ラストです。
シンボリルドルフからの、フランス移籍という死の宣告を受けてから二日が経った。
この二日間、まともに記憶がない。やらなければならない業務作業にすら手がつかず、心ここに在らずとまるで廃人のふりをしているかのように、今日も今日とてトレーナー室のデスクの前で生産性の無い一日を過ごしている。学園に来ているだけ偉いと思って欲しい。
あの後、ルドルフにこれは強制ではないとは言われた。だが、僕がフリーなのを知った途端、彼らは強く僕をご所望しだしたらしい。なんでだよ。
そして、彼女は三日後にまた返事を聞きに来るとも言っていた。つまり、明日がXデー。余命一日と言ったところか。辞めようかな、この仕事。
「…………そろそろいいかな」
トレーナー室の扉を開け、廊下に誰もいないことを確認してから外に出る。
今は生徒はとっくに帰ってる時間であり、他のトレーナー達もほとんど業務を終えている時間帯だ。おかけで外は真っ暗だし、夜の学園特有の異質な雰囲気が漂っててちょっと怖い。
元々人と関わることが得意ではないが、こうしてここ数日人目を避けているのにも理由がある。
どういうわけか、フランスへの移籍の件がどこかしらから漏れているのだ。普通はこういうのって内密に伝えられるものなのだが、そうは問屋が卸さないらしい。
これを知るルドルフやたづなさんは広めないだろうし、おそらく誰かが盗み聞きでもしたのだろう。ここはトレセン学園、何が起こってもおかしくないのだ。
そして噂が広まるのは早いもので、今や学園のほとんどの人が知っているんじゃないかと思うくらいその話をしている。
不幸中の幸いと言うなら、それに至った経緯は広まってないようだ。トレーナー資格がない時にウマ娘を担当していたなんて広まったら世間的にも大問題だからな。
今日も一日トレーナー室に引きこもっていたため、まともな食事を摂れていない。せめてもの腹の足しとなるよう、自動販売機でお汁粉でも──
「……そういえば、メジロマックイーンに料理作ってなかったな」
ふと思い出した彼女の顔に、一瞬だけ自動販売機のボタンを押す手が止まる。
だが、今この状況あの子は関係ない。少なくとも、僕の抱えているゴタゴタには関わらせるわけにはいかない。
さあ、さっさと買ってトレーナー室に戻ろう。今この時間は誰もいないんだ。むしろ、この時間にこんなところにいる方がおかしい。
「やあ、久方ぶりだね、先輩君」
そう、狙って僕に会いに来ようともしない限りは。
「……こんばんは、三葉トレーナー」
「おや? 私のこと覚えてくれていたなんて嬉しいね」
三葉夕。忘れもしない一ヶ月前、今回みたいに僕の前に突如として現れた自称なんでも知ってるお姉さんだ。僕のこと先輩君と呼んでいるあたりおそらく後輩なのだろうけど。
「で、どうしてあんたがここに?」
「忘れたの? 学園内のことなら、私はなんでも知っている」
またそれか。
「現在進行形の話でも可ってことかよ……どう言う原理してんの……?」
「細かいことはいいでしょ。それにしても、こっちの方が驚きだよ」
確かにそれに関しては同意だ。まさか、僕がフランスへの異動が要請されるなんて突飛な話、誰が聞いても驚くだろう。
「まさか、まだトレーナー契約してなかったなんてさ。さすがの私でもイライラするし歯痒いよ」
「あれっ!?」
三葉トレーナーの思ってたのと違う反応に思わず声が出る。
「『あれっ!?』じゃありません。分かってるの? このままだと、君は本当にフランスに行くことになるんだよ? なのに、君は今日まで何をしてたの?」
「それは……」
ごもっともだ。何をしていたかと聞かれると、何もしてないと答えるしかない。
でも、それ以上に一つ納得がいかないことがある。
「……なんであんたにそこまで言われなくちゃならないんだよ。僕たち、別にそこまで仲がいいわけじゃないだろ」
「あら、心外。私は先輩君と良好な関係が築けてると思ったんだけど」
「茶化すなよ、三葉夕」
この人とはたった数回言葉を交わした仲でしかない。
彼女は学園のことならなんでも知っていると豪語し、まるで玩具のように僕を扱う奇人だ。正直な話、どんな見てくれのいいお姉さんでも、そんな彼女とはあまり会話をしていて良い気分にはならない。
だが、そんな切り捨てるような言い方をした僕とは対照的に、三葉トレーナーは気にせずけろっとしている。
「……そうだね、たしかに私は君との交流回数は少ない。今日君に会いにきたのも、とある臆病者に頼まれたからだよ」
「とある臆病者……? 一体全体誰がそんな……」
「それは言えないかな。強いて言うなら、君にとっての初めての人、かな?」
…………あの。
「あのさ、もうちょっと言い方なんとかならなかったの? 困るんですけど、そういうの」
「おや、その反応はもしかして童て……」
「言わせねえよ!? てかなんでちょっとシリアスな雰囲気だったのにそれぶち壊すの!? 台無しだよ!」
「まあまあ落ち着きなって。怒ってもいいことないよ?」
誰のせいだよ誰の。最近の若い子ってみんなこうなの?
「それに、私も君には言いたいことがあるしね」
お姉さんに厳しくされるのは人によってはご褒美かもしれないが、生憎僕はそう言った性癖は持ち合わせていない。
そして、三葉トレーナーはいかにもな態度で怒りを表す。とてもつい数秒前までとんでもない発言をしていた人と同一人物とは思えない。
「先輩君、いつまでそうしてるつもりなの? 本当は、今のこの状況をどうにかする方法分かってるんでしょ?」
……ああ、分かってるさ。ルドルフが話を通しに来たあの日、彼女は"フリーの新人トレーナー"というニュアンスを強調していた。
その条件からすぐにでも外れる方法はただ一つ。
「期限までにウマ娘と契約を交わせばいい……ってことだよな」
「そうだね、それが君にできる最善手だ。よしよし」
「撫でるな恥ずかしい」
よくできました、と僕の頭を撫でようとする三葉トレーナーの手を払う。歳下で僕より背が低いのにお姉さんぶろうとするのはなんなんだ。
「さて、やるべきことは分かってるんだ。あとはそれを実行に移すだけだよ」
「実行って……」
言うが易し、行うが難し。一朝一夕で契約を交わせるなら苦労はしない。
「そんな候補もいないのにできるわけないだろ」
「嘘はよくないよ、先輩君。じゃあ君は、なんで今日までウマ娘を持とうとしなかったの?」
「……」
相変わらず、この人は痛いところを突く。
僕だって考えたさ。この一ヶ月、最も関わりの深かったあの子が担当になってくれたらどんなに嬉しいか。
だが、現実はそう上手くはいかない。名家だとか相応しく無いだとか、そんな理由は抜きに、もっと大きなしがらみが無意識にその考えを阻む。
「僕は慎重派なんだ。そんな簡単に決められたら苦労はしない。それに……」
「それに?」
「……昔、とある子に酷いことをしてしまった。インターン生としてトレーナー活動をしていた頃、担当の子が大事な時期だっていうのに僕は何も言わずにその子の下を去った」
「……」
「担当を持とうって、その気になればなるほど当時の記憶が蘇る。後ろめたさ、って言ったらいいのかな。数年経った今でも、間違った選択をしたことを引きずってるんだ」
あの時、任期があったために僕はトレセン学園から離れざるをえなかった。
本当のトレーナーではない異例の事態なので当たり前と言えば当たり前なのだが、それでもそのことを、きちんと担当の子と話すべきだった。僕にも考えがあったとはいえ、言葉を交わさないというのは選択肢としてナンセンスだ。
そして、一つ確実に言えることがある。それは──
「──他人にとって都合の良い変化を成長と呼ぶんだったら、僕はあの頃からまるで変わっていない。だから……」
「はぁぁ」
三葉トレーナーは呆れるようにため息をつき、片手で顔を覆う。そして、手の隙間から僕を睨みつけ、
「いい加減前を向きなよ、先輩」
君をつけることすらせず、三葉トレーナーはゾッとするような低い声音で怒りを表す。それは、先程のおちゃらけた怒りとは違うものだと本能が訴えかけている。
「さっきから聞いてれば、情けないことしか言わないじゃん。過去に囚われてばっかでまるてわ今を見ていない」
「……そんなこと分かっ」
「分かってて尚現状維持を貫く、か……先輩、君はどうしてトレーナーになったの?」
「どうしてって……それは……」
あれ、なんで僕はトレーナーを志そうと思ったんだっけ? インターンでたまたまここに来たから? 身内にウマ娘がいたから?
「当ててあげようか。君は過去失態を犯した。トレーナーとしてウマ娘を不安にさせるような行為はよくないことだよね」
それはそう。こうして中央のトレーナーとしての狭き門を潜った今、それが褒められた行動でないのは基礎中の基礎。
「それは君の罪であり、贖う方法も定かじゃない。そんな訳ありの人がまた戻ってきたとなったら、仮に全貌を知る人がいたとして、その人はどう思う?」
そこまで言われて気付く。そうだ、側から見たら僕は……
「君は過去の過ちを清算しにきた。それも、新しく担当するウマ娘を使って」
「それは……」
「まるで道具だね。それも、道具は道具でも使い捨ての道具だ。ウマ娘は、己が贖罪するためのステータスでしかないと言わんばかりの」
そんなわけない。そんなこと思ったことない。なのに、口が上手く開かない。
「ち、違う……僕はただ──」
それでも言葉を振り絞る。伝えようと、届けようと。
「ん、ただ……なに?」
「あ……」
どれだけ思考を張り巡らせても、どれだけなりたい自分を夢見ても。
どうせダメだから、どうせ届かないからと言い訳をして。
またいつか、もういいかと。
そうやって自分の本心から逃げ続けた結果、いつも言葉が足りなくなる。
「…………楽しかったんだ。あの子と……イツセイと過ごしたあの日々は、自分の想像以上に楽しかった」
トレーナーになったのも大した理由はない。高尚な夢があるわけでも、一族がトレーナーを輩出しているわけでもない。
ただ、楽しかったから。トレーナーとして、ウマ娘の夢を叶えるのが楽しかったから。
そんななんでもない、ただそれだけの理由。
でも、
「"俺"はあの頃から何も変わってない。前を向けてないことなんて、そんなの自分がよくわかってる。でも怖いんだ。いつかあの日の過ちを繰り返してしまうんじゃないかって。だから前へなんて進めない」
「前へ進めない? 何を言ってるの?」
そんな俺の独白を笑い、三葉トレーナーは一言。
「君はここまで進んできたじゃない」
「……は」
こいつ一体何言って……
「君の過去に何があったのかは知ってるし、何に怯えてるのかも分かった。だから、敢えて言わせもらう」
今度こそ、彼女はポスンと俺の頭に手を置いて撫でくりまわす。
「別に一人でそんな難しく考えなくていいんじゃない?」
「……都合よくそんな相手が」
「何度も言わせないでよ。君のすぐ近くには、相性抜群のウマ娘がいるでしょ?」
なんて自分勝手だ。言いたい放題で、まるで僕と言う人柄を理解していない。
人はそんなにすぐには変われない。過ちが消えるわけでもなければ、その後悔はそう簡単に拭えない。
怖いものは怖いし、意地を張ったところでその付け焼き刃のペルソナは思った以上に脆い。
そうだ、人はすぐには変われない。
「それに、君が同じ過ちを繰り返しそうになったその時は、かけがえのないパートナーがいるってことだしね。しっかり喝を入れて貰えばいいよ」
だから、一歩、とりあえず一歩だけ。
「……ありがとう、三葉。ちょっと行ってくるわ」
「ふふっ、今の時間帯ならギリギリグラウンドを走ってると思うよ」
彼女の一言に黙って頷きグラウンドの方へと駆ける。
もうかなり遅い時間だ。入れ違いになる前に早く向かわなければ。
「ねえ、最後にもう一ついいかな!?」
随分と離れたところで、三葉の大きな声が僕を呼び止める。表情はよく見えないが、どこかセンチメンタルな雰囲気を醸し出しており……
「近いうちに、君の前に後輩を名乗る変な子が現れると思う! その子はなまじなんでもできるが故、独りよがりになりやすい! でも、君ならば……いや、君だからこそあの子に寄り添える!」
「は、はぁ!? いや、なんの話──」
「期待してるよ! 先輩君!」
そう言って三葉は風のように去っていく。結局最後まで訳のわからないことを言う人だった。
しかし、わざと憎まれ口を叩いて僕の心を抉ってきたとはいえ、あの人のおかげで決心がついたのもまた事実。今度あったら一言、礼と文句を言っておこう。
それにしても……
「後輩って……誰のことだよ」
***
一人を除き、誰もいないターフに風が吹く。
暗い夜空を精一杯照らすが如く、明るく輝いているライトに一人の少女が照らされている。
今日は新月だ、少女の綺麗な芦毛はより一層美しくたなびく。
風を切って、周りを気にせず、高い集中力を保持してターフを駆け抜ける彼女の姿は、こうしていつまでも見続けてしまうほどのものだ。
こうしていると、初めて彼女の走りを見た時のことを思い出す。あの時も似たようなことを思ったっけ。
「……メジロマックイーン!」
しかし、あの時とは違って、今度は僕の方からアプローチをかける。
本当に誰もいないと思っていたのか、メジロマックイーンは僕に気がつくと遠目でも分かるくらいギョッとした表情をして、少しフォームを乱しながら減速する。ごめんね、邪魔して。
そして魚のように口をぱくぱくさせながら近づいてきて……
「よう、二日ぶり」
「ふ、二日ぶりって……どうして貴方がここにいるんですの……?」
「えっ、いちゃダメなの? 腐ってもここのトレーナーなんだけど」
「そういうことではなくて……そ、その……」
きっと彼女の耳にも僕の噂は入ってきている。でなければ、この子がこんなに言い淀むはずがない。
「……おめでとうございます。なんでも、海外へ移籍になったとお伺いしてますわ。今や貴方は学園中の注目の的……こうなってしまっては、どの道引く手数多なのは間違いないですわね」
「……かもね。数日前からは考えられないほどだよ」
「っ……! あ、貴方から貰ったレシピもあります。もう私は一人でも充分に体重管理もできますわ」
本当か? と凄くつっこみたいがやめておいた。ここでそんなことを言ったら彼女の思いを無駄にしてしまう。
「なので、そのことに深く感謝を。そして、海外出世の件、心の底からお祝いいたしますわ」
そう言ってメジロマックイーンは深々と頭を下げる。顔は見えないが、きっと彼女の顔は晴れやかなものではないのだろう。
それは、たった一ヶ月しか共に過ごしていない僕でも分かるほどだ。
「……ちょっと僕の話を聞いてくれないか?」
「は、はい……? かまいませんが……」
「ありがとう。まあ話って言うほどのものじゃあないんだけどさ。ええっと、なんだ……僕はキザな言い回しが得意じゃなくてね。だから単刀直入に言わせてもらうよ」
そう、たった一ヶ月。信頼関係を形作るにはとてもじゃないが足りてなさすぎるほどの短さだ。
だから、はっきりと言葉にしよう。思ってることを伝えよう。
信頼関係をより強固なものにするのは、後からでも十分だ。
「僕と一緒に走ってくれないか、メジロマックイーン」
「…………えっ? な、何を言って……というか、それは一体どういう意味……い、いえ、それを聞くのは野暮というものですわね」
メジロマックイーンはひとしきり困惑した後、すぐさま僕の発言の意図を読み取る。話が早くて助かるよ。
「で、ですが、貴方はもうフランスへと言ってしまわれるのでは……?」
「あー……実はね、そのフランス遠征、どうやらフリーの新人トレーナーを欲してるらしくてさ。ウマ娘と契約を交わせばフリーじゃなくなるってわけでね。まあ僕もフランスなんて行きたくないし」
「……それで私に白羽の矢が立ったと」
事実関係を全て伝えると、希望に満ちかけていた彼女顔はみるみると曇っていく。その理由が分からないほど、僕だって鈍感ではない。
「お断りいたします。今の貴方では、私のトレーナーにはなり得ませんわ」
へにゃりと情けない笑顔を見せて、不器用に感情を表すメジロマックイーン。
最初に出会った時とはえらい違いだ。あの時も同じようなことを言われたっけ。
「……そっか、それは残念」
「私も、こんな形でお誘いを受けたくありませんでした。こんな成り行きのような形で……あんまりですわ」
ごもっともだ。あんなことを聞かされて担当になってくれと言われても、言われた本人からしたらお前の都合なんて知らんがなとしか思わない。誰だってそう思う、僕もそう思う。
それでも伝えなければならなかった。隠したくなかった。
後出しジャンケンなんていう卑怯な真似は、目の前にいる相手にはしたくないから。
「……最初はさ、面倒だって思ったよ」
「……? なんの話を──」
「ほぼ初対面なのにめちゃくちゃ強い口調で相応しくないみたいなこと言われるし、かと思えば急にトレーナー室に押しかけてきて半強制的に体重管理を手伝わさせられるし……」
「うっ……そ、その、多少強引だったことは反省してますし、あの時は私も焦っていて……」
「でも、君と共にしたこの一ヶ月はなんだかんだ楽しかった。いつのまにか、面倒だっていう気持ちは無くなってたよ」
「貴方は……」
先程のような、震えてか細くて、今にも消えてしまいそうな声音ではない。しっかりと透き通った芯のある声で、メジロマックイーンは僕に問う。
「貴方は、どうして私にそこまでしてくださいましたの? 初対面であんなに酷いことを言って、とても面倒なことを依頼してしまったのに、どうして……?」
「……そうだね」
僕は聖人ではない。遠く離れた地域に住む子供達が飢えに苦しんでいたとして、それを知っても可哀想だなくらいにしか思わない。例え世界が魔王に支配されていたとして、それを倒そうと躍起になるような人物でもない。
己の見えないところで誰かが苦しんでいたとしても、それをどうにかしようとは思わない。
こんなことを言うのもなんだが、善意100%で動くことのできる人なんてこの世に極々僅かだ。
そして、僕はそちら側ではない。今回メジロマックイーンに協力したのも、もっと近くで彼女のことを知りたいと思ったから。
だから、敢えて言うならば──
「……好きなんだ」
「…………ふぇっ!?」
「あの夜見た君の走り、すごく綺麗だった。あんな衝撃を受けたのはウマ娘に関わりだして以来かもしれない。僕は、君の走りが好きだ」
「えっ? あ、そういう……」
何故か動揺しているメジロマックイーン。……ちょっと言い方キモかったかな。でも、嘘はついてないしいいか。それに、ちょっとくらいかっこつけさせてくれ。
「メジロマックイーン、もう一度言う。僕と一緒に走ってくれないか」
「……はぁ、なんとなくですが、貴方に担当がいない理由が分かったような気がしましたわ」
「え、なに、急に悪口やめて? 僕結構勇気振り絞ってるんだけど?」
「そういうことでは……もういいですわ。貴方のそういうところ、今後は変えていかなければなりませんわね」
「よくわかんないけどすみませ……ん? 今後?」
「何を驚いているんですの? 貴方が共に走って欲しいとおっしゃったのではありませんか」
えっ……? てことは……
「いいのか? 僕みたいないい加減な奴は君のトレーナーになり得ないんじゃ……」
「その発言いい加減忘れてくださいません!? 次言ったら契約破棄ですわよ契約破棄!」
それは困る。まだ書類も提出してないのにそんなことをされてしまったら学園中の笑い者だ。
「全く、乙女心どころかデリカシーの欠片も無いのですから……貴方と関わってきた方々もさぞ苦労したことでしょうね」
せやろか。イツセイもルドルフもマルゼンも、はたまた最近知り合った三葉でさえ、僕を振り回してしかいなかったけど。
「まあ仲良くやろうよ。お互い、悪いところは直して、良いところは吸収する。一緒に走るってそう言うことじゃないかな」
「……要するに、"一心同体"ってことですわね」
「そう……そうかなあ?」
「そうですわよ。貴方と私は一心同体、存分に私の才能を引き出してくださいまし?」
「……ああ、任せて。それこそ、トレーナーの腕の見せ所ってもんさ」
僕とメジロマックイーンは拳を突き合わせ、彼女は屈託のない笑みを見せる。
それに釣られるように僕も笑ってしまった。心の底から笑ったのは実に何年ぶりだろうか。知り合いの少ない僕には久方ぶりの感覚だ。
「さて、今日はもう遅いし書類周りのことは明日に回そう。ついでにルドル……シンボリルドルフにもこのこと、話しておきたいしな」
「そうですわね。それではまた明日……あっ、少しよろしいですか?」
「ん? ああ、いいけ、どっ!?」
その言葉に振り返ると、いきなり腕を掴まれてそちらに引き寄せられる。
わけもわからず密着状態となってしまったが、メジロマックイーンはそんなことはお構いなしと手先にあるスマホでパシャリと──
「これからよろしくお願いしますわね、トレーナーさん?」
そう言って、得意げに僕と彼女のツーショット写真を見せつけてくるメジロマックイーン。まったく、写真は得意じゃないんだがなぁ……
だが、そんなぼやきをするのも無粋か。今だけはこの子の笑顔に免じて見逃してやろう。
「こちらこそよろしく、マックイーン。あっ、その写真現像しないでね? なるべく証拠残したくないから」
「貴方は犯罪者か何かですの!? 明日にでも現像してお渡ししますからね!?」
***
「その時のトレーナーさんと言ったら、キザな言い回しは得意じゃないとか言ってたくせに実に格好つけた言い方で私に契約を懇願してきて……」
僕達の過去について話し終えた途端、マックイーンは流暢に僕のことを煽り出した。なんだこいつ。
「待てよ、懇願ってほどじゃなかっただろ。事実を捏造するな」
「あら、格好つけてたことは否定しませんのね?」
「それは……ほら、あれだよ、その……他に良い言い方が思いつかなかったから……」
「その格好つけは天性のものだったんですのね!」
「なんなの、あの発言いじったこと根に持ってんの?」
いつにも増して面倒くさいなこいつ。真冬のターフにでも捨ててこようかしら。
どうやってこの煽りカスお嬢様を始末しようか考えていると、当の本人は顎でとある方向を指し示す。
そこには、先の僕達のやり取りを黙って見ていた膨れっ面お嬢様が……いや、めっちゃ膨れとるやん。フグかな?
「面白い話なんてないと仰ってましたけど、聞く限りかなりロマンチックだと思います。ていうかずるいです、私はあんなだったのに」
「あんなって……」
そういえばダイヤと契約を交わしたのは、泣き喚く誰かさんを慰めているところを見られていたからだっけか。もうあれから随分と時間が経つな、懐かしいものだ。
「マックイーンさんが羨ましいです。私も、話にあったような大人の方と出会ってみたかったのに……」
「あの? 話にあったような大人の方は僕なんですけど?」
「大人……?」
「はて、どこにいるんでしょうか?」
「おいクソガキ共、僕のどこが大人じゃないって言うんだよ。あ?」
少しキレ気味に聞くと、マックイーンとダイヤは顔を見合わせて……
「まず言葉遣いですわね。昔……ダイヤさん加入前あたりまでは比較的穏やかでしたのに、最近だともっぱらそのような汚い口調になってしまわれて……」
「それと普段の言動もですよね。負けず嫌いすぎてずっとテイオーさんとゲーム勝負してますし。しかも一回も勝ててない」
「うるっさいなぁ! 人間、それなりに仲良くなったら言葉遣いは乱れるし、いくつになっても負けたら悔しいもんは悔しいんだよ!」
「それなりに……?」
「仲良くなった……?」
な、なんだこいつら、急に眉を顰めて僕の方ににじり寄ってきて。
てかなんでこう言う時は仲良いんだ……いや、そういえばこの二人は元から仲良かったわ。なんというか、最近いがみ合う姿ばかり見ていた気がするからすっかり失念していた。
「私、悲しいですわ。トレーナーさんにとって、私達の関係は『それなりに仲良くなった』程度の関係だったなんて……」
「こうなったら、私との関係をもっと深いものにするためにこの冬はサトノの方に監禁……軟禁……宿泊していただかなくては……」
「……あの、ダイヤさん? 何を勝手に抜け駆けしようとしていますの? 貴方は今冬はお家の方のお手伝いで大変だとお聞きしていますが。そんなところへトレーナーさんを連れていってしまったら迷惑してしまいますわ。ということで、ここはメジロ家の方にお越しへ……」
「マックイーンさんこそ、年末年始は社交パーティーへの出席が求められていますよね? あわよくばそこにトレーナーさんを連れて行って周囲に関係をアピールできれば、なんて浅い考えは……ありませんよね! なんてったって、マックイーンさんですから!」
「「…………」」
前言撤回、こいつら本当に仲良いのか?
ひとしきりの沈黙の後、いつものようにギャーギャーとうるさい喧嘩が始まる。
マックイーンもダイヤも、出会った頃はこんなじゃなかったのにどうしてこうなった? きっと、誰かの悪い影響を受けてしまったのだろう。誰だよ、健全な少女達の成長に悪影響を及ぼした奴は。
にしても、このやかましい喧騒はいつまで続くのやら……ん? 今ドアが……。
「二人とも、来客だ。ちょっと静かに……って聞いてないなこれ」
ドアがノックされる音に反応してそう注意するも、当該本人達が静かになる気配はない。
まったく、散々僕にああ言っておいて、結局君達もまだまだ子供なんだから。せめて人前では淑女らしくしてほしいものだな。
このままドアの前で待たさせるのも悪いので、「どうぞ」と一声かけて入室を促す。
さて、誰だろうか。一色はもうこの部屋に無断で入り浸るし、セイウンスカイも同じ理由で違うだろう。だとすると、たづなさんかシンボリルドルフのどちらかの可能性が……。
「失礼します」
そんな予想を裏切り、入ってきたのは一人のウマ娘。すらりと伸びた青鹿毛に白黒のリボンを付けており、正面の前髪にかかる綺麗な流星が特徴的な少女。
どこかで見たことあるような気もするが、いまいち思い出せない。風貌から察するに、今年入学してきた子なのは間違いないだろう。
そして流石に来客に気がついたのか、マックイーンとダイヤは喧嘩の手を止めていた。
「サトノダイヤモンドさん、及びメジロマックイーンさんのトレーナーさんはあなたで間違いないですか?」
「あ、ああ、そうだけど。えっと、君は──」
「お願いがあります。トレーナーさん、私をあなたのチームに入れてください」
……うん?
「チームってことは、僕の……」
「お、お待ちください!? それ即ち、貴方はこの方の担当ウマ娘になるということになりますのよ!?」
「そうですよ! 今一度ゆっくり考え直した方がいいんじゃないですか?」
なんかさっきから喋らせてもらえないんだけど。ていうか、お前らは二人はさっきからなんなの? 僕のこと嫌いなの?
急に僕のネガキャンぽいことを始めた二人を押し退け、白黒リボンのウマ娘と今一度対峙する。
「ええっと、まだ理解が追いつかないんだけど……どうして君はここに?」
「私の目標を叶えるために。そのために一番適しているのは、あなたを頼るのが一番だと判断しました」
「目標?」
「はい。私の目標は……」
ギラリと光る少女の眼差し。理想に燃えた目をしており、そこには強い闘志が込められている。
「私の目標は、キタサンブラックさんを超えること。そのために、あの人のライバルであるサトノダイヤモンドさん、そのトレーナーさんであるあなたにご教授願いたく思いました」
闘志もさることながら、意志も強い。こう芯の強い子は嫌いじゃないぜ、べいべ。
「……それこそ、ここじゃなくていいんじゃないか? キタサンブラックのようになりたいならチーム〈スピカ〉に入った方がいいし、勝ちたいのならあの子が唯一勝てなかった存在、ドゥラメンテを頼るのが得策じゃないかな」
「ドゥラメンテさんは確かにとても強いんですけど……ちょっと怖くて」
「あー……」
分かる、あの子すげぇストイックだし、人の顔覚えないもんな。こないだも強さの秘訣を聞きに行ったら「あなたは誰だ」って言われたわ。
「〈スピカ〉に入ることは考えました。私はあの人みたいな輝きを目指したい。でも、決してあの人になりたいわけじゃない。勝ちたいんです。勝って証明したい」
正直な話、入ってきた瞬間に第六感が呼びかけていた。
この子は強い、強くなる。これと言った根拠はないが、レースでは他の追随を圧倒するだろう。
「世界最強は私だ、って」
いつだって、ウマ娘というのは夢を見させてくれる。メジロマックイーンも、サトノダイヤモンドも、僕にかけがえのない夢を見させてくれた。
「キタサンブラック……あの子は強いよ。単純な走りからファンの数まで全てが国内トップと言っても過言じゃないレベルだ」
「それでもです。絶対にあの人を超えて、世界最強の座にだって……上り詰めてみせます──!」
きっと、目の前の彼女もそれを夢物語で終わらせはしない。この夢の続きを見せてくれる。
「マックイーン」
「もちろん歓迎いたしますわ。誰かに勝ちたいという強い気持ち、大いに結構。ですけど、あまりそれに固執しすぎないことですわよ?」
「ダイヤ」
「右に同じです。キタちゃんに勝ちたいなら、なるべく参考文献は多い方がいいですよね?」
満場一致だ。またこれから忙しくなるな。
ゆっくりとその子に近づき、手を差し伸べる。あの時、初めて名前を聞いた時のように。
「君、名前は?」
君と一緒に走ったその先にある夢、是非とも確かめさせてもらおう。
「……っ! 私の名前は──!」