レースが始まる数刻前、僕とダイヤはパドックでマックイーンを待ち伏せする。そこには、今日のレースに出るために気合充分と言った表情で、他のウマ娘達が続々とターフへ向かっていた。
一人、また一人と僕達の前を通り過ぎて行き、ようやく見知った顔が現れる。
「トレーナーさんにダイヤさん。ここまで来てくださいま……貴方達は何をしていましたの?」
「いや……ウマ娘って凄いなって……うっぷ」
ギャグ漫画のごとくダイヤに引っ張られ宙を舞った僕は、案の定三半規管を刺激され胃酸が逆流しそうになっていた。
アニメやゲームならこういったものに虹がかかるのだが、残念ながらこれは現実だ。万一にでもゲロってしまえばここは地獄絵図になってしまう。
「そんなことよりマックイーンさん、今日のレース頑張ってください! 私、一番大きな声で応援させていただきますので!」
そんなことよりってなんだよ、誰のせいだと思ってんだ。さっきの感心を返してほしい。
「ふふっ、それはスタンド前を通る時が楽しみですわね。そんなダイヤさんの期待に応えるべく、私も皆さんに最高のレースをお届けしますわ」
「はい!」
マックイーンの言葉に尻尾を振るダイヤは、まるでご主人に遊んでもらう時の犬のようだった。
彼女は今日のマックイーンのレースをそれほど楽しみにしていたということである。その気持ちは僕も同じであり、一緒に応援に来てくれたタマモクロス達、そしてマックイーンのファン達も変わらないだろう。
「……トレーナーさん? トレーナーさん! 聞いていますの?」
「ああ、少し考え事をしていてね」
「全く、レース前だというのに、トレーナーである貴方がボーッとされていては私も身が入りませんのよ?」
僕の態度が不誠実に見えたらしく、少々マックイーンがご機嫌斜めだ。レース自体にはあまり関係ないと思うが、レースの後が怖い。
「ごめんごめん。ほら、機嫌直してよ。しかめっ面だと可愛い顔が台無しだよ?」
「なっ、か、かわっ……!」
ちょろ。さすがマックイーンだ。
顔を赤らめモジモジするマックイーンを見るに、少なくとも不調ではないことが確認できる。
「き、急にそういうことを言うのはやめてください。私にも心の準備というものがありまして……。そ、その言葉、私以外に使ってはいけませんわよ? トレーナーさんの場合あらぬ誤解を生んでしまう可能性がありますので」
「は、はい、そうっすね」
マックイーンの言葉につい先ほどの桐生院トレーナーとの会話が思い返され、気を抜けば苦虫を噛み潰したような顔をしてしまいそうになるほどの後ろめたい気持ちになる。
いや、桐生院トレーナーに対してかけた言葉は『可愛い』ではなく『綺麗』だ。マックイーンにかけた言葉とは少し意味合いが違う。それに、桐生院トレーナーとの会話は大人の駆け引きというやつだ。
ノーカンノーカン、あれはマックイーンの言う『そのセリフ』には含まれない。
だからダイヤ、そのゴミを見る目をやめなさい。非人道的なことをした犯罪者を見るかのような目で僕を見るのをやめなさい。
「トレーナーさん、顔が青いですわよ? 先程もあまり体調が優れない様子でしたし、私のことは気にせず休んでいただいても……」
「い、いや、問題無い。酔いは収まってるし、健康体そのものだよ」
「そうですか? なら良いのですが……あら、あの方は……」
僕の体調を気にするマックイーンの思考は、一人のウマ娘によって霧散される。
彼女の視線先には、白い毛並み、白い勝負服、そして無表情と、なんとも分かりやすい特徴を持った適正お化けのウマ娘、ハッピーミークがいた。
向こうもこちらに気がついたようで、彼女の眉が少しだけ上がったような気がした
「ご機嫌よう、ハッピーミークさん。今日はいいレースにしましょう」
「……あ、メジロマックイーンさんと……トレーナーの彼氏」
「は?」
出会い頭にとんでもないことを言い出すハッピーミークにマックイーンはノータイムで反応し、瞬時に僕のことをものすごい目で睨みつけてくる。
「……ハッピーミーク、念の為に聞いておくが、トレーナー……君のトレーナーである桐生院トレーナーの彼氏って言うのは誰のことを指しているんだ?」
質問の答えと言わんばかりにハッピーミークは小さく僕のことを指差し、
「…………あなた」
「トレーナーさん、詳しく説明してください。今、私は冷静さを欠こうとしていますわ」
マックイーンの目からハイライトが失われた。おかしいな、今日のターフは良バ場のはずなのに、ここだけ重バ場になっている。
だが、僕と桐生院トレーナーが付き合っているという事実はどこにもないので、今回の件に関してはいくらでも否定できるのが幸いだ。
「マックイーン、よく聞くんだ。まず、僕と桐生院トレーナーが付き合っているなんて事実はどこにもない。きっとハッピーミークの勘違いか何かだ」
「…………でもトレーナーはあなたとのツーショットを見てニヤニヤしてました。正直気持ち悪かったです」
「トレーナーさん???」
「ま、待って! それは本当に知らないし不可抗力だ! それに、ツーショットの写真があるってだけで付き合ってるとは限らないでしょ!?」
「恋人でもない異性と二人っきりで一枚の写真に収まるのもいかがなものだと思いますわよ?」
ああ言えばこう言うとはまさにこのこと。レース前の大切な時間にこんな無駄な言い合いを続けるべきではないというのは分かっているが、一歩引けばなし崩し的にマックイーンの調子と僕の立場が決壊するという引くに引けない状況が出来上がっていた。詰みじゃん。
「はぁ……トレーナーさんもマックイーンさんも、いつまで睨み合ってるんですか? レース始まってしまいますよ?」
「「すみませんでした」」
一連の流れを微妙そうな顔付きで見ていたダイヤはいよいよ耐えきれなくなったのか、ため息をつきながら僕達に注意する。
どうにも彼女には頭が上がらない。ダイヤはマックイーンを慕っているようだが、客観的なヒエラルキーはダイヤの方が上だろう。
あれ? 僕はマックイーンにも頭が上がらないから……実質僕が最下層にいるってこと?
「見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありませんわ、ハッピーミークさん。ですが今日のレース、私が勝たせてもらいますわよ?」
「……望むところです。私も、あなたのレースを沢山見て勉強しました。それにトレーニングも……絶対に負けません……」
「……それはとても楽しみですわね」
少しの間のマックイーンとの睨み合いの末、ハッピーミークは一礼して先にターフへ向かう。
あまり話したことはないが、普段無表情からの程よく小さい声で話すハッピーミークからは考えられないほど、最後の言葉には熱が感じられた。それほど彼女が本気だということだ。
「さて、私もそろそろ参りますわ。これ以上ここで時間を消費していては、私抜きでレースが始まってしまいますもの」
「楽しみにしてるよ、ウイニングライブでセンターを飾る君の姿を」
「ふふっ、存分に期待してくださいませ。それと、今日のレースの作戦についてなんですけど……」
「言わなくてもいい、君のやりたいことは分かってる。どんな走りをするか、どのタイミングで仕掛けるか、誰を参考にしたか」
「……やはり、トレーナーさんに隠し事はできませんわね」
「うん、だから重ねて言うけど夜中にこっそりスイーツ食べようとするのはやめようね?」
「よ、余計なお世話ですわよ! そもそもイクノさんに止められてますし!」
それはつまり一人だと自制できていないってことになるんですけど大丈夫なんですかね。後でイクノディクタスには何かお礼をしておこう。
「コホン、それでは行って参りますわ。最高のレース、ファンの皆様にも、私の応援に来てくださった方々にも、そしてトレーナーさんとダイヤさんにも、お届けしてみせますわ」
「ああ、勝ちに行こう、マックイーン」
「っ、はいっ!」
僕とマックイーンは手を高く上げてハイタッチをし、彼女は僕達に背を向けてターフへ歩き出す。
マックイーンが表舞台に出たのと同時に、会場からは溢れんばかりの声援が聞こえてくる。
これはもたもたしてられない。僕達も早くタマモクロス達の元へ向かわなければ。
「あの、トレーナーさん。先程の会話から、今日のマックイーンさんの作戦は違うように聞こえたんですが……」
「それは……いや、実際にそのめで確かめた方がいいか。というわけで秘密だよ」
「むぅ……けち……」
確かにダイヤの予想は的中しているが、それをここで詳しく説明してしまっては面白くない。
そんな悪戯心を胸に抱き、膨れっ面をしたダイヤと共に観覧場所まで向かった。
***
「おっそいわおっちゃんら。もうレース始まるで……ってなんや、随分しんどそうやけど。体調でも悪いんか?」
「い、いや、なんでもない……ほんとに……」
このままではレースに間に合わないかと思い、ダイヤは途中で僕の手を掴み全力ダッシュをし、またしても僕の体は宙を舞うこととなった。
二回目だからといってそれに慣れるわけでもなく、相変わらず三半規管は悲鳴を上げ続けていた。
「おいおい、マックちゃんのレース前だってのに大丈夫かよトレーナー。ほら、あたしのドリンク分けてやっから体調戻せよ」
「サンキュー、ゴールドシップ……まっず! なにこれ!?」
「青汁」
「なんでこの状況でそんなもん持ってんだよ! てか君は今まで何してたの?」
「あたしの格好見て分かんねえか? 売り子だよ、売り子。途中でお米にも手伝ってもらったし、商売上がったり叶ったりだぜ」
ゴールドシップとライスシャワーは、祭りの時に使用するハッピのようなものを着ており、ライスシャワーに至っては何故か頭に豚のぬいぐるみが乗せられている。
ま、まあ本人も満更でもなさそうな顔してるしいいか。深くは考えないでおこう。
『さあ、ウマ娘達が続々と枠入りを完了しています』
『みんな気合充分、誰が勝ってもおかしくありませんよ』
実況、解説の声が聞こえ、なんとかレースに間に合ったということが実感させられる。
『ですが一番人気はやはりこのウマ娘、史上最強のステイヤーとも名高い、メジロマックイーン!』
『怪我を乗り越えた後の初のGⅠレース、前回のオープン戦も素晴らしい走りでしたし、好走を期待したいところです』
『そして二番人気はハッピーミーク!』
『ここ最近の彼女も調子が良さそうですからね。メジロマックイーンとの一騎打ちを期待してしまいます』
やはりマックイーンは圧倒的一番人気か。今更彼女がこんなことを気にするとは思えないが、それがプレッシャーにならないことを願う。
「マックイーンさん、見た感じ落ち着いてるように見えるね。レースのことについて考えてるのかな……?」
「いえ、マックイーンはああ見えて結構愉快な性格をしています。あんな真面目な表情をしていても、レース後に何のスイーツを食べるかなどということを考えていてもおかしくありません」
「イ、イクノさんのそのマックイーンさんに対する謎の信頼はライスには分かんないよ……」
さすがはマックイーンと同室であり、彼女のことを近くで見続けてきたイクノディクタスだ。彼女の言う通り、マックイーンがレースに関係ないこと、主にスイーツのことを考えていてもおかしくない。
そんなマックイーンも何事もなくゲートに入り、それに追従して他のウマ娘も続々とゲート入りをする。
「マックイーンさーん! 勝ってくださーい!」
「マックイーン、気張りや!」
ダイヤ達も各々マックイーンへの声援を送る。
僕も声を出した方がいいのかもしれないが、大の大人がみっともなく声を荒らげるのもどうかと思ったので心の内に留めておこう。
これ感謝祭の時の僕の悪口?
一人でバカなやり取りを行い、多少の緊張を紛らわす。こうでもしないと落ち着かない。
その間に全員のゲート入りが終わり、出走態勢が整う。レース場にいる人達は今か今かと彼女達の出走を待っており、この熱気が爆発する時の歓声と地響きがとんでもないことになることは始まる前から分かる。
さあ、マックイーン。秋の初戦のレース、君の思うように勝ちに行くんだ。
『さあ、スタートしました。各ウマ娘、いっせいにゲートを飛び出します。おおっと、これはどうしたことかメジロマックイーン』
『普段スタートした直後に先頭集団に位置する彼女が後方からのスタートとなるのは珍しいことですよ』
『これは失策、はたまた狙い通りか。依然マックイーンは集団後方、多くのウマ娘の背中を追う形となっております』
レースが始まって直後、いつもなら集団を先導するような先行策を取るマックイーンが最後方とまでは言わないが、かなり後ろに位置している。
これによって、会場からは多くの悲鳴が上がった。それはそうだ、ここにいるほとんどの人達はマックイーンの強い勝ち方を知っている。なのに今日の彼女はそうじゃない。失望したり気を落としたりしてしまう気持ちは分からなくもない。
「ああっ! マックイーンさん! マックイーンさんが!」
「ううっ……ダイヤちゃ……離し……苦しいよ……」
マックイーンの後方スタートにより、悲鳴を上げたのは観客だけではなかった。ダイヤは目の前の光景が信じ難いらしく、無意識に近くにいたハルウララの首を締める形で彼女を揺さぶる。可哀想に。
『メジロマックイーンが後方に沈んだのと同時に、ハッピーミークが前に上がってきます。いや、ハッピーミークだけじゃない。他のウマ娘達も彼女に続いてメジロマックイーンとの距離をグングン引き離します』
『メジロマックイーンにとっては久々のGⅠレース、やはり厳しいところがあるのでしょうか』
レースは早くも第2コーナーを回り向正面半ば。隊列は縦長となっており、多くのウマ娘は今のうちに後方に位置するマックイーンと距離を置きたいと思わせるようなハイペースでレースが進んでいる。
「ど、どうして? どうしてマックイーンさんはあんな後ろにいるの? どうしてみんなはスピードを上げてるの?」
「ええ、不可解です。百歩譲ってマックイーンが後方スタートなのはまだしも、彼女を意識しているならば、ここは速度を落として後半に足を溜めるのが定石なはず……」
ライスシャワーとイクノディクタスもこのレース展開に困惑している。ダイヤは相変わらずハルウララの首を絞めているし、この空間もレースとは別の意味でカオスと言ってもいい。
だが、いつもうるさいタマモクロスとゴールドシップが静かなのは意外だ。タマモクロスは似たような経験をしているからまだしも、あのゴールドシップまでも……いいや、聡い彼女のことだ。もしかしたらマックイーンのやりたいことに気がついているのかもしれない。
『ややハイペースな展開となった天皇賞秋。1000メートルの通過タイムは……なんと57秒5!』
『前方を走るウマ娘の体力が持つかどうか心配ですね』
レースは早くも後半戦、1000メートルを過ぎ第3コーナーへと差し掛かる。先頭集団のウマ娘達はすでに苦しそうな顔をしており、そのうちバテるという雰囲気を漂わせている。
その中でもハッピーミークはまだ余裕のありそうな表情をしており、少しずつ順位を上げて行っている。
対してマックイーンは未だ後方。ハッピーミークとの差は実に10バ身を超えている。
「マ、マックイーンさん! 頑張って!」
「マックイーン、まだこれからですよ!」
「マックイーンさーん! 頑張ってくださーい!」
「うぅ……ここは天国……?」
首を絞められ若干一名天に逝きかけているが、ダイヤ達は諦めずにマックイーンを応援する。とはいえ応援しているのは彼女達だけであり、周りの観客達は既に諦めムードが漂っていた。
『いよいよレースも終盤戦。前走る娘達は苦しいか、必死に走る、必死に走る。体力の限界が近そうに見えます』
『このスピードでは流石にハッピーミークも表情が辛そうに見えますね』
ハッピーミークが順位を上げた以外に目立ったところは無い。それはマックイーンの順位に変動がないことを意味する。
展開が薄いまま、彼女達は第4コーナーを過ぎ最後の直線へと入った。それと同時に今まで飛ばしてきたウマ娘達が失速する。2000メートルというあまり長くない距離とはいえ、ペース配分を考えなかったらああなるのも当然だ。
『さあ最後の直線! やはり伸びてきたのはハッピーミーク! 二番人気の実力を見せつけます! 速い、もはや独走状態です!』
実況解説観客中継、もはやどれもマックイーンに意識が向いていない。スタートの時点でメジロマックイーンは『終わった』と考えられている。
「マ、マックイーンさんが……」
「マックイーン……」
ライスシャワーとイクノディクタスは固唾を飲んでレースを見守っているが、周りの空気に呑まれてしまっている。
「……いえ、まだです」
そんな中、ダイヤが一際芯の入った声を出す。
「マックイーンさんはここからです。そうですよね、トレーナーさん?」
「……それ僕のセリフなんだけどなぁ」
ピンチをチャンスに変える。それこそ、我らがメジロマックイーンだ。
『なっ、後ろから驚異的な末脚を見せるウマ娘がいるぞ! メジロマックイーン、メジロマックイーンだ! 多数のウマ娘を抜き去り、一気に二番手にまで躍り出る!』
追込ウマ娘もビックリな末脚でレースを巻き返すマックイーン。彼女より前にいるハッピーミークに狙いを定めて最終直線でスパートをかける。
事前に悟ったであろうダイヤとタマモクロスとゴールドシップを除いて、他の娘達は言葉が失われていた。誰しも、あまりにも予想外の出来事が起こると言葉など発せなくなるものだ。
『マックイーンが凄い足で迫る! しかしハッピーミークも負けてられない! 体力も残りの距離も僅か! 苦しいぞハッピーミーク!』
「よっしゃ、そこだ、マックイーン!」
「やりたいことやれたんやろ? あとは走り切るだけやで!」
ここまで何も言わなかったゴールドシップとタマモクロスがマックイーンに対して声援を贈る。それを聞いてライスシャワー達は我に返ったように見えた。
『マックイーンがハッピーミークに並ぶ! マックイーンが並ぶ! そのまま一騎打ちに……』
他の追随を許さない、今のマックイーンにはこの言葉がよく似合う。
『ならない! 一騎打ちにはならない! マックイーン先頭! 1バ身、2バ身と差が開いていく! まさにトリックスター! 余裕の表情! メジロマックイーン、今一着でゴールインッ!』
「やったああああ! マックイーンさん!」
「うぇぇぇ!」
「ああっ、ダイヤちゃん! 死んじゃう! ウララちゃんが死んじゃうから離してあげて!」
終わってみれば二着のハッピーミークに3バ身差をつけてのマックイーンの快勝だった。あの走りっぷりを見せられては文句の一つも出ない……と、思っていた。
「ん? どうしたの、イクノディクタス」
「……やはり分かりません。何故マックイーンはあのような危険な手段を……? 最終直線であれだけの実力が発揮できるのなら、最初から彼女の強い走りをすれば良かったのでは?」
「うーん、まあそうなんだけど……強いて言うなら、小細工かな?」
「…………は?」
何言ってんだこいつと言いたげな目でイクノディクタスはこちらを見てくる。
言いたいことは分かるよ。でも小細工を舐めちゃあいけない。どんなに小さなことでも、それがどのように影響するかなんて誰にも分からないからね。
「今回のレースについて僕が説明しても良いが……おーい、そんなところで隠れてないで、いい加減君もこっちに来たら?」
側から見たら虚空に話しかけているようにも見えるかもしれないが、僕は確信を持ってその方向にいるだろう人物に呼びかける。
物陰から出てきたのは、案の定……
「ありゃ、バレちゃってましたか。トレーナーさんの目は誤魔化せませんね〜」
「ああ、バレてたよ、セイウンスカイ。そこにいることも、マックイーンに悪知恵入れ込んだのも」
「おっと、人聞きが悪いですよ。私はマックイーンさんに、勝つ手段を教えたあげただけですよ〜」
「物は言いようだな……」
夏合宿で共に行動し、マックイーン達にも多少なりとも影響を与えたセイウンスカイは気の抜けた態度で受け答えをする。
「それでスカイさん、これは一体どういうことですか? トレーナーさんの話だと、マックイーンにあの作戦を教えたのはあなただという話でしたけど」
「簡単だよ。マックイーンさん、レースが始まった時点で後ろにいたでしょ? 普段は前にいるのに」
「ええ。それもあって、多くの人はマックイーンは厳しいと…………いえ、待ってください、まさか厳しいと思わせるのが……!」
イクノディクタスは瞬時に気がつき、信じられない表情でセイウンスカイを見る。
「お、察しがいいねえ〜。そう、それが目的。私達が気がつくんだったら、一緒に走ってる娘達は気付かないはずがないよね? だからマックイーンさんが後ろにいるうちに距離を取りたかった。距離を取ればマックイーンさんに勝てると思っていた。マックイーンさんが後方から差しにくるなんて誰も考えてないだろうからね〜」
実際セイウンスカイの言う通りだ。マックイーンが差しや追込の作戦を取るなんて誰が想像できただろうか。まさしく死角からの一撃、意表を突いた作戦だ。
「君達は最初から分かってたんだろう? タマモクロス、ゴールドシップ」
「ウチは昔似たような作戦取っとったからな。マックイーンのやりたいこと、なんとなく分かってしもたわ」
「あたしのこと誰だと思ってんだ!? マックイーン検定準一級合格者、ゴールドシップ様だぜ!」
「……なんやねんそれ、どんな問題が出るんや?」
「マックイーンの体重は先月からいくら増加しましたかとかそんな感じだな」
「やめたれやそんな検定するの……」
なにそれ、今度僕も受けさせてもらおう。もちろんマックイーンには秘密にして。
「それよりおっちゃん、こんなマックイーンに聞かれたら殺されそうな会話しとる前に行くべきところあるんとちゃうか?」
「言われなくてもだよ。タマモクロス、一旦みんなことを頼む」
「任せとき。マックイーンも勝った後一番最初に見たいのはあんたの顔やろうしな。ほら、はよ行き?」
そう言ってタマモクロスは僕の背中を押す。
ああ、お礼は後で言っておこう。今は秋シニアの一冠目を達成したマックイーンを讃えるために、彼女の元へ向かうのが先だ。
「ウ、ウララさん! 戻ってきてください! 私が強く抱きしめ過ぎたばかりに……」
「あわわわ……ウララちゃんが……ウララちゃんが……!」
「まだ息はあります! 人工呼吸を早く……!」
「…………なあ、おっちゃん。さっきの言葉、やっぱ取り消したらあかんか?」
僕は一目散にパドックへ駆け出した……!
「あら、トレーナーさん。迎えに来てくれましたの?」
「ああ、そうだよ。そう言う君は、思ったより落ち着いてるんだね」
「今は人目がありますもの。ここが個人的な空間であれば今すぐにでも貴方に抱きつき……なんてこと言わせますの!?」
えぇ……勝手に自爆しただけじゃん……
あのカオスな場をタマモクロスに放り投げ、控え室へ向かう途中のマックイーンを捕まえる。
落ち着いているように見えるとは言ったが、彼女の内心は喜びの気持ちで一杯のはずだ。それを自制できるのはさすがとしか言いようがない。その調子でスイーツの我慢も頑張ってくれ。
「紆余曲折あったけど、秋シニア一冠目おめでとう」
「ありがとうございます。と言っても、あの走りではやはり違和感は拭えませんわね……」
「どんな走り方でも、最初にゴールを通過したウマ娘がそのレースの勝者だ。君は確実に勝つためにあの走りをしたんじゃないのかい?」
「……その通りですわ」
元々マックイーンは自分の走りを信じるタイプのウマ娘。勝利のために己の走り方を変えることは少なくとも僕が担当した中では初めてだ。
臨機応変。これも一つの成長と言ってもいい。
「どちらにせよ、セイウンスカイにはお礼参りをしとかないとね。夏合宿が終わってから妙に静かだなと思ったらこんな爆弾を仕掛けてたとは……」
「でも、そのおかげで勝てたのも事実ですわ。あまり彼女を責めないでください」
いや、責めるとかじゃないんだけど……セイウンスカイに手玉に取られたのが何というか……
マックイーンの勝利を讃える気持ちとセイウンスカイにしてやられ腑に落ちない気持ちの板挟みにされていると、背後から二つの影が迫ってくるのに気付く。
「…………あの、マックイーンさん……少し時間いいですか……?」
そこには先程までマックイーンと一位を争ったハッピーミーク、そしてその後ろで心配そうに彼女を見守る桐生院トレーナーの姿があった。
「ええ、構いませんわ」
「…………今日のあなたの走り、ビデオで見たのと全然違った……いつものあなたはあんな走り方しない……」
「そうですわね。いつもなら……尤も、ここでは昔ならと言うべきでしょうか」
マックイーンは自信ありげに、しかしどこか自嘲気味に言う。
「…………あなたは勝つために手段を選ばなかった」
「違いますわ。私は、勝つために手段を変えたのです。一昔前の私は自分の走りに固執していました。ですが、勝てる方法があるのにそれを試さないでいるのは損ではありませんこと?」
「…………それは……」
「己の走りを信じるのは良いことです。決して悪いことではありません。ですが、探究心を捨ててしまってはその先へは辿り着けはしないと思いますわ」
たしかに、ちょっと前のマックイーンからこんな言葉が聞けるとは到底思えない。
怪我以前のマックイーンは自分の走りを貫いていた。それはそれであまりにも強かったのだが、今の彼女はその時とはまた別の強さを感じる。
「…………あなたの言うその先って……」
「もちろんウマ娘たるもの、より強くなることですわ。メジロ家の誇りと、一心同体を誓ったトレーナーさんに懸けて」
マックイーンは自信満々にそう言うが、多数の優秀なウマ娘を輩出している名家と僕の名前が並べられているという事実に無性に背中が痒くなる。プレッシャーがすごいなぁ……
「…………今回はあなたの勝ちです……あなたの方が一枚上手だったのは認めます…………でも……」
ハッピーミークはきっとマックイーンを見返す。
「次は負けない」
「私は、次も勝ちを譲るつもりはありませんわよ」
普段無表情であまりはっきりとは喋らないハッピーミークから、想像もつかないくらい低い声音が聞き取れた。さらにマックイーンはそれに臆することなく言い返す。凌ぎを削った者同士、レースの後でも火花を散らしているのがなんともウマ娘らしい。
そんな二人を見守っていると、同じく二人を見守っていた桐生院トレーナーがこちらに近づいてくる。
「今日はありがとうございました。さすがはメジロマックイーンさんですね」
「ええ、マックイーンは凄いんです。でも、それに負けないくらいハッピーミークもいい走りでしたよ。まるで普段のマックイーンのような……」
「そうなんです! 私とあの子は日夜マックイーンさんが出走したレースを研究をしていてですね! レース前の実況を聞くだけでなんのレースか分かるほどになりましたよ!」
そ、そんなに? そこまでするなら他のところに労力を回した方がいい気もするんだが……
「……それでも届きませんでしたけどね。結局私はミークを勝たせてあげることができませんでした」
「……勝負の世界ですからね。担当ウマ娘が負けてしまって自分を責める気持ちはよく分かりますよ」
「……あなたにもそんなことがあったんですか?」
「むしろこれを経験しないトレーナーはいないと思いますよ。僕なんてマックイーンが負けた暁には、自分のせいだと思い込んで一晩寝れなかったことなんてザラにありますよ」
場の雰囲気を和らげようと、冗談めかして桐生院トレーナーに話す。実際、内容は冗談ではなく事実ではある。
「……やっぱりあなたは凄い方ですね」
え? 今の会話のどこに僕の凄い所があったの?
「うん、次は負けませんよ! いずれはミークと私でマックイーンさんとサトノダイヤモンドさんを下してみせます!」
「……マックイーンとダイヤは強いですよ。返り討ちにさせてもらいます」
勝っても負けても最後は握手さ、某国民的アニメのオープニングに倣って、僕と桐生院トレーナーは手を取る。
その際、真横からとんでもない圧を感じた気がするが全力で無視した。ちょっと今いい所だからさ。
「あ、そうだ! もしよければあなたにもこれを使って欲しいんです!」
急に宗教勧誘のおばちゃんみたいなことを言い出した桐生院トレーナーは、懐から一冊の本を取り出……いや、その大きさの本どこにしまってたんだよ。
「えっと、これは一体……?」
「それは我が桐生院家に伝わる『トレーナー白書』と言って、ウマ娘育成の極意が書かれてあるんです」
ほう、あの名門である『桐生院』家の……
興味深く思い、パラパラとページを捲る。
「ライバルに塩を送るわけじゃないですけど、同じ栄冠を目指す者としてそれを使ってもらいたくて……。あっ、そのページに書いてあることはオススメですよ! なんでもレース序盤に囲まれた時、持久力を抑える方法が……」
そこまで聞いて僕はそっと本を閉じた。
***
日本から遠く離れた異国の地、フランス。
背丈が高くブロンドの髪に青い瞳を持つ一人のウマ娘は、とある一本の中継を見ていた。
『一騎打ちにはならない! マックイーン先頭! 1バ身、2バ身と差が開いていく! まさにトリックスター! 余裕の表情! メジロマックイーン、今一着でゴールインッ!』
画面に映っているレースの勝敗が決すると同時に、そのウマ娘は中継を切る。
「Heh, On dirait qu'il y a encore des gens intéressants au Japon(へぇ、日本にはまだまだ面白そうなウマ娘がいるみたいだ)」
荒々しく好戦的に、人前では絶対に見せないような顔で、そのウマ娘は不敵に笑う。