に仕えるということだった。
しかも、ヘリオガバルスのピークに達した欲望は単に妻として振る舞うだけでは満たされなかった。
この時期、ヘリオガバルスが行った変態的行動は挙げていけばキリがないが、最も好んだのは、自ら売春婦となることだ。
最初は金髪のカツラをつけ、化粧をして酒場に繰り出し客をとったが、そのうち宮殿内に自らの娼館を作り、そこで客をとりだした。
何故、わざわざ神聖な宮殿内でそのようなことを始めたかと言えば、夫・ヒエロクレスにその不貞を見せつける為だった。
ヘリオガバルスは夫に不貞を咎められ、罵倒と暴行を受けることに快感を覚えていた。
一際、ひどい殴打を受けた次の日などは部下から顔に青アザが出来ていることを指摘されると
「そうか! そんなにひどいのか!」
と言いながら顔を赤らめ悦楽の表情を浮かべたという。
宮殿には連日ヘリオガバルスの甲高い歓喜の悲鳴が響いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい! ふしだらな女でごめんなさぁいぃぃぃ!」
「あぁぁぁあぁ! 僕、犯されてるぅ! 皇帝なのにぃぃぃ! いいように犯されちゃってるぅぅ!」
「気持ちぃぃ! 僕、『カエサル』で『アウグストゥス』なのに! 『アウレリウス』の後継者で『カラカラ』の息子なのに! 娘になって感じちゃってるよぉ!!」
常人には理解しがたいことかもしれないが、彼にとっては至極の快感だった。
もしかすると、ヘリオガバルスの潜在意識にはローマという国を辱しめたいという想いがあったのかもしれない。
父性を象徴とするローマという国において女装を好むことも、ウェスタの処女を無理やり犯し妻とすることも。そして何よりローマの代表者たる皇帝を名実共にふしだらな女の身に堕とし、奴隷に罵倒・暴行させることも。全てはローマの文化と伝統と誇りを踏みにじることだ。
14歳という多感な時期、突然東方の神官から皇帝にされた。周囲から尊敬を受け穏やかに過ごしていたエメサから、権謀術数渦巻くローマにやってきて生活も立場も何もかもが変わった。そうした境遇への違和感と反発が今のヘリオガバルスを作ったのである。
本来であれば、周囲の大人が彼を叱り、全うな道へ戻してやるのが教育だ。だが、皇帝になった彼に対して周りの世話をする部下たちは言うことを聞くことしかしない。また、祖母も母も権力に溺れ本当の意味で彼のことを思ってはいなかった。唯一彼を叱ったガンニュスはヘリオガバルスが権力を持つが故に排除できてしまった。
もはや、彼の変態性欲を止められる者はいなくなっていた。