昨日は酷い目にあった。
なんとか僕とマックイーンが不埒な関係にあるという誤解は解けたが、ああも長時間正座をさせられると心労が溜まっていく。最後の方に至っては足の感覚がなかった。
エアグルーヴの方の誤解はすぐに解けたが、厄介だったのはバンブーメモリーの方だ。彼女は何というか、言葉が通じないところがある。熱血で常に前向きでいるのは結構だが、もう少し人の話を聞いてほしい。ロジカルシンキングをモットーとするエアシャカールと対談をさせてみたいものだ。
ちなみにどうやって助かったかと言うと、後からやってきたシンボリルドルフとナリタブライアンによってバンブーメモリーが取り押さえられ、晴れて身柄が解放された。その時の気分はまるで、極悪犯罪人が刑務所から釈放された時のようだった。シャバの空気は美味いぜ。いや、そんな経験はないんですけどね。
兎にも角にも、バンブーメモリーの猪突猛進な所は何とかしてもらいたい。風紀委員という立場上厳しく取り締まらなければならないのかもしれないが、もう少し人の話を聞いてほしいものだ。
いや、僕の扱い方が下手だっただけか? このようなことは二度とごめんだが、万が一またバンブーメモリーに追い回されることがあったら適当にあしらう方法でも考えておこう。
昨日の無駄に疲れた出来事を思い返しつつ、デスクワークの作業に一息入れる。
コーヒーを片手に、山のように積まれた資料をチラ見して仕事とコーヒーの両方に苦味を覚えてしまう。たしかにこの仕事はやりがいがあるし嫌とは思っていないが、このようにあからさまに事務資料が積まれてあると多少ナイーブな気分にならざるを得ない。
机の上に積んであるのは新入生のデータ一覧だが、これは入学試験時の物となるので、仮のものに過ぎない。
ウマ娘の身体的構造は未だ解明されていないところが多いが、彼女達には"本格化"という体が急激に成長する期間というものが存在する。
試験時にはそれらしいウマ娘はいなかったが、試験から入学までのこの短い期間で"本格化"を迎えた者もいるかもしれない。つまり、手元にあるデータには一部誤りがあるかもしれないということになる。修正も僕の仕事の内というところは納得いかない。
何故こんなことをしているかというと、自分自身忘れかけていたが、もう一人ウマ娘を担当しなければならないという責務が残っているからだ。
正直、新人の域で燻り続けているようなトレーナーにとって担当ウマ娘を増やすことは、第一次世界大戦前にバルカン半島に居座り続けるくらい危険なことである。
この事実に目を背けて何ヶ月か過ごしてきたがそろそろ限界だ。マックイーンも学園に復帰することができたため、いよいよ真面目に取り掛からなければならない。
もちろんマックイーンが復帰できて残念とは微塵も思っていない。だがそれとこれとは話が別だ。今現在頭を悩ませているという事実は変わらない。
ほんとどうしよう……
もう一度資料に目を通すため、積まれた山から一枚取ろうとすると、ノックの後にドアが開き……
「邪魔するでー」
「邪魔するなら帰ってー」
「あいよー」
パタリとドアが閉められた。
……さて、この資料を片付けるか。
「って何でやねん!!」
「これほんと好きだね、タマモクロス」
「おっちゃんこそ、いつも付き合ってくれておおきにな」
トレーナー室に入ってきたのは『白い稲妻』タマモクロス。
数々の重賞を制覇しており、芦毛のウマ娘は走らないというジンクスを消し飛ばした内の一人だ。とても負けん気が強いが、小柄故に見た目が可愛いので他のウマ娘達に可愛がられてしまうことが多い。
いつかあった金船障害という名のふざけたレースでは、幼稚園児が着るスモックを着せられてたっけ。本人の前では言えないが、あれは非常に面白かった。それと同時に、魔法少女の服を着せられたヒシアマゾンの写真が学園中に広まったことも追加しておこう。
「それで、今日はなんでこんなところに?」
「せやった。今日はおっちゃんに渡したいもんがあってな」
「……おっちゃん呼びはやめてくんない? まだ僕若いんだぜ?」
「おっちゃんはおっちゃんや。今更呼び名なんて変えられへん」
「おじさん臭くて嫌なんだよなあ……子供のままでいてえよ……」
自分は若い。まだ若いんだ。中高生の時と比べたら体力は衰えているかもしれないが、まだまだ体は動かせる方だと自負している。
年齢的に見ても若い。若いはずなのにどうしてこんなに虚しいんだ……
「何女々しいこと言うてんねん。ウチが今日ここに来た理由はこれを渡しとうてな」
「これは……『割引券』……?」
「おう! おっちゃんには世話になったさかい、少しでも恩返ししとうてな」
「世話って……僕は別に何も」
「あん時、おっちゃんのアドバイスが無かったら、ウチはあの怪物には勝てんかった。決めとった作戦シカトしたさかい、トレーナーにはシばかれたけど……ウチはあのアドバイス聞いて良かったと心の底から思ってるで」
「タマモクロス……」
彼女の言うあの時とは、秋の天皇賞のことだろう。
そのレースでタマモクロスはいつもの追込ではなく先行の作戦を取り、詳細は省くが、その作戦によりその年の天皇賞はタマモクロスが勝利を収めた。
自分がやったことと言えば、あの怪物を後ろから捉えることは困難だとタマモクロスに伝えただけで、実際のところ何もしていない。それでも関わったことは事実なので、タマモクロスのトレーナーには土下座をしに行ったのが懐かしい。本来首が飛んでも文句は言えないのだが、結果が結果だけになんとか許してもらえた。
「なにしけたツラしとんねん。ウチはアンタに感謝しとる言うてるだけやろ?」
「そう……だな。うん、素直に受け取っておく。どういたしまして」
それでええんやと快活に笑うタマモクロス。彼女との付き合いはサブトレーナー時代からのものなので、聞き慣れた笑い声に僕も自然に頬が緩んでしまう。
「うわ、おっちゃん何ニヤニヤしとんねん気色悪」
「急に辛辣! 今割と良いシーンだったじゃん!」
「すまんすまん。ウチいっつもツッコミする側やから、たまにボケるんも悪ないなあ」
今のボケなの? ボケにしては結構実感こもってなかったか……?
「それで、この『割引券』とやらはなんの割引券なんだ?」
「それはウチの屋台の割引券や」
「屋台?」
「おう。次のファン感謝祭、ウチの得意料理のたこ焼きで一発店出したろか思ってな。おっちゃんには是非来てもらいたいんや」
「ファン感謝祭……」
「ん? どないした、なんかあったんか?」
「ああ、いや何でもない」
そっか、そういえばもうすぐだったな。
今年の春のファン大感謝祭、そこは僕とマックイーンにとって一つのターニングポイントとなる。何せ今回のメインイベントである模擬レースでは、マックイーンが走ることになっているのだ。
怪我をして長期間走ることが出来ていなかったマックイーンにとって、これはかなり苦しい戦いになるだろう。久々のレースだからという理由もあるが、何せ相手が相手だ。マックイーンにも引けを取らない猛者達が参加する。
それでも彼女は走りたいと言った。だったら彼女を支えるしかない。
勝ちたいというウマ娘の願いの手助けをするのが仕事だ。どんな時も彼女の背中を押してあげなければならないからね。
感謝祭はもうすぐと言ったが、マックイーンが走ることはまだ公表していない。言ったら確実に騒ぎになるのと、たまたま居合わせたフジキセキからサプライズの方が面白いと助言を貰ったためだ。
そのため、この事を知っているのは僕とマックイーン、生徒会の面々、そして何故か一緒にいたフジキセキということになる。
「おー、そういえばマックイーン次の感謝祭で走るんやろ? 頑張ってな」
「いや、なんでだよ。なんで知ってんだよ」
「え? 何でって今朝ゴルシが張り紙片手に情報ばら撒きよったで?」
よし、あいつには今度アグネスデジタルをけしかけてやろう。
具体的には彼女にゴールドシップの腰痛が酷そうだとでも伝えておけば、指をワキワキさせながら躙り寄るだろう。
これだけで充分な起爆剤になるはずだ。
「まあそんな暗い顔すんなや。ウチのたこ焼きでも食べてって元気出しとき!」
「ああ、そうするよ。君のたこ焼きをおかずに食べるご飯は美味しいからね」
「ふふーん、おっちゃんも分かってきたやん。粉物と一緒に食う炭水化物はほんま最高やで」
「分かる。あれの良さが分からない人は人生の10割損してると思う」
「そうそう、人生の10割……ってそれ全部やないか! そこまで粉物に命賭けてへんわ阿呆!」
やっぱこの子は打てば響くな。おもしろ。
「ありがとうタマモクロス。割引券、是非使わせてもらうよ」
「おう、ごっつ美味いの作ったるさかい、楽しみにしとってな」
白い稲妻ことタマモクロスは自信満々に宣言する。
なんだかんだ面倒見の良い彼女だ。今の僕の過酷な状況も見越して気を使ってくれたのだろう。この子には世話になりっぱなしだ。
「さてと、これ以上アンタと楽しく話しとると、アンタのとこのお嬢様に刺されそうやし、ウチはこの辺で退散させてもらうで」
「ん? 何の話」
「ほなまたな!」
そう言ってタマモクロスは元気よく部屋を飛び出してしまった。
飛び出した瞬間チラと横を見て笑った気がした。そこに誰かいるのか…………あ。
「トレーナーさん……? 私がいない間に随分と楽しそうでしたわね?」
……どうやら、自分は担当ウマ娘を怒らせる才能を持っているのかもしれない。