夏合宿が始まってから数日が過ぎた。その間、トレーニングをしたり、時には気分転換として海で遊んだり、日焼け止めを塗り忘れたダイヤの肌が焼けてしまい爆笑してたらぶっ飛ばされたりと色々あったが、特に大きなこともなかったので割愛する。
マックイーンが風呂場で暴走するというトラブルがあったものの、関係性が崩れるといったことは特に無く平常運転そのものだ。むしろ彼女との距離が少し近くなった気がする。これは良いことなのだろうが、その過程が過程なだけに口をへの字にする他ない。
マックイーンとの距離が近いことについてダイヤに勘繰られたが、口八丁手八丁(笑)に言い訳をして誤魔化すことができた。彼女は世間知らずなところが多いが、こういったところは妙に勘が鋭い。
ダイヤが担当ウマ娘になってからまだ数ヶ月しか経っていないが、もしかしたら彼女に僕やマックイーンの悪いところが移っているのかもしれない。今後の行動には気をつけようと思いました。まる。
セイウンスカイは相変わらずだ。時にトレーニングをサボり、時に僕にちょっかいをかけたりと中々やりたい放題である。だが、それも彼女の持ち味ではあるので深くは咎めたりしない。セイウンスカイは何かに縛られず、自由にさせるのが一番伸びると、僕はそう思っている。
まあそれはそれとして、毎回悪戯されるというのも癪なので今度仕返しでもしてやろう。噂によると、彼女は極度の猫舌らしいので激熱おでんでも食わせてやればいいだろう。今からでも反応が楽しみだ。
夏合宿の内容をノートに記録し終えた僕は、相変わらず眠ることが出来ず、一人で宿を飛び出し夜の海に向かう。腕に嵌めた時計の短針は既に1の文字に差し掛かっており、灯りという灯りも手元にある懐中電灯しかないので、目の前に広がるのは真っ暗闇の海だけだ。
ここに何をしに来たかと言うと、この前セイウンスカイに教えてもらった釣りのリベンジだ。負けっぱなしは性に合わない。大物とまでは行かなくても、今度こそ多少の成果を上げたいものだ。
ちなみに、ついて行きたそうにしていたセイウンスカイはマックイーンによって取り押さえられていた。今頃は布団の中でどう抜け出そうかとでも考えているのだろうが、ああなったマックイーンに逆らえる奴はいないので大人しく諦めたほうが吉だろう。
え? セイウンスカイは宿で休んでるのに、お前は一人で夜釣りなんてずるいのではないかって? うるせえ、これが大人の特権だ。
心の中で誰にも届くことのない言い訳をしながら、僕はルアーを海に投げ入れる。一人ということもあり、何かトラブルが起こった時に対処しにくいのが面倒だが、まあなんとかなるだろう。
数十分後
「だああっ! やっぱ釣れねえ! 何がダメなんだ。釣り竿か? ルアーか? それとも僕の実力不足か?」
十中八九一番最後だろうなと思いつつ、僕は釣りの才能が無いことを悟る。前回の釣りの最後に釣れかけたのは奇跡だったのかもしれない。
こんなところをセイウンスカイに見られたら笑れること間違いなしだ。あいついなくてよかった〜。
こんな夜中に外出しておいて今更かもしれないが、このまま続けていても明日の体調に影響するかもしれない。仕方ない、帰ろう。帰って不貞寝でもしよう。
今日の内に成果を上げることは諦め道具の片付けをしていると、誰かしらの気配を感じた。これは第六感が働いたと言っていいのだろうか。
恐る恐るその元凶であろう人物の方を見ると、そこにはマックイーン達の砂浜特訓の際、こちらをじっと見ていた芦毛のウマ娘がいた。そう、この間も思ったが、この娘、どこかで見たことあるような気が……
「少しいいか」
「……いいけど、こんな時間に女の子が一人でぶらついてるのは感心しないね」
「あなたには私の耳と尻尾が見えていないようだな」
「冗談だよ。それで、僕に何か用かい?」
冗談にマジレスされたことを悲しく思いながら、要件を尋ねる。
「この地に中央のウマ娘が来ていると聞いて興味が湧いてな。盗み見のようで申し訳ないが、何回か練習の様子を覗かせてもらった」
「知ってる。君が見ていることはこちらからも見えていたよ」
「……」
見ていたことがバレてないとでも思っていたのか、芦毛のウマ娘は顔を逸らして少し顔を赤くする。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。誰が深淵だ。
「……それで一つ頼みたいことがある」
「それは僕にかい? それともマックイーン達に?」
「どちらかと言えばあなたの担当ウマ娘にだが、あなたにも関係のない話ではない」
ふむ、夏合宿も凄く余裕があるわけではないが、特別焦るような予定も無いため別に構わないだろう。
「私の頼みは一つ。今日の昼にあなたの担当ウマ娘を連れて高知レース場に来てほしい」
「なるほど、要はマックイーン達と戦いたいということか」
芦毛のウマ娘は黙ってコクリと頷く。
地方のウマ娘を見下しているわけではないが、中央のウマ娘と地方のウマ娘が勝負をしても結果は目に見えている。それも、こちらにはメジロマックイーンにセイウンスカイ、期待のルーキーであるサトノダイヤモンドもいる。この面子に勝つためには、灰被り姫と呼ばれるくらいの怪物を連れて来なくてはならない。
だが今回はコースの条件が中央とは全く異なる。高知レース場のバ場は芝ではなくダート。つまりマックイーン達にとっては不利な状況での戦いとなる。それはこの娘も分かっているだろう。
そうまでして中央のウマ娘であるマックイーン達と戦いたい理由は……いや、詮索するのも野暮な話だ。
どちらにせよ高知レース場に行く予定ではあったのだし、断る理由もない。それに、ダートでの走りは今後のトレーニングにも繋がる可能性がある。
「分かった。その頼み、聞き入れよう」
その言葉を聞いた芦毛のウマ娘は一瞬パァッと笑顔になるが、そのまた一瞬で毅然とした態度に戻る。面白いなこの娘。
「感謝する。それでは明日の12時にレース場にて待つ」
「ああ、了解した」
最後に淡白な会話を交わし、芦毛のウマ娘は僕に背を向ける。しかし、背を向けただけで歩き出そうとはしない。そんな彼女を不審に思い、声をかけようとした瞬間に彼女の方から声をかけられる。
「なあ、もう一つ聞きたいことがあるのだが、構わないか?」
「……これが最後だぞ」
「ありがとう」
背を向けられているため顔こそ見えないが、声の抑揚から芦毛のウマ娘の緊張が窺える。
何を聞かれるのかは検討もつかないが、少なくとも恋と言ったような甘酸っぱいものとはかけ離れていることは明白だ。
「…………グリは……」
波の音がより一層強くなり、彼女の首まで揃えられた髪の毛が風によって揺れるが、それでも彼女の声だけははっきりと届いた。
「……オグリキャップは元気にしているか?」
***
「ここが高知レース場ですか……地方のレース場に来たのは初めてです」
「私もここに来るのは初めてですわ。随所に古い歴史が感じられる造りが素晴らしいですわね」
「うんうん、ウララの言ってた通りだね〜」
次の日、本来普通のトレーニングだった予定を踏み倒し、僕達は高知レース場に来ていた。なんでも彼女達はここに来るのが初めてらしく、各々感想を口から零している。
「でもトレーナーさん。私達いつものトレーニングと同じ格好で準備しろって言われたのでそうしましたけど、今日は見学だけじゃないんですか? ご丁寧にシューズまで用意されてますけど……」
「うん、だってレースだもん」
「「「は?」」」
おっと、皆さんこういう時は息が合うんですね。
「……トレーナーさん、ここのレース場には見たところダートのコースしかないようですが」
「私達が走るのは主に芝のコースですわ。貴方がそれを理解してないはずがないとは思いますが、これにはどういった意図がありますの?」
「簡単だよ。ダートのコースは芝に比べてはるかに路盤が柔らかい。だから、脚部への負担を和らげたりパワーアップが見込めるんだ」
「つまり、砂浜で特訓してたのは今日ここで走るためのものだったってわけですか?」
「そういうことだ、セイウンスカイ」
正確に言えば、砂浜特訓により彼女達の脚部がどれほど成長したかを確認するものだ。元々ダートのコースが得意でない彼女達が、今日どれほど走れているかによって特訓の成果が分かると思ってもらって構わない。
「状況は理解しましたわ。それで、私達はここのレースに参加するんですの? それとも、それとはまた別に私達の対戦相手がいるとかですの?」
「それは……いや、後でのお楽しみということにしておこう」
「もう、トレーナーさんたら夏合宿が始まってからというものの、隠し事が多すぎませんこと?」
そう言ってマックイーンは文句たらたらにぶーたれる。
すまない、マックイーン。その君の質問の答えに関しては、答え難いんだ。
「あの、トレーナーさん。その手紙は……」
マックイーンの姿に苦笑いをしながら鞄から例の物を取り出すと、その様子を見ていたダイヤが僕の手元の物に反応する。
さて、今日ここに来た理由は二つ。
一つは芦毛のウマ娘の申し出兼マックイーン達のトレーニング。そしてもう一つは、手元にある封に入った手紙を届けなければならないというミッションがあるからだ。
「ここに来た時、あのちっこいウマ娘に渡された手紙だよ。頼まれたからには流石に届けないわけにはいかないでしょ」
「トレーナーさんって意外と律儀なんですね」
「君は僕のことを一体なんだと思ってるんだい?」
悪気はないのだろうが、ダイヤの何気ない一言が心にかすり傷を付ける。
もしかして僕のこと嫌い? 契約交わしたあの日の言葉は嘘だったの?
「んー……なんて言う名前でしたっけ? 確か……リョウマ!」
「リョウジだよ」
それだと土佐藩の偉人か超人テニスプレイヤーになってしまう。お前はトレセンの柱になれ。
「日本の夜明けは近いぜよ! なんつって」
「……君、坂本龍馬以外で高知で有名なものって他に知ってるの?」
「えっ…………いやあ、それにしてもそのリョウジ君、見つかりそうにないですなあ」
セイウンスカイのやつ、もしかして高知に関する知識が坂本龍馬しかないのでは……?
「今日はメインとなるレースも無さそうですし、あまり人が集まるような日ではなかったのではないですか?」
そうだなあ。忘れない内に事を済ませておきたかったのだが、仕方がない。また日を改めるとしよう。
「おっ、珍しい顔じゃのぉ」
今日中に手紙を届けることを諦めかけた時、見知らぬおじさんが僕達へと話しかけてくる。
「ええっと、あなたは一体?」
「おっと、自己紹介が遅れちゅう。ワシは坂本という者や。以後よろしゅう」
「あ、これはどうもご丁寧に。ぼ……私は中央でウマ娘のトレーナーをしている……」
坂本と名乗る人と、一通り挨拶や名刺交換を済ませる。どうやらこの方、この地でウマ娘のトレーナーをやっているらしい。つまりは同業者ということになる。
「それで坂本さん。ぼ……私達に何か御用で?」
「ここに中央のトレーナーとウマ娘が来るってワシの担当ウマ娘から聞いてのぉ。後、喋り辛いんやったら"僕"でも構わんぞ」
坂本さんに自分のことを"僕"と呼ぶ癖を一瞬で見抜かれ、なんだか気を使わせたみたいで申し訳なく感じる。
……おい、後ろの三人。笑ってるんじゃあないよ。いくら僕の『私』呼びが似合っていなかったからって爆笑してるんじゃあないよ。
「おまさんがメジロマックイーンのトレーナーで間違いないか?」
「ええ、そうですよ」
後ろの三人を無視して坂本さんと会話を続ける。後で何かしらの制裁は加えておこう。
「ほんなら、おまさんは今回ワシのライバルっちゅうことやなあ」
「っ、あなたがあの娘のトレーナーということですか?」
「あの娘だけじゃわからんぞ? まあ落ち着いとーせ。時期にワシの担当ウマ娘も来る……と、噂をすれば来よったな」
坂本さんの視線に釣られてその方向を見ると、そこには昨晩出会った芦毛のウマ娘がいた。
彼女が現れるのと同時に、後ろで笑い声が収まり、辺りが一気に緊迫した空気に包まれる。そのまま彼女はマックイーン達を一瞥し、短い銀髪の髪を揺らして僕の前に佇む。
あの後、分かっている情報から多少なり君のことを調べさせてもらったよ。
芦毛であること、地方のウマ娘であること、中央での在籍期間が存在していたこと。
「待たせて悪かった、メジロマックイーンとそのトレーナー」
そして何より、そんな彼女の口から『オグリキャップ』という名前が出てきたこと。
「ああ、待っていたよ。
そんな彼女は、中央のウマ娘にも負けず劣らずの闘志を瞳の中に轟々と燃やしていた。