ウマ娘に関わる仕事をする人間であれば、ブロワイエというウマ娘を知らない者はいないだろう。絢爛なマントと古式ゆかしき衛兵のような勝負服に身を包み、フランスレース界のトップを張っているウマ娘である。
ヨーロッパ最強のウマ娘と言っても過言ではなく、その強さはあのエルコンドルパサーをも差し切り勝利を勝ち取った凱旋門賞で十二分以上に証明されているだろう。
まさに、てん良し、中良し、仕舞い良しの「完璧なウマ娘」と言った所だ。
「ブロワイエがジャパンカップに出るって聞いて様子を見に来たら、これまた酷い有様だなぁ」
「うるさいですね、ほっといてください」
沖野トレーナーとの仲は決して悪くはない。むしろトレーナーとして尊敬している。だが直接話すのはあまり得意ではない。なんかこう、めちゃくちゃイジリ倒してくる部活の先輩のような感じが……
「……僕に何か用事でもあるんですか? あなたが用も無しに話しかけるとは思えないんで」
「おいおい、辛辣だなぁ。せっかく悩んでる後輩の手助けでもしてやろうと思ってんのに。ほら、最近困ってることとかないか? 俺にかかれば大抵のことは解決してやるぞ?」
「そうですか。では最近僕のトレーナー室に入り浸っているゴールドシップをどうにかできませんかね。この間は部屋でお好み焼き作り出したんですけど」
「……わり、それは無理な話だ」
いや注意しろよ。チームスピカもといゴールドシップのトレーナーはあんただろうが、手綱はちゃんと引いとけよ。
そう抗議したかったが、それを言ったところで「俺は放任主義なんだ」と返されるのがオチなのでこれ以上の追及を断念した。
「はぁ、まあいいです。それで、本当に何の用なんですか? 側から見たら暇そうに見えるかもしれないですけど、ジャパンカップのことだけじゃなくてダイヤのデビューのことや日々の事務作業で手一杯で……」
「そう焦んなよ、焦って周りが見えなくなるのはお前の昔からの悪い癖だ。お前は予期せぬ事態ってやつに弱いもんなあ?」
「む……」
いつもこの人には言いたいことが山ほどあるが、今この状況では何も言い返す言葉が無かった。
沖野トレーナーは普段軽薄な態度を取っているにも関わらず、発言や行動などは的確だ。ウマ娘を見つけては足を触りに行くというセクハラ染みた行動を除いては。
「……降参です。やっぱ僕はあなたには敵わないみたいですね」
「はっ、お前が俺に勝とうなんざ100年早いってもんだ。悔しかったら彼女の1人でも作って俺に自慢して来るんだな」
「帰っていいですか?」
そもそもあんたも独身だろうが。その点では劣っているどころか五分、イーブンだ。
せいぜいこの人と仲が良い女性なんておハナさんこと東条トレーナー、スピカの一員であるサイレンススズカに……なんだろう、何故こんな負けたような気持ちになるのだろう。中等部のマックイーンをカウントするとなんだか本格的に負けたような気がするし……帰ろ。
「待て待て待て待て、本当に帰るやつがいるか! 悪かった、冗談だ。まさかそんな落ち込むなんて思ってなくてよ」
「……沖野トレーナーはいいですよね、恵まれてて」
「は? 何がだ?」
なんだこの人、鈍感系主人公か何かか? そういうのは異世界行ってからやってもらえませんかね。
テキトーな軽口を言い合ってる間に、後日体調を崩しそうな勢いで体が冷え込んでしまう。今の服装はこの寒さに見合ったものではないため、余計に寒く感じる。
一応明日は休日であり、トレーニングの予定も無いため多少は無茶をしても大丈夫なのだが、できればしんどい思いはしたくない。
「あの、本当に僕帰っていいですかね? 寒いの苦手なんで、これ以上こんな格好でここにいたら風邪引くし、本当に用があったんならまた後日に……って、おっと」
寒さに震えながら帰宅を促していると、沖野トレーナーから突然何かが放り投げられた。
これは……棒付きキャンディ? それもこの人がよく咥えてる種類の……
怪訝な目で沖野トレーナーを見ると、予め何個か持っていたのか、彼は新しいキャンディを取り出し、ニヒルな笑みを浮かべながらそれを咥える。
「なぁ、ちょっとばかし俺に付き合わねぇか?」
辿り着いた場所は都内某所のバー、どこに連れ回されるのだろうと思っていたが、そこは意外にもすっきりとした場所だった。
普段アルコールの類を摂取することがあまり無いので、僕の酒やカクテルに関しての知識はゼロではないにしろほとんど知らないと言ってもいいほどのものだ。
だが、マスターの後ろに並んでいる酒やワインは素人の僕から見ても高級そうに見える。それだけならまだしも、いつも金欠と嘆いている沖野トレーナーがここの常連だと聞いた時は半信半疑だった。
「マスター、いつもの」
「かしこまりました」
ところがどっこい、沖野トレーナーは慣れた様子でオーダーを通し、マスターと呼ばれた男性も、そのオーダーを理解しているようだ。どうやら沖野トレーナーがここの常連というのは本当のことらしい。……ふむ、沖野トレーナーは何か錬金術でも使っているのだろうか。今度さりげなく聞いておこう。
「そちらのお客様はどうなさいますか?」
「うぇ、僕? あー……僕はお酒ダメなんで、オレンジジュースをお願いします」
「かしこまりました」
マスターに僕の渾身のボケを変わらぬ笑みで返されてしまい少しばかり悲しくなる。逆に沖野トレーナーには伝わったようで、彼は僕の言葉を聞いてから吹き出してしまった。良かった、ネタが伝わる人がいて。
オーダーを通してからものの一分足らずで沖野トレーナーのカクテルとオレンジジュースが出される。
まずは一杯、と言わんばかりに沖野トレーナーはグラスに口をつける。僕もそれに倣ってオレンジジュースの入ったコップ手に取り……いや、オレンジジュースて。注文しといてなんだが、やっぱり適当なカクテルとかにしておけばよかった。
「まずは秋の天皇賞、メジロマックイーン一着おめでとさん」
「え、ああ、ありがとうございます。沖野トレーナーも見てたんですね」
「そりゃ見るだろ。なんせ、一世を風靡したメジロマックイーンの久々のGⅠレースだからな。あの最後の末脚、是非うちのチームに欲しいってもんだ。おっと、そんな怖い顔すんなよ。別に引き抜きとかは考えてねぇから」
沖野トレーナーのチームに欲しいという発言につい反応してしまい、威嚇するように彼を睨みつけてしまう。
実際マックイーンが取られてしまうと考えると物凄く嫌な気持ちになる。本人がそう希望しない限りは僕から手放すことはないと断言しよう。これが父性か……
「天皇賞の次はジャパンカップ、そして有馬記念ってとこか? そしてそのジャパンカップの相手はブロワイエと……なかなかハードなスケジュールだな」
「マックイーン本人が秋シニア三冠を目指すと言ったんです。だったら僕はそれを全力で支える……支えるだけですよ」
「……ほーん、支えると……」
支える、という単語をつい言い淀んでしまった。
今の僕は、本当に彼女達を支えてあげられていることができているのだろうか。最近これについてばかり悩んでいるが、トレーナーを生業とする者、少なくとも僕にとっては切って切れない悩みだ。
早い話、僕は彼女達に何もできてないんじゃないかということだ。
「……何考えてるかはよく分からんが、大方自分が担当ウマ娘に対して何もできてないって感じてうじうじしてるってところだろうよ」
「なんで分からないって言ってるのにそんなドンピシャで当てられるんですかねえ!? 後うじうじはしてない!」
「うじうじしてるだろ……。まあなんだ、なんで分かるかってーと、お前のとはちょっと違うが、俺にも似たような時期があったからな」
「えっ……あの軽薄な態度でいつも東条トレーナーを怒らせて金欠金欠騒いでてイキリキャンディみたく飴咥えてる沖野トレーナーにもそんな時期が……?」
「ほとんど俺の悪口じゃねえか! てかこの飴は……いや、なんでもない。とにかく、飴についてはちゃんとした理由があるんだよ!」
「前半の内容は否定しないんですね」
「……」
墓穴を掘ったな。これが沖野トレーナーに対する初勝利だ、やったぜ。こんなんでいいのか。
「……俺もお前と似たような時期があってよ」
あ、そのまま続けるんですね。
「俺は今も昔もトレーナーとしての指導スタイルは変わってないんだが、どうも自由に走らせるという俺の理念と合わないウマ娘が多かったみたいでな。続々と退部者を出したもんだ」
今やリギルに並んでトップレベルのチームとなったスピカにそんな過去があったなんて俄には信じられない。
「そんなこんなで、俺にも多少ブルーな気持ちになった過去があったってもんだ。ま、そん時はとあるウマ娘の走りを見てそんな気持ち吹き飛んだんだけどな。あ、マスター、同じのをおかわりで」
とあるウマ娘というのは十中八九サイレンススズカだろう。たしかに自分の惚れた走りを見ると嫌なことなんて吹き飛んでしまうのは分からなくもない。だが、それだけで悩みが解決するならば苦労はしないのもまた事実だ。
「とにかく、俺から言いたいのはいつまでも難しく考え過ぎんなってことだ」
「えぇ……もっとこう……具体的なアドバイスって有りませんかね?」
「無い! 答えは自分で見つけるんだな。それができなきゃいつまでも三流トレーナーだぞ」
ちっ、ダメか。
まあ沖野トレーナーの言うことはもっともだ。この悩みを無関係の人に解決してもらっても意味が無い。答えを知るのは当分先になりそうではあるけれど。
「……分かりました。とりあえずは直近のレースに全力投球してみます」
「おう、それがいい……っつっても、まさかジャパンカップにまたブロワイエが出走するとは俺も予想してなかった」
「またって……あ、そういえば前にスペシャルウィークが……」
「そうそう、あん時のスペの末脚と言ったら……! まあその後の有馬ではグラスワンダーにハナ差で負けたんだがな」
スペシャルウィークのジャパンカップと言うと、あのとてつもない強さでブロワイエ含む他のウマ娘を圧倒した伝説のレースだ。あのレースを見た時は僕も開いた口が塞がらなかった。
「なんにせよ、一ミリも油断はできないぞ。ブロワイエの実力は本物だ。ワンチャンあるや小細工なんかは通用しない。実力一本勝負ってところだな」
「ええ、分かってますよ。天皇賞の時のような手段は使えません。だったらマックイーンは自分の走りをするしかありませんから」
天皇賞はほとんどのウマ娘がマックイーンをマークしてきたが、ジャパンカップではそう言ったことはないだろう。前走で相手を騙すような走りをしたから警戒されるというのもあるけれど、相手があのブロワイエというのが大きな理由だ。付け焼き刃の技術で勝てるとは思えない。
「……なあ、少し変なことを聞いてもいいか?」
「はい、なんですか? 沖野トレーナーの言うことは9割変なことだと思いますけど」
「一々言葉に棘があるな……。いやなに、もし、もし万が一メジロマックイーンがジャパンカップに負けたら、あいつはその後のレースをどうすると思う?」
何を聞かれるのかと思ったら、なんだそんなことか。
「関係ないですね。例えジャパンカップに負けようとも、彼女のレースに対する姿勢は変わりません。むしろそれすらも強みに変えますよ」
裏では悔しくて大泣きするかもしれないけど、それを励ますのは僕の役目だ。
「そうか……ならいいんだ。これならテイオーとも……」
「ん、なんですか? トウカイテイオー?」
「ああいやなんでもない! そうだ、テイオーに憧れてスピカに入部してきたキタサンブラックってウマ娘のこと、お前は知ってるか?」
「キタサンブラックですか? ええ、一応知ってますけど。ダイヤのライバルですし」
「そのキタサンブラックなんだが、来年デビュー戦が決まってなぁ」
「………………は?」
えっ、キタサンブラックってダイヤと一緒に入学してたよな? つまりは新入生ってことだ。そして来年ってことは……
「もうすぐじゃないですか! それにキタサンブラックって新入生ですよ!? 流石に早すぎじゃないですか!?」
「そんなことねえよ。スペなんかはトレセン学園に来てから一週間でデビュー戦だったからな。それに、キタサンブラック本人が早く走りたいって言うんだからそれを拒むなんてことはできねえ」
薄々感づいてはいたが、やはり本人による希望か。それを尊重するのもなんだか沖野トレーナーらしいな。
「それで、そっちのサトノダイヤモンドはいつデビュー予定なんだ? その感じだと少なくとも来年ってことは無さそうだが……」
「……ダイヤのデビューは再来年、キタサンブラックの一年後ってとこですかね」
「となると、再来年になるまで二人の戦いはお預けか。二人ともとんでもない才能を持ってるからな、今からでも走りが楽しみだ」
「それに関しては全面的に同意しますよ」
成長したダイヤとキタサンブラックがどんな勝負を繰り広げるのか、まだ遠い未来ではあるものの、ついそれに胸を弾ませてしまう。
「そろそろ潮時だな。分かってるとは思うが、今目を向けるのは目先のレースだ。担当ウマ娘について悩むのはいい。だが難しく考えすぎるな。ありのまま、自然体でいれば自ずと答えは出てくるもんさ」
「……その答え、一人で導き出せますかね」
「別に一人で考えろなんて言ってねえよ。お前には信頼できるウマ娘が少なくとも二人……場合によってはもっと多いだろ?」
……担当ウマ娘のことで悩んでいるのに、そのことを担当ウマ娘に話すのもどうなのだろうか。
「ヒントを出すと、一番最初のアドバイス……もとい軽口を思い出してしっかりと自分を見つめることだな」
「は、いやなんのこと……」
「さ、帰るぞ帰るぞ。お前もさっさとそれを飲み干せ」
全くこの人はいつも僕を振り回すんだから……
残ったオレンジジュースを一気飲みし一息つく。
そんな沖野トレーナーのことを尊敬している僕も僕か。なんだかんだで言うことを聞いておいて損は無い。
こういった性格故に彼を支持する人は多く、特に新人トレーナーなんかからはかなり人気である。女性トレーナーが近づくとサイレンススズカが少し離れたところで物凄い目で牽制しているという情報も付け加えておこう。
先程の会話で何かを得られたかと言われたらそれは少し怪しい。でも、何かを得るためのヒントは掴めたかもしれない。悩んでいる時に彼と話すと、何かを掴めるんじゃないかとすら思わせてくるのはもはや魔法か何かじゃないかと疑ってしまう。
今回も例に漏れずそれだ。さすがは沖野トレーナー、期待を裏切らない。
「あ、悪りぃ、俺金欠だから今夜の飲み代奢ってくんね?」
……さすがは沖野トレーナー、期待を裏切らない。