『ゲート開いて一斉にスタートしました。各ウマ娘まずまずの出だしとなりますが……おおっとメジロマックイーン出遅れたか、中団より後方に控えています』
……見れるわけがない。
スタンドからは少し離れた人気の少ない通路、そこで僕はターフの方向を背にして突っ立っていた。
今日のレースが終われば自分はトレーナーでもなんでもなくなる。
メジロマックイーンのトレーナーとしてレースを見るのがこれが最後だ。
見届けなければならない、目に焼き付けなければならない。
この職をやめることを決断したのも後悔はないのだろう?
だったら早くスタンドに戻り彼女の勝利を願うべきだ。
……それなのに、それなのになんで僕は目を逸らし続けて……っ!
「らっしゃいらっしゃーい! 新鮮なダイオウイカから採りたての自然薯まで取り揃えてるよ! そこの冴えないお兄さん、ちょっと見てかない?」
「いや、今そんな気分じゃ……って、は?」
「んだよ、そんなこの世の終わりみてぇな顔してよ」
一人ゆっくりと通路を歩いていると、突如として前方から声をかけられる。
自己嫌悪に陥っていたためか、前に誰かがいることに全く気が付かなかった。
そして声をかけてきた人物というのは……
「……ゴールドシップ」
「おう、みんなのヒーロー、ゴルシちゃんだぜ」
大きなクーラーボックスと、きのこやたけのこなどがぎっしり詰まった袋を手に、ゴールドシップは僕の前に立ちはだかっていた。
それはまるで、僕がこれより先に進むのをそしするかのように。
「……君と同じチームのトウカイテイオーの応援はどうした。ここで油を売っている場合じゃないだろうに」
「アタシが売ってんのは海の幸と山の幸だぜ」
「そういう話じゃないのは分かっているだろ。なんで君がこんなところにいるのかと聞いているんだ」
「そんじゃ、アタシも聞かせてもらうが、なんであんたがこんな所にいるんだ?」
「そんなのっ……」
この先の言葉が出ない。
なぜ自分はこのレースを直視することができないんだ?
なぜ自分はこんなところで時間を持て余しているんだ?
考えれば考えるほど、自分の気持ちと向き合えなくなる。
「……質問に質問で返すなと、そう教わらなかったか? 今は僕から君に質問をして……」
「ま、あんたにとってはこのレースが最後だからな。無理もねえよ」
…………は? 今なんて……?
「大方、マックちゃんのレース見んのが怖ぇんだろ。なんたってあんた、ジャパンカップ終わった後から様子おかしかったもんな」
「は、いや、ちょっと待て。なんで君が知ってるんだよ。なんで僕がトレーナー辞めるってこと知ってるんだよ」
「え、トレーナーから聞いた」
あんの野郎……! こういうのって普通誰かに教えたりするもんじゃねぇだろ!
学園から出て行く前に何か一発大きな仕返しをしなければ気が済まない。今までの不満等々全てをそこに込めさせてもらおう。
「……なあ、お前何やってんだ?」
「君のとこのトレーナーにどんな仕返しかましてやろうか考えてる。マジで許さんあいつ。手始めに今まで奢ってきた飲み代全部請求してやる。見てろよ、領収書全部押さえ……」
「そうじゃなくてよ」
ゴールドシップは持っていた荷物を全て降ろし、腕を組みながら何かを見定めるかのように僕のことを見る。
「お前、なんでマックイーンのレースも見てねぇんだよ」
「それは……」
またしてもここで言葉に詰まる。
頭の中ではきちんとした理由は出ているのに、それを声に出してしまったら終わりだと言わんばかりに口がその言葉を発するのを拒絶する。
「……別に僕が見てようが見てまいが結果は変わらない。マックイーンは……メジロマックイーンは最強のウマ娘だ。彼女の強さは一人で完結している。そこに誰かが入り込む隙間なんてない」
マックイーンの強さは全て彼女一人で培ってきたもの。
思えばそうだ。
例えば秋の天皇賞。ハッピーミークに勝つために走り方を変えたのは彼女自身の判断。僕が何かを支持したわけでもなければ、何かを教えたわけでもない。
さらにジャパンカップ。ブロワイエと競り合った時、彼女は己の限界を超えて『領域』に達した。これについても僕が何かを手助けしたわけではない。
そんなマックイーンからしたら、僕と一緒にいるメリットはないわけで……
「……お前、それ本気で言ってんのか?」
「本気だよ。マックイーンは一流なんだ。僕なんていなくてもあの娘はやっていける。マックイーンのことを真に思うなら僕がこの学園から消えるのが最善……」
「嘘だな」
ばっさりと、ゴールドシップは僕の言葉を否定する。
彼女の一言により、まるで周りの時間が止まったかのような感覚すら覚える。
「……は、はっ、なんだよ、嘘って。今のどこに嘘の要素が……」
「だってお前、さっきからあたしの目ぇ見てねぇじゃん」
「……」
「どうせお前のことだ。成長し続けるマックイーンを見て、自分なんて必要ないって思いこんで……」
「や、やめっ……!」
やめろ。それ以上はやめろ。
それは僕自身が何かと理由をつけて肯定し続けたものだ。
それを言われてしまったら……っ!
「逃げ出したかったんだろ?」
………………あ
心の中で何かの切れる音がした。
「…………えに……」
「あ? なんだよ、言いたいことがあるなら大きな声で」
「お前に……お前に俺の何が分かるっ!」
図星を突かれ、みっともなく声を荒げてしまう。
「ああそうさ、俺は逃げたかっただけだよ! 成長が止まらず勝ち続ける担当ウマ娘、トレーナーとしては喜ばしいことこの上ない! でもな……でもなぁ!」
しかし、一度吐き出した思いは止まらない。
決壊したダムのごとく、次から次へと己の激情が吐露される。
「お前らウマ娘には分からねぇだろうなぁ! トレーナーがいかに非力でいかに歯痒い思いをしているかが! 隣にいるにも関わらず、何もしてあげることができないこの無力感が!」
口早に喋ったため息切れを起こしてしまう。
ゴールドシップはそれまでの僕の独白を黙って聞いていた。
「……俺はマックイーンに何もしてあげられていない。ダイヤにだってそうだ。二人とも元々の素質が高いから注目されている。そんな二人に金魚の糞みたいにくっつき続けるなんて……」
罪悪感。
この件を最も短く表せばこの三文字だ。
自分に実力が無いなんて当の昔から分かっていた。一心同体とは口では言いつつも、それはマックイーンのことを思ってのことだ。自分が彼女と釣り合うなんて思った事は一度もない。
そんな自分は彼女とトレーナーを続けるのに相応しくない。むしろ邪魔になる。
そんな罪悪感故に、彼女達の側にいていられない。
「……トレーナーを辞める理由はそれだけだ。このレースを見ないのは、辞める決意が揺らぎそうだから。一度決めたことは貫くのが……っっっつ」
言葉の途中で不意に頬に衝撃が走る。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、揺れる視界に、目の前にいるウマ娘が怒りに満ちた顔をしているのが映った。
そこでようやく自分が殴られたことに気がつく。
「……何すんだよ」
「これでも手加減してやったんだ、感謝しろよな。なんならもう一発お見舞いしてやってもいいんだぜ」
流石に次は本気で殴ってくるだろう。
それでも怯えることはせず、ギロリとゴールドシップを睨みつけた。
「……はぁ、早くしねぇと終わっちまうな。お前さ、『隣にいるだけで何もしてあげられない』って言ったよな?」
「あ、ああ、そうだ。その無力感と虚無感、それはお前らには分からな」
「『隣に立ってくれるだけ』で、それだけであたし達ウマ娘にとってどんなに嬉しいことか、お前に分かるか?」
「……は」
隣に立つ……だけ……?
何を言ってるんだ。それだけで力になれたら苦労は……
「それと、マックイーンがレース前にいつもどこ見てるか知ってるか?」
「そ、そんなのゴールやライバルじゃ……」
「まぁ、それもあるんだけどよ。マックちゃん、ゲート入った後、一瞬だけお前の方見るんだぜ?」
あいつ自身は無意識だろうがな、と笑うゴールドシップ。
じゃあなんだ。ゴールドシップの言うことが本当なら、今日もマックイーンは僕がいるであろう方を見ていたわけだ。
でも今日はレースがスタートした時、僕はスタンドにいなかった。
それはマックイーンにとって精神的不安をもたらす要因であり……
そういえば、沖野トレーナーがこう言っていた。
『ウマ娘はトレーナーのことを思ったより見ている』
……行かなきゃ。
「はぁ、やっといつもの顔つきに戻りやがった。ただでさえ冴えない顔が、ここ一ヶ月見てられなかったっつの」
「素直に礼を言わせてくれよ……。この借りはいつか必ず返す」
「いいからさっさと行けっての。もうレース終わっちまうぞっ、と!」
「おわっ!?」
ゴールドシップは僕の背中を強く押す。
分かったよ、今僕がやるべきこと。
僕はスタンドに向かって全速力で走る。
***
「これで良かったのかよ、トレーナー」
虚空に話しかけているように見えるゴールドシップだが、実際はそうではない。
ゴールドシップの話しかけた方向の物陰から一人の男性が、チームスピカのトレーナーである沖野が姿を現した。
「ああ、上出来だ……と、言いたいところなんだがなあ」
「はあ? アタシがここまで上手くやったってのにまだなんか文句あんのかよ!」
「いや、実際上手くいったさ。あいつがまた前を向いてトレーナーを続けていく。その目的は果たせたはずだ……はずなんだがなあ!」
途中まで穏やかな表情をしていた沖野は途端に声を荒げる。
「お前、この話する際に俺の名前出すなって言っただろうが! お陰で俺が他人の個人情報垂れ流す屑みてぇじゃねえか!」
「お? 違うのか?」
「ちげぇよ! はぁ、この後あいつにどんな顔して会えばいいんだか……」
沖野はがっくしと肩を落とす。
それもそのはず、先程の状況を冷静に考えてみたら、沖野がメジロマックイーンのトレーナーにゴールドシップを向かわせたということに他ならない。
「ったく、あいつが前向いたんだから細けぇこと考えてないで喜べばいいのによ。寂しいからあいつに辞めて欲しくなかったんだろ?」
「ばっ、ばっか! 別にそんなんじゃねぇよ。あいつが辞めたら……ほら、あれだ、俺に奢ってくれる後輩がいなくなる! あいつの財布は俺の生命線だからな!」
「お前最低だな」
「う、うるせぇ。ほら、俺達も行くぞ。テイオーが勝つ姿、見ねぇとな」
「へいへい。ま、アタシも面白ぇもん見れたし満足だわ。あいつ、自分のこと『俺』って言ってたぜ? 笑い我慢するのに必死でよぉ」
***
溢れんばかりの歓声が飛び交う中山レース場。
スタンドにいる人と人との間を拭ってなんとか最前列に出ようとする。
「っはぁ……はぁ……」
逃げる事は悪いことではない。
つい先日、僕が東条トレーナーに言い放った言葉だ。
この考えは今尚間違っていないと思っている。
勝てない相手に無策に突っ込むのは愚か者の行いだ。世の中の理不尽に押し潰されるくらいなら逃げた方がまだマシと言える。
逃げることが害悪ならば、某有名RPGに『逃げる』という選択肢は無い。
逃げるは恥だが役に立つ、よく言ったものだ。
「っ、すみません! 通してください!」
だが、逃げることは悪いことではなくても良いことでもない。
この行為は時に問題を先延ばしにするどころか悪化させてしまうことの方が多い。
逃げることによって解決できる問題ならば構わないが、そんなことはほとんどないだろう。
誰しも、目を背けたくなるような事実に弱い。
それを自分に当て嵌めるともはや笑いが出てくる。
もし仮に、マックイーン達の隣に立ち続けるという罪悪感から逃れられたとしたらどうなると思う?
答えは簡単だ、また別の罪悪感に駆られる。
マックイーン達から逃げてしまったという別の罪悪感に。
「くそっ、お願いします! 急いでるんです!」
このまま逃げ続けることは簡単だ。事実から目を逸らし続けて蓋をする、それも一つの選択なのだろう。
でも、事実からは逃げられたとしても、自分の気持ちからは絶対に逃げられない。いや、逃げてはならない。
人混みを無理矢理掻き分けて、なんとかターフの良く見える位置に辿り着く。
レースは終盤、先頭のトウカイテイオーは第4コーナーを周り最後の直線へと入っていた。
マックイーンは……すぐ後ろだ、前から二番手。なんとか間に合った。
もう迷わない。自分はどうするべきか。
「走れっ! マックイーンッ!」
隣で信じる。それがウマ娘の……君の望みであるのなら……っ!