トレーナー室でマックイーンとダイヤが楽しげに話している。一体どんな言葉を交わしているのかと気になったが、きっと僕の悪口なのだろう。
そこに一色とセイウンスカイも加わった。仲の良い彼女達は更に会話を発展させる。
そんな彼女達を遠目で見ていると、マックイーンがこちらに来いと手招きする。
いくら関係を深めたところで、女性陣の中に混ざるというのは中々に勇気がいる。だが、ここで命令に従わなかったら後々が怖い。大人しくそれに従い彼女達の方へと歩みを進める。
しかしどうしたことだろうか。足取りは重く、歩めど歩めど距離が縮まらない。むしろ遠くなってすらいる。
全力ダッシュをしようにも、まるで鉛が詰まっているかのような重さをした足ではどうすることもできない。
待ってくれ、マックイーン、ダイヤ!
そう声にしたかったが口が開かない。呼び止めることもできず、距離だけが遠くなっていく。
それでも足を止めることはできない。重い足取りのまま抵抗を続けていると、ついにバランスを崩してしまい頭から地面へぶつかって──
「────ん」
ぼやける視界がくっきりとその形を露わにして覚醒する。気がつけば僕はベッドの上で横になっていた。
さっきまでのは、夢……? えっと、また僕は気を失っていたんだっけ。
記憶を整理し、なぜ自分がこうなっているのかを思い出す。
たしか、仕事帰りにめちゃくちゃ気分が悪くなり、目が覚めたら家のベッドの上だった。そしてそのまま仕事に行ったら東条トレーナーがきつ……若作りをしていた。
その後マックイーンに会って……ああ、完全に思い出した。
自分が気を失うきっかけとなった嫌な記憶を思い出し、首を振ってそれを忘れようとする。
あれは結局冗談だったのだろうか。例えそうだとしても恐ろしい。僕がトレーナーをやめると知ったマックイーン、そして契約解除を迫られたダイヤはこんな気持ちだったのかもしれない。今度もう一度謝っておこう。
何はともあれ、目が醒めたのならそれでいい。願わくばこれまでのことも全部夢であってほしいのだが、そうは問屋が卸さないようだ。
まず、ここは僕の部屋ではない。何か見覚えのある場所だなと思ったのも束の間、すぐにトレセン学園と保健室だということに気がつく。
マックイーンの言葉によって気を失った後、保健室に運ばれたと考えるというのが最有力候補か。
そしてもう一つ、ベッドの横にある椅子に座り見守るように寝ている少女が一人。
僕は彼女を知っている。
「トウカイテイオー……」
どうして彼女がここにいるのか。今日は疑問と困惑ばかりで、大して体を動かしていないのに疲労が激しい。
僕とトウカイテイオーはかつてゲーセンの麻雀で凌ぎを削った(一方的にボコボコにされた)りしたが、それほど仲が良いというわけでもない。
少なくとも、頼まれでもしない限りこうして寝ている僕を見守るなんてことはしないはずだ。
「……ん」
足りない脳をフル回転させていると、寝ていたはずのトウカイテイオーが目を醒ましたため考えるのを中断してしまう。
「悪いトウカイテイオー、起こしちゃったか。でもどうして君がここに──」
「トレーナー!」
「──いるんぐはぁっ!? な、なに!? ちょっ、痛い! 骨折れる! 折れるから離して……離せってば! 死ぬわ!!」
突如としてトウカイテイオーに飛びかかられて身体を締め上げられる。
自分はダイヤの攻撃にも耐えた実績があるので死にはしないだろうが、痛いもんは痛い。早いところ離れてもらわなければ骨の何本かは犠牲となってしまう。
抱きついて離れないトウカイテイオーを引っぺがそうとしていると、保健室のドアがガラリと開く。
誰が入ってきたのかと悪戦苦闘しながら確認すると、そこにはトウカイテイオーと同じ綺麗な流星と鹿毛のウマ娘がいた。
「全く、起きたかと思ったら一体何をしているんだ。もう日が暮れている時間だぞ。少しは静かに──」
「シンボリルドルフ……! ちょうどいい、こいつ引き剥がすの手伝ってくれ……ッ!」
「……因果応報、君はテイオーを心配させたんだ。それくらいの報いは受けるべきだと私は思うよ」
「は、はぁ? なんで僕がトウカイテイオーを心配させたことになるんだ?」
それを聞いた瞬間、シンボリルドルフはピクリと眉を動かす。
「……"僕"? それにテイオーのことを……。どうしたトレーナー君、何だか様子が変だぞ。強く頭を打ったと聞いたし、まさか記憶が……」
そうして彼女は僕の質問には答えず、一人ブツブツと思念した後僕に疑いの眼差しを向けてくる。
「悪いが、君の氏名と年齢、そして職業を教えてくれ」
「な、なんだよいきなり。僕の名前は──」
彼女の言われるがままに、氏名と年齢、そしてこのトレセン学園に勤めていることを話す。
「ちなみに家族構成は両親、そして妹が一人。長男の癖に恋人いない歴と年齢をイコールで結ぶことのできる独身男性です対戦よろしくお願いします」
「そ、そこまで答えろとは言ってないのだが……ま、まあいい。単刀直入に言うが、君は記憶喪失の可能性がある。その自覚はあるかい?」
そう問われるも、僕には全く心当たりがない。気を失う直前に何が起きたのかはっきり覚えているのだ。
シンボリルドルフの問いに対し首を横に振ると、彼女はまたしても顎に手を当てて唸り出す。
「根本的な記憶は正常か……仮に記憶の欠落でないとするのなら……うむ、概ね状況は把握した。やはり君は私達の知っているトレーナー君ではないみたいだ」
さらっとシンボリルドルフはそんなことを……え?
「ええっと……どゆこと? もしかしてさっきの情報にズレでもあった? ああいや、待ってくれ、思い出す。もしかしたら幼稚園児の時に将来を誓い合った仲の女の子がいるかもしれ──」
「いや、君と私の認識に齟齬はないよ。ただ、私の知っているトレーナー君は、目の前にいる君のように愉快な性格はしていない」
「?????」
どういうことだ? それだとまるで僕じゃない別の僕がいるみたいな言い方じゃないか。
「そして、トレーナー君の一人称は"私"だ」
「……おいおい、まさかシンボリルドルフまで僕にドッキリ仕掛けてるのか? 勘弁してくれよ、今朝から東条トレーナーには小ギャルみたいな絡まれ方するし、マックイーンにはタチの悪い冗談を言われるしで散々──」
「最後に、君はトウカイテイオーのことを"テイオー"と愛称で呼んでいた。君が君であるなら、これがどういうことか分かるはずだ」
「…………」
訳がわからないよ、と脳内の魔法少女の契約を結んできそうな白いクソ獣が曰っているが、シンボリルドルフの言っていることは怖いくらいすっと理解できた。
担当以外の子と過度に親密になるのを避けるためといった理由により、僕は普段担当ウマ娘以外を愛称で呼ばない。
百歩譲って呼んだとしても、〈リギル〉のサブトレーナー時代に関わったことのある目の前のシンボリルドルフやマルゼンスキーくらいなものだ。
その二人とマックイーン、ダイヤの合計四人以外には愛称呼びはしたことがないと自負している。シンボリルドルフはこれらのことを知っているため、敢えてそう伝えたのだろう。
担当ウマ娘以外を愛称で呼ばないということは、要するに担当ウマ娘なら愛称で呼ぶということ。
「……はぁ」
自然とため息が出てしまった。
ここまでのことを整理しよう。まず、今まで起こったことをドッキリではないと仮定すると、人格が変わったかのようなトレーナー陣、マックイーンの僕がトレーナーではない発言。それらに加えて、シンボリルドルフからの証言。
ここまで来れば嫌でも分かる。先程冗談のつもりで別の僕がいるみたいなことを考えたが、それはあながち間違っていなかった。
この状況、漫画やアニメの世界じゃあるまいしとバカにすることもできない。
ここは僕の知らない世界。つまり──
「異世界、ってコト……?」
「随分と余裕があるような言い方をするな……。ここまで話を進めといて何だが、君こそ私達を騙しているんじゃないか? ヘリオス達のように言えば、イメチェン、というやつにも捉えられるが……」
「そんなことはない、僕は僕だ。この純粋無垢な瞳に嘘は無いだろう?」
「……たしかに、濁ってはいるが嘘をついているようには思えない」
濁ってるってなんだよ、透き通ってるだろうが。多分、知らんけど。
「とりあえず場所を変えよう。この時間ならエアグルーヴもブライアンもいないだろうから生徒会室が空いているはずだ。ついてきてくれ」
「ああ、分かった。と、その前に……おーい、トウカイテイオー、いい加減離してくんない?」
シンボリルドルフと話している間、トウカイテイオーはずっと僕にしがみついていた。
生徒会室に移動するために離れてもらおうと声をかけるも、彼女からの返事はない。まさかと思って顔を覗くと案の定……
「すぅ……すぅ……」
「……また寝てるし」
「テイオーは朝から君につきっきりだったからな。疲労困憊なのだろう。個人的には彼女にも話を聞いて貰いたい。すまないが、連れてきてもらえないかい?」
「その割にはさっきぐっすり寝てた気がするんだが……はぁ、しょうがねぇなぁ……」
涎を垂らして眠るトウカイテイオーの軽い身体を担ぎ上げ、シンボリルドルフと共に生徒会室へと向かう。
***
「……さて、何から話をしようか」
生徒会室にて。未だ訳が分からず混乱する僕と、嫌に理解の早いシンボリルドルフはそれぞれ対面するソファに腰をかけ、彼女が入れてくれた紅茶を口にする。
ちなみにトウカイテイオーはというと、ふてぶてしいことに僕の膝を枕にして未だに寝ていた。この役はシンボリルドルフがするべきだと思うが、彼女はそれをわざわざ僕にやらせたのだ。こいつ、この世界でも厄介だな。
「何からも何も、こちとらお先真っ暗で何もやる気起きねぇよ。そもそもここが異世界なのかどうかもよくわからねぇし。あーあ、これからどうなるのやら……」
「……思ったより落ち着いているんだな。普通ならこういった状況に陥ったら取り乱すと思うよ」
「取り乱すっていったらもう充分取り乱したんだよなぁ」
「それもそうだな。君が気絶するほど取り乱したんだ、深くは聞きはしまい」
まるで全て分かっているかの物言いなシンボリルドルフ。
厄介なやつだが、今の僕にとっては最も頼れる存在なので邪険には扱えない。
「さて、俄には信じ難いが、君が異世界とやらの来訪者だと分かった以上、考えるべきなのは二つ。一つ目は元の世界に帰る方法だ。愚問かもしれないが、君はそれを持ち合わせているかい?」
知るわけないだろう、こちとら気がついたらこうなっていたんだぞ。
シンボリルドルフの質問に首を横に振る。愚問と言っていたように、彼女もそれは分かっていたようだ。
「何か手がかりとかはないか? 例えば君がこの世界へ迷い込んでしまった状況とか、迷い込む直前に何があったのかとか」
「んなこと言われても……ん?」
きっかけ、と言えるかは分からないが、明らかに不自然な出来事が起こったのは学園から寮へ帰る際のあの時だ。たしか満月を見上げて噴水の淵に座ってたっけ。気分が悪くなって意識が飛びかけた時、最後に見えたのは……
「……三女神の像」
「……? 何か分かったのか?」
「ああ、実は──」
シンボリルドルフにあの時のことを説明する。寮へと帰るところから、気がついたら自分の部屋にいて朝になっていたところまで。
三女神像は不思議な力を持つと言い伝えられているが、結局のところあの像はただの石に過ぎない。でも、怪しいことには変わりないのは間違いないのだ。
「トレーナー君、他に心当たりは?」
「……悪い、これ以上は無い」
「そうか……すまないが、それだけでは私は力になれそうにない。だが安心してくれ、君には私がついている。元の世界に帰れるように、粉骨砕身してその方法を探すとしよう」
「え、めっちゃイケメンじゃん……惚れちゃいそう……」
目の前のイケメンウマ娘に僕の中のわずかな乙女心が悶えているのが分かる。まずい、このままだと夢女子になっちゃう……
と、冗談は置いといて、考えるべきことの二つ目とやらを聞かねばならない。
「そしてもう一つ、本来のトレーナー君は今どこにいるのか。これも聞くだけ無駄かもしれないが、君はそれを……」
「知らんけど」
「……弱ったな、一体どこへ行ってしまったのか……」
同じ世界に同じ人物が存在してはいけない、というのはSF作品でよくある定番のお約束だ。
そうだとすると、僕がこの世界に来たことによってこの世界の僕は一時的な消滅、あるいは入れ替わりになったと考えるのが妥当だろう。
……待て、もし入れ替わっていた場合、この世界の僕とマックイーン及びダイヤが邂逅することになる。
シンボリルドルフの口ぶりからするに、この世界の僕はかなり堅物なようだ。沸々と不安が込み上げてきた。
「……シンボリルドルフ、今度は僕の質問に答えてもらってもいいか?」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「だったら……この世界の僕ってどんなやつ?」
その質問を聞いたシンボリルドルフは目を丸くした後、何がおかしかったのか吹き出してしまった。
質問の内容が意外だったのか、それとも"僕"がそういう質問をするとは思わなかったのか。
「つまりは私の知っているトレーナー君について話せばいいのだね?」
「よろしく頼むよ」
「それではまず最初に……薄々気がついていると思うが、君の担当ウマ娘はそこで寝ているテイオーだ。彼女を愛称呼びしていないということは、君はテイオーを担当していない。違うかい?」
「ご名答。ところで、マック……メジロマックイーンとサトノダイヤモンドは誰が担当しているんだ?」
「マックイーンはチーム〈スピカ〉の所属だ。獅子奮迅、彼女も目まぐるしい活躍を見せているよ」
チーム〈スピカ〉、つまりは沖野トレーナーということか。
よかった、これで見ず知らずのトレーナーが担当していたら僕はそいつをぶっ殺さなくてはならないところ……いや、沖野トレーナーも東条トレーナーよろしく人が変わっているかもしれない。安心はできないな。
「すまないが、サトノダイヤモンドという名前は存じない。サトノグループのウマ娘なら何人か知っているが、ダイヤモンドの名前は聞いたことがない」
「えっ」
ダイヤに至ってはまさかの存在抹消。可哀想に。
ここは彼女が入学するより前の世界線なのか、それともなんらかの理由で入学自体しなかったのか。
なるほど、なんとなく見えてきたぞ。
この世界の僕はメジロマックイーンではなくてトウカイテイオーを担当している。
一人称は"僕"ではなく"私"。僕が愉快な性格をしているとは思えないが、"私"の方はかなりの堅物なようだ。
「トレーナー君の言葉から察するに、君の担当はマックイーンとサトノダイヤモンドというウマ娘らしいな」
「ああ、そうだよ。だからマックイーンにお前は私のトレーナーじゃないって言われた時は絶望して死にかけたね」
「生死無常、君の無念は身体と共に埋葬しておくとしよう」
「おーい、死にかけたってだけで死んでないからなー?」
「……ふふっ、世界線が違うとはいえ、まさかこうして君が冗談に乗ってくれる日が来るとは思わなかったな」
そう言って楽しそうなシンボリルドルフを見ていると、ますます"私"がどういった存在だったのかが気になる。
「……なあ、この世界の僕はかなりの堅物らしいけど、それってどのくらいなんだ?」
「狷介不羈、四角四面。自分の意志を貫き、常に毅然とした厳しい人物だよ」
うわ、僕が一番苦手とするタイプじゃん。これが普通の会社だったら、後輩からつけられる嫌いな上司ランキングでトップに躍り出ててもおかしくない。
この世界の僕にげんなりしていると、ふてぶてしく僕の膝を枕にしているトウカイテイオーがもぞもぞと動き出す。
「んんっ……トレーナー……?」
「ああ、また起こしちゃったか。悪いな」
「ううん、ボクは大丈夫。トレーナーの方こそ大丈夫なの? 体調が悪いとか身体がおかしいとかない?」
「特に問題は無い。地の果てまで駆けていけそうなくらい元気だよ」
なにそれ、と苦笑するトウカイテイオー。
彼女の立場からしたら、トレーナーである僕が急に倒れたということになる。
さらに保健室で寝ていた僕に付きっきりだったらしい。心配かけたなと言いたかったが、なぜかそれを躊躇ってしまった。
「テイオーも気がついたことだし、先程のことにいくつか付け加えることがあるとすれば、君は常に時間厳守、スケジュールの徹底管理、そして話し方も君のように砕けたものではなかったな」
「……マジで? てことはこうして僕が喋ってるのも君達にとったら違和感なの?」
「ああ、そういうことになるな」
もう黙っとこうかしら。てか時間厳守にスケジュールの徹底管理をする僕……うーん、想像できない。
別に自分が時間にルーズなわけでもないし、ある程度予定は決めることもあるのだが、そこまで厳格なことはほとんどない。
大丈夫かなぁ、この世界の僕。本当に後輩トレーナーとかに嫌われていないか心配になる。
「この世界の僕については大体分かった。シンボリルドルフ、ここからは今後のことについて話をしよう」
「分かった、君が言うのならそうしよう」
トウカイテイオーを加え、再び彼女達との話し合いの席につく。
「話って言ってもこれが解決すれば後はどうでもいいんだが、衣食住についてどうすればいい? 現代っ子な僕にとって、帰る方法が分かるまで野宿しろはちょっとあれだぞ?」
「そのことについては問題無い。例え中身が変わっても君は君だ。私有財産については君の所有物として扱うといいだろう」
ふむ、つまりは今後もトレーナー寮を寝床として使ってもいいということか。随分あっさりと解決してしまったな。
「その代わりと言ってはなんだが、こちらとしても君に頼みたいことがある。君が寮に残る大義名分を果たすつもりはないかい?」
「……この世界で僕にトレーナーを続けろと」
「ああ。もちろん、帰る方法が見つかるまででいい」
ううむ、いつ帰れるかも分からないこの現状、ただ食っちゃ寝するだけのニート生活を送るのは避けたいところだ。とすると、シンボリルドルフの言う提案は悪くない。
「分かった、引き受けよう。して、その担当ウマ娘は……」
「もちろんボクだよ!」
「デスヨネー」
知ってた。今更知らないウマ娘を担当するとは思えない上に、マックイーンは〈スピカ〉所属。ダイヤは何故か存在しないとなると必然的に選ばれるのはトウカイテイオーになる。
「ま、僕は君のトレーナー(仮)と言ったところだな。よろしく、トウカイテイオー」
「よろしくね、トレーナー! じゃあ手始めにボクのこと"テイオー"って呼んでみようか?」
「やだね。言ったろ? 僕は(仮)だって。そうやすやすと愛称では呼ばねぇよ、"トウカイテイオー"」
「むぅ、なんだよもう……」
悪いな、これが僕のポリシーなんだ。別に意地悪をしているわけではないんだ。そう、決して膨れっ面になっているトウカイテイオーを見て楽しんでいるわけではない。
「ところでトウカイテイオー、僕は君のトレーナー(仮)になったわけだが、直近でレースの予定とかはあるかい? あるなら早いうちに知っておきたい」
「すごい(仮)強調するじゃん……。ん、次のレースは一ヶ月後だよ。この無敗の七冠であるテイオー様が春のレースでも暴れてやるのだ!」
「そうか、なら今日のうちに今後のトレーニングメニューの予定を今なんて言った?」
「え? 春のレースでも暴れてやる! って言ったんだけど」
「違う、その前」
「トレーナーの方こそ大丈夫なの?」
「戻り過ぎ。わざとやってんだろ」
「ごめんごめん、無敗の七冠って言ったんだよ」
ほんまか? と口にはしなかったが、言いかけたその顔でシンボリルドルフを見ると彼女は静かに頷いた。どうやら嘘ではないらしい。
僕の知っている情報とは全く違うが、ここは異世界だ。何があってもおかしくない。一応僕がいた世界のトウカイテイオーのことは彼女らには黙っておこう。
「トレーナー、どうしたの?」
「いや、なんでもない。一応聞いておくけど、その一ヶ月後のレースってのは……」
「よくぞ聞いてくれました! 次にボクが走るレースはぁ……!
トウカイテイオーはやけに上手い口ドラムをしてこちらの様子を伺っている。勿体ぶったところで、この時期から一ヶ月後のレースなんて限られているのだから簡単に予想がつく。
それは、GⅠレースの中で最も距離が長いあのレース──
「春の天皇賞! このレースに勝って、ボクは七冠の皇帝を超える八冠の帝王になるんだ!」
ご本人である皇帝の前で、トウカイテイオーは高らかにそう宣言する。
そんな彼女の顔は自信に満ちており、どの世界でも根本的なところは変わらないのだなと妙に納得してしまい──、
本来気がつくべきであるもっと大きな違和感に、今の僕は触れることすらできなかった。