人類という生き物は、ここ数千年で高度に成長した存在だ。文明や言語が栄え、争いと発展を繰り返し、悪い言い方をすれば、実質この星の絶対的な支配権を握っていると言っても過言ではない。
そんな人類と古来から良好な関係を保ち、人類と酷似した機能を持つ全く別の存在
ウマ娘
そんな彼女達の最も得意なことは走ること。彼女達は主に決められたレースでその実力を発揮するが、レース以外では走らないというわけでもない。
時速70kmほどで走るウマ娘は、それに見合った強靭な肉体を持っており、仮に彼女達に本気で激突されたとなったら人間などひとたまりもない。
今ではしっかりとした法整備により、凄惨な『事故』を極力減らすことに成功している。まだきちんとウマ娘に対する法が制定されていなかった時代は、ウマ娘が人にぶつかって死んでしまうということがザラにあったらしい。
そしてウマ娘は女性しか存在せず、皆が整った顔立ちをしている。女性しか存在しないのでは繁殖活動ができないではないかと思うかもしれないが、そこは問題無いらしく、先程述べたようにウマ娘と酷似している存在である人類と子孫を増やすことが可能である。
だが、彼女達がいかに容姿端麗とはいえ、うっかり自分を殺してしまうような存在と契りを結びたいと思う人はほとんどおらず、恋愛感情をぶつけられることがほとんど無いらしい。
そのため、ゴールドシップのようにそもそも恋愛感情があるかどうか分からないウマ娘を除いて、彼女達は多少……いや、かなり愛が重いところがある。
数年前まではこのトレセン学園でも、トレーナーが担当ウマ娘ごと『なぜか』行方不明になってしまう事件が度々起き続けていたと聞いたことがある。今では理事長や生徒会により対策が取られ、そういった不祥事は九割程減ったとのことだ。
それでも0にならないところを見るに、ウマ娘という存在の恐ろしさが滲み出ている。
ここまでの内容をまとめると、ウマ娘という生き物は人類よりも遥かに優れた身体能力を有しており、主に走ることを得意としている。
そして、皆揃って容姿端麗であるが、種族的な立場から親愛はあっても恋愛感情をぶつけられることがあまり無いため愛が重い。
さて、何故自分がウマ娘という存在を今一度確認しているかというと、目の前でスマホをギャグ漫画の世界かと思わせるくらいの壊し方をした、身体能力お化けからどう生還しようかと考えているためだ。
まだ、まだ諦めるな! 諦めなければ道は開ける!
週刊少年誌に載ってそうな青い臭いセリフを頭の中で反芻しながら助かる方法を模索したが、恐怖の元凶が壊れたスマホを片手に笑顔で接近し始めたところで諦めがついた。
大人しく、素直に理事長からのお願いという名の死刑宣告を受けた日のことをマックイーンに話す──
***
「昇格っ! 君には新たにもう一人ウマ娘を担当して欲しい!」
今朝、唐突に呼び出しがかかったので何事かと思ったら、話が始まった瞬間理事長がちょっとよく分からないことを言い出した。
自分の対面に座る一見少女にしか見えない女性はこのトレセン学園の理事長である秋川やよい、そして隣に座る緑色のお姉さんはその秘書である駿川たづなだ。
彼女達は常日頃からウマ娘達のために尽力しており、その他トレーナーを生業とする自分達にも手厚いサポートをしてくれる存在だ。まあブラックなのだが。
「えっと……今なんて? 聞き間違いじゃなかったらウマ娘をもう一人担当しろって……」
「肯定っ! メジロマックイーンを担当し、輝かしい功績を評して、君には担当ウマ娘の増員をしてもらいたい!」
担当ウマ娘が増えるということをこの人達は理解しているのか?
トレーナーとウマ娘というのは、常に一定の距離を保って接し続けないければならない関係だ。
近すぎず遠すぎず、これを徹底しなければならないと、トレーナー見習いの時に先輩から嫌というほど叩き込まれた。
自分だって今や一端のトレーナーだ。マックイーンとはそこそこ良好な関係を結べているだろう。
トレーナーとしては新人の方の自分だが、今のところマックイーンとのいざこざはあまりなく、平和にトレーナー業を続けることができている。
だが担当ウマ娘が増えるとなると話は別だ。
まず今まで一人に集中していたものを、複数人に増やさなければならない器用さが求められる。
しかし、これは中央のトレーナーライセンスを取得した人ならば恐らく問題無いだろう。それができないレベルでは中央のトレーナー試験には合格することができない。
問題はやはり、その担当ウマ娘達との距離感だ。
つい先日、複数人のウマ娘を担当していた地方のトレーナーが、その担当ウマ娘達に襲われたという話を耳に入れたばかりだ。ここで言う『襲われた』というのは、もちろんあっちの意味でだ。
黒沼トレーナーやおハナさんみたいなベテラントレーナーなら問題ないのだろうが、自分みたいな新人からしたら恐怖話でしかない。何せ今後の人生が掛かっているのだ。
よし、ここは断ろう。
自分のことを高く買ってくれている理事長には申し訳ないが、今はマックイーンの怪我のこともある。この状況で他のウマ娘のトレーニングを満足に指導できるとは思えない。
後やっぱり怖い。単純に恐怖。
「理事長、それは大変喜ばしいお話なのですが、自分にはまだ荷が重いと思うので辞退させていただいてもよろしいでしょうか?」
「驚愕っ!? 君は若くして功績を挙げた素晴らしいトレーナーだ! その力を、まだ担当のついてないウマ娘や、これから入学してくる新入生のために奮って欲しいのだが……」
僕の否定にしょんぼりしてしまう理事長に少々罪悪感を覚えてしまう。
「……でも自分には怪我をしたマックイーンがいます。それを放って他のウマ娘を担当するなんてできません」
「それは……確かにそうだな。君は第一にメジロマックイーンのトレーナーだ。怪我をしている彼女のことを懸念する気持ちは十二分に分かる。だが、現状トレセン学園では人手が不足っ! このままでは未来あるウマ娘達が実力を出しきれないままこの学園から去ってしまう! 懇願っ! どうか、どうか検討してほしいっ!」
そう言って理事長は僕に対し頭を下げる。
自分だって他のウマ娘が実力を発揮できないままでいるというのは気持ちの良いものではない。とはいえここで了承してしまえば、最悪僕が死ぬ。
それに実績を残したとはいえ、それはただマックイーンが凄かっただけの話だ。謙虚でもなんでもなくて単なる事実。
まだ新人の域を抜け出せない自分は、複数人のウマ娘を器用に担当するだけの自信が無い。
やはりここは心を鬼にして断ろう。とりあえず優先すべきはマックイーンのことだ。
眼前には未だに頭を下げ続けている理事長。
そして諦めろと言わんばかりの目をしたたづなさん。
その二人を交互に見て僕は決意する。
「マックイーンの怪我が完治したら大丈夫ですよ!」
***
「なんと言いますか……押しに弱すぎませんこと?」
「僕もそう思う」
高級スイーツ店の予約を約束になんとかマックイーンを宥めすかせて、件の経緯を話し終える。
いや仕方ないじゃん。あの理事長にあそこまで頼まれると断りきれない。
「それにしても私の他にウマ娘を担当することになるのですか……」
「いや、マックイーンの指導にも手を抜くつもりはないよ?」
「それは……まあそうしていただけると幸いなのですが……」
そこにあったのは先ほどのような怒りではない。かつて一心同体を誓ってから、互いに言いたいことは言い合うようにしていたのだが、珍しくマックイーンは何かを言い淀むような姿を見せていた。
「はあ……何を考えているかは知らないけど、僕はマックイーンの担当を降りる気は無いし、むしろ今後も君の走りを近くで見続けたいから土下座してでも担当を続けさせてもらうつもりだよ」
「え? でも以前担当を降りようとして私が平手打ちを……」
「そんな事実は無い。いいね?」
「いいわけありませんわ」
ちっ、ダメか。
てかあの時のあれは平手打ちじゃなかっただろ。パーじゃなくてグーだったよ。
「……正直な話、私不安でしたの。不治の病とまで言われる怪我をして、もうかつてみたいには走れないと言われて。それでも貴方と共に走り抜けたいと思ったから今日までリハビリを続けてきましたわ。でもそこに先の件。お前はもういらない、走らなくていいと、トレーナーさんがそんなことを言うはずないと分かっていても、そう考えざるを得ませんでしたわ」
「……すまん。君にそんな思いをさせてたなんて、配慮が足りてなかった」
「謝らないでくださいませ。貴方が評価されているということは私にとっても誇りなのですから」
マックイーンはそう言うが、彼女の表情からはまだ不安の色が取れていない。先程スイーツという切り札を使ってしまったので、それ以外で彼女の機嫌を取る必要がある。
「ほら、僕に出来ることならなんでもするよ。さっきのスイーツとはまた別で」
ありきたりかもしれないが、今の僕に切れる最大のカードだ。これがダメなら靴を舐めるしかない。
「……なんでもいいんですの?」
「君が望むことならなんでも」
マックイーンはそうですかと呟いて少し考え込む姿を見せる。
あの、せめて可能な範囲にしてくださいね? そんなに考え込まれると不安になるんですけど……
「……トレーナーさん、このお願いはまだ先に取っておいて良いですか?」
「え? ああ、急に何かって言われても思いつかないよな」
「そうではないのですが……いえ、トレーナーさんが気づいてないなら構いません。お願い、忘れないでくださいませ」
そう言ったマックイーンは何故か見るからに上機嫌になった。一体全体何をお願いされるのだろう。
まあ、何はともあれマックイーンの機嫌が直ったようでよかった。ここにきてまで彼女を不安にさせてしまうのはトレーナー失格に他ならない。
彼女はまだ走れないとはいえ、ウマ娘にとってメンタルケアは重要だ。それがきちんとできているかは疑問だが。
「あら、もうこんな時間……トレーナーさん、私はここで失礼させていただきますわ」
「うん? もう帰るのか?」
「ええ、特に用事があるわけでもありませんでしたし、貴方とお話ができたので」
「そうか。まあそこそこの頻度で会ってはいるんだがな」
「その頻度、増やしてくださるのですよね?」
「へいへい、わーってますよー」
そう言いながら、マックイーンを正門まで送ろうと立ち上がりコートを羽織る。
「見送りなら大丈夫ですのよ? 家の者を遣わせますし、今日も実家に戻るだけですので」
「それでも一応ね。学園内とはいえ、暗い夜道を女の子一人で歩かせるのはあまりよろしくないでしょ」
「もう、本当に大丈夫ですのに……なら、見送りの代わりにしてほしいことがあるのですがよろしいですか?」
……嫌な予感がする。なんだ、靴を超えて足を舐めろとでも言われるのか?
「そ、そんなに身構えないでください……。貴方はただ後ろを向くだけで結構ですので」
マックイーンに言われたとおりにその場で後ろを向く。
すると後ろを向いた瞬間、背中に何かが抱きついてきた。
「ちょっ、マックイーンさん!?」
「少し静かに」
「あ、はい」
背中に飛び込んできた正体は言わずもがな、マックイーン。
ウマ娘である彼女に抱きつかれた状態なため身動きを取ることができず、さらに発言まで封じられてしまい、僕にできることはこの気恥ずかしい状況を耐え忍ぶだけだった。
その状態でどれほどの時間が経っただろうか、彼女が口を開く。
「これからも、私と共に駆け抜けていただけますか?」
「……愚問だね。さっきも言った通り、僕は君の担当を降りる気はないし、君の隣に立てるように努力を怠らないよ。なんたって僕達は『一心同体』だからね」
「……その言葉が聞けただけで充分ですわ」
マックイーンは僕の背中から離れ、そのままくるりと背を向けて扉へ向かう。
「トレーナーさん」
落ち着いた彼女の声音は、僕にこの時間が永遠のものであるような感じに錯覚させる。
「これからも、よろしくお願いしますわね?」
そう言って部屋を後にした彼女の頬は少し紅潮していた。それは恐らく自分もそうなのだろう。
自分だってトレーナーである前に一人の男だ。マックイーンとは歳が離れているので億が一にもありえないが、彼女のような美少女に抱きつかれたら恥ずかしくもなる。
そして言い逃げのように部屋を出た彼女を見届け、
「もう一人ウマ娘を担当しろって……マジかあ……」
真っ二つにへし折れたマックイーンのスマホを見て現実に戻るのだった。