名家のウマ娘   作:くうきよめない

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日本に残された面子はというと……




誰にも言えない秘密

 

 

 

 本当に大切なものは、失ってから初めて気がつく。

 

 当たり前だと、日常だと思っていたものが急に目の前から姿を消す。それを覚悟していたならばまだしも、突如としてそんなことが起きてしまったら取り乱してしまう人がほとんどだろう。

 

 幸いにも自分の場合は後者ではないが、それでも心のダメージというものは一言二言で語れるものではない。

 

「マックちゃーん、そろそろ休憩時間終わるけど……って、溶けてる!?」

 

「……ほぇ?」

 

 トレーニングの休憩時間、一色さんは木陰で休んでいる私を呼びに来る。

 夏の暑さも相まって、トレーナーさんとダイヤさんに会えないという非日常が続き、一色さんの返事にも情けない声でしか対応することができない。

 

 二人が日本を旅立って一週間が経った。

 二ヶ月間ほど会えないことは覚悟していたが、もうそろそろギブアップを唱えたいと思っている。

 ダイヤさんともトレーナーさんともほぼ毎日連絡を取っている上に、トレーナーさんに至っては三日に一回ほどビデオ通話までしている。

 それでもこの様だということは、二人が自分にとってかけがえのない存在になっているということの証拠に等しい。

 

「だ、大丈夫!? 目が死んでるよ!? せんぱいみたいな顔になってるよ!?」

 

 焦り顔で心配をしてくださる一色さん。私にとって、彼女の存在は脅威だ。

 この前も、トレーナーさんの部屋に泊まっただのなんだの仰っていたし、聞いた話によると一色さんは私よりもあの方との付き合いが長いとのこと。

 

 たまに毒舌で少しばかりお腹の黒いところがある、だけど気安く接することのできる後輩キャラ。トレーナーさん目線で一色さんを簡単に言葉にするとこんな感じだろうか。

 随分と仲が良いようでたまに嫉妬すら覚えてしまう。

 

 と、思ったら一色さんはトレーナーさんを雑に扱うところがある。

 先程のような間接的な悪口を吐いているのは、単なる信頼の裏返しかそれとも別の感情か。

 

「えっ、マックちゃんどうしたの……? 何か言って?」

 

 なんにせよ、現状では一色さんの真意は分からない。

 

 恋はダービー、競争社会、目立った者勝ち。

 恋に精通しているようで、その方面に対しこれと言って何の経験もない我がライバルの歌っている歌を思い出す。

 付き合いの長さでは負けているかもしれないけれど、付き合いの深さなら負けていない。むしろそれに関して、私は誰よりもアドバンテージがある。

 

 いいでしょう、一色さん。貴方がトレーナーさんのことをどういう風に思っているかは判断しかねますが、仮に想定する感情を抱いていたとしても、微塵も負けるつもりはありません。必ず見極めさせて頂きます。

 

「あのー、返事して欲しいんですけど……。もしもーし、マックちゃーん?」

 

 

 

 

 

 

 

「お出かけですか?」

 

「うん。せんぱい達が帰ってくるまで一緒にいるんだし、もっと仲良くなるためにも次の休みの日にわたしとスカイとマックちゃんで遊びに行こうかなって」

 

 トレーニング終了後、暑い中練習を見ていてくださっていた一色さんがそんな提案を持ちかけてくる。

 

 遊びに行くこと自体は悪い提案ではない。コンディション管理が大切なのはもちろんのこと、これから長い期間お世話になる方との交友を深めることができる。

 

 でも、少し複雑だ。

 なぜなら、誘ってくださったのはつい先程(勝手に)恋敵認定した一色さんご本人。

 

「……どうしたの、マックちゃん? 今日はなんだか変……あ、もしかしてお出かけ嫌だったかな、あはは……」

 

 うっ、断りにくい……そう言われたら行かざるを得ない雰囲気となりますわね……。

 

 彼女との仲は決して悪いわけではない。しかし、やはりどこか接しづらいところがある。

 例えたらそう、友達の友達のような感覚だ。無意識に他人行儀な対応を取ってしまう。

 

「別に嫌なんてことはありませんわ。少々意外でして」

 

「意外? そうかな?」

 

「ええ。仮という形ですが、別に担当でもない私のコンディションまで気遣っていただけるとは思いませんでしたので」

 

「ふふんっ、これでもわたし、中央のトレーナーで一番ウマ娘のこと知ってるつもりだからね!」

 

 一色さんは自身の被っている帽子の鍔に手をかけて自信満々に胸を張る。

 そんな彼女の薄い胸に親近感を覚えながらも、根拠のないその自信はどこから来るのかと疑ってしまう。

 

「それで、どうかな? 次のお休み……今週の週末にでもどこかに行かない?」

 

「……ありがたい提案なのですが、そんなに気を遣って頂かなくてもいいんですのよ?」

 

 せっかく誘ってもらっているのだから行けばいいのにという声が聞こえてきそうだが、どうしても上手く気持ちを整えることができない。

 一色さんがトレーナーさんのことを好きかもしれないと考えると一歩引いてしまう。

 

 思えば私には恋敵が多い。目の前の一色さんをはじめ、桐生院さん、この前なんてスカイさんが私のトレーナーさんをたぶらかそうとしていた。

 

 

 そして、今現在トレーナーさんと二人きりでフランスにいるあの娘もきっと──

 

 

「えー、せっかく美味しいって噂の駅前のスイーツ屋さんの予約取れたのに……」

 

 それを聞いた瞬間、私の心は一気に揺らいだ。

 一色さんが言っているのは、最近オープンした超有名スイーツ店のことではないだろうか。あそこのモンブランは絶品との噂だ。

 問題は人気すぎて中々予約が取れないところ。その予約を一色さんが取ったという。行かない理由はない。

 

 ないのだが……

 

「ここで応じてしまっては、客観的に下心を持っているようにしか見えないのですが……」

 

「そんなの気にしなくていいのに〜。でも、これでも駄目かぁ。だったら……」

 

 後ろ向きな発言をするのを聞くに、一色さんは財布の中から一つの鍵を取り出して見せつけてくる。

 

 一見してただの鍵のようですが……

 

 

 

「ここにせんぱいの部屋の鍵があります」

 

「行きます」

 

 

 

 

 なぜトレーナーさんの部屋の鍵を持っているのかは置いておいて、素直に自分の心に従った。

 決して下心を持っているわけではない。そう、決して。

 

 

 

 ***

 

 

 

「んん〜……! これこそ私が求めていた至高の味……! スイーツを口にする手が止まりませんわ!」

 

「ほどほどにね、マックちゃん? せんぱいが帰ってきた時体重増えてたら怒られちゃうよ、わたしが」

 

「怒られるのは一色ちゃんなんですね……」

 

 スイーツ店の予約とトレーナーさんの部屋の鍵にまんまと釣られ、テーブルを挟んで対面に座るお洒落をした一色さんと普段着のスカイさんと共にお出かけに来ていた。

 

 腹が減ってはレースができぬとも言いますし、最初の目的地はスイーツ店で満場一致。

 現在はそこのモンブランを食事中という極上の時間を味わっている。

 

「でも、マックイーンさんが盲目的になるのも分かるな〜。これ凄く美味しいもん。苦労して重い腰を上げた甲斐があるというものですよ」

 

「うん、スカイ、あんたは何もしてないからね。むしろあんたを引っ張り出すのに苦労したのはわたしだからね」

 

「それほど私に来て欲しかったんですか? だったらそう言えばいいのに〜」

 

「え、そうだけど? スカイとお出かけするのも久しぶりだったから楽しみだったんだよ?」

 

「……あー…………、なんかここ暑くないです? 冷房効いてない気がするんですけど。マックイーンさんもそう思いません?」

 

「ふぇ、ふぁんふぇふ?」

 

「飲み込んで。飲み込んでから喋ってください」

 

 唐突にスカイさんに話振られ、口にスイーツを含んだまま返事をしてしまう。自分でやっといてなんだが、ものすごくはしたない。

 

 こんな姿はトレーナーさんに見せられま……

 

 

 パシャリ

 

 

 そんな効果音が対面から聞こえて顔を上げると、スマホを私の方に掲げた一色さんがニヤニヤと……って

 

「どうして撮っているのですか!? 消してくださいまし! 私の失態を即座に消してくださいまし!」

 

「やだよー! この写真せんぱいに送っちゃうもんねー!」

 

「なっ!? そ、それだけはやめてください! そもそも、これがバレたら一色さんも怒られるのでは!?」

 

「マックちゃんが減量すれば平気平気! そういうわけで、せんぱいに送し……」

 

「あああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……マックイーンさんが大声出すから追い出されちゃったじゃないですか。私まだ半分しか食べてなかったのに」

 

「諸悪の根源は一色さんです。文句があるなら貴方のトレーナーに付けるべきですわね」

 

「んもぅ、マックちゃんたら照れちゃって。そんなにさっきの写真がせんぱいに送られるの嫌だったの?」

 

「嫌に決まっていますわ! というか貴方も反省してくださいまし! どうしてそんなヘラヘラしていられますの!?」

 

 迷惑客と化してしまった私達はやんわりと退店を促されてしまい、今は次の目的地であるトレーナー寮へと向かっている。

 

 結果的に先程の写真がトレーナーさんに送信されることはなかったが、その代償としてもう二度とあそこのスイーツ店に行けないことが確定してしまった。

 出禁とかそういうのではなくて、単純に恥ずかしいから。

 

 

 悩んでいる最中、前方で軽口を交わしている一色さんとスカイさんに見えないように静かに両頬を叩いて気合を入れる。切り替えなくては。

 

「はい、トレーナー寮に到着〜……と、その前に。せんぱいに連絡入れないと」

 

「どうしたんです、一色ちゃん? 何かあったんですか?」

 

「ああ、せんぱいに部屋に来るなら必ず連絡しろって言われてるの。だから今連絡してる」

 

 それはほぼズルではないだろうか。フランスにいるトレーナーさんが何と言おうと、私達を阻止することは不可能だ。

 

 まあ、自分もそのズルに乗っかろうとしているので何も言えませんけど。

 

「ほいっ、今度こそせんぱいに送信っと。マックちゃんの画像は送ってないから安心してね」

 

「ありがとうございます。そのままあの画像を消していただいてもよろしいのですよ? さあ、その手にもっているスマホを渡して……み、道端で蹲らないでくださいます!? そこまでして消したくないんですの!?」

 

 拒否されるであろうことは分かっていたが、まさかここまでされるとは思っていなかった。醜態を晒した自分が言えたことではないが、みっともないからやめてほしい。

 

「二人とも、おバカなことやってないで行きますよ。もう、なんでセイちゃんがツッコミ役やらなきゃいけないんですか」

 

「ごみんごみん、たまにはわたしにも弾けさせてよ」

 

 基本的におバカなことをやっているのは一色さんだ。

 まとめられるのは納得いかないのでスカイさんに抗議をしようとしたところで、不自然な感覚に陥る。

 

 自分は一色さんについてよく知らない。なのに、なんだか近しい存在とも錯覚してしまう。

 この不自然な感覚は一体……

 

「ああっ!?」

 

「ちょ、急に大声出さないでくださいます? 周りに住んでいる他のトレーナー方の迷惑になってしまいますわよ」

 

「大丈夫、ここ防音だから。そうじゃなくって、買い出し忘れてた! どうせせんぱいの部屋に行くなら、夜ご飯の食材調達も兼ねて色々買ってから行こうと思ってたのに……」

 

「……もしかして、トレーナーさんの部屋で晩御飯を?」

 

「そのつもりだけど」

 

 もう何も言わない。ここは流れに身をませるべきだ。

 トレーナーさんが帰ってきたらそれとなく謝っておこう。

 

「私はめんどうなんで部屋でお休みしときますね。一色ちゃん鍵ちょうだい?」

 

「はいはい、無くさないでね」

 

 そう言って一色さんはスカイさんに鍵を投げ渡……ちょっと扱いが雑過ぎるのではありませんこと? 

 

 でも、ナイス判断ですわ、スカイさん。このまま私も一緒にトレーナーさんのお部屋へと……

 

「それじゃあマックちゃん、わたし達はお出かけの延長戦へと洒落込みましょうかね」

 

「えっ……い、いえ、私もスカイさんと部屋でお待ちしているつもりなのですが……」

 

「いいからいいから! ほらっ、時間もったいないしさっさと行くよ! じゃないと今度こそさっきの写真をせんぱいに……」

 

「さあ、張り切って参りますわよ!」

 

 仕方がない、トレーナーさんの部屋を物色……ではなく、お邪魔するのはまた後で楽しみにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園、並びにトレーナー寮からかなり離れた大きなショッピングモール。

 正直こんなに遠くまで来なくてもいいのではないかと思ったが、ここなら食材だけでなくトレーニング用品やシューズなども買うことができる。ちょうど蹄鉄がすり減ってきていたのでこの機会に買って、さっさとトレーナー寮へ帰ってしまおう。

 

 

 そう思っていたのに

 

 

「マックちゃん可愛い! すっごく似合ってる!! あ、店員さん、写真撮ってもいいですか?」

 

 

 なぜ私は着せ替え人形にされているのでしょうか……

 

 ここはショッピングモール。トレーニング用品や食材どころか、娯楽の類もなんだって揃っている。それはブティックだって例外ではない。

 

 

 スカイさんがフェードアウトし、私と一色さんの一対一。

 これなら彼女のことを見極められると思ったのだが、初っ端から後手に回ってしまった。スイーツの時といいトレーナー寮前の時といい、一色さんにいいようにされっぱなしだ。

 

 これから一ヶ月強はお世話になるので無理にこんなことしなくてはいいのではというのは分かっている。でも、やはりモヤモヤしたままなのは気持ちが悪い。

 

 はやる気持ちを抑えて冷静になり、探るように一色さんに質問を投げかける。

 

「あの、一色さん。少し質問よろしいでしょうか?」

 

「ん、どうしたの? もしかしてお気に召さなかった?」

 

「服装自体はとても素敵だと思うのですが……どうしてこんなことを?」

 

「いやあ、ただ食べ物買って帰るだけじゃ寂しいじゃん? マックちゃんとこうしてお出かけするのも珍しいし、どうせなら色々楽しんじゃおうかなって」

 

「は、はぁ」

 

 笑顔でそう言う一色さんに悪意は何一つ感じられない。むしろ、何かあるのでは、企んでるいるのではとまで考えていた自分の心が痛む。

 

「それに、スカイはこういうことさせてくれないしさ」

 

「あー……」

 

 たしかにスカイさんは自分からこういうところに行くようなイメージはない。

 仮に縄つけて引きずったとしても、目を離したらいなくなり河川敷で昼寝をしていてもおかしくないような方だ。

 そこにフラワーさんを添えれば普段の日常となんら変わらない。

 

「可愛い! マックちゃん可愛いよ! 目線ください!!」

 

 容易に想像できるような光景を頭に浮かべ苦笑していると、一色さんはパシャリパシャリとスマホ撮影を開始する。

 そんな彼女の姿が注目を集めたのか、お店にだんだんと人が集まってくる。

 

 今はお洒落しているからというのもあるが、こうして注目されてしまってはウマ娘の本能に抗うことはできない。

 多少の気恥ずかしさが残りつつも、ライブほどではないしにろポーズを決めたりなんかしてしまった。

 

 店側からしたら迷惑以外の何者でもないけれど、笑って許してくださったことには感謝しかない。

 

「あ〜、可愛い……脳が溶ける……」

 

 この方もしかしてやばい人ではないのだろうか。どことなくデジタルさんに近しい気がする。

 

 少し、ほんの少しだが自虐心が沸いてしまった。

 自分だけ着せ替え人形にされるのは気に食わない。どうせなら彼女も道連れにしてやろう。

 

「一色さんも試着してみたらどうですの?」

 

「えっ、いやわたしは……」

 

「そんなこと言わずに。さあ、その帽子を取ってくださいま……」

 

「だ、だめっ! 帽子だけはだめだから!」

 

 う……そこまで拒絶されたら引き下がるしかない。強制するわけにはもいかないので、肩を落としてお店へのお礼も兼ねて試着していた服を購入し、そのブティックを後にした。

 

 

 そのお店の今日の売り上げは増えたとか増えなかったとか。

 

 

 

 

 

 

 先程とは打って変わって、ブティックとは雰囲気が全く違うスポーツ店へと入る。

 大型ショッピングモールということもあり移動は大変だが、これでも自分はウマ娘。ちょっとやそっとのことで疲れを見せるわけにはいかない。

 

「マックちゃんの目的はシューズと蹄鉄?」

 

「ええ、そうです。最近どちらも消耗が激しくて」

 

「あ〜、分かる、この手の消耗品って気がついたら無くなってるよね。変に安いの買うより、少しお値段張っても丈夫なやつ買った方がお得って言うか。マックちゃんの走り方だと……これなんかどうかな?」

 

 一色さんは私も目をつけていたシューズを手に取る。

 

 ふむ、やはりこの方、ダイヤさんやトレーナーさんから聞いていた通り中央のトレーナーとしての才は高いようだ。

 これまでの彼女の言動からその情報は疑わしかったけれど信憑性が出てきた。

 

「ありがとうございます。ではこれを三点ほど購入して……」

 

「あとはマックちゃんの言ってた蹄鉄だね。それと粉末状のスポーツドリンクと、プロテイン。これから暑くなるしネッククーラーやアイスネックバンドも必要かな〜。熱中症ってバカにできないし」

 

 え、えぇ……

 

 軽い気持ちで寄ったつもりのスポーツ店だったのに、思った以上に一色さんは真剣に考えてくれていて戸惑ってしまう。

 顎に手を当てて悩む彼女の姿は、どことなく誰かさんに似ている気がした。

 

「ん、どうしたの? わたしの顔に何かついてる?」

 

「い、いえ、なんでもありませんわ。こうして一色さんの真面目な表情をお伺いするのは初めてだったもので」

 

「それだと普段のわたしは真面目じゃないように聞こえるんですけど」

 

 否定はできないためそっと目を逸らすと、一色さんは不服そうな表情を露にする。

 

「誰になんと言われようと、わたしは合格倍率がめちゃくちゃ低いって言われてる中央のトレーナーだからね」

 

「以前トレーナーさんも似たようなことをおっしゃっていましたが、トレーナー……それも中央ともなるとそこまで厳しくなるのですか?」

 

「そりゃもう大変。酷い時はその年の合格者が0人なんてこともザラにあるから。新しいトレーナーが採用されない分、わたし達若手の仕事が増えちゃうのも当然ってわけですよ」

 

「苦労されているのですね……」

 

「あはは、わたしはまだマシな方なんだけどね」

 

 一色さんは笑って答えるが、その瞳は笑っていない。

 謙遜か、それとも事実か。どちらにせよ、一色さんと同じくトレーナーさんも彼女と同等かそれ以上のお仕事をされているのは確かだ。今日のビデオ通話でそれとなく日頃の感謝を伝えておこう。

 

「でも、それくらい厳しくしないといけない理由があるの。能力のない人とか頭の悪い人がこの職業に付けちゃったら、将来有望なウマ娘の未来が危ないし」

 

「……言い方に随分と棘がありますわね」

 

「そりゃね。松葉杖ついて、お前のせいで二度と走れなくなったってトレーナーに暴言を吐き散らかすウマ娘を、わたしは昔から見てきたから」

 

 言い方は悪いが、一色さんの言うことは間違っていない。実際、彼女の言う通りの光景を見たことがある。

 ウマ娘にとって怪我は付き物。トレーナーさんや〈スピカ〉、〈リギル〉のトレーナーもそれに抗うことは出来なかった。

 

 だが、その怪我はトレーナーに過失がある場合と無い場合が存在する。

 皆が皆、先のお三方のような優秀なトレーナーだと曰うのは夢物語だ。

 過酷なトレーニングを課したり、ウマ娘本人が納得いってないようなローテーションを組んだりするトレーナーがいても不思議では無い。

 

 それを分かってるが故、一色さんの意見に反対はできなかった。

 でも、それにしては随分と感情がこもっていたような気がする。

 

 

「…………ウマ娘とトレーナーは仲良くしなきゃいけないのにさ」

 

 

 その小さな呟きは、ショッピングモール特有の騒音によって掻き消され──

 

 

「……湿っぽくなっちゃった。ごめんね、こんなつまらない話聞かせちゃって。さ、買うもん買って帰ろっか?」

 

 笑顔を見せる一色さんだが、やはりその目は笑っていない。ブティックで私のことを激写していた人と同一人物とは思えない雰囲気を漂わせている。

 それほどまでにウマ娘に対して真剣ということか。そうでなければあんなに怖い顔はできない。

 

 

 ウマ娘のトレーナーという職業。

 それがいかに難しい職業かについて、深く考えさせられた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 帰り道の河川敷。

 昼過ぎにトレーナー寮前を出発したというのに、いつのまにか日がもうすぐ沈んでしまう時間帯となってしまった。

 夕日に照らされた川の水が乱反射し、眩しさでつい目を細める。狭まった視野の裏側には今日あった出来事が焼き付いている。

 

「あはは、結構いっぱい買っちゃった」

 

「本当ですわよ。これでトレーニング用品まで自分達で持ち帰っていたらと思うとゾッとしませんわ」

 

「一部後日郵送にしてもらって助かったね〜」

 

 両手にかなりの荷物を持ち、私達はゆっくりと歩みを進める。

 別に荷物が重いとかそういうわけではない。ただ少し考えたいことがあるだけだ。

 

 

 今日一日で一色さんのことがなんとなく分かった気がする。

 ウマ娘に対する思いは真剣で、トレーナーとしての能力も高い。女性としての魅力やセンスを持ち合わせており大人っぽい……と思ったら、たびたび誰かを揶揄うような悪戯っぽい一面もある。

 

 でも、肝心なところは何一つ分からなかった。いや、それを探る機会すら与えてもらえなかった。

 距離は縮まったと感じつつも、心に抱えるモヤモヤが晴れることはない。

 

 もういっそ直接聞いてしまおうか。

 

 でも、聞いてどうする。何が得られる。

 聞いたところで返答は予想がついている。なのにそれを躊躇ってしまうのは、心が弱いからなのだろうか。

 

「マックちゃん、最近ボーっとしてること多いけど本当に何かあったの?」

 

「うぇ!? い、いえ、私が決して何かあったというわけではなく、どちらかと言うと一色さんについて気になることがあると言いますか……」

 

「わたしに? なになに、何の話?」

 

「そ、それは……」

 

 物理的に距離を縮めてくる一色さんに一歩引いてしまう。

 仕方がない、白状してしまおう。ここで逃げても何の解決にも解消にもならない。

 

 決意を固め、一色さんへと向き直ると、

 

 

「きゃぁぁ!?」

 

 

 私でも一色さんでもない女性の声が河川敷に響く。

 悲鳴の発生源は後方。何事かと思い振り返ると、真横を物凄いスピードでバイクが走っていった。反応しきれなかったため先に女性の方を確認すると、その方は地に倒れ伏していた。

 この状況を見るに、想定されることは二つ。ひき逃げ、あるいは……

 

「ひったくりー!」

 

「ッ、一色さん、荷物お願いします!」

 

「ちょちょ、マックちゃん!?」

 

 女性の声を聞き、両手を塞いでいた荷物を放り投げて例のバイクを追う。

 撮影技術が発達したこの世の中でこんな古典的な窃盗をする人がいるとは思わなかった。そのため、反応するのに遅れが出てしまう。

 

 本当ならナンバープレートの数字を暗記したりそのバイクに乗っている輩を撮影した方が効率が良いのかもしれない。けれど、そのどちらもが不安要素が大きすぎる。だったら走った方が幾分良い。

 

 恐らく、盗まれたのは肩にかけてあるあのバッグ。

 ターゲットを絞り、全速力で河川敷の一本道を駆ける。

 

 しかし

 

「くっ……速い……ッ!」

 

 明らかに法定速度を超えているであろうそのバイクは、追う私との距離を縮めさせてくれない。

 スタミナには自信があるが、こうなるとジリ貧だ。全速力で走っているため、追える時間はそう長くない。

 

 脚が勝手に動いて始まった追いかけっこ。虚しくも文明の利器に圧倒され、限界が近づいてくる。

 ウマ娘が人間に敵うはずがないと断言できるのは、互いに生身であるという前提条件があるからだ。道具を使った状態の人間は、場合によってはウマ娘をも圧倒する。

 

 息が苦しくなってきた。テイオーと争ったレースほどではないにしろ、それに匹敵する寸前のスピードは出していると思う。

 それでも追いつけない。もうこれ以上続けるのは愚行なのか。

 

 

 

 諦めかけたその時、突如として風が吹く。

 

 

 

 その風は自然に発生したものではなく、何者かが私以上のスピードで駆け抜けて発生したものだと遅れて気がついた。

 

 

「そいっ!」

 

「な、ぐはっ!?」

 

 

 その人物は瞬く間にバイクとの距離を詰め飛びかかり、ヘルメットで分からなかったが声からして男性らしき犯人を捉える。

 

「ぐっ、離せこのクソアマ!」

 

 腕を振り払う男の一撃を華麗にかわし、綺麗な亜麻色の髪がひらりと舞う。

 そして今度こそ完全に拘束すると、亜麻色の髪をした女性は素手で男の被っているヘルメットをかち割った。ヘルメット越しとはいえ、衝撃は相当なものだろう。

 

 

「かはっ……」

 

「うるさい、耳が腐ります」

 

 

 そう言い放ち、強烈なデコピンで男を撃沈させる。

 

 

 声と容姿からして、彼女はおそらく一色さんのはずだ。ここ最近行動を共にしてきたのだから、見間違えるはずがない。

 ただ、ある一点がその認識にフィルターをかけてしまっている。

 

 

「あなたのような屑には、過酷な地下労働がお似合いです」

 

 

 気絶して声も聞こえていないであろう男に、無表情で厳しい言葉をかける一色さんと思しき女性。

 

 

 彼女の頭部には、普段被っている帽子ではなく、ウマ娘特有の"耳"が露わになっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あっけなく捕らえられた窃盗の犯人を警察に届け、被害にあった女性に腕が引きちぎられるほどの勢いで感謝された後のこと。

 全力疾走で疲労も困憊しているため、先程よりさらにゆっくりのペースで学園への道を歩む。

 

 既に日は暮れており、一等星が夜空に散りばめられている。

 念のため外泊届けを出しておいてよかった。出してなかったとしても、事情を説明すればフジ先輩なら分かってくれるとは思うが。

 

「今日は色々ありましたわね」

 

「そだね〜、っても最後のが印象強すぎるんだけどさ」

 

 緩くそう答える一色さんは犯人を捕まえる時と違い、何事もなかったかのように帽子を被っている。

 先程のような例外を除いて、彼女は常に耳を隠している様子だ。

 そのため触れていい話なのかどうか一瞬躊躇したが、聞かないわけにもいかない。

 

 人気が多いわけでも少ないわけでもないこの場所。自然な形で一色さんに問いかける。

 

「……どうして黙っていたんですの」

 

「やっぱり無かったことにできない?」

 

「無理がありますわね。そんな素振りすら見せてくださりませんでしたもの」

 

 主語を入れてない質問だったが、一色さんは私の意図を理解しているようだ。このことから、彼女は意図的にウマ娘であることを隠しているのが伺える。

 一色さんは誰にも言わないでねという文言を添えて話し出す。

 

「別に黙ってたわけじゃないよ。誰にも聞かれなかったから言わなかっただけ」

 

「またそんなトレーナーさんみたいな屁理屈を……」

 

「おっとマックちゃん、それは訂正してほしいな。わたしあんなんじゃないよ」

 

 あんなんて。悔しいけど、彼と一色さんが似通っていることは認めざるを得ない。

 真顔で私の言葉を真っ向から否定した後、彼女は一つ咳払いをして語り始める。

 

「……マックちゃんのトレーナー……せんぱいはさ、ちょろいように見えて実は結構ガード固いんだよね。それがウマ娘に対しては特に顕著」

 

 それに関しては概ね同意。常日頃その問題に悩まされている。

 あまり思い出したくない記憶ではあるが、以前高知県に夏合宿に行った時、タオル一枚の状態でトレーナーさんを押し倒したことがある。

 その時の彼はと言えば、これと言って男性らしい様子を見せることなく、スカイさんの邪魔が入る直前まで抵抗を続けていた。

 少しくらい恥じらいを見せてくれたっていいのではないかと思ったが、あの時恥じらいを見せるべきなのは私なので何も言えない。本当にすみませんでした。

 

「あの人はウマ娘に対して凄く真っ直ぐなんだよ。でも、だからこそウマ娘をそういう目で見てない。対象外って言ったらいいのかな? ほんと、面倒な人だよね」

 

 苦笑しながら一色さんはトレーナーさんの陰口を叩く。

 ここまで来たら、今の陰口が好意の裏返しだということを分からない人はいない。

 

「一色さん」

 

「ん、な〜に?」

 

 改めて一色さんに向き直り、聞けなかった問いを彼女に投げかける。

 

 

「貴方は……トレーナーさんのことをどう思っていますの?」

 

「好きだよ。誰にも負けないくらい」

 

 

 即答、まるで私の質問が分かっていたかのような早さだ。ここでその好きの意味を追求するのは野暮だろう。

 

 一色さんがトレーナーさんのことを好きだと発言したため、自分の恋愛計画に揺らぎが生じる。

 でもさほど悪い気分ではない。それはきっと、この一日で彼女のことを多少なりとも理解したから。いっそ清々しい気分だ。

 

 トレーナーさんと一色さんは長い付き合い、彼女はその最中に惚れたのだろうか。

 

 一抹の好奇心が、心の中の悪魔を唆す。

 

「どうして、トレーナーさんのことを好きなんですの?」

 

「え〜……色々あるんだけどね、一番はやっぱり似てたからかな」

 

「似てた? 一体どなたに……」

 

「わたしのトレーナー」

 

「っ……!」

 

 そうだった、直前に判明した事実を失念していた。

 彼女だってウマ娘。過去にトレーナーが付いていたという事実があってもおかしくない。

 

 でも、トレーナーさんが一色さんのトレーナーに似ているという話であれば、彼を好きになる理由はないはずだ。

 身も蓋もないことを言えば、彼女は彼女のトレーナーを追いかけるべきであって──

 

「いないの、もう」

 

「……え?」

 

 自然に思考を読まれたことを気にする間も無く、脳が混乱してしまう。いないって……

 

「急な事故だったよ。信号守らない危険運転する屑の餌食になっちゃってさ。それもかなりのスピード、ひとたまりもなかった」

 

 続く彼女の一言によって全てを察した。

 いないとは、"もうこの世にいない"ということか。空を見上げ星を眺める一色さんを見て、そう確信した。

 

「……すみません」

 

「あっ、いいのいいの! わたしが勝手に話したことなんだから気にしないで! むしろ聞いてほしいまである!」

 

 笑っておどけてみせる一色さんだが、それによってより申し訳ないという気持ちが強まった。

 

 

 本当に大切なものは、失ってから初めて気がつく。

 

 

 彼女はそれを最悪の形で体験したのだ。私なんかが踏み入っていい話ではなかったと、心底後悔する。

 

「わたし、トレーナーに一度も感謝を伝えられなかったの。今と違って尖ってたし言うことも聞かないしで苦労させてたよ」

 

 道理で彼女はスポーツ店で陰りを見せたわけだ。ウマ娘とトレーナーの良好な関係に固執する理由が分かった。

 

「レースで負けが続いて、さらにその上トレーナーまで永遠に失ったとなると、その時は流石のわたしも喉にご飯が通らなかったなぁ。しばらく部屋に塞ぎ込んじゃったし、友達と呼べる友達もいなかったしで一人ぼっちだった」

 

 私もレースで連敗したことはある。その時の悔しさは今でも忘れない。

 そこから立ち上がることができたのはトレーナーさんとライバル達のおかげだ。皆がいなければ私は天皇賞の連覇を果たせなかった。

 少なくとも自分は、過去も未来も孤独なまま走り続けることはできない。

 

「そんな時せんぱいと出会ったんだ」

 

「トレーナーさんと?」

 

「うん、あれはインターンだったのかな? 燻って授業サボってた時、学園内で急に他校の男子生徒に話しかけられたからびっくりしたよ」

 

 一色さんはけらけら笑っているが、私にとってこれは衝撃の事実。まさか学生の頃から交流があったとは思いもよらなかった。

 

「これがわたしとせんぱいの出会いの話。あの人は覚えてないだろうけどね。なんたって、わたしがトレーナーになって挨拶しに行ったら、はじめましてって言われちゃったもん」

 

 よし、しばこう。恋敵とはいえそれは可哀想すぎる。

 

「最初はなんだこの人って思ったけど、覚えてないおかげでわたしにもチャンスがある。ウマ娘だって知ったら、きっとせんぱいは同じ目でわたしを見てくれない」

 

「そんなこと……ッ!」

 

 ない。そう言い切ることができなかった。

 

 そうか、一色さんがウマ娘であることを隠していた理由は、トレーナーさんと対等に並びたかったから。

 ウマ娘に対して頭の堅いあの方の隣に立てるかもしれなかったから。

 

 しかし……

 

「……貴方のやり方では問題の先延ばしにしかなりません。今は隠せていても、いずれはバレます。だったら早いうちにでも──」

 

「そんなこと言っていいの? わたしに塩を送るかもしれないんだよ?」

 

「それでもです」

 

「あら強気。まぁ、マックちゃんの言うことはごもっともなんだけどね。ネタバラシするなら早い方がいい、でもわたしはこのぬるま湯みたいな関係が好きなんだ」

 

 並んで歩いていた一色さんは一歩前に出て私と対面する。

 

「どれだけ時間を使ってもいい。わたしはわたしのやり方でせんぱいを手に入れてみせる!」

 

 そう力強く宣言した一色さんの目は輝いていた。人間として見るか、それともウマ娘として見るか。それによって彼女の印象はころっと変わる。

 

「……今のは宣戦布告と捉えてもよろしくて?」

 

「もちろんそのつもりだよ、せんぱい大好きのマックちゃん」

 

 そうして静かに火花を散らしていたが、それも束の間、この雰囲気に耐え切ることが出来ずについ吹き出してしまった。それは私だけでなく一色さんも同様のこと。

 ひとしきり笑った私達はようやく帰路につくことを決意し、再び並んで歩き出す。

 

「そういえば、一色さんが燻っていたと仰られる時トレーナーさんとどのようなお話をされたのですか?」

 

「お、気になっちゃう? 気になっちゃうよね?」

 

「ええ、当然。その当時のトレーナーさんがどのような方だったのかも気になりますわね」

 

「ようし、お姉さんにまっかせなさ〜い! ええとまずは……」

 

「ですが、気になることはそれだけではありませんのよ?」

 

 一色さんが勢いよく話し始めようとしたところに急ブレーキをかける。

 まるで漫画のように転倒する彼女だが、ウマ娘と分かったので遠慮はしない。自分の脚で立ち上がりなさい。

 

「いてて……もう、なに、他に気になることって」

 

「そんなの決まってますわよ」

 

 年甲斐もなく不機嫌さを隠さない一色さんについ苦笑してしまう。やはり彼女は子供っぽいところがあるなと感じる。

 

「一色さん、貴方の現役時代の話も含めて話してくださると嬉しいですわね」

 

「……それじゃ、まずは同期の話からしないとね。わたしね、皐月賞とダービーで両方二着だったんだ。一着は両方同じ娘でさぁ。その娘の生涯成績10戦10勝だよ? おかしくない? 名前は──」

 

 

 その後もトレーナー寮までゆっくりと歩みを進める。

 

 

 お腹を空かせて待ちぼうけをくらってたスカイさんに拗ねられ、肝心の食材を買い忘れたのを思い出しUmar Eatsに頼ったのは別のお話。

 

 

 





トレーナーと一色さんの過去編は今後やるかもしれないしやらないかもしれないしやらないかもしれない。


ここでアップデートされた一色さんのプロフィールをどうぞ


・一色星羅(いっしきせいら)

セイウンスカイ担当のトレーナー
身長160cm、体重◯◯kg
亜麻色の髪をしたロングボブと、常に着用している帽子が特徴的な若い女性。
駿川たづなとはよく話す仲で、たまに飲みにも行っている。アグネスデジタルとも気が合う。
趣味はショッピングとアニメ鑑賞。
好きな食べ物はお寿司と人参。


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