ダメだコイツ、そろそろ何とかしないと。
ユリア・メサはそう思った。
ヘリオガバルスが政治に興味を示さず遊びに夢中になっていてくれる分にはよかった。御輿は軽くてバカがよいという言葉の通り、実権を握るメサとしては都合がいい。だが、前述したようにヘリオガバルスがやっていたのは、ローマという国を辱しめる行為だ。市民からも議員からも、段々と反発の声が大きくなってきた。
そこで、メサは、もう一人の娘でユリア・ソエミアデの妹。ユリア・ママエアとその息子アレクサンデルをシリアからローマに呼び寄せることにした。
アレクサンデルをヘリオガバルスに次ぐ副帝とする為だ。
ヘリオガバルスはいい顔をしなかった。
理由は勿論、皇帝の仕事を一人でこなして行きたいからなどという殊勝なものではない。単に、唯一無二の存在でなくなることに未練があったのだ。
そんなヘリオガバルスをメサは
「副帝がつくということは公務が半分になるということだ。お前が嫌がっていた政務やローマの神々への儀式などは全てアレクサンデルに任せておけ。お前はエル・ガバルの儀式だけやって後は遊んでいればよいではないか」
と説得した。
ヘリオガバルスも何か怪しげな雰囲気を感じとってはいたが、メサの言ったことは確かに魅力的だった。
こうして、ヘリオガバルスもアレクサンデルを副帝として認めることになった。
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さて、ここまでヘリオガバルスの問題行動として、性的な倒錯のみを述べてきたが、それは彼の悪行の一部に過ぎない。
その他にも彼は、饗宴に来た客にレプリカの料理を振る舞い自分はそれを尻目に本物の料理を食べる。酔いつぶれた客を部屋に閉じ込め夜中にペットの猛獣を入れる、など悪趣味な悪戯をするのが好きだった。
アレクサンデルが副帝となり数週間たったある日のこと。
ヘリオガバルスは戦車競技を観戦する群衆の中に、何百もの蛇を放つという悪戯を思いつき、実行した。
勿論、毒などあったらたまったものではないので、その場にいた人は皆逃げていった。
だが、その後、誰も来ない。
いつもなら、今はローマ市内の治安維持を担当しているエウティキアヌスや彼をはじめとした部下たちがやってきて、半分ヘリオガバルスがやったものとわかっていながらも安全確認をしたり、それが悪戯だとわかった後は「皇帝陛下には困りましたな」と言っていく。
ヘリオガバルスはそんな彼らの弱った顔を見るのが大好きだった。だが、この日は、それがなかった。あまりに退屈なのでそこから小一時間その場で待ってみたがそれでも誰も来なかった。
このことで、ヘリオガバルスは段々と自分が周囲の人々から無視される存在になっていると知ったのである。
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良くも悪くも存在感の薄れるヘリオガバルスとは反対に副帝アレクサンデルの評判は上々である。理由は真面目だから、の一言に尽きる。
ユリア・メサはマクリヌス打倒の際、新皇帝の候補としてヘリオガバルスとアレクサンデル、二人の孫がいるにも関わらず、決起の旗頭としてはヘリオガバルスを選択した。少なくともあの時点で、メサは二人を比較すればヘリオガバルスの方に特別な才能を感じていた。ヘリオガバルスはとにかく容貌が良かったし、アンティオキアの戦いで見せたような思いきりの良さもあった。
もしかしたら、思っていた以上に大器だったのかもしれない。
メサは今になってそう思うことがある。
確かに彼は非常識だが、常軌を逸した行動をとれるのはある意味で才能だ。彼がエル・ガバルの祭司としてでなく、初めから皇帝になるべき人物として、しかるべき教育を受け育っていたらどういう人間になっていたのだろうか。決して飼い慣らすことのできない虎をムリヤリ檻に閉じ込めたが故にあんな風に育ったのではないだろうか。育て方を誤り才能を潰した。
メサは後悔もしていたが、ああなってしまってはもう遅い、とある種、割りきっていた。その割り切りができるところが彼女のやり手ババアたる由縁である。
ヘリオガバルスに比べると、アレクサンデルは特に何かが優れている人物ではない。だが、平凡故にメサの操り人形としてはヘリオガバルスよりも向いている。
いくら大器であっても壊れてしまった器をいつまでも使っていく訳にはいかない。
セウェルス朝の、バッシアヌス家の天下を存続していくならば、もうこの平凡な副帝をメサや母親のママエアが支えていくしかないのだ。
そして、実際にその統治体制は派手さはないものの堅実に機能しだしていた。
アレクサンデルはこの時14歳。ヘリオガバルスのような美少年でもなければ学問や武芸が特別優秀な訳でもない。普通の成長過程の、読書好きで大人しい子どもである。だが、周囲の人間にはその普通さがウケた。祖母や母。そして新しく部下になった大人たちの言うことをよく聞き礼儀正しく接した。ヘリオガバルスの奇行に疲れはてた人々…特に直接それを処理していた役人たちはアレクサンデルとその統治体制を歓迎したのである。
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ヘリオガバルスは実質名誉職に追いやられたと言っていい。
悪戯をしても性的倒錯に走っても無視され、一人宮殿内で悶々とする日々が続いた。
前述の通り、彼には潜在的にローマの文化と誇りを汚したい感情があった。ただ一人、ローマの象徴たる皇帝が淫らで情けない女としての姿を晒すことで性的な満足を得ていたのである。そうすることで、カエサルもアウグストゥスもウェスタもユピテルもローマ法も元老院も、その全てを汚し、貶めることに彼の快楽があった。
副帝アレクサンデルが実質的な皇帝となり、本来の皇帝である自分がどうでもいい存在だと思われてしまっては、どんなに恥ずかしいことをしても悦びは半減してしまう。ヘリオガバルスにとっては、ローマ人が大切にしているものを汚すからこそ価値があった。
そんなヘリオガバルスの下に母ユリア・ソエミアデが訪れた。彼女もまた、副帝アレクサンデルの存在を疎ましく思っていた。
ヘリオガバルスがダメだとなったら、皇帝の首を他の孫にすげ替えればよかったメサとは違い、ソエミアデにとっては息子は一人しかいない。ヘリオガバルスが皇帝でなくても甥っ子が皇帝なら彼女の望み通りの裕福な暮らしは十分できるのだが、権力欲の強いこの女はそれに我慢がならなかった。
「ヘリオガバルス、私、悪戯を思いつきました。一緒にやりませんか?」
ソエミアデの言葉にヘリオガバルスは身を乗り出した。母からこのような提案があるとは思わなかったからだ。久し振りに面白くなるかもしれない。そんな期待をした。
「お母様、それは一体どんな悪戯なのですか?」
ユリア・ソエミアデは冷たく笑った
「私たち二人でアレクサンデルを殺すんです」
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ヘリオガバルスは特に親しい近衛兵に命じてアレクサンデルを捕らえさせ、彼を牢に入れた。
母・ソエミアデからの指示は「殺せ」であったが、ヘリオガバルスにそこまでする気はなかった。ソエミアデの目的は副帝を殺害しヘリオガバルスの権威を脅かす者の存在を抹消することだったが、当の本人はまた、今まで通り人々が自分に注目するようになれば良いくらいにしか考えていなかった。
ヘリオガバルスは甘かった。権力闘争の恐ろしさを知らず捕らえた従弟をすぐ殺さなかったこともそうだが、ローマの文化と伝統を尽く破壊し傷つけた自分に対する人々の憎悪を甘く見ていた。
ヘリオガバルスはアレクサンデルが急にいなくなり人々が騒ぎはじめると頃合いを見計らい、フォロ・ロマーノの演説会場に人を集めて
「アレクサンデルは急な病気で亡くなった」
と公表した。
「ふざけるな!」
「お前が殺したんだろう!」
ヘリオガバルスの耳に聴衆からの心地よいヤジが聞こえてきた。副帝が急にいなくなって病死だなんておかしいし、そもそも誰もアレクサンデルの居場所を掴めないのに対立しているヘリオガバルスだけがそれを知っているのが不可解だ。もし本当にアレクサンデルが死んでいるなら、それがヘリオガバルスの仕業だというのは、誰がどう見ても明らかである。
そして、ヘリオガバルス自身それが分かるように事を運んでいた。
ヘリオガバルスは喜びを感じていた。また、人々が自分に注目している。これでまた楽しい毎日が戻ってくるだろう。
ヘリオガバルスが目を瞑り、その感慨に浸っていると、急に身体がふわっと浮き上がるような感覚に襲われた。
何が起きたのか、と見てみると、目の前には恐ろしい風景が広がっていた。
怒り狂った聴衆が演説会場に雪崩れ込み、ヘリオガバルスの身体に掴みかかってきていた。そして聴衆の中でも体格の良い男数人がヘリオガバルスを取り押さえて身体を持ち上げる
「そのままテヴェレ川まで連れていけ!」
一人がそう叫ぶと、群衆は皆一様に
「そうだ、そうだ!」
と同意した。
テヴェレ川というのは罪人が死体を棄てられる慣習のあった川である。ここまできてヘリオガバルスはやっと事態の深刻さに気づいた。
「違う、違う! これは悪戯なんだ! アレクサンデルが死んだというのは嘘なんだ! 彼は宮殿の牢の中で生きている! だから、離してくれ!」
民衆たちは信じなかった。人は自分に都合の良いことを信じたがる。
ローマを愛する者にとって、国家の伝統を尽く汚してくれたこの変態皇帝は八つ裂きにしたくて堪らない存在であった。やっとヘリオガバルスを殺す口実ができたのだ。
集まった人々にとって追い込まれた皇帝の言葉など聞くに値しない戯言でしかなかった。
ヘリオガバルスがテヴェレ川に運ばれる途中、
「ヘリオガバルスを、息子を返して!」
と必死に叫びながらユリア・ソエミアデが群衆の中に突っ込んできた。
彼女が浮かべる表情は同じ必死でも、子を守ろうとする親の愛情からくる必死さではなく、自分の権力の源泉となっていた物にしがみつこうとする鬼のような必死さであった。
ソエミアデもヘリオガバルスと同じように民衆に捕られた。
二人は衣服を脱がされて辱しめられた後、四方八方から殴られ、切り刻まれて死んだ。そして、ズタズタになった死体はローマの伝統と慣習に従いテヴェレ川に投げ棄てられた。
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ユリア・メサは二人の死の報を聞くと
「そうか…死んだかい。可愛そうに」
と呟いた。
非情なメサではあるが、ヘリオガバルスを殺すつもりはなかった。全ては彼女の野望から出た嘘から始まっている。ヘリオガバルスをああしたのは自分である。メサにもその自覚はあったであろう。しかし、ユリア・メサはその思いを胸の奥にしまい込んだ。
人は自分に都合の良いことを信じ、都合の悪いことは嘘だと思いたがる。
誇り高いローマの伝統を愛する市民たちにとって、ローマの歴史にこのような変態皇帝が存在したことは都合の悪い真実であり、嘘でなくてはならないことだった。そして、その雄々しさと勇敢さを代表する軍団が淫らな女であることを望んだヘリオガバルスをほんの一時でも支持して帝位につけたなど、あってはならないことだった。
ユリア・メサはヘリオガバルスとユリア・ソエミアデの二人をダムナティオ・メモリアエに処することを元老院に提案。そして、それは即日可決された。
ダムナティオ・メモリアエ。
つまりは記憶の破壊処置である。
翌日から二人に関する記録や痕跡がローマ市内から尽く破壊、抹消された。そして、そんな騒ぎが収まると数日後にはその名を口にするものもいなくなり、人々が悪帝のことを思い出すこともなくなった。
皇帝ヘリオガバルス。
まるで、その存在は嘘であったかのようだった。