名家のウマ娘   作:くうきよめない

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未来と好意と暴走と

 

 

 

「……すみません」

 

「なんで謝るんだよ、謝るのは僕の方だ。君の足に負担がかかりすぎていた。それだけは僕のミスなんだから」

 

「でも……」

 

「……納得いかないか?」

 

 ダイヤはコクリと頷く。病院帰りの道のり、ダイヤは自分のことを責めるかのように何度も謝罪の言葉を口にしていた。

 

 幸いなことに、怪我は軽傷で済んだ。怪我の原因は、重いバ場と後続のウマ娘に乗り掛けられたことだと見られる。今後の走りや本命の凱旋門賞に影響は無いが、やはりレース中の怪我というのもあり、走り自体に影響があったことは言うまでも無い。

 スムーズなレースに見えたが、位置取り勝負で後続と接触、いわば本場の洗礼を浴びてしまった。しかし、そのあたりは覚悟の上なので言い訳はできない。

 

「……こんなこと言ったらダメなのかもしれないけどさ」

 

「……」

 

「これが本番じゃなくて良かったなって」

 

「……はい」

 

「そんな落ち込むなよ、凱旋門賞まで後三週間あるんだ。今日は帰ってゆっくり休んで気持ち切り替えて、足が完治してから……」

 

「トレーナーさん」

 

 少しでも気持ちを前に向けて欲しくわざと気丈に振る舞うが、それとは対照的にダイヤは落ち込んだままだ。そんな彼女は神妙な面持ちで僕のことを呼ぶ。

 

 

「少し、一人にしていただいてもよろしいですか?」

 

 

 悩み、学んで、考える。我々人間とウマ娘はその能力に長けている。きっとダイヤは彼女自身の答えを出す。普段通りならば、わざわざそこに介入する必要は無いのかもしれない。

 

 でも、今はそうじゃない。レースで負けたことに対し、ダイヤは自分のことを責めてすぎている。反省するのは良いことだけれど、やけくそになるのとは話が別。彼女の要望に応えることはできない。

 

「ダメだ。今の君を一人にしておくわけにはいかない」

 

「……やっぱりあなたは優しいですね。大きな口を叩いてこんな結果だなんて、見捨てられてもおかしくないのに。それでも寄り添ってくれるだなんて」

 

「こんなことで自分の担当ウマ娘を見捨てるトレーナーなんていない。むしろこういう時だから寄り添うんだ。君達が道で躓いた時、一番に手を差し伸べられる存在でありたいからね」

 

「……そんなこと言われてしまってはどこまでも甘えてしまいますよ?」

 

「ばっちこいってんだ。それも僕達トレーナーの仕事なんだからさ」

 

「…………そう、ですか」

 

 ダイヤの歯切れ悪い返事を聞いて少々不安に感じてしまう。何か言葉を間違えたのではないか、もっといい慰め方はあったのではないか。

 こういう時、何が最適解かがいつも分からない。迷い戸惑いの繰り返し。それでも、ハズレの選択肢は選んでいないはずだ。大丈夫、きっと間違ったことはしていない。自分がそう信じなければ、他に誰が信じてくれるのか。

 

 

 そう考えていると、一つ気の抜けたように腹の虫が鳴いた。可愛らしいその音はもちろん僕のものでは無いので、消極的に隣にいるダイヤのものとなる。案の定彼女は顔を真っ赤にして俯いていた。

 シリアスな雰囲気の中での出来事であったため、そのギャップで笑ってしまうとダイヤは拗ねるようにむくれてしまう。

 

「ははっ、確かにお腹空いたな。せっかくだから外食でもして帰ろうか。ダイヤ、何か食べたいものでもあるか?」

 

「……むぅ、なんでもいいですよ」

 

「だったら……いや、やっぱ寮の日本食が一番だな。こういう時こそ故郷の味を思い出そうぜ」

 

「……はい、トレーナーさんが言うならそうしましょう。私はあなたと二人でいれたらそれでいいので」

 

「そうかい、嬉しいこと言ってくれるじゃないか」

 

 ダイヤと軽口を交わし合い、パリの街を歩く。

 

 ひとまずダイヤが今後走れないなんてことにならなくて良かった。それどころか、フランスに来た理由でもある凱旋門賞にもなんとか出走できそうだ。

 

 大変なのはここから。ダイヤはしばらく安静にしておかなければならないためトレーニングメニューの見直しが必要な上に、フォワ賞の反省点でもある重いバ場や位置どり争いについてなんかも対策しなければならない。

 しかし、そこはトレーナーとしての腕の見せ所。むしろそれが出来なくてはお前は何しにここまで来たんだと言われてしまう。

 

 ダイヤが頑張ってるんだ、僕が頑張らなくてどうする。

 

 今一度気合を入れ直し、頭の中で今後のスケジュールを立て始める。

 

 

 

 ***

 

 

 

 過度な緊張をしてしまうのは自分の悪い癖だ。以前マックイーンに、ウマ娘よりも貴方が緊張してどうするんですのと指摘されたことがある。

 もちろんいつもこうなるわけではないが、度々こうなってしまうということはもう直しようがないのだろう。

 

 

 凱旋門賞前日、二十三時半。既に寝る準備は万全なのだが、いかんせん前日から緊張がピークに達している。ベッドに入っても目はギンギラギンであまりにも手持ち無沙汰なため、何度調べたか分からない明日のレースの対戦相手の資料を手に取った。

 どのウマ娘も強敵だ。簡単に勝てるような相手じゃないということは誰が見ても分かる。その中でも一際目立った戦績を残しているウマ娘が気になって仕方がない。

 

 7戦6勝、内GⅠ4勝。それもただの4勝ではなく、GⅠを4連勝でこの凱旋門賞に挑んできている。最も脅威となるのはこのウマ娘になるだろう。

 

「どうしたもんか……」

 

 あまりにも驚異的な戦績に少しばかり怖気付いてしまう。ダイヤの勝利は信じていても、精神論でなんとかなる世界ではない。

 

 もちろんうちのダイヤは強い。フォワ賞では確かに納得いかない結果に終わったが、あれから怪我も治して毎日トレーニングに励んでいた。きっと今ならマックイーンにだって引けを取らないくらい成長しているはずだ。

 それでも上には上がいるのもまた事実。格上に勝つためには細かな戦術が必要不可欠なのは承知の所。

 

 よし、もう一度対戦相手のレースを見直そう。勝てる可能性を1%でも上げるためにも──

 

 

 コンコンコン

 

 

「っと、誰だこんな時間に……」

 

 資料に手をかけた瞬間、部屋のドアがノックされる音で集中が途切れる。

 

 一体誰が訪ねてきたんだ? 友達ができないという特異体質(制御不能)を発動してるおかげで、こちらに来てこれといって仲の良い人がいるわけではない。だとしたら寮母のおばちゃんか? もしかしてこの前のゴミ捨て間違えた? これ怒られるやつ? 

 

 ビビりながら返事をしてドアを開けると、は意外や意外、ネグリジェ姿のサトノダイヤモンドがそこにいた。あまりの衝撃に思考が停止する。

 

「えへへ……来ちゃいました」

 

「来ちゃいましたって、今何時だと思って……いや、そもそもなんで君がここに……?」

 

 トレセン学園ではトレーナーがウマ娘寮に入るのは禁止されているがその逆は特に明言されていない。ダイヤがここにいることが物凄くおかしなことかと言われたらそんなことはないけれど、明日は凱旋門賞。もう夜も遅い、これ以上はレースに支障をきたす可能性のある時間帯だ。

 

 何か連絡しなければならないことがあったらスマホで連絡を入れたらいい。それはしないということは何か緊急の用件があるのか。

 

 そう問うも、ダイヤは首を横に振る。じゃあ何をしにと、ますます彼女の意図が分からず困惑してしまう一方だ。

 

「実は眠れなくなってしまって。それはトレーナーさんも同じですよね?」

 

「う……まあそうなんだけどさ。実際レースに出る君と応援しかできない僕とじゃあ睡眠不足の影響がより大きく関わってくるのがどちらか明らかなわけで……ダイヤ?」

 

 特に緊急事態でないことに安堵しつつ、身振り手振りでしどろもどろになりながらどうにかしてダイヤを部屋に戻そうとするも、僕の服をキュッと引っ張るダイヤにそれを遮られてしまった。

 

「トレーナーさん、少しお話ししませんか?」

 

 走ることが嫌いなウマ娘はそういない。緊張や興奮はあれど、レースの前日になると今のダイヤのように眠れない状態になってしまうウマ娘も珍しくはない。

 しかし、今のダイヤからはそれが感じられない。何か別の感情が作用しているような気がする、そう言った方が正しいか。

 

 それを探るためにも時間が必要だ。スマホで時間を確認する。

 

「……分かった、三十分だけだぞ」

 

 頭を悩ませて見つけ出した妥協案を条件に、ダイヤを部屋の中に入れた──

 

 

 

 

 

 

 

 ベットの上にダイヤ、そして自分は椅子に座る。

 

 軽口を交わし合うだけなら得意だが、いざ改まってお喋りをしようとなるとどうしても言葉に詰まってしまう。

 初めは何を話せばいいのやらと迷っていたら、ダイヤから昔の話をしてほしいと要望があったので、僕がまだトレーナーになる前の学生時代について語っているところだ。もちろん、当時の性格は隠して。

 

「そこで僕はこう言ったんだ、『僕にはトレーナーを失った君の気持ちは分からない。でも、このままじゃいけないということは君が一番よく分かっているはずだ』ってね」

 

「さすがです、トレーナーさんは学生の時からトレーナーをしてたのですね。ところで、そのトレーナーを失ったというウマ娘さんはどんな方だったのですか?」

 

「あー……凄く強いウマ娘だったってのは知ってたんだけど、名前聞いてなくってな。インターンでトレセン学園に来てウマ娘の名前聞くとか、お前何しに来たんだってなるじゃん」

 

 たしかに、と言ってダイヤは楽しそうに笑う。

 

「やさぐれてたその娘を見たらどうしてもほっとけなくて。本当はあんな重い話に僕なんかが踏み入るべきじゃなかったのは分かってたんだけど」

 

「でも、そのウマ娘さんはとても救われたと思います。相手が誰であろうと思いを口に出すというのはとても救われますから」

 

「そうだったらいいんだけど。あの娘元気にしてるかなー……って、悪い、こんなつまらない話しちゃって」

 

「そんなことはありません。むしろ、私の知らないトレーナーさんを知ることができてとても楽しかったですよ」

 

 現状これと言って彼女に変化は見られない。もしかして思い違いか? 本当に眠れないから暇潰しとしてここに来ただけではないのか。

 

 なんにせよ、もうそろそろ時間だ。これ以上ダイヤをここにいさせるわけにはいかない。それは彼女も分かっているようで、時計を見ては心残りがあるような顔をしている。

 

「……私達、明日が終わっちゃうと日本に帰らなくてはいけないんですね」

 

「そういうことになるな。レースが終わってすぐ帰ってこいって、学園側もこっちの負担考えてないよなぁ。ま、向こうがパトロンみたいな立場である以上文句は言えないけど」

 

「……」

 

「……名残惜しいか?」

 

「……はい」

 

 無理もない。トレセン学園の生徒は多忙故、レースの遠征が修学旅行みたいなところがある。本当なら遊びに来たわけじゃねぇんだぞと叱らなければならない。でも、そんな彼女達の青春を奪うような真似は自分には出来なかった。

 

「気持ちは分かるよ。僕だってまだ純粋に修学旅行を楽しめてた中学生の時、最終日が近づくにつれ憂鬱になってたからさ」

 

「高校生の時は楽しめてなかったんですか?」

 

「いや、そもそも行ってないけど」

 

「……」

 

 おい、なんだその微妙そうな顔は。いいだろ別に、その分修学旅行費浮くわトレーナーになるための試験勉強に時間を費やせるわで良いこと尽くめだったんだから。

 

「と、とにかく! こうして遠出がしたいんなら、いつかの合宿みたいにまた機会はあるよ。その時はマックイーンも一緒だ」

 

「マックイーンさん……」

 

「ああ、なんなら前みたいにセイウンスカイを誘ってもいい。いや、でもそしたらもれなく一色も付いてくるのか……」

 

 あの時セイウンスカイも連れて行けと申し出てきたのは一色なのに、帰ってきたら「なんでわたしも連れて行ってくれなかったんですか!」とキレられた。おかしいと思う。

 

「……ちょっと隣に来てもらってもいいですか?」

 

「え、なんで……」

 

「いいですから」

 

「……ウス」

 

 ベッドをポンポンと叩くダイヤの圧に負けて椅子からベッドに移動する。

 

 

 何かがおかしい。そう思いつつも、今の自分には彼女の言うことに従うしかなかった。

 

 

「トレーナーさんの言う通り、明日帰らなくてはならないのは寂しいです。前哨戦では結果が残せなかったしトレーニングは大変でしたけど、それでも私にとって初めての経験ばかりでした」

 

「でも感傷に浸るのはまだ早いぜ? 物事ってのは最初でも途中でもなく最後が一番肝心なんだ。その最後がまだ終わってないんだから、思い出語りは明日の飛行機にでも……っ!?」

 

 最後まで言い終わる前に視界がひっくり返る。何が起こったか分からなかったが、頬を紅潮させたダイヤに覆いかぶさられているという現状を理解して瞬時に悟る。

 

 

 押し倒されたのだ。それも、自分の担当ウマ娘に。

 

 

 トレーナーが担当ウマ娘に襲われたという事件は何度か聞いたことがある。でも自分の知り合いが極端に少なかったのが原因か、そういったことは噂程度しか耳にしていない。

 それが現実に起きようとしている。完全に油断していた。いや、そもそも自分がそうなるとは考えていなかった。

 

 抵抗しようにも、押し倒された瞬間に両腕はがっちりと拘束されており動かせない。足は動くが、ダイヤを蹴るなんてことは自分にはできない。

 一応この状況をどうにかする手段は残しているものの、これは最終手段だ。できれば使いたくない。つまり、ダイヤを説得するしか方法はない。

 

「……悪いことは言わない。今すぐこんなことはやめるんだ」

 

「嫌です」

 

 即答。以前マックイーンに似たようなことをされたが、あの時以上に事態は深刻だということか。

 

「この二ヶ月間、楽しかった。あなたとデートをしたり、トレーニングをしたり、日本にいる時以上に同じ時間を共に過ごしたり。結果が振るわなかったり怪我もしたりして良いことばかりではなかったけど、それも含めて私にとってかけがえのない時間でした」

 

 独白を続けるダイヤは、まるで駄々をこねる赤子のようだ。そんな独白を、僕は黙って聞くことしかできない。

 

「でも、それももう終わってしまう。こんなにも楽しかった日々が終わりに近づいてるんです」

 

「だから、こうして泊まり気分を味わいたいならまた合宿にでも……!」

 

「トレーナーさん、あなたは何か勘違いしています」

 

 冷え切ったダイヤの声音に背筋が凍る。第六感が危険を訴えているのを本能で察知してしまった。

 

「フォワ賞の後、私がなんて言ったか覚えていますか?」

 

「……悪い、覚えてない」

 

「ではもう一度教えてあげます」

 

 押し倒された状態にある僕の耳に顔を近づけ、ダイヤはそっと囁く。

 

 

 

 

「私は、あなたと二人きりでいられたらそれでいいんです」

 

 

 

 

 言葉が出なかった。今の彼女は正気じゃない、なんとかして目を覚まさせなければ。

 

「ぐっ……ダイヤ、頼む、手を離してくれ。このままじゃ取り返しのつかないことになる。そもそもなんでこんなことを……!」

 

「私、自分の思ってる以上に独占欲が強いみたいです。あなたと二人きりでいられるのも今日が最後……終わってしまう前に、私の『もの』となってください」

 

「……僕と君は教師と生徒だ。だから君の願いは叶えられない」

 

「だったら無理矢理にでも叶えるまでです。知ってますか? "人間がウマ娘に敵うはずがない"」

 

「……っ!」

 

 確乎不抜、これだけは譲れないと雰囲気に流されることはなかったが、ダイヤはそれ以上の執念だった。

 説得は不可能と判断し、不意打ち気味にダイヤの手から片腕を引き抜き自由を獲得する。しかしそれも束の間、最終手段のブツが入った右ポケットに手を伸ばすも、直前でまたしても拘束される。

 

「トレーナーさんがまだ何か隠し持っていることは分かってました。以前、合宿でマックイーンさんとスカイさんを相手にされていた時、『君達をどうこうする方法なんていくらでもある』と仰っていましたよね?」

 

「くっ、そんな前のことを……随分と記憶力がいいんだな」

 

「ええ、あの合宿も私にとっては忘れられない思い出の一つなので」

 

 そう言いながらダイヤは僕の右ポケットに手を伸ばし小物を取り出す。

 その正体は強力な催涙ガスが入ったスプレー缶。トレーナーはこれを携帯することを義務付けられている。理由はこの状況を見てもらったら分かるだろう。

 

 ダイヤは催涙スプレーを放り投げ、虚しくも最終手段があっさりと封じられた。

 

 正直、もう打つ手は無い。助けを呼ぼうにも両手は塞がれているため連絡は取れないし、声を上げようにもこの部屋は防音だ。

 

「大人しくしていてください、トレーナーさん。この日のためにいっぱい勉強したんですよ?」

 

 ダイヤは妖艶に微笑んでネグリジェを着崩す。露になった肌色に対し、条件反射で首を動かして視線を逸らす。

 

「トレーナーさん、可愛い……やっぱり女性慣れしてないみたいですね」

 

「余計な……っ、お世話だ!」

 

「そんなに暴れても無駄ですよ。大人しくしていてと言ったのに悪い人ですね。ぞくぞくしちゃいます」

 

 最後の抵抗と言わんばかりに体を捩らせてもダイヤの嗜虐心を煽るだけとなってしまった。

 

「……ダイヤ、最後の忠告だ。いい加減目を覚ませ。僕のことはどうなってもいい。でも、ここで流れに身を任せたら君の夢を叶えるどころか君自身がトレセン学園にいられなくなる」

 

「……」

 

 反応を見るに彼女の心を揺さぶることに成功したようだ。彼女とて己の夢を蔑ろにしたくはないだろう。頼むからここで身をひいてくれ。

 

「それでも……」

 

「……ダイヤ?」

 

「それでも私はあなたが欲しい」

 

 くっ……そうだった、今のダイヤは正気じゃない。故に、僕の声が届くことはない。第三者、もしくは僕以外の外的要因が無いと、彼女は止まることを知らない。

 

 徐々に近づくダイヤの綺麗な顔に比例して焦りと心拍数が増えていく。美少女に迫られるというのは男なら一度は夢見たシチュエーションのはず。でも、今の僕にとってはちっとも嬉しくなかった。

 

「トレーナーさん……トレーナーさん……」

 

 更に頬を紅潮させ、興奮状態にあるダイヤ。もう自分にはどうすることもできない。万事休すだ。

 

 諦めの心を胸に抱いて目を瞑る。

 

 

 すまない、マックイーン。君との約束、守れそうにないや。できることなら、このまま平穏に君達の走りを最後まで見届けたかったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな思いが届いたのか、机に置いていたスマホから着信音が鳴り響く。音量はそれほど大きくない。科学文明が発展した現在、こんなものは日常生活の一部として気にすることはないだろう。

 

 

 だが、それはダイヤの目を醒まさせるには充分すぎる音だった。

 

 

「……私……私は一体…………ごめんなさい……っ!」

 

「ま、待てダイヤ! 落ち着いて話し合えば……」

 

 話し合ってどうする。今のダイヤにあるのは、やってはいけないことの直前までしてしまった罪悪感と、自制心を効かせることができなかった自責の念。安易に君は悪くないと言えないこの状況、彼女の気持ちを晴らす方法が咄嗟に思いつかない。

 

「あ……」

 

 結局引き止めきれず、ダイヤが部屋を出ていくのを黙って見ていることしかできなかった。それと同時に部屋に静寂が訪れ腰が抜けてしまう。

 最悪の事態にならなくて良かった、などと言うつもりはない。ここで言う最悪とは一体何か。僕の地位が崩れることか、それともあのまま襲われてしまっていたことか。

 

 

 違う、凱旋門賞でダイヤを気持ちよく走らせられないことだ。とてもじゃないが、ベストコンディションで明日に臨めるとは思えない。

 

 

 体を引きずってなんとか机の上のスマホを手に取る。ホーム画面に表示されていたのは、不在着信という通知とメジロマックイーンという名前。ファインプレイと声高に叫ぶことはできないため、心の中で感謝しておくとしよう。

 

「はぁ……」

 

 マックイーンへの感謝とは裏腹に、己の不甲斐なさにため息をつく。

 

 嗚呼、どこで間違えたのだろうか。いや、何もかもが間違っていたのかもしれない。自分がウマ娘に甘いということは自覚している。昔からそうだ、東条トレーナーにだってそれを散々指摘されてきたはずなのに、それを全く活かせてない。

 その結果がこれだ。自分の悪い所を直さず、見て見ぬふりを続けてきた。自業自得としか言いようがない。

 

「……ちくしょう」

 

 やりきれない気持ちが口から漏れてしまう。無気力と喪失感に襲われ、床に寝転がって天井を見上げる。

 

 

 知ってる天井だ。それも明日でおさらば。

 

 

 視界に映った時計の長針は、十二の数字を五分だけ過ぎていた。

 

 

 






ガイドライン的にもこれがギリギリと思いまして。
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