トレーナー専用の寮からトレセン学園までの距離はそれほど長くない。
歩いて学園まで行くには多少時間がかかるが、車を出すには短すぎるほどの距離だ。
この短い道のりを、わざわざ車を出してまで移動して地球温暖化に加担しようとは思わない。
それならば変わり映えのない通勤路に目を向けた方がまだマシだ。
そんな道のりを歩いていると、「ああ、自分がウマ娘だったら一瞬で学園に着くんだろうな」と考えてしまう。
あいにく、僕の母親は普通の人間であり、そもそも僕自身男なため、そんな妄想は万が一にでもありえない。
道路や街路樹、そこそこ多い乗用車、ウマ娘専用の通路、至って普通の光景だ。
しかしそんな普通の道のりでも、木々の隅々に咲き誇った満開の桜を見れば、ああ、今年もこの時期がやってきんたんだなと特別感を覚えてしまう。
「だから言ったじゃない、大事な日の前は早く寝なさいって!」
「だってだって! 緊張して中々眠れなくって!」
ゆっくりと歩いている僕の横を、二人のウマ娘が物凄いスピードで駆け抜けていった。
顔すらも確認できないほどのスピードだったため、誰だったかは分からなかったが、口ぶりからするにおそらく新入生だろう。
桜が舞い、新入生を目の当たりにして特別感の増す通勤路。
そして先程の新入生であろう二人組よ。
新たな門出に水を差すようで申し訳ないことを言うが
君達多分遅刻だ。
ま、僕も僕でかなりギリギリの時間なんだけど。
***
場所はトレセン学園、体育館裏にて
「だから言いましたよね? 大事な日の前は早く寝てくださいと」
「だってだってー、緊張して中々眠れなくってー」
「……喧嘩を売ってるのなら買いますわよ?」
「すみませんでした」
怖い笑顔を見せるマックイーンに、ノータイムで謝罪をする。
マックイーンをからかうのは楽しいが、これは洒落にならないやつだと瞬時に悟った。
彼女を怒らせると本当に怖い。
「今日は新入生の皆さんにとって大事な日というのを本当に理解していますの?」
「してるんだけど、人前に立つのってやっぱ苦手でさあ。マックイーンだけでなんとかならない?」
「ダメに決まってますわ。新入生の皆さんは私だけでなく、貴方からも話を聞きたいと思っていますわ」
「ほんとかよ……」
新入生を目の当たりにした直後なので言う必要はないかもしれないが、今日はトレセン学園の入学式の日だ。
中央のトレセン学園に入学できるほどの才能を持った選ばれしウマ娘達が、皆目を輝かせながらシンボリルドルフ会長の話を聞いている。
本日のメインイベントは入学式だが、もちろんこれで終わりというわけではない。
入学式の後、毎年恒例の行事として新入生への講演会がある。
これは誰でもできるわけではなく、トゥインクルシリーズで活躍したウマ娘とトレーナーの中から選ばれるものだ。
客観的に見たらとても栄誉あることだが、僕の大勢の前で話すのが苦手という性格上、やりたくないと思ってしまうのは仕方がないだろう。
それでは今までのマックイーン関連の質問を大勢の記者からされた時はどうしていたのだと思うかもしれないが、僕は大抵のことはマックイーンのためと思えば切り抜けられる。
今回も例に漏れずその思考だ。
何よりマックイーンがここまでやる気なのだ。トレーナーである僕が駄々をこねる訳にはいかない。
「全く、しっかりしてください。貴方がそんなでは私やメジロ家にも傷がついてしまいますわ」
「それはマズイ。君に恥をかかせる訳にはいかないな」
気合を入れる為に両手で頬をぺチッと叩く。
「ふふっ、それでこそ私のトレーナーさんですわ」
マックイーンも僕の真似をして気合を入れる。
なんだその仕草、かわいいな。僕がやったらキモいだけだけど。
「それはそれとして、事前に作っておいた台本は持っていますの? それと喋っていると喉が渇くので水分は必須ですわ。後、お手洗いは大丈夫ですの? 私達の出番までには済ましておいてくださいませ」
「君は僕の母親か?」
なんだろう、僕ってもしかして信用無い……?
ここにきて何故かとてつもなく過保護になったマックイーンを怪訝に思いながら、事前に作っておいた講演会用の資料にもう一度目を通す。
大まかな流れとしては、まず新入生への挨拶。次にレースの経歴や細かな裏話。そして最後に質疑応答と言った形だ。
与えられた時間の関係もあり、特に変わったようなことはせず簡素なものとなった。
これでいいのか? と思わなくもないが、大事なのはマックイーンの声を新入生に届けることだ。
彼女達は期待や希望を持って入学してきたが、それと同時に不安も少なからず抱いているだろう。
そんな時の、憧れの先輩から貰う声やアドバイスというのは非常に心強い。
さて、昨日のうちにリハーサル的なのは終わらせたし、最後の確認も終わったところで、現状体育館内がどうなっているか確認しよう。
「……トレーナーさん? 何をしていますの?」
「覗き見」
「言い方。傍から見たら不審者にしか見えませんわね……」
そう言いつつも、マックイーンも中がどうなっているのか気になるらしく、覗き見の態勢に入る。
僕とマックイーンがこそっと窓から体育館を覗くと、すでに入学式は終わっており講演会はもう始まっていた。
壇上にはマックイーンのライバルであるトウカイテイオーと、彼女の所属するチーム〈スピカ〉のトレーナーが立っている。
〈スピカ〉のトレーナーは、ベテラン中のベテランだ。その実力はトレセン学園の5本の指に入るとまで言われている。
彼はベテランなだけあって、こういった場も慣れているのか、全く緊張している素振りを見せていない。
流石は僕の憧れの先輩だ。
ウマ娘を見つけてはすぐに足を触りに行こうとするところが玉に瑕なのだが……
そしてトウカイテイオーはというと、これまた緊張のきの字も見せていない。むしろ生き生きしている。
元々彼女は目立ちたがり屋なウマ娘なので、人前に立って話すなど造作もないことなのだろう。
「流石テイオーですわね。私も彼女のああいった所を見習わなければなりません」
「……リスペクトしてるんだな」
「当然ですわ。なんたって私の『ライバル』ですもの」
そうだよな、マックイーンとトウカイテイオーは、同時期にトゥインクルシリーズで有名になった存在だ。
春の天皇賞でもしのぎを削った者同士ということもあり、お互いがお互いを意識するなと言われる方が難しいまであるだろう。
「まあ、テイオーも凄いウマ娘だと思いますわよ。私の次に」
「負けたくないのは分かるけどその言葉で台無しだよ」
二人が走った春の天皇賞の時に、なぜMT対決ではなくTM対決なのかという死ぬほどどうでもいいことに拘っていた彼女だ。
こういうところを見ると、年相応の反応だなと感じる。
だが、彼女のそれは普通の負けず嫌いとはまた少し違う。
もちろん彼女にも負けたくないという気持ちはあるが、それがトウカイテイオーに対しては人一倍強いというものだ。
マックイーンが活躍していた時に、トゥインクルシリーズで彼女の障害となりうる可能性のあるウマ娘なんて片手で数えるほどしかいなかったので、仕方がないのかもしれない。
それだけにマックイーンが化け物染みた強さを見せていた証明にはなる。
僕のよく知る真の負けず嫌いというのは、普段は飄々として態度で掴めない性格をしている癖にありとあらゆる手段を使って勝ちをもぎ取る芦毛のトリックスターや、本番のレースはもちろん、模擬レースや練習ですら負けたくないという意志を見せつけてくる不退転の意思を持った栗毛の大和撫子のことを言う。
前者は少し分かりにくいかもしれないが、どちらも物凄い勝ちへの執念が見受けられる。
まあ、これらは比べるものではないということを補足しておこう。
『よーし! じゃあこれでボクからの話は終わりだよ! 最後に質問ある人は挙手を!』
彼女達の講演が一区切りついたのか、トウカイテイオーは質疑応答の時間に入ろうとする。
やはりトウカイテイオーの人気は凄まじく、彼女に質問したいウマ娘の多さは手を挙げる新入生を見ただけでも一目瞭然だ。
その中でも一際大きく手を挙げて目立つウマ娘が一人
『はい、はいはい! はーい!』
『お、元気いいねー。じゃあそこの背の高い黒髪の子!』
『やった、私だ! えっと、私キタサンブラックって言います!』
『……え、キタちゃん? ほんとに? お、大きくなったね……』
おーい、トウカイテイオー、これ講演会だぞー。我を忘れてる場合じゃないぞー。
しかし、キタサンブラックの成長ぶりに驚く気持ちは分からなくもない。
マックイーン達がキタサンブラック達と初めて出会った時は、背も低くまだ幼い子供だった。
しかし現在はと言うと、背の高さはトウカイテイオーを優に越しており、他にも色々成長している部分がある。
現にマックイーンなんて空いた口が塞がらないほど唖然としている。
その姿はお嬢様(笑)だ。
あ、今自分の胸に目を落とした。
大丈夫、希望はあるよ。同じメジロ家のウマ娘の中ではダントツで小さいけどね。何がとは言わないけど。
「……言いたいことがあるならはっきり言ってくださいまし」
「そんな気を落とさなくても痛あああ!?」
まだ言いたいことの半分も言ってないのに、足を踏まれた。
本気ではないだろうが、ウマ娘の脚力で踏まれた時の痛みは人間に踏まれた時の何十倍も痛く感じる。
思うに、マックイーンはまだ中等部が故、本当に心配する必要はない。
この学園には最速の機能美と呼ばれる高等部のウマ娘だっているのだ。先頭の景色は譲らない。
キタサンブラックはトウカイテイオーに認知されていたことに感動を覚えつつ、質問に入る。
『あ、あの! テイオーさんはどうしてトゥインクルシリーズで本気で走れたんですか? どうしたらテイオーさんみたいになれますか?』
『んー、まずボクみたいになりたいって考えはやめた方がいいかな』
『えっ、どうして……』
『ボクにもね、最初は憧れの人がいたんだ。その人みたいになりたい、その人と並びたいって思う人が』
恐らく、トウカイテイオーの言う憧れの人とはシンボリルドルフだろう。
彼女はレースで活躍する前からシンボリルドルフに執着していたことは記憶に新しい。
『でもね、気づいたんだ。目指してるだけじゃ勝てないって。だからね、キタちゃんだけじゃなくて皆んなにも、目標とする人がいるなら、その人に勝ってやる、追い抜いてやる! って気持ちで走って欲しいんだ!』
裏を返せば、この発言はトウカイテイオーからシンボリルドルフに対しての宣戦布告となる。聡い生徒会長様がこれに気が付かないわけがない。
皇帝と帝王の対決、今からでも楽しみだ。
『それとね、ボクがトゥインクルシリーズで本気になって走れた理由は、皆が支えてくれたのもあるんだけど、一番はやっぱりライバルの存在かな』
「っ!」
おっと、このライバル発言の対象は十中八九マックイーンのことだろう。
ここで自分の名前が出てくると思わなかったのか、マックイーンも驚きの表情を見せている。
『あの、そのライバルって……』
『そうそう、マックイーンのことなんだけどねー。入学したての時はマックイーンより早く練習をやめるのが嫌だったからよく張り合っちゃって、日が暮れても走ってたこともあったよー』
たはは、と笑いながら昔を懐かしむトウカイテイオー。
それはそれとして、そんなことしてたのかと目を向けると、マックイーンはふいっと顔を逸らす。
彼女のオーバーワーク気味なところは昔かららしい。
『あ、あの、テイオーさんのライバルであるマックイーンさんは、テイオーさんから見てどんなウマ娘ですか?』
ここで質問者が変わったのか、キタサンブラックに変わってマイクを持つのは鹿毛のウマ娘だ。
いや、質問者が変わったというよりキタサンブラックからマイクを掻っ攫ったと言った方が正しいな、うん。
……ん? あのウマ娘は……
「……え、ダイヤさん? トレーナーさん、あの子って……」
「うん、サトノダイヤモンド本人だね」
「……」
またマックイーンが胸部に目を落として落ち込んでしまった。
それにしても、さっきのキタサンブラックもそうだが、二人とも成長速度が凄まじい。
何がとは言わないけど。
「ふんっ!」
「おっと危ない。二度も同じ手に引っかかる僕じゃグハァッ!?」
マックイーンの足踏みを回避したと思ったら、二段構えで今度は鳩尾に肘が飛んできた。
本気ではないだろうが、ウマ娘の腕力で鳩尾なんて以下略。
「痛い……マジで痛い……。てか僕何も言ってなかったよね?」
「トレーナーさんが邪な考えをしている気がしたので」
「なに、エスパータイプか何かなの?」
解せない。
しかし、邪な考えをしてしまっていたことは確かなので、今後お嬢様の機嫌を損ねない程度には反省しよう。
『ボクから見たマックイーン? うーん、ライバルなのはもちろんなんだけど、ボク達クラスも一緒だからよく話すんだ』
マックイーンがトウカイテイオーと話す所は度々見たことがある。
ある時はバチバチに火花を散らせていた時もあるが、楽しげに話している時も多い。
『だから、友達以上、仲間でライバルってところかな』
「テイオー……」
間近で二人の争いを見てきた自分にとって、トウカイテイオーの「友達以上、仲間でライバル」という発言にしっくり来た。
『マックイーンはフォームも綺麗でレースの展開も上手で、走ってる時は風みたいに速くて、すっごいウマ娘なんだよ!』
トウカイテイオーにべた褒めされたマックイーンは、顔を赤くしつつも毅然さを保とうとしている。
ちなみに、しているだけて顔が緩んでいるため保ててはいない。
それにしても、マックイーンとトウカイテイオーの関係は素晴らしいものだ。
互いが互いを尊敬し高め合う。
良い話だなあ……
『ボクの次にぃ』
「んなっ!?」
良い話だったのになあ……
こうしてみると、もしかすると二人は似たもの同士なのかもしれない。
いや、どちらかと言うと似た者同士になったの方が正しいかな。
トウカイテイオーの挑発にまんまと引っかかってしまったマックイーンは、先程とは別の意味で顔を赤くする。
……煽り耐性低すぎない?
「テイオー……っ! トレーナーさん、私達も行きますわよ! テイオーなんかに負けてはいられません!」
「張り切るのはいいけど、僕達の出番は次の次だからね。落ち着いてね」
掛かっているかもしれません。一息つけるといいのですが。