「……あなた、本当によかったの?」
「何よ、おハナさん」
「何よって、有馬記念のことよ。あの子の担当のメジロマックイーンが出走するって分かっているのに、そこにトウカイテイオーを被せるってどういうつもり?」
「俺は別にテイオーにはなんも言ってないぜ? そもそも有馬に出たいって言ったのはあいつ自身だからな。それに、おハナさんだってあの二人のレース、見たいと思ってるんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「ならなんも心配いらねぇよ。テイオーのことだって、あいつのことだって。あいつは多少慌てるかもしれんが、これも良い経験さ。おっ、俺ってば後進育成に尽力する最高の先輩じゃね? やっぱ時代はチームスピカと俺……」
「おいこら沖野おおおおおおおおおおお! 沖野のバカはどこだああああああ!」
「どわあああああ!? あっつうううううううううううう!!」
僕は沖野トレーナーのいる東条トレーナーのトレーナー室にノックも無しに突撃する。
優雅にカップを傾け椅子に腰掛けていた沖野トレーナーは、僕の声に驚き盛大に中身をぶちまけていた。ざまあみろ。
「おまっ、ふざけんなよ! いきなり人の部屋入ってきてどういうつもりだ! てかなんで俺がここにいるって分かったんだ!?」
「ここ、私のトレーナー室なんだけど」
「アンタ探すのに真っ先にここ来ましたよ! どうせここだろうなって!」
「ここ、私のトレーナー室なんだけど」
静かに横から口を挟む東条トレーナーを無視し、僕と沖野トレーナーは口論のような何かを続ける。
「はっ、俺を探してたってことは、もう有馬の情報はお前の耳に入ったってことか」
「そうですよ! よくも有馬でマックイーンにトウカイテイオーをぶつけましたね!?」
「それが? なにか? 問題でも?」
「言い方むっかつく……! あんな先輩風吹かせときながらよくものうのうと僕の嫌がることを!」
「別に嫌がらせなんてしてねぇよ。むしろ俺は先輩として後輩に良い指導をしてると思ってるぜ? 最高の先輩だろ?」
「自分で言うな自分で! 良い先輩なら後輩に飲み代たかったりしねぇんだよ! だいたいアンタはいつもいつも……」
その瞬間、机が思い切り叩かれる。いわゆる台パンというやつだ。
それを行ったのは僕でも沖野トレーナーでもない。
「お前ら……」
とうとう痺れを切らした東条トレーナーは、彼女のトレーナー室で口うるさく言い合いをしていた僕達を睨みつける。
もしこの世に重力がなければ、彼女の髪は逆立っていたに違いない。
「……なあ、どうするよ」
「……とりあえず正座しましょうか」
僕達はこれ以上東条トレーナーの機嫌を損ねないように粛々と固い床に正座をする。
大の大人が二人、みっともなく言い合いをした挙句に正座。自分で言うのもなんだが正直見てられない。
「ふぅ……まずはあなた、久しぶりね。あなたの担当のメジロマックイーン、随分と調子が良いみたいじゃない」
えっ、この状況で始めるの?
「え、ええ、そりゃマックイーンですし。ジャパンカップは肝を冷やしましたが、概ね順調でしたよ。……さっきまで」
「おっと、それはテイオーのことを言ってるのか? あちゃー残念、お前んところの自慢のウマ娘はこんなところで立ち止まるような存在だったってわけか」
「はぁぁ!? そんなわけないんですけどぉ!? 勝ちますぅ! なんなら僕なんていなくても勝ち」
またしても始まった僕と沖野トレーナーの口喧嘩を止めるべく、東条トレーナーは僕の声を遮り再び物凄い勢いで机を叩く。
そんな東条トレーナー相手に、僕と沖野トレーナーは縮こまることしかできなかった。
それよりその机大丈夫ですか? 凹んでません?
幾分気まずい時間が流れたが、東条トレーナーはやれやれといった様子で口を開く。
「それで、あなたはここに何しに来たの? さっきの感じから察するに、そこのバカを探しに来てたみたいだけど」
バカって……と小声で愚痴を漏らす沖野トレーナー。
言いたいことあるならもっと大きな声で言った方がいいっすよ。その後どうなるか知らんけど。
「……そうでしたね。東条トレーナーの言う通り、僕がここに来た理由はそこのバカに文句を言いにです」
「おまっ、それが先輩への口の利き方か!?」
うるせー、これくらい言わせてもらわないと腹の虫が収まらないんだ。
沖野トレーナーにはせいぜい僕の八つ当たりに付き合ってもらおう。
東条トレーナーと僕はそこのバカを無視して会話を続ける。
「でしょうね、そうだと思った。なら部屋の外でやってちょうだい。私には関係の無い話だわ」
ごもっともだ。
いくら東条トレーナーが僕の先輩だからとは言っても、僕と沖野トレーナーのいざこざ、まあ僕が一方的につっかかってるだけなのだが、それに彼女が付き合う必要はない。
「分かりました。東条トレーナー、迷惑かけてすみませんでした。さて沖野トレーナー、話は外でしましょうか」
「え、やだよ。寒いし」
この男は……ッ!
「だってーお前が勝手に突っ込んできたんだしぃー。文句言うためだけに尊敬する先輩を寒い中連れ出すのもどうかと思うぜ? 連れ出すなら暖房付いたとこ用意しろよ」
中途半端に正論だから何も言い返せない。
部屋の中は暖房がついているけれど、さすがに廊下には暖房は設置されてはいない。
彼が尊敬に値する先輩かどうかはここ数分で疑惑の問題となったが、こちらの一方的な都合で冬の寒さに打ちのめさすのも……いや、沖野トレーナーなら別に良い気がする。
「だから、ここは私のトレーナー室だっつってんでしょうが! いい加減あんたは自分のとこの部屋なり部室なり戻って仕事を……」
居座り続けようとする沖野トレーナーに東条トレーナーは激昂しかけるが、そんな彼女の言葉を遮り沖野トレーナーは話を続ける。
「それに、お前がここに来た理由は何も俺に文句を言いに来ただけじゃないんだろ?」
「ッ……バレてましたか」
「ああ、お前昔っからそういうのは分かりやすいよな」
僕はそんなに分かりやすいのだろうか?
そう思い東条トレーナーの方を見てみるが、彼女は何がなんだか分からないといったような顔をしていた。
なんだ、沖野トレーナーがおかしいだけか。
「……すみません、東条トレーナー。僕はさっき、本当のことを全部は言ってません。沖野トレーナーに文句を言いに来たのは本当ですが、それとは別に用があったんです」
「え、ええ、それは構わないのだけど……それは私には関係のあることなの?」
「場合によっては」
「……分かったわ、ならそれを先に済ませなさい」
「ありがとうございます」
僕は東条トレーナーの気遣いに感謝の言葉を入れる。
ここで変に前置きを作っても仕方がない、サクッと話してしまえばいいのだ。
「単刀直入に言います。お二方のどちらかのチームにメジロマックイーン、並びにサトノダイヤモンドの移籍を認めて欲しいんです」
「…………は? いや、え? どういうことよ、説明しなさい」
東条トレーナーは理解が追いついてないようで、沖野トレーナーはポカンとしている。
それはそうだ。こんなこと急に言われても混乱するだけだろう。
単刀直入に言いすぎたな、失敗失敗。
「僕は……今月いっぱいでトレーナーを辞める予定なので、マックイーン達の移籍先を確保しておかないといけないんです。彼女達なら、学園トップの実力を持つスピカやリギルでも問題ないと思いましたので」
「……この際だから、辞める理由を詳しく聞くつもりはないわ。メジロマックイーン達の移籍についても考えてあげる」
「それでは……」
「でも、二つ聞かせなさい」
東条トレーナーはピースのサインを作り、僕の前に突き立てる。
「一つ、あなたが辞める理由はやむを得ないものなのか。二つ、このことはメジロマックイーンに話してるのか」
……痛い所を突かれたな。
「……いえ、別に大きな理由があるわけじゃないです。それと、このことはマックイーン達には話してません」
「まあ、言えるわけがないわよね、この時期に」
いずれ話すつもりではいたが、それは今じゃない。
マックイーンは有馬記念を控えている。そんな大事な時期に集中を乱させるようなことは言えない。
「ならサトノダイヤモンドには言ったの? 彼女はまだデビューすらしていないでしょ?」
「それも……まだ」
このことをマックイーンに言えない理由はある。だが、ダイヤに言えない理由はない。
彼女のレースは一年後のことであるし、今言ってもその時期まで影響が続くとはとてもじゃないが思えない。
それでも、僕はダイヤにすら辞職のことを伝えていない。
いや違う、伝えることができない。
「……怖いんだな」
沖野トレーナーが何かを察したように低い声で言う。
ビンゴだ、ドンピシャだ、的を射ている。どこまで行っても僕は臆病で弱虫で優柔不断。
それがここに至った経緯だというのに。
「一応聞いておくけれど、分かっているの? ここでトレーナーを辞めるってことは、逃げ出すことと同義よ。それと、あなたが辞めた後のメジロマックイーン達のことを考えたことあるの?」
「僕は……逃げることはそれほど悪いことだと思ってません。それに、マックイーン達のことを考えるのであったら、やはりリギルやスピカと言ったレベルの高いチームに移籍させるのが一番かと」
逃げちゃいけないのは汎用人型決戦兵器に搭乗するパイロットだけだ。
ただの一般人である僕には「逃げちゃダメだ」なんて言葉は荷が重すぎる。
「っ、あのねぇ、物事には絶対に目を逸らしてはならないことがあるのよ! 数年前のあのことだって……」
「まあまあおハナさん、落ち着いて落ち着いて」
声を荒げかけた東条トレーナーを沖野トレーナーは両手で制す。
東条トレーナーも冷静さを欠いたことを自覚したらしく、珍しく沖野トレーナーの言うことを聞いている。
「要するにお前の言いたいことは、『ちょっと理由あってトレーナー辞めたいけど言うのが怖〜い! 助けて〜せんぱ〜い!』ってことだろ?」
「……間違ってませんけどその言い方は相変わらず腹立ちますね」
「合ってんだからいいじゃねぇか。それで、うちかリギルに移籍をお願いしに来たと……うし、分かった。うちのチームで面倒見てやる」
「なっ」
沖野トレーナーがあっさりと移籍を認めてくれたことに少し拍子抜けだ。
期待をしていたわけではないが、彼は僕がトレーナーを辞めることを止めるものだと思っていた。
それがこうもあっさりと事が進むと、何かあるのかを疑ってしまう。
「あなた、そんな簡単に……いえ、私からはもう何も言わない。このバカが引き受けた話だもの、やっぱり私には関係のない話だわ」
「まだ俺のことバカ呼ばわりすんのかよ……。まぁなんだ、とりあえず今日のところはお前も一旦帰れ。メジロマックイーン達に関してはスピカで受け入れてやるからよ」
「……ありがとうございます、沖野トレーナー。では後日、秋川理事長にマックイーン達の移籍先が決まったことを報告に……」
「でもな、一つだけ頭に入れておいてほしい」
沖野トレーナーの顔はいつになく真剣だ。
「ウマ娘は思った以上にトレーナーのことを見てる」
「……肝に銘じておきますよ。それでは失礼します。迷惑かけてすみませんでした」
「おう、また来いよな」
僕は二人に礼をして部屋を出る。
廊下の窓から見える空は既に薄暗い。冬だからというのもあるが、思ったより長い時間あそこに居たらしい。
今日は自主トレにしたため、沖野トレーナーの言う通りトレーナー寮に帰ろう。
考えることは山積みだが、今は何も考えたくない。
明日の自分が解決してくれることを願って、帰って寝よう、そうしよう。
「お前もさっさと帰れ!」
「ぐはっ!?」
寒い廊下を歩いていると、僕が先程出てきた部屋からそんなやり取りが聞こえた。
……そういえば、沖野トレーナーに有馬記念の文句言いに来たのに、結局あんまり言えてないじゃん。
***
トレーナー寮に戻るために、廊下よりもさらに寒い校舎の外を、道端に転がっていた石を蹴り飛ばしながら歩く。
歩いている間、さっきの沖野トレーナーの言葉が頭から離れなかった。
ウマ娘はトレーナーのことを見てる、か。
そんなのは当たり前だ。
僕だってマックイーンやダイヤのことはよく知っている。性格や趣味、完璧ではないにしろ、彼女達のことはよく分かっているつもりだ。
それは、同じ時間を過ごしてきた彼女達だってそう。
自惚れと言われたらそれまでだが、彼女らも僕のことをある程度知っているはず。
沖野トレーナーは結局何を伝えたかったのかがいまいちよく分からない。
あんな当たり前のことから何を汲み取ればいいのか。
「マックイーン、あれキミのトレーナーじゃない?」
「えっ」
そんなことを考えていると、ふと前方から聞き馴染みのある名前が聞こえる。
石を蹴りながら歩いていたため視線を必然的に下に向いてしまい、声がするまで前に誰かがいることに気がつかなかった。
「マックイーンと、トウカイテイオー……」
「おやおや? その感じだと、既にボクが有馬に出るってことは知ってるみたいだね」
「ああ、ついさっき君のトレーナーへ胸ぐら掴みにいったところだよ」
「それは流石にトレーナーが……いや、トレーナーだしいっか、いつものことだし」
スピカのメンバーでも彼の扱いは割と雑なようだ。
実際に胸ぐらを掴んだわけではないが、それくらいの勢いで彼の元に向かったのは間違いない。なんなら一発ぶん殴りたかったまである。
とは言え、彼は何か悪いことをしたわけではないのでそれをするには躊躇せざるをえなかった。
「それで、なんでマックイーンはずっと顔を逸らし続けてるんだ?」
「……怒っていませんの?」
「なんでさ」
「その……理由も言わずにトレーニングに大幅に遅刻してしまったことについて……」
なんだ、そんなことか。
最初はどうしたのかと心配したが、マックイーンとトウカイテイオーが一緒にいるこの状況、なんとなく何があったのかは察することができる。
マックイーンは本人から告げられたのだろう、トウカイテイオーが有馬に出ると。
「それについては問題ないよ。今日遅れたのは大事な用事だったんだろ? なら僕は何も言わない。そもそも今日は自主トレに変更してるしね。だからそんなシュンとしないで、なんか僕が悪いことした気になっちゃうから」
何も怒ったりしてないのに、マックイーンは相変わらず項垂れたままだ。
そこまで自責の念に駆られる必要は無いというのに。
「ねーねー、それよりさー! キミは僕が有馬に出走するって聞いてどう思った?」
そんなマックイーンの陰鬱な空気を断ち切るようにトウカイテイオーは声を高くして僕に質問する。
「君が有馬に出るって聞いた時? 普通にめちゃくちゃ焦ったけど。やりやがったなって思った」
はて、この質問に何の意味があるのだろうか。
そう疑問に思ったのも束の間、トウカイテイオーは待ってましたと言わんばかりに飛び跳ねる。
「やりぃ、ボクの勝ち! それじゃ予想が当たったってことで、はちみつドリンク奢ってね、マックイーン?」
「なっ、そんな約束していませんわよ! まぁ、不甲斐ないことに私の予想は外れましたけど……」
あーなるほどそういうことか、完全に理解したわ。
どうやら僕が有馬記念のことを聞いてどういった反応をするかを予想されていたらしい。
「えー、つまんないの。じゃあマックイーンのトレーナーでいいや。なんかいい罰ゲームないかなー?」
「おいちょっと待て、それはおかしいだろ。なんで勝手に予想の対象にされた挙句罰ゲームを受けさせられなきゃならないんだよ」
「だってマックイーンがやらないって言うから。あっ、そうだ! ちょっとキミ、喋り方変えてよ! ボクと被ってるからさ!」
「は? 別に被ってないでしょ。てか君、話聞け。僕は罰ゲーム受けるなんて一言も……」
「ほらほら、一人称とか被ってるじゃん! まずは自分のこと『俺』って言うところから始めよう? さんはい!」
「……嫌だ。僕は『僕』だ。君と被ってるとか関係ないよ」
「えー、つまんないつまんないー!」
「はいはい。それより、君達ももう帰りな? 今からじゃもう暗いし、トレーニングはまた明日からすればいいさ」
地団駄を踏むトウカイテイオーを適当にあしらい、彼女達に寮へ戻ることを促す。
今からでもトレーニングはできるだろうけど、中途半端な時間になるのは目に見えてる。ならば今日一日ゆっくり休んで、明日からのトレーニングに備えた方がいい。
「べーだ! ボクと話し方被っちゃう人なんていなくなっちゃえばいいんだ! この三十路!」
「てめっ、おいコラぁッ! それ言ったら戦争だろうが! そもそも僕は三十までまだ数年あるんだぞ! おい、待ちやがれクソガキ!」
もちろん人間がウマ娘に足の速さで勝てるわけがないので、本気で追いかけたりすることはない。
そもそも、追いかけようとした時点でトウカイテイオーは遥か向こうへ逃げていた。
あのガキ、次会ったらどうしてくれよう。
「あの、トレーナーさん」
「ん? どした、マックイーン」
これまでの一部始終を静かに見ていたマックイーンが口を開く。
「いえ、その……何かあったのかなと。元気がないように見えましたので……」
「……いや、君の心配するようなことじゃないよ。さ、君も帰った帰った、有馬も近いんだ。明日に備えて今日は休みなさい」
「え、ええ。それではトレーナーさん、失礼いたします」
マックイーンはトウカイテイオーを追うように小走りで寮へ向かう。
ああ、そうさ。これは君の心配するようなことじゃない。
最後まで君の足枷になるわけにはいかないのだから。
……ウマ娘はトレーナーのことを思った以上に見ている、か。