この世界ではトウカイテイオーとメジロマックイーンの直接対決が存在しない。これはマックイーンの戦績を調べて分かったことのもう一つ。
正確にはトウカイテイオーとマックイーンの戦績を照らし合わせてが正解なのだが、細かいことはいいだろう。
本来であれば彼女達は春の天皇賞で激突しているはずだ。結果はマックイーン一着、トウカイテイオー五着。この事実は僕の中では変わらない。
そしてこの世界のトウカイテイオーはというと不自然に春の天皇賞を……いや、マックイーンを避けているかのようなレースの出走だった。
たしかに長距離適正はトウカイテイオーよりマックイーンの方が上なのはあの春天を見ても一目瞭然だ。普通に走ればマックイーンが勝つだろう。
しかし、それはトウカイテイオーが春天に出走しない理由にはならないはずだ。
まるで、あのトウカイテイオーが負けるのを恐れているかのようで──
「トレーナー、入るよ」
春の天皇賞まで残り二週間。トレーナー室で一人ボーッとしていると、ノックもせずに入ってきた誰かさんによって意識が現実に呼び戻される。
「……トウカイテイオー君さぁ、部屋入る時はノックしなさいよ? あたしゃアンタの将来が心配だよ」
「なにその喋り方、気持ち悪いよ。というか、別に見られて恥ずかしものなんてないでしょ」
それはそう。事実、一色なんてノックどころかいつのまにかトレーナー室にいるという始末だ。暇さえあればここに来るのはいい加減やめてほしい。
それよりも一色はちゃんとお仕事をしてるのかしら。お母さん心配……って、今しがた気持ち悪いと言われたばかりだったか。封印しよう。
「さて、そんな真剣な顔をしてここに来たということは何かしらの話があるんだろうが……」
「……トレーナー、ボク春の天皇賞には出走しない」
……そう来たか、なるほど。
「なるべく君の意志は尊重したいけど、あんなにやる気だったのに急に走らないのは不自然だ。何か相応の理由があると思う。僕に教えてくれないか?」
「それは……言えない、けど、ボクは春天には出ない」
トウカイテイオーは答えようとしない。まるで知られたくないような物臭だ。
「もしどこか調子が悪いってんなら……ああ、君は怪我とは無縁の存在なんだっけか」
「……うん、そうだね」
さっきから妙に歯切れが悪い。答えにくい、肯定するのに躊躇っているようにも見える。そもそも、本当に怪我をしていたら今日の練習中にでも気がついている。
正直言って、まだ分からないことだらけだ。
ここまでおかしな点がありながらも、それを決定づけるものはない上にいくつか矛盾点もある。だが、この好機を逃すわけにもいかない。
ああ、最後は結局賭けか。
自分は運がそれほどいいわけではない。これまで麻雀やポーカー、人参賭博だって勝てた回数より負けた回数の方が多い。
でも──、
「トウカイテイオー、最後にもう一つ聞きたいことがある」
「ん、なに?」
大一番での賭けには、誰にも負けない自信がある。
「今僕達がいる世界は、誰かの手によって作られた世界じゃないのか。他でもない、トウカイテイオー……いや、トウカイテイオーの名を騙る君の手によって」
トウカイテイオーの張り付いた表情と、空間にヒビが入るような音は、僕の答えが核心に近づいたことをありありと示していた。
***
空間に亀裂が走り、自分の思い通りになるのがここまでだということを悟る。
正直、目の前にいるヒトがここまで辿り着けるとは思っていなかった。こんなにも早く、そしてこんなにもあっさりと見破られてしまっては立つ瀬がない。
「……さて、話をしようか。ここはどこで、君は一体誰なのか。余すことなく吐いてもらうよ」
この空間には彼と自分の二人きり。目に見えて世界に異常がきたされている中、彼の落ち着き具合は異常だと感じる。
「……いつから気づいてたの」
「君と遊びに行く少し前。と言っても、確信は無かったけどな。この結論に至った理由は多々あるけれど」
多々ある、か。
「ここは君にとってあまりにも都合が良すぎる。七冠、異常なまでの無病息災、君自身のステータス。もしかしたら僕の知るトウカイテイオーもこれくらいのことができたかもしれないけど、これだけは言える。……現実はそう甘くない」
彼は凍えるような低い声でそう言った。怒っているような、あるいは悲しんでいるような。そんな感じがしてならなかった。
「他にもあるぞ。君が一色のことを認識してなかったり、ダイヤの名前を出しても不思議がらなかったり、異常なまでの運ゲーの強さだったり、嫌に飲み込みの早いシンボリルドルフ達だったり……」
「すごいね、キミは。でも、それだけじゃ根拠として薄いんじゃない?」
「いいや、君は一つ致命的なミスをした」
ここまで言われても尚この世界を諦めきれない。無駄な抵抗、悪あがきと言われてもいい。
だが、そんな想いも何もかも、目の前にいるヒトは打ち砕いてくる。
「最初にシンボリルドルフと僕が異世界から来たって話をしてた時に確かに君は寝ていたはずだ。でも、あの時君は何の疑問もなく会話に混ざった……まるで最初から事の顛末を知っていたように、自然に」
「……半分正解、半分ハズレ」
自分がそう認めると、空間に入っていた亀裂から世界が音を立てて崩れ去る。
もう少しだけこの世界で楽しく過ごしていたかった。でも、そんな願いは叶わない。
「最初の質問に戻ろう。君は誰で、この世界を作った張本人なのか」
「……自分はトウカイテイオーであってトウカイテイオーじゃない。残留思念みたいなもんだよ」
「残留思念……?」
「うん。もっと言うと、この世界はその残留思念を元に作られたトウカイテイオーの理想の世界。他でもない、三女神様達の手によってね」
それを聞いた瞬間トレーナーは頭を抱えた。
「やっぱりか……帰ったら一番にあの像ぶっ壊すわ」
「や、やめてよ! 三女神像の元になったウマ娘は全てのウマ娘の祖って言われてるくらい崇められてるんだから!」
「冗談だよ。んで、君があの子の思念体とやらで、ここがその理想郷ってのは分かった。でも、僕がこの世界に迷い込んだ理由が分からない。あの時たまたま三女神像の前にいたからって言われたらおしまいなんだけど……」
「……うん、キミの言ってる事で間違いないかも」
「……マジかよ」
事実、彼はイレギュラーだ。三女神様がこの世界を作り出す際、たまたま彼が近くにいてそれに巻き込まれてしまった。他人事だが本当に運が無いと思う。
「あーあ、キミがあの時三女神像の前にさえいなかったらこの世界はもっと長く続いてたのになぁ」
「そりゃご愁傷様ってモンだ。恨むなら軽率に僕をこの世界に招いた三女神を恨むんだな」
世界の崩壊は着々と進んでおり、時期に完全崩壊して彼は元の世界に帰れるだろう。こうして彼と軽口を交わすのもあと少しだと考えるとなんだか苦しいような悲しいような気持ちでいっぱいになる。
自分が思念体とはいえ、まさかこんな想いを……いや、思念体だからこういう感情が備わってるのか。どのみち自分は消えてなくなるのだからどうでもいいけど。
「そうだ、もう二つ分からないことがある」
「いいよ、五つでもなんでも答えてあげる」
「じゃあ一つ、ここは君の理想郷のはずなんだろ? じゃあなんでマックイーンが春天に出走するってことを阻止、あるいは予測できなかったんだ?」
「それはキミがいるからだよ。元々キミはイレギュラーなんだ。そんなヒトからの受ける想いが強い存在は自分でも行動が読めなくなる」
「意味わかんねえけど……マックイーンの行動が読めないから同じレースを避けたかった……おい、じゃあ何か、君が行動を読めなくなった結果ダイヤはこの世界から消されたってことか!?」
「そうなるね……」
「ま、マジで可哀想……」
サトノダイヤモンドを憐れむ彼は彼女が存在しないという事実に囚われているが、もっと大事なことに気がついていない。
自分がメジロマックイーンとサトノダイヤモンドの行動が読めないということは、それだけ彼がその二人のことを強く想っているということ。
もちろんそこにはライク以上の意味がある。口にしたら怒られそうだから黙っとこうか。
「それで、もう一つは?」
「ああ、そうだ。分からないことのもう一つ、なんで僕が君のトレーナーになってるんだ? ただ君の理想郷を生成するってんならわざわざトレーナーを僕にする必要なんて無かっただろ」
「三女神様も万能じゃなくてね。ウマ娘の再現はバッチリだったんたけど、人間の再現がてんでダメでさぁ」
「あぁ……」
どうやら彼も察したようだ。本来のトレーナーであるチーム〈スピカ〉のトレーナーは、この世界ではとんでもない引きこもりとなってしまった。
本来の〈スピカ〉のトレーナーならまだしも、この世界のではトウカイテイオーの理想を叶えるには少々力不足感が否めない。
そんな話をしていると、世界の崩壊は最後の一欠片を残して消え落ちる。後は自分が彼を元の世界に送り出すだけだ。
自分が意思と感情を持ってしまったことを恨む。涙を堪え彼に向き合い、笑顔で別れの挨拶を用意する。
「……そろそろお別れだね。さっきはあんな事言ったけど、キミが来てくれて良かった。トレーニングしたことも一緒にお出かけしたことも全部消えてなくなっちゃうけど、それでいいんだ。三女神様に作られたとはいえ、ここは本来存在してちゃいけないんだから。ありがとね、キミのおかげでこの二週間退屈しなかっ──」
「あー、長い長い、長いよ。そして何言ってんの? まだ君の理想は叶え終えてないだろ?」
「……は?」
言われた意味が分からず間の抜けた声が出てしまう。
彼は一体何を言っているんだ? それではまるで、まだこの世界にいるかのような言い方で……
「僕はね、過去にこの職業を投げ出そうとしたことがあるんだ。今考えたらバカだなって思うさ。それ以来、ウマ娘に対して中途半端は許さない主義なんだ。それがレースのこととなると尚更だよ」
「それって……でも、自分はトウカイテイオーじゃなくてただの思念体で……」
「だからなんだ。この二週間、僕の前にいた君は確かにトウカイテイオーだった」
「じ、自分は無敗じゃなくて……七冠なんかじゃなくって……!」
「それがどうした、僕の目の前にいる君は無敗の七冠だ。誰にも文句は言わせない」
……分からない、これ以上彼がこんな世界に関わる必要なんてないのに、どうしてそんなことを……
「どうして……どうしてキミはそこまでしてくれるの……? この状況に目を瞑ればすぐにでも元の世界に帰れるのにどうして……?」
「あん? そんなの決まってんだろ」
目の前にいるヒトは、自分にビシッと指を突きつけ──
「僕が君のトレーナーだからだ」
「あ……」
ずるい……ずるいよ、そんなの。そんなこと言われたら、諦められるものも諦められないじゃん。
自然と溢れ落ちた涙を拭き、これ以上みっともない姿を見せないためにも上を向く。
「さて、僕にとっての最高の相棒は最強の対戦相手になったわけだが、自分としては一歩も引く気はない。むしろやる気で満ちてるね」
「……変なの。普通はこういうのって躊躇しちゃうと思うよ?」
「恩を仇で返すのがレースでの掟だよ。それに、最強の対戦相手とは言っても手の内を全て知ってるんだ。くっくっく……見てろよマックイーン、世界が違うけどここいらでいっちょ吠え面かかせてやるからな?」
うっわ、最低だこの人。とても自分の担当ウマ娘に対する発言とは思えない。
「それをするには、君の力が必要だ。君はこのレースに勝ってどうなりたいんだ、"テイオー"」
「ッ! 自分は……ボクは、七冠のカイチョーを超える八冠の帝王になる……! ボクの名前はトウカイテイオー! 最強無敵で無敗伝説!」
この世界に於いて、正直トレーナーなんて誰でもよかった。それこそ、力不足とはいえ本来のトウカイテイオーのトレーナーでも全く問題は無い。でも、三女神様はそうしなかった。
マックイーン、もしかしたらキミが羨ましかったのかもしれない。自分のトレーナーと一心同体とまで言い切り、そして恋に落ちるキミのことが、トウカイテイオー……ううん、ボクにとってはとてつもなく眩しく感じていたんだろうね。
キミの気持ち、ちょっとだけ分かったような気がするよ。
気がつけば、崩壊したはずの世界は元通りになっていた。
その元通りになったトレーナー室で、ボクは真なる望みを口にする。
「トレーナー、ボクは────ッ!」
***
『GⅠ春の天皇賞! 盾の栄誉を賭け、栄光を掴み取るのは果たしてどのウマ娘なのか!』
ターフへと向かう青と白のリボンでポニーテールを括ったトウカイテイオーを見送った後、スタンドへと向かわずに地下バ道に残る。
いつもならいい場所で見るためにと速攻で移動するのだが、今回は話さねばならない相手がいる。
「なんて、そんな大層な話じゃあないんだけどな」
自分で自分の独り言にツッコミを入れていると、一人のウマ娘が地下バ道をコツコツと音を立てながら歩いてくる。
黒を基調とした勝負服に美しい芦毛をたなびかせるその姿は、見慣れているはずなのに圧倒的存在感が感じられる。
それは単純にマックイーンが強者だからか、それともこの世界に来た時のトラウマが再発しそうだからなのか。
どちらにせよ、この震えを恐怖の震えではなく武者震いだと言い聞かせて前に進むしかない。
「……やあ、メジロマックイーン」
「あら、貴方はテイオーのトレーナーさん……ど、どど、どうしましたの!? 急に胸を抑えて蹲ったりなんかして!?」
「だ、大丈夫だ。何も問題ない」
「とてもそうには見えませんけど……」
構えてはいたが、マックイーンの『テイオーのトレーナーさん』発言に一撃K.O.をかまされてしまう。
他の人に言われたところで何もダメージは無いが、流石にマックイーンから言われると即死攻撃となる。一撃必殺、相手は死ぬ。
「それで、私に何か用がありまして?」
「ああ、ちょっとばかし宣戦布告ってやつをね」
「それをちょっとばかしで済まそうとするのはあまりにも杜撰ではないですの? 少なくとも、私ならこんな直前になってそんなことはいたしませんわ」
「……中々勇気が出なくってなぁ」
「はい?」
「いや、こっちの話だ。ともかくメジロマックイーン、勝つのは僕と……トウカイテイオーだ」
「……ふふっ、及第点ということにしておいてあげますわ。望むところです、全身全霊をかけて叩き潰しますわ、テイオーとトレーナーさん」
その言葉を聞き、マックイーンの横を通って地下バ道を後にしようとすると、服の裾を掴まれるような感覚で阻まれる。
なんだろうと思い振り返ると、それをしていたのはマックイーン本人だった。
「あの、メジロマックイーンさん、何か御用で……?」
「えっ、ああ、いえ……なぜでしょう、貴方のことをトレーナーさんと呼んだらどこか懐かしい気がしてならなくて……」
「……他人の空似かなんかじゃないの? ほら、世の中には自分とそっくりな人間が三人いるって言うだろ?」
「……ええ、そうですわね。変なことを聞いて申し訳ありません」
「変なことを聞いたのはお互い様ってことで。じゃあな、応援してるぞ。トウカイテイオーの次に」
「応援されては仕方がありませんわね。貴方の望みに反することをしませんと」
もう少しマックイーンとの軽口を交わす時間を引き伸ばしたかったがそれもここまで。背中越しに彼女の足音が遠のいて行くのが分かる。
久しぶりにマックイーンと話せたことでちょっとテンションが上がってしまった。中学生かな?
それにしても、まさかマックイーンがあんなことを聞くとは思わなかった。これも僕がこの世界へ迷い込んだ影響なのだろうか。真実は闇の中、考えていても仕方がない。
心の中でもう二度と会うことはないであろうこの世界のマックイーンに別れを告げ、彼女とは反対方向へ歩く。
どうやら僕とマックイーンはギリギリまで話をしていたらしく、彼女と別れた数分後にはファンファーレが聞こえてきた。直にレースが始まるだろう。
これが僕とトウカイテイオーのコンビの最初で最後のレース。卑怯でなかったらどんな方法でもいい、彼女を勝たせてあげたい。
だが、現実問題3200mという長距離レースでマックイーンに勝とうとするのは至難の業だ。実際、この距離でマックイーンに勝てたことがあるのはライスシャワーだけ。
普通にやっても勝てる可能性は限りなくゼロに近い。
ならどうすればいいか。
『春の天皇賞……スタートしました! メジロマックイーンは綺麗なスタート、他のウマ娘もそれぞれ素晴らしい……おおっと、これは一体どうしたことか!?』
簡単だ、普通じゃない方法を取れば勝機は見える。大一番での賭けに関しては、僕は誰にも負けない。
ああ、実況の困惑と観客のざわめく声が気持ちいい。これを聞いた時が二番目にやってやった感が出る。もちろん一番は勝った時だけど。
三女神は、ウマ娘の性格は再現できても人間の性格の再現はできなかった。それはトウカイテイオー自身の発言であり、東条トレーナーや黒沼トレーナーを見ても納得がいく。
もし、それがトレセン学園内だけに収まらず全世界の人間に適用されているとしたら、この世界にはとある名言が無いはずだ。
『トウカイテイオー、なんと最後方からのスタートです!』
僕はトウカイテイオーにこんな言葉を教えた。
"真の強者は、ふいうちを外さない"
自然と上がりそうになる口角を抑え、スタンドへと足を運ぶ。