名家のウマ娘   作:くうきよめない

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特別編 異世界も割といい世界
もしもの話


 

 

 

『ウマ娘』。彼女達は、走る為に生まれてきた。ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る──。それが彼女達の運命。

 

 彼女達もまた、人間と同じように心を持っている。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。到底言葉では表現し切ることができないほどの豊かな感情を有する、身体能力に目を瞑ればどこにでもいる普通の少女と何ら変わりのない存在だ。

 

 しかし、感情とは常に良い方向に働くとは言えない。人間誰しも負の感情を持っており、それはウマ娘だって例外ではないのだ。

 

 

 無念、後悔、嫉妬、遺憾、悔恨、悵恨、悔悟。

 

 

 一例に過ぎないこれらは、まさしく負の感情そのもの。何かをした、あるいは何かをせず望まぬ結果を得てしまった場合、それらは呪縛のように、最悪の場合永遠に残り続ける。

 

 

 そしてここにも一人、先のような感情を持つウマ娘がいる。

 

 

 憧れた夢があった。

 

 叶えたい目標を持った。

 

 超えたい存在がいた。

 

 

 トゥインクル・シリーズを走りきったその少女は、かつて苦悩や理不尽に押し潰され己の走りに陰りが見えることもあったことを思い出し苦笑する。あの頃の自分はあんなにも弱気になっていたな、と。

 それでも前に進んだ少女は、過去にケジメをつけ、輝かしい戦績や栄光を掴み取った。それが理想通りの夢でなくても、それだけで充分だったはずだ。

 

 

「……」

 

 

 だが、ふとした瞬間考えてしまう。もしも全ての障害を乗り越え、己が掲げる夢も目標も叶えきることができていたら。

 

 そんなことを考えても、全ては後の祭りだというのに。

 

 

 首を横に振って思考をかき乱した後、少女はベッドに横になる。

 自分らしくもない、明日になったらこんなこと忘れているだろうと、心の奥底の想いから目を背けて眠りについた。

 友人、ライバル、仲間、そしてトレーナーですら、そんな少女の思いを知ることは叶わない。それこそ、神のような存在でない限り不可能だ。

 

 

 そう、神のような存在でない限り。

 

 

 トレセン学園の中央に鎮座する三女神の像。それに宿し魂達は、少女の想いを見逃すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 これは、本来出会うことのないウマ娘とトレーナーが出会ってしまった、少し不思議な物語。

 

 

 

***

 

 

 

特別編『異世界も割といい世界」

 

 

 

「────と、いうわけなんですよ!」

 

「そうなんだすごいね」

 

 雑な返事を返す。

 

「……あの、聞いてます? もしも〜し」

 

「そうなんだすごいね」

 

 雑な返事を返す。

 

「もう、せ・ん・ぱ・い!」

 

「そうなんだすごいね」

 

 雑な返事を返す。

 

 ダイヤのレースが一段楽つき、これといって特に浮き沈みのない日々が続いていた。

 三月下旬となり暖かくなってきたとはいえ、まだまだ寒い日は続いている。トレーナー室のこたつ君にはもう少し頑張ってもらわなくてはならない。

 

 そんなこたつ目当てに今日も今日とてうるさい一色が、PCと睨めっこしている僕の横でぴーすかと奇声を発している。

 なんなのこいつ、最近僕の近くに現れすぎじゃない? こいつの系譜を見れば先祖に座敷童子がいることは間違いない。

 

「ぶぅ……全然話聞いてくれない……」

 

 まともに相手をするのが面倒なので適当な返事を返し続けていると、ついには顔を背けて拗ねてしまった。

 これで静かになるのは良いが後々面倒くさいことになるのは容易に予想がつく。具体的にはマックイーンとダイヤと連合を組んで僕を虐めにくる。

 そうなったら僕には人権が無くなってしまうので、マックイーン達が来る前に一色のご機嫌を取っとかねばならない。めんどくさなぁ。

 

「はいはい、分かった分かった。で、何の話だっけ? ユンボ運転するためにゴールドシップが車両系建設機械運転技能講習の資格取ったこと?」

 

「なんですかその微妙に興味をそそられる話。ちょっと詳しく……って、違いますよ! この間のアニメの話です!」

 

 

 は? アニメ?

 

 

「その顔は完全に忘れてますね……。ほら、少し前におすすめしたじゃないですか」

 

「あ……ああ、あれか」

 

 思い出した。大晦日に女性陣が僕の部屋に突撃してきた際、正月の間暇ならこのアニメでも見とけと一色がブルーレイディスクを一方的に押し付けてきたことがあったのだ。

 

 意外にも一色はかなりのアニメ好きであり、おそらくだが視聴したアニメの総数なら僕よりも断然多い。

 そもそも、自分がアニメを見ていたのはほとんど学生時代なため、現在進行形でも見ている一色と比べたら少なくなってしまうのは仕方のないことなのだが。

 

 話を戻そう。その勧められたアニメというのは、最新物の異世界作品だった。

 僕の知っている異世界作品といえば、死んだらセーブ地点まで巻き戻るゼロから始める異世界生活だったり、ポンコツな仲間とトラブルに巻き込まれるこの素晴らしい世界だったりといったものなため、昨今の異世界作品はほぼ知らないと言ってもいい。

 

 なんやかんや一色から押し付けられたアニメを見て、思ったことが一つある。今の異世界作品が決して悪いわけではない。ただ、僕個人の感想としては──

 

「……昔は良かったなぁ」

 

「あーっ!? それ禁句ですよ!? 老害って言われても文句言えませんからね!」

 

「いや、お前から勧められたアニメ自体は面白かったよ? でもやっぱり異世界系はもう古いっていうかさ……」

 

「でも、もし自分がそういう立場になったらって考えると心躍りませんか?」

 

 厨二病の高校生か、と笑い飛ばしたかったが、正直一色の言いたいことは分かる。

 僕とて物語の主人公のように剣や魔法でモンスターとの闘いを想像したことが無いわけではない。

 そこで出会う頼れる仲間や可愛いヒロインと共に行動して強敵を倒す。王道だがこれに惹かれない少年はいないだろう。

 

 

 だが現実は非情なり。それらの話はどこまで行っても妄想の類に過ぎない。

 

 

「あーあ、わたしも異世界行って魔法とか使ってみたいなぁ」

 

「行けるわけないだろ、そんなアニメやゲームじゃあるまいし。そもそも存在すらしない空想の世界なんだから」

 

「分かりませんよ? もしかしたら宇宙の果てにそう言った世界があるかもしれないじゃないですか。例えばわたしが総理大臣になってる世界だったり、お寿司が存在しない世界だったり、ウマ娘の代わりに別の生き物がレースしている世界だったり──」

 

「お前が総理大臣になったら二秒で他国に侵略されて終わりだよ」

 

 というか、見事に剣も魔法も関係無ぇじゃねえか。それだったらもう異世界というより平行世界と言った方が正しいだろう。

 

 全く、バカバカしい。そんな世界、ありえないというのに……

 

 

「──せんぱいがマックちゃんとサトイモちゃんを担当してない世界だったり」

 

 

 ……ありえないというのに。

 

 

「……阿呆なこと言ってないでさっさと仕事に戻れ。URAファイナルズの件、お前も引き受けたんだろ?」

 

「ああ、あれですか。わたしは今月のノルマもう終わらせましたよ。面倒な仕事は全部せんぱいに押し付け……あ、いえ、なんでもないです」

 

「おい、誤魔化すなよ、バッチリ聞こえたぞ。今押し付けたって言ったよな? 道理で今月の分の仕事が多いと思ったんだ。ふざけんなよお前、なんで僕が一年後のURAファイナルズの全日程を調整しなきゃなんなんいんだよ。これ絶対押し付けてんのお前だけじゃないだろ。よし、共犯者を吐け。今から──」

 

「ああっ! わたし今日実家に帰る用事あるんでお暇しますね! 今度何か奢るんで! それじゃ!」

 

 そう言って一色は光の速さで逃げ出した。本来なら追いかけてとっちめたかったが、逃げ足だけは速いもので僕が部屋から飛び出した頃には一色の姿はもうなかった。

 諦めて仕方なく仕事の続きをこなすも、集中力が続くことはない。

 

 

"せんぱいがマックちゃんとサトイモちゃんを担当してない世界だったり!"

 

 

 先程一色から言われた言葉が頭から離れなかった。

 

 今となってはマックイーンやダイヤは僕にとってかけがえのない存在となっている。本人達の希望以外で担当ウマ娘を変更しろなんて言われた暁には自分が何をしでかすか分からない。

 でも、それはたまたま僕があの二人を担当し、それなりに良好な関係を続けることができたからだ。

 

 

 もし出会いが違えば。もし途中で関係に亀裂が入っていたら。

 

 もし、あの時僕の瞳に彼女ではなく別の誰かが映っていたら。

 

 

「……なーんて」

 

 たらればのことを考えても仕方がない。

 目の前の仕事どころか、一色一人を相手にすることすら大変なのだ。今の僕にそんな余裕はないも等しい。

 

 今一度集中力を取り戻そうとコーヒーカップに手をつけると、ノックと共に二人のウマ娘が入室してきた。その二人とは言うまでもなく──

 

「マックイーンとダイヤか。うぃーっす二人とも、今日も可愛いな」

 

「トレーナーさん、こんにち……は? 今なんとおっしゃいました?」

 

 おっと、先程あんなことを考えていたせいか、本音が出てしまった。らしくないとは思いつつも、困惑するマックイーンの顔が面白くてついそのままのノリで会話を続けてしまう。

 

「可愛いって言ったんだけど」

 

「偽物ですわ! トレーナーさんがそんなストレートに好意を伝えるはずがありませんもの! ダイヤさんも何か言って……ダイヤさん?」

 

「……トレーナーさん、ちょっと私の顎をくいっと持ち上げて『ダイヤ、世界一可愛いよ』と仰っていただけませんか?」

 

「貴方も貴方で何を言っていますの!?」

 

 どうしよう、マックイーンを揶揄うだけだったのに、ダイヤに変なスイッチをつけてしまった。こうなった彼女をどうにかするのは極めて困難なのだが……

 

「ダイヤさん、もう一度考え直してください! 貴方の提案はとても魅力的……ではなく! ウマ娘とトレーナーの関係を壊しかねないものですのよ!?」

 

「大丈夫です、マックイーンさん。その時はその時でトレーナーさんにはサトノ家専属のトレーナーとして永久就職していただくので」

 

「なっ!? ず、ずるいですわよ! だったら私にだって考えがありますわ! こちらには既にトレーナーさんを"お迎え"する準備ができていますの。これがどういう意味か、ダイヤさんなら分かりますわね?」

 

 どういう意味だろう。僕には分からないし分かりたくない。

 

 ジリジリと牽制しあうマックイーンとダイヤ。達人同士のやり取りの如く、彼女達の間で見えない攻防が繰り広げられている。

 そんな彼女達を見ていると、少し親密になり過ぎた気がしなくもない。

 

「どこで間違えたかなぁ」

 

「……トレーナーさん、それは一体どういう意味ですの?」

 

「事と次第によってはただでは済みませんよ?」

 

「……どこで間違えてこんな事になっちゃったのかなぁ」

 

「「あっ!」」

 

 わざと聞こえるように言ったのがいけなかったのか、それを聞くや否や彼女達は自分自身についてのプレゼンを始め出す。

 挙句の果てには、自分と付き合えば家の力でこんなことやあんなことができるなど訳の分からないことについても力説されてしまった。内容は一ミリたりとも入ってこなかったけど。

 

 

 そんなマックイーンとダイヤのおバカで平和なやり取りを受け流しつつ、一色とその他知らん連中から押しつけられた大量の仕事に取り掛かった。

 

 この量は多分深夜コースだなぁ……

 

 

 

***

 

 

 

 そして深夜二時。案の定深夜コースだったのだが思っていた以上に押し付けられた仕事が多く、気が付いたらこの時間になっていた。

 流石にそろそろ帰らないと明日にも支障をきたしてしまうため、いつものように学園の道を経由して寮へと帰る。

 

 何だか今日は月の光がいつもより眩しい気がする。空を見上げると、天空には綺麗な満月がぽっかりと浮かんでいた。

 これはこれで風情があるなと感じ、自然と歩む速度を遅めてしまう。

 

 そうして上を向いて歩いていると、自分が三女神の像の前まで来ていることに気がついた。本来この道は通らないはずなのだが、いかんせん月を見るのに夢中になっていたようだ。

 すぐに引き返そうとするも、もう少しボーッと満月を見ていたいという気持ちが強まる。

 

 

「……どっこいしょっと」

 

 

 そのまま三女神像の噴水の淵に腰掛けてもう一度空を見上げ、今度は満月ではなくその周辺の星々に目を向ける。

 とは言っても、この夜空に輝きを放つ星はほとんどない。本来なら無数に存在する恒星の光は、都会のネオンによってその姿を眩ませている。

 

 もし、この見えない星々のように、見えないだけで別の世界があるとするならば。そんなことをふと考えてしまう。

 夢物語と笑われてもいい。いくつ歳を重ねても、そういった厨二心というのはなくなることはない。あるはずないと分かっていても、そういった理想、妄想に思考を割くのは男の子の特権だ。

 

 だが、もし本当にそんなものがあるのだとしたら見てみたいなとは思う。

 剣と魔法の世界だろうと、あのおバカな一色が総理大臣になっていようと、ウマ娘ではなく別の生き物がレースを走っていても、僕がマックイーンやダイヤではなく別の…………ッ!?

 

 

「おえっ……あぐっ……!」

 

 

 のんびりと腰掛けていたはずなのに、突如として激しい吐き気と眩暈に襲われる。あまりの突然の出来事に、助けを求めて声を上げることすらできなかった。

 そもそも、助けを求めようにもこの時間にこの場所を通る人なんていないに等しい。

 

 

「……ぇ……ぁ」

 

 

 つまりは詰んでいるのだ。

 

 次第に頭も回らなくなり、意識が遠ざかっていく。

 春先とはいえ夜中はまだ寒い。ギリギリ凍死するなんてことはないだろうが、寒さに凍え地面に横たわった無様な状態で明日発見されると思うとゾッとしない。

 

 

 あ、駄目だ。これ死ぬ……

 

 

 意識が暗い闇の奥に消えていくような感覚を覚え、ついには考えることすらも出来なくなる。

 

 

 瞼が完全に塞がる直前、目の前にある三女神像が不気味な光を放ったような気がして────

 

 

 

 

 

 

 

 

「────は」

 

 

 声にならない声と上げると共に覚醒する。もはやお決まりの「知ってる天井だ」とすら言う余裕もない。

 顔を動かして辺りを見回すと、そこは深夜のトレセン学園ではなくトレーナー寮の僕の部屋だった。カーテンの隙間からは光が差し込み、小鳥の囀りすらも聞こえてくる。

 

 何が起こったのか全く理解できない。さっきまで深夜のトレセン学園にいたはずだ。何故僕はここにいるんだ? 

 意識を失う直前までの記憶はギリギリ残っている。確か急に吐き気と眩暈に襲われてそのままダウン。あの状況を自力でどうにかできるとは思えない。

 

 誰かが運んでくれた? いや、部屋の鍵を持っているのは僕と一色だけだ。鍵を勝手に作ったダイヤからは取り上げたし、一色は本人曰く実家に帰っているので、こうして部屋の鍵を開けて僕をベッドまで運ぶことができないはずだ。

 僕の持っている鍵を使ったとも考えられるが、生憎鍵は無くさないようにと鞄の内側の収納スペースにしまってあるので他人に見つけられるとは思えない。

 

 颯爽と現れる救いのヒーローという線は消えた。消去法で、土壇場で火事場のバカ力を発揮し無意識の内になんとか寮へと戻ったという考えなら説明がつく……つくかなぁ?

 

 そんなことを考えながら時計を見ると、そろそろ出勤時間だということに気がつく。

 正直言って全く休めた気がしない。でも仕事には行かなくちゃいけない。ただでさえ仕事押し付けられてんだ、マジで一色のやつ覚えてろよ。

 

 恨み辛みで呪詛を吐きながら身体を起こし、その身体に鞭を打って身支度を整え寮を出る。

 

 

 

 

 

 空は快晴、いつもと特に変わりはない。いつもの通勤路にいつもの街並み。

 

 

「トレーナーさん、おはようございます」

 

「たづなさん、おはようございます」

 

 

 校門前に立つたづなさんにいつのように挨拶をし、今日も今日とて普通の一日が始まる。

 

 

 それなのに、脳は危険信号を出していた。第六感と言えばいいのか、何故だか冷や汗が止まらない。心配事の9割は実際に起こらないというが、そんな迷信が霞むくらいの違和感に襲われる。

 

 警戒しながら学園内を歩いていると、早くもそのボロが出始めていた。

 

 まずミホノブルボンのトレーナーである黒沼トレーナー。彼はいつも上裸にパーカー、そしてサングラスという893……いやいや、いかつい格好をしているが、視界に映る彼はスーツに眼鏡という普段と真逆のファッションをしている。

 

 次にチーム〈カノープス〉のトレーナーである……南坂トレーナー、だったかな? 彼はいつも真面目で紳士な優男だったはずだ。それなのに、今の彼は服は乱れて髪はボサボサ、とてもじゃないが人前に出る格好ではない。

 

 そして極め付けは、登校するウマ娘から聞こえてきた会話の内容。

 

 

「さっきミークさんのトレーナーがひったくりにあったんだって!」

 

「え〜こわ〜い。あたし達も気をつけないとね〜」

 

 

 君達はウマ娘なんだから人間相手なら何も問題ないだろうというツッコミは置いておいて、この発言も最初からおかしい。

 

 ミークというのはハッピーミークのことだろう。その彼女のトレーナーはあの桐生院トレーナーだ。

 彼女の身体能力は並外れたもので、遅刻しそうだったからという理由で見事なパルクールを決めながら通勤していたのを見たことがある。

 それに彼女ならひったくりに襲われても自分で取り返すだろうし、なんならそのまま警察に突き出して感謝状を贈られるまである。

 

 

 何かがおかしい。

 

 

 疑念は確信に変わり、警戒のレベルを上げざるを得なくなる。最初は胡麻程度の違和感だったはずなのに、水風船のように膨らんだそれは僕の恐怖心を掻き立てる。

 

 

「──おわっ!?」

 

 

 警戒しながら歩いていると、後ろから急に肩を組まれバランスを崩す。

 朝っぱらからこんなことをするバカは一体全体どこのどいつだ。マックイーンとダイヤは違うと自信を持って言えるため、一色か沖野トレーナー、もしくはゴールドシップだと考えられるな。

 

 ため息をついて振り返り、犯人に文句の一つでも言ってやろうと顔を見……

 

「ちょりーっす! あんた朝から元気無いじゃ〜ん? やなことあった〜?」

 

「………………は?」

 

 一瞬誰だか分からなかったが、理解した瞬間思考がトリップする。

 今まで様々な予想外に直面してきたが、これはそのどれと比べても群を抜いて意味が分からない。

 

 

 だって、そこにいた人物は──

 

 

「東条、トレーナー……?」

 

「おん、そだよ〜。てかあんた今日なんか変じゃね?」

 

 

 東条ハナ。チーム〈リギル〉のトレーナーであり、僕がサブトレーナーだった頃の恩師でもある。

 僕の知る東条トレーナーは綺麗な黒髪で眼鏡をかけており、グレーのスーツを着こなす見た目通りのクールビューティーだ。

 それなのに今の彼女は、南坂トレーナー同様スーツを着崩し眼鏡の代わりに濃いアイシャドウ、髪色も茶色と、本来の彼女とはかけ離れた容姿となっている。六本木や渋谷にいてもおかしくない。

 

 ちなみに東条トレーナーは僕より歳上だ。いや、これに深い意味は無いよ? 無いんだけど。

 

「うわきつ」

 

「……は? 今なんつった?」

 

「えっ!? あー、いや……きつ、つき! さっきキツツキがいたんです! そこに!」

 

 自分で言っといてなんだが、この言い訳は無理があるだろう。終わったと思い恐る恐る東条トレーナーを見ると……

 

「なーんだ! そうだったの! 勘違いしちゃったじゃん!」

 

 改めて思うが誰だこいつ。聡明な東条トレーナーがこんなバカなはずがない。

 

 ここまで来たら一周どころか百周以上回って目が回りそうなくらい恐怖を感じる。絡んできた東条トレーナー(笑)に雑な断りを入れ、すたこらさっさとこの場を後にした。

 

 なんだ、何が起きている。あまりにも非日常的な光景を目の当たりにし脳が混乱を及ぼす。

 黒沼トレーナーも、南坂トレーナーも、桐生院トレーナーも、東条トレーナーも、みんなみんなおかしい。

 

 ドッキリか何かか? それにしてはみんな自らの尊厳を破壊しすぎだろう。そもそも僕にドッキリを仕掛ける意味が分からない。

 

 恐怖心の増幅と比例するように足取りは速くなる。

 とは言っても解決のためにはどこへ向かえばいいのか分からない。とりあえずトレーナー室だ。あそこに行けば余計なノイズは入らないだろう。まずは気持ちを落ち着けなければならない。

 

 そう思いながら走っていると、またしても知っている顔を見つけた。これ以上何も考えるな、何も見るなと思いつつも、今しがた見つけた彼女は無視することができなかった。

 

 彼女が東条トレーナー達のように豹変していたらどうしようという気持ちは心のどこかにあった。

 しかし、そんなことを考える暇もなく先に口が動く。

 

 

「マックイーン!」

 

 

 僕にそう呼ばれたマックイーンは驚いた顔をしつつも、すぐにいつもの柔和な笑みを浮かべる。

 

「あら、おはようございます。そんなに慌ててどうかされたのですか?」

 

「あ…………ああ、なんでもない。ちょっと今朝から訳の分からんことばかり体験してな……。でも、マックイーンを見たら落ち着いたよ」

 

「そうなのですか? そこで私に声をかけるのも私を見たら落ち着くというのもよく分かりませんが、貴方がそれで良いのなら構いませんわ」

 

 良かった、マックイーンは普段と変わっていないようだ。知らない場所で知っている顔を見つけると安心するというのはこういう感覚なのだろうか。

 普段通りに接してくれるマックイーンに安堵し、ついさっきまでの悪夢のような光景による恐怖が和らいでくる。

 

 かと言って完全に心が休まるわけではない。少し精神的に疲れてしまった。

 昨日のこともあるし、今日一日くらい休んでも罰は当たらないだろう。

 

「ん、もう大丈夫。マックイーン、今日のトレーニングは自主練で頼むよ。ダイヤにもそう伝えといてくれ」

 

「……? あの、どうして貴方が私のトレーニングをメニューを? それに"ダイヤ"とは……」

 

「……は? いやいや、何言って──」

 

 待て自分、よく考えろ。この状況もこの状況でおかしなところがあるぞ。

 マックイーンとの会話をもう一度思い出せ、僕がマックイーンを見たら落ち着くと発言した後に彼女はなんて言った?

 

 

『私に声をかけるのも私を見たら落ち着くというのもよく分かりませんが』

 

 

 契約初期ならいざ知らず、今や一心同体と言ってもらえるほどの関係となったマックイーンがそんなことを言うとは思えない。

 僕の思い上がりと言われたらそこまでだが、こういう時彼女は親身になって話を聞いてくれるはずだ。

 

 そしてもう一つ、マックイーンはいつもダイヤと一緒に登校している。同じチーム、同じ美浦寮ということもあり彼女達はよく行動を共にしているのを目にする。

 それなのに、今日はそのダイヤの姿が見当たらない。たまたまいないという可能性だってある。でも、これまでの違和感からしてそうは考えられなかった。

 

 頭が痛い、目が回る。昨日の晩、正確には日付けが回ってるので今日なのだが、幾度となく体調不良に襲われた僕の身体は限界を迎えようとしているのが分かる。

 

「あの、本当にどうかされたのですか? 見たところ体調が良いようには思えないのですが……」

 

 この違和感にいい加減決着をつけなければならない。雑巾のように絞りきった勇気をさらに振り絞り、目の前のウマ娘と対峙する。

 

 

「なぁ、マックイーン。一つ変なことを聞いてもいいか?」

 

「え、ええ、なんでしょうか?」

 

「僕は……僕は君のトレーナーだよな?」

 

 

 ダイヤは見当たらない、東条トレーナーはおかしい、一色は……まあいいか。もう頼れる相手はマックイーンしか残っていないのだ。

 

 

 頼む、そうだと言ってくれ、マックイーン……!

 

 

「あの、お言葉なのですが──」

 

 

 そう強く願うも、彼女の声音は芳しくない。

 

 瞬間、絶望の二文字が脳裏をよぎった。

 

 

 

 

 

「貴方は私のトレーナーではありませんわよ?」

 

 

 

 それを聞くと同時に平衡感覚が保てなくなり、目の前が真っ暗に──

 

 

 






ちっとばかし寄り道を、ね?

この特別編は全て書き終えてから投稿する予定だったので間が空いてしまいました。

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