河原でライスシャワーと駄弁ってから半日が経過した。
いつもより数時間早く起きてしまい、学園内にあるトレーナー室目指して重い足を動かす。
寝起きはそこまで強くない自分だが、一度目が覚めてしまえばあとは問題無いほどに朝は強い。
それよりも問題は昼だ。昼食を取った後のあのうたた寝気分にはどうしても抗うことができない。学生時代も昼休みの後の授業でよく居眠りをして叱られていたのが懐かしい。
既に感謝祭の準備は始まっており、時間帯が時間帯なためまだ人はいないが、校内にそれらしき痕跡はいくつも見受けられる。
この感謝祭は学園外の人も見物しに来る。それにより、一層気合を入れる子もいるのだろうが、大半は楽しみたいという一心で行なっているのだろう。
生徒の中にはレースの日と感謝祭の日が被ってしまい、感謝祭に参加できないと嘆いていた子もいたっけ。
気持ちは分かる。僕も昔、部活の大会と文化祭が被ってしまい、文化祭に参加できなかったことがある。
まあ、あの時参加できたとしても屋上でサボるか図書室で本を読むかの2択なため関係無かった。あれ? 目から塩水が……
感謝祭がもうすぐだということを実感させられながら歩きつつ、割り振られた仕事の量を考えげんなりする。
どういう原理かは分からないが、感謝祭が間近に迫っているのと同時に事務仕事も増えてきた。このまま見て見ぬふりを続けていると、マックイーンの練習にも影響が出てくるかもしれない。
そのため、朝早くに起床してトレーナー室で少しでも仕事を終わらせておこうという算段だ。
鉛のように重い足をえっちらおっちら動かし、ようやくトレーナー室に到着する。
「夢のゲート開いて〜……ん?」
何で鍵が空いてるんだ? あれ、昨日閉め忘れたっけ? この学園に限って空き巣は考えられないし……
怪しげにそろーりと中を覗くと……
「あ」
「あ……おはようございます、トレーナーさん……」
部屋の中にいたのはマックイーンだった。
何故ここに? 何故こんな時間に?
聞きたいことは山ほどあるが、それよりも一番気になるところがある。
「どうして僕の上着着てるの?」
「えっ……えーと……は、春先とはいえ朝はまだ寒くて……ダメでしたか?」
「いや、問題ないけど。ただその上着、トレーナー室に放置してたやつだから洗濯できてないんだ。だから新しいのを……」
「いえ、大丈夫です! これが良いのですわ!」
「お、おう。そんなに気に入ったのか」
それそこまで高いやつじゃないから、質感が良いかって聞かれたらそうでもないんだけど……
だが、マックイーンは意外と庶民的なところもあるし、何より彼女が気に入ったのならそれでいいだろう。
「それで、マックイーンはどうしてここに? 今日は朝練とかもなかったはずだろう?」
「……そうでしたわね。トレーナーさん、先日は見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありませんでしたわ」
そう言ってマックイーンはペコリと腰を折り謝罪をする。
なるほど、彼女も彼女で色々悩んでいたようだ。だったら、ここは彼女を不安にさせないように大人の対応を取るべきだろう。
「いいって、気にしないで。僕の方こそすまなかった。君の気持ちを汲み取ってあげることができなくて」
「そんな、トレーナーさんが謝ることはありませんわ! 今回の件は全て私が……」
「何もかも一人で抱え込もうとするところは、君のよくない癖でもあるよ。それに、君と僕はなんだったかな?」
「……一心同体」
「そう、だから一人で背負おうとするな。君のミスは僕のミスでもある。互いが互いにカバーしあってこその一心同体じゃないかな?」
「……ありがとうございます、トレーナーさん。模擬レースも近いしトレーナーさんの近くにウマ娘が群がるしで私少し焦っていたのかもしれません」
前者はともかく後者は怖いので聞かなかったことにしよう。
「ですがもう迷いはありません。感謝祭の模擬レース、必ずや一着を掴んで参りますわ!」
よし、なんとかマックイーンの調子も戻すことができたようだし、これで及第点だろう。
いやあ、よかった。
このままだと調子を戻せないままもう一人ウマ娘を担当して、僕の命の保証が効かなくなるところだった。
これは半分冗談、半分本気なので、運命の綱渡りをしていたことは僕以外知る由もない。
「まだ始業の時間にはほど遠い時間ですし……なんなら今から朝練でも」
「いや、トレーニングは放課後に回そう。先にやっておきたいことがある」
「やっておきたいこと?」
「ああ、模擬レースの条件。そして対戦相手についてだ」
対戦相手と聞いた瞬間、マックイーンの表情が少し強ばる。
それもそうだ。相手はあの不屈の帝王、トウカイテイオー。
魑魅魍魎が集まるこのトレセン学園においても、彼女は指折りの実力者と言える。
僕ですら知っているようなことをマックイーンが知らないはずがない。
「その表情だと、誰が出走するかはもう知っているみたいだな」
「ええ、なんなら昨日、本人から直接宣戦布告をされましたわ」
「また話が早いこと……」
相手がマックイーンだと知った時、嬉々として宣戦布告をしにいくトウカイテイオーの姿がありありと目に浮かぶ。やれやれという風にマックイーンはトウカイテイオーのことを話すが、実際彼女も対抗心は丸出しだ。
「今回の模擬レース、条件は芝2400m、東京レース場と全く同じコースだね」
「東京レース場の2400というと……ダービーやジャパンカップ、オークスと同じ条件ということになりますわね」
「そうだね。さらにトウカイテイオーはダービーで勝利している。向こうは勝ちのプランを立てやすいというわけだ」
「うっ……私東京の2400にはあまりいい思い出が……」
ああ、そういえばマックイーン、一回目の春の天皇賞の後のジャパンカップ負けてたんだったか。
あれはジャパンカップというより、あの時期の調子が悪かったというわけでレース自体に罪は無いと思うんだが……
「何はともあれ、トウカイテイオーにはダービーの勝利経験がある上に、彼女にとって得意な距離だ。マックイーンも中距離は苦手じゃないが、中距離を主戦場とするトウカイテイオーにどこまでペースを乱されずに走るかが鍵になるな」
マックイーンの本質はステイヤー。
3000mを超えてからが本領発揮と言っても過言ではない。
200mしか差が無いと思うかもしれないが、3000mの菊花賞と3200mの春の天皇賞はまるで別物だ。
トウカイテイオーは菊花賞を走っていないが、彼女の春の天皇賞での着順を見れば、3200のレースが如何に魔境かよく分かる。
「ということは、作戦の変更とかはないのですか?」
「無いね。復帰早々に今までとは別の走りをしろって言われても少し難しいと思う。それに、感謝祭までもう時間もないしね」
作戦を変更してもマックイーンなら遂行しかねない気もするが、今は彼女の思うよりに走らせたらいいだろう。
トレーナーとしてどうなんだと言われるかもしれないが、怪我明けの彼女にどうしてあげればいいのか手探りの状態だ。
それに、トレーナーだからこそ今後のレースも見据えての指示をしなければならない。
「とにかく、重く考えすぎる必要は無い。このレースで勝ちたいっていう君の意思は尊重するし君に勝って欲しいとは思うけど、今はレースの感覚を取り戻す方が先決だ」
「分かりました。トレーナーさんの言う通り、このレースで感覚を取り戻し、ついでにテイオーにも勝ってみせますわ」
「ついでにて……」
やはり対抗心を抑えることは難しいらしい。
うーむ、まずいな。彼女の意識はトウカイテイオーにしか向いていないのかもしれない。
誰かを意識してレースに臨むというのは悪いことではないが、意識しすぎるというのも問題なんだが……
「トレーナーさん、貴方少し勘違いをしていませんこと?」
「え?」
何を考えているのかを察したのか、彼女は呆れ顔で僕に指摘する。
「レースにおいて、何を優先すべきか、何を照準に定めるべきか。私がそれを理解できていないとお思いで?」
……そうだった。このウマ娘の名前はメジロマックイーン。
かつて最強と呼ばれた彼女が、こんな当たり前のことを理解してないはずがない。
最近の言動が少々頭が悪かっただけで、本来の彼女は冷静沈着、心平気和な存在だ。
「マックイーン、僕から言えるのはただ一つ」
マックイーンは真剣な眼差しで僕を見つめる。
「一緒に勝とうな」
「っ、はい!」
この日、改めて彼女と共にメジロの使命を共に背負うということと、仕事が全く終わってないということを認識させられた。
***
「っく、さっむぅ〜。くっそ、さすがのゴルシちゃんでもこんな時期にテンガン山の頂上でアイスバケツチャレンジやるのは無謀だったか……ん? あそこにいるのは……マックイーン? ちょうどいいや。おーい、マックイーン! ちょっとその上着貸してくれねえか? ゴルシちゃん凍えて風邪引きそうでよー」
「……せん」
「え、なんて?」
「あげません!」
「お、おう……行っちまった。何だったんだあいつ」