シンボリルドルフというウマ娘をご存知だろうか、というのは聞くだけ野暮だろう。
史上初、無敗でクラシック三冠を達成し、その後GⅠを四勝、計七勝の七冠を達成したウマ娘。ついた異名は"皇帝"。
その強さは恐ろしいもので、『レースに絶対はないがそのウマ娘には絶対がある』や『勝利よりもたった三度の敗北を語りたくなるウマ娘』等言われており、学園中の憧れの的だ。
さらにトレセン学園の生徒会長であり、最強チームの一角、〈リギル〉のリーダー的存在でもある。
威風凛々、質実剛健。これらの言葉がこれほどよく似合うウマ娘が誰かと言われたら、自分は第一に彼女の名を上げる。
それほどまでに、彼女はレースの一世を風靡した存在だ。
そんなウマ娘が、僕のことを"トレーナー君"と呼んだ。
先の通り、シンボリルドルフは〈リギル〉に所属している。つまり、彼女のトレーナーは東条トレーナーだ。どう頑張っても僕がトレーナーということにはなり得ない。
最初は何言ってんだこいつと思ったが、彼女の含みのある笑みで合点がいった。
「おい、シンボリルドルフ。"元"と"サブ"の両方を付けろ。僕は決して君のトレーナーになった覚えはないぞ」
「すまない。君を前にすると、どうしても揶揄いたくなってしまってね。それにしても……ふふっ」
「な、なんだよ。今おかしいところあったか?」
「いや何、私のことをシンボリルドルフと略さず呼ぶだけでなく、一人称が"僕"とは。君も随分変わったなと」
シンボリルドルフは、まるで幼子が成長していく様子を見守るかの如く過去を偲ぶ。
以前、僕にもサブトレーナー時代があったのを話したことがあっただろうか。
一部例外を除いて、トレーナーは大抵最初はサブトレーナーというものを経験する。
そこで、幸運なことに僕はチーム〈リギル〉のサブトレーナーに所属することができた。とは言っても、所属していたのは今の完全体〈リギル〉が完成するかなり前のこと。僕がサブトレーナーを卒業したのは、たしかタマモクロスが天皇賞秋を勝利し、天皇賞の春秋を連覇したあたりだったか。
要は今の〈リギル〉のメンバーと僕は面識がほとんどない。
別に他人に話すようなことでも無いと思っているので、今までマックイーンやダイヤにすら話したことはなかった。東条トレーナーもそんな僕を見て、不用意に誰かにその話をしようとはしていない。
さて、脳内で過去を回想するのもこれくらいにして、そろそろ目の前の人物に向き合わなくては。
「シンボリルドルフ、今日はここに何用で?」
「話した通りさ。ここ最近、目まぐるしい活躍を見せているサトノダイヤモンドに激励の言葉を送りたく思ったの次第さ」
激励の言葉、ねぇ。
「よく言うよ。ダイヤもマックイーンもいないこのタイミングを狙ってた癖に」
「おや、バレてしまっていたか。万夫不当、やはり君には敵わないな」
「どの口がそれを……。んで、本当の目的は?」
「君に一つ連絡……もとい依頼したいことがあってな」
「依頼?」
はて、なにをだろうか。
元々メディアが苦手なことと、マックイーンの怪我の件で世間からの評判が良いとは言えないことが相まって、僕に対しての取材といった線はあり得ないだろう。
じゃあマックイーンかダイヤへのメディア出演の依頼か? いや、それだったらこうして僕に伝える必要は無いし……
「あー……その連絡やら依頼やらってのは一体なんなんだ?」
「……最初にこう言っといてはなんだが、そのことはまた後ほど説明するとしよう。まずは、こうしてわざわざ足を運んだ私に対して、何かするべきことがあると思うのだが?」
こ、こいつ……ちょっと見ない間に態度がデカくなりやがって……っ!
そう思ったが、こうして彼女が冗談混じりに会話をしてくれるのは、僕に心を開いてくれている証拠。
彼女は決して堅物という訳でないのだが、普段皆の模範となるようにと肩肘を張っていることが多い。
そう言った面も考慮し、元サブトレーナーとチームメンバーのよしみということで、僕はシンボリルドルフを部屋へと招き入れることにした。
どうせ最初からこれが狙いだったのだろうが、実質一択の選択肢を迫られた僕はこうする他なかった。
唐突な来客により、改めてポットでお湯を沸かしてお茶を入れ、マックイーン達と同様炬燵の虜となったシンボリルドルフの前に出す。
「ありがとう、トレーナー君」
「……そのトレーナー君って呼び方やめない? 万が一誰かに聞かれたらどう弁解するの?」
「それこそ、君が〈リギル〉の元サブトレーナーだったということをカミングアウトすればいいだけの話じゃないか。別に知られて困るようなことはないのだろう?」
うん、まあそうなんだけど。でも嫌じゃん? 過去の栄光に縋ってるみたいで。
それに、あまり思い出したく無いこともあるし。
「トレーナー君?」
「……いや、なんでもない。そのトレーナー君って呼び方も、他に誰もいないのなら渋々……ほんっとうに不本意だが認める。好きに呼ぶといい」
「助かるよ。私のことも、昔のようにルドルフと呼んでくれても……」
「それはない」
「……全く、変なところで几帳面だな、君は」
担当ウマ娘以外を略さず呼んでいるのに特に理由はない。深く介入しないようにするためのただの線引きだ。
「それにしても、こうして話していると君が〈リギル〉に所属していた頃が随分と懐かしく思えるな」
「ああ、それは言えてる。僕がいた時からずっとあのチームにいるメンバーは二人しかいないもんな。マルゼンスキーは元気か?」
「もちろんだとも。この前も『ヤンエグっぽいソース顔のイケイケ男子にねるとんパーティへ行かないかってお誘いされちゃったんだけど、その時はゲッターズだったからお断りしちゃったのよね。そもそも私そういうの下げポヨになっちゃうから興味ナッシングなんだけど』と言っていたよ。彼女も相変わらず元気さ」
すげぇや、何言ってるかさっぱり分からなかった。
理解はしていないだろうが、マルゼンスキーの言葉をそのまま暗記できるシンボリルドルフも大概おかしい。そこらへんは付き合いの長さから為せる技と言えばいいのか。
「んで、シンボリルドルフ。雑談するためだけにこうして押しかけるような真似をする君じゃなかったと僕は思うんだが」
「ほう、いつの日かの入学式で、エアグルーヴ達になす術なく連行されていた者と同一人物だとはまるで思えまい」
「よし、もう帰っていいぞ。さっさと連絡事項とやらを教えてくれ」
「ははっ、それは困る。では追い出される前に本題に入ろうか」
ニヤつくシンボリルドルフはようやく僕を揶揄うのをやめる。できればもう二度としないでほしい、疲れるから。
「近々、URA主催の大規模レースの計画が立てられていることを君は知ってるか?」
「知らんけど」
沈黙。
かなり真面目っぽい雰囲気の中放たれた質問を知らんの一言で済ませた僕と、当の彼女の間に気まずい空気が流れる。
「……その、なんだ。知らないのはいいのだが、もっとこう……興味を持ってほしいというか……」
「いや、だって知らんもんは知らんし……。マックイーンとダイヤがその大規模レースとやらに出るってなら話は別なんだけどさ」
「そこなのだよ、トレーナー君」
「へ?」
シンボリルドルフは炬燵の台の上に両肘を立てて寄りかかり両手を口元に持ってくる。今にも僕に対して『エヴァに乗れ。でなければ、帰れ』と言ってきそうだが、残念ながら僕は初号機のパイロットではない。
「このレース、実はトゥインクル・シリーズとはまた違う扱いでね。トレセン学園に在籍し、更にデビューを果たしている者なら誰にでも参加権限があるんだ」
なるほど、現役でトゥインクル・シリーズを走っている者、レースからは一線を引いている者、ドリームトロフィーリーグに選ばれている者、それらのウマ娘が一度に集結する夢のようなレースが実現する訳だ。
それすなわち……
「オールスターのレース、ってことか」
「群雄割拠、言い得て妙だな。さしずめ、正式名称は"URAファイナルズ"と言ったところだ」
ほーん、"URAファイナルズ"ねぇ。
何がファイナルズなのかはよく分からんが、後々面倒なことになるし上のお偉いさん方が付けた名前にケチはつけまい。
それに、今聞くべきことはそんなことじゃあないからな。
「確かにそれはマックイーン達も参加したがるだろうけど、なんでここで、それも僕だけにそんなことを? 実際噂にもなってないところを見るに、かなりの機密情報じゃないのか?」
「そうだな、本来こうして誰に聞かれているか分からない場でこの話をするのは得策ではないのだろうが、こちらも時間と人手が……特に人手の方が足りなくて、その協力をしてもらいたく……」
「あ、はい、お帰りください」
もういい、もう分かった。これ仕事増えるやつだ。
誰ださっき上から仕事押し付けられない限りやらなければならない仕事は全部終えてるとか言ったやつ! 僕か、ちくしょう! 余計なフラグ立てちまった!
「まあまあトレーナー君、落ち着いてくれ。別にすぐに仕事が増える訳じゃない。時間をかけて少しずつ計画を進めていくつもりだから、激務になるということもないはずだ……多分。だから私を炬燵から全力で引き剥がそうとするのはやめてくれないか?」
「やだやだやだやだ! 仕事増えるのやだ! …………多分って言った?」
「言ってない。私も運営の手伝いをしながら出走のためにトレーニングを行わなければならないんだ。進む道は違えど、その道の先には必ず得られるものがある。さあ、私と共に茨の道を走ろうじゃないか」
「茨の道って言っちゃったよ! そんな美談風に語っても嫌なもんは嫌だ!」
このウマ娘、まだ学生の癖してやりがい搾取というのを理解してやがる。尤も、僕もそれを知っているためこんな手法には引っかからない。
びくともしないシンボリルドルフから手を離し、一度呼吸を整える。
「君とURAのお偉いさん方には悪いが、他を当たってくれ。今はダイヤのレースのこともあるし、時間が無い……」
「そうか、それは残念だ。この仕事を引き受けてくれた者にはかなりの報酬が与えられると聞いたのだがな」
「……と思ってたんだけど通常業務に支障が出ないくらいならいくらでも手伝えるし、なんならダイヤのレースが一段落ついたら今よりも時間作れるんだよね」
「……私がその気にさせておいてなんだが、君は少々将来が心配になるな……」
うるせぇ。今からURAに給料が少ねぇぞって直談判しに行ってもいいんだぞ。
「ん? 少々将来……しょうしょう、しょうしょうらい……」
あ、まずい。シンボリルドルフが何か思いつきそうだ。面倒くさいことになる前に話題を変えなくては。
「そ、それより、シンボリルドルフ。君は実家に帰省したりしないのか?」
「ん? ああ、今年はしないつもりだ。先のURAファイナルズの件もそうだが、通常の生徒会の業務も残っているのでね。このことはエアグルーヴには内緒だぞ? 彼女には仕事は全て終わったと言って安心して帰省してもらっている」
「あー……仕事が終わってないと知ってたらエアグルーヴは学園に残るだろなぁ……」
そして思ったより社畜的な理由だった。トレセン学園の生徒会というのは、他の学校と比べてもかなりの多忙な組織なのではないだろうか。
「さて、とりあえず事務的な連絡はこのくらいかな。何か質問等はあるかな?」
現状、彼女の分かりやすい説明のおかげで不明な点はない。
それより、僕はふと思い出したとある出来事がちらつく。
「……なあ、ちょっとばかり全然関係ないこと聞いていいか?」
「うん? 私に答えられる範囲であれば構わないが……」
「その……今更なんだが、脚の怪我は大丈夫なのか? あの時……海外遠征で発症した繫靭帯炎は……」
「急に深刻そうな顔をしたかと思えばなんだ、そんなことか」
「そんなことって……」
何度でも言うが、ウマ娘は繫靭帯炎を発症すると今後のレース人生が大きく左右される。発症してそのまま引退、なんてことも珍しくない。
僕がちょうど〈リギル〉のサブトレーナーだった時、シンボリルドルフの海外遠征に特別についていったことがある。
経緯は省くが、不運にも彼女は異国の地のGⅠレースでそれを発症した。
それ以降だろうな、僕がウマ娘の怪我により一層過敏になってしまったのは。
「見ての通り、今のところ私は無病息災だよ。脚の痛みも完全に引いている。その証拠に、年に二度のドリームトロフィーリーグも走っている」
「……それはそうなんだけどさ」
例え"元"であっても"サブ"であっても心配なものは心配だ。いつ再発してもおかしくないのだから。
シンボリルドルフと同様、マックイーンの脚のことだって未だに気掛かりではある。
「なんというか、君のお人好しなところは変わってないな。タマモクロスが秋の天皇賞で先行策を取ったのも、確か君の入れ知恵だったか?」
「ああもうその話はいいんだよ! てかなんで君が知ってんの!?」
「本人から直接聞いたよ。何せ、彼女は君が〈リギル〉の元サブトレーナーであることを知ってる数少ない友人だからね」
くそ、僕の過去が知られている分相手しづらい……。
「またとない機会だ、もっと君の話を聞かせてくれないか?」
「は、僕の話って……」
「言うまでもないだろう? 君がサブトレーナーを卒業してから今に至るまでの話さ」
ああ、そうか。シンボリルドルフはマックイーンやダイヤの戦績は知っていても、日常的なことはほとんど知らない。当然っちゃ当然だ。
「いいのか? 特別面白い話なんてないぞ?」
「それは君の主観だろう? 遠巻きに見ていたところ、とても楽しそうに見えたんだがな」
……やっぱりこいつには敵わない。全て見抜かれている気さえする。
仕事は辛い、多い、しんどい。でもやっぱり、根底にあるのはあの二人を支えたいという気持ちだ。
例え逃げ出したくなるほど仕事が多くても、なんだかんだ言って毎日が楽しいのは変わりない。
「……しょうがねぇなぁ。マックイーンとダイヤの面白話、耳にタコができるまで聞かせてあげるよ」
「それは楽しみだ。できればその中に君のことも加えて欲しいな」
「はいはい。まずは、僕ら三人とセイウンスカイの四人で行った夏合宿の時の話でも……」
***
「……と、もう八時か。随分長い時間雑談してたな」
「君とこんなにも長時間話すのは久しぶりだな。つい私も時間を忘れてしまったよ。話を聞いたところ、とりあえず公序良俗に反するようなことをしていなくて良かった」
「僕のことなんだと思ってるの? 仮にも中央のトレーナーなんですけど」
「いや、君の心配をしているんだ。ほら、この前もトレーナーが一人、担当ウマ娘と共に行方不明なったり……」
「あー……」
詳らかにはなっていないが、つい最近とあるウマ娘がトレーナーを拉致って実家に連れ帰ったという事件があった。
毎年そういう事件が起きており、明日は我が身と思い我々トレーナーはビクビクしながら毎日を過ごしている。
「だが、私とてそのウマ娘の気持ちも分からなくはない。全てのウマ娘の幸福を望む身として、彼女が幸せを掴めたのなら私から言うことは……」
「いやあるだろ……あってくれよ……」
「冗談さ。犯行に及んだ彼女も制裁は免れまい。が、私としては極力罰が軽くなるように動くつもりだ」
「……お人好しだこと」
「それはお互い様だろう?」
別に僕はお人好しなんかじゃない。目についた相手をエコ贔屓するだけだ。
「さて、私はそろそろ行くとしよう。このままでは、私の鏡開きは餅の代わりに書類の山になってしまうからな」
「言ってくれたら手伝うぞ? どうせ僕も暇だし」
「仕事が増えるのは嫌と言っていた割には嬉しいことを言ってくれるじゃないか。だが、心配は無用だ。トレーナーという仕事がどれだけ大変な仕事かは多少なりとも理解している。大晦日と三ヶ日くらい君も羽を伸ばすといい」
「生徒にそれ言われるのはちょっと情けないけど……分かった、そうする。でも、何かあったら呼んでくれ」
「頼りにしているよ、トレーナー君」
そう言ってシンボリルドルフは炬燵を出てトレーナー室を後にしようとする。
最初はどうなることかと思ったが、なんだかんだ旧知の中で駄弁り合うというのは悪くない。
キザったらしい言い方をすれば、僕らの仲は良き理解者といったところか。自分で言っていて反吐が出るな。だが、こう言った関係も悪くな……
「……ああ、そういえば言い忘れていたことがあった。つい先程、サトノグループの社長から連絡があってね。なんでも、サトノダイヤモンドのトレーナーである君と面会がしたいそうだ」
…………はい? こいつ今なんつった? てか……
「このタイミングでそれ伝えるの絶対わざとだろ。何が羽を伸ばしてくれだふざけんな。それ聞いたら心休まらねぇよ。よし、そこに直れ。サブトレーナーの時から思ってた君の悪いところをとことん説教してや……待て、逃げるな! クソッ、おい…………ルドルフ!!」