時刻は20時を過ぎており、トレーニングを続けているウマ娘はほとんどいない。
そんなグラウンドへと足を運びあたりを見回してみると、人気の少ない中でもやはりその中に目当てのウマ娘はいた。
うん、初めて走りを見た時よりだいぶ安定している。少なくとも健康面への影響はほとんど無さそうだ。
メジロマックイーンとの奇妙な関係が始まって一ヶ月近くが経った。
最初のうちは気が重く、レシピを渡す時になったらビクビクしていたが、いつのまにか自然体で過ごすことができていた。
基本は料理のレシピを渡すだけなのだが、たまに食堂のキッチンを借りて料理をすると、彼女は美味しそうに食べてくれる。それだけでだいぶ緊張も解れるというものだ。
加えて、増量してしまったという報告もないので、計画は概ね上手くいっているのだろう。
それこそ、夜中につまみ食いとかしない限りは問題ないはずだ。
「……案外やっていけそうかも」
実際、この調子だと何も問題はない。むしろここまで上手く行きすぎていると、のちにしっぺ返しが来るのではと怖くなる。
「はぁ〜い、トレーナー君」
「ん……やあマルゼン、久しぶり」
メジロマックイーンの走りを眺めていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。その方向に視線を向けると、そこにはリギルのメンバーであるマルゼンスキーがいた。
「もう、水臭いじゃない。君がトレーナーとしてフリーになってからというものの、一度も顔を見せないなんてあんまりよ?」
「別に僕がいなくたって、リギルは東条トレーナーだけで十分だろ。それに、フリーの新人トレーナーとしてやっていこうとしても担当の子が中々決まらなくて余裕無いんだよ」
「まだ決まってなかったの? 君ならすぐにでも決めてもう優秀な子を育ててると思ったわ」
「あまりにも買い被りすぎだろ……リギルのサブトレーナー時代に僕がなんて言われてたか知ってるか? 『チーム〈リギル〉の金魚の糞』だぜ? 名前は覚えてないけど、同期の奴が陰でボロクソに言ってたからな」
陰でボロクソ言っているのを言われている本人が知ってるというのもどうなのかという話だが、強く否定もできないためあの時は黙ることしかできなかった。今でも別にどうこう言うつもりもない。
「そうだったわね。でも大丈夫よ、それを最初に言い出した人はもうこの学園にはいないもの」
「……ん? あ、あの、マルゼン……さん? それってどういう意味でいらっしゃいます……?」
「……ちょっとルドルフと理事長さんにちょちょい、とね?」
「お、お前……そいつの顔見なくなったなと思ったらそんなことを……」
実際、声を大にして誰かのことを悪く言うような人はトレーナーとして不適格だ。大方、地方に飛ばされでもしたのだろうが少し不憫だ。
「それで、本当に誰にも決まってないの? お目付けた子くらいはいるんじゃない?」
「いないよ。まず、いたとしてもどう声をかけていいのか分からない。何故なら僕はコミュ障だからな」
「そんな堂々と言われても困るわよ……というかついに言い切ったわね……」
「でも、実際担当決めるのって思ったより難しいな。思えば僕が学生だったあの時も、完全に成り行きでトレーナーになったわけだし、リギルのサブトレーナーになったのもほぼコネみたいなもんだし」
例え試験でいい点を取っても、それが実践に活かせなければ何の意味もない。その点に於いて、僕は他の人より大きく遅れを取っている。
「……やっぱりトレーナー向いてないのかなぁ」
つい、そんな独り言が漏れてしまうくらいには──
「そんなことな……あら? 向こうで走ってる子、なんだかこっちに手を振ってきてない?」
「ん……? ああ、メジロマックイーンか。そういえばあの子に用事があって来てたんだったか」
「用事?」
「実はここ一ヶ月くらいあの子の体重管理を手伝っててさ。主に食方面からなんだけど、担当の子が付いた時の予行演習みたいな感じでいい経験になってるよ。料理の練習にもなるし」
なにより、こうして一トレーナーとしてウマ娘と関わるのは懐かしい感じがして嫌いじゃない。チームを作るのもいいが、担当を持つならやはり少人数の方が向いている
「…………やっぱり向いてるじゃない」
「……? なんか言ったか?」
「担当の子が早く見つかるといいわねって言ったのよ。じゃあね、トレーナー君。困ったらいつでも助けてあげるわ」
「マルゼンも、ドリームトロフィーリーグ頑張ってな」
「そんなのお茶の子さいさいよ♪」
そう言って、マルゼンは僕の来た方向へと走って行った。
あの調子だと、次のレースもきっとスーパーカーの如く快走に違いない。
そんな未来を思い描きつつ、ちょうどメジロマックイーンの走りのキリがいいタイミングを見計らって声をかける。
「やあ、メジロマックイーン。こんな時間までトレーニングとは精が出るね」
「貴方こそ、毎日こうして来ていただいてご足労感謝致しますわ」
「そんな大袈裟な。最初は荷が重いとか考えてたけど、最近だと慣れたもんだよ」
「私がメジロのウマ娘と明かした時はかなり焦ってましたものね」
「気づいてたのか……」
「あれこそ誰でも分かりますわ」
メジロマックイーンとの仲も悪くはない。こうして軽口を言い合えるくらいには気を許して貰えている。
ふと、そこで違和感を覚えた。僕がメジロマックイーンと知り合って、つまりはあの日の選抜レースから約一ヶ月が経っている。
その間、トレーニング中のメジロマックイーンが誰かと一緒にいるところを見たことがない。いつだって彼女は一人で走っている。
「浮かない顔をされてますが、どうかされましたの?」
「いや、少し気になることがあってな」
「き、気になることですの? ……ま、まずいですわ、もしかしてバレて……」
「……?」
気になることがあると口にした途端、メジロマックイーンは何故か急に焦りを見せる。何やら小声でぼそぼそ言っているが上手く聞き取ることはできなかった。
「ほらなに、君と初めて出会った時からだいぶ経つだろ? だけど、君のトレーナーらしき人は見たことがないなと思ってさ」
「あ、ああ、そちらでしたか……。それはそうですわよ。だって私、まだトレーナーが付いてませんもの」
「えっ、マジ?」
「マジですわ」
てことは、結局あの日スカウトしてたトレーナー達は全滅したってことか? あの中には確かまあまあなベテランもいたはずだ。それすらも跳ね除けるとは、彼女も中々の曲者だ。
「それがどうかしましたの?」
「いや、意外だなって思ってさ。トレーナーを付けないのに何か理由でもあるのかい?」
「えっ……!? ええっと、やむにやまれぬ事情があると言いますか……ほ、ほら、私にも選ぶ権利というのはありますし……」
そう言ってメジロマックイーンはこちらをチラチラと見てくる。その目はまるで、察しろよと訴えかけているようだ。
ああ、なるほど。そういうことか。
ぽんと手をたたき、彼女の言う事情を察する。
「名家の出身だもんな。自分でこの人だって決めても、家が了承しない限りはそう簡単にトレーナーが決まらないってわけだ」
「えっ、違っ──」
「実は僕も担当ウマ娘決まってなくてさ。最近たづなさんからの視線が痛いんだよ」
毎朝正門に立つたづなさんに挨拶はするが、その度に謎の圧を感じる。怖い。
「そうではなく……というかそれは存じてるからこそ私は──」
「だとしたら君も僕と同じなのかもね。いや、流石にそれは君に失礼か」
「だから私は──」
「お互い大変だけど、頑張ろ……って痛い!? 何!? なんで殴るの!?」
「もう知りません!」
「えぇ……」
励ましたつもりだったのだが、なぜか彼女の機嫌を損ねてしまった。お前みたいな不真面目なやつと一緒にするなということだろうか。これでも担当決めだけは真面目にやってるつもりなんだが……。
とにかく、まずはメジロマックイーンのご機嫌取りをするのが先だろう。
これでも一ヶ月、彼女のために食方面での減量を手伝ってきた。好みくらいは把握しているつもりだ。
「全く、ここまで察しが悪いと逆に尊敬しますわね」
「フッフッフ……そんなこと言っていいのかな、メジロマックイーンさんや」
「ふん、何を言われても私の心を動かすことはできませんわ」
「今日のメニューはスイーツです」
「ッ……ス、スイーツでご機嫌を取ろうだなんて心外ですわね。そんなことで私が喜ぶはずが──」
「なんとおかわりも可能です」
「さっさと食堂へ行きますわよ! 貴方の料理を食した後、スイーツパーティーですわ!」
へっ、ちょろいぜ。将来が心配になる。この子がスイーツに目がないことは把握済み。このくらいはお手のものだ。
……ところで、気になることが一つ。
「なぁ、メジロマックイーン。さっきバレたとかどうとか言ってたけど、僕に何か隠してるのか?」
「……い、いえ、何にも?」
分かりやすく目が泳いでるな。ちょっと鎌をかけてみるか。
「そういえば、今日作って来たスイーツ、結構な自信作なんだ。小麦粉の代わりにおからパウダーを使ったココアパウンドケーキ、口に合うといいんだが……」
「……ごくり。そ、それは楽しみですわね」
「……こういうのってさ、深夜に食べるとすごく美味しいよね」
「分かります! 分かりますわ! 元々のスイーツの甘美に加え、深夜に食べるというあの背徳感が最高のスパイスとなりやみつきに……あっ」
「おい」
あっ、じゃないが。何してんねん。そして引っかかるのが早すぎる。
「違うんですの」
「何が?」
「これはその……体験談! 体験談ですわ! 過ちを犯したからこそ、それがどんなに愚かなことかを身をもって知っているということですわ!」
「ほーん、それにしてはさっき、随分と必死で走ってたな。まるで、増えた体重分を帳消しにしようかの如く」
「な、なんのこ、ことだかけ、検討もつきませんわ、わね?」
カタコトすぎだろ。嘘があまりにも下手くそすぎないかこの子?
「……しょうがない、ひとまず一旦体重計に乗ってもらって、もし増えてたら今回のスイーツは無しということで──」
「嘘です嘘です! つまみ食いしてしまいました! 私は我慢できず夜中にスイーツを食べる悪いウマ娘ですわ!」
折れるのがあまりにも早い。冗談じゃなく本当に将来が心配になってくる。
「つ、つまみ食いしてしまったとはいえその分のカロリーは消費していますわ! 私の完璧な計算がそう申していますもの!」
「分かった……分かったから離れろ……っ! ええい、紙袋持ってる手にしがみつくんじゃないよ! さっきのは冗談だから……っ!」
「ということは食べてもいいということですの!?」
「見た感じ体重も増えてなさそうだからな。これで増量してたら止めてたけど」
「見た感じ……? ま、まぁいいですわ。このスイーツは後でありがたくいただきますわね」
メジロマックイーンはウキウキでスイーツの入った紙袋を受け取る。
最初は高飛車な雰囲気だった彼女も、こうしてみると年相応の反応をする可愛らしい少女だ。
「ありがとうございます、私の好みに合わせて作ってくださったんですのよね?」
「まあね。これでも栄養バランスは考えて作ってあるし、何よりどうせなら喜んで欲しいからさ」
その言葉を聞いたメジロマックイーンは顔を輝かせるが、何故すぐに笑みを消した。まるで、何かを決意したかのような様子で──
「あの、少々真面目な話をしてもよろしいですか?」
「えっ? いいけど……どうしたの、そんな急に改まって」
「……物は相談なのですが、やはり私と──」
瞬間、そこそこの音量で携帯電話の着信音が鳴り響く。周りには僕とメジロマックイーンしかおらず、ポケットの振動でそれが僕のものからということを理解するのに1秒もかからなかった。
発信者は……うげ……。
「悪いメジロマックイーン、仕事の電話だ。その相談、後ででもいいか?」
「……いえ、やはりなんでもありませんわ。貴方のお仕事の邪魔をするわけにはいけませんもの」
「そっか。それじゃ、ちょっと行ってくるね」
「はい。また明日、ですわね」
メジロマックイーンに軽く手を振り、元の来た道を戻る。その足のまま携帯電話を開き、着信のボタンを押した。
「……もしもし、何か用か? …………今から? はあ、分かった……んで、どこに向かえばいい? …………は、こちらか伺う? お、おう、了解した。じゃあ僕のトレーナー室で」
長くない電話を切り、一つ大きなため息をつく。端的に先の会話を要約すれば、話があるからそちらに顔を出すとのことだ。
そして、電話をかけてきた主はシンボリルドルフ。
彼女はサブトレーナー時代の教え子であり、現生徒会長。全然嫌いではないが、マルゼンと同じくなんだか手玉に取られてる感があってやりづらい相手の一人だ。
どうにかして回避する方法は無いかと脳をフル回転させるも、電話に応じてしまった以上はもう逃げ場はない。
まあでも、大した話じゃないだろう。心配事の九割は実際に起こらないってよく言われてるしな、ガハハ。
……あれ、今フラグ立ったか? 急に嫌な予感が……。
***
「聚散十春、というには随分と短いかな。まさに一念万年と言わんばかりだよ。君とこうしてゆっくり話せるというのはまたとない機会……だからそう警戒するのをやめてくれないか?」
「いや無理無理。このタイミングで話があるって言われたら絶対何かあると思うじゃん。ゆっくり話す機会って言ったけど、どうせ理事長とかたづなさんからの言伝なんだろ?」
「うん、まあそうなのだが」
「おけ、帰れ」
「まあまあ、そう言わず」
ルドルフがトレーナー室に来て早々、彼女に不穏なことを言われたため追い返そうと試みる。だが、人間がウマ娘に勝てるはずもなく、押し通されて不遜にもソファにどっしりと座った。
こいつ、昔から二人になると遠慮がなくなる節があるな。
だが、今日の彼女にはどこか元気が無いようにも見える。こう、なんていうか、覇気が足りないというか。
「ひとまず軽い世間話と行こうじゃないか。それくらいはいいだろう?」
「……分かったよ」
そんな違和感を放り捨て、諦めてルドルフの対面に座り、彼女の話に付き合う。
「最近の調子はどうだい、トレーナー君?」
「君は僕のお父さんか。調子と言っても、特に何もないよ。担当を見つけるのに四苦八苦する毎日さ」
「でも、最近では君に近しいウマ娘がいるそうじゃないか」
「は……いや、誰がそんなことを」
「マルゼンスキーから聞いたぞ。ほぼその子のトレーナーみたいなことをしてるって」
「別に……あの子はそんなんじゃない」
「いることは認めるんだな」
「隠す必要もないしな」
マルゼンもルドルフも、メジロマックイーンのことを言っているのだろうか。もしそうだとしても、あの子と僕はそんな関係ではない。
成り行きで、なんとなく。お互いがお互いを利用している、そんな不安定な関係だ。
「というかマルゼンもそうだったけど、もう僕は君達のトレーナーじゃないんだからトレーナー君呼びはやめないか?」
「それは君の担当ウマ娘が見つかるか、あるいはここを離れた時にしようか。今回は君の今後のキャリアについて話をしに来たからね」
「今後のキャリアについて……?」
え、待って。本当に待って。僕の予定ではこのまま中央でなんとなくトレーナーをやっていくつもりなんだけど。
てかここを離れた時って何? どこかに飛ばされるの?
「君は学生時代のインターンでここに訪れた際、トレーナーの仕事をこなしていただろう?」
「ああ、擬きだけどね」
「……ふふっ、思えば君との出会いはあの頃だったか。まだ私が入学したての時、他校の男子生徒がトレセンにいたものだから驚いてしまってね」
「お、おい、懐かしんでる場合じゃないだろ……? こちとら不安でいっぱいなんだが??」
というか、あの時まともに関わりがあったのはイツセイくらいだ。ルドルフやマルゼン、あとはシービーもそうだったか。この三人とも多少話したは話したが語るようなことは特にない。
「おっと、すまない。ところで話は変わるが、今フランスではトレーナーの人員募集をしているらしくてね。その中でも優秀でな人材を欲しているらしい」
「へぇ〜。向こうも人手不足は一緒なんだな」
「そこでだ。理事長がフランスのお偉い方に君の過去の話をしたらしい」
「何してんの? ねえほんと何してんの?」
というか、あれかなりの機密情報じゃなかった? 外部に漏れるのはまずいと思うんだけど。
「大丈夫だ。あの話はお偉い方に絶賛されてたよ」
「いやそこじゃな……は、絶賛?」
なんでだよ。糾弾はされても絶賛されるようなことか?
「そこでだ。君は過去に実績を残している、且つ今は担当のいないフリーの新人トレーナーということで──」
聞きたくない聞きたくない聞きたくない。もうオチが見えてる。なぜ事態はいつも悪い方向へ向かうのか。ここから入れる保険はあるのか。
冷や汗ダラダラの僕に、シンボリルドルフは笑顔でトドメを指す。
「そこで、それに該当する君にフランスへ赴いて欲しいという要請が出たんだ。なんせ、担当のいない優秀な新人トレーナーだからね」
超嫌です。