なんやかんやあってジャパンカップ当日。レース開始の数分前、僕達はレースが一番良く見えるスタンドにて待機していた。
と、軽く言ってはみたが、ジャパンカップまでのなんやかんやの部分が気になる人が大多数だろう。レースの前にその話を少しだけさせてもらいたい。
あれはマックイーンがライスシャワー達と食事に行った翌日のこと、僕が沖野トレーナーとバーに行った日の翌々日ということになるな。
マックイーンはスイーツに対する欲望を自制するのが難しい。彼女のスイーツ欲を抑えるのは至難の業だ。
そのためスイーツ以外の食べ物でもそう言ったことがないか不安視していたのだけれど、特にそのようなことはなく、ジャパンカップに向け気合を入れてトレーニングをしていた。
いや、気合いが入りすぎていた。
もちろん、ブロワイエがジャパンカップに参戦するという意思表明があったのでそうなることもわからなくもない。でも、それにしてもだ。
何かあったのかと聞いても「なんでもありませんわ」の一点張り。そこをなんとかするのがトレーナーの仕事だろと言われたらぐぅの音も出ないが、無理にでも彼女の本音を聞き出そうとするのは逆効果にしかならない。
それに、そんなマックイーンのことを心配していたのは何も僕だけじゃあない。
マックイーンのことを一番近くで見ていたダイヤだってそうだ。普段マックイーンをよく見ている彼女にとってもその時のマックイーンは些か奇妙に感じたらしく、度々声をかけている様子を見かけた。
そんなダイヤにもマックイーンは僕に対する態度と同じような感じであったため、原因は他のところにあることが分かったが、そこから先は分からない。ライスシャワー達と出かけた日に何かあったのか、はたまた……
とはいえ、マックイーンの調子は良好そのもの。ストップウォッチに映る数字は普段よりも良いものだ。
このまま放っておいても彼女はジャパンカップを勝つことができるのかもしれない。
けれどそれは本当に我々が言う『一心同体』なのか。
邪魔をするな、余計なことをするな。もし僕が何も知らないマックイーンの一ファンだったらそう思ってしまうだろう。
僕には前科がある。マックイーンの左脚を壊しかけてしまったという重罪が。
「……レーナーさん」
それでも……それでも僕はメジロマックイーンのトレーナーだ。この状況を放っておいていいはずが無……
「トレーナーさん!!」
「わひゃい!? な、なんだダイヤか……どうした、急に大声なんか出して?」
「さっきからずっと呼んでましたよ! トレーナーさんの方こそどうしたんですか? やっと返事をしたと思ったらそんな気持ちわ……変な声を出して」
「今もしかして気持ち悪いって言おうとした?」
歳が離れていようがいまいが異性から気持ち悪いと言われるのは中々心に来る。今でこそある程度大人になったから耐えることができたものの、もし学生時代にこんなこと言われたら涙で枕を水没させていた。
「なんや、そんな辛気臭い面して。もうすぐマックイーンのレースやっちゅうのになんかあったんか?」
「いや……何もない。うん、何もないよ」
ほんまかぁ? と言わんばかりのジト目で僕のことを見るタマモクロス。個人的にはなぜ君がここにいるのかをジト目で問いただしたいところだ。でもそんなことをすれば本当に気持ち悪いと総スカンを喰らうことが確定している。
前回の天皇賞と同じく、タマモクロスをはじめとした面々が当たり前のようについてきていた。
春のファン感謝祭から何かと気をかけてくれているタマモクロス。最近よくマックイーンのトレーニングに付き合ってくれているライスシャワーとハルウララ。マックイーンの体重管理に協力してくれているイクノディクタス。なんかいるゴールドシップ。
そして僕のもう一人の担当ウマ娘のダイヤ、と。
「うおー! 今日はおっきな声で応援するぞー! マックちゃーん、がんばれー!」
「ウ、ウララちゃん、マックイーンさん達まだ出てきてないから……」
「その応援、マックイーンが出てきた時に取っておきましょう。それにしても今日は……いえ、今日も人が多いですね。やはりそれだけ注目されているということでしょうか」
イクノディクタスが視線をスタンドや観客席に移すのに釣られ、他の面子もその方向に視線を移す。かくいう僕もその視線移動に釣られており、レース場の人の多さを目の当たりにしている。
今日はGⅠレースの開催日、それもジャパンカップ、さらに注目の出走ウマ娘はと言えば……
「そらそうやろ。今日のレースにはマックイーンだけやない、あのブロワイエまで出走するんや。むしろ人が集まらん方がおかしいっちゅうもんやろ」
メジロマックイーンを抑えて圧倒的一番人気のブロワイエ。一度ジャパンカップでは敗れているとは言っても、欧州最強、凱旋門賞の覇者といった肩書きは伊達じゃない程の人気を誇っている。
「で、でもでも、マックイーンさんだって負けてませんよ! だって今日のために猛特訓しましたもん! ね、トレーナーさん?」
「……ああ、そうだね。マックイーンは勝つよ」
「……トレーナーさん?」
「……え、あ、いやなんでもない。マックイーンの練習風景は僕達がよく知ってるからね。例え相手がブロワイエでも心配は無いさ」
歯切れの悪い返事をしてしまいこの場に少しばかり気まずい空気が流れてしまう。
「……あー、ゴルシちゃんちょっとマックイーンからの伝言伝え忘れちゃってたぜ。『レース前になると不安で不安で仕方ありませんの……是非トレーナーさんの顔を見て安心したいですわ』、だってさ」
「いや、絶対嘘でしょ。第一、仮に君の言うことが本当だったとしてもマックイーンが君にそんなこと言うはずが無いよ」
今日はやけに静かだなと思ったら、急にとんでもないことをゴールドシップは言い出した。場の雰囲気を和らげようとしてくれているのだろうが、少なくとも今の僕にとっては効き目は無い。
「ってちょっと、何」
「いいから早く行ってこいよ。マックイーンならアンタの顔見ただけで泣いて喜ぶぜ?」
「ああもう分かった、分かったから押すな! そもそも最初からマックイーンのところには行くつもりだったから!」
「んじゃ、にんじん焼きとにんじんジュース、よろしくなー!」
それが狙いか。
前回と同じく、相変わらず僕はパシリにされるらしい。年下のウマ娘に気持ち悪いと言われかけ、パシリにされる。
なに? 僕前世で大罪でも犯した?
ゴールドシップだけに欲しい物を買うというのも不公平なので、全員分の希望を聞いて回る。
その時にいい笑顔で大量に注文していたタマモクロスとイクノディクタスだったが、安心しろ。君達の言ったことはほとんど忘れた。
「それじゃ、ちょっと行ってくるよ。くれぐれも僕がいない間に問題起こすなよ?」
「それはアンタがいれば問題起こしてもいいってことか?」
「ちげぇよ!!」
やはり沖野トレーナーにはゴールドシップの管理をきちんとお願いしておこう。このレースが終わったら彼のトレーナー室にカチコミだ。
……ゴールドシップがいるとはいえ、しっかり者のタマモクロスとイクノディクタスがいれば大丈夫だろう……大丈夫だと思いたい。
「あっ、トレーナーさん、私も行きま……」
「ダイヤ、あいつ一人で行かせてやれ」
「ゴールドシップさん……でも……」
その場を後にする直前、そんな会話が聞こえてきたような気がした。
***
気分は好調、不安要素は無し、体重管理もイクノさんの協力の下完璧、今日の状態は天皇賞の時をも上回っている気がする。これなら普段以上の実力が出せそうだ。
私は年度代表ウマ娘に選ばれた時に授与された白い勝負服を身に纏い、控室の鏡を前にして精神統一を図っていた。
レースまではまだ時間があるため、心を落ち着かせる余裕は充分にある。その分の時間は好きなことでも考えるとでもしよう。
駅前のスイーツのこと、新しくオープンしたクレープ屋さんのこと、ゴールドシップに教わった駄菓子のこと……スイーツに関することしかありませんわね。スイーツ以外で何か他に好きなものは……
そう、例えば一緒にいると安心できて、私のことを大切に思ってくれていて、他の誰にも取られるわけにはいかないような人とか……
そこまで考えて私は自分自身の頬をぶん殴った。
何が好きなものでも考えようですか! これではただの好きな人ではないですか! それも殿方でこれに当てはまる人と言ったら……!
生じた煩悩を振り払うべく、私は自分以外には誰もいない部屋の中をゴロゴロと転がり回る。
レースと青春、どちらが大切かと言われたら選べないほどに私は彼に惹かれているのは事実だ。でもそれはレース前に考えるようなことじゃないだろう。考えたとしても、それは私と彼の信頼関係くらいなもの。決して色ボケた話ではない。
2、3分転がり続けた後、服についた埃を払うと、もう一度鏡の前に座り現実と向き合う。
真っ先に考えたのは今日のレースのこと、もといレース相手であるブロワイエのことだ。あの時共にした時間は長くなかったけれど、体格や一瞬見えた脚の筋肉などはまさに一流のウマ娘と言われるに相応しいものだった。
そんな強者が私の前に立ちはだかる。私だって一人のウマ娘だ。相手が強くてがっかりするなんてことが今までになかったわけではない。
でも今回は不思議と不安はなかった。
だって、私には応援してくれる友人が、共に競ってくれる仲間が、そして最も信頼を寄せる彼がいますもの。
今一度気合を入れていると、コンコンとドアが2回ノックされる。
誰ですの、ここはお手洗いではありませんのよ。
「ス、スペちゃん! 応援したい気持ちは分かりマスが、このタイミングはまずいデスよ!」
「え、でも私がジャパンカップ走った時はみんなこのくらいに来てくれたと思うんだけど……」
「でもここまで来たってことは、エルも引くつもりはなかったってことですよね?」
「そ、それはそうデスけど……」
声から判断するに、ノックの主はスペシャルウィークさん、エルコンドルパサーさん、そしてグラスワンダーさんの三人のようだ。何かあったのだろうか。
「どうぞ、鍵ならかかっていませんわ」
「あっ、お邪魔しまーす! マックイーンさんがブロワイエさんとの対決ってことで応援に……って、どうしたんだべかそのほっぺた!? ちょびっと腫れてるっしょよ!?」
あ、私としたことが先程自分の目を覚ますために頬を殴ったことを忘れてました。事の経緯を詳らかに話すわけにもいかないし、何か上手く誤魔化さなくてはならない。
「これは……トレーニングの一環ですわ」
「ト、トレーニングの……! それは一体……!」
「こうして己の頬を叩くことで、辛いトレーニングにも耐えうる忍耐力をつけるのです」
「な、なるほど! 私も今日から試してみますね!」
自分でこんなこと言っておいてなんだが、スペシャルウィークさんはまさか本当に信じているのではないだろうか。私は時たまこの方の純粋さが怖くなる。
「マックイーンさん、スペちゃんに嘘を吹き込むのはやめてくださいね〜?」
「……すみませんでした」
「えっ、嘘? 嘘だったんですか!?」
むしろなぜ気が付かないのか。そう問いただしたかったが、グラスワンダーさんが怖かったのでやめた。
「信じるスペちゃんもスペちゃんデスが、マックイーンも大概デスね。言動がますますゴールドシップに似てきています」
…………は?
「聞き捨てなりませんわ、エルコンドルパサーさん! 訂正してくださいまし! 私はあの異様と奇怪と奇天烈を足して割らないようなウマ娘とは全然違いますわよ!」
「ゴールドシップの普段の言動と、さっきのマックイーンの発言を比べてみてから反論するといいデスよ」
返す言葉がありませんわね。ぐうの音も出ませんわ。
「マ、マックイーンさん!? その小刀は一体どこから!? そんなの持ってたら銃刀法違反ですよ!」
「スペちゃんツッコむところを間違えてますよ! マックイーン、アタシが言い過ぎました! だから自害しようとするのはヤメテ!」
「止めないでください! 私は……私はもう生きていけませんわ! もうこの身を以て償うしか……!」
「あーもうどうしたら……! グラス、あなたからも何か言ってあげてください!」
「……過ちを認め、己の矜持を正そうとするその姿。それを阻もうとするとは……エル、腹を切りなさい」
「グラス!?」
なんにせよ、本当に自害しようなどとは一ミリも考えていない。ただ、己の言動を恥じているのは確かだ。このままでは、いつかゴールドシップが言っていた『彼女の影に隠れているだけで私も変人の部類』という言葉が本当になってしまう。それだけは避けなくてはならない。
「はぁ……それで、貴方達は一体何をしに来たんですの? こう見えて私は暇ではないのですよ?」
「いや、こうなった原因はマックイーンにありマスからね?」
うるさいですね、しばきますわよ。
「そうだった! 今日はみんなでマックイーンさんの応援に来たんですよ!」
「私の……応援……?」
「はい! 私もジャパンカップでブロワイエさんと走ったのもあって、マックイーンさんには勝って欲しいなって思って!」
意外だった。決して仲が悪いとかそういうわけではないが、私とスペシャルウィークさんは関わりがあるかと言われたらそんなことはない。
学年も違えば世代も違う。ましてや同じチームというわけでもなく、強いて言うなら今日のように同じレース、同じ相手と戦うくらいしか共通点はない。
その強いて言うならの内容だけで、彼女は私の応援に来てくれた。心強いと言ったらありゃしない。
「……ありがとうございます。これでますます負けるわけにはいかなくなりましたわね」
「あれっ!? 私もしかして凄くプレッシャーをかけるようなこと言っちゃいましたか!?」
「大丈夫ですわ。むしろ勇気づけられました」
慌てふためくスペシャルウィークさんを前に、私は片手で彼女の不安を止める。
「アタシもアタシも! ブロワイエとは一回だけ一緒に走ったことがありマス! そう、それは遠き異国の地、フランスでのこと……」
「長くなりそうなので私から先に言わせていただきますね〜。私はブロワイエとは走ったことはありませんが、エルとスペちゃんが苦戦するという事実だけで彼女が相当の実力者だと認識しています。それでも、怪我を乗り越えたマックイーンさんなら勝てると信じてます。なので、今日はあなたの『不退転の覚悟』、見せてもらいますね?」
話を遮られ『グラス〜……』と落ち込むエルコンドルパサーさんを他所に、グラスワンダーさんは私のことを応援してくれつつ、今日のレースの覚悟を問うてくる。
「望むところです、諦めるなんて言語道断ですわ。私の勇姿、しかと目に焼き付けてくださいまし」
「はい、楽しみにしてますね〜」
相変わらず落ち着いた表情で微笑むグラスワンダーさん。これで人一倍負けず嫌いというのが末恐ろしい。
「ふふっ、飛ばされてしまいましたが、最後はアタシの番デスね! トリを飾るのにふさわし……」
「あっ、マックイーンさん、そろそろ出走の時間じゃないですか?」
「そうですね〜。もうそろそろ向かわないと、マックイーンさんの不戦敗になっちゃいますからね〜」
「ケ!? スペちゃん!? グラス!?」
「ええ、では行って参りますわ。最高のレース、皆さんにお届けしますわね」
「はい! 頑張ってください!」
「応援してますね〜」
「ああっ、行っちゃう……! マ、マックイーン、負けたら承知しませんよ! もし負けたら、アタシ考案地獄のトレーニングメニューをこなしてもらいますよ!」
二人の応援とエルコンドルパサーさんの激励だか脅迫だかよくわからない声を背に、私は部屋を後に三人と別れターフへとと続く通路を歩く。
先程のスペシャルウィークさん達をはじめとして、今日も多くの私の友人が応援に来てくれている。彼女達から多くの激励を受け、気合も入り緊張も解れ、残るはこの東京レース場を全力で走るだけの状態となった。
……これ以上欲張るのは強欲すぎるかもしれないが、あともう一押し、背中を押してくれる何かが欲しい。そうすれば私は実力の120%の力を出せる気がする。
「Mejiro McQueen」
そんなことを考えていると、不意に後ろから声をかけられる。明らかに発音が日本語ではない上に、私は先日この声を聞いたことがあるため声の主はすぐに分かった。
「ブロワイエさん……」
「Faisons une bonne course aujourd'hui. Pas de regrets pour l'autre……Attendez, excusez-moi un instant.(今日はいいレースにしよう。互いに悔いの残らないよう……待って、少しいいかな)」
「えっ、ちょっ、ブロワイエさん!?」
雰囲気だけで彼女の伝えたいことを理解しようとしていると、ブロワイエは私の方に顔を近づけ手を伸ばしてくる。それも急だったため、抵抗する暇もない。何をされるか分からず、ぎゅっと目を瞑ると……
「Regarde, il y avait de la poussière dans mes cheveux.(ほら、髪に埃がついてたよ)」
私はブロワイエの声に反応して目を開く。
ブロワイエは私の髪に触れたと思ったら、次の瞬間に放しており、彼女の手には小さな埃が……え、埃?
……そういえば、先程控室で床を転がり回りましたわね。その時についたのでしょう。対戦相手にみっともないところを見せてしまいましたわ。
「あ、ありがとうございます、ブロワイエさん」
ブロワイエが『ありがとう』という言葉を知っているかどうかは分からないが、私の感謝の気持ちは伝わったらしく、彼女は笑顔で対応する。そのままブロワイエは手を振ってこの場を去り、一足先にターフへと向かった。
今から私はあの方を倒さなくてはいけない、超えなくてはならない。
口先だけならどうとでも言えるが、ブロワイエに勝つのが容易ではないことくらい分かっている。それでもこのレース、負けられない。勝たなければならない理由がある。
「あっ、やっと見つけた。控室にいなかったから探したよ」
ブロワイエの時同様、またしても後ろから声をかけられる。
この声は聞き間違えようがない。私にとって最も信頼を置くことができ、最も私を信じてくださる方……
「トレーナーさん!」
「やあ、さっきスペシャルウィーク達に会ったよ。マックイーンならもうレースに向かったって言われてね」
タイミングが良いのか悪いのか、なんにせよ入れ違いにならなくて良かった。
バツが悪そうに頬をかくトレーナーさんに、私は苦笑してしまう。
「それにしても、こんなレース直前にどうかされましたの? もしかして作戦変更の予定でして?」
「いや、そんな予定はないよ。まあなんて言うか……ちょっとレース前に君の顔が見たくなってね」
……あら、あらあらあらあら。
「そんなに見たいのでしたら、存分にご覧ください! その分、私は貴方の顔をじっくりと拝見させていただきますので!」
「それはちょっとやめとこうかな」
どうして。物事には対価が必要だ。ギブアンドテイク。私はトレーナーさんになら顔を見られ続けてもいいと思っているのに。
とはいえ、私も少し調子に乗った発言だとは自覚している。
でも、今日くらいはいいですわよね。このまま調子に乗らせてもらうことにしましょう。
「それでは、私はそろそろ本当にターフへ向かわなければならないところなのですが、その前に貴方の愛バに何か一言あってもいいと思いますわよ?」
「……今日のマックイーンなんか変じゃない?」
「そんなことありませんわ! さあ、もう時間がありませんわよ!」
「そうだなぁ……」
トレーナーさんがそう言った瞬間、レース場の方からとてつもない歓声が聞こえてきた。きっとブロワイエがターフに姿を現したのだろう。さすがは一番人気の座を私から奪っただけある。
「……分かってるとは思うが、このレースに勝つのは簡単じゃない。世間の評価もどちらかといえばブロワイエ寄り。その証拠に君は二番人気だ」
ブロワイエの強さは重々承知している。それはエルコンドルパサーさんが走った凱旋門賞の時からよく分かっているつもりだ。
「だったとしても僕は君を信じてる。だからマックイーン、相手や周りの評価なんて気にするな。いつだってライバルは自分自身、だろ?」
……ああ、この人はいつだって私の背中を押してくれる。隣にいてくれるだけで励みになる。
だったら私はそれに応えなくてはならない。最高の勝利を飾るために。
「マックイーン」
トレーナーさんは優しい声音で私の名を呼ぶ。
「行ってらっしゃい」
「っ、行って参りますわ!」
最後の一押し、貰えましたわね。
ここまで私のことを信じてくれているトレーナーさんのためにも、みっともない姿を見せるわけにはいかない。
勝つ、ただそれだけ。
勝たねばならない理由……私とトレーナーさん、二人ならどこまでだって突き進める、そのことを証明するためにも……!
***
彼女は強い。きっと僕なんていなくても勝ってしまう。
さっき僕は嘘をついた。今日のレース、直前にマックイーンの元へ向かうつもりはなかった。
レースの作戦等のミーティングは前日までに済ませてあるし、当日になって僕にできることなんて無いに等しい。
ダイヤ達と別れてからここに来る途中に何度も考えた。行ってどうする、何ができる、と。
頑張れ、信じてる。そんな当たり障りのないことを言うだけの存在になっているのではないか。考えれば考えるほどネガティブな思考に陥ってしまう。
唯一自分自身を評価できるところがあるとすれば、それをマックイーンに悟られていないであろうこと。
担当ウマ娘を不安にさせることが、如何にトレーナーとして最悪かを僕は知っている。それだけは避けなければならない事項だから。
何にせよ、今はマックイーンの勝利を信じることしかできない。
ブロワイエの歓声にも負けないほどのそれを浴びるマックイーンを尻目に、僕はダイヤ達のいる観客席に戻ることにした。