桐生院トレーナーと話しをしてから数日後。いよいよ目標の天皇賞まで一週間を切った。
「おっちゃーん、マックイーンが天皇賞出るって聞いたからちょいと邪魔する……ってなんやその顔!? 3時間飯抜いたオグリみたいな顔になっとるで!」
「ん、ああ、タマモクロスか。僕そんな酷い顔してた? せいぜい一食抜いたオグリキャップくらいだとは思うんだけど」
「それはそれで大概やと思う」
タマモクロスの言うように、今の僕はそれほど酷い顔をしていたらしい。しかし今日は珍しくバッチリ睡眠を取ったので、それが疲労から来ているものではないということはよく分かっている。
「ほんでなんや、またマックイーン関係でなんかあったんか? あんたもええ加減学習せんとあかんで?」
「うん、前回の件は半分くらい君のせいだけどね」
「細かいことはええねん。ほら、何があったか話してみ? 口に出したらちょっとは楽になるかもしれんで?」
「……ほんっと、君はお人好しだね」
「アンタに言われたくないわ」
タマモクロスと軽口を叩きながら、僕は先日の一件以降調べ上げた資料を取り出し、それを彼女に無言で手渡す。
「ん、なんやこれ、ハッピーミーク? このウマ娘がどないしたんや?」
「そのウマ娘が天皇賞に出走するんだ」
「ほーん。せやけど、マックイーンなら大抵のウマ娘は敵やない……ん? んん??」
どうやらタマモクロスもハッピーミークの異常性に気がついたみたいだ。
ハッピーミークの脚質は先行、もしくは差しであり、これについては特におかしいところはない。マヤノトップガンのように変幻自在に脚質を変えられるようなウマ娘ではないことが分かっている。
問題はそれ以外だ。まずハッピーミークは芝にもダートにも適正がある。バ場を問わず走れるウマ娘というのは中々存在せず、パッと思いつくのでもアグネスデジタルくらいなものだ。
そしてさらに、彼女はバ場の適正だけでなく、短距離、マイル、中距離、長距離、全ての距離に適正がある。
つまり、どの距離、どのバ場でも己の実力をフルに活かせるということだ。
なんか、もう、ズルじゃない? こんなんチートじゃん。
「おいおい、なんやこれ……この学園にこんな実力者がおったなんてウチ知らんかったで……」
「僕もだよ。まさかここまで様々な方面で適正の高い子がいるなんてね」
「見た感じこのハッピーミークって娘、直近のレース結果も絶好調やな。おっちゃん、これは分かっとると思うけど……」
厳しい戦いになる。タマモクロスはそう言いたげな目をしていた。
実際、ハッピーミークの素質はとんでもない。そんなウマ娘にあの名門、桐生院家のトレーナーが付いたらそれはもう鬼に金棒だろう。実力だけの話をするならば、ハッピーミークはマックイーンに引けを取らないほどだ。
ただ一つ。一つだけ明確にこちら側に有利になるような情報が与えられている。それは簡単。ハッピーミークはメジロマックイーンをマークしてくるということだ。
「おっちゃん? おーい、さっきからボーッとしてるけど聞いてるか?」
「聞いてる聞いてる。タマモクロスは将来保育士になって子供の面倒を見るって話だろ?」
「そうそう、将来保育士なって……ってなんでやねん! ウチはクリークちゃうねんぞ!」
「似合ってると思うけど。もしかしてお世話される側が良かった?」
「ウチに喧嘩売るとはええ度胸やな。ちょっと表出ろや」
何故僕の周りのウマ娘は皆気が短いのだろうか。もっと大らかになればいいのに。そんなことを言えばさらに大目玉を喰らうのが確定しているので、これは墓場まで持っていこう。
「そんなことはどうでもよくて、タマモクロスはどうしてここに?」
「どうでもええて……まあええわ。お宅のお嬢様が天皇賞出るって聞いてな。世話になっとるおっちゃんとこのウマ娘ってのもあるし、声掛けとこ思ってな」
ああ。そういえば前も話したが、秋の天皇賞はタマモクロスにとって思い出深いレースだ。彼女も何か考えさせられるところがあるのだろう。
「ありがとう。やっぱり君は面倒見がいいな」
「面倒見るばっかりがええことやないってのは分かっとるんやけどなあ……。こないだクリークにも言われたばっかりやねんけど、こればっかりはどうしても……」
「それだとしても、誰かのために何かができるというのは素晴らしいことだと思うよ」
「ははっ、おおきにな」
実際、誰かのために何かをしてあげようとは思っても、それを行動に移せる人はごく少数だ。
「そういえばマックイーンはどないしたんや? もう授業終わっとるはずやろ?」
「今日もトレーニングの予定だし、もう少ししたらくるんじゃない……かな……」
「ん? どした、おっちゃん。ドアの方見て固まって……」
目先の方向にいたのは、いつのまにかトレーナー室に入ってきていたマックイーン。
……あれ? これデジャヴでは?
「……なあ、おっちゃん。ウチはそろそろ退散させてもらうで。まだ死にたないからな」
「引くタイミングを見誤ったな、タマモクロス。この前はそのせいで酷い目にあったんだ。今回は君も弁明に協力してもらおうじゃあないか」
「い、嫌や! アンタあのマックイーンの目が見えてないんか!? あれは確実にウチを殺そうとしとる目や! てかなんでおっちゃんそんな力強いねん! 火事場のバカ力にも程があるやろ! ちょっ、やめっ……マックイーン、一旦落ち着きな? 落ち着いて、落ち着き……う、うわあああああああああ!!」
「すみませんでした。まさか私の応援のために来てくれただなんて……。つい先日も私からトレーナーさんを奪おうとする不埒な輩が現れたもので焦ってしまって……」
「うん、それが誰だか知らんけど、碌な目に合わん気がするからウチは関わらんようにするわ」
マックイーンは目のハイライトを消して部屋に入ってきたが、まだギリギリ理性が残っていたようで、タマモクロスがマックイーンの応援に来たと説明をすると即座に我に帰った。多分これが僕だけだと信じてもらえてなかっただろう。悲しいね。
「ちょうどいいタイミングでマックイーンも来たことだし、トレーニングの前に見てもらいたいものがあるんだ」
「見てもらいたいもの?」
疑問符を浮かべるマックイーンに、先程タマモクロスにも見せた資料を渡す。
「これは……先日話されてたハッピーミークさんについての資料ですか?」
「ああ。見ての通り、どれを取ってもかなりの高水準だ。次のレース、君にとっての一番の脅威となりうると思ってね」
「……たしかにこれだけでもとても強いウマ娘というのが分かりますわ。先行や差し策を我が物とし、バ場と距離を問わずに走れる。オールラウンダーとしては申し分ないですわね」
そう言ってマックイーンは少し考え込む。対戦相手の情報というのは大切だ。確認しておいて損はない。
「直近のレースも勝ち続けとるし、天皇賞は中距離とはいえマックイーンの得意な距離とは言い難い。アンタのこと信じてないわけやないけど、これだけ見たら向こう側に分があると思うで」
「それはデータ上の話ですわ。レースに絶対はありません。タマモさん、貴方が一番よく分かっているはずですわよ?」
「……それもそうやな、悪かった。ウチはアンタのこと応援しとるで。気張りや、マックイーン」
痛いところを突かれたのか、タマモクロスはマックイーンの言葉に一瞬だけたじろぐ様子を見せる。
「ふふっ、ありがとうございます。さあトレーナーさん、天皇賞まで後少し。今日も張り切ってトレーニング……あら、そういえばダイヤさんはまだ来てませんの?」
「いや、休みとかの連絡は来てないからもうすぐ来てもおかしくないんだけど……」
今一度自分のウマホを確認するが、ダイヤからの連絡は無い。真面目な彼女が無断でトレーニングをサボるとは考えられないので、何かトラブルに巻き込まれたりしていないか心配になる。
「……ん? なんか変な声聞こえんか?」
「あ、ああ、それもだんだんこっちに近づいているような気が……」
足音、それもドタドタと走るわけではなく、どこか上品さを感じさせられるような足音が一つ。
「………………マックイーンさあああああああん!」
「ダ、ダイヤさん!?」
バタリとドアが開き、そこから現れたのは嬉しそうな表情をしたダイヤだった。何かしら暴走気味ということはマックイーン関連で何かあったのだろう。だが、当の本人は身に覚えがないように見える。
「遅かったじゃないか、ダイヤ。てっきり何かトラブルにでも巻き込まれたのかと思ったよ」
「? ここは学園内ですよ?」
「うん、だからこそだけど」
正直、トレセン学園の敷地内は日本でも有数の危険な場所だと思ってる。人間と似たようで人間を遥かに超えた身体機能を持つウマ娘がわんさかいる場所だ。壁や天井が破壊されていても何ら驚かない。
「は、はあ、トラブルには巻き込まれてないんですけど……。そうです、私のことなんかはいいんです! 今日はマックイーンさんのために様々な人が駆けつけてくれたんですよ!」
「私のために?」
「はい! もうすぐ来るはずなんですけど……」
ダイヤがドアの方を見ると、釣られて僕達もそちらを向く。横目に見えたマックイーンは、応援されるのが素直に嬉しいのか、少し表情が緩んでいる気がする。
ダイヤが呼んでくれた人というのは一体誰なのだろうか。一人目が扉の向こうから現れて……
「うおおおおおおお! アタシのファイティングスピリッツが宇宙を天元突破だせ! よっしゃ、行くぞマックイーン! ゴルシちゃん号で火星の王になってやるぜ!」
「こんなことだろうと思いましたわ! ダイヤさん、元いた場所に返して来てください!」
「そ、そんな殺生な……ちゃんとお散歩もしますしご飯も用意します!」
「いいえ、うちでは飼えません! トレーナーさんもそう仰っていますわ!」
「ト、トレーナーさん、お願いします! 私精一杯お世話するので!」
「…………なあ、お前らアタシを超えるボケするのやめてくんねえか?」
邂逅一番に訳の分からないことを言い出したゴールドシップは、さらに訳の分からない言葉で対応されたマックイーンとダイヤに対して真顔になる。やべーやつの対処法はさらにやべーやつをぶつけるというのが確実だということがよく分かる。
「冗談は置いておいて、何しに来ましたの? もしかして貴方がダイヤさんに呼ばれたという……?」
「おうよ! なんならアタシだけじゃないぜ! おいお前ら! さっさと入ってこい!」
「お、お邪魔します……」
「お邪魔しまーす!」
「失礼します」
ゴールドシップに呼ばれて三人のウマ娘が部屋に入ってきた。
「ライスさんにウララさん、それにイクノさんまで……!」
「こ、こんにちは、マックイーンさん」
「マックちゃん、応援に来たよ! てんのーしょー? って言うのに出るんだよね!」
「同室なのでわざわざお邪魔させて頂く必要はないと思ったのですが、せっかくなので皆さんと共に激励の言葉を贈りたいと思いまして」
かつて春の天皇賞で激戦を繰り広げた相手でもあるライスシャワー。そのライスシャワー繋がりでマックイーンと何度か会話をしているのを見かけたことのあるハルウララ。そしてマックイーンと同室でもあり、大阪杯や宝塚記念を共に走ったイクノディクタス。マックイーンにとってもそこそこ関わりのあるウマ娘達が集まってくれた。
「なんや、こんなに人集まるんやったらウチいらんかったとちゃうか?」
「そんなことありません。タマモさんの激励もしっかりと心に刻み込みましたわ」
「……そか。それにしても、アンタは幸せ者やな。こんなにええ友人がおって」
「ええ、私は世界一の幸せ者ですわ」
マックイーンは口角を少し上げて、しみじみとした様子でそう言う。
「おーい、なんだそのシケた雰囲気はよ。ほら、黙ってこっちで応援されろよっと!」
「きゃっ! き、急に持ち上げないでください! というか、天皇賞はまだ後日ですのよ! なのにこんな祝勝会みたいな空気感……」
「おっ、なんだ? 勝つ自信がないってのか?」
ゴールドシップの挑発染みた一言に、マックイーンの眉がピクリと上がった。
「……言いましたわね、ゴールドシップ。いいでしょう! ここまで皆さんから期待されているのです。メジロ家の誇りに懸けて、最高のレースをお届けしますわ!」
「マックイーンさん頑張ってください! 私も声を枯らして応援します!」
「ラ、ライスもダイヤちゃんに負けないくらいおっきい声で応援するね!」
「マックちゃん、お寿司! 買ったらお寿司行こー! エルちゃんに美味しいお寿司屋さん教えてもらったんだー!」
「ここまでのマックイーンの体重管理は想定の範囲内です。これならば当日も問題は無いでしょう」
マックイーンの宣言に、各々が激励の言葉を贈る。ダイヤも、ライスシャワーも、ハルウララも、イクノディクタスも、みんなマックイーンのために駆けつけてくれたと考えると、トレーナーとしても感謝の気持ちでいっぱいだ。
同時に、友達が少ない僕にとって友達が多いっていいなーという感情をも抱かせてくる。大人になったら中高の時の友達なんて疎遠になるものだろうが、それでも羨まずにはいられない。
そんな彼女達の楽しげな光景を遠巻きに見ながら、何かが足りないような気がした。
「ん、どうしたよ、マックちゃんのトレーナー。そんな鳩が豆鉄砲飲み込んだような顔して。なんか悩みでもあるなんなら、このゴルシ様が一億万円で解決してやるぜ。ローンも可だ」
ゴールドシップ、君はどこぞの豚をモチーフとした救いのヒーローか何かか?
「いやなに、トウカイテイオーの顔が見えないなと思ってね。天皇賞の出走名簿に彼女の名前は無かったはずだから来ない理由は無いと思ったんだけど……」
「……まあ、あいつにも色々あんだよ。それはアンタが心配することじゃねえ」
何か含みのある言い方だな。そう思ったが、いつになく真剣な表情でそう答えるゴールドシップを前に、僕は言葉を発することができなかった。
「そんなことより、アンタもこっち来いよ。隅っこで見守ってるだけじゃ退屈だろ?」
「ちょ、そんな引っ張らなくても……」
ま、まずい。このままではいい感じの空気感に僕という不純物が紛れ込んでしまう。ウマ娘達がそのような雰囲気でいるときに、無闇に間に入り込むのは厳禁とされている。ちなみに教祖はアグネスデジタル。
人間がウマ娘の力に叶うはずもなく、ゴールドシップにズルズルと引き摺られる。
「お、やっとこっち来たわ。ほら、アンタからもなんか言っとき?」
「いや、僕はいつでも言えるんだけど……」
「なんやいちいち細かい男やな。こういうのは雰囲気っちゅうもんが大切やと思うで?」
「そ、そうかなあ……?」
タマモクロスにそう言われてマックイーン達の方を見ると、彼女達もこちら側を見て何かを期待するような眼差しを向けていた。
あ、これ逃げられないやつだ。
「……君がいつか言っていた秋シニア三冠。それを達成したウマ娘は非常に少ない。その意味が分かるかい?」
「ええ。生半可な実力や覚悟では達成できない。そのことは重々承知していますわ」
「それでも、僕は君なら達成できると思っている。その初戦である天皇賞。勝ちに行こう、マックイーン!」
「っ、はい!」
僕が拳を差し出すと、マックイーンもそれに応えてくれるように拳を軽くぶつけ返してくれる。
天皇賞までもう日はない。いくらマックイーンのことを信じてるとは言え、日にちが近づくに連れて不安になってくるのは仕方がないだろう。一度抱いた不安はたとえ小さなものでも急激な速度で肥大化する。幸いにも僕はそう言ったことを隠し通すことが得意なので、彼女に余計な事を考えさせているという事はないはずだ。
外の景色は既に薄暗くなっており、ますます秋を感じさせる頃合いとなっていた。