名家のウマ娘   作:くうきよめない

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走るのが好き

 

 

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 距離2500m、晴れ、良バ場。有記念を想定したと思われる突発的に始まった大先輩二人とのレースで、得体の知れない息苦しさに襲われていた。

 走れば何か変わると思っていたが現実はそう上手くいかない。レースはまだ中盤を過ぎた辺りだというのに、相変わらず自分の足が重く感じてしまう。

 

 今まで走ったどんなレースよりも自分の走りができていない気がする。それは直前にあんなことがあったが故の己の未熟さのせいか。

 否、その理由も多少はあるだろうが、主となる理由はそうではない。

 

 私が戦っている二人、オグリキャップさんとタマモクロスさんは学園でも最上位の実力を持つウマ娘だ。オーラ、気迫、プレッシャー。メンタル面においても彼女らは私を遥かに超越する。

 そんな二人が私のすぐ後ろを走っているのだ。それも本気も本気。トレーナーさん的に言えば本気と書いて"ガチ"と読むくらいの迫力に近い。となればどうなるだろうか。

 

「──ッ! くっ……」

 

 意図せずして私が先行することになったため、序盤から中盤を過ぎた辺りまであのお二人方のプレッシャーを後ろから感じ続けることになっていた。

 キタちゃんは先行、逃げでレースを支配していた上に、私自身は中団で控える作戦を多用したため、誰かを追いかける形が基本となっていた。故に、このように後方からこれほどまでの圧を感じるというのは新鮮だ。もっとも、そんな感傷に耽る時間は無いのだが。

 

「サトノッ!」

 

「ッ! は、はいっ!」

 

「アンタは何のために走る! 誰のために走っとる!?」

 

 最後方、と言ってもオグリさんを間に挟んだだけで大して距離は離れていない場所にいるタマモさんからそんな問いを投げかけられる。

 その問いは、先程トレーナーさんにかけられたものと同じだ。私は何のために、そして誰のために走るのか。

 

 

 サトノ家のウマ娘はGⅠレースで勝つことができない。だからGⅠレースで勝ちたい。

 

 日本のウマ娘は凱旋門賞で勝つことができない。だから凱旋門賞で勝ちたい。

 

 

 私はこの二つの目標を、心のどこかで家族のためと称して走っていた。

 実際、私をここまで育ててきてくれた家族には恩返しをしたかったので、後者の目標はともかく前者に関してはそれなりの結果が出せて良かったと思っている。

 

 でも、嘘じゃなくても100%の本当ではない。家族のためだけじゃなくて、私と競ってくれるライバルのため、応援してくれるファンのため、頼れる先輩達のため、いつも隣で私のことを見てくれていたトレーナーさんのため。

 

 

 誰か……誰かが足りない。このレースを走りきれば、最後のピースは埋まるのかな。

 

 

「──ッ!」

 

 そう思うと自然と踏み込む脚に力が入った。勢いのまま芝を蹴り、最終コーナーを駆け抜ける。

 

「……いい瞬発力だな、サトノ。流石はトゥインクルシリーズの最前線にいるウマ娘だ。タマ、一体どんな魔法をかけたんだ?」

 

「こないだスイープに魔法の手解きしてもらってな……って余裕か! アンタも口より先に足動かせや! そんな悠長に構え取ったら足掬われるで!」

 

「元よりそんなつもりは無いが……よし、ならばそろそろ仕掛けるとしよう」

 

「やっとかいな。せやったらウチも、白い稲妻見せたるで!」

 

 瞬間、後方からのプレッシャーが何十倍にも膨れ上がった。元々とてつもないものであったそれは、私の脚も思考も全てを鈍らせる。

 

 これが『芦毛の怪物』、これが『白い稲妻』、これがレジェンド、これがドリームトロフィーリーグ……! 

 

 最終直線、心臓が破れそうな思いを我慢して坂を駆け上る。最後の力を振り絞りなんとかここまで抜かされることなく走っているが、脚がもう限界に近い。スタミナも底をつき息切れも激しい。

 それに加えて、オグリさん達はまだ足を残している。その証拠に、感じる圧が徐々に大きくなり、今にも呑み込まれそうな感覚を覚える。

 

 残り200m、ついにオグリさんに並ばれた。心なしか黒いオーラを纏っている気がする彼女は、そこから更にスピードを上げる。まるで勝利の鼓動が聞こえたかのように、ゴールへと一直線だ。

 そして、オグリさんのすぐ後ろをタマモさんが追走する。その末脚はとてつもないもので、オグリさんと同等かそれ以上のものだ。

 

 

 何クソと食らいつこうとするも、オグリさん達との距離は徐々に広がるばかり。そのままの勢いで残りの直線を走り抜き──

 

 

「はぁ……はぁ……私の勝ち、だな」

 

「アホ抜かせ……ウチの方が2センチくらい前やったやろが」

 

「……それは聞き捨てならないな。今回は絶対に私の方が前だった」

 

「なんやぁ? もっぺんやるんかぁ? お?」

 

 オグリさんとタマモさんがほぼ同時にゴールし、五バ身ほど離されての最下位が私という結果に終わった。

 

 息も絶え絶えだったはずなのにまだ走る気満々でいるオグリさん達。そんなお二人をよそに、私は本当の意味で体力が底をつき芝の上に寝そべる。

 

 勝てなかった。いや、楽に勝てる相手だとは微塵も思っていない。ただ、これほどまでに差があるという現実を突きつけられ、上には上がいるということを改めて実感させられる。

 かつて一世を風靡したウマ娘はやはり伊達ではない。勝ちたい気持ちは誰にだって負けていなかったはずなのに、このお二人はそれすらもねじ伏せる実力を持っている。

 

 ……敵わないなぁ。

 

 ため息をつき、そんな弱気なことを思ってしまう。

 

「……サトノ」

 

「オグリさん……」

 

「いい走りだった。特に最終コーナー、少しでも仕掛けるのを間違えていたら勝っていたのは君だっただろう」

 

 そんな私を見かねてか、オグリさんは慰め……いや、これは本心か、私の走りを褒めてくれる。

 だが、ベストを尽くしたとはいえ私がオグリさんとタマモさんに勝てるビジョンは全く見当たらなかった。

 

 何かが足りない。私に無くて、目の前のお二人にはある何かが──

 

「──私は走るのが好きだ」

 

「……え?」

 

「どんなに苦しいことがあっても、どんなに辛いことがあっても、いつだってこの気持ちを忘れたことはない」

 

 走るのが好き。当たり前のことを言っているようでそれはとても難しいことだ。なぜなら──

 

「……勝てなかったら楽しくないです」

 

「そうだな、君の言う通りだ。私とて、負けて笑顔でいられるほど太い神経はしていない」

 

 ほんまかぁ? という顔をしているタマモさんに気がつかないままオグリさんは話を続ける。

 

「だから好きだというのは簡単なことじゃないんだ。でも、好きでいなければ勝てるはずがない。私は、勝つから好きなんじゃなくて、好きだから勝つんだと信じている」

 

「好きだから、勝つ……」

 

「ああ、そうだ。勝ちたいという思いがあるのは前提条件、後はより楽しんだものが勝つ。ウマ娘にとって……いや、誰にとっても、最も強大な相手は他人なんかじゃない」

 

 先程タマモさんの手によって遮られたことのテイク2だと言わんばかりに、オグリさんは寝そべる私に手を差し伸べ──

 

 

「ライバルは、自分自身だ」

 

 

 そう告げるオグリさんの言葉は、私の中に妙にストンと落ち行った。

 

 

『自分が誰のために走っているのか、今一度よく考えるんだな』

 

『その先にある答えはきっとシンプルですわよ』

 

 

 ……分かりました、トレーナーさん、マックイーンさん。苦しい時こそ自分の感情と向き合う。それはこういうことだったんですね。

 

 誰か誰かとばかり考え、肝心の自分のことが疎かになっていた。自分と向き合って心の声を確かめる。

 

「オグリ、アンタ良いとこだけ持っていったなぁ。これじゃあウチが嫌われ者のワルモンみたいやないか」

 

「む、そんなことはないぞ。タマが嫌われてるなんてことは絶対に無い。少なくとも私は大好きだ」

 

「……こう、冗談を真に受けて小っ恥ずかしいこと言われるとどうすりゃええか分からへんわ」

 

 

 答えはもう出た。だったら私がするべきことはただ一つだ。

 

 

「……行かなくちゃ」

 

「ん、はよ行ってき。おっちゃんのことやし、今頃心配で部屋ん中熊みたいにうろついとるんやないか? っかぁ〜、おっちゃんもマックイーンも辛口なこと言ってごっつ遠回りするわぁ」

 

「待ってくれタマ、サトノのトレーナーのことは知らないが、マックイーンは甘い食べ物が好物だぞ」

 

「オグリ、アンタはもう黙っとけ。このままカッコいいままで終わらしや」

 

 タマモさんの言う通り、ここまで随分と遠回りをした。急がば回れという諺があるが、それは遠回りをしたことを擁護するための免罪符にはならない。できれば近い道を一直線に通った方がいいだろう。

 それでも、この一年間を無駄と言い切る訳にはいかない。この一年があったからこそ私はこうして答えを得た。例え失敗だったとしても、役に立たないガラクタなんてものはこの世に存在しないのだから。

 

「オグリさん、タマモさん、ありがとうございました! この恩はいずれ!」

 

「おう、気にせんでええで。むしろ、恩を仇で返すくらいの勢いやないとウチらと同じステージには立てへんよ」

 

「ああ、私達はいつでもドリームトロフィーリーグで待ってるからな。頑張るんだぞ、サトノ」

 

「ッ、はい!」

 

 オグリさん達に背を向けて校舎の方へと走る。既に日は沈みかかっており、後数分もしないうちに空は黒く染まるだろうことを感じさせる暗さだ。

 

 

 

 

 電気すらもついていない誰もいない廊下を走り、息を切らしながらようやく目的地であるトレーナー室へとたどり着いた。

 私がここを出た時はトレーナーさんはいなかった。でも、彼はここにいる、ここで待ってくれているという確信があった。

 

 磨りガラスの向こうから差し込むぼんやりとした電気の光。それを確認して扉を開ける。

 

「──ダイヤ、答えは出たかい?」

 

 案の定部屋にいたトレーナーさんは、私に気がつくや否や手元のノートパソコンをパタリと閉じる。

 

 ええ、出ましたよ。全てはあなたが根回ししてくれたおかげです。

 

 そう伝えたかったが、感謝の言葉を述べるのは今では無い。

 

「……私は走るのが好きです」

 

「……」

 

「走って誰かの夢を叶える、誰かの期待に応える、誰かに勝つ。今まで私は他人ばかりを見てきました」

 

 それが悪いことでは無いことは分かっている。でも、それだけじゃ足りない。凱旋門賞のために日本を発つ時、確かに私は誓ったはずだ。

 

 自分のことに全力を、と。

 

 

「私はこの先もあなたと一緒に走りたい……。誰のためでもない、私自身のために……!」

 

 

「……そうか」

 

 トレーナーさんは短くそう言った後、机の引き出しから何やら一枚の書類を取り出す。一瞬契約解除の書類が脳裏をちらついたが、彼の表情からしてそうではないことを悟る。

 

 その彼の表情と言えば、

 

「ダイヤ、僕にはね、この世で心の底から嫌悪するものが三つあるんだ」

 

 悪人のような、しかして子供が悪巧みをする時のようなあどけなさを感じる笑み

 

「一つ目は戦争、二つ目はサービス残業」

 

 これまで私はトレーナーさんの顔をよく見てきた。笑ったり、戸惑ったり、落ち込んだり、そして怒ったり。意外と表情豊かな彼の、色んな顔を見てきた。

 

 

「そして三つ目は負けること」

 

 

 今はそれのどれとも違う、私の知らないトレーナーさんだ。不思議と鼓動が高鳴るのを感じる。

 

 

 最初はただの憧れだった。幼い頃から応援していたウマ娘と、そのトレーナーともなる人に対して、私は高嶺の花のような存在だと思っていた。

 

 この気持ちがただの憧れではなくなったのは彼を知ってすぐのことだ。憧れのままでは共に歩くことはできない。

 そこにはきっと好意も含まれている。それもただの好意ではなく、一人の男性に対しての好意。

 

 

 でも、それ以上の強い思いが今の私と彼を繋いでくれる。そう信じてるから。

 

 

 トレーナーさんは手にしていた書類を私に差し出す。そこには大きな文字で『凱旋門賞予備登録』と銘打たれており、出走者登録の欄には私の名前が書かれている。

 

 

「やっぱり、負けっぱなしは性に合わねぇよなぁ?」

 

 

 そんな彼のニヒルな笑みは、今までのどんな表情よりも頼もしく感じてしまった。

 

 

 






次回『ダイヤモンドは砕けない』

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