一月某日。
まだ一日は始まったばかりだというのにも関わらず、今日という日が実に厄日だと感じる。
誰しも経験あるだろう。
たとえば、絶対に受けなければならないが全く勉強してない試験の日。
たとえば、何のためにあるのか分からないマラソン大会の日。
たとえば、対応が面倒くさい取引先の下へ向かわなければならない日。
総じて、それらの日をボードゲームのマス目の如くスキップできるような能力が欲しいと、そう思ったことがない人はいないはずだ。
僕の場合、それに該当する日は今日ということになる。
この日が来るくらいにどこか別の国に逃亡しようかと考えたほど、今日起こる出来事を避けたかった。
だが、マラソン大会をタンスの角で小指をぶつけたことを大袈裟に表現してサボったりしてきたツケが回ってきたらしく、今日この日を避けることができなかった。
暗い思いを胸に、身なりを確認して空を見上げる。
雲一つない晴天、着慣れないスーツ、聳え立つ高層ビル。
隣には、綺麗な長い鹿毛に額の菱形の模様が目立つとても中学生とは思えないくらいしっかり者、しかしてどこか非常識な面も併せ持つウマ娘が一人。
僕は彼女の顔を見てこう言う。
「……帰ろっか」
「何を言ってるんですか」
真顔で返されてしまった。いい提案だと思ったのに。
ルド……シンボリルドルフに宣告されていた通り、正月明けにダイヤ本人から彼女の親御さんが面会を望んでいる趣旨の話を聞かされた。
頼むから間違いであってくれと祈りながら正月を過ごしていたのだが、その祈りも虚しく簡単に希望をへし折られた。世界は僕に対して厳しく作られているらしい。
そして今日がその面会の日だ。
こうしてサトノグループの会社まで足を運んだわけだが、直前になって帰りたい欲が爆発してしまった。帰って寝たい。
「もう、何を心配されているのですか。大丈夫です、少しお父さまに会って頂くだけですので」
「それが嫌なんだよ……」
学校の先生だってわざわざ教え子の親に会いたいとは思わないはずだ。僕は教師じゃないから分からないけど。
嫌だなー、嫌だなーと思っていると、ふと今更と思われても仕方のない疑問が一つ浮かぶ。
ダイヤの家、もといサトノ家は様々な事業や投資などに手を出している名家で一大コンツェルンだ。
同じ名家であるメジロ家はGⅠウマ娘を多く輩出しているのもあり、トレーナー選びというのは本人であるウマ娘に一任しているらしい。実際、詳細は省くが僕とマックイーンもそうだった。
だが、サトノ家もそうだとは限らない。
ダイヤはGⅠ勝利を家のためだと言っていた。それはつまり、サトノ家の悲願と言ってもいい,
そんな家がトレーナー選びに慎重にならないはずがないだろう。
思い返してみれば僕とダイヤが契約を結んだ時、サトノ家云々がとは一言も言われた記憶はない。
これが僕の杞憂に終わればいいのだが……
「……? どうかされましたか、トレーナーさん?」
「……なあ、ダイヤ。一つ聞きたいことがあるんだがいいかい?」
「はい、なんでしょう?」
「サトノ家ってさ、トレーナー選ぶ時ってどういう基準で決めてるの?」
「え゛っ……。それは、その……あっ、もう時間ですね! 行きましょう、トレーナーさん!」
「ちょ、まっ、服引っ張るな! スーツ伸びるって!」
結局質問には答えてもらえず、僕はダイヤに引っ張られる形でサトノグループの本社に突入することになり、最初に目に入った人物とは……
「お待ちしておりましたわ、ダイヤさん、トレーナーさん」
「なんで君がいるんだよ、マックイーン!!」
初手ツッコミ。こんな家庭訪問があるだろうか。
本社突入早々僕らを出迎えたのは、サトノグループの社員等ではなく、まさかの我らがメジロマックイーン。本当に何でここにいるのか分からない。
「ま、待ってくださいトレーナーさん。サトノ家とメジロ家は関わりがあって、恐らく今日ここに来て頂くようお母さまにでも頼まれたのだと思います」
「ダイヤさんの言う通りですわ。彼女のご母堂には逆らえませんもの」
な、なるほど。確かに互いにウマ娘界に大きく貢献している格式高い家だ。双方のコンタクトが全く無いとは言い切れない。
「でも、だからと言ってマックイーンがここにいる理由にはならないと思うんだが」
「トレーナーさんとの面会を望むと言うからには、きっとこれは貴方がどのような人かを見抜くためのものですわ。ダイヤさんのご尊父とご母堂も、正しく評価したいからこそトレーナーさんと付き合いの長い私に声をかけたのだと思います」
ぐっ……まあ僕の世間の評判は良いものではないからな。
いくらダイヤがそれを否定してくれても、彼女の親御さんからすれば騙されていると思われてもおかしくない。
故に、僕のことを公平な目で評価できる第三者が必要なわけだ。正直、それに適任なのがマックイーンかと言われたら僕は黙るしかないけど。
「何はともあれ、マックイーンがいるなら少しは安心だよ」
「随分と緊張なさっているようですわね。大丈夫ですわ、私達が認めたトレーナーですもの。普段通りとは言いませんが、もっと肩の力を抜いてくださいませ」
マックイーンとの会話により、なんだか緊張がほぐれた気がする。このままこうしてるだけで時流れねぇかなぁとは思うが、そう言うわけにもいかないので、最後の気合を入れるために襟を正す。
その時、後ろから服を摘まれる感覚を覚えた。気になって後ろを振り返ってみると……
「ダイヤ、どうかした?」
「…………私の時は何も……」
「……ダイヤ?」
「えっ、あ、いえ、これはなんでもありません。時間も押してますし、早くお父さまの下へ向かいましょう」
ダイヤは僕の服を摘む指をパッと離し、顔を赤くして先導する。
彼女も口では大丈夫だと言っていたが、その実緊張しているのだろうか。
「早くダイヤさんの側に行ってあげてくださいませ。今日は貴方達二人が主役なのですから」
「あ、ああ」
ウマ娘の気持ちを知るというのは容易ではない。常々そう思う。
***
ダイヤの後に従い、サトノグループ本社の内部を案内してもらう。
案内とは言っても、彼女の父親の下へと向かう間のものなので、社内のほんのごく一部だ。
僕はこういったことには詳しくないので、ダイヤに説明されても「うん、なんか、すごく、すごいね」くらいの語彙力でしか返答ができない。
そして高層ビル特有のエレベーター。高い、めっちゃ高い。
エレベーターでものすごく高い階へ昇ってる。庶民の僕からしたらこれまでの光景は慣れてなさすぎて目が回りそうだ。
目的の階層に到着してエレベーターを降りると、僕とマックイーンはダイヤの言われた通り誰もいない会議室へと入室する。
そしてダイヤはお父さまを呼んできますと僕らに一言かけ、この場を去った。
…………
「……何を挙動不審になっていますの」
「だってこういうの慣れてないし……」
「トレーナーさんはメジロ家に何度もお越しになっているではありませんか」
「うん、それは基本的に君が無理矢理連行してたんだけどね。そうじゃなくて、メジロ家とはまた違った緊張感があるっていうかさ」
自分はこれまでに学生とウマ娘のトレーナー以外の肩書きを持ったことがない。
学生、主に高校生の時のインターンシップや社会科見学で高層ビルに立ち寄ることも可能だっただろうが、生憎と自分はトレーナーになること以外眼中になかったためその選択はしなかった。
故に、こういったオフィスビルに入るのは初めての経験だ。そこに追い討ちかのように担当ウマ娘の親御さんとの面会という弾丸を喰らってしまっては僕の心臓はズタボロになってしまう。
「面会とは言っても、トレーナーさんの一挙手一投足が見られる場になるでしょう。お眼鏡に叶わなかったら、トレーナー変更の話を切り出されてもおかしくありませんわ」
「さっき大丈夫って言ったよね? それ聞いて大丈夫じゃなくなったんだが?」
「ではここで諦めると言うんですの? 貴方とダイヤさんが歩んできた軌跡を全て無駄にして」
「……困るな、僕はサトノダイヤモンドのトレーナーだ。そこは絶対に譲れない」
「それでこそ、私のトレーナーですわ」
マックイーンに喝を入れてもらいながら、ようやく覚悟を決めてダイヤ達を待つ。
僕はやる時はやる男だ。大丈夫、誠実に温厚に対応すればきっと乗り越えられるはずだ。
そう自分に言い聞かせていると、部屋のドアが開きダイヤと一人の男性が入室する。
おそらく、彼がダイヤの父親だろう。ダイヤの母親らしき人物は見当たらない。
僕は席を立ち、挨拶のために男性の下へと向かう。
「はじめまして、ぼ……私はトレセン学園でトレーナーをやっている者です。こちら名刺を……」
「ああ、これはご丁寧にどうも。サトノダイヤモンドの父です。今日はご足労いただきありがとうございます」
目と目が合えばポケモンバトル……ではなく、社会人のバトルカード、名刺の交換から始まる。
おい、そこの二人。僕が自分のことを"私"と言った途端あからさまに笑いを堪えるような態度を取るんじゃあないよ。そんなにおかしいか? おかしいな、うん。
「いつも娘がお世話になってます」
「いえいえそんな」
探るような、見定めるかのような視線。
一見して腰が低いかのような印象を抱かせる男性だが、中身はおそらくかなりのやり手だ。さすがは大企業の社長として大成しただけある。
一通り挨拶も済ませ、僕達はさっそく面会へと移行するためそれぞれ席に座る。僕とマックイーンが隣同士、その対面にダイヤと親父さんという形となった。……なんかこの対面、学生の頃の三者面談を思い出して嫌だなあ。
「さて、早速対談を行いたいのですが。よろしいですかな、トレーナーさん」
「はい、構いませんよ。いつでも準備はできてます」
「それでは……まずは一つ、礼を言わせてほしい。うちの娘に、ダイヤにGⅠの栄光を掴ませてくれて本当にありがとう」
初手感謝の言葉。予想外の親父さんの言動に少々戸惑ってしまう。
「ぼ……私はお礼を言われるようなことはしていませんよ。娘さんがGⅠを勝利することができたのは彼女自身の実力ですし、闘争心に火をつけたのはトゥインクル・シリーズを共に走る多くのライバル達です」
「さすがは中央のトレーナーだ」
「お褒めの言葉、恐縮です」
「ははっ、そんなに畏まらなくても。やはり、世間の評価だけを宛にするのは良くない。娘の話を聞く限り、関係も良好なようで何よりですよ」
「お、お父さま! トレーナーさんの前でその話は……」
先の言葉に嘘は無い。何もしていないと卑屈になるなとは昔マックイーンに言われたものの、事実を捻じ曲げるようなことは言いたくなかった。
「メジロマックイーンさん、あなたから見てトレーナーさんはどのような方ですか?」
そうは言ってもやはり第三者の目線は欲しかったのか、親父さんはマックイーンにそんな質問をした。
今まで黙っていたマックイーンは顎に手を当て、一つ考える姿勢を取る。
「そうですわね……。私達のトレーナーさんは、不器用でデリカシーが無くて、大事なレースの日になると出走するウマ娘より緊張して見てるこちらがハラハラするような人ですわ」
おい、今そういう流れじゃねぇだろ。なんで僕のディスに入った? マイナス評価だよ。親父さん微妙な顔してるよ。
「でも……」
「ん?」
「でも、嫌な顔をしながらも私達の無理難題を聞いてくれますし、ウマ娘に対して真剣で誠実で……それが行き過ぎて困った方向に働くこともありますけど。私達のことを第一に考えてくださって、進むべき道がとてつもなく困難な道のりであっても隣で信じてくれる。そんなトレーナーさんの姿に私は…………って、何を言わせてますのトレーナーさん!?」
「いや、君が勝手に自爆したんじゃん……」
その先の言葉はなんだか聞いてはいけないような気がした。
「わ、私もトレーナーさんの素晴らしいところたくさん言えますよ!」
「ダイヤ、君はちょっと黙ってて」
これ以上事態をややこしくしないためにも、僕はダイヤと、ついでにマックイーンにもステイを言い渡す。
ダイヤにこれ以上何かを言わせるとマックイーンにも親父さんにもいらん誤解を与えてしまうことになりかねない。
それより、僕達の化けの皮が崩れた様子を見られたことの方がよっぽど問題だ。おそるおそる親父さんの方を見ると……
「……やはり会ってみてよかった。こうして数回会話をして話を聞いただけで、あなたが良いトレーナーだということが分かる」
ニコニコしてた。いや何を見てそう思ったの? そして早いな、判断が。
僕が言うのもなんだがもうちょっと疑った方がいいのではないかと思う。
でも、何かが噛み合ったのか、悪い印象は持たれていないようだ。助かった、後は野となれ山となれではないけど、どうにか平穏にこの面会を終わらせる方向へと……
「うちのトレーナー試験を受けずにトレーナーが決まったと、そうダイヤに報告された時はこの先どうなることやらと思いましたが、それは私の杞憂だったようですね」
「…………今なんて?」
トレーナー試験? なにそれ、知らない。
僕は親父さんからダイヤに目線を変えると、それに気がついたダイヤは敢えて僕から目を逸らし明後日の方向を……
「おい」
「違うんです、トレーナーさん! 私はあの時あなたに運命的な何かを感じ取ったので、試験でトレーナーを決めるというジンクスを破りたかったまでてして……」
何が違うんだよ。いつもの君じゃないか。
「あっはっは。私が言うのもなんですが、うちのトレーナー試験は割と名の知れたものだと思っていたんですがね」
「?????」
親父さんは僕らのやり取りを見て、笑いながらさらっとそんなことを言った。そのため僕の困惑は最高潮まで達する。
親父さんそれほんとに? 僕一回も聞いたことないが?
「たしかにダイヤさんのチームの加入が早すぎるとは思いましたが……。トレーナーさんなら大丈夫かなと……」
「……なあマックイーン。これってもしかしてトレーナーの間だったら割と周知の事実だったりする? 僕びっくりなんですけど」
「私は貴方がこれを知らないことに驚きですわ」
真顔でマックイーンにそう言われてしまった。ダイヤといいマックイーンといい、今日は彼女らに真顔でツッコまれることが多い気がする。
マックイーンの口ぶりからするに、このトレーナー試験は周知の事実らしい。
無知は罪、知らなかったでまかり通るのは小学生までだ。
ダイヤは僕の担当ウマ娘になりGⅠタイトルを二つ獲得したが、あくまでもそれは結果論でしかない。人の金を盗みギャンブルで増やしたので返しますと言っても、人の金を盗んだ事実が消えるわけではない。
座右の銘が『結果良ければオールオーケー』の僕でも流石にこの状況は冷や汗をかかざるを得なかった。
「トレーナーさん」
「は、はい!」
不意に親父さんに名前を呼ばれ、出先で母親が出すくらいの半音高い声が出る。
何を言われるんだろう。金輪際うちの娘に近づくなとでも言われるのだろうか。嫌だ……それだけは嫌……
「これからも、うちの娘をよろしくお願いいたします」
「……もちろんです。責任を持って預からせて頂きます」
「その言葉が聞けて安心しました。それでは、面会はそろそろお開きにいたしましょう」
「もうですか?」
僕としては願ったり叶ったりだけど。
「ええ。このあと重要な会議がありますので」
「そうですか。ではぼ……私もお暇します」
「ははっ、今後は"僕"で大丈夫ですよ、トレーナーさん」
親父さんに気づかわれたことにより、マックイーンとダイヤはついに我慢を堪えられず小さく声を漏らしてクスクス笑う。お前ら学園戻ったら覚えとけよ?
拳を握りしめて激情をなんとか抑えながら、僕は部屋を後にするためドアに手をかける。
「それでは失礼します……」
「ああ、そうだ。トレーナーさん、最後に一つお話しよろしいですか?」
「? 構いませんけど……」
なんだかつい最近似たような引き止められ方をした気がする。それのせいで年末年始は気が休まらなかった。
マックイーンとダイヤには先に退出してもらい、文字通り僕と親父さんの一対一となる。
「それでお話とは……?」
「……ダイヤの次走、もしくは次々走は決まっていますか?」
「えっと、次走は天皇賞に向けて前哨戦の阪神大賞典、その次は本命の春の天皇賞ですけど……」
それがどうかしたのだろうか。娘のレースなので気になるのは分かるが、わざわざこうして僕に聞く必要はないはずだ。
「もう一つお聞きしたいことが。あなたは娘に今後について相談されましたか?」
「今後……レースのことについてなら、挑戦してみたいレースがある、とだけお聞きしました」
「……やはりあの子は全ては言っていないか」
と、言うことはダイヤは既に家族に話しているのか。
僕としては、たとえ現状適正があまり高くないマイルや短距離のレースでもダイヤが走りたいと言ったらそれを支えるつもりの気概でいる。実際そんな状況になったらどうするかは別として。
そう考えていると、背後のドアがガチャリと開く。
「……その先は私の口から言わせていただけませんか?」
「ダイヤ!? 外に出てたんじゃ……」
「えへへっ、お行儀が悪いと分かっていながらも、聞き耳を立ててしまいました……」
ダイヤはバツが悪そうに頬をかく。
きっと彼女は、親父さんが僕に何の話をするのか薄々予想がついていたのだろう。
「トレーナーさん、無茶を承知でお願いしたいことがあります」
「……僕にできることであればなんでも」
改まったダイヤを前に、僕も真剣にならざるを得ない。
それと同時に、この感覚はどこかで味わったような、そんなデジャヴを感じた。
「今年の秋、フランスの舞台で……」
ああそうだ。この感じ、思い出した。
「凱旋門賞で、私のサポートをお願いしたいのです」
いつの日か、ダイヤの目標を車の中で聞いた時。
あの時の真っ直ぐな瞳で目標を語る彼女が、今目の前で新たな目標を掲げる彼女と重なって見えた。