名家のウマ娘   作:くうきよめない

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名家のウマ娘

 

 

 

 メジロマックイーンと再契約をし、彼女がトレーナー室を去った後のこと。

 

「……つっっっかれたぁ…………」

 

 だらしなくソファにもたれかかり、心と体のリラックスを図る。主に精神面での疲れが溜まりに溜まって爆発しそうだ。もう今日は仕事したくないな。

 そうだ、明日に回してしまおう。うん、明日は明日の風が吹く。明日から本気出すし、頑張るのは明日の俺……って、昨日も同じこと言ってたか。

 

 嫌な気持ちになりながら、メジロマックイーンに見せた資料を片付けるためにそれらに手を掛け……

 

 

『俺と一緒に走ってくれますか?』

 

 

「……ああああああああ! ちょっとカッコつけすぎたかなあぁぁぁぁぁ!!」

 

 つい先程のことを思い出し、ソファの上でゴロゴロと頭を抱える。死にたい、早く殺してくれ。生き恥を晒した俺に救いは無い。

 

 メジロマックイーンと仲直り(?)できたのは良かったが、黒歴史を一つ生産してしまったことはいただけない。

 

「あああ、もう一度記憶喪失になんねぇかなぁ。いや、いっそ記憶消去手術でも……あだっ!?」

 

 そこまで広くないソファを転がり回っていた故、バランスを崩して無様にもそこから落ちて頭を強打してしまった。

 身体が頑丈と言われたが、それでも痛いもんは痛い。短期間でこんなに頭を打ったらバカになってしまう。なんなら、実際一回は記憶が飛んでるしな。

 

 ああもう、今の衝撃でゴミ箱が倒れたじゃないか。片付け面倒……ん? 

 

「なんだこれ、夏祭り……? こんなプリント捨てた記憶が……づっ!?」

 

 強打した衝撃の痛みとはまた別の痛みを覚える。

 もしかして俺って偏頭痛持ちか? 痛み自体はじわじわ引いてくるからまだいいけど、急に痛みが走り出すのは本当に心臓に悪いからやめてほしい。

 

「いっ……たぁ……。さっきからこの頭痛なんなんだ……よ……」

 

 しかし、この感覚は一体なんなんだ……? 痛みと同時に不意に俺の知らない光景がフラッシュバックしてしまい混乱する。

 

 先程メジロマックイーンと話していた時もそうだったが、これはもしかしたら……

 

「なにやってんすか、せんぱい」

 

 ぼーっとしていると、俺しかいないはずのトレーナー室で自分以外の誰かの声がしたので思わずその方向に振り返った。

 

「……は? なんで……」

 

「そこまで驚かなくても……あ、大丈夫ですよ。わたし窓から入ったんで」

 

「い、いや、そうじゃなくて……待て、今なんて言った? 窓から?」

 

 そこにいたのは、トレードマークの帽子を被っている、一色星羅という俺の後輩。

 兎にも角にも俺の世話を焼きたがる後輩で、生意気だが何かと世話になっている相手だ。

 

「まあわたしのことはどうでも良くてですね。せんぱい、今日ちょっと飲み行きません?」

 

「随分唐突だな。何かいいことでもあったのか?」

 

「……もう、わたしが押せるタイミングはここしか無さそうなので」

 

「……? どういうこと?」

 

「こっちの話です」

 

 ふむ、よく分からん。俺が考えるだけ無駄なのかもしれない。

 

「一色さんからの誘いは嬉しいけど、生憎仕事が残ってるんだ。昨日後回しにした分もやらないといけないから、どうも今日は行けそうにも──」

 

「え〜、いいじゃないですか〜。別にやんなくったって、せんぱい記憶喪失なんだし許されますよ〜」

 

「……お前よく社会人やってるな」

 

「いやいやいや、20超えても学校にいる大人なんて所詮はまだ学生気分でありたいお子ちゃまですからね〜」

 

「謝れ! 今すぐ全国で苦労している先生方に謝れ!」

 

 この人本当になんで刺されないのかな。というか、俺達も一応トレセン学園という学校にいる大人だけどもしかして自虐か? 

 

「そ・れ・で、行くんですか? 行かないんですか?」

 

「いや、だから仕事が……」

 

「今一緒に来てくれたらわたしが半分手伝ってあげますよ? それをするのは明日になりそうですけど」

 

「深酒する気満々じゃん……。はぁ、分かったよ。俺としてもそれはありがたい申し出だし、奢るくらいはしよう」

 

「ほんとですか!? やりぃ! 今月金欠だったんで助かります!」

 

 それが狙いか。ジト目で一色さんを見るも、喜ぶ彼女には僕の姿は見えてないらしい。

 

「それじゃ、善は急げです! せんぱいの車……はお酒飲むからダメか。タクシーは高いし……あっ、でもせんぱいお酒飲めないか!」

 

「そうなの? まあ、自分のアルコール事情はよく分からんが、なんとなくあまり得意そうじゃなかったから意外でもないが」

 

「……」

 

「どうした?」

 

「あ、いえ……ね、だから車出してくださいよ、せんぱい」

 

「悪い、運転の仕方も忘れていてな。だから近場で済まそう。その方がトレーナー寮も近いしさ」

 

「…………ふーん」

 

 これまでとは違う、何か冷たい目をする一色。それも束の間、彼女はすぐに普段の様相を取り戻し、明るい笑顔を見せる。

 

 

 その笑顔にまたしても軽い頭痛を覚えたが、

 

 

「じゃ、せんぱいのご希望に添えましょうか! ……せんぱい?」

 

 

 俺はなるべく平常心を取り繕った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ええと、軟骨の唐揚げとポテトと鰤の照り焼き、それとシーザーサラダと焼き鳥にしめ鯖ください。あっ、あとカリカリパスタも注文しちゃいましょう。とりあえず生中で……せんぱいは飲み物どうします?」

 

「コーラで」

 

「うっわお子様……」

 

「ふん、いいか? この世で一番美味い飲み物はな、コーラなんだよ」

 

「それは……分かります」

 

 分かるのかよ。てか、サラッと聞き流してたけどめっちゃ注文するじゃん。やっぱり割り勘にしようかな。

 

 あの後、俺達はそこそこ近場の居酒屋へとやってきた。どうやらここは一色さんの行きつけの場所のようで、よく昔の友達と来ているらしい。つまりはここのお得意様というわけだ。

 

 そんなお得意様は、ニヤニヤとした顔つきで俺の方を見てくる。

 

「でー? マックちゃんとはちゃんと話せたんですか?」

 

「なんだよ薮からスティックに」

 

「いいじゃないですか、ご飯来るまでの暇つぶしですよ。あっ、生中わたしでーす。はいせんぱい、かんぱ〜い!」

 

「……乾杯」

 

 嬉々として飲み物を受け取る一色さん。正直、彼女が何を考えているのかよく分からない。

 でも、別にしらを切る必要がないのもまた事実。むしろ、ここで濁すような発言をする方がまずいだろう。

 

「メジロマックイーンとは腹割って話せたよ。おそらくだけど、明日からトレーニングにも来てくれるはずだ」

 

「知ってます。見てたんで」

 

「そうか……は? 見てた?」

 

 一色さんは一つ咳払いをして、

 

 

「『俺と一緒に走ってくれますか?』」

 

 

 全く似ていない俺の真似を……

 

「こっ、殺してくれ……早く……」

 

「あっははははっ! やっぱり面白いですねぇせんぱいは! 益々諦められなくなりましたよ」

 

「て言うか、見てたのかよ……」

 

「ええ、窓の外からせんぱいがソファから転げ落ちるところもばっちり見てました」

 

「何、忍者なん? てか俺の弱み握るのやめて?」

 

 彼女はけらけら笑いながら生ビールをおかわりする。豪快な飲みっぷりからするに、どうやら彼女は酒豪のようだ。

 

 というか、俺は一体これからどんな要求をされてしまうのだろう。なるべく痛く無いのがいいなぁ……。

 

「な、なんか失礼なこと考えられてるような気がしますが……まあいいでしょう。本題はここからですよ」

 

「もう俺としてはお腹いっぱいなんですけど」

 

「まだ一品も来てませんよ。……単刀直入に聞きます」

 

 どうせ大したことではないだろうとたかを括り、俺もコーラへと口をつけ……

 

「記憶、戻ってるんでしょう?」

 

「…………何を根拠にそんなことを」

 

「女の勘です。と言っても、前回会った時よりだいぶ口調が変わってたりしてましたから、変化に気づくのは簡単でしたよ」

 

「そうか……」

 

 基本的に俺は彼女に敬語で話していたのだが、いつのまにか……というか、今日気がついたら普通に話していた。まるで、気の合う友達を相手にするかのように。

 

 一色さんが言うことについて、否定はしない。でも、肯定することもできない。

 

 変化があったのはついさっき。思い出したことは三つ……正確には、二つと一つに分けられる。

 

 一つ目は、メジロマックイーンと話している最中、自分の知らない記憶がフラッシュバックした。メジロマックイーンが涙と鼻水で俺のシャツを汚して大泣きしている。

 

 二つ目は、夏祭りのプリントを見た時、夏祭りを楽しむサトノダイヤモンドの姿が見えた。俺が射的をし、後ろで彼女が見ている。

 

 理想的な光景だ。前者の状況はよく分からないけれど、どちらの光景も彼女達に頼られているというのはよく分かる。

 

 あれはおそらく、俺が記憶を失くす前のもの。どうしてそう決めつけることができたのかは分からない。

 それこそ、一色さんではないが勘というやつだ。俺は生物学上男という部類に入るのだけど。

 

 だが、

 

「全部を思い出せたわけじゃない。むしろ分からないことの方が多いし、これを思い出したからなんだという話になってくる」

 

「……そですか。あはは、ちょっと的外れなこと言っちゃいましたね。わたしってば肝心なところでよく空回りしちゃうんだから」

 

「……やっぱり似てるな」

 

「……? 似てる?」

 

「ああ、君によく似た子のことを思い出した。いつも元気だったけど、たまにすごく暗い顔を見せる女の子。朧気だけど、あの子は記憶を失くす前の俺にとって重要な子だったような気がするんだ」

 

 正直、この記憶に関してはメジロマックイーンやサトノダイヤモンドとのほどはっきりと思い出せない。でも、俺にとっては大事な記憶だということだけは分かる。

 

「……その子、どんな子でした?」

 

「そうだな……亜麻色の髪をしてて、生意気で、声が大きくて……ウマ娘、だったな」

 

「……はぁ、このバカ。もっと覚えとくべきことあったでしょうに」

 

「なんか言ったか?」

 

「いいえ、何も。本当にせんぱいは鈍感だなと思っただけです」

 

「うっ、それサトノダイヤモンドにも言われたんだが俺ってそこまで鈍感……?」

 

「そういうとこですよ」

 

 そういうとこ……どういうとこ? いかん、全然分からん。

 

 名前も性格も良く覚えてない。なのに、朧気な記憶とはいえ、その子に運命を狂わされた。

 そのウマ娘は俺にとっての原点。それだけはしっかりと覚えてる。

 

 それにしても、一色さんと思い出したウマ娘の子はよく似ている。もしかして同一人物だったりして。

 

「……そういえば、一色さんていつも帽子被ってるけどなんでなん?」

 

「これはわたしのトレードマークです。マ○オが帽子外したら違和感あるでしょう? それと一緒ですよ」

 

「記憶喪失者に優しい例えを出せよ……」

 

 そんな彼女の言葉には、やんわりとそのことについて聞くなとのメッセージが込められている。

 なんだろう、もしかして毛髪にでもコンプレックスがあるのだろうか……あっ、

 

「もしかして禿げ──」

 

「てません!! 女の子にそういうこと言うってほんっとデリカシーないですね!? てか、このくだり前もやりましたよ!? やっぱアンタあんま変わってないですねぇ!?」

 

「ははっ、冗談だ。そこまで頑なに帽子を取ろうとしないってことは、それなりの理由があるんだろう。無理強いしない」

 

 誰にだって秘密の一つや二つは持っている。どんなに親しい相手……例えそれが親友や恋人であっても、言いたくないことだってあるはずだ。

 その相手がただの職場の先輩だったら尚更詳らかに話そうとはしないだろう。

 

 すると、一色さんは何か思い詰めた表情をした後、残りのハイボールを一気に飲み干す。

 特に気にしていなかったが、会話の合間にも飲んでいたしこれで一体何杯目なのだろうか。

 

「ぷはっ…………せんぱいは」

 

「ん?」

 

「せんぱいは、好きな人とかいます?」

 

「いや、記憶無いのに好きも何もないって。俺が知ってる女の人なんて、お前とたづなさんと理事長くらいしかいないし」

 

「まあそうですよねぇ……」

 

 何を聞かれるのか思えば、彼女の口から出てきたのはまさかの恋バナ。前の自分がどうだったかは知らないけど、少なくとも今の自分にそういった経験ができるとは思えない。

 

 本気で人を好きになったことがないというのは、生きる上で強みにもなるし致命的な弱点にもなりうる。

 それは真っ当に生きてきた人の話で、記憶の無い今の俺にとっては当てはまらないし退屈な話題──

 

 

「わたしはせんぱいが好きです」

 

 

「……揶揄ってるのか?」

 

「いえ、本気です」

 

「じゃあ飲み過ぎだ。アルコールは判断能力を鈍らせる。酒と雰囲気に酔った勢い起こす行動は身を滅ぼす……っ!?」

 

 瞬間、一色さんは対面に座る俺に身を乗り出して限りなく近いところまで顔を近づける。

 店内とはいえ、人が多いためか俺達の行動はあまり目立っていない。

 

 言い方は陳腐になるが、彼女はとても顔が良い。流石の俺でも至近距離でその整った顔立ちを前にして怯んでしまう。

 

 でも、すぐに違和感に気づいた。

 

「お前……そんなに飲んでるのになんで……」

 

 飲み過ぎだと決めつけたはずの彼女の顔色は、平時のそれとなんら変わりない。

 

 彼女がとてつもない酒豪と言われたら納得がいく。だがもう一つ。

 

 彼女からは酒特有の匂いがしない。

 

「飲み過ぎだなんて、酔えるわけないじゃないですか。アルコールなんて、体内ですぐ分解されちゃうんですから……」

 

 泣きそうなくらいの震え声の中に隠された言葉の内容は、俺にとてつもない衝撃を与える。

 

 アルコールが体内ですぐに分解される? ありえない、普通の人間じゃそんなことはできないはずだ。

 詳しいメカニズムは知らないが、普通は酒気が抜けるのに約五時間ほど要する。でなかったら世の中飲酒運転で捕まる人なんていない。

 

 しかし、俺は知っている。世の中には、毒に対して非常に優れた免疫力を持つ生物がいることを。

 そして、人型かつ人間ではないとするならば……

 

「ウマ……娘……お前、まさか……!」

 

「せんぱい、もう一度言います。わたしはせんぱいのことが好きです。付き合ってください」

 

 なぜ気が付かなかった、なぜ疑わなかった。

 

 そもそも俺のトレーナー室は人間が窓から入れるような階層ではない。本来そこで言及できたはず。なのに俺はそれを怠った。

 

 そして、俺が思い出したウマ娘の子は一色さんとそっくり……いや、同一人物だ。彼女の口ぶりからするに、記憶のある時の俺もそれを知らない様子。だとしたら、彼女は出会ってからずっとそれを隠し通してきたことになる。

 

「ねえ、いいじゃないですか。生意気で声が大きくてウマ娘な後輩の可愛い我儘に付き合わされて将来を共にする。悪くなくないですか?」

 

 一瞬、自分の心が揺れたのを感じた。

 

 俺は目の前の彼女にかなり心を開いている。そんな彼女が、俺のことを好きといってくれているのだ。

 年齢もさほど変わらず、学校に一人はいる高嶺の花のような容姿をした彼女の提案は、とても魅力的なように思えた。

 

 気の合う後輩、可憐な容姿。その二つの要素だけで、断る理由が見当たらない。

 

 

 俺は、差し伸べられた彼女の手を取──

 

 

「いっ!? づぁ……」

 

「せ、せんぱい!? 大丈夫ですか!?」

 

 またしても起こる頭痛によって、それらしい雰囲気は壊される。

 頭が痛い、気分が悪い。酒を飲んでないのに吐き気すら感じてしまい、つい口元を抑えてしまう。

 

 なんなんだなんなんだこの感覚。

 

 思えばさっきもそうだ。頭痛のトリガーとなったのは、メジロマックイーンと話していた時と夏祭りのプリントを見た時。

 あれらのおかげで、なんとなくだが昔のことを思い出すことができた。

 

 でも、これは何かが違う。一色さんの手を取ろうとした瞬間、それを阻止しようとする何かが心の内で働いた。

 

 まるで、自分の中に俺じゃない誰かがいるような気がして………………ああ、そうか。

 

「……そういうこと」

 

「え……せんぱい急にどうし──」

 

「なんでもない。それより一色さん、さっきの告白に答えるよ」

 

 本来ならば、自分という存在への告白に俺が答えるのは筋違いもいいところだ。

 でも、一色さんは、俺が記憶喪失なのを分かって気持ちを伝えてくれた。それはとても嬉しいことだ。

 

 だとしても、今の俺は偽物以外の何者でもない。

 

 

「俺はその気持ちに応えられない。ここでお前の手を取ったら、俺は自分自身が許せない」

 

 

 ほんの昨日までは以前の自分なんてどうでもいいと思っていた。

 だが、サトノダイヤモンドと時間を共にして、メジロマックイーンと話をして、俺は彼女達のために、なにより、彼女達のことをもっと知るために、早く記憶を取り戻したいと思った。

 

 それに、俺の中にいる知らない誰かがこう言っているんだ。

 

『僕には好きな人がいる』、と。

 

「は……そう、ですか。そうですよね、うん、知ってた」

 

「……すまない」

 

「謝らないでください。正直、玉砕覚悟で挑んだ博打だったんですから。これは、抜け駆けをした自分への罰です」

 

「……」

 

 何も言えなかった。声をかけたとして、なんて言えばいい。俺の言葉はきっと、今の彼女にとって己の惨めさを加速させる毒にしかならない。

 だから、黙って次の言葉を待つしかできない。仕方ないだろう、記憶がないのだから、こんな時何が正解かなんて分からないのだから。

 

「……あーあ、なんだか酔いが回りすぎちゃったな」

 

「いや、お前はウマ娘だから酔えないんじゃ……」

 

「酔ってますよ。酔いすぎちゃいました」

 

 それがアルコールにではないことは分かる。だとしたら、この場の雰囲気に、か。

 

「少し夜風に当たってきます。せんぱいは先に料理食べててください」

 

「……おう、気をつけてな」

 

 多分、彼女はこのまま戻ってこない。直前にフラれた相手と食事する奴なんて、よほど頭のおかしい奴かメンタルお化けなくらいなものだろう。

 

「ああ、それとこれだけは言わなくちゃ。ねぇ、せんぱい」

 

 一色さんは涙を絶対に見せないよう振り返らないまま、震えるような声音で、

 

 

「今日は、月が綺麗ですね」

 

 

 そう、伝えたのだった。

 

 もし、この言葉に特別な意図があるのだとしたら、俺は彼女の未練を完全に断ち切らなければならない。

 

 それしか、俺にできることはないのだから。

 

 

「俺は太陽の方が好きだな」

 

「ふふっ。せんぱい、じゃあね」

 

 

 そう言って一色さんは店を出る。その後ろ姿から哀愁は感じない……いや、感じさせないものだった。

 

 もし、あの時無理にでも彼女の手を取っていたのなら、俺の記憶は二度と戻ることはなかった。そんな気がする。

 手を取らないという選択肢を取ってまで俺は俺じゃない誰かの意志を尊重した。だったら、それに見合う行動をしなければならない。

 

 とはいえ……

 

「自分から記憶取り戻そうだなんて、一体どうすれば……」

 

 いくら思い出そうと思ったところで、それで思い出すことができたら苦労はない。

 さっきみたいに何かきっかけがあれば思い出せるのだろうが、そんな都合よく俺の脳を刺激するようなイベントがあるはずもなく……

 

「……ん? ロイン来てたのか、気が付かなかったな」

 

 

 スマホを見ると、メジロマックイーン、及びサトノダイヤモンドの二人からメッセージが届いていた。

 二人からの内容はほぼ同じで……

 

 

「お客様、ご注文の……」

 

「これだあああぁぁぁぁぁぁ!」

 

「お客様ああああぁぁぁぁ!?」

 

 俺は、店内で今日一目立つ行動を取ってしまった。

 

 

 

 ***

 

 

 

『はいはい、お互い十年経っても独身だったらなー』

 

 

 十年なんて待ってられない。それがわたしの本音だ。

 

 

 夜風に当たり、溢れてしまいそうな涙を流さないよう、上を向いて歩みを進める。

 

 せんぱいは、わたしのことを覚えていてくれた。

 

 正しくは、一色星羅としてのわたしではなく、イツセイとしてのアタシ。

 だとしても、そんなことはどうでも良かった。せんぱいの中に、ちゃんとわたしが存在している。それが分かっただけで、どれだけ気持ちが昂ったことか。

 

 これまで、わたしはせんぱいにウマ娘だということを隠してきた。

 マックちゃんには、ウマ娘と知られたらせんぱいに同じ目で見てくれなくなると言ったけど、わたしの本心はそうじゃない。

 

 わたしは、イツセイとしての自分ではなく、わたし自身の魅力で勝負がしたかった。過去の自分に頼らない、今ある自分で憧れのせんぱいの隣に立ちたかった。

 イツセイだと打ち明けるのは最後の最後、もしくは切り札だと、そう決めていた。

 

 なのに、それを持ってしても届かなかったのだ。わたしは、久しぶりにレースに負けた。

 物語では、恋愛というレースに負けたヒロインがその後もアタックを仕掛けてくるという展開をちらほら見かける。でも、わたしにそこまでの図々しさはない。

 レースの後にどれだけ足掻いても、ゴール板を一番最初に通過した者だけが勝者だという事実は変わらない。

 

 こんなことなら、最初からウマ娘ということを打ち明けておけばよかった。まさかあんな強力なライバルが出現するとは。

 

 でも、伝えられてよかった。トレーナーには何も言えなかったんだもん。

 相手は違えど、伝えなきゃいけないことを伝えることができたので、わたしにとって悔いはない。

 

 

 でも、一つだけ心残りがあるとすれば……

 

 

「……居酒屋で告白はちょっと無かったかなぁ」

 

 

 

 〈一色星羅の後悔〉

 

 

 

 ***

 

 

 

 俺は、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドが走る姿を見たことがない。

 正確には彼女達が"本気で"走る姿をこの目で見たことがないと言った方が正しいか。

 

 先日、タイマンでレースをする二人を見たが、サトノダイヤモンドはともかくメジロマックイーンからは何も感じることができなかった。

 でも、そんな彼女も立ち直り、きっと今では全力で争う二人の姿を見ることができる。

 

 それが、俺の記憶を取り戻すための最後のピースに違いない。

 

「トレーナーさん」

 

「おう、メジロマックイーン。調子はどうだ?」

 

「万全の状態ですわ。この服を着て走るのも、なんだか随分と久しぶりな気がしますわね」

 

 今の彼女は、黒を基調とした勝負服を身に纏っている。

 元来、勝負服はGⅠレースを走る時にしか身につけないものなのだが、彼女にとって今日のレースはそれに匹敵するようだ。

 

 今日は、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドが一騎打ちでレースをする日。先日ボロ負けした彼女にとってはリベンジマッチとなる。

 

「それにしても、勝負服まで着るのは気合い入りすぎじゃないか? 着飾ったところで観戦する人なんて俺以外いないんだし」

 

「何事も形から入るのは大切だと思いますよ、トレーナーさん?」

 

 そしてもう一人、緑の勝負服を見に纏った少女が、俺とマックイーンの間に割って入ってきた。

 

「っと、サトノダイヤモンドか」

 

「ええ、あなたのダイヤです」

 

「いつから君は俺のものになったんだよ」

 

「……今のもう一回言ってくださいませんか? もう少し感情を込めて、『お前は俺のものだ』、と」

 

「嫌だけど!? あっ、違う! 君のことが嫌ってわけじゃなくて、そんな浮わついた発言俺にはできなくて……だからそんな泣きそうな顔するのはやめろ!」

 

 即座に否定してしまい見るからに落ち込んでしまうサトノダイヤモンド。

 かと思いきや、フォローを入れた瞬間舌を出し悪い笑みでこちらを見てきた。こいつ……どうしてくれようか。

 

「はいはい、おふざけはここまでにして、早く話を進めませんこと?」

 

「そうですね。トレーナーさん、余計な話はめっ、ですよ?」

 

「えっ、これ俺が悪いん?」

 

 どう考えても話を脱線させたのはサトノダイヤモンドだと思うんだが。

 

「……今日は、トレーナーさんにお願いがあってきました」

 

「俺に?」

 

「はい。他でもない、私達のトレーナーである貴方に」

 

 先程まで緩い雰囲気だったが、メジロマックイーンの凛とした声で空気が一変してしまう。

 

「本来、私達は去年の感謝祭でレースをするはずでした。そして、勝った方には貴方からご褒美を頂けるとの条件付き」

 

「はずでした、ってことはつまり……」

 

「そう、少々……いえ、かなり言葉にしづらいトラブルがありまして……」

 

 なんらかの理由があってそれが行われなかったと。なるほど、言葉にしづらいというのは引っかかるが、合点がいった。

 ところで、さっきからサトノダイヤモンドがメジロマックイーンのことをジト目で睨んでいるのは何故だろう。

 

「と、とにかく! 私達のお願いは、今日のレースでの勝者にご褒美を頂けたらというものです!」

 

「トレーナーさん、これは私とマックイーンさんの二人で決めたことなんです。あなたさえよろしければ、認めていただけると幸いです」

 

 ご褒美、と言われても俺はどうすればいいか分からない。でもまあ、各々具体的な希望があるのだろう。

 彼女達もやる気みたいだし、もので釣るようなのはいただけないけど、そうしてあげるのもやぶさかではない。

 それに、勝ったのに何もないってのも少し寂しいしな。

 

「分かったよ。その条件、飲もうじゃないか。ただし」

 

「ただし?」

 

「それが適応されるのは勝者一名にだけだ。負けたけど頑張ったからなんてぬるいこと、俺はしないぜ?」

 

 俺の一言に、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドは顔を見合わせ──

 

 

「もちろんです!」「上等ですわ!」

 

 

 自信満々にそう宣言する。

 

 いい目だ。この子達は、自分が負けるだなんて微塵も思っていない。

 

「それでは行ってまいります。私が勝つ姿、とくとご覧になってくださいまし」

 

「勝つのはわたしですからね! ダイヤの輝き、見ててください!」

 

「あっ、ちょっと待って!」

 

「「……?」」

 

 俺は今にもターフに行ってしまいそうな二人を呼び止める。そして、両手の親指と人差し指で長方形を作り、彼女達を画角に収め──

 

「……うん、よく似合ってる。本当にお嬢様なんだな、君達」

 

「……バカ、一言余計ですわよ」

 

「……乙女心、やっぱり学べてませんね」

 

 うるせぇよ、ほっとけ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ダイヤさんはトレーナーさんに何をお願いするんですの?」

 

「私は『一生面倒見てもらう』という約束、あれを本当の意味で"一生"にしてもらおうかと。マックイーンさんはどうするんです?」

 

「そうですわね……。ダイヤさんがトレセン学園に来る前に保留にしてもらった、なんでもしていただけるという約束を叶えてもらいましょうかね」

 

「なっ!? ず、ずるいです! 私の知らないところでそんな約束してたなんて!」

 

「それはこっちのセリフですわよ! 敢えて今まで深く触れてませんでしたが、なんなんですのその『一生面倒見てもらう』とかいう羨ましい約束は!? そっちの方がずるいと思いますけど!?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 メジロ家、そしてサトノ家。世間一般的に、それら二つの家系は間違いなく名家であろう。

 

 では、その名家の定義とは何か。強いウマ娘を多数輩出することか、それともレースや事業に多大な寄付や貢献をすることか、はたまた親や祖父母が優秀な成績を残していることか。

 答えは人それぞれ、そして何通りもの正解がある。

 

 とはいえ、そんなありふれた言葉でお茶を濁すというのは皆も腑に落ちないはず……だから、ここで自分の考えをはっきりさせておこうと思う。

 

 

 この世は、勝ったやつが正義だ。勝ったやつが後の名家だ。

 

 

 レースにおいて、十数名の中で勝者はただの一人だけ。

 勝てるやつは、己の勝利のみを求め、誰かの負けによる不利益など一切考えず、全速力でターフを駆け抜けることのできる非情なエゴイストしかいない。

 誰かが夢を叶えるということは、誰かの夢が潰えるということ。

 

 徹底的に己を磨き上げ、運命すらも手繰り寄せてしまう。それが、ターフの上で主人公になるための絶対的条件。

 そのくらい厳しい勝負の世界で、今日も彼女達は己が一着にならんと走り続ける。

 

 名優も、宝石も、どちらも名家を名乗るのに相応しい戦績を上げてきた。それでも尚彼女達の脚が止まることはない。

 

 だったら、最後まで見届ける義務があるはずだ。

 

 だって俺は……いや、僕はどこまで行っても君達のファンなのだから。

 

 

 ああ、人一倍頑張っていて、成長する女の子ってのはぁ、

 

 

「さいっっこうじゃんか……」

 

 

 眼前に広がるは緑の芝生、そしてその上に立つ二人の少女。

 

 

 ゲートもない。実況もない。実際のレースとは程遠い。

 

 

 でも、それが逆にワクワクする。こんなにも心躍るのはいつぶりだろうか。

 

 

 一人の少女が弾いたコインは、空を舞って放物線を描く。

 

 

 それが地に落ちた瞬間、彼女達は地を蹴り駆け出し──

 

 

 





もう一話だけ続くんじゃ
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